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僕の大事な人  作者: ミラクルマーム
8/9

第八話

一人夕餉を食べ、

それから、風呂に入り

着替えても

時計はのろのろと進み、まだ八時を過ぎたばかりだった。


加瀬宅の書斎には、立派な書棚がありずらりと文学全集が並んでいる。

勉学に勤しむ事に余念がなかった祐一にとって、

文学などというものにはコレまで全く縁がなく

どれも題名は知ってはいても、まだ読んだことさえなかった。


物珍しそうに眺めていると

好きなのを、自由に読んでいいと加瀬に言われ

初めて手にしたのが、ヘッセの詩集だった。


それは祐一にとって、退廃的で初めて知る世界だった。


こんな風に自分の気持ちを言葉にする世界があると知る事が

果たしていいことなのか

悪いことなのか…

人を好きになるということ

それがどういうことか…

よく分からないまま、次々と制覇していく。



ひ弱な身体を恥じて… 走ってみたり

腕立て伏せを毎日続けているのは、お国のために…と思っているからだ。


だが、心の何処かで何かを求めているような気がした。



―――――――――――


静かに障子戸を開くと

祐一は、柱に持たれるように寄りかかって

本を手にして、眠っているらしかった。


微かに寝息を漏らす姿は、まだ少年ぽさを示す手足を持て余すような姿勢で、

暫し起きはしまいかと、祐一の顔を覗き込んだ。


久しぶりに会う祐一は、記憶の中の幼さは薄れ、

すっかり背が伸び、

まだ色のつかない素直そうな綺麗な眼をしている事に驚いたものだった。


だがその双眸が閉じられていると

長いまつげが、色白の頬に影を作り

見惚れるほどに美しい…。



思いもよらず祐一を預かることになって

気にかかりながらも

忙殺される日常に加わる責任に戸惑ったのもつかの間

あに図らんや、

祐一は、加瀬の日常にすんなりと馴染んでいるようだった。


口数の少ない祐一は、加瀬と食事を取る時も

自分から何かを話すことはなく

しびれを切らして、加瀬から話しかけると

言葉短めに、返事をする。

と言っても、質問に答えるだけで会話を続けようという意識はない模様だった。


まぁ…それも致し方あるまい


加瀬は、そう独りごちる。


一回りも違おうかという子供相手に、何を話そうと言うのか…



いつまでも祐一のいる生活に馴染まず、

それでもこうして、祐一が待っている生活を楽しく思っている自分に戸惑っている。



尊敬していた上堂が、外地へ赴く前に渡してきたのは

祐一あてた書簡と、もう一つ加瀬宛の書簡とがあった。


そこには外地への赴任が自分から進んで申し出たこと。

そして二度と戻ることのないものになるという明確な覚悟が認めてあり

上堂の意志を知ればこそ、

改めて自分に祐一を託す上堂の意図に思いを馳せた。



華々しく真珠湾で海戦の火蓋を切ったこの戦だったが、

それより遥か前の江戸末期、いきなり登場した黒船に開国を迫られて以来

日本は長い眠りから叩き起こされ、危ない橋を渡り続けていた。


開国か、攘夷か… 

二者択一の選択はいつも危険な綱渡りだ。


中野海軍大将の開戦前の言葉に


戦わざるも亡国、戦うも亡国。

しかし戦わざるの亡国は、精神の亡国


というのがある。



上堂に問われた事があった。


「みんな、死に場を求めているような昨今だが

お前は、どうだ?


この戦のはてに、この国の者はどう生きるのだろうか


そういう事、考えて見たこと…ないとは言わさんぞ」


「たった1つの命。

自分には、何処で投げ出そうと…同じです」


加瀬は生真面目に答えた。




「困るな、そういうことでは…

我々が今やっている事は、何のためだ?


如何にこの国を、生かすか… そういうことだろう?」



上堂と加瀬は、共に敵の情報分析に従事していた。

アメリカの作戦戦法の詳細を収集し、それこそ虱潰しに解析し

統計を取ってすべてをデーター化する。

そこには、暗号に頼らず、解析する事に寄って

如実に浮き上がって来るアメリカの気質が分かってくる。


現在、陸軍が水際作戦で対抗していること事態が、そもそも過ちであると

一応の結論を持ち、

上堂は、サイパン方面に直訴に飛んだのだと…加瀬は思っている。



「どんな風に生きるか… お前ら若いもんには、それをしっかり考えて貰いたい」



戦場に身を置くと、純粋さばかりでは役には立たない。

理想が役に立たないように…




加瀬は思い切るように、何度も頭を振ると

柱に持たれるようにして、寝ている細い体に手を回し

ひょいと抱え上げた。


目覚めるかと思っていたが、

しっかり寝入って、起きそうもない。


仕方なく、抱きかかえると、

加瀬は静かに祐一の部屋まで、そのまま運び始めた。



祐一は夢でも見ているのか

しがみつくように、身を寄せて来て、加瀬の口元がゆっくりと緩んだ。






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