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あの日の二人はもう居ない  作者: トニー
3/7

第3章・スタンド・バイ・ミー



   Introduction.



 I'm sorry about yesterday.

 It will never happen again.

 I won't do it even after I'm 20 years old.

 So please "stand by me".



   ♩



 小石が窓にぶつかる音がした。僕はブラッキーを弾く手を休め窓を開けた。

「いま何時だと思ってんだよ」

「23時だと思ってるからこうしてるの。ちょっと付き合って」

 手の中で小石を弄びながらコスモは言った。また酒が原因で何かが起きたのだろう。家出したはよいが、夜に女一人では何かと物騒だから、そばに居てくれるボディーガードが欲しいというわけだ。しかし23時は遅すぎる。新記録は悪い意味で更新された。

「勘弁してよ。そろそろ寝っ、…待て! 分かった、分かったから投げるのだけはやめてくれ」

 野球少年のようにテイクバックするコスモを見て、慌てて前言を撤回した。コスモのコントロールは正確だ。針の穴すら通せるだろう。そしてこの暗闇で石をかわせる自信はない。僕は思った、「この女と結婚したら、きっと尻に敷かれるに違いない」、と。

 5月下旬の夜。外はまだ薄ら寒い。すっかり着古したエイトボールの黒いパーカーを羽織ってから、窓の真下の柱を伝い降りた。そして一階でテレビを見ている父にバレないよう、細心の注意を払って庭の納屋に飛び乗る。さらにそこから道路へとダイブ。すっかり慣れたいつものやり方である。泥棒と思われ通報されるかも知れない、常に思う事だった。都会ならじゅうぶんあり得る話だ。

 二人で歩き始めると、コスモはおもむろに語り出した。

「うちってやっぱり何かおかしいよね。親父の奴が真面目に働いてるのは分かるんだ。酒さえ飲まなきゃそんなに悪い人間じゃないって事も。でも、酒でお金を浪費してたら、プラスマイナスゼロじゃん…」

 プラスマイナスゼロどころの話ではない。心を病んだ親に育てられた子どもが親になると、今度はその人が子どもを傷つけるようになるからだ。…何故そうなるのか。戦争から帰ってきた人が山にこもって暮らすようになったり、性暴力を受けた女性が売春したりするようになるのは、不幸にも心に傷を負ってしまった状況とそっくりな環境を、今度は自ら望む事で、乗り越えようとしているからだと心理学では考えられている。児童虐待が世代間で連鎖するのは、同じ力が働いているからなのだ。したがってゼロではない、親の負債を子どもに押し付けているのと同じなのだ。が、社会はこの問題に関してあまりにも無頓着すぎる。なぜなら社会はそもそも大人が作っているから。そう、社会全体が、自分たちにとっての「不都合な真実」に、気づかないよう、気づかないようにと子どもを洗脳しながら育てているのだ。そしてそういった育てられ方をされた子どもが親になると、親と同じ過ちを繰り返している事に無自覚なまま子どもを傷つけるようになってゆく…。

 …こういった主張の正しさを裏づける証拠がある。「二十歳を過ぎたら自分の責任」という常套句だ。なぜ、まだ親になった事のない人間までこのセリフを口にするのだろう? この謎は、社会全体が親にとっての「不都合な真実」から目を背けているからなのだ、と考えると、絡まっていた糸がほぐれる様にみるみる解けてゆく。親の影響から逃れられる人間は一人としていない。そしてその影響は、人の人生を一生左右する。この「不都合な真実」に、薄々とはいえ、本当は皆気づいているのだ。気づいているからこそその「不都合な真実」から目を逸らそうと、「二十歳を過ぎたら自分の責任」という一見さも正しそうに感じられる魔法の言葉で、「全ては親の責任」という真実から逃避しているのだ。そしてそういった思考は子どもへと引き継がれ、誤った常識で社会全体が洗脳されてもゆくのだ。

 物事は、弱者の側からも見て公平に判断しなくては正確には理解できない。そして弱者である子どもの側から見るならば、親業とはすなわち、自分で望んで結婚し、自分で望んでセックスし、自分で望んで出産し、自分で望んで子育てをするという事なのだ。にも関わらず、恩着せがましい親のなんと多い事だろう。子どもが年老いた親の面倒を見るのは当然の事であるかのような風潮があるが、僕はそれを必ずしも正しい事だとは考えていない。むしろ逆に、子どもに対して非道な事を繰り返し続けてきた親の面倒など見る必要はないとさえ考えている。それを「なんて恩知らずな発想だ」と決めつけるのは間違いだ。「恩知らず」もへったくれもない、見捨てられても仕方がないような事をしでかし続けてきたからそうなったのだ、その報いを受けるのはむしろ逆に当然の事なのだ。さんざんひどい事をし続けてきた親を、どうして赦して面倒を見てやらなければならないと言うのだろう? 子どもには子どもの人生がある。親の人生よりも、まずは自分の人生を優先すべきなのだ。にも関わらず、子どもが年老いた親の面倒を見るのは当然の事だという風潮があるのは、それを「常識だ」という風に社会全体を洗脳しておかなければ見捨てられる可能性がある、といった自覚が実は親の側にあるからだ、という見方もできるのではないのであろうか? もし仮に(…親子の問題に対し、デタラメな常識ばかりが蔓延(はびこ)っているこの社会ではあるが、唯一の救いはそれと同時に言論の自由もまた保障されているという点が挙げられる)、「酷い事をした親の老後の面倒など見なくてもよい」という真逆の価値観が常識として社会に定着したと仮定しよう。自分の答案用紙に自分で勝手に赤を入れ、「自分は百点満点の良い親だ」と主張する者の比率は、ゼロにはならないにしても大幅に減るに違いない。親の答案用紙に赤を入れるのは、親自身ではなく、子ども。…もしそれが常識になれば、きっと親は自身の親業を深く見つめ直さざるを得なくなるだろう。そしてあくまでもその「常識」を受け入れる事ができないというのであれば、自分が子どもにしでかしてしまった罪の深さを()()()()()まで後悔するか、あるいはあくまでも「自分は正しかった、悪いのは子どもの方だ」、と人のせいにし呪い続けながら孤独死するか、そのどちらかの未来が待っているという事に相成るわけだ(むしろ逆にそうなるべきだと僕は思っているのだが)。

 …むろん、当時の僕がそこまで深く考えていたわけではない、この時の僕には、ただただコスモの話を聞いてあげる事ぐらいしかしてあげられなかった。しかしそれが後の僕の思想や人格形成に大いなる影響を与えた事は事実だった。僕にとってコスモとの出会いと別れは、それほどまでに重要な意味を持ってもいたのだ。

「…車の運転だって下手なはずないのに、家族のために運転した事なんて一度もない、飲み足りないから買いに行くって飲酒運転だけはするくせにさ。それでもし事故を起こしたらどうするつもりなんだろう? 仕事なくしちゃうよ。一体何を考えてるのやら…」

 飲酒している時はもちろん、していない時でさえ、正常な判断を失ってしまうのがアルコールの怖さなのだ。連続飲酒が習慣になると、常に一定の量のアルコールが体内にある事が、脳にとって「当たり前」になってしまうのが理由である。そしてその「当たり前」の量を体内に入れるためになら、手段を選ばなくなってしまうのだ。

