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あるほがらかな春の日の午後だ。キリギリスは外に出て、自まんのバイオリンをかき鳴らしながら、今日も歌にせいをだしていた。田舎道の草っぱの中には キリギリスの他にも、アリたちが労働に汗水ながしていたし、チョウは花粉集め カブトムシは今年の夏場所にむけて、今は地中深くで眠っていた。カブトムシたちは力士で、夏になると木の上に作られた土俵で、お互いに木のみつをかけて、相撲を取っているのだ。
春の始まりから、どうやら今年は過酷だった。四月に季節外れの雪が降り、いろんな草花がやられてしまった これはチョウたちには痛手で、とくに松の木がやられたので その松のえだで蓑を作るミノムシたちは、ずいぶんひどい目にあった。柊の団地に並ぶミノムシたちの蓑屋は、そのせいで、ほぼすべて店をつぶしてしまった。
とはいえ、キリギリスは蓑を使わない。
キリギリスは、一人でこうして音楽に打ち込んでいるじかん とてもまともな虫になった気がするのだった。だが、そのキリギリスの数が二匹となり三匹となり十匹となりニ十匹となり、それはもう大勢で音楽をかき鳴らしだすと、本当にばかになってしまう。
そしてその乱痴気さわぎの途中「失礼しまーす、ここ通りますー」などといって、アリの行列がやってくると、このキリギリスはなんだかとても気まずい思いをするのだった。かれらはアリたちとの間に、どこか壁のようなものを感じてしまうのだ。
しかし仲間のキリギリスはそんなこと知ったことではなかった。とにかくバイオリンの弾き比べで忙しく、やんややんやとなっていたから、そんな感情を心に停める時間もなかったのだろう。
今日もキリギリスのいる草っぱの上を、馬が通っていく。
しかしキリギリスはこの生き物が何であるか知らなかった。おそらく自分たちと同じ虫のたぐいだと思うが、それにしては大きい。やたら巨体で冬の時期でもないというのに体は茶色をしていて、そして何より、足が四本しかないというのも変だった。
しかしキリギリスは上を見あげると、すぐにその答えを発見した。前足と後ろ脚の間にもう二本、地面についていない足が、ぶらぶらと垂れ下がっている。「成る程ね」とキリギリスは演奏の手を少し止めて、ようやく得心のいった気分になったが、その頃には馬は行ってしまった後だった。
アリたちは上を見ていなかった。
チョウたちは踊りながら、花の蜜を集めていた。
草かげではカマキリが、虎視眈々(こしたんたん)と、小さな虫の命を狙っていた。
一日が、人間の一年ぐらいの価値がある虫もいた。カゲロウ君なんかがそうだ。けれど今カゲロウ君は卵の状態で、森に登場するのも、もっと先のことだ。
ただ一つだけ、キリギリスはアリに勝っていると自負している点があった。
――アリはモテない。
こんなに働いているのだから、モテてもいいものだろうと、キリギリスも最初のうちは思っていたが、アリ達の話を聞くとそうではないらしいことが分かってきた。聞くとアリの世界には女王アリという存在がいて、彼女が一族の生殖を一手に担っているという。
しかしアリたちの顔は明るかった。アリたちはキリギリスに、そのことで負けているとも勝っているとも、別に思っていなかったのだ。だって巣に帰れば、大勢の赤ちゃんが彼らを待っているし、彼らが労働するのも偏にその子らのためなのだから。
もし今日のコンサートが成功しなければ。キリギリスは思った。今晩アリたちに運ばれるのは、俺の遺体だ。
「キリギリスさん、いい演奏を見せてくださいね!」
アゲハチョウは、舞いながらキリギリスに言った。
「きみの踊りも最高だぜ!」
うふふ。アゲハチョウは笑みを浮かべて、宙を飛び去って行った。「いいよなあ」と、キリギリスは独り言ちる。「あいつはきれいで、花の蜜だけ啜ってりゃいいんだから……、まったく羨ましいぜ……お前もそう思うだろ、このずんぐりむっくり」
「おいらァ……食事中……」芋虫はスローな返事しかできなかった。キリギリスは少しバイオリンの手を止めて、続きの言葉を待ったが、芋虫はもそもそやっている。しかたなしに、キリギリスはまたバイオリンの弦を動かした。
――食ってばかりだ、コイツ。
芋虫はスローな返事もさることながら、動きもスローだった。草かげが彼の緑の体を上手く隠しているから良さそうなものの、そうでなければ鳥たちに見つかって、すぐにでも捕食されてしまいそうに、キリギリスは思った。
それにしても今日は鳥の姿を空に見ない。
キリギリスは鳥に狙われたことはまだない。が、コオロギのじいさんは葉っぱをむしっているところをスズメに襲われ、足を一本失った。あるカブトムシの幼虫は穴をほじくり返され、どこかに拉致されていった。おそらく雛鳥のエサにされたに違いない。またある場所では、昆虫の村が一つ丸ごと鳥に襲われて、壊滅してしまった。
キリギリスは不安になって、アゲハチョウが飛び去った方角に目をやった。アゲハチョウは空中にいた。しかしどこか様子がおかしそうだ。まるで宙で凍り付いたように、うんともすんとも動いていないのだ。
――あいつ、蜘蛛の巣に引っかかったな!
とても可哀そうだとキリギリスは思った。かといって、どうすることできなかった。蜘蛛だって生活が懸かっているのだ。とりあえずキリギリスはこの非常事態を皆に知らせるために、バイオリンをさっきよりも強く弾きまくりながら、事件の現場へぴょんぴょん跳ねて、近づいてみることにした。