~アティラ組側~ 番外編:熊野良太の冒険
番外編
――僕は、熊野良太、八歳。今、アティラ姉が元気がないみたいだ。だから僕は、アティラ姉に元気になれるように頑張ろうと思う。
今回の話は、良太視点から始まる物語。
仁が光の門に引き摺られて消えてしまってから、アティラの落ち込んでいる様子は幼い良太に理由まではわからないが理解できた。
そんなアティラを放っておけないと思った良太は、滅多に手に入らないプレミアムショートケーキの入手を試みていた。
――待っててね、アティラ姉。僕が一番美味しいケーキを持ってきてあげるからね!!
大きな目標を立て小さなガッツと気合を入れ、明日のために身体を休めることに専念した。
■■■■
《早朝》
良太は、苦手な早起きをこなし、身支度を整え、玄関へ足を運んだ。
まだ、眠気が取れずに大きな欠伸をしながら扉を開けようとした時――
「コラ、良太!一体どこへいくつもり!戻ってきなさい!」
背後から母親の声が身に染み込み、身体が震えだす。
「か、母ちゃん……僕、行かなきゃいけない場所があるの!」
いつも優しい母親でも、怒る時には良太にはかなり応える。
仁が叱られる場面は何度も目にしてきた良太だからこそ、今自分がやっていることは、母親の心配を招く行為であるのは重々承知で、でもやり遂げたい意志の方が勝っていた。
母、明日香は良太に近づき、厳しい表情で睨みつける。
そんな母親を見て、一歩後ずさった良太だが、たった一歩だけで思い留まった。
そして、覚悟ある顔で精一杯母親に対抗の意志を示した。
いつも、言うことを聞く良太の初めての反発。
自分がどうしても叶えたい目的がある。
そして、その目的とは何か、予想をついているであろう明日香は、良太の意志を尊重する判断をくだした。
「どうしても、行くんだね」
「うん!」
またいつもの優しい表情に戻った母に良太は力強い頷きで応える。
「そっか……だけど、目的が何であろうと、これがなきゃダメでしょ、良太」
明日香が取り出したのは、一つの封筒。
「ママ……」
明日香はにこりと笑う。
封筒の中身には、福沢諭吉の顔を覗かせた。
「気を付けて行きなさいよ」
まるで良太の行動を予め予測しているが如く用意周到っぷりは流石としか言いようがない。
明日香は崩さぬ笑顔で息子を見送る。
マンションの外、良太は買い出しに出かける母と一緒に通るいつもの道をまるで別世界のように目に映った。
一人で行くとはここまで違うように見えるのかと自問する。
未知の感覚に悩みながらも、必死で前へ進む努力は欠かせなかった。
道端で通り過ぎる人も車も歪な存在のように歪んで見え、視線が一気に良太に襲いかかる。
傍から見たら無謀な挑戦だと思う人は大勢いるだろう。
子供には、ましてや人見知りな性格である良太なら尚更のこと。
だが、めげずに涙目で強く拳を握る。
百メートル先の横断歩道まで歩き、緊張が一気に立ち上る。
ズーンっと横切る自動車のスピードに圧倒され、驚きが絶えなかった。
信号が青を表示して、左右の確認をしながら、一本目の歩道を渡り切る。
母から貰った封筒には、お札以外に手紙が入っていた。
良太は、四つに折られた手紙を開き、読み始めた。
手紙の中には、進むべき道のり、通らなければならに駅、困ったときの対処法など、あらゆる状況を想定したものが書いてあった。
明日香の準備周到性に驚く良太ではない。
二コリと笑い、さっきまで見ていた風景がいつも通りへと変わる。
「僕は、一人じゃない……」
『明日香が一緒にいる』、そう思うだけで恐れるものなど何も無い。
堂々と、何者にも動じず前へ進む。
大好きな母からの言葉、それが良太の心の支えとなって、彼を未知の恐怖から守ってくれる。
良太は、そのまままっずぐに駅に向かい、手紙通りの行動に移った。
わからないことは、駅員さんのところまで足を運び道を聞き、出発から約一時間半の道のりでようやく目当てのケーキ屋に到着した。
「やったー!辿り着いた!!」
しかし、店には既に大勢の人が大蛇の如く並んでいた。
ビクビクしながら最後尾の列に並んだ良太は、自分より一回り、二回り大きい大人を見て、地面に視線が誘導される。
そして思考してしまう、今、大人達がどのような表情をしているのだろうか、と。
『子供一人でであるくなんて、親御さんは何をしているのでしょうね』
『最近物騒だからね~』
嘲笑の笑みを浮かべているに違いない。
母の悪口を言う人は皆そう、悪い表情の大人達だ。
「ぼ、僕は、僕の意志でここに、来た!母ちゃんは反対してたけど、それでも、僕は……僕は……」
『そうだね、坊やは一人でここまで来たのね、偉い偉い』
『お母さんも酷いね~、子供の自由を奪おうだなんて』
さっきまでの会話の反対な事を話す後ろの列の大人達、良太は強く拳を握りしめ、涙目でだがきりっとした目つきで叫んだ。
「母ちゃんを悪く言わないで!!」
「「……あ、あっ……」」
絶句するおばさん二人、良太の叫びにつられて他の列の人達が後ろを一斉に振り向く。
おばさん達は、萎縮し目立たないよう顔を逸らす一方、良太は多大ないプレッシャーに襲われていた。
「……う、うぅ~……」
四方から注がれる視線の嵐に恐怖以外しか感じない良太だが、両目を閉じ家を出る前の決意を思い出す。
――アティラ姉ちゃんに絶対ケーキを買うんだ!!
