第12話 買い物デート? 中編 ~彼女の常識はまだまだ遠く及ばず~
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電車に乗るのが二回目のアティラ、そんな彼女は、今酷く動揺していた。
それは、人の多さ。
先日、帰り道に乗った電車の中は比較的少ない、むしろいなかったに等しいと呼んでも過言ではない。
精々、一車両に十人満たないぐらいだった。
そして、初めての体験とは、恐ろしいものだ。
教えない限り、最初に体感したものが普通と捉えてしまう。
だから、今の状況に戸惑いを見せるのも無理はないだろう。
何せ、体を縮ませないと入らないレベルの人口密度だからだ。
そんな状況でアティラを壁際に立たせ、自ら他の人に押し潰されないように守っていた。
「大丈夫ですよ。これぐらいじゃ、負けないですから」
これは、試練だろうか?
仁がアティラを守れるかどうかの、そして、アティラ自身がこの世界に耐えられるという試練なのだろうか?
目的のデパートまで三駅。
しかも、デパート目的で来る人が多いこの電車。
まだ一駅目を過ぎて、この一盛り。
二駅目に着いたら、更にこの人口密度も増えよう。
何としてでも、アティラを守らなきゃという仁の正義感が告げる。
これぐらいじゃへこたれるんじゃない!
自分は、もっともっとやれる人だと。
強い思いが仁をこうして、押されても耐えられる力を与えていた。
「熊さん、大丈夫?苦しそう?」
心配してくれるアティラの表情は、別の意味でゾッとさえ思えてくる。
これ程までに健気な子はいるのか?
――ピンポンパンポン
次の駅の知らせが鳴り、仁は体に力を入れる。
これから入る、数十人の押し込む力に対抗できるように。
「ふっん、ぬぬぬぬ――!!」
(これしきで、負けて堪るかぁぁ!!目の前の女の子を守れずして、男と呼べるかぁぁ!!)
などと情熱的な思考で押される背中に押し返す力で耐える。
しかし、以前と違って、今度はその踏ん張りを維持しなければならない。
力を本の少し抜けば、確実に溜め込んでいた力が二人を押し潰すだろう。
だから、今からが一番肝心な場面、地獄の五分間の始まりとなった。
今みたいに、誰も動かないならまだいい。
問題なのは、人が体勢を変えるために、腕を動かしたり、体を捻ったり、自分が一番楽な姿勢になりがちな傾向の事だ。
一人が動けば、大抵、隣の人が体勢に不満が起き、自分も体勢を変える。
そして、連なるように次の人、次の人と延々と続く波の力。
厳しい姿勢な上に、力を入れ続けなければならない仁に取って、この波の連続攻撃がかなり身体に負担を掛ける。
仁の苦しそうな表情を見て、アティラはまた心配そうな顔をする。
「心配いりません。ほら、大丈夫、大丈夫」
(身体鍛えてて助かった~!前だったらこんなの絶対無理だったわ~)
見栄っ張りのいい笑顔でアティラの心配を和らぐ。
しかし、相変わらず内心では、苦情の連発。
(痛いっ!い~たいってば!!背中をぶつけるな、足を踏むな、脇を殴るな!!)
痛い思いをしながら、ただアティラの無事を祈る。
――ピンポンパンポン
四つん這いになって、ようやくあの地獄から解放された仁。
アティラは、明日香から貰った水を仁に渡す。
「ありがとう、ございます」
水を受け取った仁は、それをラッパ飲みをし、はぁ~とさっぱりとした気分に返る。
立ち上がり、目的のデパートへ向かう。
アティラは驚愕するだけだった。
巨大な建造物の前に、まるで垂直の山を見る感覚だ。
その内部へ入っていく人達も平然とした表情をしながら。
何故、誰も驚かない?
