半給
開闢歴二五九五年二月二日 アルビオン帝国帝都キャメロット
「畜生! 何だって俺がこんな目にあうんだ!」
下町の薄汚れた酒場に男いやセーラー服を着た水兵の嘆き声が響いた。
エウロパ大陸の北西の洋上に浮かぶ島国アルビオン帝国。
寒くて豊かではない島国故に海へ進出し世界各地と交易し、植民地を作り海洋国家となった国だ。
勢力拡大の源泉となったのは商船団とそれを守る優秀な海軍を保有しているからだ。
その一員であった元水兵が垢で汚れたセーラ服を着て帝都キャメロットの片隅で嘆いていた。
「俺は強制徴募で無理矢理艦に載せられて戦わされたんだぞ。それでも散々帝国の為に戦ったのにいきなり解雇なんてどういう事だよ! 何処へ行けって言うんだよ! 何年も海に出ていたから丘での仕事を忘れちまったよ」
元水兵は手にしていたグラスの酒を再びあおった。
グラスの中身をカラにすると元水兵は苛立ち混じりにグラスをテーブルへ叩き付ける。激しい衝撃でテーブルが揺れてツマミのチーズが一枚床に落ちた。
「政府は勝手ですね」
元水兵の横に座っていた男が声を掛けつつ空になったグラスへボトルを傾けて琥珀色の酒をつぎ足す。
「まあ、もう一杯飲みなさい」
「うう……済まねえな……こんな水兵に情けを掛けてくれるなんて本当にいい人だよ。一緒に飲んで慰めてくれるなんて」
「政府のやり方には私も憤りを感じているのですよ。ガリアとの戦争も勝てた。新大陸の内乱も鎮めた海軍は国の英雄だ。なのに戦争が終われば政府は用無しとばかりに水兵を解雇するんですから」
「全くだ。幾ら航海中に給与の使い道がなくって貯めていても陸に上がれば数日ですっからかんだ。水兵の仕事をしようにも人員は足りているんで募集はしていない。仕事にありつこうと帝都に来ても仕事はない。金が無くなってうろついたら浮浪罪で刑務所行きだ」
「ならここに暫く滞在すれば良い。仕事も斡旋しますよ」
「うう、済まねえな」
泣きながら水兵はグラスの酒を飲み干した。空に為ったことに気が付いてボトルを覗き込むがそちらもカラだ。水兵の心に絶望感が広がる。
「女将さん。いつもの奴をくれ」
「あいよ」
一度奥へ行った恰幅の良い女将が先ほどより濃い色の酒が入ったグラスを持ってきた。
「さっきのは安酒。こっちが高い奴です。これを一気に飲んで今日は潰れましょう」
「ええ……」
男の言葉に水兵は驚いた。先ほどの酒も悪くはない。
艦ではラム酒を水で薄めたグロッグを配給される。退屈な船の上では何よりの娯楽なので美味い。
それより美味いのは敵艦を拿捕したり海戦に勝利するとラム酒の特配で薄まっていないので更に美味い。
さっきまでボトルに入っていた酒は、船で飲んだ酒より更に美味かった。
それより美味い酒と聞いて元水兵の喉が鳴った。
元水兵は出されたグラスを手に取り口に近づける。
「止しておけ」
だが口に触れる寸前で伸びてきた手がグラスを覆った。
「何しやがるんだ……」
酒を飲むのを邪魔されて元水兵は怒って振り向いたが直ぐにオオリツチア。
濃紺の外套からネイビーブルーのジャケットに白いズボン、鐔の両端を折り曲げた二角帽。
何より伸びてきた腕を包む袖に着いている金の袖章。
海軍士官だった。
元水兵は慌てて立ち上がり、肘を閉めて手の甲を相手に向ける敬礼を行う。
そして相手を確認すると更に驚いた。
端整な顔立ちと金色の髪から横に突き出た笹のような耳、エルフだった。
エルフは人間との古の戦争で滅んだ筈だった。その戦争は激戦で今でも語り次がれておりエルフは災厄の象徴とされていた。
それが目の前に現れて元水兵は恐れた。
「済まない。怒らせるつもりはなかったんだが、その酒は飲まない方が良い」
自分の手に残ったグラスをテーブルに置いてエルフ士官、カイル・クロフォード海尉は元水兵に答礼した。
「あの士官様。いくら元水兵でも既に解雇された身。酒を飲むことを咎める筋合いはないのでは」
横に居た男が眉をひそめて文句を言う。
元水兵も、自分が解雇されたことを再認識し、カイルに抗議の視線を送る。
「ほう」
カイルは元水兵の視線はともかく、隣にいた男を一瞥した後、足で床に落ちたチーズを食べに来た鼠を逃げられないように抑える。何年も艦に乗っているので鼠を捕まえるのは得意だ。
カイルは捕まえた鼠を手で掴み無理矢理口を開かせグラスの酒を無理矢理飲ませる。
暫くして鼠は酔い始めたが、やがて身体を痙攣させ、脱力する。
「やはり毒入りか。女将と共謀して酒に毒を入れたな。身体の自由が利かなくなったところで最後に残った金品を巻き上げてここで飼い犬にするつもりだったのか」