行列の頭の方に一つの人影が顔を出す。
『あれは、確か――』
考え込むように右手を顎に与える。
騒ぎの中、良太は人込みで隠れていたある看板を発見する。
その看板には、まさに良太が買おうとしていたプレミアムショートケーキの写真が煌びやかに飾られていた。
間違いもなく、ここに並んでいる人達は、このショートケーキが目的なのだろう。
だが、看板の下には、くっきりと漢字は読めないが、隣に30という確かな数字が書かれていた。
『限定』というのが何を指すのかはわからないが、良太は頭をフル稼働させてその数字が示す意味を探り始めた。
――30という数字、それもケーキに負けずの大きな文字で書かれている。ここから考えられるのは、ケーキが一つ売れるにつれ、30の数字が減るとしたら……
それに気づいた良太は、素早く列にいる人の数を数え始めた。
一人、二人、三人、……、二十九人、さ、三十人……
きっちりと三十人、しかしそれは手前の人まで、自分を数えれば三十一人……一人足りなくなる。
「そ、そんな~」
残された唯一の希望は、誰でもいい、一人でもショートケーキを頼まなければ回ってくる、そう祈るしかなかった。
だが、店から出る客は、例のショートケーキを手に楽しそうに微笑みながら、良太の隣を歩く。
列が進むに連れて、出る客出る客がショートケーキを抱えているの見るに連れ、ごくりと息を呑み込み、汗ばみ、顔が青ざめる。
――ドクン、ドックン……
次第に悔しさで涙が滲み出し、もしも、もっと早く出かけていれば、怖じけずにいればなどと頭を過ぎる。
例え、どこにも落ち度がなかったとしても、何かを手に損ねたらネガティブに考えてしまうのが人というのかもしれない。
――どうしよー、どうしよー
ドクンドックン。
とうとう良太を含めた三人となり、予想通りに前に並んでいた二十八人全員が目的のプレミアムショートケーキを紙袋に収めていた。
列が進んでいる間も何人かの客らしき人達が並ぼうとしたものの、その殆どがプレミアムショートケーキが手に入らないとわかって諦めて去ってしまった。
現在、列には一組のカップルとちょび髭のおじさんが良太の後ろに並んでいる。
並ぶこと三十分、良太の考えた最悪の状況が現実となった。
「……う、売り、切れ……」
いざ順番になった時、店内に飾ってあったショートケーキの残り個数がゼロと表記してあった。
そして、大きく売り切れと書かれたシールを貼っている店員を目の前に良太は溜まっていた葛藤を涙という形で解放した。
「うわぁ~!!!」
完売されたショートケーキ、アティラを元気付ける為のアイテムを手に入れられなかった事実は、ただただ良太の精神を押し潰そうとする。
しかし、雨雲の間から差し込む光が如く、良太の肩にポンと誰かの手が置かれる。
後ろを振り向いた良太は、銀色の髪を靡かせ、天使の如く微笑む美しき白のワンピースを着た少女がいた。
「春姉……」
「やっぱり、良くんだ!見ていたけど……ケーキのこと、残念だったね……」
良太の前には、仁と望の二人と幼馴染みである葉山春香が仁王立ちになっていた。
悔しげに言う春香だが、彼女の口調からは、別の感情が篭っていた。
「心配いらないよ、良くん♪」
「……ひく……えっ?」
訳も分からず、ただ春香の言葉に唖然とする良太。
しかし、次の瞬間に良太の両眼に再び光が宿る。
「あ、あ、あああぁぁ~~」
声にならない声で、良太の目に再び海が押し寄せてくる。
その反射する目からには、待ちに手に損なった――
「プレミアムショートケーキ!!」
目を星にして輝かせ、春香のすぐ傍に近寄る。
「ど、どどうして、それを!」
「ふふふ、実は、私も並んでたんだよー」
「ッッ!!」
驚愕の事実に良太は言葉を失う、しかし春香が取った次の行動に更に驚く。
