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灰桜  作者: 砂糖千世子
第一部 超常の章
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第四話 レストランに行きたいんじゃ!

「ご注文はお決まりでしょうか?」

 やってきた店員に俺は『唐揚げ定食』と『チーズINハンバーグ』を注文した。そして沙月には『ドリンクバー』をつけた。店員は復唱してから俊敏な動きでキッチンへ戻っていった。俺は立ち上がった。沙月がどうしたのかと俺に聞いた。「トイレに行ってくる」

 男子便所の個室の扉を閉めて便座を拭いてから座った。そうしてスマホを取り出して、少し調べた。どうやら昨日葦鹿山へなにかが落下したのは周知の事実らしかった。薙ぎ倒された木々の、今朝の写真と共に、まだ薄い情報がニュースになっていた。

 落ちたのが円盤型の宇宙船だとは誰も知らない様子だった。

 刑事矢島は恐ろしい慧眼の持ち主だと思った。最も真実に近づいている。しかし彼の口ぶりから察するに、これ以上調べる気はないらしかった。彼が俺の反応からどう判断したのかはわからない。しかしこの件を深堀したところで、彼の想像しているような真実は出てこないと踏んだのではないだろうか。警察が浮気調査や行方不明の猫の捜索をしないのと同じで、超常現象はお門違いなのだ。

 俺がテーブルに戻ってくると沙月はメロンソーダを飲んでいた。俺は水を飲んだ。穏やかな時間だった。

「なんじゃあれは?……」

 驚きと共に沙月が指さしたのは通路を進むお給仕ロボットだった。液晶に記号化された猫の顔が映し出され、その円柱形の胴体には料理を乗せたお盆が収納されている。客のテーブルまで来て、セルフで手渡す。最近導入された機械で、俺もあまり馴染みはなかった。近未来的で見ている分には面白いし可愛い。

「ロボットだよ。あれが人の代わりに注文の料理を運んでいるんだな」

「機械を働かせているのか?」沙月は意地悪そうな表情で俺に言った。「給料は出ているのじゃろうか?」

「出てはいないだろう。しかし電気は与えてる。食事みたいなものだ。世話をしてるんだよ。命を与えているんだ」

「ロボットに意思はあるんじゃろうか。働きたくないのに働かせてるんじゃないじゃろうかねえ」

「さあね。しかし、働きたくて働いているんじゃないかな。彼らは目的を持って生まれてきたんだ。俺から見たら幸福なもんだよ。人間なんて、自分らが何のために生まれたのか誰も説明してくれないし未だにわかっちゃいないんだから。あのロボットは給仕する目的の為に誕生して、そうして一番得意なことが給仕する事なんだ。完璧に噛み合ってる。あのロボットに他の仕事を強制したら、それこそ非難されてしかるべきだね。掃除させたり泳がせたり」

「お主は人間全体を不幸じゃと言ったな。あれは本当か?」

「ええ? そんなこと言ったかな。曲解じゃないの?」俺はさっき発言した内容を既に忘れていた。「まあ、生きる意味を知らない動物は幸せからは遠ざかると思うね。普通の動物は生きるために生きてる。これは本能的だ。人間の場合は理性が強いから、そう素直に生きられないし、自我の為に面倒な思考回路を持ち合わせる。機械は理性の塊だけど、その理性に噛み合った意味を伴って生み出される。人間だけが中途半端だ。精神的なカモノハシみたいな……」

「カモノハシってなんじゃ?」

「卵を産む哺乳類の動物だよ。こんな感じの嘴を持ってるんだ」俺は掌を使ってみせた。「人間は進化の途中にある。今の状態が最新ではあるけど完成形じゃない。これはすべての生物にいえるかもしれないけど。人間はあと千年も経てば、理性に相応しい動物に進化してるはずだ。もしかしたら人間という存在を機械化しているかもしれない。この宇宙を離れて電脳宇宙に生息してるかも」

「けれど全部お主には関係ないじゃろう」沙月は無慈悲な言葉を発した。「お主はあの山で死ぬ気だと言ってたな。まだ若いじゃろうに。なんで死にたがっておったんじゃ」

 窓の外の幟を春の風が優しく揺らしている。店側から見ると幟の文字は反転していて、読みづらい。大通りをトラックが数台並んで走り去った。薄曇りの空が眩しくて俺は目を細めた。

 昨日死んでたら、今日の空を見ることはなかった。そう思うと、複雑な郷愁に襲われた。すべてが尊いようにも思えたし、その感傷を軽蔑する自分もいた。

「俺はこの世界があんまり好きじゃないんだよ。だから別に死んでもいいと思ったんだ」

「惰性で死ぬぐらいなら、惰性で生きてた方がよさそうなもんじゃけどなあ」

「惰性じゃ生きられないんだよ。難しいんだ、生きるってのは。みんな頑張ってる。でも、みんなには頑張る理由がちゃんとあるんだ。バラバラじゃないしぷかぷかしてもいないんだ。色んな理由をちゃんと人生の中で見つけて、それを薬みたいにして生き続けてるんだ。俺にはそれがなかった。理由のない労働は耐えられるものじゃない。この国じゃ長生きは美徳だけど、俺個人としては必ずしもそうだとは思わないな」