カイルの言葉に男は表情を歪めた。
「あんましケチを付けるとこっちも出るとこ出ますよ」
カイルに凄んでみせた男は剣呑な表情をしたまま固まった。
「ありがとうマイルズ」
カイルは男の背後に立ち、首筋にナイフを突きつけた下士官に感謝の言葉を贈った。
「いいえ、艦長が注意を引きつけてくれたお陰で背後に回れました」
男は助けを求めて女将の方を向いた。
「見逃してくれよ、タップリとサービスするからさ」
「おおいいね、十年も前だったら受け容れてやっても良かったんだが、ダメだな」
だが女将は小太りの水兵に抑えられて逃げられずにいた。
「と言うわけで、この水兵は俺たちが引き取るよ」
男と女将は力なく頷いて同意した。
「ほら、立てるか?」
「あ、ありがとうごぜえます」
元水兵は泣きながら頭を下げてカイルに感謝した。
「しかし、大丈夫でしょうか。既に毒を飲まされているんじゃ」
身体を痙攣させる鼠を見て酔いが醒めた元水兵は怯えながら尋ねた。
「最初はボトルの酒を二人で飲んでいたんだろう。なら大丈夫だ。一緒に飲んで酔って気が良くなって判断力が無くなったときに毒入りを持ってきて飲ませるのが奴らの手口だ。自分も一緒に毒を飲むわけがない」
カイルの言葉に元水兵はようやく安堵した。
「マイルズ、彼を頼むよ」
「了解しました艦長」
「もう艦長じゃないよ。でも、ありがとう。済まないなCCCのチャンピオンにこんな事をさせるなんて」
「水兵の面倒を見るのが下士官の役目でさあ。お気になさらずに。しかしよく知っていましたね酒場の連中が毒の酒を入れるなんて。古参の海尉でも知らないことなのに」
「まあ少し勉強したからね」
カイルはマイルズの質問を誤魔化した。
勉強したのは本当だ。だが、最初の知識を手に入れたのはこの世界ではない生まれ変わる前の世界での話だ。
カイルはこの世界に来た転生者だ。生まれ変わる前は日本の船会社の航海士をしていた。
海が好きで暇さえ有れば船関係の本を読んでいた。特に帆船が世界を股に掛けて活躍する大航海時代は大好きで、海洋高校の実習時には帆船への乗船を希望したほどだ。
その読んだ本の中に船から下りたばかりの元水兵を酩酊させ、警戒心が緩んだところに毒入りの酒を飲ませて金品を巻き上げる話が載っていたのを思い出したのだ。
「兎に角、彼を頼む」
「わかりました。しかし、こちらもどうにかして下さいよ。そろそろキツいですよ」
「分かっているよ。これで何とかしてくれ」
カイルは財布から数枚の金貨をマイルズに渡してその場を後にした。
「自分があの元水兵と同じ立場だというのは分かっているよ」
ガリアとの戦争、ニューアルビオンの内乱。度重なる戦乱によってアルビオン帝国は戦費が嵩んでいった。
ようやく内乱が終結したとき、財政には戦費を生み出した国債の償還という重荷が残った。
赤字となった財政を健全化するために緊縮財政が敷かれ、金食い虫の海軍は真っ先に予算が削減され、軍備は縮小された。
カイルも内乱終結と共に帰国命令が出され、去年の年末本土に戻ってきて直ぐに解役が言い渡され、艦は予備役に。乗員も予備役に編入されてしまった。
当然カイルも海尉艦長から元の海尉に逆戻り。
しかも予備役なので半給――給料を半分に減らされることとなった。
「結局ポストは無しか」
何とか現役に復帰出来るよう海軍省に日参する日々だが、カイルと同じような立場の士官は大勢居るため、カイルにポストが回ってくる余地はなかった。
「あー、辛い」
艦長時代に捕獲賞金などで貯めた金があり、ある程度の生活水準は保てる。
だが、いずれ艦長、或いは海尉として復帰する時の初期資金のために貯金は減らしたくなかった。
国から経費は支給されるが法律で認め有られた分だけしか支給されない。しかも何十年も前に制定されたため、昨今の物価高を反映して居らず必要な金額に及ばない。足りない分は各艦の艦長や士官が自腹で補填する。
だから貯金は減らしたくないので、生活費を削っている。
その姿は、ソシャゲーに生活費をつぎ込む廃課金プレーヤーさながらだった。
先ほど気前よく金貨を渡したのはいずれ艦長に復帰した時に、自分の艦に来て貰う為の先行投資だ。
そう言い聞かせてカイルは軽くなった財布を抱えて重い足取りで自分の下宿に戻っていった。
「お帰りカイル」
「お疲れ様、空振りでも落ち込むなよ」
カイルを迎えたのは仲間であるレナ・タウンゼントとエドモント・ホーキングだ。
二人とも同じ戦列艦に乗っていたときの仲間であり、その後も一緒に任務に就いた仲だ。予備役編入まで一緒でなくても良いと思う事もあるが、海軍の決定では仕方ない。