「ほら、良くん。アティラさんに元気になってもらいましょう」
あたかも良太の考えが筒抜けになっているかのように。
「実は、私もアティラさんのことが気になっててね、同じことを考えてたの。だから一緒にこのケーキを渡そう♪」
「うん……」
驚きと安心で戸惑う心情の良太は頭を上下に動かす。
二人は、お互いに顔を合わせながら微笑み、アティラの待つマンションへと向かった。
■■■■
「ただいまー」
玄関の扉を開け、その奥から明日香が顔を出す。
「おかえりー。あら春香ちゃんじゃない、いらっしゃーい」
陽気な雰囲気を醸し出しながらロビーへ手招きする。
「目的のものは手に入れたみたいだね」
明日香は良太が手にしている袋を見て微笑む。
良太もまた満面の笑みで明日香に応える。
ロビーで待つアティラの所へ例のケーキを運ぶ。
「アティラ姉!」
「りょう、た……ああ、春香さん、おはようございます」
微かに微笑むアティラだが明らかに疲弊した顔で出迎えた。
「何なんですかアティラさん、そんな疲れた顔をして、貴女らしくもない」
「えへへへ、面目ない、です……」
力一杯笑顔で応えようとするアティラだが、どうしても顔が引きずる。
「アティラ姉、これ……」
キッチンの奥から良太が落とさないようにきっちりと手にしていたのは、さっき買ったばかりのショートケーキだった。
見た目はどこにもあるようなショートケーキだが、目を懲らしめて見ると、ケーキの上に乗っかっているイチゴは普通のイチゴと違う。
「わ~、美味しそうです!これを私に?」
「……う、うん……アティラ姉が……元気ないのは、仁兄の、せいだから……僕が、アティラ姉を……だから――元気出して、アティラ姉!!」
適切な言葉が見つからなかった良太は、それでも全身全霊をとして思考した。
そんな必死な彼を見て、悲しみの篭ってない笑みを良太に向ける。
「ありがとう~、良太~」
――ドキッ!!
アティラからの感謝の言葉が良太の胸に突き刺さる。
この感情は一体なんだろうと……
ただ、顔が熱く火照り、何故か恥ずかしく思う。
アティラは目の前のショートケーキをもう一度見つめ直す。
遠くから見ると白く見えたケーキは、いざ目の前にあると薄い桜色に染まっていた。
イチゴもよく見たらイチゴをペースト状にすり潰してまたイチゴの形に模倣したものだ。
アティラがフォークを手にしケーキの先端部分に切り込みを入れた瞬間、イチゴとホイップクリームの芳醇でまろやかな香りを放つ。
匂いを堪能した後、ケーキを口に運ぶ。
「んんん~~!!美味しい~~!!」
脳天まで来る旨み、しつこくない甘さとなんとも言えないふわふわのスポンジケーキ。
アティラを笑顔にさせるのに十分だった。
彼女が微笑む様子を見た良太は、早朝から現在、約三時間が経とうとしていた。
元々苦手な早起きと初となる一人買い物、緊張の糸が切れどっと疲れが一気に表に出る。
「――スースー――」
「あらあら、疲れたみたいだね」
「明日香おばさん……」
力尽きてソファで寝落ちした良太を明日香はお姫様抱っこで抱え、良太の部屋へ運ぶ。
「本当に美味しいです……」
アティラは、少しずつケーキを口にし、何度も美味しいと囁いた。
一口一口に良太が苦労して手に入れたそのケーキを思いながら口にする。
「――本当に、美味しい、です……」
ただ美味しいだけではない、アティラを元気づけるために努力した。
その思いが心まで温め、凍らせていた心をゆっくりと溶かしてくれる。
「春香さん」
「ん?」
唐突にアティラに呼びかけられた春香は一瞬ビクつくが、何もなかったように振る舞う。
「私は、もう平気だから――心配かけてごめんね♪」
「そっか……じゃあ、このケーキを食べ終わったら例の場所に行きましょう!」
「はい!」




