~熊野仁側~ 第6話 呪われた血と流離の旅人③
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「異人……」
口にしたその言葉の重み。
今まで他の異人と接触したことがないリリオーネにとって、目の前のこの女性は、初めて対面する異人だ。
異人という言葉からは『恐怖』が連想する。
――そう、村人から異人を見る怒りと憎悪、恐怖心や拒絶。
異人がどんな存在かは、理解するのにそう難しくなかった。
だが一方で、初めてレイラから異人だと聞かされて、恐怖と対立する感情――優しく接してくれた彼女が――異人の印象とは対極にあり、リリオーネの心の中で矛盾が生じていた。
誰が、真実を述べ、誰を信用すればいい、と。
近づいてきたレイラに、リリオーネは反射的に目を瞑った。
目を閉じる一瞬にレイラが手を伸ばしていたのを確かに視認して。
だが頭に伸し掛るのは優しく撫で下ろすレイラの手だった。
「怖い想いをしたのはわかっているから。だから、少しでもいい……私を信じて」
異人が受けてきた迫害は他にもいた。
それが人間の自身の身を守るためだったとしても、それが逆に異人達の反感を買い、互いに亀裂を生み出してしまった。
「異人達は、人ならざる力を持って様々な奇跡を起こした。一時の間、人の生活に更なる潤わせ、豊かなにしていった」
だが、と、レイラは暗い表情で続ける。
「――人の業は深い。欲深さに関してはおそらく全世界随一だろうね。そうして、その強欲さがあの事件を巻き起こした」
レイラが一層冷たい声で、異人と人の亀裂が生まれた逸話を語りだした。
■■■■
且つては、戦争があったものの、異人と人は共同し合っていた。
水を操る能力で人工的に雨を降らせ、田んぼを耕し、風の操る能力で風車を回し、麦の製粉を行っていた。
しかし、領土を拡張しようとした、ある国の王は、異人達に目を付けた。
圧倒的な力を持つ彼らを軍事利用しようと、五歳を迎える異人を集め、その能力を選定し、能力に応じてランク付けを執り行った。
そのせいで、異人達同士に差別感が始まり、待遇の格差に優劣が付いていった。
食事、寝床、教育、鍛錬時間、身体や服を洗う水の制限まで強いられた異人達は、自分の置かれている状況を打破しようと思うなら、強くあれ、と。
そんな言い分を残した軍の幹部の言葉だが、それは偽りに過ぎなかった。
スタートラインが全員平等ではないのに対し、鍛錬できる時間は当然能力が劣っている者は他の異人達より少ない。
■■■■
「そんな……酷過ぎる」
「ああ、酷い話だ。僅かな希望はより深く黒い絶望を招く。知らないうちに一歩一歩確実に……その希望が偽りだと気付いた時、一体どうなると思う?」
努力は報われる、そんな一言が適わなかったら、人はどう思うだろう?
今まで全力で頑張ってきた時間、遊ぶ時間も削ってまでやった鍛錬も全て無意味と知った人の心境は如何なものだろう?
「……」
リリオーネは、答えることができなかった。
多分、とそう思い始める。
まだ他にもひどい地獄があると。
差別され、希望の皮を被った絶望をずっと言われ続けて、嘘だとを知った異人達の気持ちは到底解り得ないのだろう。
「答えは、簡単さ、暴走だよ――」
絶望に陥った人は全ての思考が停止する。
知性を遮断し、一匹の獣と化す。
「これで、何が起きたのかだいたいの想像はつくだろう?」
それは、リリオーネが経験したことのあるものだった。
異人の能力はある程度無意識下に制御されている。
そう例えるなら、ダムを想像するとイメージが湧きやすいだろう――出される水の量はごく僅かだが、本来流れる筈の水はその何十倍、何百倍のものだ。
それをせき止めて、コントロールしている。
だが、暴走状態は、ダムが破壊され、今まで溜まっていた水が一気に吹き出す!!
