第一話 その③
「なにこれ?」
一〇〇円のミックスジュースに対して、その黒い缶ジュースの値段は二〇〇円。
値段が倍も違うってことは、それだけおいしいのかな?
私は好奇心に負けて、指の方向を転換させると、その黒い缶ジュースのボタンを押していた。
ガコン!
少し大きめの缶が落ちてくる。
「琴音、エナジードリンクを飲むの?」
「エナジードリンク?」
「それ、エナジードリンクだよ?」
「って、おいしいの?」
「好き嫌い別れるかな? まあ、元気が出るから、今の琴音にはぴったりだね」
「ふーん」
私は缶のパッケージを見回した。
明確に「○○味」なんて書いていない。だけど、そのスタイリッシュなパッケージは、どこか高級感を漂わせ、飲む前から元気が湧いてくるようだった。
「教室で飲もうよ」
「うん、そだね」
私はエナジードリンクを鞄にしまった。
この自動販売機はレバーを下ろさなくても勝手に、ジャラジャラと、お釣りが出てくる。
五百円と百円三枚。合計八〇〇円だ。
それを財布に入れようとした、その時だ。
「おいこら! てめえ!」
突然、南校舎の方から、怖そうな男の先輩が走ってきた。
そして、私の腕をガシッと掴む。
「オレの八〇〇円返せよ!」
「え?」
その拍子に、私の手から硬化が零れ落ちて、廊下に転がる。
チャラーン!
四枚の硬貨は、四方八方に転がっていってしまった。
「くそ、何やってんだよ!」
男の先輩は私を睨みつけると、その転がったお金を拾い集めていく。
そして、あっという間に、私が釣銭として受け取ったはずの八〇〇円を手に納めてしまった。
「うし、ちゃんと八〇〇円あるな!」
先輩は満足げに頷くと、私たちに背中を向けた。
「てめえ、次にオレの釣銭を盗ろうとしたら、ただじゃ置かねえからな!」
「ちょ、ちょっとまって!」
茫然とする私の代わりに、一美が先輩を引き留めた。
「す、すみません、そのお金…、私の友達のものなんですけど…」
「ああん?」
男の先輩は首だけで振り返り、私たちを睨んだ。
「そんなわけないだろう。この八〇〇円はオレのだよ」
ええ?
なに言ってんのこの人…。
もしかして、これ、新手のカツアゲ?
「ほら、見てみろよ」
そう言って、私の目の前に、エナジードリンクの缶が突きつけられた。
「少し前に、オレが買ったエナジードリンクだ。その時、オレはこの自動販売機に千円札を入れたんだ。そして、エナジードリンクだけをとって、釣銭を取り忘れたんだ!」
「は、はあ…」
「このエナジードリンクの値段は二〇〇円、つまり、釣銭は八〇〇円のはずだぜ? そして、今さっきお前が釣り受けから取り出した金の合計が八〇〇円。つまり、これはオレの金ってことだよ!」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
私は首をぶんぶんと横に振った。
「ほら! 私もエナジードリンクを買ったんですよ!」
買ったばかりで、水滴がついているエナジードリンクの缶を男の先輩に突きつけた。
「その八〇〇円は、私がこのエナジードリンクを買うために千円を入れたからです! 私が買うときから、釣り受けに八〇〇円は入ってませんでした!」
「嘘つくんじゃねえ!」
ひゃあ!
私は先輩の剣幕に押されて肩を竦めた。
「自販機だぞ? たかが百円玉二枚、簡単に用意できるだろうが! なんで千円札なんか使ってんだよ!」
いや、その言葉、あなたにそっくりそのままお返します。
「どうせ! エナジードリンクを二〇〇円で買って、たまたまオレが取り忘れた八〇〇円を見つけたから盗もうとしたんだろうが!」
「そんな…」
まったくの言いがかりだった。
私はこの自動販売機に千円札を入れたんだ。
そして、二〇〇円のエナジードリンクを買った。
そして、お釣りの八〇〇円を受け取ろうとしただけなのに…。
「とにかく、この八〇〇円はオレのもんだ。今度下らねえ言いがかりをつけようとしたら、黙ってねえぞ。入学したての一年坊が…」
男の先輩はそう吐き捨てると、そのまま歩いて行ってしまった。
「……」
先輩が見えなくなると、私はがくっと膝を折って、その場にしゃがみ込んだ。
「こ、怖かった…」