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灰桜  作者: 砂糖千世子
第一部 超常の章
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第三話 誤差の太い男

 インターホンの音で目を覚ました。俺の部屋のインターホンが鳴ったことは驚きだった。来客などこの部屋に引っ越してから滅多になかったのだ。だから俺は誰がこの部屋に来たのかわかった気がした。

 寝惚け眼を擦りながら玄関へ歩いた。再度インターホンが鳴った。覗き穴から見ると黒いスーツを着た髭を整えた男二人が仏頂面で立っている。俺は何かを忘れている気がして一度振り返った後玄関を開いた。

 男の一人に見覚えが合った。確か俺が大学を退学する羽目になった事件の担当だった。憂鬱を固めて作った棍棒で殴られたような気分で、扉の奥から差し込む朝の光を浴びた。男たちの背中から差す朝日は真っ白で俺の寝起きの両目を強く焼いた。男たちは威圧感を纏いながら遠慮なく俺の玄関へ上がった。狭い場所に俺含め男が三人立ち尽くしていた。

「藤堂よお、俺がなんで来たかわかってるよな?」その刑事の名前は矢島といった。もう一人の比較的若い刑事の名前は知らなかった。服装的に矢張りこっちも刑事だろう。「まさかこんな短期間にまたお前の顔を拝むとは思わなかったよ俺は」

「そんなまくしたてられても困りますよ」俺はわざとらしく口元に手をやった。「寝起きで頭が回らないんで」

「頭を回す必要があるのか?」矢島は振り返って若い刑事に言った。「おい、北村。お前は煙草買ってこい」

 北村と呼ばれた刑事が背筋を伸ばしてから返事をした。俺のことを一瞥してから少し躊躇って北村は玄関から消えていった。最寄りのコンビニはこのアパートから歩いて十分以上かかる場所にある。往復でニ十分。最低でもそれぐらいの時間は、矢島の相手をしないといけない。

矢島は靴を脱いで俺よりも先に居間へあがった。刑事特有の図々しい態度に俺は少し不愉快な気持ちもした。けれどその瞬間に、沙月が朝起きた時部屋にいなかったことを思い出した。ぼんやりした頭で当然なことのように受け入れていたが、彼女が俺に何も言わず出ていったことが少しショックだった。玄関を振り返って暫くの間、俺は立ち止まった。居間から矢島の声がした。

「話があるんだよ、早く座れ」

 俺は別に警察が嫌いじゃない。猛烈な嫌悪感を感じる時もあるけれど、基本的に感謝している。彼らがいるから治安が守られているのだ。しかし往々にして、実際に接する警察官が大抵図々しかったり威圧的だったりするのは何故だろう。これまで会話した警察官で俺に対して少しでも尊重という姿勢を持っていた人を見た事がない。きっとそんな生半可な気持ちじゃ仕事が務まらないのだ。最初はそう言う礼儀正しい青年でも、組織に順応していけば自然と警察官らしい会話術を手に入れるのだ。あるいは社会的に優しい人間は警察という厳しい組織の中で勝手に淘汰されていくのかもしれない。

俺が床に座ると矢島は胡坐をかいて言った。

「昨日夜中に通報が入ってな」唐突な喋り出しだった。先程までの矢島と変わって落ち着いた調子だった。倫理的な光が彼の瞳に宿っていた。俺は少々困った。「裏山に何かが落下したっていうんだ。俺たちは車でそこまで行ってみたが火事が発生している訳でもないし、いつも通りの葦鹿山があるだけなんだよ。なにかの間違いの通報だったかと思ったんだが、取り敢えず山中に散策に出た」

やはり昨夜のことだった。俺はインターホンの音を聞き取った時に電撃が走るようにここまでの流れを悟ったのだった。しかし正直翌朝のこんな早い時間にもう来るとは思っていなかった。本来なら沙月と口裏を合わせたりする心算だったが、今では沙月は消えたし、俺だけが刑事に質問されてる。

「俺たちはある場所に辿り着いた。そこにあった木々が薙ぎ倒されていたんだ。そうして地面が異様に熱い。何かが起きたことは確かだ。あの山は市のものだぜ。誰かが木を勝手に倒したってんなら器物損壊で逮捕だな」

