自宅警備員
彼女と同棲するようになってから、ぼくの仕事はこの家と彼女を守る事になった。
朝、目覚まし時計の音で目を覚ました彼女が、まだ眠そうにしているのをそっと揺り起こす。
彼女は目を擦りながらも「ありがとう」と微笑んでくれる。
ご飯を一緒に食べながら、他愛のない話しをして過ごす。
棚に置かれた時計の針がいつもの位置に来ると、彼女は慌てた様子でスーツに着替えて玄関へ向かう。それを追いかけて「いってらっしゃい」のキスをして見送る。
全身を目一杯に伸ばして一息つくと、家の中に異常が無いか高い所から低い所まで隅々を見て回る。
玄関以外から侵入するのは高さ的には難しいが、ぼくの様に身軽なら不可能ではなかったので、喚起のために開けられた窓があると念入りに調べた。
彼女は未だに少女の様な雰囲気を持っていたので、変な輩に目をつけられないか心配だった。
最も警戒しないといけないのは夜だった為、基本的には彼女の留守の時間帯に仮眠を取っていた。
それでも、彼女が居ないと一日がとても長く感じられた。毎日がお休みだったら、ずっと一緒にラブラブして過ごせて幸せなのにな…… と思っていたが、決して口にはしなかった。そんな我がままを言っても彼女を困らせるだけだと解っていたからだ。
彼女が帰ってくるまでの時間を潰そうと、家を抜け出して気晴らしに散歩へ出掛けた。
近所に住むおばさん連中が立ち話しをしたり、学校帰りの子供たちで通りは賑わいでいたが、騒がしいのが苦手なぼくは人通りの少ない裏道を好んで通った。
彼女に何かお土産を手に入れようと思いながら、土手や公園をのんびりと見て歩いた。
夕陽が落ちて、辺りが薄暗くなると彼女が心配するので急ぎ足で家へと帰った。
家に着くと間もなく「ただいま」と言って彼女が帰って来た。
「おかえり」と慌てて玄関に顔を出すと、彼女が嬉しそうに抱きしめて来た。
「留守番ありがとうね」と満面の笑みを見せる彼女に微笑み返す。
晩ご飯の惣菜をテーブルにならべている彼女の隙を見て、隠しておいたプレゼントを取って来た。
「はい、コレ」そう言って、目の前にプレゼントを置いた。
一瞬だけ戸惑った顔をしたが「すごいね。ありがとう」と言って受け取り、大切そうにティッシュに包んでいた。
きっと彼女はぼくの事を更に好きになったに違いない。
夕食を終えてのんびりと過ごしていると、スマートホンがしつこく鳴り、電話に出た彼女は長い間話しをしていた。そして、切ると同時に大きな溜息を吐いた。
「どうしたの?」寝転がった彼女の顔を覗き込む。
「心配してるの? 大丈夫だよ」そうは言うものの、ぼくの体を抱き寄せる彼女の顔はいつに無く曇っていた。
「明日、会社で会ってちゃんと話しをしてくるから」真剣な眼差しで、ぼくを真っ直ぐに見つめた。
その夜はよく眠れないのか、彼女は何度も寝返りを繰り返し溜息を吐いていた。気になってはいたが、ぼくには寄り添う事くらいしか出来なかった。
朝はいつもよりも早く目が覚めていたみたいだが、声を掛けてもどこか上の空だった。
いつもと同じ様に出かけたが、あんな調子で本当に大丈夫なんだろうかと心配になった。けれど、彼女の会社に一緒に付いて行く訳にも行かない。気を揉んでいる内にいつの間にか眠ってしまい、気付いたら夕方だった。
「ただいま」いつもよりも小さな声だったが、彼女の声がして一目散に玄関へ向かった。
「おかえり、大丈夫だった?」そう聞くと同時に、彼女の後ろに人がいる事に気が付き「誰だお前は!」と怒声を上げると、相手は少し怯んだように二、三歩後ろへ下がった。
「ヘックシュン!」と、顔を横に背けながらくしゃみをする男をよく見ると、どこかで見覚えがあった。
「そんなに怒らないで」と、ぼくを宥めようとする彼女の脇からジッと見ていて思い出した。そいつは社員旅行の写真で、困った顔をしている彼女の肩を抱いていた、いけ好かない男だった。
「何しに来たんだ、とっとと帰れ!!」そう噛み付きそうな勢いで叫ぶ。
すると、男は「ひっ!」と短い悲鳴を上げ、扉の影に隠れた。