「暴走を起こした最初の異人の名前は、ドレイク――彼の能力は、治癒」
「治癒?人を癒す能力者が異人と人間との間に亀裂を生んだ人だよね?」
「ああ、彼の能力は精々擦り傷を治癒することだった。残念ながら大傷を能力ではなかったようだ」
「だから戦場にはあまり役立たないと軍の人は考えたってこと?」
レイラは目をパチクリと瞬かせ、驚いた表情をすぐに普通に戻し、リリオーネの頭を優しく撫でながら続ける。
「――そう、彼の能力は確かに貴重だ。だがそれはあらゆる傷を治してこそその本領を発揮する。治癒能力の概念はどのように捉える、リリオーネ」
「リリー」
「ん?」
「レイラにはリリーと呼んで欲しい……」
「そっか、ではリリー。君は、治癒の能力をどう捉える?」
リリオーネは、間を持って考え込み、結論を言う。
「んーん、人の治りを早めること、かな?」
「細胞の活性化で損傷した部分の修復、これが基本となる治癒の能力。だが――」
レイラは補足を入れて、だが口を塞ぎ目を瞑った。
「――軍の人達は、彼の治癒能力の根本を見誤ったんだ――」
■■■■
兵舎で三人の兵士が酒を飲んで会話しているところを偶然居合わせたドレイクは、その内容を耳にする。
『しかし、哀れだな劣等種どもは』
『そうだな。頑張って上位グループに入れると努力する様はなんとも滑稽。そんなはずもないのにな、ははは!!』
『ヒッデーな、お前』
『だって、そうだろ。落ちこぼれは落ちこぼれのまま。なんで、余計な雑務をやらせていると思ってんだよ。それなのに、早く終わらせて練習するっだの、あ~あ、哀れでならないよ!!』
「――ッッ!!」
信じ難い真実。
――今までの俺たちの努力が、全部……無駄――
絶望に染まるとはこんな感じなのだろうか?
急激に押し寄せてくる知らない感情。
妙に気持ち悪く、息苦しい。
能力の優劣は認めていた。
生まれつきで、平等に扱われないと。
だが、努力をすれば上に上がり、認めてもらえる、と。
その可能性を信じて、努力してきた。
それを、兵士達は、秘密裏に下位能力者を嘲笑っていた。
――そっか、この感情は恨みなのか。
許さない、と言わんばかりにドレイクの目は炎を宿していた。
ドレイクは、だが一つの希望を抱き続けた。
それは、軍の指揮を執っている将軍だった。
下位の能力者でさえ優しく接してくれた将軍。
ドレイクは素早くその場を離れ、将軍の元へと駆け寄った。
「どうしたんだい、ドレイク?」
優しそうな微笑みを浮かべドレイクを出迎える将軍。
様々な感情に振り回されていたドレイクはだが、涙を吹き出しながら将軍の足に抱きつく。
「嘘だよね、将軍。兵士達が言っている事は、嘘だよね!!」
「落ち着きなさい、ドレイク。一体何があったんだい?」
将軍は、ドレイクが泣き止むまであやした。
「落ち着いたか?」
「うん」
「それで、一体どうしたのか、言ってご覧なさい」
――やっぱり、将軍だけは、違う。あの兵士達は間違っている。
将軍の優しさに触れ、涙をふき取り兵舎で聞いた内容を説明する。
「実は――」
説明し終わったドレイクは、将軍の顔を見る。
血相を変え、見たことがない将軍の表情に恐怖を感じる。
「しょう、ぐん?」
「ドレイク、このことは他の誰かに話したのか?」
まるで寒風に吹かれたかのように全身に寒気を感じる。
「ま、まだ……誰にも……」
「そっか」
将軍は、ドレイクの身長に合わせて屈み、口を耳元まで近づける。
そして、一言――
「すまんな」
――グサッ
今まで以上の冷たい声に……
「えっ?」
じっくりと、腹部辺りが妙に熱を感じる。
「どう、して……将軍?」
鋭いナイフが腹部を貫いているのを見たドレイクは、驚愕と痛みに見舞われる。
「君は、知ってはならない秘密を知ってしまった。幸い、誰にも話していなかったみたいだが……君はここで消えてもらう」
「き、える?」
混乱する思考に将軍の優しい表情が過る。
だが、今の将軍は鬼の形相みたいに冷徹で凶悪な表情だ。
――教えて、将軍。どっちが本当の将軍なの?
