07・ルディスの二番目の兄
いつしか王としての仕事をせず、後宮に籠ってしまった私の兄。
その兄に代わり、国内外の王の採決が必要な問題は宰相と私が主に処理していたが、あまりにも忙し過ぎて宰相は倒れてしまった。
そのせいで、宰相の娘である嫁から激しく怒られてしまった私。
女騎士として活躍している筋肉質な嫁からの頬への一発は激しく痛かった。
か細い私は、ちょっと身体が飛んだ。
安静が必要な宰相に代わり何とか仕事を繋いできたが、次第に私も休みなしの生活に我慢の限界が来てしまう。
兄に王位を降りて貰い、王の務めを果たしてくれる者を。
そう強く願い行動を起こした事は後悔していない。
が、兄の一人息子が新王になってすぐ、まさか親と同じ事を仕出かすとはな…。
かなり若いが、周りから指導を受けつつ立派な王に育ってくれると思っていたのに。
まさか、「傾国の母娘」の娘に一目惚れし、彼女から離れたくないと、王都に戻らないままで。
女が原因で政務を疎かにするとは、父親と同じ道を進みやがって。
「幾度想いを伝えても受け入れて貰えない」って、あんな暴走するか?
娘を襲い殺して自分も死のうとして失敗して、飲んだ毒で視力や筋力が弱くなってしまった。
精神が不安定になった甥は、愛しい娘が傍らにいる時だけ落ち着きをみせる。
哀れな姿の甥にようやく娘は目を向けたらしく、甲斐甲斐しく甥の面倒を見ているようだが…。
あの母娘に依存しながら過ごしている私の兄と甥。
同じ屋敷に住み、彼女達と家族のように暮らしている彼等の様は、腹立つ光景でもある。
また王の不在かよ、とこれからの事を考えた私が次にした事は、弟ルディスの所へ向かう事だった。
甥の失態を表沙汰のせず、周りが納得いく理由をつけて新しい王を立てるしかない。
愛する女が一人娘であった為、妻の実家である侯爵家に婿入りした私。
統治者として人前に立つよりも、裏方で働く事が好きな私は王という重責に耐えられない自信がある。
我が子達は頭よりも肉体を鍛えてばかりで、後先考えずに殴り合いで解決する為、王とするには不安しかない。
一方、私よりも多くの権力者と縁を持つ弟夫婦。
私よりも弟の方が影響力を持っている。
「ルディスが王になってくれ。私達では無理だ。ルディスの力で国と民を守り導いてくれないか?」
屋敷を訪ねた私のその言葉に困惑の笑みを浮かべた弟。
「二代続けての王の失態は私も責任を感じるよ。私からも頼みがあるんだ、兄上」
「何だい?」
「兄上には宰相筆頭補佐を辞めて、王族財産管理人となって直接王族を支えて欲しい。隠居した三人の元王の世話も頼めないかな。私よりも、母親が同じ兄上の話なら長兄は耳を貸すと思うから」
「身内を支える職なら喜んでしよう」
「宰相が過労で倒れたと聞いたよ。引退したがっているとも。オフィーヌの実父と養父を後任にどう? 彼等が優秀で使い道が多いのは兄上も知っているでしょう。頃合いを見て私が王を継ぐ時、彼等に側近としていて欲しいな」
「だが、あの侯爵と伯爵がその職に就いてくれるか?」
「オフィーヌが王妃になるなら動くよ、彼等は。それならこちらから先に、オフィーヌの棘となる者を排除しやすい地位を彼等に薦めようと思って」
「ルディス達を裏切らない側近か。わかった。彼等の事は宰相にも話しておこう」
宰相である義理の父も彼等には目をつけていたから、喜んで指導してくれるだろう。
「あと、後宮は私には不要だから完全に閉鎖して欲しい」
「後宮か…」
常に賑やかだった兄の代の後宮。
その後宮の整理を行ったのは兄が退位する前。
正式な手続きで後宮入りした貴族の女には見合いで相手を見つけて貰い、下賜という形で嫁がせ。
入れ換えが激しい一時的な愛人だった庶民の女には、一年間は遊んで暮らせる生活費を渡して追い出した。
最後に残ったのは、幼児の頃から生母がいない第二王女と第三王女。
第二王女の生母は後宮の女争いに巻き込まれて命を落とした城の洗濯娘。
第三王女の生母は上級社会の規律に馴染めず逃げ出した旅役者。
離婚手続きが済み次第、実の娘である第一王女の嫁ぎ先へ向かう王妃と共に彼女達も出て行く事が決まっていた。
第二と第三王女が、「母親の身分のせいで私達は王女と呼ばれていても、周囲から見下されてきた。貴族達と馴染めない私達は王家と縁を切り、楽に生きたい」と、宰相に告げたらしい。
