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川口直人 59

 10時―


俺は会社を見上げていた。今日、支店長に仕事を辞めさせて貰う様に話をしなくてはならない。リュックの中には退職届けが入っている。


…会社を辞めたくはなかった。


この支店に配属された新人は俺しかいなかったが、先輩たちは皆いい人達ばかりだった。仕事は肉体労働で正直きつい部分もあったけれども、それでもとてもやりがいがあって、この仕事が好きだった。

そして何より…ここで働いていなければ鈴音と出会うことも無かった。


それなのに、俺はあの親子のせいで人生を狂わされてしまった。


 恋人と別れさせられ、嫌悪感しか感じない女と婚約させられる。そして好きだった仕事まで奪われてしまう…。

常盤社長は俺を婿養子にしようと考えていた。いずれは常盤商事の社長にしてやると言われたが、そんなものには一切興味が無かった。日本屈指の大企業の社長なんて興味もない。俺はただ…好きな女性と結婚し、ささやかだけど幸せな家庭を築きたかっただけなのに…。


悪夢としか言いようが無かった。もう、この先希望も何も持てなかった。俺は心を殺してこの先、何十年も生きていかなければならないのだろうか…。


深いため息をつくと、重たい足取りで会社へ入っていった―。




****


 出勤した途端、会社の人達が何故か驚いた顔で俺を見てきた。そして1人の先輩が声を掛けて来た。


「川口…お前、何でここに来たんだよ」


「え?何でって…仕事だから来ただけですけど?」


一体先輩は何を言ってるのだろう?


「お前、会社辞めたんだろう?今朝、朝礼で支店長が言っていたぞ?」

「ああ。突然の話で驚いたよ」

「常盤商事って会社に引き抜かれたんだよな?」


その言葉に耳を疑った。俺は遅番だったから、朝礼には参加していない。


「ど、どういう事ですか?!それはっ!」


「え?支店長が話していたけど、今朝突然あの常盤商事の社長がこの支店にやってきたらしい。それで川口を社員として抜擢することになったから、本日付で辞めさせて来れと言いに来たそうだ。それで…」


「な、何ですってっ?!」


俺は先輩の話を最後まで聞かずに事務所を出ると、支店長室へと走った。


コンコンコン!


乱暴に扉をノックしながら言った。


「支店長、俺です。川口です!」


「入っていいぞ」


中から返事があったので扉を開けた。


「失礼します」


後ろ手に扉をしめると、デスクに向かって座っていた支店長に言った。


「支店長、先輩達に話を聞きましたが…どういう事ですか?自分が本日付で退職なんて…」


すると今年定年を迎える支店長がため息をついた。


「こちらだって驚いている。いきなりあの常盤商事の社長が今朝現れて、川口直人は我社で引き抜いたので、本日付で退職させて欲しいと言って来たのだから。この会社はもともと母体が常盤商事だったんだ。そこから独立して今の会社に変わったんだよ」


「え…?そ、そうなのですか…?」


そんな事実、少しも知らなかった。


「大元の会社の社長命令だ…無下にすることが出来るはずないだろう?そこで特例だが、急遽君の退職を受理したんだよ。…私物を片付けたら…常盤商事に来るように伝言も受けた」


「そ、そんな…」


呆然とする俺に支店長は言った。


「短い間だったけど…一緒に働けて良かったよ。元気でな、川口君」


「…はい。お世話に…なりました…」



この日…俺は常盤社長によって会社を辞めさせられてしまった―。


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