「独り暮らしじゃなかったんだ……」と恐る恐るこちらを見たかと思うと、連続でくしゃみをしていた。
「ちょっと前から一緒に暮らしてるの」と、ぼくと彼の間に立ち塞がる様にして彼女が言う。
男は玄関の扉の隙間から中を覗き込み「初対面なのに随分な嫌われ様だな」と苦笑していた。
「ここは彼女とぼくの家だ。一歩でも入ってみろ、ただじゃおかないからな!」舐められて堪るかと凄みを利かせて睨むと、男の顔は見る見る青くなった。
「部屋で話すのは無理そうだね」と作り笑いをし「恋人が無理なら友達からでも――」
そう聞えた瞬間「ふざけるなっ!」と飛び掛った。しかし、素早い動きで扉を盾にするようガチャンと勢いよく閉められてしまった。
「あの、また電話します」と扉越しに話す声が廊下にこだまし、怒り心頭で扉を内側から叩いた。
その様子を見ていた彼女が「クスッ」と笑いながら、ぼくを抱きしめる。
「電話しないで下さい。あなたに好意はありませんから」と彼女としては珍しく、きっぱりと言い放った。
「そう…… なんだ……」呟きと共に男の足音が遠ざかって行った。
「あれほど、変な人間には気を付ける様に言ってるのに……」ソファーに置かれたクッションに八つ当たりをしながら言ったが、彼女はほのぼのとした様子でぼくを見ていた。
怒りが覚めやらないぼくは山ほど文句を言おうとしたが、すぐ傍に来た彼女がいつになく甘えた顔をして「付き纏われて少し困ってたんだ。あなたが居たから、勇気を出して言えたんだよ。守ってくれてありがとう」と顔を摺り寄せた。そうされたら、それ以上は何も言えなかった。
だって、彼女を守るのがぼくの仕事なんだから。
あくる日、男が本当に彼女の事を諦めたのか心配になり、会社まで彼女を迎えに行った。
あまり家から離れた場所には行きたく無かったが、彼女の為なら仕方が無い。
植木を囲む石の上に座って待って居ると、大きなビルの自動ドアを潜って彼女が現れた。
すぐに彼女の元へと駆け寄ろうと腰を上げたが、彼女は誰かに呼び止められたのか、後ろを振り返って何か話していた。
昨夜の男かと思い目を光らせていると、そこに現れたのは全く雰囲気の違う男だった。
二人は人の流れから少し外れた所まで来ると、親しげに話し込んでいたが、ここからでは何を話しているのか解らなかった。
もっと近づこうとしたその時、男が笑いながら彼女の頭を撫でているのに気が付いた。さぞかし彼女は嫌がっているだろうと思ったのだが、頬を赤らめて嬉しそうに笑っていた。その表情にひどくショックを受けた。今まであんな顔、ぼくの前でしかしなかったのに……。
頭をぐらんぐらんさせながら、もう家へ帰ろうと歩き出した時、何者かが建物の影から二人を見ていた。それは、昨夜のいけ好かない男だった。諦めないんじゃないかと思ったぼくの勘は正しかったのだ。
気付かれない様にそっと男の背後に近づくと「ヘックシュン!」と唾を飛ばしていた。いけ好かない上に、汚い男だなと更に嫌悪感を抱いた。
顔をしかめながら男を見ると、『ピロリロリーン』という音が何度か聞え、男の手元を見るとスマートホンを二人に向けて写真を撮っていた。
「おいっ!」と怒鳴りつけると、
「うわぁっ!」と驚くと同時にこちらを見て後退りし、猛ダッシュで逃げ出した。
全速力で男の後を追ったが、人ごみに紛れてすっかり見失ってしまった。
「クソッ……」悪態を吐きながら元の場所に戻ったが、そこに二人の姿は無かった。
彼女が家に帰ってぼくが居なかったら、きっと心配をさせてしまうだろうと家路を急いだ。
先に帰っているのかと思ったが彼女の姿はどこにも無く、いつもならとっくに家にいる頃になっても、なかなか帰って来ない事にヤキモキしながら待っていた。
「おい、しっかりしろ。鍵はどこ?」
「うーん……」
「まだ寝るなって」
「はぁぃ……」
玄関で彼女が帰ってくるのを待っていると、扉の向こうから聞き覚えの無い男と話す彼女の声が漏れて来た。少しすると『ガチャガチャッ』と音がして二人が入って来た。
