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船団航行

 開闢歴二五九五年五月一二日 暗黒大陸最南端アガラス沖合


「やれやれ」


 ステファンの一件を片付けたカイルはひと息吐いた。

 医務室の主、ヒラリー・サマービルは女性だが優秀な軍医であり、巨大なアルビオン海軍でも稀少な内科医だ。

 発疹チフス、皮膚病、壊血病、結核、赤痢、コレラなどの病気が蔓延する監獄船だった本艦を直ぐに立て直し、衛生面を大幅に改善した。

 お陰で、赤道直下、熱帯病が派生しやすい海域でも疫病は流行しなかった。

 今、暗黒大陸最南端アガラスを出港してニューアングリアへの最後の航海へ行けるのも彼女の力によるところが大きい。


「ほう、また新しい患者か、見させて貰おう」


「いやーっ」


 格子蓋を通じて下の甲板にある医務室からステファンの悲鳴いや断末摩が聞こえてきた。

 ヒラリーの欠点、というより彼女の専門と性格が些か特殊で周りが凄く怖がる。

 彼女の専門は内科の中でも性病、特に梅毒だということだ。

 陸より待遇の悪い船で軍医をやっている理由もあらゆる性病を見られるからだ。何しろ性病を観察するために貧民街に診療所を立ち上げたほどだ。だが、検査方法及び治療法が恐ろしいため直ぐに叩き出されるという困った物だ。

 検査方法は最新のやり方だ、生殖器を手で握って膿が出るか否か判定するだけだ。

 彼女が乗艦したとき健康診断で全員のズボンを脱がしたのは、生殖器を握るためだ。健常者なら問題無いが、梅毒患者は激痛が走る。しかし、そこで終わりでは無い。患者には治療が待っている。