なので今も生活費を節約するために三人仲良くルームシェアしている。
「ちょっと、最初からポストがなかったって決めつけるのは酷くない」
レナが女性らしい甲高い声で赤髪を揺らしながらエドモントを叱った。
陸軍の将軍の娘と言うだけあって剣術と中々に優れている。何故海兵隊に行かなかったのか今でもカイルには不思議だ。
「指揮艦が貰えたらカイルは階段を駆け足で登ってくるよ」
慣れた態度で返したエドモントは新興事業家の息子だ。紡績事業で裕福になった実家の支援もあって海軍に入れた。
船のことに少し疎いが、商人出身の為、計算能力が高く、物品管理や交渉ごとが得意で頼りになる。
「仕方ないわね」
どうやら二人はカイルがポストを得られるか否かで賭をしていたようで、レナがエドモントに金を渡していた。
賭をしていたことも腹立たしいが、二人はカイルが指揮艦を貰えたら犬のようにはしゃぐと思っている。そのことがカイルには少し釈然としない。だがポストを得られずにとぼとぼ帰ってきたのは本当なので、言い返せなかった。
「お帰りなさいカイル!」
溜息を吐いた不意を突かれてカイルは後ろから抱きしめられた。
「や、止めてよ姉さん」
抱きついてきたのはカイルの四歳上の姉であるクレア・クロフォードだ。
「良いじゃないの。このままベッドに行っちゃいましょう」
スタイルが良く非常に気立てが良いのだが、カイルの事を熱烈に愛しすぎており、実力行使に及んでしまう。
「止めなさいド変態」
寝室にカイルを連れ込もうとしたクレアをレナが止めた。
「いくら何でもやり過ぎよ。部屋を追い出されたいの」
「ほほう。私とやり合うの」
レナの言葉にクレアはメイジスタッフを構えた。クレアは非常に優秀な魔術師であり、船を一隻全焼させるほどの能力がある。
だが、船を燃やすと捕獲出来ず、賞金が出ないため普段は封印されたままだ。
しかし、そんな恐ろしいクレア相手にもレナは怯まない。
「ふん、叩き出してやるわ」
「へー、私が部屋を出て行っても良いの? ……家賃払えるかしら?」
クレアの一言で、レナの闘気にヒビが入り一気に砕けた。
この部屋で今一番の稼ぎ頭は魔法学院で臨時講師をしているクレアだ。
優秀な魔術師であるクレアに学院は大金を支払っている。変態的で船では役に立たないクレアだが、本来は非常にハイスペックだ。
講義も優秀で事務も滞りなく進めており、学院は常勤講師、いずれは導師として迎え入れたいと望んでいるという。
飛び級で学院に入学し、飛び級で卒業した才女だけの事はある。
急速にクレアが卒業して家に戻ってくることが確実となったために、クレアから逃れるべく海軍への入隊をカイルが早めたほどだ。
なのに姉ともルームシェアしているのは、五人で共同生活することで、他人の目を使って少し距離を置き、クレアに弟離れを促すためだ。
「……あれ、これヒモじゃない?」
だが現実は姉の経済力に頼っている状況だ。
二一世紀の日本でも、この世界でも人生は思うように進まないらしい。
「もお、お姉様、カイルが困っていますよ」
重く暗い雰囲気を明るくしてくれたのは五人目の居住者であるオバリエアだ。南の海の島の巫女だったのだが、しまを訪れたカイルを神と思い込み、付いてきてしまった。
島に返そうと思ったが頑なに拒んでいるため、返せずにいる。
戻るように話しても、一緒でなければ嫌だという。エルフの姿は、彼女の島では伝承の神と似ているためカイルは新興の対象となり得る。
だが、崇められたために島から出ることが出来ない。出ようとしたら信仰故に殺されるのでカイルが再び訪れるわけにも行かない。
そのため手元に置いているのだが、明るく笑う子なので周囲が明るくなりムードメーカーになってくれている。
最近ようやく神様呼ばわりしなくなってくれたお陰でカイルはオバリエアがいても心安らかに過ごせる。
この時もオバリエアの笑顔でレナとクレアの激突は回避された。
「しかし、この状況は何とかしないと」
落ち着いてから現実に戻ったカイルは現状を改めて認識した。
速くポストを見つけないと不味いのは分かっている。しかし、軍縮が行われている状況でポストを得るのは難しい。何処にポストがある。
考えていると部屋の玄関扉をノックする音が聞こえた。
「はい、どちら様ですか?」
「カーク・シーンです。クロフォード海尉」
「カークか。今開ける」
カイルが開けるとそこには、銀色の飾緒を付けた海軍士官が立っていた。
「御休息の所失礼いたしますカイル・クロフォード海尉。ウィリアム殿下が至急お会いしたいとのことです。ご同行を願います」