第03話 やはり人生は上手くいかない!!
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皆に笑われている先生は、如何に怒っていらっしゃるか察しがつきよう。
わざとではないにすれ、これほど虚仮にされたのは生まれて初めての事だろう。
「アティラさん、早く入って来て下さい!!」
だが、やはり、とアティラが一向に入る気配がない。
先生は、仕方なく教室の外へ覗き見ると、扉の前で足を止めた。
「アティラさん、教室に入れ!!」
とうとう、命令口調で叱り出した先生に壁の向こうから『うわっ!!』と悲鳴にも聞こえなくもない声が漏れた。
その声音からして、噂の中にあった女子である事が判った訳なのだが。
やはり、名門校と呼ばれる星ノ宮学園では、こういった騒ぎはあまりいい方向には捉えられない。
だが、それはあくまで平均を表しているだけで、実際にはというと――
「あははは、何今の声?!なあ、仁、この転入生は、面白い人なのか?」
きりっとした目付きで仁を見やる男――以前鉢巻を巻いていた所為で見えなかった逆立った黒髪。
あの川原豆腐(ラーメン屋)の息子の望だった。
何故そこで自分に振るのかは余所に仁は、べっとりと汗を掻きながら窓硝子の向こう、積乱雲が積もる空を眺めていた。
「さ~な、俺にも判んねぇよ」
できるだけ話題を変えようとする。
しかし、一方クラス中が沈黙に包まれる。
それは、そのお転入生が教室に入ると同時に起きた。
コンコン、と靴が床にぶつかる音が鮮明に聞こえるぐらい静か。
靡かせる長い栗色の髪、透き通るような艶やかな白い肌、赤く染まった瑞々しい小さな唇、一つ一つの動作に見られる可憐さを見ると、普段をアティラを見ている仁でさえ、この時だけは別人に見えた。
その姿に誰しもが、さっきの先生の言葉なぞ忘れ、ただただ彼女の美しい姿を魅入った。
アティラは、クラスメイト全員に背を向け、白のチョークを手に、黒板に名前を書き始めた。
アティラが迷わず、チョークを手にする事ができたのも仁が予め説明をしていた。
しかし、仁は肝心なチョークの使い方をいい忘れていた。
だからこの状況を作り上げたのは、巡り巡って自分の所為だと。
チョークを使うまでは良かった、けれど、その先、黒板に付ける角度、強さを見誤れば、当然響き渡る。
誰もが嫌うあの音を。
キーーーーー!!
それを気にしないのはアティラのみ。
名前の一つ一つの書き順に忌まわしい『キー音』が教室中に響く。
皆が耳を防ぐ中、先生はアティラに辞めるように声を掛けるのだが、キー音に邪魔されて上手く声が伝わらない。
漸く名前を書き終え、前に振り向くと何人かの生徒が気絶していた。
中には、聴覚がかなり発達した者もいた所為か、キー音に当てられ気絶。
他の全員は、耳を塞ぎっぱなしで机の上で頭を乗せる者も。
(アティラ、すまん。どうやら出だし最悪にしてしまったみたいだ)
大事な第一印象。
それは、最悪の結果になったと言っても過言ではない。
先生を無視に加え、チョークで雑音をクラス中にばら撒いた。
一人が気絶して、他の皆は、さてどう思っているのやら。
それでも、アティラは、何も気にする事なく、自己紹介をする。
「外界から来ました、アティラです。皆さんと仲良くできるよう、頑張りたいと思います!」
一つ不審な一言を聞いたようなクラスメイトですが、すぐに納得するような言葉をクラスの誰かが言った。
「ははは、海外を言い間違えたのか、うんうん、よくあるパターンだよね」
その一言で場が和む。
厳密に言えば、アティラの言っていた事は本当だ。
外界、それは即ち異世界。
幸いしたのは、誰かがアティラの言葉が言い間違いである事を指摘してくれた事だ。
もし、安易に他の国の名を出すとそこについて聞きかねないという理由だが、本音は、アティラが土壇場でアドリブするよりも、事実を言った方が結果は何十倍ましになる。
なら一層その部分を曖昧にすれば、少しはましになる魂胆だが、やはり少し甘かったのかもしれない。
何故なら、仁の目の前にいる望が大げさなリアクションを取っていた。
「貴方、あの時の……おい、仁、これはどういう事だ!」
誤算があるとすれば、望の存在を完全に忘れていた仁は、大いに顔をしかめる。
勿論、アティラがこのクラスに来ずに他のクラスに入っていたら、誤魔化せたものの、いざ自分のクラスに仕立て上げた明日香さんの考えを見据えなかった己の愚かさを身に染みて思い知った。
この状況がなるのは、どう転んでも同じ事だった。
「いや~、びっくりだね。まさかあの時の女の子が俺らのクラスに入るとは……」
全て、棒読みで言い、生まれながらの下手くそな演技でやりすごそうとしていた。
けれど、長年の付き合いである望は瞬時に見抜く。
「お前、アティラちゃんと何かあったでしょ」
「え、何……お前ら、彼女の事知ってんの?」
いきなり突っ掛かる、悪賢そうな鋭い目付きの黒髪の短髪の少年――喜多見柔悟。
付き合いは浅いがクラスの中では主にこの三人で話す事が多い仁は、ふと思った。
(面倒くさい展開になりそう)
がくりと頭を俯け、同時にはぁ~とこれから見る地獄を想像しながら深いため息を吐いた。




