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灰桜  作者: 砂糖千世子
第一部 超常の章
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第二話 人類の存亡だとよ

 俺は居間でコップを二つ並べて麦茶を注いだ。溜息をついて、時計を確認した。午前三時を過ぎていた。何が何だかわからないまま、俺の人生は滅茶苦茶になってしまった。一体どこの誰が冷静にこの事態を把握し、乗り切れるのだろう。

 大きな爆弾だ。自殺しようとしたことへの天罰なのか。運命の女神が俺を揶揄っているとしか思えなかった。

 俺は机の上に置きっぱなしの遺書を手に取り、静かに千切った。屑籠に入れて、心の中で手を合わせ供養した。家を出る時からこの遺書の内容が気に入ってなかったのだ。

 物音がして、宇宙人の少女が入ってきた。部屋着のTシャツを二枚と、ジャージのズボンを渡して少女はそれに着替えていた。手には白木の箱を、持っている。

 大きな丸い目が俺を見つめていた。俺の貸した服装は似合っていたが、多分何を着ても似合うような見た目だった。間違いなく美少女だったが、小ぶりな鼻や生意気そうな口元は年相応な少女らしさを湛えている。

「宇宙服はどうしたんだ」

「置きっぱなし」少女は安心したのか、崩れた言葉を使った。

 俺は玄関まで行って宇宙服を抱えて居間に戻った。服からは甘い香りがして俺は驚いた。

 少女は床に座って麦茶を飲んでいて、その警戒心の無さに半ば呆れながら、押し入れに中々嵩張る宇宙服を押し込んだ。

 俺と少女は、床に座って向き合うような格好になった。遮光カーテンが窓に引かれていて外の景色は見えない。俺たちは照明のついた明るい場所で初めて面と向かい合った。

「その白い箱はなんなんだ」俺は人差し指で少女が抱える箱を指しながら質問した。

「これは大切なもので、誰にも渡すわけにはいかないのじゃ」

「でもさっき俺にくれるって言ってたじゃん」

「あれは……その場凌ぎの嘘じゃ」少女は開き直って言った。「本当はこれは誰にも渡しちゃいけないやつなこと、わかってほしいのじゃ。ところでお主の名前は何というんじゃ?」

あからさまな話題変更に噴き出しかけた。

「俺は藤堂胡桃っていうんだ。藤の花に堂廻りの堂、ナッツの胡桃……って、説明してもわからないよな……」

「いい名前じゃな」少女がにこりとした。

「宇宙人も社交辞令をいうんだな」

「宇宙人も皮肉を好むみたいじゃな」

 どうやら俺たちは似た者同士らしい。

「あんたの名前はなんていうんだ」

「妾の名前は……」少女は眼球を彷徨わせて暫く考えていたが、諦めたように肩を落として「秘密じゃ。お主が考えてくれ」

「考える?」俺は吃驚して聞き返した。「俺に命名しろって言ってるのか?」

「そうじゃ。名前は必要じゃろう」宇宙人の少女は幼さの残る丸い瞳で俺を上目遣いに応えた。

 俺にネーミングセンスはない。子供の頃に飼っていた二匹の金魚には金ちゃん銀ちゃんと名付けた。今では実家の庭に埋まっている。

 ハムスターを飼うのとは違うのだ。宇宙人の女の子に俺が命名をする。気が狂いそうな深夜三時だった。部屋には俺たち二人しかおらず誰も助けてはくれないのだった。隣の部屋の住民を起こして責任を押し付けるのも有りかも知れない。きっと目を擦りながら言うだろう。「あんた頭がおかしくなっちまったのか?」

 そうだ、俺は頭がおかしいんだ。頭がおかしいからこんな……。俺は俯きかけた顔を上げて少女を見た。「どんな名前になっても恨むなよ。まあ嫌だと感じたら自分で考えるんだな」

 俺は立ち上がって部屋の東側にある本棚の前に来た。今は令和時代だ。令和は万葉集の漢文が由来だ。それを知った時お洒落だと思った。俺は本棚から和歌集を取り出してしばらく無言で読んでいた。背中の方から麦茶を啜る音が聞こえた。人が頭を悩ませている時に……。頁を繰る手を止めた。俺は一つの和歌に目を留めた。これでいこう。

 棚の上に置かれたメモ帳を千切って、机の前に座りボールペンで文字を書いた。二文字の漢字だ。

「お前の名前は沙月だ」宇宙人は不思議そうにメモを受け取った。漢字が読めるわけでもないだろうに凝然と見つめている。「今日みたいな綺麗な澄み切った月を意味している。特に深い意味があるわけでもないが、これぐらいが自然だろう」

