転生教
ブラック企業だとわかっていても、そこにしか入れない人間もいる。
僕は大手の居酒屋チェーンに勤めていた。
見えている地雷だとか、わざわざ進んで居酒屋に就職する意味がわからない、と周囲には止められた。
しかし、みんなわかっていない。
常にタウンワークに求人が出ているような、慢性的な人手不足にあえいでいる企業にしか引っかからない人間というのは存在するのだ――いうまでもなく、僕のことである。
大学4年の秋。
就活戦線から大学の仲間たちがつぎつぎと卒業(撤退?)していったにもかかわらず、僕はいつまで経っても内定を獲得できないでいた。
卒論のことでゼミの仲間たちがわいわい盛り上がっている中、リクルートスーツで面接に向かう。
いつ終わるとも知れぬ徒労に、だんだん惨めな気持ちになっていった。
自己分析もしたし、まじめに説明会にもいった。大学のキャリアセンターで面接練習もした。
自信がなかったので、できるかぎりの準備はしたかったのだ。
だから、まあ、どこかの企業が拾い上げてくれるだろう、という希望はあった。
現実は、甘くなかった。
とりあえず就職して、すぐに転職をしよう。
そう自分に言い聞かせて、件の居酒屋チェーンに就職したのだ。
大丈夫。ほんの少し腰掛けだと。
すぐにまた僕は現実の厳しさをたたき込まれることになる。
声出しと根性論の育成を主なカリキュラムとした研修は早々に終わり、僕は都内の店舗に店長候補として送り込まれた。
労働時間は16時のオープンから翌朝5時まで。
あまりに忙しく食事休憩すらまともにとれなかった。
閉店作業を終えてやっと帰宅しても、お昼の12時からエリアの店舗社員を集めたミーティングが待ち受ける。
手ぶらで参加するわけにもいかず、資料の準備をしていたら、仮眠を取る時間すらない。
そんな日々がつづき、たまの休みも寝だめをするのみで、転職のことなど頭になかった。
そんなときに見た、あのニュース。異世界転生の帰還者を名乗る男。
彼につづき転生していった若者たち。帰還者は増えて、どうやら異世界転生は世迷い言ではないことがあきらかになっていった。
そして、異世界転生をする人間は、どうやら低賃金重労働を強いられた僕のような若者が多いようだった。
搾取される若者たちによる逃避。
ごく少数の若者のトレンドはあっという間に日本全土を巻き込むムーブメントへと成長した。
転生教という新興宗教が生まれ、25歳の帰還者は、若者たちの積極的転生――ようは自殺を煽った。
これは大人たちへの新たな抵抗運動であり、反逆なのだ。立てよ、若者。
3周くらい遅れた尾崎豊の歌詞のような教義に若者は熱狂、転生数は急激に増加していった。
そして、僕も、そんな信仰者のひとりである。