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『前略。
僕も紗愛との手紙で堅苦しいのは嫌なので、この調子で書かせて貰います。
久し振り、紗愛。手紙ありがとう。今まで僕の所に届いてなくてね、二年振りの返事になっちゃうかな。でも凄く嬉しかった。本当にありがとう。
それにしても、あの数の手紙をチェックしても良いって紗愛は言ったんだね。そのおかげで迷ってた紗愛の言葉達は僕の場所まで全部来たよ。この手紙もチェックされてから封筒に入れられると思う。それは此処の決まりだから仕様がないんだけどね。
もうあの日から二年経つんだね。あの日紗愛に会ってなかったら、僕は色々な大切なものを知らないまま目を開けなかったと思う。そう考えると怖いよ。
あの頃は、周りが何も見えてなかったよ。狭い視野の中で勝手に暴走して止められなくなってた。その結果が、アレだったとはね。
此処は、慣れれば不自由さは感じないよ。むしろとてもシンプルで安心する。僕の基準が此処になったみたいだ。
先生も尊敬出来る人だし、友達も出来たんだ。皆、僕と同じ事をして来たけど先生達のおかげで、ひねくれてた部分が真っ直ぐになった感じかな。さっきも皆で風呂から帰って来たんだよ。
紗愛の事、少しだけ話したら皆が紗愛を誉めてた。紗愛みたいな人に会えて僕は幸運だって。僕もそう思う。
あ、そういえば風邪ひいたってあったけど本当にもう治った? 治りかけが一番危ないって言うから気を付けてね。バイトも程々にしないと駄目だよ。
僕も此処で働いてるんだ。小さな部品を作ってる。でもどうしようかな。あまり将来とか、考えない様にしてたんだ。
不安になるのもあるけど、僕が奪ったあの子の時間を僕が生きてると思うと申し訳なくなる。そう思う事すら許されないのかもしれないけど。
だけど紗愛、僕も『それでも生きてくしかないんだ』って思うよ。僕の場合は紗愛とは意味合いが違うけど、僕は、僕も、歩くよ。少しずつ、一歩ずつ。
僕も確実に大人になってる。大人になんてなりたくないと思ってたけど、紗愛の言う歯車になら僕もなりたい。そういう大人にならなりたいよ。
こっちも、月に一度くらいのペースで新しい子が来るよ。どういう風に報道されてるかは知らないけど、根っこから悪い人なんてほとんど居ない。
もしかしたら、大人も、根っこから悪い訳じゃないのかもしれない。でもそれを上手くコントロール出来ないって部分はまだ子供なのかもしれないね。心は、子供なんだ。
ねぇ、紗愛。紗愛の居る〝世界〟が唱えてる平和の事なんだけどさ、僕の考えを書いてみても良いかな。
紗愛や前の僕が思い描いていた平和っていうのは、ゲームとかお話みたいに、世界を震撼させる様な悪が存在して同じ恐怖に支配された上で、その悪が壊滅・解放イコール平和、だと思うんだ。
でも実際にはそんな巨大な悪はなくて、そういった平和はないんだ。
それはつまり、ひとりひとりに思う平和があって、ひとりひとりに悪があって、それは各々違うんじゃないかな。今この瞬間も、誰かの悪が倒されて、誰かの平和は成り立ってるのかもしれない。
本当はもう、この世界は平和なのかもしれないよ、紗愛。
ヒトはひとりひとり違うって教えてくれたのは紗愛だ。同じヒトは居ない、たったひとつの大切な存在だって。そう言った紗愛ならこの考え方、分かってくれると思う。
同じ心を共有する事が出来ないから、同じ平和もないんだよ。それがきっと、この世界の在り方なんだ。
誰かにとって悪でも、誰かにとっては平和かもしれない。そういう風に複雑に絡まり合ってるんだ。そう、思った。
だから、どうか、紗愛も傷付きすぎないで。僕にとっては紗愛が天使なんだ。僕の命を、心を救ってくれた、天使なんだ。
紗愛も、僕を頼って。僕の方が何も出来ない気がするけど、紗愛を庇う盾くらいにはなれるから。
あぁ、気付けばもう夜が明けるよ、紗愛。この辺りでペンを置くよ。
それから紗愛。約束を守ってくれてありがとう。僕も、やる事全部やったら取りあえず真っ先に、紗愛に会いに行くよ。
──冬橋京』
紗愛は最後まで目を通して笑んだ。二年間も返事がないのは流石に変だと思い、京の両親の所まで行って確かめたおかげか。
朝の散歩から帰り、新聞をポストから引っ張り出した時に発見した京の手紙は、田舎に位置する此処の配達員がついでだからと郵便も配ってくれた為に早い時間に紗愛の元に着いたのだ。
紗愛は京の手紙を抱き締めると窓を開ける。其処は二年前、たった一晩だけ京が使った部屋だった。
海の風が、春の匂いを引き連れて部屋に吹き込んだ。それは紗愛の髪を遊ばせて室内を満たす。
紗愛は京の手紙に綴られた最後の一文を見て微笑を浮かべた。そっと、海の風に言葉を乗せる。二年前の様に。
「待ってるよ、京君──」
fin.