~熊野仁側~ 第5話 呪われた血と流離の旅人②
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森の奥は暗く、冷たい。
日差しが通りにくいのが原因なのだろう。
それとも、精神的要因なのかもしれない。
前まで遊んでいた森、物静かで、葉のコーラスが心地よく聞こえていた。
しかし、今では、物音に敏感になって、恐怖すら感じる。
リリオーネは、母、エドミナの約束通りに森の奥で身を潜めていた。
時間の経過にも気づかず、ずっと、ずっと、待ち続けた。
ここにいれば、きっと父も母が助けに来てくれると――そう信じて……
《回想中断》
「ちょっと、待って、ください。り、リリオーネ……様」
いい加減呼び慣れて欲しいと、豹戦士は、半分諦めていたが、手が自動的に剣へと伸びていた。
「なんだ、兄ちゃん。今いいところなのに――」
「いやいやいや、何を言っているんだ!これって結構、暗い話なんじゃ……」
今更ながら、と仁は、話を途中で割り込む。
「貴様、いい加減にしろ!!アスタルフィールド様が自ら己の悲惨の過去を貴様如き下等生物に語っているのだぞ!!」
「そりゃ、自分で振った話だし、今更とは思うけど……」
おどおどと、目を魚のように泳がせる。
しばしの沈黙に、リリオーネが尋ねる。
「なんだ、申してみよ」
――これは、ちょっと女王様っぽいトーン、キターー!!……って、そんなこと考えている場合じゃなかった。
更にプレッシャーをかけるように、豹戦士も睨みつける。
――うぅ~、今これ言うのすっごく気が引けるんだけど……
「何を戸惑っている、貴様!!」
「ギャァァァーー!!!言うから、剣を向けるな、剣を!!」
短期な性格の豹戦士は、すぐさま剣を仁に突きつける。
「あ~あ、申し上げにくいんだけど……さっき言ったみたいに、自分が切り出した話で、ここまで聞いて今更なんだが――もう、止めにしません、この話……」
「えっ?!」
「はっ?!」
唖然と共に目を合わせる、オールドダストとリリオーネ。
「ははは、兄ちゃん。やっぱりお前は、面白いよ!!」
「おい、貴様、何を言い出すかと思えば--」
一方が面白がり、一方は憤る。
だが今度こそはと、豹戦士は抜刀し、仁を切り刻もうとしたが、またやリリオーネに静止される。
「君の主張は、確かに面白い、が辞める訳にもいかないんでな」
「何故と聞いても......?」
パンドラの箱を開けようとしているような行為を自覚しながら仁はリリオーネに尋ねた。
「そりゃ~読者達が続きを求めているからだよ。中途半端に終わるのはずるいだろ?」
――やっぱり、パンドラの箱だったか!?
そう後悔を心の奥に零す仁。
中途半端なんぞ認める訳にはいかないリリオーネの主張は正しい。
「ナレーター、リリオーネ、様と何結託してんだ!!」
「はて、兄ちゃん、誰と話しているのかな?」
――もしかして、リリオーネもナレーターの声が聞こえるのか?!
リリオーネに視線を向けると、『ふっ』と卑しい表情で仁を見せる。
――確信犯だ!!
仁は驚愕の表情を残して、リリオーネは話の続きに移る。
「いや、ちょっ、ま――」
――ブチッ。
《回想再開》
だが、いくら待っても父や母が来る気配がない。
リリオーネは、身体を動かしてふっと頭に過る、母との約束を。
それでも、身体を蝕む苦痛の方が勝り、ついには潜んでいた場所から移動してしまう。
約束を破ってしまった後悔は勿論、村人全員から狙われているという自覚が恐怖を駆り立てる。
逃げながら人を、父と母を探すなど困難極まりない。
数でいうと五十人を超える人口の村で、それら全員の目を盗んでだ。
当然、彼らも移動しており、動ける範囲も限られてくる。
だが、偶然にも、リリオーネが育った環境が彼女を助けた。
それは、自分の気配を押し殺せる才能を開花させたことである。
広間に、必ず父と母がいると信じて進み、リリオーネは、影から影へと移動し続ける。
村人の誰とも遭遇せず、広間にたどり着いた。
しかし――
そこで見たのは、あまりにも残酷で、非道な手段で殺された父と母の姿だった。
エドワースは仰向けに横たわり、エドミナは夫の胸の上に頭を蹲っていた。
――どうして……?
