ソクラテスとピラティスはちょっとだけ似ているかもしれない
それは樹に留まって動かない虫のようだった。
俺の部屋のリビング、観葉植物ベンジャミンことベン君の横でひっそり、迷宮が本を読んでいる。その近く、薄型テレビの前ではヘッドホンをつけた小野寺が。そして台所では分倍河原がアイスを堪能している。
「ねえ、お前たち。何でうちに来るの?」
「広くて綺麗だからです」
「同じく」
「それより合コンしません?」
一番、頭の悪い発言をしたのは、一番、頭が悪い奴だ。俺のとっておきのアイスをばかすか喰いやがってただで済むと思うなよ。
「面倒だから嫌だ」
「同じく」
「俺は彼女いるから」
「迷宮さん、爆発してくださいっす」
俺たちは全員、科学サークルに入っているが、分倍河原は俺や小野寺はともかく、出逢って間もない迷宮にまで合コン合コンと喚いていた。そして迷宮に彼女が出来たと解るや「お前もか、ブルータス……!」とか言う、こいつにしては頭が良いのか悪いのかよく解らん逆恨みなことを言っていた。どうせその発言に至る歴史的背景なぞ知ってはおるまい。科学サークルの活動内容は、試験官でアイスを作ったりビーカーでコーヒーを淹れたり、サークルの部屋にある流しをプール代わりにしたりと言った実にサイエンスなものである。
「とりあえず俺、ちょっと眠いから、一人で安眠したい訳よ」
「膝枕しましょうか」
「五木の子守唄を歌いましょうか」
「それより合コンしません?」
駄目だ、こいつら、俺の心情に寄り添う気が一ミリもない。分倍河原、お前は日本語のボキャブラリーをもっと豊かにしたほうが良い。口を開けば合コン合コン。蝉か。顔は一応、良いから、陰で残念なイケメンと専ら囁かれているのは本人だけが知らないだろう。安眠を諦めた俺は方眼紙に設計図を書いて暇潰しを始めた。俺は建築学科の人間だ。まあ、小学生の頃から同じことして遊んでた奴はそうはいないだろうが。
……ん。
何やら、奴らの視線が俺の手元に集中している。
「坂原さん、豪邸書いてくださいよ。こう、こう、どおーんとしたやつ」
「嫌だ」
「一級建築士の資格、やっぱり取るんですか?」
「まあなあ。一級建築士の資格は足の裏の米粒なんだがな」
「足の裏の米粒?」
「取らなきゃ気になるけど取っても喰えない」
「だあっはっはっは」
「分倍河原。お前のその大口にシャーペンをぶっ刺してやろうか」
慌てて口を覆う分倍河原。賢明な判断だ。
読書の傍ら、会話に参加していた迷宮が本をパタリと閉じた。
「私は知らないことを知っている……」
「おお、迷宮さん、何か深いっすね」
「ソクラテスの言葉だ」
「ピラティスって何でしたっけ」
阿呆な分倍河原の発言はスルーして迷宮が続ける。
「偉人・ソクラテスはプラトンの想像上の人物であり、実在しなかったという説もある」
「ピラティスが?」
「近くに美味いラーメン屋が出来た。今は冷やし中華やってる。喰いに行かないか」
「良いですね」
「ねえ、ピラティスって実在しないんですか?」
ピラティスとは筋力トレーニングとストレッチを組み合わせた運動法だ、ぽんこつ。
玄関から一歩出ると、暑気がむわあ、と押し寄せる。ぞろぞろ、男四人が出て来る様は傍から見たらシュールかもしれない。
「冷やし中華、奢りっすか」
お前いい加減にしろよ。
ふう。
とりあえず、野郎どもの追い出し作戦、成功だぜ。
「冷やし中華食べたら、坂原さんとこでゲームでもしましょうか」
は? 小野寺、今、君何て?
「トロッコ問題」
雰囲気で喋るな迷宮。
「ええ、でもそれじゃあ坂原さんちのアイス、俺の胃袋に全部消えるよ?」
ふざけるな分倍河原。
しかし無法者の奴らの計画は着実に実現化され、俺は自分の家がオアシスだというのは幻想ではないかと疑う境地に至った。
頼むから一人でダラダラさせてくれ。