第35話 種族は違えど、共に居られる
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「いやいやいや、そんな訳ないだろ。こっちは本気でお前を頼っているんだからさ、冗談は止めて欲しいよ、レオン」
「ちょっと、レオン君。仁君の言う通りあまりふざけた事を言わないで、真剣に考えなさい」
レオンは、『チビッ子現象』が風邪に於ける原因だと推測する。
しかし、仁と鈴菜は、そんなレオンの考えを全く耳を傾けず、レオンがふざけていると考えている。
一方でアティラも不満そうに考え込んでいた。
病まない身体の筈なのに風邪を引く訳がない。
満場一致でレオンの出した推測を簡単に切り捨てる。
「いや、待って。確かに根拠なんて何処にもないし、そうであるかも判らない。しかし、今のアティラさんの状態を考えるとその可能性しかないんだ」
公園内に広がる静寂。
正午にもなると子供が現れてもおかしくないのに、何故かこの公園にだけ子供の一人すらいない。
「それで、万が一風邪だったとする……治す方法はあるの?」
意味不明なレオンの説明に苛立ちを覚え始めている仁は、『チビッ子現象』の治療法を尋ねてみる。
「さっきも言ったよね。僕は知識を少し齧っていても、専門外だと。治す方法は詳しく調べないと判らない……だが、治るかどうかは正直まだ全然判らないのが現状だ」
断固として、仁の望みが潰える。
(あ~あ、これで野宿確定だ~)
だが、恐る恐る、レオンに尋ねる。
「で、どのぐらい掛かりそうなんだ、治療法……?」
「場合によるが、事が事だからな。見積もって、一ヶ月?」
予想外の返答に仁は絶句する。
一ヶ月も野宿するのかという思いと。
食料も、衣類も、あらゆる生活用品が使えなくなる。
(それを一ヶ月も続くのか)
果たして、耐えられるのだろうか?
目を遠くを見詰め、仁は途方に暮れる。
一ヶ月という単語にひどく怯え、この先の夏休みをどう過ごすのかを想像する。
「へへへ、へへへ」
気色悪い笑い声で仁は死んだ目で地面を凝視する。
「げっ、仁が壊れた?!何故?!」
それに反応して、レオンは仁の様子にドン引きする。
「実は――」
すかさずアティラは、仁が何故そんな様子でいるのかをレオンと鈴菜に説明する。
「なるほどですね。それは確かに大変な事になっていますね」
「うっへ~、おっかねぇー母さんだ」
二人は、同時にベンチに座る仁を同情の目で見つめる。
「そんな哀れみの目で俺を見ないで!!」
絶望的な人生を送っているのだな、とレオン及び鈴菜が思う。
そして、その目に耐え切れなくなった仁は、足早で公園から姿を消す。
アティラは、そんな仁を見て、クスリと笑う。
(そういえば、以前もこんな事があったね。丁度こんな感じの大きさだったっけ――)
小さき身体を見据えながら、アティラは黄昏色の空を見ながら過去を振り返る。
■■■■
身体がまだ成長していた頃。
そう、あれはまだ六、七歳の頃の事。
環境に戸惑うアティラは、グリズリーと共に山の麓に降り立った。
初めてではないにしろ、多くの動物と触れ合う機会をグリズリーはアティラに与えようとしていた。
普段は独断で行動をするグリズリーなのだが、彼の本能的性質まで曲げて、より多くの関わりを持たせようとしてくれていた。
しかし、まだグリズリー以外の動物達と接した事のなかったアティラに取っては、疑心暗鬼になっても仕方ないだろう。
いつもグリズリーの後ろに張り付いて、隠れるように、グリズリーの毛並みの中へ顔を埋め付ける。
「あらあら、今日も相変わらず仲良しですね、グリズリーさん」
白銀狐がそう呟く。
「全くだ。早く慣れて欲しいものだよ。世界はまだまだ未知で溢れているからな。この子にもこの世界をもっともっと知って貰いたいさ」
「あの独断専行で森林の王者が、ずいぶんと丸くなったものだね」
「うるせぇ」
森林の王者であるグリズリーは、その実凶暴で悪質な熊だった。
それが何故、アティラの世話を請け負う事を決めたのか全くの謎で、彼女と過ごしている内に、性格も変わり、あれ程恐れられていた筈なのに、すっかりと立派な親になっていた。
今となっては、誰からにも恐れられなくなり、親しみやすい感じを漂わせていた。
「アティラちゃん、久しぶりだね。私の事覚えている?」
少し顔を見せ、アティラはこくりと頷く。
「白ちゃんって、呼んで欲しいって、言ってた……」
口篭る言葉と愛らしい鈴音色の声。
白銀狐はそのふかふかな白い尻尾をアティラの頬に擦り付ける。
何度か白銀狐と会い、少し照れながらも、時間が過ぎれば彼女に心を開き、普通に接するようになる。
だが、毎度毎度、出会えば見ての通り、他人を見るような感じに塞ぎ込んでしまう。
最初の頃のアティラは、笑顔こそ見せていたが、極たまに暗い表情を湖に映る自分を見詰めていた。
それは、自分以外の動物が存在しないという寂しさから来るものなのか、それとも自分が唯一違う存在として自覚していたのかは、今となっては判らない。
何年も一緒に暮らしていても、グリズリーにはアティラの全てを理解する事はできない。
違う種族である事、違う人生を歩んでいた事、違う考えを持つ者同士、互いに本当の理解をするのはおそらく一生できないのであろう。
だけど、一緒に過ごす事で何かを得る事はできる。
共有できるものもきっとある。
しかし、事はそう簡単には運ばないのもまた事実。
アティラが目を離した隙にいなくなり、森中を探すのは中々に困難。
だが、グリズリーもプライドが高く誰かの助けを乞う事はなく、いつも見つけ出す頃には、異常の汗を搔き、叱る気力もないまま、『帰るよ』と一言だけ呟く。
そして、そのまま洞穴に帰り、グリズリーはそのまま寝る。
だが、ここにまた毎回の問題がある。
それは、グリズリーの鼾である。
洞穴の空洞とグリズリーの鼾が上手い具合に共鳴しあって、その音量を増幅させる。
そして、グリズリーのお腹に顔を預けるアティラに取っては、何とも言い難い騒音なのだろうか。
毎度毎度、その鼾に魘され、その音をどうにかしようと横たわるグリズリーの腹を思いっきり殴る。
破壊力こそ無いけれど、繰り返し続ければ目も覚めるし、心地よく寝ていたグリズリーの夢見を害する結果にもなる訳で、ちょっとした喧嘩になる事も多々あった。
しかし、いつの間にか二人は寝落ちし、朝目を覚ますと綺麗さっぱりと昨夜の喧嘩など忘れてしまっていた。
共に笑い合い、共に喧嘩し、共に食事をして、共に寝る。
それが少女と熊の日常。
誰にも奪わせない、一生ものの思い出を胸に。
アティラはこれからもずっと一瞬一瞬を大事に笑い続ける事をその時から決意した。