「お主は中々捻くれておるし、厄介な性根を持っておるのう」

 沙月は辟易したという具合に顔を顰めた。

 漸く猫型お給仕ロボットがのろのろ通路を進んできて、俺たちの待つテーブルの手前で止まった。「お待たせしたにゃん!」と元気のいい声で喋った。

 俺は沙月に日本の文化である「いただきます」と「ごちそうさま」を軽く説明した。

「いただきます」

 二人で手を合わせ唱えてから食べ始めた。沙月に箸は早かった。なのでフォークとスプーンを使わせた。俺は黒いプラスチック製の箸を持って唐揚げ定食を食べ始めた。

 昨日死んでいたら食べることはない味だった。滅茶苦茶美味しくて、一人だったら涙が零れていたかもしれない。俺が目頭を熱くしている正面で沙月はガチャガチャ食器を鳴らしながら食事していた。日本の食べ物が口に合えばいいけれど。少し心配しながら見ていた。俺の視線に気づいたのか沙月は顔を上げて「うまい」と一言言った。

 俺たちは黙々と食事した。店内は比較的すいていた。俺たちを覗けば四つほどテーブルが埋まっているぐらいだ。静かな雰囲気で、穏やかな時間が流れた。店員は暇しているだろうなと思った。稼働中の一台以外の猫型ロボットは事務所の奥で沈黙しているのだろう。

 沙月との問答で生まれた幾つかの考えを俺は頭の中で反芻した。

 結局俺の自殺への動機は、世界と馬が合わないということに尽きる。

 俺は時々ロリコンに同情する。ロリコンに限らず、性的倒錯者を可哀想だと思う。彼らは世間じゃ一方的に非難され罵倒され差別されている訳である。勿論犯罪者は裁かれるべきだ。しかし世の中には自身の欲望を制御し、我慢している性的倒錯者が大勢いる。倒錯は本人の意思の外側にあり、なりたくて露出症や小児性愛、死体愛好に目覚めるわけではない。

 俺は自分を倒錯者だと思う。俺は大多数の人間が人生の中で重要視する物事に、深く興味を惹かれず、別の方面に意識を向けている。

 子供にしか性的興奮を得られない人間がなんとか社会に適合しようと──『普通の人間』になろうと──興味のない大人の人間と恋愛をするようなもので、ただただ苦痛でしかない。同性愛者が異性と恋愛をし、異性愛者が同性と恋愛をするのは、大いなる苦痛を伴う。

 俺にとって人生はその通りだった。俺は物心ついた頃から食い違った歯車の間でひたすら磨り潰されてきた。摩耗しきった精神は、自殺を目指し始めた。

 食べ終わった皿を前に手を合わせて「ご馳走様でした」と小さく唱えた。顔を上げて沙月を見た。俺が食事と思索に夢中になっている間にとっくに間食していたらしい。退屈そうな表情を浮かべた横顔は綺麗だった。

「なあ、本当にお前は行く場所がないのか?」沙月は頷いた。「じゃあ、俺の家で暫くは生活するわけだな? それともどこかちゃんとした施設へ行ってみるか?」沙月は首を振った。「やっぱり俺の家で生活するわけか。ああ、それならまずは金を稼がなきゃいけないぜ?」

「つまり妾に労働しろというんじゃろ?」沙月は不貞腐れたように身体を捩った。「働きたくないのう。なあ、お主は強がりで人類の存亡なんてどうでもいいと言ったんじゃろ? 本当は人類に滅んでほしくないんじゃろ? 妾がもし労働に出て、とんでもなくブラックな職場に放り込まれたら、人類は三日も生きてはいられないじゃろう。いいのか、それで?」

「しょーもない脅迫だよ。俺は本気で人類のことは気にしちゃいない。どうせ滅びる運命だよ。俺は自分を厭世家だとは思わない。でも人類は滅ぶと思うね。あと五百年も経たずにさ」

「若干の希望じゃないじゃろうか? お主は自分が亡ぶから人類も亡ぶと思いたいんじゃなかろうか。幸福の絶頂にお主がいたなら、きっと今のようなことは言わないと思うんじゃけどなあ」

「どうだろうな。これまで一度として、幸福の絶頂を味わったことがないからな。人生で一回ぐらいは我が世の春の訪れを見てみたいもんだよ」俺は少し黙って考えてから口を開いた。「別に俺は働けとは言ってないさ。自分がやられて嫌なことは人にするなって教わったからな」

 この格言を俺は嫌っていた。人にされていやなことは相手にするなとは、自分がされても別に嫌ではないことは相手にしても構わないとも受け取れる。人の価値観など千差万別だ。世の中には沢山の図々しい人間がのさばっていて、彼らと俺とじゃすべての関係が不公平になりかねない。俺ばかりが気兼ねして、相手は平気な顔で俺の人生を土足で踏み荒らしていく。相手はきっと俺が同じことをしても気にしないだろうが、俺の繊細さはそれを拒むのだ……。しかし今はそんなことはどうでもいい。

「俺だって労働は嫌いだ。お前に働けなんていいたくない。知ってるか? この国には働かなくても金を稼ぐ方法が存在するんだ」

 俺は自分の口座にどれくらい金が残っていたか、思い出そうとした。十万円もなかった気がする。しかし十分な金額だ。そう、その方法を使えば、一万円を数分で100万円にすることも可能なのだ。

「なんなんじゃ、その夢のような……魔法のような方法とは?……」

 若い男の店員が澄ました顔で俺たちのテーブルの食べ終わった食器を片付けに来た。手際よくトレイを腕に載せて、まるでサーカスの曲芸師のように身軽にキッチンの方へ消えていく。

 午前中の薄明るいレストランの店内で、気を取り直して俺は言った。

「夢でも魔法でもない。それは、公営ギャンブルだ」

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