再艤装
「しっかり点検しろよ。出帆したら誰の助けも借りられないぞ」
元監獄船、現囚人輸送船として再艤装作業の真っ只中にいるフレンドシップの甲板に艦長に就任したカイルの声が響く。
元戦列艦だが、監獄船として改装されたときにマストなどを外し航行能力を失っている。
再び海に出るには再艤装して航海に必要な物を取り付けなければならない。
マストの再装着、各部の点検、ロープの交換、物資の積み込み。やる事は山ほどある。
洋上で航行中に艤装が外れたり壊れたりして漂流しては助からない。
何よりウィリアムの居住区画。今回巡察使として乗り込む皇位継承第一位の人間をお乗せするための場所が必要不可欠だ。
一応海軍軍人として同じ船に乗ったこともあるウィリアムは艦の生活にも慣れており多少の不便にも我慢できるだろう。
だが今回は、皇帝の名代として行くため無下に扱うことは出来ない。そのため居住性に手を抜くことも出来ない。
宮廷のように完璧に作るのは無理だが、見てくれだけでも取り繕わなければ。
更に囚人と乗員合わせて七〇〇名近い人間を食わせるための食料と、資材を積み込まなければならない。
しかも出帆まで一月程度しか無いので、時間も限られている。
故に囚人も動員して作業を進める。
「あまり張り切りすぎないでね。いくら指揮艦を得たからと言ってやれることは限られるのよ」
二等海尉兼囚人の見張り役として乗艦したレナがカイルをたしなめる。
四八〇人の囚人を監視するために海兵隊を載せているので兵隊の指揮に優れた彼女に任せている。
因みにエドモントは一等海尉で副長を務めてくれている。物品管理も引き受けてくれており、今は船倉への積み込み作業を監督してくれている。
「陸から船を離すのは不便よ」
「仕方ないよ。離しておかないと脱獄される」
フレンドシップは監獄船時代は囚人を運び込みやすいよう刑務所と仮橋で繋がれていた。
だが、囚人輸送船として使用される事が決まった直後にカイルは、沖合へ移動させた。
囚人だけでなく、アルビオン国民の大半は泳げない。沖合にフレンドシップを移動させれば乗り降りにはボートしか使えない。故に艦と行き来するボートの監視さえ怠らなければ囚人の脱獄は不可能だ。
「けど、ボートの数が足りなくて物資の搬入が遅れ気味よ。クレーン船へ動員できる人数が多いのは助かるけど」
「ボートに関してはもうすぐ応援が来るよ。いざとなったら海に樽を浮かせてそれをボートで引っ張らせる。この船には労働力は多く居るんだ。樽を甲板に引っ張り上げるくらいは問題無い」
多少の遅れはあったが作業は順調に進んでいると言って良かった。
何より囚人輸送船とはいえ、指揮艦を持てたのはカイルにとって良かった。数日前までは、半給の予備役士官で、ポストを求めるべく海軍省へ日参していた身だ。
今は仮だが海佐に昇進して船を操ることが出来る。
老朽化して除籍されたとはいえ、元戦列艦であり除籍されてからの日数も浅く、戦闘はともかく一回の航海に耐えられないほど衰えてはいない。
アルビオンの裏側ニューアングリアへの航海を成功させる自信はあった。
例え現地で建築資材として解体される運命であったとしても、それまではカイルの指揮艦であり、自由に船を操れるのがカイルには嬉しい。
「それに積み込む物資は少ないから大丈夫だよ」
「少なくて良いの?」
「途中の寄港地で購入する予定だ。壊血病対策に生鮮食料品を各地で補給しながら行く。だから途中で補給するので大丈夫だ。勿論、重要な物資は本国で積み込むけど」
「大丈夫なんでしょうね」
「エドモントに任せているから大丈夫だろう」
「それもそうね」
商家出身のエドモントはこうした事務処理に強い。だからこそ積み込みや経理をすべえて任せてカイルは再艤装に専念できた。
マストなどの帆装は船の性能に直結するので航海部門が受け持つ。つまりカイルの得意分野だ。
