~熊野仁側~ 第3話 森の王国
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――……アスタルフィールド様……
静穏が森を包む。
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森の中を移動しながら、辺りを見渡す仁。
カーカーと鳴く鳥やざわざわと風にぶつかる木々の葉音を全方位から響く。
奥へ進めば進む程に肌に這う寒さが増し、恐怖が身体を蝕んでいく。
しかし、それを一向に構わんとしている濡羽色の少女は、大きく腕を動かしながら前へ進んでいく。
「どうした、兄ちゃん?もうへばったのかよ、だらしねぇな♪」
陽気に笑うその姿に少しばかり心が和むのを感じた。
――しかし……それ以上に……
「いや~、剣を背中に突き付けられたまま歩くなんてそうそうないからな~、普通は!」
そう、背後から鋭い剣で突き刺しながら剣幕を振り散らす森の王を守護する豹騎士。
常に身の危険を感じながらの移動――それに対して、何も感じず安心してまともに歩ける者が居る筈もない――否、居て堪るか!!
「私語を慎め、下等種族!」
「せめて、名前で呼んで……って……」
はっ、と気づく。
――そういえば――
だが、仁が考えると同時に、リリオーネが口を開く。
「そういえば、兄ちゃんの名前まだ聞いてないな~」
「話が進行し過ぎて、言い出すタイミングがなかったんだよ!!」
「はて、何の事でしょう?」
メキ、と頑丈そうにみえていた糸が切れる音が確かに聞こえた。
「へぇ~、本当ぉ~誰の所為なんだろうぉねぇ~……」
眉間にシワを寄せ、口角が上を向いているのにも関わらず、どうも喜びの表情とは相反する顔をしている仁。
だが、その僅かに漏れた殺気を見逃す護衛ではおらず。
「おい!アスタルフィールド様に一ミリでも触れてみろ――命がないと思え!」
刺々しいその声音と内容、物理的にも剣を更に突き立て背中から何やら紅いものが……
「止めろ~!!これ、血、血ぃ~出てるからぁぁぁ~~!!」
勢い余って、本当に身体を突き刺し、鮮血が流れ始める。
「はぁ~、オールドダストよ。お前は充分過ぎる程に優秀な戦士ではあるが、度が過ぎる程使命感に囚われておる」
呆れ顔でそう呟くリリオーネ。
「しかし、アスタルフィールド様、彼奴が何者かもはっきりしていない今、警戒を怠る訳には参りません」
堅苦しいその如何にも全うな理由。
それは、剣先を向けられている仁でさえ頷く程正論なのである。
しかし、それが事実だったとしても、両手を塞がれ、剰え背中には剣が我が身を貫かんとしているそんな状況下の中で更に警戒の余地はあろうか?
――いや、断じて否である。
否であって欲しい。
警戒を解け、と贅沢は言わない。
しかし、願わくば、と天に捧げられぬ手で何とか拝もうとする。
――少しでもいい……剣を引いてもらいたい。段々背中に刺さっていってる(涙)。
何やら、Tシャツの背部から紅い跡が、それに加えて生暖かい感触が下って足まで伝わる。
それに気づいたであろうリリオーネは、振り返り、呟く。
「オールドダスト、いい加減剣を退きなさい。彼、今にでも死にそうなくらい顔がぐちゃぐちゃになっているではないか」
「あ、アスタルフィールドがそう仰るのなら……」
不安を残しつつ、惜しむように剣を退ける豹戦士。
――おお、神よ!いや、女神よ、アスタルフィールド様。このご恩は、必ずや!
ここまで感謝の意を示したことはあるのだろうか?
苦痛からの解放――安堵と共にやってくるずきずきと刺し傷からくるちくりとする痛み。
浅さ故にむず痒い感覚に戸惑いながらも、何たる幸福なのだろう。
普通の連行とは、こんなにも、いや、果たして、普通の連行とは如何なるものなのだろうか怪しいではあるが、まあ、兎に角、感服であるのは確かだ。
しかし、豹戦士の類稀ぬ熱く険しい視線には流石に避けようもない。
何故なら、まだ監視対象の怪しい者として捉えているからである。
そして、おそらく、と仁は推察する。
豹戦士が、ここまでしてくるのは、全て一つへと繋がる。
仕えている主のためだと。
彼の過去に何があるのかはわからない。
だが、それが、全てはリリオーネのためだとだけは、解かっていた。
「着いたぞ!」
およそ、一時間も歩いた森林の奥、一つの町が築き上げられていた。
主に木々を用いた住まいを造り、盛んに溢れた商売が大いに目立っていた。
「何だ、これは!?」
仁が驚くのも無理もない。
そこの住民は全て二本立ちで歩く獣の集団であったからだ。
おおよその想定は着いていたものの、人間と交わっている種族とばかり考えていた。
だが、この光景を見て、得心したこともある。
それは、リリオーネの側近である豹戦士の自分を見る目に付いてだ。
なら、何故そういった疑問を抱いたのか?