「そんな破壊衝動を持った人間がこの町にいるなんて恐ろしいですね」

「破壊衝動って言葉で俺が連想するのはお前ぐらいだがな」矢島は笑わない目で俺を見据えた。昨日はそこに宇宙人の美少女が座っていたのに、今じゃベテラン刑事が座っている。「おれ以外の奴らはみんな火球か何かだと言い合った。近くには何もなかった。火球なんてのが実際に落ちてきたんだったらあんな規模で収まるわけがない。取り敢えず現場を保存して、俺たちは署に戻ることにした。だが俺には何かが引っかかっていた」

「刑事の勘ってやつですか」俺は目だけで部屋の中を見渡した。俺が寝ていた布団はそのままだらしなくめくれた形で放置してあるが、沙月に用意した布団は跡形もなく片付けられていた。彼女にそう言う常識があったことが意外に感じられた。

「勘ってやつは経験の堆積で身に就く論理的直観力だ。無能の勘は信用しちゃいけないが、俺みたいな有能の勘は馬鹿に出来ないぜ。ラマヌジャンみたいなもんさ」

「お茶飲みます? 俺入れましょうか?」

「いや、話を続けよう」矢島は俺が立ち上がるのを言葉で制して、視線を一度机の上に置いてから再び俺を真っ直ぐ見据えた。「俺は近隣の監視カメラの映像を徹夜して調べた。そうしてわかったのは、夜中の裏山に近づく人間はそう多くないという事だ」

 部屋には照明がついていなかった。南側の窓から差し込む光がカーテンを透かして部屋全体を明るくしていた。穏やかな午前の春の光が俺と矢島を照らしていた。

「通報があったのが深夜二時過ぎ、俺はその時間帯に裏山に近づいたり離れたりした人間を調べたが、一人しかいなかった」俺はスマホを弄りながら犬の散歩をする人みたいな表情で話を聞いていた。「お前だ。藤堂胡桃。あの時間あの場所をうろついていたのはお前だけだった。お前が自転車で裏山へ向かうのが監視カメラに映ってたんだ」

「確かに俺は昨日裏山の方に行きましたよ。ですけど、別に裏山へ入ったわけじゃないです。矢島さんが云っていたような、木が薙ぎ倒されたとかなんとか、そういうのはよくわかりません」

 矢島がどれだけの情報を持っているのかは知らない。監視カメラが付いているのは大抵コンビニとかだ。今はドライブレコーダーなんかがあるけど。

 この家に来てから一度も矢島は沙月に関わるような話題を口に出してない。匂わせもしてない。探すそぶりもない。もしかすると既に警察に捕まった後かもしれないが、俺の予想では警察は未だ沙月の存在を知らない。

「あの時散々お前と会話したからわかるよ。お前はいま反抗しているな。わかるよ、その気持ち。俺も若いころそういう姿勢を貫こうとしてた。でももっと大切なことに気付いたんだ。俺はお願いしているんだ。真実が知りたいんだよ。お前が実際何かしたとは俺は思ってないさ」

「別に俺は反抗してませんよ。嘘を言ってるつもりもないです。もし俺の言ってることが矢島さんの想像と違っていたとしても、決して俺は嘘を言ってるわけじゃないです」

「なあ、自分が幼稚だって気付かないか?」矢島は冷たく言い放った。その一言で俺は頭にカッと血がのぼるのを感じたが、口は開けなかった。「山の木々が倒れてるんだ。あれは犯罪だよ。迷惑行為だ。付近の何かが落下したという目撃も気になる。お前が昨夜の事件に関係あろうがなかろうが問題じゃない。お前が口を閉ざすだけで大勢が迷惑を被るんだ。俺がお前に対する嫌がらせでここに来てると思うか? あの山を管理している沢山の人が悲しんでるんだぞ?」

 目の前の矢島は何も間違ったことを言っていないと思う。あとで思い返せば幾らでも反論が思い浮ぶかもしれない。でも今は俺には目の前の矢島が正義で、俺が悪だと感じた。見えない十字架を背負っている気分だった。朝だというのに頭が重くて俺は今すぐ目の前の矢島を殴りたい気分だった。けれど殴り合いじゃ十中八九負けるのだ。警察は武闘派だからな。俺は心の中で呟いた。俺みたいな小市民は、協力というおべっかで警察のご機嫌を取り続けなければならないのだ。……