ただ誰かの力になりたいと願った、少女の小さな願い。
だが、その思いも、大切な人も、何もかもを奪われて尚、自分の命すらをも奪おうとしている村人達に、今まで優しくしてくれた人達に複雑な感情がリリオーネの中を渦巻く。
「父さん……母さん……うっ、ふっ」
少しずつ、愛する両親に近づく、涙を堪えながらも、だが抑えきれずに目尻から数滴の涙が零れ落ちる。
足取りがどんどん覚束なく、短くなっていく。
力が身体から抜け落ちるのも感じられ、全身が凍えるように冷たくなっていく。
目の前の父と母にそっと手を触れ、まだ残っている温もりも、その熱さえ消えゆくのを確かに感じる。
「娘がいたぞ!!」
村人の若い男に発見され、近くで捜索していた他の村の連中を呼び寄せる。
だが、リリオーネは気づくことなく、いや、気づいていたとしても、逃げる気力などなかった。
悲しみに耽ることすら許されず、祈りを亡き父と母に捧げる時間も与えず、理不尽に奪われた大切な人達を置き去りにするのを強いられるこの状況を――リリオーネは許せなかった。
ただ涙を流すことができるこんな世界を呪った。
ただ奪われるだけの人生など、己が持つ血を呪った。
「ああああああああ!!」
彼女の魂からの叫びが辺り全体が包み込む。
村人達は、直感的に歩みを止め、森がざわめき始めたことに気づく。
だが、そんな中でも、村人の一人の男が、足を動かし、リリオーネに近づいた。
「こいつさえ仕留めれば、何もかもがうまく収まるんだろ!」
そう断言するかのように、けど、完全に賛同する村人はいなかった。
異人とはいえ、幼い子を殺すことに抵抗があるように見えた。
せめてものの慈悲なのか、単純に良心が痛むのか、それはわからない。
だが、男は村民全員を代表して、その小さな命を奪おうとした。
「すまねぇが、ここで楽して逝ってくれ!!」
斧を持って振り下ろそうとした瞬間――
男は、片目を抑えながら悲鳴を上げる。
リリオーネは、霧散した意識で朧げに男を襲った影を見つめる。
「ああああああ!!目がぁぁ!!」
男は苦痛に耐えきれず斧を投げ捨て、悶える。
「大丈夫か、リリオーネ!!」
「おお、わし、さん……?……」
栗色の羽を持った大鷲が嘴から滴る血を振り払う。
「もう、大丈夫だ、リリオーネ。もう次期、仲間が助けに来てくれる!」
動物と心を通わせるリリオーネにだけ聞こえる声。
だが、今の光景を見た村の人達はあっさりと――
「やっぱり、村を侵略をしに来たんだ!!」
「異人なんて、悪魔だわ!!」
手にしていた木の棒を握り締め、一斉にリリオーネに襲い掛かった。
だが、間も与えず、後ろから再び村人の中から悲鳴が上がった。
「ギャアアアアーー!!」
「や、止めてくれ!!がっあああ!!」
十数匹の狼の群れが襲い始め、村人達の混乱を招いた。
村人達の思考が『襲う』から『逃げる』と切り替わり、全員一斉に散り散りになった。
だが、狼も大鷲も、後から来た、熊もウサギも、ネズミも、ありとあらゆる動物が村人達を見逃すことはなかった。
「――へっ?……」
リリオーネが意識を取り戻した時には、村中が火の海になっていた。
地面に転がる動物や村人の死骸。
抵抗はしたものの、圧倒的な数の差で村人達は全滅した。
「リリオーネ、もう安心していいよ」
「リリオーネの命を脅かす者らを全て排除いたしました!!」
誇らしげに謳う勝利に、だが、現実を受け切れないリリオーネは、悲鳴を上げた。
「い、イヤァァァ!!」
遂には森へと逃げ去った。
■■■■
一体どれぐらいの時間が経っただろうか?
