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幸せに浮かれる男の戯言

作者: 愛石世界

交点を探すのは

案外容易なことであると、君は知っているだろうか。

平行線が無闇に続く中で、交わるそこは案外目立ってしまうものだ。

君と僕の交点は隠そうとしようがしまいがきっといずれ露見することだろうね。

だってそれはあろうことか発色し誤魔化しきれぬ甘い幸福の香りをまき散らしていることだろうから。


君は才能に宝ばかりを持つ人。

小さな体が織りなすすべては人を魅了し誘惑し恋い焦がれ、愛すら創造させる。

激情を真っ白なキャンバスの中に押し込めて

しかし溢れんばかりのそれはその枠すら越えて、外側の世界へ延長していく。

僕の吐き出した煙草の煙をもてあそぶ。

愛を始めることにした日を人はアニバーサリーと呼ぶそうだ。

でも不精な僕はいつだってその日を特別視することを忘れてしまう。

そのことに頬を膨らませる君は世界で一等かわいらしい。

きっと瞳に虹彩が失われたとしてもこんな幸福ばかりの日々が明日も続くのなら

僕は昨日を愛おしく抱き締められるだろう。

 

夢を見ているようだと小鳥がさえずるけれども

そんなのは悪夢だ。

奇跡のような幸せを夢なんてくだらないものにしてしまうくらいなら

眠ることだって忘れたい。

陽だまりが落ちる場所はここにしかないのではないかと夢うつつを宣っていたい。

そんな僕を君は笑うだろうか。


駆け引きっていうやつがどうにも得意ではなくて

驚かせてやろうとあれやこれや、普段使いもしない脳みそを少しばかり働かせてみるのだけれど

それだってやっぱり不得手な行動らしく

やっぱりね、って君は可笑しそうに指さす。

その指にかみついて消えない傷をつけてしまえばどうだろう。

君を驚かせることはできるかな。

でも僕は君が傷ついているところを見たくない臆病者だから

そんな勇気これっぽっちもありやしないのだけど。


ある日雨が降れば、不穏な報せが舞い込んだ。

ざあざあと窓を打つ雨音がやけに強くて耳に入る音が何もかも遮断された。

君の帰りをいつものように待つばかりだったのにどうして帰ってこないのだろう。

どうして君は目を開けないのだろう。

病院の地下に入ったのはこれが初めてだ。

嫌に寒くてコンクリートのひびを数えることしかできない。

だって前を見て、目を開けば

こちらをもう見てくれない君が横たわっている。

そんなものを見るくらいなら僕は天井を仰いで首が痛いことに苦しみたい。


変化のない毎日だって上等じゃないか。

ただ君が隣で会社の上司の愚痴や明日の晩御飯の話をまるで僕を案山子に仕立て上げこぼす日々。

それだけでいいじゃないか。

星空の下でバルコニーに二人珈琲を用意して

「寒いね」「そうだね」って繰り返されたくたびれた会話をしようよ。

ねえ、目を覚ましてくれないか。


笑う君を最後に見たのは葬式の写真。

お義母さんに頼まれてアルバムから空っぽの心のままきらきらの日々から探し出した一枚の写真。

五年前の君は今より少し若い。

けれどこれからもっと歳を重ねていく僕は今の君もこの写真の君も置いていくのだろうね。

この思い出たちを僕はいつか過去にするのだろうか。

まだあふれる君の光が君のいなくなった世界へ僕を還してくれない。

僕はそれでいいと思うのだけれど。


謀殺されていく日々の中で一人分空いた家に帰る。

何もかもが実感なく、味気なく過ぎていく。

ただ僕は生きているだけ。

君が生きていたころ、僕はどんな表情をして、どんな感情を抱いていたのかな。

今を覚えなければ、君が居た頃を忘れずにすむのだろう。


ある日気づけば僕は一人でバルコニーにいた。

無意識のまま君の分も淹れた珈琲。

二つのお揃いのマグカップを何時間も見つめているだけだった。

寒いなあ、と思いながら返ってこないとわかっている言葉を呼気に混ぜる。

闇に溶けていく白い靄も、煙草の煙もただの空気だ。

色付くことはない。


君と僕は平行線に戻ってしまったんだね。



『寒いでしょう』


耳に、久しぶりの、もう懐かしいとすら感じる君の声が聞こえた。

気がした。


『珈琲冷めてしまうよ』


それが幻聴じゃない、と我に返りうなだれた首を正面に向き直す。


「あ、君」

『どうしたの?ただの幽霊だよ』

「君、どうして」

『だって貴方が今にも死んでしまいそうでしたから』



何も変わらない調子でいつも通りの君で

笑う。

触れたくて、どうしても、手を伸ばす。

けど君には触れられない。


「どうして」

『だって幽霊だから』

「そんな、君は死んだのか」

『ええ、あんな古い写真、使うなんてひどいわ。私、今だってきっと可愛いのに』

「あ、ああ、ごめん」

『線香、上げてくれてありがとう』

「それはしきたりだから」

『泣かなかったね』

「…意地悪なことを言うね」

『ふふ、貴方が泣いたところなんて見たことないわ』

「そうかい」


でも今、少しだけ、泣いてもいいかい。


君が僕に手を伸ばす。

僕にその手は届く、届く。

実態のないそれが僕の頬をなぜる。

ぬくもりもつめたさもない君の手。

ああ、君はここにいないんだな。


ちゃんとわかっていて、理解していて

だから泣けなくて、君の後を追って死ぬことだってしなかった。

何も変わらないように日々を過ごした。

強がりばかりで生きている。

今だって、これがただの願いの見せる夢だってわかっている。

だけどそれにすがったっていいじゃないか。

あの頃は夢を見なかった。

日々が夢の様だったから。

今は日々は伽藍洞のようで、なにも感じない。

でもそれじゃあ駄目なんだって、こうやって心が逃げ出してしまうんだって

わかっているんだ。

夢でくらい泣いてしまってもいいじゃないか。


『そういう強がりなところ大好きだよ』

「君が泣き虫だったからね」

『私がいなくても大丈夫?』

「大丈夫じゃないよ、でも

君がくれたものをまだ忘れたくないから、だから生きていくよ」

『うん』

「君をもう少しの間、好きでいていいかい」

『貴方の好きにしたらいいよ』


私は貴方のことを好きなまま死ねたことが唯一の幸福だから

この気持ちもっていかせてね。


うん、君の好きにしたらいいよ。


気づいたら君は居なくて、残ったのは消えかけの煙草と冷めきった珈琲二つ。

きっと僕はまだこちらに簡単には帰ってはこられないけれど、それでも生きるんだろう。

まだ箱の中に煙草は残っているし

珈琲豆もまだたっぷりある。

それがなくなったらまた違う理由を見つけては君のいない日々を生きていく。

そしてそれにいつか飽きたら

誰が僕を引き留めようとかまわずそちらへ行くことだろう。

君に止められたって、それが意味のないものだとしても。

だけど大丈夫。

君にあげたものと君からもらったものを飲み干して

歩いていくから。



冷めた珈琲二人分

静けさの温もりの中に満たされていく日々に

ありがとうを告げて、旅に出よう。




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