 その治療方法は、細い金属棒に薬を塗り尿管に挿入して患部を直接擦って洗浄するという方法だ。

 効果は抜群だが、激痛が走る。屈強な水兵でも激痛に号泣し、断末摩の悲鳴を上げ、力の限り逃げだそうとするほどだ。

 しかし、狭い艦内で逃げ切ることは不可能。

 本国出帆前に船団の全員がヒラリーの健康診断と治療を受け、健康と恐怖を身体に宿した。

 故に全ての乗員と囚人はヒラリーの恐ろしさを知っており、医務室送りを死刑以上の刑罰とみなしている。

 少しでも反抗的な態度をとれば、医務室に送ろうかと囁くだけで誰もが従順になる。

 お陰で船団内の病気の流行と風気の乱れは最小限に抑えられている。艦内の風紀が極めて厳正なのも彼女の存在が大きい。

 だが例外もある。


「生まれた赤ちゃんの状況と妊婦の数についての報告書です」


「ありがとう」


 レナから報告書をカイルは受け取った。

 監獄船には女性囚人もいて、便宜を図って貰うべく看守に賄賂代わりに女の武器を使う。

 刑務所に予算が回らないのと、世間の偏見、罪人を厚遇する必要など無い、という考えのため、必要最低限のもの、食事、寝具、衣類さえ支給されない。

 手に入れるには監獄の外にいる家族か友人の差し入れか看守に賄賂を渡して手に入れるしか無い。女の場合は財産など殆ど無いので自分の身体で手に入れるしかない。

 そのため女性囚人には病気持ちが多いし、避妊の認識もないので妊婦もいる。

 監獄船の時までカイルが手を打てるはずも無く、既に船団内で十人くらい生まれている。 これは仕方が無かったが新たに妊娠が発覚しているのがカイルの深刻なる悩みだ。

 ヒラリーへの恐怖さえ超えるのだから人間の欲望は底なしのようだ。

 そして、このような事態に対しても対応しなければならないのが艦長としてのカイルの務めだった。


「赤ん坊達は?」


「大丈夫、毛布にくるんでいるし、大砲の弾を温めて保温器代わりに入れている」


 レナの報告を聞いてカイルは安心した。

 甲板には休憩中の囚人達が潮風に当たっている。


「皆元気そうで良かった」


 本国を出帆してから疫病は収まり囚人達は健康に過ごしている。


「艦長が囚人の健康に気を使っているからです」


 レナの言葉は追従ではなく本心であり、事実カイルは船団の衛生状態を良好に維持するべく努力していた。

 囚人を使い徹底的に掃除洗濯を行い、毎日ポンプを使ってビルジの汚水を汲み出させた。

 風邪待ちで一ヶ月入港したときには乗組員だけでなく囚人にも上陸を許可し、畑を作らせ新鮮な野菜を栽培し提供することで壊血病を抑えた。

 出航後も塩漬け、油漬け、酢漬けにして保存食を作り航海中も栄養状態に気を使っている。

 他の寄港地でも新鮮な水と食料を確保して与えている。

 一昨日に出航したばかりの寄港地アガラスでは船団全体で合計五〇〇頭の家畜を仕入れて飼育している。

 航海中の食料だけで無く、ニューアングリアでも貴重な食料となり、家畜として末永く役に立つだろう。

 このように船団の衛生状態、囚人の健康状態は良く、本国出帆時より健康になった囚人もいるほどだ。


「どうしてそうこまで囚人に気を使うの?」


 報告後にレナはカイルに尋ねた。


「流刑地に囚人を送るのが任務だけど、彼等は着いてから労働が待っている。少しでも働きやすいように健康でいて欲しい」


 流刑地の生活は過酷と聞いている。厳しい生活に耐え克服出来るように体力を付けて欲しい。

 何より、健康は大事だ。転生前、虐めで心身が傷ついていたとき、引き籠もってセルフネグレクトをしてしまい、健康を害し地獄の日々を送った航平の記憶がカイルにはある。

 だからこそカイルは囚人達の健康に気を使っていた。

 勿論反発する士官は居る。囚人という罪人におもねる必要は無いという考えからだ。

 だが囚人とは言え植民地の労働力であり、植民地の発展の為に必要だ。財政が逼迫している帝国は新たな収入源として植民地が発展して貰わなければならない。そんと雨には現地到着後に直ぐに働けるよう囚人には健康でいて貰う。そのために努力せよ。

 と、ウィリアムを通じてカイルが説得したことにより、他の船でも同じように囚人を遇している。


「けどどうして天然痘に罹患した牛を連れているの?」


「種痘の為に必要だからね」


「皆に罹患しない?」


「種痘を受けているから平気だろう」


 ヒラリー医師の進言もあってニューアングリアで天然痘の予防のために種痘用の牛を載せている。因みに船団全員に種痘をするように命じて実行させた。拒否した物もいたがカイルとウィリアムが率先して行うと全員文句を言わず時に種痘を受けた。


「エドワース海佐。またビルジ排出をサボっているな」


 カイルは、後続する船団の一隻の船を見て苦虫を噛み潰した。

 船底の汚水を汲み出し艦外に出すための排水口が船体に取り付けられている。一日に数回は排出するよう命じているのだが、エドワース海佐は命令に従っていない。


「全く、頑固というか、子供というか」


 船団内の艦はカイルの指示に従ってから疫病患者が大きく減っていていた。唯一命令に従っていないエドワース海佐が指揮するシャーロットだけは病人を出し続けていた。

 寄港地に着く度に改善を命じているが出航後は乗り移る事も出来ないため、命令は実行されずにいる。


「分離後は余計に酷くなったな」


 アガラス出航後、カイルは船団を二つに分けた。

 足の速い船をニューアングリアに先発させて目的地に船団の到着を知らせ本隊の受け容れ準備を整えるためだ。

 現地の洪水被害が酷いという報告があり、その調査も行う為だ。

 そのため船団内でも足の早いフレンドシップ、スカボロー、シャーロット、ボロウデールが本隊に先行している。

 そして、その先発船団の事実上の司令に任命されたのがカイルだった。

 表向きにはウィリアムが司令官となっているが、具体的な命令を下しているのはカイルだ。

 そのことは船団の誰もが知っており、当然エドワース海佐も知っている。だからこそ、気に食わないのだ。本国出港直前に臨時昇進で昇進したばかりの若造に命令されることがエドワース海佐には気に食わないのだ。


「船団行動は上手く行かないな」


 一応転生前に日本で船に乗っていたことはあるが商船士官だったため、独航船故に船団行動に慣れていない。

 海賊活動が活発なソマリア沖で船団に加わったことがあるが、一航海士としてであり船団の指揮官ではない。海賊の脅威下で互いに身を守るためという目的を共有していたが他国籍の船を、それも性能が違い、早く海峡を抜けたいと考えている商船士官達を纏める有志連合は苦労しただろう。

 同じ軍隊の中でさえこれだ。内乱の時何隻か指揮をしたが長期航海は初めてであり、纏め上げるのに苦労する。


「全く、船の中は大変なのに大丈夫なのか」


「艦長失礼します。オブライエンがまた暴れ出しました」


 愚痴を言っていると衛兵伍長、艦内の警備責任者が報告にやって来た。


「艦内が騒がしいのは私の艦も同じか」


 カイルの気遣いとヒラリーへの恐怖もあり、フレンドシップの囚人は大人しい。

 だがオブライエンは囚人という境遇自体が気に食わないらしい。ヒラリーの健康診断も恐れておらず本国出航以来、度々暴れていた。


「独房に入れろ」


「イエス・サー」


 ヒラリーの健康診断が聞かないのであれば独房に入れるしか無い。幾ら気遣いをしていても相手は囚人であり、懲罰を行わなければ秩序が乱れてしまう。


「何度もやるとは恐れ入る。まあやるとしたら今かな」


 カイルは一言呟くとステファンとウィルマを呼ぶようにレナに命じた。

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