「うむ、満足じゃ」偉そうに宇宙人もとい沙月が答えた。「お主はネーミングセンスがあるな」

 机の上に置かれたメモに俺は視線を落とした。悪手だったかもしれない。名前を付けるというのは究極の責任だ。捨て犬を拾って来ただけなら、まだ元の場所に置きに帰れるが、名付けちまったらもう世話するしかない……と勝手に俺は考えている。

 改めて少女の顔を見る。見た目は俺の高校生の妹より幼いだろう。しかし実年齢が反映されているとは思えない。話し方や知性からして、どうも変だ。

 相手に就いて何も知らないのに俺は責任を背負っちまった。片棒を担いだというべきか。これはまったく阿呆らしい行動だった。かといってあの場所に見捨てたら、俺は必ず後悔しただろう。あれは正しい、俺にとって正しい行動だったのだ。

「妾は調査員としてこの星に派遣されたのじゃ」俺が訊くでもなく沙月が滔滔と喋り始めた。「調査員は星に住み着いた知的生命体の善悪を見定める役目を持つ。妾は地球の担当者で、この星に住む人類の善悪を見極めようと宇宙船から監視していたのじゃ。けれどちょっとした事故で墜落してしてしまったのじゃ」

「そのうち仲間が助けに来るんじゃないか?」

「そうじゃな。すぐ来るじゃろうが、それまでに妾が人類を悪だと見定めたら人類は終りじゃ。もし仮にお主が妾を山に置き去りにした場合、妾は捕らえられてしかるべき施設へ送られたのち実験されたり解剖されたり拷問されたりしたじゃろう? そうなれば人類は終りじゃ」

「拷問って……そんなことはないと思うけど。……にしてもそんな八つ当たりみたいな裁定するのかよ。あんたらの星の住人だって多分、勝手に他所の星の生き物が侵入してきたら同じように対処するだろう? もし実験だの解剖だのが行われても、間違っているとは一概に言えないぜ?」

「一理ある話じゃな」

 そう言って沙月は麦茶を飲み干した。視線で俺におかわりを要求した。コップに注いでやる。

「お主はこの星の住民に価値があると思うか?」沙月は畏まって聞いた。「妾たちにとってそこまで価値はない。サンプルを少し確保して後は絶滅させても困らん。きっとお主が想像しているよりずっと人類は無価値じゃ。お主が人類を救ったのじゃ」

 不思議な気分だった。俺はこの六畳間の中で宇宙人と面と向かい合って対話している。数時間前には想像もしていなかった未来だ。

 人類の存亡か。俺は興味がない。沙月はまだわからないのか? 俺がお前を助けたのは単なる俺の主義の為だ。あそこで沙月を助けなければ俺はこれまでの人生を裏切ることになる。山に登り始めた俺は、我が人生を裏切らないための、いわば思想的な自殺を実行しようとしていたのだ。つまりこれは自殺の延長線上であり幕間みたいなものだ。続いているのだ、何もかも。決して俺が死を恐れたとか自殺をやめるきっかけを探していたとか、そういうことではない。そもそも俺の人生とは度重なる自殺の延期の産物ではないか。道草で宇宙人を助け、その結果おまけとして人類の絶滅を先延ばししたのだ。それについて誇りに思うというのは、くじ引きで一等を引いて自分の力だと思い込む様なものだ。