それだけが気がかり、それだけが不思議。
「これは、人が造った建物、色んなものが売られている、まあ、一杯のものに溢れる場所だ」
仁の言っている半分以上も理解せず、アティラは凄いとしか言葉を選べなかった。
毎回毎回、アティラは新鮮な反応を見せてくれる。
まず、入り口の自動ドア。
センサーが人を捉えた瞬間に開くシステム。
彼女に取って、超の付く未来の技術を目の前に声を上げる。
「まるで、生き物ですね」
無生物は、てっきり動かないという考えを持つアティラに取って、電気で動くあらゆるものは、想像通りの生き物に見えよう。
次に、経済面について全く知らないアティラは、店――特に食品を売る――の品を取りまくり、食べまくった。
その度に店の人に謝り、そして、払う。
どんどん――母親から貰った買い物リストを買えぬまま、財布――貯金を使用中――が細くなっていくのをがっくりとしながら眺めている仁。
でも、案の定買い物が順調に進み、無事、歯ブラシ、シャンプとリンスとタオルを確保。
残す所は、衣類だけとなったが、リストの中には、衣類の項目に一番上に書いてあったのは――
(ぶ、ブラジャー!!)
仁は、ブラジャーしか言わなかったが、その次には、下着、パンツも書いてあった。
勿論、そういう店に入るのだが、男性がこういう店に入るのは小っ恥ずかしい、その上仁ときたら、この手の店は、視界に入るのも駄目な男なのだ。
「熊さん、何故目を逸らすのですか?」
無知なアティラは、下着、いやこの場合裸を見られても全く気にしない。
出会ったの日からそれは確認済みだ。
しかし、もう少し恥じらいを身に付けた方が将来的には何分気をつけられる。
「いや、アティラさん、あのですね。下着というのは、普通男の人が見るものではなくてですね……えっと~、風邪や寒さから守るための服で……あれ?何を言っているんだ俺……」
混乱のあまり、考えが定まらず、思い浮かぶ真っ先の事を言う。
「風邪、ですか?」
「そう、風邪、病気の事。一度なると面倒で長引けば、色んな他の病気が発症したりするんです」
病気という単語は、理解できた。
しかし、それだけ。
生き物は、病気をする。
体内には、常にウィルスが入り込み、その度に身体から放たれる白血球により身体を守っている。
そう、これはあくまで普通の生物に関して起きる現象。
しかし、アティラは、仲間が病気に掛かる事は見かけても、自分がなった事はない。
この百年一度もなった事がない。
アティラが以前言っていた言葉がある。
『私の身体は、衰えない、病まない、老いない』
――、と。
だから、仁がいう下着とは、病気を防ぐ着物の一つだ。
なら、病まない自分には、当然――
「熊さん、私には、やっぱり下着はいりません」
きっぱりと聞き間違えのない声で言うアティラを唖然とした様子で彼女を見詰める仁。
(今、いらないっていったよね。聞き間違えでは泣く、本当にいらないと)
それって、つまり――
仁は、アティラの服装を見詰める。
ノースリーブのワンピース。
袖がないその服の脇は、少し開いていて、中を覗き込める。
(――ッ!!)
「アティラさん!!」
大声でアティラを塞き止める。
「買いましょう、下着。俺も……一緒に入りますから」
見るだけでも逃げ出したくなる仁は、事の重大さの方に集中して、震える事はあっても、引き下がる事はなかった。
(今まで気づかなかったけど、アティラさん――下着穿いてないじゃないかぁぁ!!)
そして、仁は連想してしまう。
駅までの道のりを、電車の中の込み合いを、そして、デパートに着くまでの距離を。
誰かに見られてはないだろうか?
その心配の念だけが頭を埋め尽くした。
已む無く女性下着専門店に入ったアティラと仁は、お互い少しばかりか落ち着かない様子。
仁は、ああ言ったけど、いざ店に入ると何をどうすればいいのか判らず仕舞い。
その上で目のやり場を完全に失ってしまった。
アティラは、初めて入る店、しかも、何を基準にして選べばいいのかも判らないままでいた。
だから、遠慮がいらないと出かける前から明日香から聞いていたから、アティラは行動をする事にした。
仁の緋色のパーカーを引っ張り、耳元で囁くように言った。
「下着を選ぶの手伝ってくれませんか?」
仁は、一歩下がり、口を抑え付けた。
(えええええええええええええええええええええええええええ!!)
店の中は、男性の悲鳴のような声が響き渡った。