その作業に専念、マストの傾きの微調整や、静索の張り具合を考えるのは非常に楽しい。
さながら釣り具を用意する釣り人に似た気分にカイルはなった。
「でも監獄船は病気の巣よ。半分以上が何らかの病気持ちで労役に出せるのは半分程度よ」
夢見心地のカイルにレナが現実を浴びせる。
監獄は人が密集している上に、管理が行き届いて居らず、病気が蔓延している。
刑罰よりも病死で死亡する人間の方が多く、短期間の収監でも死亡する可能性が高く恐れられていた。
「大丈夫、手は打っているから」
「早くしてね。死人が出かねないから。と言うかもうでているから。放置主義の刑務所から引き継がれて間もないとは言え、このまま続くと死人続出よ。この状況で巡察使を載せるなんて出来ない。そもそも乗船される方が不思議」
「まあ、そこは僕も思わないでも無いけれどね」
巡察使が乗り込むことで多少なりとも負担が増していることは否めない。
命令権者が一つの船にのってその船が事故を起こしたとき、全滅するのを避けるのは分かる。
だが、フレンドシップに乗るのはあまりお勧めできない。
船団は司令官座上の二〇門艦シリウスの他に護衛艦として八門艦サプライが同行する。
司令官が乗る旗艦シリウスには乗れないし、船団に緊急事態が起きれば直ぐに現場に急行する護衛艦のサプライに乗り込むことも危険だ。
囚人輸送船であるフレンドシップをはじめ、アレクサンダー、シャーロット、レディ・ベルリン、プリンス・オブ・ウェールズ、スカボローも囚人がいることでは危険度は同じだ。
ただプリンス・オブ・ウェールズは、ニューアングリアへ赴く海兵や役人の家族も乗船しており幾分か環境は良い。
ニューアングリアから帰還する役人を乗せて本国に戻る予定なのだからプリンス・オブ・ウェールズに乗った方が都合が良いのではないか。
他にもニューアングリアへ送る二年分の食料と衣類、農具を載せた補給船ゴールデン・グローブ 、フィッシュバーン、ボロウデールが居る。
フィッシュバーンは本国への帰国船団に含まれる予定なので好都合だ。
このうちのどれかに乗って貰うのがフレンドシップに乗るより良いのでは、とカイルは考えてしまう。
しかしウィリアムは断固としてカイルのフレンドシップに乗ると言って聞かなかった。
帰りにはプリンス・オブ・ウェールズに乗り込むことになるにも関わらずだ。
それだけカイルの腕を見込んでくれるのは嬉しいが、囚人からウィリアムを守りきることを考えると、どうしても危ないと思ってしまう。
「何が起きても大丈夫なように万全な準備を進めよう」
だがカイルが明るかった。
友人が自分の腕を信じてくれることに。
何より指揮艦を得られたことに喜びを感じており、全て上手く行っていると信じるほどに。
そして、過信の報いは直ぐにやって来た。
「そうね。あれ、おかしなボートがやって来るわね」
作業に戻ろうとしたときフレンドシップに接近してくるボートをレナは見つけた。
積み荷を載せている様子も無く、人員を運んでいる。見張りに囲まれた囚人を。
「まさかアレが疫病対策?」
「いや、囚人を呼び寄せた覚えはない」
タダでさえ厄介な囚人を更に呼び込むような事をカイルはしていない。
「新たな囚人が乗るとか聞いている?」
「いや、聞いていない」
レナの返答でカイルは直ぐに嫌な予想が浮かんだ。先触れも無く、艦長であるカイルにも知らされてない囚人をこの段階で送ってくる意味を。
非常に重要な囚人であり、移送さえ周囲に秘密にする必要があり、洋上に浮かんで隔離された状態にしてから運び込みたい。
そんなことをしなければ成らないほど厄介な囚人が送り込まれてくるのでは無いかと。
その予想は的中した。
ボートはフレンドシップに接舷し、滑車装置を使い釣り上げ作業による囚人の移送が行われた。
「へん、俺を殺す勇気も無い臆病者共め」
甲板に降り立ったひげ面の囚人、オブライエンはふてぶてしい笑みを浮かべて嘲笑した。