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僕の大事な人  作者: ミラクルマーム
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第四話

瀬戸口からの連絡を受けたのは、つい二日前のことだった。

その時のことを、祐一は何度繰り返し思い返しただろう。


「逢いたいらしいぞ」


言われて祐一は、初めて自覚した。


その名を聞いた途端、自分の胸が動悸を打った事を……


どうしても陸幼に入りたい……


そんな風に、がむしゃらに幼い祐一の意欲を後押していた正体を、いきなり知らされたのだ。


あの人にもう一度会いたい


口には出せないものの、そんなことをずっと願っていた事を……。

考えることさえ、禁じていた……

その事に、気付かされたのだ。



何故、あの時、呼ばれたのか…… 

今でも祐一は、なにも答えられない。

何故なら何も、言われなかったからだ。

不思議に思った疑問は、未だに宙に浮いたままだ。







市ヶ谷台――― この先に目指すところがある。



祐一はここに来るのは、二度目だった。

それは陸幼への入学準備を始めたばかり、山本元帥閣下はご存命、学徒動員や特攻など聞かない頃の事、背丈が今より一尺余りも低い頃の話だ。


「優秀な者には密かに連絡がある」


といわれて府立に入って間もなく、まだ陸幼受験前の未知数に過ぎない祐一はここに出向いた。


呼ばれる意図を怪訝に思いながらも、従順に従ったのは、

連れて行くと言ってくれた瀬戸口の存在が、大きい。

もし、これがなかったら全力を上げて祐一は行かなかったと思う。

そう思うのは

「呼ばれている」と言われたが、あくまでも強制ではなく、任意であったからだ。


祐一は人見知りのする性分で、初めての所が苦手だった。

その頃そろそろ入った思春期の戸口にあって、人見知りな性格に加え、

まだ幼い癖に自意識過剰になり人に何かを尋ねるという事に酷く、苦労していたのだ。


その瀬戸口も、強制学童疎開が始まると同時に長野に赴いていた。


電話口で


「一緒行こうか?」


心配そうにいう瀬戸口に向かって、努めて明るく答えた。


「大丈夫です。僕だって、もう一人で行けます」



記憶通りであれば大きな門に辿り着くまでに、上がり下がりする坂を越えなければいけなかった。


祐一は、見えない建物を目指し、ゆっくりと見覚えのある道を歩き始めた。




辿り着いた鈴懸の径に程よい日陰を見つけ、しゃがみこんで休憩を取る。


約束の時間まで、たっぷり間があった。

アップダウンの道を歩いた祐一の息は、すっかり上がっていた。

その事に落胆しながら、焦る気持ちを抑えて、

肩から下げた水筒を取り出すと、ゴクゴクと飲み干した。

熱い湯だった水筒はとっくに飲み干し、駅舎で入れ足した。

そのせいで胃に流れる水は、冷たい。

何処からともなく吹いてくる風にあてられても、火照りそうになる胸の熱が、下がらない。

胸を抑えて、息を止めてみる。


黄色くなった大きな鈴懸の葉がさわさわと揺れると、ドクンと合わせるでもなく轟いてしまう。

慌てて大きく深呼吸をして、居住まいを整え、

眩しげにその建物を目だけで追えば威風堂々、

それはあの日みたまま、祐一を見下ろすように建っていた。




正面玄関上部の両脇にある二つの丸い装飾を施したものが、以前来た時には砲弾のようである事に気が付かなった自分の幼さを思う。

そして、ずっと遠くに押しやっていた姿を思い浮かべた。




加瀬 中佐……


その人の名は、加瀬 陽太(かせようた)という。

当時聞いた瀬戸口の話によると、陸幼卒のキャリア。


あの若さで補任課長とは他に類を、見ないんじゃないか? 


帰りの道々話してくれた事を、祐一は一字一句もらさずに記憶している。

エリート中のエリートであることは瀬戸口の説明を聞かなくても、一目見て気がついた祐一だった。


職業軍人の中に育たなくとも、陸幼、即ち陸軍幼年学校に入っていなければ、すべての面で不利なスタートとなるシステム、その程度の知識なら誰でも持っている。

だが、実際にそのようなエリート中のエリートの人達に出会う事があるかというと、それは違う。

それらの人たちに普通の生活をしている者に訪れる接点があるとすれば、何かの挨拶で壇上に立つ姿だとか…… そういうことだ。

路傍に行き過ぎる事さえ、珍しい。

稀に、あったとしても、言葉を交わすことなど皆無だ。

そのせいで凛々しい軍服を身につけ闊歩する姿に、勝手に夢想し焦がれる子供は、珍しくない。


祐一は職業軍人である父をもっているせいで、そのような姿の人に触れることは多かった。

だからこそ、たった一度のそれは強烈な印象を残した。


これほどまでに祐一は、何かを発する人に出逢った事はなかったからだ。

恐らく、それがそれまで漠然と持っていた自分の歩む道に向かう強い原動力になったのは、

間違いない。


何としても……

あの日から一途な気持ちに変わったと、今でも思っている。



思えば、十や十一になったばかりで、戦火についての洞察などないも、等しかった。

支那事変から続く戦火を知りながらも、何処か現実的ではなかった。


戦争は、行ったこともない遠い地でのこと、

不安に思いながらも、国の将来と口では言いつつも、

自らの人生からかけ離れた何処か遠い世界のような気がしていたのだ。


だが戦争は、確かに起こっていた。

ただ、まだそれが自分の身にどう振りかかることなのか……

わかっていなかったのだ。


こうして時が流れ、知らない間に戦火は身近なものに変わってしまうと、

流石に皆先行き不安になる。


あらゆる規制を甘受する事を、国民が嬉々として受け入れたのも不思議だとは思わない。


不安でたまらない気持ちを堪えるキーワードは、

日本中のみんなが一つになって対処する

そんな悲壮で… ひたむきな気持ちになったのは極々自然なことだった。


宣戦布告の勅旨を読み上げた東條閣下の言葉を真摯に受け止めた日を思い出す。


それは薄皮を重ねるように、徴収礼状を貰い、誰それが徴集されただとか

どこかの誰かが、戻らない…… そんな話が珍しくもなくなり

今度は、自分が…… 残された時間は、考えているよりも長くはない。

そう考えることが、現実になっていたからだ。

一期一会は、この時代誰もが心に刻むべき言葉だった。



だからこそ、皆進んで国民服を着始めたとも言えた。

真剣に遠い戦地にいる夫や息子、そして恋人と同じ祈りにも似た気持ちで、

自らも戦うんだ。

銃後の守りとばかりに、皆祈るような気持ちでそう思うようになってしまったのだ。


だからこそ


だからこそ


祐一は今、あの人に会いたかった。













 





なかなか会えない二人で、ここまでお付き合い頂き有難う御座いました。

次話で…やっと会える事になると思います。

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