何日も彷徨った森には、川の水以外しか口にしていないリリオーネは、体力の限界を迎えていた。
光の通しが悪く暗闇に近い視界の中歩くのは精神的にもかなり堪えた。
だが、足取りを止めなかったお陰で、視界の向こう側から一際目立つ一筋の光が徐々に膨れ上がった。
光のトンネルを潜ると、気持ちいい風が身体に浴びせられ、スーッと身体の力が抜けて倒れた。
悪夢のような現実、一層の事夢であって欲しいと願っても、今の状況がその願いを否定する。
「だったら、もう私は、ここで最期を迎えるよ」
異人の力が悪なら、そんな力、存在しなければいい。
リリオーネは、若くして悟ったのだ。
どれが一番、争いが起きない選択を。
理不尽で不条理なこの世界がそれを選ぶなら、それに従うまでだ、と。
「あら、そんなこと言っていいのかしら――」
「誰!?」
不意に呼び掛けられたリリオーネは上体を起こし、声のする方へ振り向く。
フードで顔が見えないが、声からして女性、背丈はリリオーネの約3倍はあるだろうか?
だけど一番に驚いたのは、その人が人間であったことだ。
――大丈夫……見た感じ村の人じゃない。異人でさえわからなければきっと……
「ほ~、これはまた珍しい能力を持っているね」
「!!」
――バレている!
「どう、して……?」
一瞬にして見破られた謎の女性に一気に恐怖が全身を包む。
だが、女性はリリオーネの問いに間を開けてから答える。
「君になら、教えてもいいっか……」
何食わぬ顔で、不敵な笑みを浮かべる謎の女性。
手でフードを取り、そこから輝くような桜色の髪が靡く。
ここまで美しい髪を見たことがないリリオーネにとっては、自然と見とれてしまう。
「綺麗な、髪」
「ふふふ、ありがとう。でも、君みたいな髪の色もとても素敵だわ」
そういうと、リリオーネの髪に触れる彼女の手には警戒心を溶かし、そのまま身を委ねる不思議な力を感じ取らせる。
――ダメだ……この人の前では、憎しみも苦痛も悔しさも、喜びも幸福もその他全ての感情が等しくなってしまう……
さっきまで感じていた疲労も辛さもが消え、女性の胸の中へと顔を預ける。
「よっぽど、辛い目に遭ったのだろうね。休みなさい、可愛いお嬢さん」
謎の女性は、そのままリリオーネを抱きかかえながら移動し始めた。
■■■■
「ここは?……」
リリオーネは、暖かい毛布とふかふかなベッドの上で目を覚ます。
見知らぬ不思議な香りが部屋中に充満し、だが、その香しい匂いを吸い込んでいると、不思議と全身に広がっていた痛みが和らいでいく。
「おう、目覚めたみたいだな、お嬢さん」
不意に話しかけられた女性に驚きつつも、まだ頭が混乱しているリリオーネには声がする方へ向く力しかなかった。
「おっと、ここはどこかって顔しているね。ここは、今私が住んでいる家さ。――凄いだろ、ここには香りを嗅ぐだけで傷の治りを早めさせる効果がある薬草が大量に咲いててね、五つの花弁にはそれぞれ赤、黄色、緑、青と紫色に分けられて見た目もとても美しい」
説明し始めた彼女に戸惑う濡羽色の少女。
「……と、まずは、自己紹介からだね。私は、レイラ=ベール、旅人だよ」
「……リリオーネ=エーベルフィールド……旅人なのに、家に住んでるんだね」
「ごもっともな意見……まあ、そこを突かれるだろうなとは、思ってたけど、そうだね。私はね、リリオーネ――」
レイラは、手を宙に翳すと床から小さな芽が現れ、見る見ると蕾へ花へと姿を変えていった。
何重もの花がその後から現れ、螺旋を描きながらレイラの手元まで伸びた。
「――君達の言うところの――異人だよ」