その答えは、この国と思える街の女王が、人種であるからだ。
獣の王国に何故、人間が君臨しているのか。
それが謎で仕方がないのだ。
だが、それのことについては、口出しは無用。
――なんとなく、聞いたら後ろの豹戦士に殺されかねない気がするし。
身の危険を本能的に察知し、言葉を控えることを選んだ。
思考を別に向けさせるために街中を見渡すことにした。
どこかしこも見たことのない神秘的なデザインの家に感動を覚える。
動物達の手は、人間と違って掴むことが困難になっている故に、床の木の板や家の柱の作り方に興味を湧かせる。
日々の暮らしをどう過ごしているのか、尽きることのない気を引くものばかりに包まれている。
『人間だ』
『ええ、人間よ』
ざまめく空気に晒されて、仁は、周囲の目にようやく気がつく。
睨まれて向けられている感情には、好奇心や不思議ではなく、淡々と冷たく明白な嫌悪の眼差し。
人間にだけ向ける憎悪は、ただならぬ彼らの真意をぶつけられているような気がする。
ゾクッと心臓に突き刺さる。
萎縮しなければ、気を集中し耐えなければ狂いそうになってしまうから。
「おい、兄ちゃん、兄ちゃんったら。おい、仁!!」
「っは!ど、どうしたの、リリオーネ……様」
一瞬名前だけで呼んでしまった仁は、横目で豹戦士が剣を抜きそうになるところを目にし、様を付け足した。
その後で剣を納める豹戦士を見て、ふうっと安堵する。
「私の城に着いたぞ」
下向きしていた頭を上に上げると、洞窟をそのまま掘って改造したもので、ちゃんと立派な城の姿をしている。
「凄いだろ。この洞窟全体が鉱石でできている珍しいものらしい」
洞窟で鉱石を掘り起こすのはそう珍しくない、というよりそれが一般もの鉱石を得られる方法だ。
しかし、それには、単純に洞窟にある鉱石を掘削機を使って探さねば成らない。
そして、採取できる量もかなり少ない、その為にトン単位の中で数百キロしか取れない程に規模が小さい。
だが、城でできているのは純度百パーセントの鉱石でできている。
その価値は計り知れない程高価なものだ。
いや、それすら適切な言葉にあらず、言うならば、百億円の宝くじを引き当てるような感じなのである。
「これは?!」
仁は立ち止まり、じっくりと城内の鉱石に目を向ける。
「見たことがない鉱石だ。一見ビルマ・トルマリンのようにも見えるが、内部に見えるこの薄青紫色の模様は、ブラックオパールにもよく似ている。いや、でもトルマリンの特徴を見るまでは確信は持てないな……」
城内には、一切のランプもなければ、明かりを灯すものがない、だが、周りにある結晶石のお陰で、光が乱反射し、周りを鮮明に灯していた。
鉱石は透明でその中には青紫色が含む螺旋状の模様が大いに目立っていた。
そして、食い入る見詰める仁は、素早く、リリオーネに視線を移す。
「リリオーネ様。火、火はないのか?」
「火、か。別に構わんが、そんなもん、何のために使うんだい?」
リリオーネは、配下に火を持ってくるよう命じ、手元に渡された松明をそのまま仁に渡した。
「まあ、予想ではあるが、俺が知っている鉱石の中で熱を加えることで、中の分子が活発化になり、その運動エネルギーによる磁場が発生することがあるんだ。それで、発せられた磁力は、周りに存在するあらゆる鉄製の物質を引きつけたりするのだが――おっ、思った通りだ!!」
説明しながら、楽しそうに語る仁。
その横で微笑ましく見守るリリオーネを見る豹戦士の表情は険しくなる一方だった。
「詳しいのだな、お前。やっぱり、異世界から来る者の知識は面白いものばかりだな」
「ッッ!!」
以前にゾッと湧き出すような違和感を思い出す。
何故、彼女は自分を異世界から来たのか解かったのだと。
疑問を積もらせる中、自然と淡々と口にする。
「お前も、同じなのか?」
異世界から来た者、それを判断できるのは以前から知っているか否かに比例するのではないだろうか?
だが、リリオーネは、首を振った。
「以前に、不思議な旅人が訪れた。私が、この森の女王になる前の話だ――」
こうして、語り出した、リリオーネ=アスタルフィールドと一人の旅人のお話を……