「なあ、あんたは俺を善人だと思うか? 悪人だと思うか?」

「あんたじゃない」沙月はぶすっとして言った。「沙月じゃ」

「面倒くさい奴だな。沙月は、俺を善悪どっちだと思う?」

「善人じゃな」沙月は自信に満ちた声音で言った。「妾にとっては偽善者も善人じゃ。それにお主は無垢な偽善者じゃな」

「わからんね」俺は机に肘をついて二三度素早くまばたきをした。「俺は善意で沙月を助けたわけじゃない。俺の為に助けたんだ」

「行動が全てじゃろう。お主が妾のことを嫌いだとしても、妾を助けたらそれは善行じゃ」

「随分都合がいいが、例えば沙月にとっては俺の行動が善行に見えても、人類にとっては悪行だったらどうだ。そうなったら……」

「勘違いしておるようじゃが、妾は道徳の話なんぞしとらん。お主の善悪はお主にしかわからんじゃろう。仮にお主の人生を映像としてすべて確認したとしてもお主の善悪はわからんよ。何故かわかるか? ここに一個の仮説がある。お主が実はとんでもない悪人で、常日頃から凄惨な妄想をして残虐な事件の計画を立てていたりする。将来的に沢山の人間を不幸にしてやろうと考えている。しかしそのためには社会に馴染まなければいけないし、社会で善人の仮面を被っていたほうがいざという時行動しやすいと思って、普段から善行を積んでいたりする。そうして頭の中では、通り魔殺人だの細菌テロだのを計画している。けれど計画決行の前日、仕事帰りに不注意で車に轢かれて呆気なく死んでしまう。そうなると周囲の人はお主を善人だと思ったまま仏壇に手を合わせるじゃろう。お主の人生を初めから終わりまで追っかけても善人で終わるじゃろう。けれど本人だけは自分が悪人だと知っているじゃろう?」

「随分地球の文化に馴染んだ例えばなしだな。お前は本当に宇宙人なのか?」

「調査員に任命された時点で向かう星の勉強ぐらいしておるし、妾は日本担当じゃったから、きちんと文化は理解しておる。寿司、富士山、侍じゃ」

 先ほどの沙月の例話を頭の中で反芻した。確かに、結局本当の善悪なんて自分の中でしか見つけられないのだ。となると他者の善悪は行動から導くほかなくなる。沙月にとって俺は間違いなく善人だろう。俺は自分の善意を疑っているから偽善者だろう。真の善人とはある程度の馬鹿さが必要なのだ。いいように言えば無垢さだ。

「つまりお前が云いたいことは、地球人を滅ぼされたくなかったら、自分を丁重に扱えってことか」

「そういうことじゃな」

 沙月は眉間に皺を寄せて麦茶を飲んだ。彼女の小さな喉が上下するのを俺は見ていた。こんな小市民的な照明の下に居ていい存在だとは思えなかった。目の前の少女はなにか大きな物語の登場人物のようで、俺の部屋で眺めるには些か不釣り合いだった。近所の公園に黒豹がいるようなものだ。違和感を抱くし緊張する。

「だれか知り合いとかいないのか。調査員は別に一人じゃないだろう」

「いるじゃろうが、方法がないなあ。宇宙船も今頃なくなってるし」

「電話番号とか……」俺はそう呟いて自分の発言が酷く滑稽な感触で空気へ解けていくのを恥ずかしく思った。「じゃあ迎えはどうするんだ」

「妾の信号が消失したのは気づいていると思うから、来るには来るじゃろうけど」沙月は困ったように俺を見上げた。「墜落時のマニュアルも用意されていたから一応大丈夫」

 なにが大丈夫なのか俺には理解しかねた。宇宙人と話していても人間と話していても心に感じる負担は似た様なもので、俺は深夜のくらくらする熱を孕んだ脳味噌を一刻も早く休ませたかった。

「なあ、沙月はここに長居していて平気なのか」俺は大した思惑もなく聞いた。「目的地とか、なにかがあるんじゃないのか」

「なにもない。墜落したのじゃ。妾は文無し宿無し知人なしじゃ。お主だけが頼りな、この哀れな我が身を救ってくれんのか?」

「別にいいさ。好きにしろよ。拾ったのは俺だ。決して快適な場所じゃないけど、ここにいたいなら好きなだけいればいいさ」

 俺は立ち上がって襖を開けて布団を引っ張り出した。既に床に敷かれている布団は普段から俺が使っているものだ。別の布団を離れた床に敷いた。

「こっちの布団はお前が使え」俺は指で示して説明した。「そっちは俺の布団だからな」

 沙月は億劫そうに移動して布団の感触を掌で確かめてからおれに云った。「妾は未だ眠くないぞ」

「俺は眠いんだよ。……別に電気は消さなくていいから、俺は寝させてくれ。疲れてるんだ」

 沙月は退屈そうに俺の方へ視線を投げかけていたが、俺が横になって彼女から視線を外すと、本格的に寝に入るのがわかったらしく、空気を読んで大人しくなった。

 照明が眩しくて俺は目の周りの筋肉に力を入れていたが、疲れて自然体になった。全身から力が抜けてきた。少し気になって重い瞼を開いて沙月を見たが、彼女は布団の上に足を揃えて座って、本を読んでいた。日本語が読めるのだろうか。俺の本棚には絵本はなかった。古い漫画は数冊あるが、どうもそうじゃない。

 俺は大きな欠伸を一つして眼球全体が濡れるのを瞼の裏に感じて、すぐに眠りに落ちた。それは最近の内で最も深い眠りだったかもしれない。俺はまさしく死んだように眠ったのだ。

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