よそ者に向かって「人の家に勝手に入るな!」と怒りはしたが、それよりも彼女の様子がいつもと違う事に戸惑った。
「どうしたんだ? 何があった?」心配して駆け寄るが、彼女は男の支えを無くすとグニャリと玄関マットの上に倒れ込んでしまった。
彼女の頬はほんのりと朱色に染まり、体中から酷い臭いがした。
「大丈夫か?」と声を掛けるが返事は無かった。
「お? 君が噂の騎士君か」気安く触ろうとした男の手を素早くかわした。そいつは会社の前で彼女と親しげに話しをしていた男だった。
男はぼくの態度を気にする事も無く、彼女の靴を脱がせていた。
彼女を何とか中へ連れて行こうと引っ張ったが、ぼくの力ではビクともしなかった。身軽さや素早さは誰にも負ける気はしないが、力がある方では無かった。
そんな様子を見て男は勝ち誇ったかの様に「クスッ」と笑った。
「用が済んだらさっさと帰れよ!」とぼくが言う。
「そんなに怒るなよ。彼女をベッドに運ぶだけだからさ」そう言うと男は彼女を軽々と持ち上げ、「君には無理だろう?」とウィンクして見せた。
無性に腹が立ったが、彼女がこんな所で寝て病気になる方が嫌だからと自分を抑えた。
彼女を運ぶのを監視しながらベッドのある所まで案内をすると、そんなぼくの様子を見て、男はニヤニヤ笑いを浮かべていた。
「別にお前を認めてやった訳じゃ無いんだからな!」と凄むぼくに、
「解ってるよ。悪さなんてしないさ」と軽くあしらう「たぶんね……」男が何か呟いたが、ぼくの耳には届かなかった。
昨夜のいけ好かない男の様に全力で追い出したかったが、ベッドに寝かされても彼女は半分寝惚けている様で、それどころでは無かった。
「大丈夫?」とベッドに腰掛けながら声を掛けると、ようやく目と目が合った。
少し正気を取り戻したのか、「あっ、ごめんね。今ご飯にするからね」申し訳なさそうにしながら起き上がろうとしたが、男がそっとその動きを止めさせた。
「いいから、横になってて」そう言うと、男は部屋を出て真っ直ぐに玄関へ向かうとすぐに戻って来た。「ご飯てさっき買ってたコレだろう?」鞄と一緒に持って来たビニール袋を持ち上げて示した。
「そうです。でも……」と戸惑う彼女。
「そんな足元が覚束ないと危ないからさ」と爽やかに微笑み彼女と見つめ合っていた。
「おいコラ! ぼくを無視するなー」と間に割って入ったが、その姿が滑稽だったのか、なぜか二人に笑われて解せなかった。
ビニール袋を持ってキッチンの方を指差しながら「食器は適当に使わせてもらうから」と男はサッサと部屋を出て台所へと向かう。
「勝手に家の中を歩き回るなよ」と後を追って警告するが、男は黙々とお皿にご飯を盛り付けていた。
「お前の触ったものなんて、ぼくは食べないからな」悪態を吐いてそっぽを向いたが、男は何も言わずにお皿を置くとその場を離れて行った。
警戒していたが、男が戻ってくる様子は無く、お腹がペコペコだったので嫌々ながらご飯を平らげた。
お腹が満たされてソファーで一息ついていると、男が戻って来て空になった皿を見付け、こちらを見て堪えらえ切れないかの様に笑った。ぼくはぐうの音も出なかった。
一通り笑い終わると「彼女に付き添わないでいいのかい?」と、少し意地悪そうな顔で言った。
「あっ、しまった!」
ぼくが慌てて飛んで行くと、彼女は布団を頭まで被って丸まっていた。
「どうした? 大丈夫か?」
軽く揺すると彼女が布団から顔を出した。彼女の顔はさっきよりも更に真っ赤になり、瞳が潤んでいた。
「お前、何をしたんだ! 彼女をイジメたんじゃないだろうな!」
すぐ後ろに居た男を睨みつける。何も無いのに彼女がこんな顔をする筈が無かった。
「そんなに恥ずかしがる事ないのに」余裕の笑みを浮かべながら彼女に近寄り、布団をめくり上げると頬に手を触れながらゆっくりと顔を近付ける。
「やーめーろーー!」男の背中にしがみ付き引き離そうとするが、梃子でも動きそうに無かった。
その内に彼女の少し苦しそうな声が聞え、『バシバシバシバシッ』と叩き続けるとやっと男が彼女から離れた。