「…ママもママよ、あたしだったらあんな親父、とっくに離婚してる。あんな家には帰りたくない」

 過度な飲酒によって離散した家族の例は少なくない。当時まだ幼かった僕にも、さすがにそれぐらいは嫌というほど理解できていた。そしてコスモの母が離婚を選ばないのも、それは即ちコスモと共にアメリカへ帰る事を意味しているという事も当然分かっていた。だからといって僕に何ができるというのだろう。できるのはせいぜい、無力な自分を呪う事ぐらいであった。

 あてどなく、二人で夜の閑静な住宅街を練り歩いた。すると遠くから耳慣れぬ音が微かに聞こえてきた。

「ねえ、このガ〜ガ〜ガ〜ガ〜って音は一体何?」

「へ? カエルの鳴き声だけど? …あそっか、都会に畑や田んぼなんてないもんね」

「ああ、まさかこれがあの有名なカエルの歌だったとはね…」

 そんな僕の一言に、小さな声で笑い合った事も今は昔。

 コスモの家の様子を伺ってみた。すっかり静まっているように見えた。

「落ち着いたみたいね、あたし帰る、ありがとう」

 そう、たとえ何がどうであったとしても、帰る場所はそこしかない、それが子どもの置かれている現実なのである。



   ♩



「もしもしユータ? 今あたし鎌倉にいるんだ…」

 公衆電話から連絡が来たのは、夏休みが始まってすぐの事だった。それはちょうど、「あの二人は付き合っている」という噂が一人歩きし始めていた頃でもあった。いくら家が近いからとはいえ、毎日のように二人で登・下校していたのだから、噂されるのも無理からぬ事であった。ともあれ必要最低限の応対で、僕はそれを否定し続けた。事実、当時はまだ本当に付き合ってはいなかった。

「…朝っぱらから酒飲んで寝てやがった親父の財布から一万円抜いてやったんだ! そんで電車に乗って鎌倉へ遊びに来たの。まず手始めに銭洗弁天で盗んだ一万円を清めて供養して…」

「供養?」

 洞窟の先にある、金運のご利益を授かるとされている事で有名な、銭洗弁財天宇賀福神社の風景を思い浮かべながらそう尋ねた。むろん盗んだお金の一体何をどう「清めて供養」したのかを知りたくてそう尋ねたのだが、悪ふざけをする時の男の子のように楽しげなコスモの話し声に、その疑問はかき消されてしまった。

「…それでその後、鶴岡八幡宮の近くにあるお店で水色の浴衣を買ったの。ピンク色の風鈴が描いてある可愛い浴衣なんだけど、どう? 今夜花火大会やるの知ってるでしょ? 一緒に見に行かない?」 

 映像(ヴィジョン)が素直に脳裏に浮かんだ。その水色の浴衣は、ミルクティーのような色をした髪の毛に、きっとよく似合うだろうと思った。

 一色海岸行きのバスが出ているバス停へ向かうと、待ち合わせていた自販機の前でコスモは一人、ひどく機嫌悪そうにしていた。話のとおり水色の生地の上にピンク色の風鈴が、大小様々にかつランダムに描かれていた。髪をオレンジ色の輪ゴムで束ねているのが、より一層可愛らしさを引き立てていて更に()いと思った。しかしせっかく素敵な浴衣を着ているのに、怒っていては台無しだ、そう思いながら声をかけた。

「ごめん、ひょっとして待ち合わせの時間間違えた?」

「違うよ。ママに花火大会に行くからお小遣いちょうだいって言ったの。そしたらくれたんだけどさ、その後まるであと出しジャンケンみたいにこう言い出したのよ。"歯医者の予約キャンセルしなくちゃ"、って。お金ないなら先に言ってくれれば良かったのよ。そうすりゃ無理にねだったりなんかしなかったのに」

 煙草の臭いがする事に、そのとき初めて気がついた。

「盗んだお金をとっとけば良かったんじゃない?」

 常識的にはそれが正しい、そう思った僕は思わず言ってしまった。

「そもそも盗むなんて良くないよ」

 言った瞬間、しまったと思った。父について強く言及される事を、コスモは酷く嫌がっていたからだった。

「アンタみたいな恵まれてる奴に言われたくない!」

「ひがむなよ。うちだって色々あるって言ったろ」

 突然、平手が頬に飛んできた。普段からドラムでスナップを鍛えているだけあって、信じられないぐらい頬が痛く、否、熱くなった。

「あたし親父に洋服の一枚買ってもらった事がないのよ!」

 そう言い残すとコスモは涙目のまま走り去って行った。バス停にやってきた目的を突如喪失してしまった僕は、さりとて一人で花火を観に行く気にもなれず、痛む頬に手を当てながら帰路を歩いた。カラスの鳴き声が、夕闇の空に泳ぐような波を描いて響き渡っていた。

 帰宅すると、すぐに母から、

「花火はどうしたの?」

 と聞かれた。

「うん、まあ…」

 曖昧な返事をしてごまかした。

「ひょっとしてコスモちゃんと何かあったの?」

「なんだっていいだろ」

 僕は強い口調でそう言い放った。むろんビンタされた事を話す気には到底なれなかったからだ。母を無視してリモコンでスイッチを入れ、ローカルテレビで花火の様子をぼんやりと眺めた。

 自宅の電話が鳴り出したのは、花火大会が終わった後の事だった。

「お前さ、つい今さっきバス停で美樹本にビンタされてなかった?」

 クラスの友人からであった。

「いや、されてないけど…」

 平静を装い嘘を吐いた。

「ふ〜ん、それなら別にいいんだけどさ、あまりあの女とは関わるな。キレると超危ないって有名なんだ。小学校の時に男を張り倒して怪我させたって伝説があるのを前にも話したろ? ついたあだ名はアリーナ姫。お前も知ってるだろ? ドラクエ4のアリーナ姫だよ。事実、あれを見た時オレはこう思ったんだよ、"こういうのを会心の一撃って言うんだろうな"って。ほんとスゲェ音がしたんだから、ビッタ〜ン! ってな。いくら音楽が好きでもよ、アイツとつるむのはほどほどにしとけ」

 部屋へ遊びに来た事がある友人たちは、あのブラッキーを僕の私物だと勝手に勘違いしていた。むろん春の一件を知らなかったからである。過去の経験上、話す必要のない情報だと判断していたのだ。特に何の説明もなければ、渋谷にいた頃から持っていたのだろうと推認するのも当然である。

 友人からの電話はそこで切れた。小学校の時の伝説。コスモならじゅうぶんあり得る話だ。家庭が病んでいれば情緒も不安定になる。

 電話から離れると再び呼び出し音が鳴り出した。

「もしもし…」

 苗字を名乗った。しばらく無言の状態が続いた後、電話は切れてしまった。その音は明らかに公衆電話からのものだった。…何故かしら、女性からのように感じられた、それも、大人ではなく僕と同じぐらいの年頃の…。