これまで彼女達の母親代わりだった王妃も「この子達の将来を私が責任を持って見守る」と、養育を続けていく事を告げたのだ。
時折、向こうの地から義姉の手紙が届く。
そこには元王女達の近況も書かれていて、庶民の学校に通い、友達と遊ぶ日々を過ごしているという。
甥には恋人や妃もいなかったので、彼の代の後宮は無人だ。
元々、兄が復活させた後宮。
余計な出費ばかりで、私も完全閉鎖には賛成だが。
「もし、政治的材料として後宮に入れなければならない女ができたらどうする?」
私の問いが愚問だと弟は笑む。
「誰も後宮に入れないと思う。オフィーヌを守る国内外の人達も、そうならないよう働いてくれるよ。オフィーヌは隣国の次期王妃と姉妹の契りを交わしている。次期王妃の国は知っているよね。その国の王族ともオフィーヌは連絡を取り合っているよ」
「すごいな。あの国はかなり遠方で、我が国とそんなに交流はなかったのに。ルディスより外交能力持っていないか? 夫より力持つ妻か。私の所は夫より力強い妻だがな」
「それも面白いね。女王様なオフィーヌ…。私が拘束されるのもいいかも。あの鎖、まだ錆びてないよな」
…何を言っているのだろう、この弟は。
うっとり何を想像しているんだか。
「ルディス? こっちで色々と手配しておくから、呼んだら必ず王都に来てくれ。即位は今すぐじゃないが、お前も準備はしておけよ」
「ああ。もう準備していたりして」
弟が最後にポツリと呟いた言葉。
冗談めいた口調だが、その奥には考えてはいけない怖い事実が隠れているような気がしてならない。
全身に冷気が覆ったような感覚から逃れようと私は帰る支度をする。
「そうだ、兄上。来週辺り、母上達が我が家に遊びに来るけど、その時に即位の話をしても大丈夫?」
「あ、ああ。後で連絡するつもりだったが、お前からも直接許可を貰ってくれ。反対されないと思うが、一応な」
「わかった。来て貰ったついでに母上には、オフィーヌの王妃教育頼もうかな。丁度良い時期に来てくれて助かるなぁ。本当に」
「お前が招待したのだろう?」
「違うよ。母上の意思だ。孫から初めての手紙が届いて、会いたくなったって」
「そうか」
でも、手紙を届けたのはお前なんだよな。
お前はどこまで先を読んでいたのだ?
私が王位を避けるもう一つの理由を知っているのか?
~・・・~
あれから。
弟は王となり、私は王族財産管理人として多様な作業をこなす日々を過ごしている。
王家の宝倉庫にある宝石類や芸術品の管理は勿論、王族達の経費管理も行ったり、と。
来月には、兄達の様子見を兼ねて生活費を直接渡しに行く予定だ。
今回は、王妃が選んだ作家の芸術作品も持って行く。
王妃が芸術品に関心を持つのは、母親の影響だろう。
私は王妃の母親を個人的に昔から知っていた。
画家、彫刻家、陶芸家、彫金師などの芸術家の卵を自分の別荘に集めては養い育ていたアルシア様を。
~・~
私には、男と逃げた母の事で荒れていた時期がある。
逃げた男が私と少し似ている事を知った時だ。
その時、性質が悪い仲間に入ろうとした私を引き留めてくれた者がいる。
彼は私よりも年上だが、心許せる大切な友となった。
ある年、貧困生活を送りながら画家を目指していた彼にアルシア様が声を掛けたのだ。
「着いたら必ず手紙を送るからな」と、友は喜びながら別荘がある地方へ旅立っのだが、半年経ってもそれは届かない。
生死確認した方がいいのか、と思い始めた矢先に届いたのは手紙ではなく招待状。
年に一度、別荘に滞在している者達の作品発表会が行われるらしい。
興味があった私は友の安否確認を兼ねて行く事にした。
王都の郊外に建てられた格式ある宿泊施設の会場は、招待状がなければ入場出来ないという厳戒態勢。
身なりが良い客ばかりだから警備も大変なのだな。
そう納得しながら私は会場を見渡した。
一際目立っていたのは黒いドレス姿のアルシア様。
芸術家達を紹介する彼女の華やかな美貌と艶めいた流し目。
私だけではなく、皆を惹きつけている。
「やあ、来てくれたんだ。こっちへおいでよ」
伸ばし放題の髪を束ねた友が、広間の隅にある椅子まで導く。