「痛たたた……」ぼくの首根っこを掴んで自分から引き離す。「少しは手加減してくれよ。君は本当に彼女の事が大好きなんだな」男は苦笑いを浮かべ、まだ怒っているぼくを彼女に引き渡した。
「ごめんなさい。大丈夫ですか?」彼女が心配そうに男に尋ねる。
「平気平気。大した事はないよ」そう優しげに微笑み、彼女の頭をぽんぽんと軽く撫でる。
その手に噛み付いてやろとすると「ダメだよ」と彼女に押さえ込まれた。
男は身支度を整えると「見送りはいらないから、ゆっくり休むんだよ。鍵は閉めてポストに入れとくからさ」そう言ってフワフワした飾りが付いた鍵を持ち上げた。
「でも」彼女は申し訳なさそうに上目遣いで男を見る。
「いいから、ね。じゃあ、また明日」男がこちらに向かって軽く手を振る。
「はい。お休みなさい」彼女は名残惜しそうに後姿を見送っていた。
「二度と来るなー!」ぼくの声に男は笑いながら帰って行った。
あくる日、彼女は朝から少し具合が悪そうだったが、昼頃になるとお化粧をしてお気に入りの桃色の服に着替え、部屋の中を片付けていた。
「お休みなんだから、一緒にゆっくりしようよー」と寝転がって誘ってみたが、
「今日はお客様が来るから遊んでいられないの。ゴメンね」片手間に謝りながら、忙しなく動き回る。ぼくは、そんな彼女を横目に不貞寝する事にした。
目覚めは快適とは程遠かった。『ガタンガタン』っと騒がしい音で無理矢理に夢から引き戻された。
音のする方へ行ってみると、彼女をイジメていた昨夜の男が家に入り込んでいた。
「何してんだコラ!」掴み掛かろうとした瞬間、彼女に背後から羽交い絞めにされた。
「彼はお仕事中なの。お願いだから少しの間、ココで大人しくしていてね」両掌を合わせて頼む彼女に、仕方なしに従う。
男は変な機械を持って棚の上や家具の隙間などをくまなく確認していた。どうやら、ぼくが毎日している様に家を点検して回っている様だった。
「何だ、彼女は信頼しているみたいだけど、役に立たないんじゃないか?」寝そべりながら悪態を吐くが、男は作業に集中しているようでこちらに目もくれなかった。
今度はカーテンレールの隙間に手を差し入れたり、電気のプラグを外して調べ始めた。見ていても、それが何の為にしている事なのか、ぼくにはさっぱり解らなかった。
「あった」男は小さい黒い箱を摘んで見せた。それを見て彼女は真っ青になっていた。
「信じられない――」彼女は涙目になりながら口元を押さえ「何でこんな物が……」と声を震わせた。
それは、小型のカメラと盗聴器だったらしい。
「警察に被害届を出した方がいい。鍵も変えた方がいいかも知れないな」
黒い箱を受け取り、怯えた顔をしている彼女の肩を男はそっと抱きしめた。
毎日くまなく気を付けて見回りをしていたのに、何の役にも立てていなかったのは、ぼくの方だったのだ。ぼくはただ呆然と二人の姿をただ見ているしかなかった。
その後も男が頻繁に彼女の元を訪れるようになった。
男が来る度にあの手この手で追い返そうと画策はしたが、彼女に邪魔をされぼくが怒られた。
「何でぼくたちの家にあんな男を入れるんだよ!」と男が来る度に文句を言っていたが、会社で困った事があり、男に助けて貰っているのだと言う話しを聞いてからは、ぼくが不愉快だからと言って追い返す訳には行かなくなった。
会社に居る彼女を守る事はぼくには出来ないのだから。けれど、そうは言っても甘い顔をすれば付け上がるに違いなかった。現に男はぼくが怒鳴りつけたり、飛び掛ったりしなくなった途端、馴れ馴れしくして来る事が多くなった。
その日も、彼女は朝からハミングしながら家の中を行ったり来たりしていた。時折、鏡の前に立っては髪などをいじり、何が楽しいのか時計を見てはニコニコしていた。
「また、あいつが来るの?」不貞腐れているぼくに彼女は優しく微笑む。
「大人しくしててね」
「一体、あいつのどこがいいんだ? 前に来た、いけ好かない男より多少はマシってだけじゃないか」独り言の様に愚痴っていると、彼女がぼくの顔を覗き込んで来た。
