其二 野茨の更衣
霜月の頃、帝、歌合行はせ給ひしのちのあかつき、徒然なるままに前栽を見させ給へば、ひとりの女ありけり。扇だに持たざるにや、つまびらかに見ゆるその顔はいと白く、闇に浮かぶさまはなかなかに眩しき。その単を見るに、卑しき者にあるまじかれど貴なる女にも思はれず。かつて見させ給ひし女どもに、かのごときはあらざりければ、あやしがりさせ給ひて、帝、問はせ給ふ。
「見慣れぬ顔なり。いづくより来たるか」
女、礼を知らざるにや、さながら立ちて奏す。
「わはあづまより来たれ。父の長け旅に具さるる。みやべなる紅葉見てここに来たれ」
かれのいとうちゆがみたる声は、ひむかしに生まれしが故ならむ。のみならず、みづからの帝が御前にさぶらひたることだに、知らぬさまなり。帝、怒るも忘れ、薄ら笑ひつ女を見させ給ひたれば、女、目を閉じ、木々のごとく紅き口を開きて、月に光る白き歯を見せれば、とく龍笛のごとき声に変はり、周りなる風を震わせにけり。
――夜のとばり 有明の月 染み入りて 紅くくる 道に来にけり
さきの歪める声を思はば、同じき者とは夢にもえ思はれざる、のびやかなる声と歌、帝の御前にさぶらひければ、刹那のうちに帝が御心を揺らし奉りにけり。天竺葵の女御さへ、かの如くはあらじと、しばし眺めさせ給へるに、女、またあやしき声にかへりて奏す。
「父旅の歌詠みなれ。旅して都へ山へ海へ行きて歌詠む、わはそを聞く。幼き頃より歌聞けば、わも歌詠むなれ。さりて、そはたれそ」
「我は、この都をしる帝なり」
「帝か。あな、いみじ」
女、帝の御声を賜はればとく、白き顔をなほ白くし、急ぎ膝を折りて手をその地につけ頭を下げ、身を翻へしその場を立ち去らむとしけれど、単の背にひむかしより鋭き陽を受け、朝露は山の端より射られたる光を乱し、秋霧が女の姿を隠さむとしければ、いとはかなく、いみじく、口惜しきものに思しめさるるにや、帝、急ぎ庭に降りさせ給ひ、袴に落葉の付きたるも知られざるがごとく前栽の木々をくぐらせ給ひて、ひんかしの女の腕をとらせ給ふ。
「妾が無礼を許させ給へ、失せたかあらず」
「汝が命を絶やさむとはつゆにも思はず。されど」
――夜は開き あけぼのに映ゆ 道あかみ 長かる影よ いざ重ならむ
女、白き顔を赤らめにけり。
あくる月より、女、入内し、名を野茨の更衣と名乗りそむる。これ物語のはじめなり。
野茨の更衣は、設定上では和歌の天才なのです。田舎者とはいえ、(歌だけは)歌人の父の英才教育を受けているのです。また、天竺葵の女御は和歌の博識で、これまた和歌が上手い設定。一方、彼女たちの和歌を作る筆者は、和歌が好きとはいえ高校で古文を学んだだけの素人です。少しでも和歌を学んだことのある人が見ればきっと下手で拙いことでしょう。改善点などあれば、ご遠慮なくご教授いただきたいです。あと、東国の方言がよくわからない……とりあえずエ行の音が強調される感じにしましたが。
帝も、歌の技能については何も考えていませんでしたが、立場上素晴らしい歌を作らないと不味いですよね……こちらも、ご指摘お待ちしております。
和歌の意図:
夜のとばり 有明の月 染み入りて 紅くくる 道に来にけり (東の女=のちの野茨の更衣)
有明の月は場面に合わせて夜明け前の月です。その月が夜の闇を透かして照らすのに導かれて、紅葉の赤に染まる道に来た、という感じです。「とばり」「染み入り」「紅くくる」「来にけり=着にけり(掛詞)」が縁語のつもりです。
夜は開き あけぼのに映ゆ 道あかみ 長かる影よ いざ重ならむ (帝)
先ほどの和歌では夜をとばり(カーテンみたいなもの)で表現したので、夜明けをそのとばりが開くとして表現しました。また、「あかみ」は「明るいので」の意味ですが、前の和歌の「紅」に因んでいます。夜が明けて道が明るくなったので、長い影よ、さあ重なればよい。




