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僕の大事な人  作者: ミラクルマーム
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第一話 

どことなく儚げな少年上堂祐一は、精悍なエリート加瀬陽太を知り、憧れを抱く。

それはそこはかとない憧れだった。

大きく二人を結びつけてしまう運命は、何処まで祐一を連れていくのか、

それさえ分からないまま切なくも激しく…燃え上がる上堂祐一のたったひとつの恋


(1)

 乗り込む先に目をやれば、座席は既に祐一の座る隙間はなかった。

なにも自分が座ろうと思って見たわけではなかった。

例え席が空いていたとしても若い者は立つべきものと、決まっている。

どうということではない何気ない一瞥だったはずが、そこにいる者達が皆一斉に、祐一を見つめた。

一瞬に感じた気詰まりに、祐一はそそくさと乗り込むや、つり革を握ったきりずっと流れ去る景色に顔を向けた――


少年らしい正義感は、その視線を“礼儀も知らぬ若者”といわれなき非難と受取りでもしたようであった。

残念ながら本人の意図したそっけない態度に逆らい、自負心と羞恥にないまぜになった自意識と言う名の血は憤怒の力を得て、やや青白い端正な涼やかな目元を、薄っすらと赤く染めあげ、

少年の想定以上に、顔色に出やすい質なんだと察せられた。


だから、当初は目は向けてはいるものの、何も捉えていなかったと思はれる。

祐一の黒目がちな目が大きく開かれ、次第に流れ行く車窓を捉えだすにつれ、

赤く染まった頬を白く変えていった。


それほど目に入る車窓は、祐一の知る景色とあまりにも様変わりしていた。

一年は、決して長いというものはないけれど、若い少年にとっての一年は違う。

特に毎日同じような日々の繰り返しに思える療養をしている身には、焦りを伴う長い長いものであった。

暫くぶりの外出は、何かと気疲れするだろうと気負いもしたし、

祐一にとっての一日と院外の一日とでは、違うと知っていたつもりだった。

それでも何処か弾んだ気持ちがあったことが如何に世間知らずであったか、

恥じるような想いで唇を噛みしめた。


何もかにも自分の行動に自信が持てないような、そんな漠然とした不安…

どうにも居たたまれず、必死で素知らぬふりを保った数えの十五。

昭和十九年、まだ春浅い三月のことだった。




祐一の名は上堂(かみどう)という。

そして父 光祐(こうすけ)、母を(さち)と言った。

父は、鹿児島の田舎の士族の出で瀬戸口という名の、かなりな資産家であった。

だが、次男だった故に遠縁である上堂(かみどう)家の(さち)の婿養子となり、

家督を受け継いでいる。


明治となった時、武士であった家は殆どが、裃を軍服に替え職業軍人となった。

細々と続いていた上堂家、瀬戸口家も例外ではなく、国から碌を食む職業軍人の家だった。

形態は変われど、武士道、或いは武士の誇りとでも言おうか、

帝である君主に仕えるのを捨てない矜持の由縁だ。


日本は江戸から明治、大正と進む内に、幾度かの戦でいよいよ繋累に男がいなくなり

女子ばかりになった家は多く、

血の絶えそうな家は、名を絶やさんが為に、争って祐一の父のような次男三男との縁組を求めた。

又乞われる側は、番った先の家督を続けていくことでその身を立てようとする元 士族は多かったのだ。


入婿の父と養女であった母にとって、義理とは言え母となった祐一の祖母規矩子(きくこ)は、

夫を亡くし寡婦となるも、六十を過ぎ未だかくしゃくとして上堂家の全般を取り仕切っている。


子に恵まれなかった規矩子は、後継を気にし

幸を養女にして、入婿を得て、無事第一子の男児誕生を見た時は、

色々と苦心を重ねた甲斐があったと胸をなでおろしたが、

出産が負担だったのか、その後幸に、次なる待望の声は聞かれず、

残念ながら子は祐一ただ一人。

遡れば祐一は上堂家の次期一八代当主となる見込みだ。





十七にやっとなったかならない幸に光祐が、一目惚れして入婿に入ったという逸話は有名で、

二人は当時としては珍しく恋愛結婚だった。


光祐も、なかなかの美丈夫であったが、線の細い世間知らずな母は、

やんごとなき血を受けているせいか、浮世離れしていた。

そんな幸を、むしろ好んでいるのだから、これに文句など言うはずもなかった。


同じ姓を名乗りながら、それぞれが不思議な縁で繋がった家族

その二人の間に生まれたのが、祐一であった。



血は薄まっているものの上堂家は、廃藩置県やら維新後始まった改革で

近年の世の流れに従い没落する元旗本と言った名の知れた名家の多かった中、

上手く世渡りできている家だった。

未だに土地も、都内だけにとどまらず所有しており、

目先の利いた祖父が、先の大戦で軍需産業に目をつけ資産の一部を投じて以来、

財産は増えこそすれ決して貧じてはいない。


色白の儚げな庇護欲をそそる風情の母は、十を過ぎた頃から既に近隣で知らぬ者はいないほど、

美人の誉高かったという。

今でも、中学生にもなる子持ちにはとても見えない。

透き通るような肌で、潤いをたたえた目元は、人妻となって仄かに滲む妖艶さまで増していた。

幼い幸が養女として上堂家に来た時、一緒に着いてきた使用人の源蔵(げんぞう)登志子(としこ)は夫婦もので、


「婚儀の際、長い時間の打ち掛け姿はきつかろうと、柳腰、なで肩の細い体に誂えた華奢なレースのドレス姿は、そんじょそこらの成金のお姫様にはない気品と抗いがたい雰囲気を醸し出しておられました」


