平穏ならざる初動
私は「平和」と言う概念が好きである。その概念は非常に魅力的であり、それを言葉に発するだけでも幸せを感じさせる尊い存在だ。しかし、「平和」を思い描きするあまり、何か大事なものを見落としてはいないだろうか…?平和しか見ていないのだろうか?平和になる為には何をするべきか、未だその結論は己には出せない。しかしながら、「今」の現実を見つめて己なりに「仮説」を考えることは可能である。
あの言葉がふと思考を過ぎる…「汝平和を欲さば、戦への備えをせよ(Si vis pacem, para bellum)」かの有名なパラ・ベラムの言葉だ。平和のためには戦いがあり、戦いが起きるのはその平和のためではないか…?
そんな二つの思いを、胸の内に秘めつつ、今日も焼け焦げ煤け、埃と塵と、火の粉が彩る瓦礫街を、硝煙、黒煙と共に生土が香る焼け野原を、濃厚な霧で血肉湧き立つ骨を隠す原生林を、最早重石と化した背嚢と装備品、僅かな食糧品、心許ない弾帯とサスペンダー、弾数の少ない一丁の小銃と3本の弾倉という頼りない装備品達と共に闊歩する、そして、戦友でもある部下達と行軍を続投する…今私は地獄の道を行軍している…