「ヤキモチ妬いてるの?」嬉しそうに笑ってぼくを抱きしめ、顔を摺り寄せる。「私にとってあなたは特別だけど、彼も違う意味で特別なの」と少し照れくさそうにして、ぼくに甘えてくる。
「何が違うの?」首を捻るぼくを彼女は笑った。
「今思い出しても、凄く胸がドキドキするのよ。本当に嬉しかったなぁ。あの人が真っ直ぐ私の目を見て、必ず守るって約束してくれて」顔をほころばせる彼女に、ぼくは全く以って解せなかった。
だってそれは、ぼくがいつも彼女に言っているセリフじゃないか。
不満を訴えようとすると、それを遮るように『ピンホーン』と音がして、慌てて彼女は扉を開けた。
嬉しそうに頬を染めながら、「いらっしゃい」と満面の笑顔で男を迎え入れた。
ぼくはイジケる事にした。こうなったら、とことんイジケてやる。彼女にいつもしたらいけないと注意されている事を片っ端からやってやると心に決めた。手始めにベッドへ向かおうとしたが、ぼくが怒りに身を任せている内に、いつの間にか二人はその部屋に入って鍵を掛けていた。
「おい! ここを開けろ!!」何度と無く扉を叩くが開けてくれる気配は無い。
少し経つと彼女の嫌がる声や苦しそうに呻く声、時々悲鳴の様なものまで聞えて来た。
これは一大事だと扉に体当たりもしてみたがびくともしない。「どうしよう、どうしよう……」右往左往していて、ふと、その部屋がここからベランダで繋がっていた事を思い出した。
外へ出て部屋の中を覗き込んだが、やはりここにも鍵が掛かっており、ぴったりとカーテンが締められていて中の様子が窺えなかった。
あの男に少しでも気を許したのが間違いだった。どうしたらいいのか頭を捻ったが解決策は何も浮かばなかった。後悔して悶絶し、出てきたら懲らしめてやろうと待ち構えていたが、ちっとも出てくる様子は無く、その内に眠ってしまった。
笑い声と鼻をくすぐる美味しそうな匂いで目を覚ますと、いつの間にか二人は部屋から出て来ていた。
ぼくがあんなに心配していたのに、彼女は何事も無かったかの様に、むしろ嬉々として目を輝かせて男と一緒にご飯を食べていた。
何となく間に割って入りづらい感じがして、「あの……」小さな声で恐る恐る声を掛けた。
すると、ぼくに気付いた彼女は箸をテーブルに置く事も無く、「これを食べ終わったらご飯を出してくるから、ちょっと待っててね」と悪びれる事も無く、二人で話しを続けていた。
この男が現れる前は、ぼくを差し置いてご飯を食べる事も、ぼくの訴えを後回しにすることも無かったのに……。ぼくはソファーに丸まって、これ見よがしにイジケた。
けれど、そんなぼくの事も全く気にならないのか、背中越しに相変わらず楽しそうに話す声が続いていた。
「やっぱり可愛いね」
「もう。からかわないで下さいよ。まだ背中の傷を増やされたいんですか?」
「何をされても、好きなんだからしょうがない。君だってそうだろう?」
「それは、もちろん好きですけど」
「できる事なら一日中、体を撫で回してメロメロにしてあげたいよ」
「もう、ダメですよー。寝ている時だけで我慢してください」
二人の笑い声が部屋の中に響く。
ぼくは居た堪れなくなり、「もう、家出してやるーーーー!!」叫びながら家を飛び出した。
彼女が追ってくる気配は無かった。いつもは暗くなってから外へ出ると心配してすぐに追いかけて来るのに……。うな垂れながらマンションの裏手へ回った。
そこには物置があり、それに登ると小さい足場があってベランダから部屋を窺う事ができた。
けれど今夜は先約が居た。
辺りはすっかり暗くなり、街灯の明かりも届かない場所だったが、夜目がきくぼくにはその姿がはっきりと捉えられた。
彼女を困らせたあのいけ好かない男だ。足場を使って彼女の家のベランダへ登ろうとしている様だった。
「お前、何してんだ」物置の上まで登り、男に近づいて声を掛けた。
男は「ヘックシュン! ヘックシュン!」と返事の代わりのようにくしゃみをした。
「懲りないヤツだなー」
「うるさい、あっちへ行け!!」男は語気を強めながらも周りを気にしてか小声だった。きっと、誰かに見つかったら困るのだろう。