と幼い祐一に自慢げによく話してくれたものだ。


祐一の祖母、規矩子(きくこ)も、幸を娘同様、大事にしていたので、

元々の気質以上におっとり育ってしまったのかもしれない。


若いころの写真を見たことがあるが、まさか自分がそのような格好する事はあるまいが、

息子の自分でさえ、一瞬自分かと見紛うほど似ていて、笑ったことがある。


そう…祐一は、母似だった。

祐一にとって、自慢の母ではあった。

ただ、色白の線の細いところだけは似たくなかったと常々思っている。

せめて父似の如何にも軍服が似合うあの肩が自分にあったら…… と不満に思った。

大して頑強とは言えない母の体質を受け継いだと誰の目にも見える祐一には、

病弱なせいで悲しい思いをしたことを数え上げれば、きりがない。


祐一は幼い頃からよく風邪を引いた、そしてそれが長引くのだ。




二年前、祐一は、難関の府立合格を果たした。

がむしゃらな受験勉強が功を奏し、府立一中でトップ入学を果たした時は、

間違いなく、父を喜ばせ、母を安堵させ、そして祖母に生きがいを与えたと思ったものだ。

職業軍人である上堂家の後継者としては、何としても陸軍幼年学校に行かねばならなかった。

だから府立は、あくまでもその先に続く道へ辿り着くための途中経過のことであった。

寧ろ、次こそが目的…… そう思っていた。


並み居る同級生に比べると、きっちりとかぎホックでとめる濃紺の詰め襟の制服は

頼みもしないのに大きく縫い代が隠されて仕立てられており、

身を包むと、祐一の細い体が嫌でも目立った。

ただそれは本人が思う見苦しいものではなく、

幸譲りの気品あふれる姿であったことは、間違いなかった。


そして祐一は、それはそのまま、次の春には別のものを着る…… そう思っていた。



入学前後から感じ始めていた不調を考えると、この先にある陸幼受験に一抹の不安は、あった。

それでも入学生総代で挨拶をした時、胸を踊らせていた。


だが、府立に入った後の一月

祐一は、陸幼受験開始を告げる身体検査を受けなかった。

陸幼受験を断念したせいだった。




無事府立入学を果たし、次なる目標の陸幼受験を目指した祐一は、

熱い夏を超えた頃から短い睡眠の合間に、酷い寝汗をかくようになった……

その事に不安を感じなかったわけではない。

だが勉強に励み、入学を果たす…… 

そう自らが立てた目標しか、その頃の祐一には日々気持ちの拠り所が、見えなくなっていた。


程なく血を吐いた。


だが、それも最初は時折咳き込むと、痰に血がまじる程度であり……

祐一は無視することにした。

それは祐一にとって、当然の流れだった。

病弱である事に慣れていると、頑強な者より、自分の状態を把握していると思って、

つい見逃してしまう事がある。

幼い頃から風邪をひき易く、咳き込むことや少々の微熱が珍しい事ではなかったせいで、陥った過信だった。

その上、もし、これを知られて、受験がフイになりでもしたら……

そう思うと尚の事がむしゃらに頑張ろうと奮い立たせる方へ、祐一を導いたのだ。


当然、そのことを、祐一はひた隠しにしていた。

血が混じれば不安に思うが、混じらなければ…… 良かった

このまま、直ってくれ…… 祈るように願った。


だが、駆け抜けるように国民学校から府立一中生になってみたものの、

実際には通えたのは半年足らずだった。

強行突破して陸幼受験へ突っ込んで行くための切符さえ、手に入れられなかったのだ。


そのことで今なお、祐一は府立一中の制服姿を父親に見せることに負い目を持っている。

ひた隠しにした病は祐一の期待に反し、病床に伏すことになり、

時を棒に振ってしまった思いが付き纏い、

陸幼の受験準備に備えた腰掛けのつもりの制服を、いつまでも着ている自分を不甲斐なく思った。


上堂家の当主としてのプライドは、そこで一度くじかれたのだ。


思えば祐一にとって、府立トップ入学、そして陸軍省へ招かれて出向いたという評判が立った頃が、

最高の時期だったのかもしれない。


今、祐一は府立一中も殆ど行かぬまま二年目を迎えようとしていた。

そして、

それは、あの人に祐一が初めて出逢って、過ぎた日とほぼ同じだった。




初めての投稿です。

齟齬がないように努めていますが、設定が戦争を背景にしていますので、、

色々詳細な部分で訂正など必要があるかもしれません。

その場合、ご指摘頂ければ幸いです。

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