第一話 その②
【一時間前】
私がこの中学校に入学してから、三日が経った。
二日目からはすでに始まった授業はまだまだ基礎基本で、今のところ難しいとは感じていない。
でも、少し困ったことがあった。
「はあ…」
私はため息をついて、放課後の廊下を歩いていた。
私の隣を歩いていた女の子が、「こら!」と言って私の頭を軽くたたく。
「何ため息なんてついているの? ため息をついたら、幸福が逃げていくよ?」
この子は、「篠崎一美」。私の小学校からの親友だ。
私は散々悩んで、疲労した目を一美に向けた。
「一美はもう、どの部活に入るか決めたの?」
「うん、文芸部!」
きっぱりと答えられた。
「すごいなあ…」
やっぱり一美はすごい。
行動力があるし、自分の意見もはっきりと言える。
入学して三日たった今でも、どの部活に入るか決めかねている私とは大違いだ。
「何? 琴音、まだ部活を決めていないの?」
「うん…、迷っちゃって…」
そう言って、私は肩に掛けていた鞄から、部活のチラシを数枚取り出した。
「うわ、そんなにもらったの?」
「うん、見学に行ったら、どこの部活もくれたよ」
入学初日にパンフレットを貰った、ボート部、サッカー部、ハンドボール部、野球部、あと文芸部と、この三日間で、私は二十枚近くのチラシを貰っていた。
どのチラシも、「優しい先輩が教えます!」「初心者大歓迎!」って書いていて、私を惑わせてくる。
「どれにしようかな…、迷っちゃうよ…」
私がもう一度ため息をつく。
「あんたねえ、ほんと、幸せが逃げていくよ?」
そう言いながら、一美ちゃんもため息をついた。
「もう、迷うなら、私と一緒の文芸部に入らない?」
「でも私、文章とか書けないよ」
「話によると、イラストを描くのもいいらしいよ?」
「イラストの方がもっと大変だよ」
そう言うと、一美はまた一つため息をついた。
「幸せが逃げていくわ」
「ごめんね」
「まあ、じっくり悩んだらいいんじゃない? 無理に決めて続かないのもいけないし」
「そうだね。もうちょっと悩むことにするよ」
入部届の提出に締め切りは無い。もう少し悩んでみることにしよう…。
その間に、もう少し見学をして、じっくりと決めていくことにしよう!
「じゃあさ、ジュース買いに行こうよ!」
「そうだね!」
中学に入学して、嬉しかったことがある。
それが、南校舎と北校舎をつないだ渡り廊下に設置されている、自動販売機だった。
私たちは階段で一階に降りると、渡り廊下へと出た。
入り口でトランペットの練習をしていた吹奏楽部の人の横を通り、自動販売機の前に立つ。
そこには、メーカーの違う自動販売機が三台並んでいた。
一美はうっとりとしながら、スカートのポケットから小銭入れを取り出した。
「すごいよね。校内で買い物ができるって!」
「うん、小学校の時は無かったからね」
私も頷いて、肩に掛けた鞄から折り畳み財布を取り出した。
「何飲もうかな?」
自動販売機が三台と言うだけあって、飲み物の種類も豊富だった。
コーヒーもあるし、コーラとかサイダーなどの炭酸飲料。オレンジやリンゴの百パーセントジュースも売っている。
しかも安い!
ほとんどのジュースが、八十円から一〇〇円の値段で売られていた。
「これ、学校の外にある自動販売機で買うと、もう少し高い値段で売られているよね?」
「そうだね。なんでかな?」
「さあ、利用するのが学生だから割り引いてくれているのかな?」
そう言いながら、一美は左の自動販売機に百円玉を入れた。
「私、この乳酸菌ジュースにしよっと!」
迷うことなくボタンを押した。
ガコン!
商品取り出し口に、一美が買った缶ジュースが落ちてきた。
「琴音は何にするの?」
「そうだなあ」
何にしようかな?
そうだな、今日も部活動見学で学校中を歩き回っていたから、少し疲れていたんだよね…。甘いものにしようかな?
財布を開けると、千円札が一枚入っていた。
小銭は入っていない。
できれば、お釣りの無いようにお金を入れたいけど、仕方がないや。
私は並んだ三つの自販機の、真ん中の台の紙幣投入口に、千円札をいれた。
千円は静かに自動販売機に吸い込まれて行く。
「ええと、じゃあ、無難に、このミックスジュースでも買おうかな?」
ミックスジュースのボタンに手を伸ばす。
ボタンを押す直前で、指がぴたっと止まった。
ミックスジュースの横に、黒い背景に、稲妻のような模様が描かれたパッケージの缶ジュースが並んでいた。
「なにこれ?」