追想のアルデバラン
初投稿です
「父ちゃん、あれなーに?」
あれは確か、三十年ほど前の出来事だったと思う。父がそのときマイブームだったという天体観測に強引に連れ出された幼い私は、唯一名前だけ知っていたオリオン座から少し西のほうに見える赤い星を指してそう尋ねた。
「あれはアルデバランだね。おうし座のちょうど目にあたる星で、後に続く者って意味なんだ」
「ふーん」
その時の私はいやに捻くれていて、それが火星だとか金星などの有名な惑星でないことにひどくがっかりして、夜に父親と二人きりという環境とあまりの寒さに耐えきれずに早く家に帰って温かいお風呂に浸かることだけを考えていた。
つまらなそうに返事をする私に、父は「仕方ないなぁ」といったふうに苦笑を浮かべながら私の頭を撫でる。その撫で方があまりにも優しくて、気恥ずかしくなった私はそれを誤魔化したくて矢継ぎ早に質問を繰り出した。
「ねぇ、オリオン座のオリオンってどういう意味なの? ほかの星座は? 夏だけじゃなくて、冬の三角形もあるんでしょ?」
「そんなにいっぺんに聞かれても答えられないなあ。……そうだな」
父は私の質問に一つ一つ、懇切丁寧に答えてくれた。身振り手振りを交えて嬉しそうに星のことを語る父の姿は少年のようで、その姿を見た私もなぜか嬉しくなったのを覚えている。それからも父は、祖父から受け継いだという早見星座盤を取り出して見せながらどの星を結ぶとおうし座になるのか、元となった神話やその他の有名な星々を数多く、長時間にわたって話してくれた。
私はいつの間にか帰りたいと思うことすら忘れ、二人で望遠鏡や早見星座盤をのぞき込みながらただただ星や宇宙に関することを語り合い、しまいには今度は母も連れて三人で天体観測をする約束までしてしまった。その後、気づいた時には父の運転する車に揺られ船を漕いでいたことをここに追記しておく。
あれから私もいい大人になり、今では写真家の良き旦那と2人の子供に恵まれ、都心から少し離れた所にあるマンションの一室を借りて順風満帆な暮らしを送っている。父は私の結婚に対してずいぶんと反対していたが、旦那の渾身の土下座と痺れを切らした母の鶴の一声によって引き下がり、定年退職した今では旦那や孫と共に天体観測をする仲になっている。
そんな母といえば、孫におばあちゃんと呼ばれるのが夢だったらしく、私が家族で実家に帰るなり孫の世話役を買って出ている。このあいだなど、仕事の最中に私のスマホにメールが入り、何事かと思って開いてみれば『夢の国なう』とだけ書かれた文と楽しそうにはしゃぐ子供たちの姿が。
呆れる反面、自分も祖母や祖父に連れられて遊園地に行ったことを思い出し、家に帰るなりほっとした表情で迎えてくれた母はこんな気持ちだったのだろうか、と仕事中ながらも感傷に浸ってしまった。
「——ねえ、あなた?」
「なんだい、すばる」
巡り巡って季節は冬。吐く息が白く色付き、澄んだ夜空には星が輝く。子供たちが寝静まり、久しぶりに訪れる二人きりの夜。
望遠鏡をのぞき込む愛しの旦那に熱いコーヒーの入ったマグカップを差し出し、はるか遠い過去に思いを馳せながら、私は静かにこう問いかけるのだった。
アルデバランは見えるかしら、と。
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