 受話器を置いて再び離れると、三度目のコールが鳴り響いた。

「さっきはごめんね。痛かったよね。本当にごめん。あたしが間違ってた。許して…」

 コスモだった。泣きながら赦しを乞うその声に、いっそガチャンと電話を切れば、どれだけせいせいするだろうかという思いが頭をよぎった。そんな気持ちを見抜いたのか、

「…お願い! あたしを嫌いにならないで!」

 そう言ってコスモは激しく泣き出した。プライドをかなぐり捨てた要求である事は明白だった。拒否なんてできるわけがなかった。

「分かった。ただし今回だけだよ。超痛かった」

「ありがとう。ごめんね、花火を見れなかったの、あたしのせいだ…」

 声にはまだ、涙の余韻が感じられた。

「…ねえ、うちに来ない? 花火セット買ったんだ」

 お詫びの印というわけだ。僕はすぐに彼女の家へ向かった。コスモは浴衣姿のまま僕を迎えてくれた。やはりコスモにとても良く似合っている、涼やかでとても可愛らしい、心からそう思った。

 地面にはすでに、水の入ったバケツと蝋燭が用意してあった。コスモは両手に花火を持つと、腕を広げて走り回った。その姿は、まるで光の翼を背に纏う天使のようだった。さっきまでの出来事を、忘れてしまったかのようにはしゃぎまわる姿をとても愛おしく感じた。仲直りして本当に良かった、もし電話を叩き切っていたなら、こんな風には思えなかったはず、コスモも激しく傷ついただろう、やはり短気はよくない、改めてそう思った。…と、その瞬間、

「どうりで金が足りねぇと思った…」

 背後から低い声が聞こえてきた、と同時にコスモの顔が恐怖で凍りついた。

「…その浴衣は俺の金を盗んで買った。そうだな?」

 振り向くと酒臭い息を吐く男がいた。

「お前が例の娘にちょっかい出してるってガキか?」

 そう言うと「彼」は、胸ぐらを掴み、僕の体をものすごい勢いでドアに叩きつけた。ドアノブが背に当たり、痛みで一瞬呼吸ができなくなった。

「お前みたいなガキがいるから娘が色気づいて金を盗とるようになるんだ」

 事実はまるきり逆である。児童心理学では常識だ。満たされない心を、チャンスさえあれば盗める親の財布から金を得る事で満たそうとしているのだ。つまり、それは愛に飢えているという子ども側からのサインなのである。それを、心理学を学ぼうともせず、反対意見に耳も貸さず、「愛ならじゅうぶん与えている」と自己主張ばかり繰り返し、非行だけを非難するのが世の親の常。これでは親子はすれ違っていく一方である。物事は、弱者の側からも見なければ正しく理解できないのに…。

 背中の痛みに耐えながら、「ひがむなよ」と口走った事を酷く後悔した。引っ叩かれたのはむしろ当然の事のようにすら思えた。事実、確かに彼女に比べて様々な点で僕は恵まれていた。しかもそれは本人の努力ではどうにもならない問題なのだ。戦争ごっこに戯れている先進国の子どもに対し、「恵まれ過ぎてて分からないんだろうけど、本当の戦争はそんなもんじゃないんだからな」と主張する被戦地の難民がいたとしよう。先進国の子どもに「ひがむなよ」と言える資格などあるわけがないのだ。表面的な情報を二、三聞きかじった程度で、相手の人生の何もかも全てを追体験した気になってあれこれと助言しようとする輩が少なくないが、果たしてそれが本当に相手のためになっているのかどうか、一度でも真剣に考えた事があるのだろうか? むしろ逆に相手のためになっていると思い上がっているだけで、実際には触れてはいけない心の傷に触れている可能性があると考えた事はないのだろうか? 僕がこの日してしまった事は、まさにそれと同じだったのだ。

 胸ぐらを掴む「彼」の手首を握り、強く睨み返した。たとえ力で勝てなくとも、気迫だけは負けたくなかったからだ。

「なんだお前やんのかコラ!」

「お父さん止めて!」

 勝てないにしても、コスモが逃げるまでの時間稼ぎならできる、そう判断し僕は叫んだ。

「警察を呼べ!」

 被害を被っている子どもが実の親を警察に訴える、それのいったい何が悪いというのだろう。むしろ当然の権利なのではないのだろうか。この夜の出来事を思い出すたび、考えてしまう事がある。果たして本当に、親には必ず、いついかなる時も感謝しなくてはいけないのだろうか? 親の行為に対し、「間違っているものは間違っている」と批判してはいけないのだろうか? むしろ逆に、感謝しなくてはならないという「誤った常識」を防波堤にし、「親の過ちに対する正当な批判」という津波までもを防いでいるような社会を異常だとは思わないのだろうか? こんな事で傷つく子どもの方が悪いと言うのなら反論する、それは大人のエゴだ、俺は間違ってない、…僕は強い確信を込めて、もう一度叫んだ。

「俺の事はいいから警察呼べ!」

 すると「彼」はチッと舌打ちしながら僕の襟から手を離し、そして家の中へと入って行った。アルコール依存症は否認の病、とはよく言ったものである。「彼」には病識がないのだ、つまり、人を傷つけているという自覚がないのだ。今日の事など明日の朝にはケロッと忘れているのだろう。

 大学で依存症について学ぶようになってから知った有名な言葉がある。

「地獄を見たければ、アルコール依存症者のいる家庭を見よ」

 という言葉である。酒で理性を失った親の手首を、ロープで縛って柱に括りつけたり、割れたグラスや食器を、他の家族が泣きながら処分したりといった「地獄」が、その家庭では日常的に起きているのだ。そしてもし、この日僕の背中を激しく打ちつけたドアノブに手を伸ばし、その扉を開いていたなら、その「地獄」を覗き見る事ができたのかも知れないのだ(家族にアルコール依存症の患者がいない環境で育った僕がこんな事を言ってはいけないのは百も承知なのだが、この現場に居合わせていたという時点ですでにもう、「地獄」を垣間見たと言っても過言ではないのかも知れない)。酒に酔い、荒れに荒れて聞き分けのなくなってしまったケダモノのような親を見る子どもが一体どれだけ心を傷めているか。それをまともに考えた事のある大人が一体何人いるというのだろう? なぜ、「親不孝」という言葉はあっても「子ども不幸」という言葉はないのだろう? その理由は至って簡単である。前述したとおり、社会は親にとっての「不都合な真実」に対し、あまりにも無頓着にでき上がり過ぎているからなのだ。

「大丈夫? なんか今日は本当にごめんね」

 コスモは本当に申し訳なさそうな顔をしながら、僕の目を覗き込んできた。

 この親子は似ている、…そんな思いが小さな痼りのように僕の心の奥底に遺った。



   ♩



 秋になると、「付き合ってる」という噂は、更に広く囁かれるようになっていった。コスモを良く思わないクラスメイトは決して少なくなかった。そうでなくとも彼女は目立った。そういう意味も含め、その噂には旨味もあったのだろう。ある程度は仕方ない、僕はそう考え割り切る事にした。そして交際の噂を淡々と否定し続けた。

