第一話 その⑤
「なるなるなーる! そう言うことか」
私の話を聞いて、三森さんは楽しそうに頷いた。
「なかなか面白そうな事件じゃないか!」
「いや、私にとっては楽しくもなんともないですよ」
三年生の怖い先輩に、八〇〇円を盗られちゃったんだから…。
「まあまあ、身を固くしないで、楽に座りなさい」
「いや、こんな狭い部屋でリラックスなんてできませんよ」
三森さんの六法全書研究部の部室の中は、体育倉庫のように狭く、日当たりが悪いせいで、カビっぽい香りが立っている。
壁に設置された本棚には、ぎっしりと、法律関係の本が詰まっていた。
なにこの人、やっぱり、変な人だ。
三森さんはにこにことしたまま、パイプ椅子の背もたれに体重を預けた。
「話を整理すれば、君が渡り廊下の自動販売機に千円札を投入して、エナジードリンクを買った。そして八〇〇円のお釣りを受け取った瞬間に、三年生の宮本さんがやってきて、その金を奪いさったんだね」
「は、はい」
そうだ。
「この話だけを聞けば、刑法第235条『窃盗罪』に当たる。いや、脅して奪い去ったのなら、刑法第256条の『強盗罪』にあたるかも…」
六法全書をめくりながらそう言う三森さんは、顔をにやつく。
私にとって、宮本さんの行為がどんな法律に触るのではなく、あの自動販売機で何が起こったのか知りたかった。
「あの、そんなことより…」
「一応言っておくけど、今の君の言葉は、これから君が言う言葉は、真実何だろうね?」
「え、ああ、はい」
「真実に到達するためには、真実を語らなければならない。僕は六法全書研究部だ。どんあ事件も、六法全書で、公平に推理するよ」
「あの、僕はって…、この部活、三森さん一人なんですか?」
「そ、そうだよ。わ、悪いかい?」
「いや、悪くないですけど…」
なんか、すっごい人気が無い部活なんだろうな…。
まあ、こんなぼろい部室を当てられている時点で…。
「ささささささささっそく、推理をしていこうじゃないか」
「いや、めちゃくちゃ動揺しているじゃないですか」
気を取り直して。
「で、宮本は、君から奪った八〇〇円を、『オレが取り忘れた八〇〇円』だと主張しているんだね?」
「はい」
「新手のカツアゲという線は無いのかい? ほら、実は彼は八〇〇円を取っていた。または取っていないけど、君から金を奪う目的で、『その八〇〇円のお釣りを取り忘れた』という嘘をついた」
「いえ、それはあり得ません。彼は、実際の商品を私に見せてきましたし…、その近くで練習をしていた吹奏楽部の桜井先輩も宮本さんが自販機で買っている姿を見ているそうです」
「桜井先輩?」
三森さんは首を傾げた。
「って誰だ?」
「知らないんですか? あの人は三森さんのことを知ってましたよ?」
「いやあ、何せ、そこまで人との交流が無いからなあ…」
ああ、なるほど。そう言うことか。
「三森さんって、友達いないんですね」
がたがた!
三森さんが椅子から滑り落ちた。
「ななななな、何を言っているんだ! 僕には友達がたくさんいるんだぞ!」
「いや、めっちゃくちゃ動揺しているじゃないですか…」
「ちょっと待て! すぐに数えるから! 君に、僕に友達がいることを証明してやる!」
三森さんは激しい剣幕で私を睨むと、指折り数え始めた。
「そんなことより、私の話を聞いてくださいよ」
三森さんの友達の人数になんて興味はない。
話がかなり脱線したので、私は強引に戻した。
「桜井先輩は、宮本さんがエナジードリンクを買うところを見ています」
「ほほほほほほほほほう…、それで…、彼はお釣りをとっていたのかい?」
いや、まだ動揺している…。
「はっきりと見たわけではないから断言はできないそうですが、お釣りを取る様子はなかったそうです」
「なるなるなーる。では、エナジードリンクを購入したあとに出てきた八〇〇円は、そのまま自販機にのこったのか…」
「それが、桜井先輩が言うには、お釣りが落ちる音がしなかったそうですよ」
「お釣りが、落ちなかった?」
「はい。硬貨が落ちるときの、チャリンチャリンっていう音を聞いた覚えがないそうです…」
「お釣りが出なかったのか。自販機本体の釣銭が切れていた可能性は無いのかい?」
「そのあとに、私が買ったとき、釣銭は出ています。釣銭が切れているという説はあり得ないようです」
「そうか…」
三森さんは静かに頷いた。
「それともう一つ」
これは事件解決に必要かどうかわからないけど、桜井先輩が言っていたことを付け加えた。
「実は、宮本さんが自動販売機で買い物をする前に、サッカー部の男の人が自販機の前で小銭をぶちまけていたらしいんですよ」
桜井先輩はこう言っていた。
「今から五分ほど前。先に、サッカー部の男の子があの自動販売機で買い物をしていたら、財布の中身をぶちまけちゃってね、そこに宮本さんがやってきたのよ」
と。
「ほう! じゃあ、その人が八〇〇円を盗ったので決まりじゃないか!」
「私も最初、そう考えましたが…、よく考えてみてください。宮本さんが買い物をした時点で、お釣りが落ちる音はしなかったんですよ? つまり、そのサッカー部の男の人が例え盗れる状況にあったとしても…、八〇〇円は存在しなかったことになるんです」
「あ、そうか…」
三森さんは面を喰らったような顔をした。
この人、本当に大丈夫かな?
今のところ、小説とかでよく出てくる、事件を鋭い推理で解決する名探偵には見えない…。
「うーむ」
顎に手をやって、格好だけは名探偵のような三森さん。
「わからん!」
ガタガタ!
今度は私が椅子からずり落ちる番だった。
「わ、わからないんですか!」
「わからん!」
「ちょっと! 私はあなたを頼ってきたんですよ! 桜井先輩が、『名探偵がいる!』っていう言葉を信じて…」
「それは、桜井という女の主観だ。僕は自分のことを『名探偵』だとは思ったことは無い。そもそも、僕が目指しているのは弁護士だよ? 探偵ではない。もちろん、警察でもない。まあ、刑法はけっこう好きだけどね」
「はあ…」
時間の無駄だった…。
私はあきらめてパイプ椅子から立ち上がった。
「すみません、ご迷惑をおかけしました…」
「まあ、待ちたまえ。どうだい? この際に、我が六法全書研究部に」
「入りません! そのうち吹奏楽部にでも文芸部にでも入ります!」
私はぴしゃっと言うと、部室を出ていった。
あーあ、本当に時間の無駄だったよ。
せっかく、八〇〇円喪失事件の真相がわかると思ったんだけど…、真相は闇の中。
胸にもやもやとしたものを残しながら階段を降りる。
三森さんはもう頼れない…。ということは、じゃあ、私が推理するしかないのか…。
一から十まで話を整理しよう。