「君の作品を見たよ。特に湖畔の風の音まで感じられたあの絵、欲しいな」
「ありがとう。別荘付近の景色に筆が動く動く。集中して描ける事が楽しくってさ~」
「食事や生活費とかの心配がないって言っていたね」
「ああ。だが、俺達も五日間に最低数時間かは働かなければならないんだ。この館の庭仕事や買い出しや掃除やら自分で仕事を探してよ。近くの町で働く人もいる。アルシア様が、部屋に籠らず少しでも運動するように、って決められた事でさ」
「前までは顔色悪かった君が、こんなに生気に満ち溢れる表情をするとは、今の環境が合っているんだな」
実際、ひょろりとした細身で青白い顔にどんよりとした目が怖かった友人が恰好良い男になっていたのだから、かなり驚いた。
「アルシア様のおかげだよ。あの別荘、彼女が恩人の遺産で建てられたんだ。その恩人が美術品が好きだったから、その人が好きそうな作品を生み出せる作家の手助けがしたい、ってさ。だから、俺達の待遇は良いんだ。とても感謝している」
その芸術家サロンが閉じられたのは、アルシア様が亡くなる一年前。
あれから画家として成功した友が放浪の旅に出掛け、再会したのは弟が即位した年だった。
「アルシア様のお嬢様が王妃様になったと聞いてな。俺達の祝いの品を持って来たんだ。王族財産管理人を通してくれと役所に言われて来てみれば、我が友人が座っているじゃないか~」
昔よりも豪快な男になっていた友。
あの逞しい筋肉はどこで身につけたのだ。
「久し振り。俺達って、別荘の芸術家達の事かい?」
「ああ。アルシア様に助けられた先輩達含めた俺達、世間に認知されるようになった今でも交流を続けているんだ。で、俺達のところにオフィーヌ様から挨拶の手紙が届いてさ」
「君は彼女と知り合いだったのか?」
「赤子の時からアルシア様が別荘に連れて来ていたぞ。美術館や他人が集めている芸術品を眺めにもその頃から連れ回していたし。でな、手紙に『夫から許可を得たので、あの別荘にまた人を住まわせたい。そこの住み込み管理人を募集している』って書いてあったから、俺が立候補した。管理人同士、これからよろしくなっ」
~・~
そして、友が王妃の別荘を管理するようになって一年が経つ。
別荘が王妃個人の物とは表沙汰にされておらず、周囲の町村には芸術学園として通しているらしい。
今回王妃は、兄の誕生日祝いにそこで制作された物を選ばれた。
今日、その品が別荘からそろそろ運ばれて来る頃だ。
…おっ、来たな。
別荘から作品を運んで来たのは、別荘の管理人となった私の友。
「暑い中、お疲れさん」
「よう。届けに来たぜ。ここに置くぞ」
「ありがとう。冷たい物でも飲んで」
置かれた飲み物を口にしながら友は別荘での近況を語る。
「最近、婚約者に裏切られて冤罪を掛けられた貴族少年がやって来てさ~。この前はそんな感じで、自殺未遂した豪商の娘。何かさ、別荘にはそんな奴等ばかり集まっている気がする。オフィーヌ様が奴等を芸術的才能で見込んだのか、境遇で選んだのかわからないが。まあ、皆、基本良い奴等なんだけどさ~」
冤罪。
王妃は経験者だ。
ルディスが原因の…。
あの出来事について、彼女は弟を完全に許していなかったのか?
彼女の根っこに残ってしまった事は確かだろう。
友が言うには、冤罪が晴れるよう王妃が力を貸しているらしいし。
「良い奴等なんだけど、何かよ~オフィーヌ様への対応がなぁ。端から見たら、オフィーヌ様を囲むハーレム状態でさ~。あそこは王妃の後宮みたいだぞ。あはははっ」
「それ、他で言うなよ。王に知られたらどんな事になるか」
「それがさ、時折王もオフィーヌ様とやって来るんだわ。『ここはまるで王妃の後宮だね』って先に言ったのが王だぞ。冗談言って気さくな王だよな」
そうやって親しげな雰囲気を出しつつ、裏ではがっちり警戒して監視するのがルディスなんだよ…。
彼等を容認しているのは、彼等に何らかの利益を見込んでいるからだ。
冤罪が晴れて、回復される身分などにも魅力があるのだろう。
でなければ、すでに彼等はルディスによって追い出されているはず。
「王は後宮を持たず、王妃が後宮を持つって、どうなんだか…」
しかし、王妃もやるな。
自分と似たような冤罪で苦しめられた人をわざわざ探して、手元に置くなんて。
ルディスへの嫌味だよな。