 男子を張り倒したという「伝説」も、嫌になるほど聞かされ続けた。そうまでして彼らがこの話を繰り返し、そして面白がる理由が僕には解らなかった。しかし張り倒した理由だけは嫌でも耳に入って来た。親を悪く言われてキレたのだそうだ。理由はどうあれ、暴力に訴えたコスモは確かに悪い。が、一体いつまで小学校の頃の事を言えば気が済むのだろう? あるいは腕力に劣る女子にやられた奴を蔑みたくてそうしていたのだろうか? いずれにせよ、僕にはそんな噂を面白がる同級生が幼稚に思えて仕方がなかった。なぜならすでにコスモの家庭の実情を知っていたからだった。少なくともその点においてコスモは被害者なのである。とにかく、「言いたい奴には言わせとけ」、その姿勢を貫き通した。



 二学期の中間テストが終わると、僕はコスモと歌祈ちゃんの三人でカラオケへ行く事になった。コスモから、「とにかく一度歌祈の唄を聴いてみて」と言われた事があり、前々から約束していたからである。

「前にも何度か二人で行った事があるんだけど、歌祈唄がすっごい上手なのよ」

 むろん歌祈ちゃんの唄がひじょうに上手な事は、音楽の授業で聴いていたのでとうの昔から知ってはいた。しかしカラオケで聴くとなるとまた勝手も違ってくるだろう。コスモがやたらとはしゃぐのも分からないでもなかった。だがしかし、僕には少々不自然に思える部分もあったため、

「歌祈ちゃんと二人で行かないの?」

 その疑問を素直にぶつけてみた。

「とにかく一度ユータもおいでよ、ね?」

 なぜコスモが僕を誘うのか、その真意をしばし勘ぐった。そしてその理由を、「前にユータが言ってたように、あたしにも友達できたよ」とアピールしたかったからではないだろうかと勝手に推察した。

 最初の頃、僕は歌祈ちゃんを少々風変わりな女の子だと認知していた。歌祈ちゃんと初めて話をしたのは、まだ四月、学校ではなく塾での事だった。理科の授業を受ける時、同じクラスにいたので話しかけたのである。

「君って確か学校も同じだったよね?」

「うん」

 さして音量が大きいわけでもないのに、やたらと良く通るとてもきれいな声で彼女はそう答えた。後はそれきり、彼女は完全に押し黙ってしまった。僕としては、まだ慣れていない土地の慣れていない塾なだけに、多少なりとも縁のある人間がそばにいてくれたら気休めぐらいにはなるだろうと思って話かけてみただけなのだが、出鼻を完全に挫かれてしまった。父が痴漢と疑われた後に起きた一連の出来事をふと思い出した。そして、「なんといっても相手は女子だ、また変な噂を流されたりしたらたまったもんじゃない、必要以上に話しかけないようにしよう」と判断し、彼女を意識しない事にした。

 当初僕は歌祈ちゃんを、かなり成績の良い子なのだろうと思い込んでいた。しかし、それはすぐに違うと気づかされた。歌祈ちゃんは、理科はもの凄く得意なのだが、その反面、他の教科はあまり得意ではなかったのだ。そう、初めて一緒になった塾のクラスがたまたま理科だったため、他の科目も僕と同じぐらいの学力があると勝手に思い込んでしまっていたのだ。「まあ、稀に何か一つの科目だけが異常に得意だって子もいるからな」、僕はそう思い、なおの事彼女を意識しないよう心がけた。

 なお、歌祈ちゃんは信じられないぐらいの美貌の持ち主だった。同じ塾へ通う他の学校の男子たちはもちろん、女子たちからさえも、その容姿は一目を置かれていた。ほんの少し眠そうにも見えるトロンと垂れた大きな目と、それを更に強調する深い二重まぶた。あの目で真正面から見つめられたら、たいていの男子は赤くなってしまうに違いないと思えた。しかも、歌祈ちゃんの髪の毛からはいつもお菓子のような甘い香りが漂っていた。コスモから聞いた話によると、彼女はアナスイというブランドのスイ・ドリームという香水を愛用しているとの事だった。そのほのかな甘い香りがとても良く似合う、圧倒的な透明感を持った、学校全体で見ても一位二位を争うほどの美少女。しかも本人はいたってクールで、それを鼻にかけるような素振りをいっさい見せようともしないのだ。風変わりな女の子だと思うのはむしろ当然の事であった。

 コスモと歌祈ちゃんが急速に仲良くなり始めたのは、その塾でのやり取りがあってから少し後、五月の上旬頃の事であった。コスモから聞いた話によると、授業中の些細なやりとりがきっかけで話をするようになったのだそうだ。やがて彼女たちはお昼ご飯を、放送室で音楽を流しながら共に食べるようになり始めた。いつからか、放送室の入り口には、赤いペンで「Girl's only」「Do not enter to men」と書かれたB5サイズのホワイトボードがぶら下げられるようにまでなっていった。放送室は彼女達(ふたり)だけの秘密の楽園だった、というわけだ。

「ついこの前、体育の授業の後にさ、女子の間でちょっと男には言えないようなトラブルが起きたのね。で、そのとき歌祈、あたしの事を庇って味方になってくれたんだ。それ以来、毎日放送室で一緒にご飯食べるようになったの」

 学校からの帰り、そのような話を聞かされた事もあった。

「そっか。良かったね」

 僕は心底からそう思った。が、だからといって塾や学校で歌祈ちゃんに話かけてみようとは思わなかった。コスモと歌祈ちゃんの関係が進展したからといって、僕と歌祈ちゃんとの関係まで進展するとは考え難かったのだ。恐らく向こうも僕の事は、「たまたま理科の時だけ塾が同じクラスになった、コスモとやたら仲の良い男子」、ぐらいにしか思っていなかったであろう。

 そんな歌祈ちゃんを交えて三人でカラオケに行かないかと言われた時、正直僕は少々戸惑った。当然といえば当然である。…そういった諸々の事情もあったため、僕は尋ねたのである。「歌祈ちゃんと二人で行かないの?」、と。そしてその答えが、「とにかく一度ユータもおいでよ、ね?」、だったというわけだ。

 約束どおりの時間に、僕ら三人は逗子葉山駅に集合した。コスモはいつものように、ロールアップした太いジーパンにコンバースの赤いスニーカーとTシャツ、という少年のような格好をしていた。反対に歌祈ちゃんは、キュロットスカートに清楚なデザインのブラウスという、いかにもその年頃の少女らしいキレイ目なファッションをしていた。そして僕は、すっかり色落ちしたリーバイス501とコスビーのTシャツ、それにホーキンスの黒いエンジニア・ブーツという、コテコテの渋カジ・スタイルだった。

 切符を買って構内に入ると、すれ違った男子高校生たちから、

「…あの中坊、ブスばっか連れて調子に乗りやがって!」

 聞こえよがしに悪態を吐かれた。とたんにコスモの表情が険しくなった。僕は小さな声でコスモを制した。

「ほっとけよ。やっかんでるだけだ。相手にするな」

 歳下の男が一人で、しかも抜群に可愛い女の子を二人も連れて歩いているのだ。やっかまれるのも無理からぬ事である。

「あんな奴ら、どーせ毅の名前出しゃあ一発で…」

「いいからとにかくほっとけ」

 その「毅」という名の人物が一体何者なのか、当時の僕はまだ全く知らずにいた(むろん地元で有名な不良少年であろう事ぐらい想像がついてはいたが)。ともあれコスモの荒れた一面を窺い知ったような気がして、僕は少し気分が悪くなってしまった。