 だが、俺は沙月に関しては何も漏らす気が起きなかった。既に沙月はどこかへ姿を消した。今更彼女に対して義理立てする意味もないし、そもそも義理はない。おれは彼女に十分必要なものを与えたし機会も与えたと自負している。だから俺が今この瞬間から警察に協力するのはおかしくないし、責められるべきことでもない。

 しかし、俺はなにかを恐れているのかもしれない。例えば沙月の話をして警察が彼女を捕まえた結果、結局彼女はただの人間だったことが判明したりするかもしれない。そういう事態を恐れているのか。俺は夢を夢の儘にしておきたいのかも知れなかった。俺が昨日夜の山で出会ったのは美少女の宇宙人で、不思議な因果で俺が地球を救ったのだという嘘みたいな現実を信じたいのか。

「矢島さん、俺は何も知りませんよ。何を言えっていうんですか。俺に対して妙に厳しく当たってくるのは矢島さんの勘ってやつが十割でしょう? 俺が何かを隠しているという勘を頼りにどしどし俺の家に来て、俺を精神的に攻撃してる。やりたいなら昔の警察がやってたみたいに、俺を拷問すればね、何かしゃべるかもしれませんよ。でもそれは真実じゃない。矢島さんは何を求めてるんですか。俺をどうしたいんですか。さっきからのあんたの話こそ全部俺には幼稚に聞こえるね」

 俺は自分で喋りながら自分のことを幼稚だと強く自覚していた。俺は今もなお混乱していた。それは大学を辞めた時、さらに言えばそのずっと昔、俺の精神が不安定になった最初の瞬間から続いているような混乱だった。その混乱が俺を子供のままにさせ、権力に怯えさせているのだ。怖いから攻撃的になる。俺は警察が怖いし、矢島さんが怖かった。人生に絶えず罪悪感が蔓延り、それが俺を俯かせる。交番の前を通る時、どうしても自分の罪悪を意識させられて、不自然な歩行になる。ぎくしゃくする。警察官に職質される時泣きたい気持ちになる。そういう混乱が今の俺を半ばパニックにさせているのだ。……

 矢島は眉間に皺を寄せて俺の話を黙って聞いていた。彼に俺の言葉が聞こえているかさえ定かではなかった。

 俺はいつも現実と接するとこの虚無の隙間を発見するのだ。永遠の溝が横たわっている。俺に情熱が足りないのか。真摯さが損なわれているのか。礼儀が欠けているのか。現実は決して俺に妥協しない。俺が妥協するほかないのだ。こういう時、俺は強風を殴りつけるみたいに構える。でも馬鹿馬鹿しくなるし恥ずかしくなる。そうして現実に一層の恐怖を抱く。

 現実は俺に何も提供しない。妥協の連続の果てに俺は何を得られるんだ。暗闇の果てを見つめ続けるのにはもう疲れたんだ。俺は矢島の日に焼けた顔を見つめながら、深まる憂鬱の渦の中心を凝視していた。

「俺は、個人的な興味で調べてただけだ」途端に静かな口吻で矢島は語りだした。「今朝から町では隕石が墜ちたんだって騒ぎになってみんな山で隕石の欠片を探してるよ。隕石はネットで高く売れるらしいからな。親指ぐらいの大きさでも小遣いにはなるし、あんな被害を齎す大きさなら、きっと凄い値段になるんだとさ」

 矢島は退屈そうに机に肘を置いて喋った。

「隕石は鉄だから磁石がくっつくらしいんだ。若い男が変な機械で草をかき分けて隕石探してるのを見たよ。忙しそうだったぜ。俺は苦笑しちまった。なあ、藤堂? 俺の方が間違った道を進んでいると思うか? いまあの山で血眼で隕石を探している連中がやっぱり賢いかね」