もちろん、見つかっても一向に構わないぼくは、態と大きな声を出した。
「お前、そんな怪しい事してると彼女に嫌われるぞー。ああ、もうとっくに嫌われてたな!」
「しっしっ!」あっちへ行けと手で追い払おうとするが、全く引く気はなかった。
「彼女に変な事をしたら、ただじゃ置かないぞ!!」
言い争いをしていると、彼女の下の部屋に住んでいるおばさんが窓を開けて出て来た。
「春でもないのにうるさいわねぇ」ベランダから体を伸び上がらせ、きょろきょろと辺りを窺っていたが、男の存在に気付き彼女は大声を上げた。「ちょっとあんた、そこで何してんの!」
「いえ、あの……」男はしどろもどろになりながらも、何とか誤魔化そうとしていた。
そうこうしている内に「おい、お前っ!!」騒ぎを聞き付けて、彼女の家のベランダからあの男が出て来て怒鳴った。
「ひいっ!」驚いた男は足を滑らせて地面へ落下した。「うわあぁぁぁ!」下が土で大した怪我をしなかったのか、男はすぐに立ち上がると一目散で逃げ出した。
「あーあ、知ーらない。逃がしちゃマズイんじゃないの?」
いつもの足場をつかってベランダまで登って行くと、男はスマートホンで話していた。
「裏に逃げたが…… ああ、悪かったって。まさかベランダから侵入しようとするとは思わなくて……」話しながらぼくの存在に気付いた男は、いつの間に外に出たんだ? と言わんばかりに部屋とぼくとを交互に見ていた。
「えっ、居たのか? なるべく大事にはしたくないって、彼女は言ってる…… ああ、任せるよ」電話を切ると、ふーっと溜息を吐いた。
「おかえり。お散歩は終わりかい?」ぼくを見て微笑む。
「彼女が心配だから戻ってやるんだ。でも、ぼくはまだ怒ってるんだからな!」フンッと鼻を鳴らした。
同時に窓をくぐり部屋の中へと入ると、彼女が抱きついて来た。
「怖かった……」怯えて涙声の彼女。
「もう、心配いらないよ」彼女の背中を優しく撫でる男。
「…………」絶句するぼく。
あのいけ好かない男を追い払えたのは、ぼくの活躍があってこそなのに!? 訴えかけるような目をしているぼくを無視して、二人は顔をすり合わせていちゃついている。
「納得いかなーーーーーーい!!」腹立ち紛れに男の足に噛み付いた。
「痛たたたた…… 解ってるって、君もよく頑張ったよ」不覚にもまた首根っこを掴まれ、もがいていると
「ありがとうね」彼女が涙目で微笑む。彼女に免じて今日はこれくらいにしてやる事にした。
その後、彼女がいつもよりも高そうなご飯を用意して無かったら、もちろん夜中の内に男の生傷は増えていただろう。
「それは何?」男が尋ねると、
「え? ああ。おみやげ…… ですかね?」彼女が少し悪戯っぽく笑う。
「おみやげ? うわっ! カタツムリじゃないか……」
「お散歩に行くと、おみやげをくれるんですよ。たまにですけどね。私のことを子供だと思ってるのかも知れませんね」彼女の明るい笑い声が耳をくすぐる。
「そうだとしたら、かなり過保護な親だな」男も一緒になって笑う。
結局、ぼくは家の警備をする事に専念して、彼女の警備は仕方なしにこの男に任せる事にした。
だって、彼女が幸せならぼくも幸せなんだから。
でも、彼女の膝の上の特等席はだけは絶対に譲るつもりはない。そして、彼女が気を許していても、ぼくに気安く触らせるつもりもない。
「痛っ!」男が手を押さえて苦笑いする。
ぼくが彼女の膝枕で寝ていると思ったのか、男が手を伸ばして来たのをすかさず払いのけたのだ。
「ははっ。可愛いなー」男がそう言って笑うのが全く以って解せない。
『お仕事小説コン』用に考えたお話しです。
仕事=自宅警備員? という発想からして、何か間違っている気もしますが…… 深く考えない事にしました。
『ぼく』の事をハッキリと書くかどうか悩みましたが、端々に正体が解りそうなエピソードを盛り込んだので、後は察していただこうと言う事にしました。
矛盾や誤字脱字などがありましたら、申し訳ありませんがご指摘をお願いします。