「歌祈と二人だけで出かけると、たまにナンパされる事があってさ…」

 ホームに降り立つと、コスモはおもむろにそう語り出した。

「…いつも決まって、"二対二ならいいでしょ?"とか言って近寄って来るんだけど…」

 あくまでも、男の側に立って見るなら、キレイ系でスレンダーな歌祈ちゃんと、カワイイ系でグラマーなコスモが一緒に歩いているのだ、…声をかけたくなる気持ちも分からなくはなかった。

「…面倒だからいつも日本語が分からないふりをして英語で追い払ってるんだ」

「なるほど、それはいい()だね」

 思わず僕は笑ってしまった。

「で、(ユータ)がいれば安心できるかなって思って試しに誘ってみたんだけど、これはこれで面倒なのね」

「ま、確かに俺、どこからどう見たって喧嘩が強そうなタイプには見えないだろうしね」

「そりゃあそうよ」

 と言ってコスモは乾いた声で笑い出した。…正直少し傷ついた。

 電車はすぐにやって来た。乗り込んで、三人並んで座れるスペースに腰を下ろすと、すぐさまコスモと歌祈ちゃんはペチャクチャとおしゃべりをし始めた。女の子たちと行動を共にするってこんな感じなのか…。二人の話を聞きながらふとそんな事を思った。

 横須賀中央駅に着き、徒歩で十数分の場所にあるカラオケボックスの室内に入ると、

「先に男から唄って」

 すぐさま歌祈ちゃんがそう要求してきた。僕はコスモから貸してもらったCDで覚えた、クラプトンの「ワンダフル・トゥナイト」を唄った。すると歌祈ちゃんが、

「すごいのね。洋楽が唄えるなんて」

 と言い出した。

「いや、唄えるのはスローテンポな曲だけだよ。早いのは無理」

「唄えるだけでもじゅうぶんすごいよ。あれは? ベン・E・キングの『スタンド・バイ・ミー』は唄えない?」

「唄えるよ」

「じゃあ唄って」

 歌祈ちゃんに促されるまま、僕は「スタンド・バイ・ミー」を唄った。唄い終えると歌祈ちゃんは、

「映画の方の『スタンド・バイ・ミー』もいいよね。あたしリバー・フェニックス好きなのよ」

 と言い出した。すかさずコスモも、

「あたしもあの映画のリバー・フェニックス好き」

 とてもよく通るハスキーな声で言い出した。

「まあ、リバー・フェニックスが嫌いだって人はそうはいないよな。男の目から見たって最高にカッコいいもん。…ところで俺、原作の方の『スタンド・バイ・ミー』を読んだ事があってさ…」

「あ、やっぱり映画と違うところあるんだ?」

 歌祈ちゃんが大きく身を乗り出してきた。するとやや長めで真っサラな黒髪がふわりと揺れ、そこから甘い香りが漂ってきた。塾や学校で見る時の彼女とは明らかに印象が違うな、と思った。

「うん。細かな違いは色々あるけど、最大の違いはやっぱりラストの拳銃を撃つシーンだね。映画では、将来小説家になるゴーディって子が撃ってるよね…」

 潤んだ瞳が印象的な、ゴーディに扮する俳優、ウィル・ウェアトンの顔を思い浮かべながら僕は話し続けた。

「…でも原作ではリバー・フェニックスが演じていたクリスの方が撃ってるんだよ」

「へえ、そうだったんだ」

「しかもそのシーンのセリフがカッコいいんだよ…」

 僕は人差し指を立て、拳銃を構えるフリをしてそのセリフを口に出した。

「…"どこがいい、エース? 腕か、足か? おれには選べない。おれのかわりにきさまが選べ"。あれをリバーがやったら最高にカッコ良かっただったろうになぁ」

「確かにそれカッコいいかも!」

 歌祈ちゃんの目からハートが飛び出しているのが見えるような気がして仕方がなかった。

「ところでさ、なんか優太君ってもっとこう、無口な人かと思ってたんだけど、意外とよく話すんだね」

「ん、まあね。渋谷にいた頃色々あって、余計な事は話さないって決めたんだ。でも、心を開いた相手は別だよ」

「それは、私には心を開いてくれてるって事?」

 歌祈ちゃんが首を傾げて尋ねてきた。

「ま、そういう事になるね」

 そう答えると歌祈ちゃんは嬉しそうに微笑んだ。

「優太君て、学年でも一位二位を争うほどの優等生なのに、その割にはいい意味で優等生っぽくないよね。音楽にも詳しいし、ギターも弾けるし、それにほら、さすが渋谷出身なだけあってけっこうお洒落じゃん。いわゆるガリ勉タイプには見えない分、もし優太君が本気になって勉強したらテストでもっともっとすごい点数を叩き出せるんじゃないかって、女子の間で話題になった事があるのよ」

 僕はグラスの中のジュースをストローで吸い上げてから、

「そうだったの?」

 とコスモに振り向いた。するとコスモは、

「あたしは歌祈以外の女子たちとはあまり話さないから分からない」

 と、あっさりとした物言いの返答を寄越してきた。ソファーの上であぐらをかき、親指と人差し指でストローをつまむその仕草は、建築現場の休憩所で、ニッカポッカを履いた若い男が、煙草を喫う時の姿とどことなく似ていた。

「ところで歌祈ちゃんは唄わないの? 上手いんでしょ? 聴かせてよ」

「任せて!」

 強い自信を全身から漲らせながら、歌祈ちゃんは浜田麻里の「リターン・トゥ・マイ・セルフ」を唄い出した。コスモから聞かされていたとおりだった。歌祈ちゃんは、神がかっていると言っても過言ではないほどの圧倒的な声量と抜群の歌唱力で朗々と唄い上げたのだ。僕にとって唯一かつ最大の武器であった、「洋楽が(ソラ)で唄える」というアドヴァンテージは、彼女の歌唱力に対して全く歯が立たなかった。これではまるで象に立ち向かう蟻のようであるとさえ思った。その歌声に圧倒され、僕はもう唄う気を完全に失くしてしまった。聴くだけで殆ど満足してしまったのだ。僕とコスモはただただ歌祈ちゃんの歌に聴き惚れ続けた。その日彼女はほとんど一人でマイクを握り続けていた。でもそれは決して歌祈ちゃんがわがままだったからではない、むしろ逆にこちらから、「誰々の何々って曲は唄える?」、とリクエストしたからであった。特にザードのデビュー曲である、「グッド・バイ・マイ・ロンリネス」を唄ってもらった時は、かつて毎日目にしていた大都会・渋谷の光景がありありと脳裏に浮かぶ様で、涙が出そうにすらなった。歌祈ちゃんの歌が上手いのはもちろんの事、僕は「グッド・バイ・マイ・ロンリネス」のBメロが昔から非常に大好きだった。雨の降り注ぐ都会の情景を見事なまでに描写している歌詞とメロディーをたいへん気に入っていたのだ。