「矢島さんは優秀な刑事だと思いますよ。ただ少し優秀過ぎるきらいはありますね。俺にはよくわからないですけど」

「どうだ。お前はわからないことだらけだ」矢島は喉を一回鳴らした。「山でさ、縄を見つけたよ。お前のものだろ? なあ、藤堂、お前夜中にあそこへ何しに行ったんだ?」

 俺は少し震えた。答える言葉が見つからなくて沈黙が部屋全体を包んだ。矢島は寂しそうな眼の色をして、俺を見下した。

「お前は未だ若いんだよ。困ったなら人を頼れ。自分一人で抱え込むなよ」

 矢島は腕時計を見た。そうして立ち上がった。スーツの皺を直しながら彼は言った。

「困ってるなら誰でもいいから相談するんだな。金で困ってるならおれに連絡しな。いいバイトを紹介してやるよ」

 その時インターホンが鳴って、次に玄関が開いた音がした。靴を脱いで北村という刑事が入ってきた。矢島は口の端をあげて北村の手から煙草を受け取った。黄色い箱だった。俺は立ち上がった。北村は俺の方をジロジロ見てから部屋を見回した。

 矢島は北村の背中を平手で叩いた。北村は素直な痛がり方をした。二人は玄関の方へ歩いていった。

 靴を履いて北村が先に出た。矢島は俺の方を振り返って、思い出したように聞いた。「そういえば初鹿野ちゃんはどうした。別れたのか?」

「一年以上前に別れましたよ」

 俺は真っすぐこちらを見てくる矢島の黒い目から目線を反らして言った。何か言われるかと思って気張っていたが、矢島は唇を内へ丸めて小さく数度頷き、「そうか……」と呟いた。俺は拍子抜けしたが、まあこんなもんだよな、とホッと胸をなでおろした。

 矢島は玄関を開けて明るい日差しの中で俺に、「達者でな」と言った。俺は二度とこの人には会いたくないと思った。誰だって警察は苦手じゃないだろうか。矢島は俺の表情を見て首を振ってドアから手を放した。バタン。ドアが閉まった音が部屋全体、アパート全体に響いた感じがした。俺は暫く玄関に立ち尽くしていた。まだ朝の十時だというのに、疲れ切っていた。正直泣きたい気分だった。昨日に比べて自分の身長が数センチ縮んだ気分だった。全然いい気分じゃなかった。

 俺の背後で水が流れる音がした。振り返ったらトイレの扉が開いて、沙月が出てきた。彼女は周囲をきょろきょろ確認して俺を見て微笑んだ。

「どうやら厄介者は消えたようじゃな」

 俺はその場に座り込んだ。「なあ嘘だろ。ずっといたのかよ」

「妾がトイレに入っている間に変な奴が来たらしいからな、隠れとったんじゃ」

「ずっとその狭い個室の中にいたのかよ」

「どうやら妾とお主は似た者同士らしいな」沙月は視線を斜め上に寄せて、「誤差が太いらしいのう」

 誤差が太い? 俺は沙月の顔を数秒見つめた。どうやら夜中の間に随分読書したらしい。何を読んだか見当がつくが、それを読んだ沙月の感想は想像できなかった。

「似た者じゃないだろ。お前は調査員とかいう仕事をしてるじゃないか。公務員みたいなもんだろう。つまり国や権力に忠実だろう」

「少し違うのじゃ。仕事の内容が重要ではないのじゃ。つまりお主流に言うなれば、権力だとかの面倒ごとから逃げたかったから孤独な仕事を選んだんじゃ」

 沙月は居間へ歩いて行って、台所へ入った。麦茶を勝手にコップに注いで飲んでいた。馴染みすぎている動作だった。夜中に色々家の中を調べたのだろう。俺は呆れながら彼女に質問した。

「布団はどうしたんだ。自分で片付けたのか。俺はてっきり出ていったのかと思ったけど」

「妾に行く場所などないことはお主が一番よくわかっておるじゃろうに」沙月は嘆息交じりに応えた。「布団は……片付けた」

 俺は奇妙な返答に首を傾げた。「まさかおねしょしたとかそういうのじゃ……」

「違う違う、違うのじゃ」沙月は焦ったように手を振った。仕草まで人間らしかった。「ただたんに片付けただけじゃ。それ以上でもそれ以下でもありはしないのじゃ」

「ご苦労なことだ」俺は台所に歩いていった。空腹を感じて、冷蔵庫を開けたが、何もなかった。そりゃそうだ。死のうと思って昨日家を出たんだ。冷蔵庫に買い置きなんてしているわけがない。溜息をついて振り返った。

「飯食いに行こう」

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