それでも、信じたいと心の中で願うドレイク。
「全部、嘘……だった、のか?」
「ああ」
だが、その希望すら消しやられ、目の前が暗闇に包まれた。
――冷たい……寒い……
身体の体温が奪われ続け、遂には意識が徐々に霞んでいく。
頼みの綱が更なる絶望を呼び込み、ドレイクの心をズタズタに引き裂いた。
絶望と死を迎えようとした彼の内なる『生きたい』という感情が奇跡を起こした。
「なんだ!?」
人の身でありながら異様な力を肌で感じた将軍は、ドレイクの身体にまるでブラックホールの如く引き寄せられていた。
十分な距離まで近づいた将軍の足を不意にしがみついたドレイクの手、しかし彼自身に意識はなく、数秒間握ったズボンがみるみると朽ちていった。
「なんだ、お前は?!」
将軍は、初めて見る現象で気を乱した。
治癒能力を有するはずのドレイクが他の能力を保有するはずがない。
何故なら、保有する能力は突然変異を起こした遺伝子が出現し、一人に付き一つの能力になっているからである。
だが、朽ちていくズボンに気を取られた将軍の足を完全に捉えたドレイクの手から冷気を流し込まれているかのように全身を浸食し始めた。
水分を取られるかのように、肌に皺が現れ始め、筋肉、骨、内臓にまで衰えを感じ始めた。
その時点で将軍は、思い至った。
――そうか、ドレイクの能力は、治癒などではない!……彼の能力は……命を受け渡し、か……
その思いを最後に、将軍の天命が尽き、干乾びたミーラのように息を引き取った。
「そう、だったんだな、将軍……全部、本当のことで、将軍の態度も希望も全部が嘘だったんだ――」
真の能力に目覚めたドレイクは、将軍の中の記憶をも喰らい、真実を知る。
そして、吸い上げた将軍の命で腹部を貫いたナイフの傷が綺麗さっぱりなくなっていた。
命の受け渡し、ドレイクの手に触れたものに自分の命を与えることで、その命を受けた生命の回復の速度を一時加速させる。
大怪我が治せなかった理由も、ドレイクの生命力では足りないからだった。
だが、今回命を与えるだけでなく、触れた者の命を奪えると知ったドレイクは、軍に対する報復を企てた。
奪われた命を担保に、本来の力を発揮できるようになったドレイクは次々と兵士の命を奪い取り、蓄える命を増やしていった。
与える能力で下位の能力者を集め、それぞれに生命力を注ぎ込んだ。
彼らの能力を活性化させ、自己的に能力を暴走させた。
『我々はずっと騙されてきた!!』
壇上に立ったドレイクを筆頭に全異人に呼びかける。
『――偽りの希望を与えられ、努力し頑張った日々を全て無駄で可能性を奪われたままの我々に続く未来など存在しなかった――』
熱く、心に響くドレイクの演説に俯いてばかりいた下位の能力者達が一斉にドレイクを見上げた。
『――だから、僕、いや……俺は、立ち上がることを決めた!!』
下位の能力者達も歓声を上げ、立ち上がる。
『――嘘だらけのこの世界に、引いてはその世界を君臨する人間に反撃の狼煙を上げることを!!』
歓声の勢いが増し、途方の彼方までに轟かせた。
ここから異人達と人間の抗争が始まったが、それはまた別の話である。
■■■■
「――と、まあ、これがきっかけで悲惨な戦いが起きた。人間側も異人側に大きな傷跡を残して……って、暗い話になっちゃったね」
さっきまで家族や住む場所を失ったばかりの濡羽色の少女に何を語っていたのかとふ、と振り返るレイラ。
だが、真実は早めに伝えるべきだと判断しての行動だった。
「ううん、話してくれてありがとう、レイラ」
リリオーネは首を振り、何か納得できた感じでレイラに感謝の意を示した。
人間の異人に対する強い念は元を辿れば、同じ人間の業故とは皮肉な話なのだろう。
「リリー、これからどうしようと考えている?」
レイラの問いに直ぐには答えられなかった。
レイラは、悩んでいるリリオーネを見て、ぽつりと呟いた。
「私に付いて行く気はないか?」
「いいの?」
嬉しい申し出。
何もかもを失った少女がこれ以上の幸福はないだろう。
だが、自身の存在に後ろめたさを感じながら、レイラに迷惑を掛けるかもしれないという思いが脳裏に過る。
果たして本当に受けていいのだろうかと。
だが、レイラの言葉がそんな思考をあっさりと覆した。
「私が申し込んでいるんだ。決めるのは、リリー、君だよ」
自分で決めていいと言ってくれた。
その言葉一つで身体中にのしかかっていたあらゆる重圧を全部吹き飛ばし、仕舞い込んでいた感情を引き上げた。
「じゃあ、レイラーー私を遠くへ連れっててくれ!!」
「ああ、任せな!」