「ああ、歌祈ちゃんって本当に上手なんだねぇ」

 僕はそう言いながら称賛の拍手を惜しみなく送った。更に歌祈ちゃんが僕のリクエストに応えてドリカムの、「うれしい! たのしい! 大好き!」を歌い終えた時など、

「てゆーか歌祈ちゃんって、吉田美和よりも更に上を行ってないか!?」

 思わずうなり声を上げてしまった。

「なんかビブラートも黒人の歌手みたいに聴こえたんだけど?」

 すると歌祈ちゃんは、この問いに対しこう答えてくれたのであった。

「日本人の歌手のほとんどは、ノドや顎を震わせてビブラートをかけてるからね。でもそれは間違ったかけ方なの。本当のビブラートは、横隔膜を揺らしてかけるものなのよ。私にはそれができるの」

「えっ? てゆーかそんなテクニックどこで学んだの?」

「本屋さんで立ち読みして覚えた。いい声を出すためには、人体の仕組みを詳しく知る必要もあるのよ…」

 歌祈ちゃんが理科にだけは異様に強い事を改めて実感した。

「…それに私ピアノ習ってるんだけど、そこの先生が声楽もやってて、一緒にボイストレーニングも受けてるのよ」

「どうりで唄い方がオペラ歌手っぽいわけだ」

「そ、オペラと歌謡ロックのちょうど中間あたりが私の理想とする唄い方なのよ」

「うん、すごくいいと思うよ。ところでもうそろそろ時間だけど、コスモは唄わないの?」

 僕がそう問いかけると、

「あたしはいい。あたしは洋楽ばっかで日本の曲はあまりよく知らないから」

 コスモはそう言い出した。

「だったら洋楽でも唄えば?」

「とにかくいい」

「でもせっかくのカラオケなんだし…」

「唄わないったら唄わない! あたしはあくまでユータにも歌祈の唄を聴いて貰いたくて誘っただけなの! もしみんなでバンドやるならボーカルは絶対歌祈。これはもう決定ね。ユータも歌祈なら文句ないでしょ? ユータをカラオケに誘ったのはその事を言いたかったからなのよ。ベースだって従兄弟にお勧めの人がいるんだから。…あ、もうそろそろ時間だからあたしトイレに行ってくる」

 初めて知り合った時と同じように、自分の言いたい事を口から火を吐く怪獣のように一方的にまくしたてるやいなや、コスモは部屋から駆け出していった。その様子は何やら明らかに不自然であった。後ろめたい物があるかのようにさえ見えた。

「何だあれは」

 思わず呟いてしまった。すると二人きりになった部屋で、

「あのね…」

 と歌祈ちゃんはこう切り出したのである。

「…コスモってほら、英語が流暢だからそんな風にはぜんぜん見えないんだけど…」

 更に歌祈ちゃんは、

「…あ、ゴメン、最後にもう一曲だけ唄わせて…」

 と断った後、リモコンを操作しながらもの静かにこう語り出した。

「…実はあの子かなりひどい音痴なのよ…」

「えっ? マジで!?」

 正直それはかなり意外だった。しかし歌祈ちゃんが嘘を言っているようには見えない。信じるより他なかった。

「私と二人きりでなら、下手でもなんでも唄えるんだろうけど、その…、優太君の前ではきっと恥ずかしいんだと思う。かえって逆に可愛いでしょ? だから許してあげて」

 しばらくするとザードの「心を開いて」のイントロが鳴り始めた。その音楽を背景に、

「今日は私ばっかり唄っちゃってゴメンね。お金多めに出すから許して」

 歌祈ちゃんはそう言い出した。

「気にしなくていいよ。唄って欲しいって要求したのはこっちだし、むしろいい物を聴かせて貰えて良かったと思ってる。だからお金は平等に支払わせてもらうよ」

「じゃあお言葉に甘えてそうさせて貰うね。…ところで前から聞きたかったんだけど、優太君ってやっぱりコスモの事好きなんでしょ?」

「ノーコメント」

 と答えると、歌祈ちゃんは「あはは」と笑いながらマイクを構えた。すると頭上のスピーカーから歌祈ちゃんの甘い笑い声が微かに聴こえてきた。きっと歌祈ちゃんにはもう見抜かれているのだろう。しかしこちらが認めない限り事実にはならない。そう思いながら歌祈ちゃんの歌声にしばし耳を澄ませた。曲の間奏が始まると、歌祈ちゃんはコスモが居ない事も手伝ってか、更にこう言い出したのであった。

「この歌詞(うた)にもあるけど、私とコスモが仲良くなれたのは、私もコスモも人と深く付き合う事があまり得意じゃなかったからなのよ…」

 僕の中にあった、歌祈ちゃんに対する「少々風変わりな女の子」というイメージは、気づけばきれいに霧散していた。性格の良さが、唄や仕草や話し方に滲み出ているのがハッキリと感じ取れたのだ。むしろ逆にこれだけ性格が良く才色ともに恵まれた()が、なぜ「人と深く付き合う事があまり得意ではない」と主張するのか、僕には全く解らなかった。しかし、事実、コスモと同様彼女もまた、クラスでの様子を見る限り決して友人が多いタイプのようだとは思えなかった。そんなちょっぴりミステリアスな所がまた、コスモの大親友・歌祈ちゃんの歌祈ちゃんたる所以であり、魅力でもあったのだ。

「…それともう一つ、コスモはきっと、優太君の事が好きだと思うよ」

「聞いた事あるの?」

 僕はすぐに喰いついた。

「うん、でも、笑って答えてくれなかった。けど女の子同士だから分かる。コスモは優太君の事好きだよ。だって優太君に対するコスモの態度って、なんだかまるでお兄ちゃんに甘えてる妹みたいで可愛いじゃん。例えばさっきの"唄わないったら唄わない!"って言い方なんてモロにそうだったし…」

 実はこの時、すでに僕よりも先にコスモの兄の死を知っていた歌祈ちゃんにとって、コスモが僕に兄の代わりを求めている事を見抜くのは容易だったのだろう。しかしなぜ、「まるでお兄ちゃんに甘える妹みたい」と言ったのか、その真意が当時の僕には全く分からなかった。「女の子ってホント、他人の恋愛ごとについてあれこれ首を突っ込みたがるのが好きなんだなぁ」、くらいにしか思っていなかったのだ。歌祈ちゃんはニコニコ笑いながら、僕の顔を覗き込むようにして尋ねてきた。

「…嬉しい?」

 それはもう、わざとらしいとしか思えないぐらいの満面の笑みであった。

「ノーコメント」

 鼻歌でも歌うような声で返事をした。

「さっきもそう言った。それズルいよ」

 歌祈ちゃんは再び笑い出した。甘い笑い声が頭上のスピーカーから、渇いた肌を潤す真夏の雨のように降り注いできた。

「じゃあ他になんて言えばいいって言うのさ?」

「でも、クラス中のみんなが言ってるよ。"清水と美樹本は両想いだ"って」

「うん、言ってるね」

「でもいいな、相思相愛、少女マンガみたいで羨ましい」

「だから違うって」

 僕の反論(ウソ)とほぼ同時に間奏が終わり、歌祈ちゃんは再び唄い始めた。やがてコスモが帰ってきたため、歌祈ちゃんとこれ以上この話をする事はなかった。

 やがて時間がやって来た。僕らは三人で割り勘して支払いを済ませた。カラオケ店を後にすると、

「今日は私ばっかり唄っちゃって本当にゴメンね。お詫びにご馳走させて」

 歌祈ちゃんはそう言い出した。

「私の実家(うち)、『シーサイドメモリー』って名前の個人経営のカフェをやってるの。マーロウってプリン知ってる? 葉山ではけっこう有名なのよ。でも優太君はまだ知らないんじゃないかなって思って…」

