第五話
ひんやりとした石造りの壁に囲まれた陸軍省の管内は、迷路のような作りだった。
祐一はドア横に小さく黒い板に書かれた部署名や名前が書かれているのを、見落とさないように注意深くたどり、漸く奥まった細長い廊下の先に目指す人の名を見つけた。
入り口で面会を申し出ると、しばしの猶予の後
「椅子があるので、そこで名を呼ばれるまで待つように」
そう言われたところまでは、想定内だった。
だから、ドアの先にあった粗末な椅子に座ると、祐一はおとなしくじっと待った。
瀬戸口と来た時も迷路のようだと思ったし、
こうして椅子に座って待つのも同じだったし、
ひんやりとする管内の薄暗い印象も、当時と変わらなかった。
だが、人事補課長だったのが、今は軍務局という部署に変わっていて、
そのせいか人の出入りが、激しかった。
頻繁に人がドアに身をかがめるように低頭して出たり入ったりする。
その度に「何をしてるんだ」と言われやしないかと、
祐一は緊張の度合いを増し反射的に背筋をピンと伸ばし、
握り込んだ両手を揃えた両膝に軽くのせ、気配を待った。
だが、祐一の緊張とは裏腹に、まるで見えないかのようにスルーされ、
あまつさえ、祐一に入れと言う声は一向にかからなかった。
祐一に分かるのは、わずかに開け閉めするドア越しに話し声が漏れるだけだったが、
それとて誰の声なのかわからない程度の微かなものだった。
最初こそ廊下に人影が見える度に、緊張したり…
敬礼とばかりに、座しつつ不動の姿勢を保ってみたり
今の声は誰だったんだろう?
瀬戸口から聞いた話を繰り返し反芻して、
指定された日付が間違っていたのではないだろうか?
などと考えたりしたが、
次第に緊張の糸が切れ始めていった。
必死で睡魔に抗おうとするが、
それは残念ながら無駄な抵抗でしかなかった……
思えば、乗り継いだ列車ではいずれも睡眠は、殆ど出来ないも同然で、
時々目を瞑りうつらうつらしただけだった。
それに瀬戸口からの連絡があって以来、
本来冷静沈着を旨にしているには程遠い状態だった事を思えば、当然の成り行きだったかもしれなかった。
「おい…」
不意に叩かれた頬と野太い声に、祐一は一気に覚醒した。
眉目秀麗なせいで幼いころから人に見られることは慣れていたし、
尚且秀才と謳われた祐一の人生で、居眠りなど皆無だった。
しでかした失態を恥じる気持ちが、祐一をあわてさせると同時に
「はい」
勢い良く椅子から飛のき、敬礼せんばかりに立ち上がった。
相手はそれをどう思ったか悟らせもしない体で
祐一が立ち上がると同時に脇に置いていた祐一の落ちた帽子を無造作に拾い上げ、
手渡しながら言った。
「待ったんだろう? 呼ばれてるぞ」
ドア先を顎で指し示すようにそう言い置くと、踵を返し背を向けて去っていく。
祐一は呆然とその遠のく姿を、見送ることしか出来なかった。
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「入ります」
声と同時にドアが開かれる。
「入れ」
加瀬は無意識に声だけで対応しながら、手にした書簡を眺め小さくため息をついた。
「お~~~ 大きくなったな」
低頭し入ってきた姿を目にし、加瀬が口にしたのは、自身も思わぬ言葉だった。
記憶より成長を教えていたのは、背丈のせいだけではなかった。
以前感じた涼し気で聡明さを示す目にあった幼さが姿を消し、
加えて、憂いを帯びたものが混じり
思慮深さを強調した全体から醸し出される立ち姿には、
はっきりと加瀬の知る祐一の父親の面影が見え隠れしていたからだった。
マジマジと加瀬は、
ただ
ただ
その姿を見つめていた。
――――――――――――――――
じんわりと自分の頬が上気して、
じわじわと
じわじわと
赤くなっていく……
それでも祐一は黙って自分を見つめる加瀬の視線を受け止めた。
微動だにしない時間が、どのくらい経ったのだろうか
いきなり、加瀬は祐一の目を見つめたまま、表情を変えることなく
話を始めた。
「悪いが、予定が変更になった。
要件は、夕方5時、
その時伝える」
その言葉に祐一は手短に
「はい」
と反射的に元気よく返事をすると、
加瀬は更にサラリと付け加えた
「その間、自宅で待つように」
祐一はその予期しない言葉に、一瞬で頭が真っ白になった気がした。
やっと会いましたが、中々話が進みません。
尚、
戦時中を背景にしていますが“なんちゃって”と思って読んで頂くと有り難いです。