 電車で逗子葉山駅へ戻ると、歌祈ちゃんの実家だというその「シーサイドメモリー」というお店に案内された。さすが我が子に「歌祈」という名を授けるだけあって、椅子、テーブル、内装、外装、その全てがとてもきれいで、東京のお店と比較しても全く引けを取らないほどお洒落なカフェだった。窓から森戸海岸が一望できる席に着くと、ダンディーなおじさんの描かれたガラスの器が三つ運ばれてきた。よく見てみると、おじさんだけではなく、まるで理科の実験で使われるビーカーのように目盛りも刻まれていた。この耐熱ガラスで作られた容器は洗って再利用されているらしく、目盛りはレシピの分量を測るのに使用されているのだと歌祈ちゃんから聞かされた。その予想以上に大きなプリンを見て、

「うわっ、でかっ!」

 僕は少々引いてしまった。するとマーロウを運んできてくれた歌祈ちゃんの母親から、

「男の子なら普通に食べ切れるでしょ? もっちりとしてて美味しいのよ?」

 と言われた。促されるまま、スプーンですくって口に含んでみた。

「あっ、ホントだ、美味いっ! こんな食感のプリンは初めて!」

 かなりのボリュームがあったのだが、僕はそれをあっという間に平らげてしまった。

「お母さん、紹介するね、清水優太君って言うの。コスモともう()()()()()仲良いのよ…」

 わざと強調しているのはもう見え見えであった。

「…学年でも一位二位を争うような優等生で、理科の時だけ塾のクラスが同じなの」

「あらそうなの? うちの歌祈は理科以外はいたって平凡だから、これから色々と勉強見てやってもらえる? よろしくね。優太君」

 歌祈ちゃんの母親は、マーロウを載せていたトレイを小脇に挟んで軽く会釈した。目元が歌祈ちゃんととてもよく似ていて、ほんの少し眠そうに見えた。歌祈ちゃんも、

「このプリンはお近づきの印だと思って。これからよろしくね、優太君」

 そう言ってニッコリと微笑んだ。

 …これ以来、僕は歌祈ちゃんともよく話をするようになった。学校ではもちろん、塾や塾への行き帰りに行動を共にする事も多くなった。理科以外の科目を教えてほしいと頼まれる事も増えた。むろん、自分が好きな女の子の大親友からの頼みである。僕がその望みに親切丁寧に応えてあげたのは言うまでもない。



   ♩



 コスモからはこんな誘いを受けた事もあった。

「高校生の従兄弟がいるんだ。毅っていうの。文化祭でライヴを演るんだ。いい機会だから紹介したい。毅の家は車の整備屋さんをやっててガレージをスタジオ代わりにもしてるんだ。ついでにそこにも案内してあげる」

 以前から、コスモのドラムを聴いてみたいと常々思っていた。山の休憩所でのイメージトレーニングしか見た事がなかったからである。文化祭にコスモの出番があるとは言っていなかったが、そのガレージへ行けば聴かせてもらえるだろうと思い、招待を受ける事にした。それにもう一つ、実はコスモにとある疑義を抱いていた。つまり、尻尾を掴むチャンスだと考えてもいたのだ。

「歌祈ちゃんも来ないの?」

「うん、歌祈も誘ったんだけど、ピアノのレッスンがあるからって断られちゃったの、だから二人で行こ?」

 歌祈ちゃんの事を確かめたのは、その尻尾を掴むのには歌祈ちゃんがいない方が都合が良いと思ったからであった。

 文化祭へ行くと、話のとおり毅さんを紹介された。見るからに不良性のある風貌をした、背の高い人物だった。そもそもその高校自体が非常に荒れていて、言葉は悪いが動物園のようだと思った。

「な〜、このモヤシみてぇなのがコスモの彼氏?」

 毅さんの冷やかすような言い方が神経に触った。わざと悪ぶった言葉遣いをしているのは明白だった。

「彼氏じゃね〜って言っただろ!」

 コスモまでそんな言い方をし始めた。言葉遣いと言葉の意味が、僕を二重に傷つけた。

「でもよぉ、コイツにあのブラッキー…」 

「毅! 余計なこと言わないで!」

 コスモは稲妻のような声で話を遮った。

「へいへい」

 毅さんはわざとらしく肩をすくめてみせた。そのやり取りには、明らかに何らかの含みがあった。

「俺たちジギーのコピー演るんだ。俺はベースを担当してる。楽しんでってくれや」

「ジギーは僕も好きです」

 嘘ではなかった、が、社交辞令で言ったのもまた事実だった。

「そいつは良かった。準備があるから俺はもう行くわ。応援よろしくな」

 と言い残して毅さんは去っていった。

 その後さらにコスモから、毅さんの彼女だという人物も紹介された。コスモよりももっと短いスカートを履いている彼女とコスモはひじょうに仲がいいようで、楽しそうに会話をしていた。しかし僕にはその(ひと)と仲良くしようという気も話をしようという気も全く起こらなかった。そして彼女も僕には全く興味がなさそうであった。

 なお、何かあるとコスモはすぐに、

「どうせあたしが高校へ行くなんて事はないよ。あたしの家と成績じゃ進学なんて絶対に無理。だからせいぜい今のうちにミニとルーズを決めて派手にやってやるだ!」

 そう言っては笑い飛ばし、校則違反を正当化していた、…の、だが、毅さんや彼女を紹介され、もはやあながちそれだけが理由だとは思えなくなってしまった。この人たちからの影響が色濃い事は疑いようがないと思えたのだ。…そう、こういう人種との付き合いが全くなかった僕にとって、毅さんへの第一印象はまさに最低最悪だったのだ。今となっては笑い話だ、まさか年齢差という壁を越えて親友になるなんて、お互いこの時は夢にも思っていなかったのだから。人とは解らないものである。いずれにせよ、いくら密かに想いを寄せていた女の子からの誘いだったとはいえ、ここに来た事を僕はかなり強く後悔していた。

 やがて毅さんがステージに登場してきた。演目は「アイム・ゲッティング・ブルー」「グロリア」「ドント・ストップ・ビリービング」の三曲。どれも好きな曲だったし、高校生にしてはかなり上手な演奏だと思った。しかし第一印象のあまりの悪さに、彼に対する評価には下向きの補正がかかった。そんな僕の気持ちを知ってか知らずか、

「どう? 毅、他のメンバーよりも頭ひとつ抜きん出てるってユータにも分かるでしょ?」

 と尋ねてきた。コスモがカラオケで歌祈ちゃんを推したのと同じように、今度は毅さんをベースに推す気でいたのはとっくに気付いていた。しかし素直に毅さんを認める事ができずにいたため、

「まあ、…ね」

 と曖昧に答えるのみに留めた。そもそも歌祈ちゃんとならともかく、毅さんと共にバンドを演るだなんて何かの悪い冗談にしか思えなかった。そのようなヴィジョンはまるきり浮かんで来なかったのだ。

 予想していた出来事はその後起きた。休日の夕方までに限り、楽器の演奏が許されていると聞かされていた毅さんの自宅のガレージへと案内された時の事だった(確かにロックが「ウルサイ音楽」である事は否定できない)。

 ガレージの奥の小部屋には、パールのドラム、ローランドのキーボード、ヴォックスのベースアンプ、オレンジのギターアンプ、マイクスタンドの頂点にはノイマンが設置されていた。

 壁には赤でスプレーされた筆記体の落書きがあった。


 Weekend,come hear to the Jone lennon.


 言語は違えど、いかにもコスモが考えそうな冗談に、思わず僕はクスリと笑ってしまった。週末っていつだよ、そもそもジョンはとっくに死んでる、来るとしたら魂だけだ。

 コスモと毅さん、そして彼の友人達がダーツをやり始めた。ダーツのルールは分からなかったが、コスモがあの精密なコントロールで圧勝している事だけは、悔しがる毅さん達を見れば嫌というほどよく分かった。

 それにしても、ここは一体何なのだろう、と思った。楽器やダーツはいい、英語の赤い落書きも、センスが良いので寛容する事ができる。しかし、である。吸い殻がうず高く載った灰皿。床に転がっているアルコールの空き缶。これではまるきり不良漫画のたまり場だ。毅さんの前歯が少し溶けているのを見た時からある程度予想してはいたが、あのリポビタンDの瓶の中に入っている物は「揮発性の液体」に違いない。まさかコスモはそこまではやっていないだろうと信じたかった。

「よお、パンクでも演らね〜? 俺はピストルズを演りたい気分だ」

 そういえば毅さんの顔は、セックス・ピストルズのベーシスト、シド・ヴィシャスにどことなく似ていた。

「じゃああたし、『God save the Queen』がいい」

 コスモが流暢な英語を口にしながら手を挙げた。そして慣れた手つきでドラムの椅子を回転させ、高さを調整し始めた。更に、ベース、ギター、ボーカル、各々の準備が整ったのを確認すると、スティックをぶつけながら「one,two,three,four!」と声を出した。するとあのいかにも暴走族が好きそうな下卑たイントロが始まった。

 初めて聴いたコスモの生演奏は非常に良いと思った。特にタム回しのグルーヴには注目すべきものがあった。無駄な力みを感じさせない突き抜けるような音は聴いていて非常に心地良く、きっとコントロールが良い事と無関係ではないのだろうと思った。が、楽器隊はともかく、ボーカルが全くなっていない。これでは英語の授業でお馴染みのカタカタ・イングリッシュだ。他の人はともかく、コスモにそれが解らないわけがない、音を合わせる仲間として不満はないのだろうか。僕も、ギターはともかく歌は人並みだった、しかしこれなら僕の方がずっと上手いと思った。そもそもコスモには、こんな人達と付き合って欲しくなかった。

 演奏が終わると毅さんが煙草に火をつけた。

「あたしも頂戴」

 やっぱりそうだったか。そう思いながら、慣れた手つきで火をつけるコスモに近寄った。

「お前の勝手だけどさ、せめてそういうのは、二十歳まではやめないか…」

 ついちょっと前までパンクロックの生演奏が流れていたせいもあってか、部屋中が、シ〜ンという音がするぐらいシ〜ンと静まりかえってしまった。ポロリと煙草を落とす者もいた。その煙草が地面に落ちる時の微かな音すら聞こえてくるぐらい、部屋全体がきれいに静まり返っていた。やもすると、「生徒会長?」と囁く声が聞こえてきた。

「…でないと俺、コスモを嫌いになるよ」

 コスモの上半身がビクッと動くのがはっきり見て取れた。何故だか理由までは分からなかったが、花火大会の一件で、薄々僕は気づいていた、「コスモは僕に嫌われる事を酷く怖れている」、と。つまりこれは決め台詞だと承知の上で言ったのだ。コスモの手から煙草を奪い取った後、消し方がよく分からなかったのですぐ近くの水道を勝手に使って消火し、そしてそれを床に叩きつけた。すると毅さんはこう言い出した。

「白けンだけど」

 そんな彼に言い返した。

「クラプトンは、麻薬も酒も煙草もみんな止めてますよ。それでも白けますか?」

 そして子どものように怯え切っているコスモに、「悪いけど先に帰る」、と言い残し、ガレージを去った。



 その夜、僕は部屋でコスモから借りたままにしているカセットを、何度も巻き戻しては聴き続けていた。曲はジョン・レノンの「スタンド・バイ・ミー」。正直、この曲のジョンの唄い方は崩し過ぎているように感じられて好みではなかった。やはり映画「スタンド・バイ・ミー」でも使われているベン・E・キングのオリジナル曲の歌声の方がずっといい。しかし何故かその夜だけは、無性にジョン・レノンの声を聴きたい気分だった。

「コスモちゃんから電話」

 母がコードレスの受話器を持ってやって来た(…当時はまだ携帯電話なんて子どもが持つ物ではなかった。つまり子どもは家の電話で連絡を取り合うのが普通だったのだ。たった数年で社会はずいぶん変わってしまった。今では中高生にケータイを持たせるかどうかで親が真剣に悩んでいる。当然と言えば当然だ。家の電話なら子どもの交友関係を伺い知る事も出来るのだから)。

 今は電話に出る気分ではなかった。「言わずとも解れ」と母を一瞥し、音量をさらに上げた。どうやらジョンの魂は、本当に降りて来てくれていたようだった。買い替えたばかりのコードレス電話は、そのとき聴いていた曲を、コスモに伝えてくれていたのだ。



 月曜の朝。

 学校に着くと歌祈ちゃんが、スイ・ドリームのふんわりとした甘い香りを漂わせながら僕の席へと近寄って来た。

「昨日コスモと何かあった?」

 そんな彼女からの問いかけに、

「…別に」

 仏頂面で返事した。すると歌祈ちゃんは、その深い二重によって強調された、ほんの少し眠そうにも見えるトロンと垂れた大きな目で怪訝そうに僕を見つめながら、

「これ、コスモが渡してくれだって」

 スヌーピーが印刷されているメモ紙を寄越してきた。メモにはいかにも少女らしい、小さな丸い文字が書いてあった。



   ☆



 I'm sorry about yesterday.

 It will never happen again.

 I won't do it even after I'm 20 years old.

 So please "stand by me".



   ☆



 振り向くと、珍しく僕よりも先に学校へ来ていたコスモが、見るからにバツの悪そうな上目遣いでこちらの様子を伺っていた。

 英語で書いたのは、きっと歌祈ちゃんにすら知られたくなかったからなのだろう。そう思うのと同時に、ふと、僕はある事に今更になって初めて気がついた。このメモ紙の筆跡と、借りっ放しのカセットに貼ってあるシールの文字が明らかに違う事に…。

 相変わらず怪訝そうな顔をする歌祈ちゃんの目を見た瞬間、彼女がカラオケで言っていた言葉が突然、オートマチックに蘇った。

「…だって優太君に対するコスモの態度って、なんだかまるでお兄ちゃんに甘えてる妹みたいで可愛いじゃん…」


 …コスモには死んだ兄がいたのではないかと初めて予感したのは、まさにこの瞬間(とき)の事であった…。



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