世界大戦
太平洋を挟んだ大日本帝国とアメリカ合衆国の緊張は増すばかりであった。
一九四〇年のアメリカ大統領選で、現職のルーズベルトは共和党のウェンデル・ウィルキーに敗北。ウィルキーは強硬路線を推進し、軍備拡張や対日規制を行う。副大統領に「ミスターリカブリカン」ロバート・タフト、国務長官に報道畑のジェイムズ・コックス、海軍大臣にダニエルズ・プランの提唱者ジョセファス・ダニエルズ、陸軍大臣に反ナチス強硬派ヘンリー・スティムソンという陣容であった。コックスやダニエルズ、スティムソンは対独参戦を求めており、そのためには日本との戦争も辞さない構えが受け取れた。
近衛内閣は同年一月に外交失敗の責任を取り総辞職。後任には米内光政が当たった。予備役とはいえ海軍大将による組閣は、アメリカ政府には戦争準備と受け取られた。外務大臣に幣原喜重郎、大蔵大臣に賀屋興宣、陸軍大臣に永田鉄山、海軍大臣に山本五十六が就任した。
なお陸軍参謀本部総長は畑俊六、教育総監に小畑敏四郎、海軍軍令部長に堀悌吉、連合艦隊司令長官に嶋田繁太郎、海上護衛総司令部司令長官を改称した護衛艦隊司令長官に塩沢幸一が就任した。海軍は海軍兵学校三二期の顔ぶれで統一されていた。このような意志疎通を重視した編成は、日米開戦を全力で回避する米内内閣の備えであった。開戦してはならない。そのために情報面での失敗は少しでも減らしたい。その姿勢を反映させたものであったが、開戦への布陣として対外的には見られた。特にアメリカ政府は臨戦態勢と感じたのだった。
徐々に緊張状態が悪化する日米関係は、ふとしたきっかけで暴発しかねなかった。米内内閣は朝鮮の保護国化、日米会談の開催などを通じて対米融和政策を取り続けた。アメリカも前大統領ルーズベルトの日本訪問や副大統領タフトの反戦声明など、避戦政策を取る動きもあった。しかし「ナチスドイツと手を組んだ日本」という共和党が打ち出したアメリカ大統領選時の「極東のファシズム国家」というイメージや、アメリカ経済の対日規制強化に対する日本経済界の恨みは強く、両国内では開戦デモが起こるほどだった。時流に引き摺られるように、太平洋は戦乱の海へと変わりつつあった。
フィンランドでの日本軍兵器の評判は上々であった。九〇式野砲の対戦車攻撃力はソ連軍の投入した戦車を紙切れの如く貫いたし、九七式戦闘機はソ連爆撃機部隊を何度も壊滅させた。
開戦三ケ月でホイ車は六両、九七式戦闘機は九機が破壊されたが、追加支援は今のところ計画されていない。フィンランド国内の工場では九七式戦闘機のライセンス生産が始まっていたが、早くてもあと半年はかかりそうであった。
マンネルヘイムが急ごしらえででっち上げた防衛線はどうにか持ちこたえていたし、ソ連軍にも出血を強いていた。しかしマンネルヘイムは苦い顔をしている。弾薬の消費が供給を遥かに上回っているのだ。撃っても撃っても赤軍兵士は現れ、何度撃退してもフィンランド領目指して進撃してくるのだ。
まさに津波のようだ。マンネルヘイムの頭脳は、このまま緩やかに破滅していくことを予見していたが、撤退は許されない。ソ連のモロトフ外相、ひいては独裁者ヨシフ・スターリンから譲歩を引き出せなければ、フィンランドは滅ぶのだ。
航空基地とは名ばかりの野戦飛行場では、我らが空の英雄たちが揃っていた。今日マンネルヘイムが視察した第二四戦隊は、九七式戦闘機やフォッカーD-21を装備した部隊で、後にエースになるエイノ・イルマリ・ユーティライネンやエイノ・アンテロ・ルーッカネンが所属し、フィンランド随一の錬度を誇っている。
マンネルヘイムは彼らに声をかけ、戦いを褒め讃え、勇気づけ、肩を叩いて激励した。視察が終われば、再び第二四戦隊は過酷な戦いに身を投じる。老齢の身体でそのようなことは適わないマンネルヘイムは、自分の戦場である司令部へ帰っていった。
フィンランド軍は日本からの最後の支援となった虎号作戦船団の到着により、旧式の八九式中戦車六〇両と分解した九七式戦闘機九〇機、さらには新兵器九九式襲撃機を八〇機以上という、フィンランドの戦力を倍増させるほどの増援を行った。
九九式襲撃機は中島飛行機設計の軽爆撃機兼戦闘機であった。当初は三菱設計案が有力視されていたが、爆撃機用エンジンである三菱の火星エンジンを搭載し引き込み脚とした中島設計案が三菱設計案に比べ前方視界以外は優秀であることから、一九三九年に正式採用された。
武装はアメリカのM2機関銃をコピーしたホ一〇三という一二.七ミリ機銃を翼に四門装備し、三〇〇キロまで爆弾を搭載可能であった。防御面でも当時としては圧倒的であり、実験では七.七ミリであれば至近距離でも無力化できると言われたほどである。
最高速度は四七〇キロと九七式戦闘機に匹敵し、日本軍は対地対戦闘機用である襲撃機という、新たなる区分を作らざるを得なかった。しかし大型のエンジンを積んだために視界は悪化し、戦闘機搭乗員には不評だったため、実戦調査のため初期生産分のほとんどを、激戦地フィンランドへ送ってきたのだった。
マンネルヘイムはこれらの兵器を使い、限定的な反攻作戦を計画した。ソ連軍の攻勢激しいマンネルヘイム防衛線を敢えて放棄、進撃してきたソ連軍を包囲撃破する案であった。
フィンランド第三軍が北へ退き、ソ連第一三軍が後を追う。その横っ腹を日本製戦車で喰い破るべく、アクセロ・アイロ率いる第一独立戦車大隊は突撃した。戦車を集中運用するのは、ドイツによるポーランド侵攻時の戦術を真似たものだったが、その効果は凄まじくソ連軍は混乱し潰走。これによりカレリア地峡東部はガラ空きとなり、西部にある町ヴィープリに進撃中だったソ連軍は後退する。
これがフィンランドの最後の攻勢となった。第一独立戦車大隊は圧倒的な戦果を上げたが損害も大きく、一〇〇両以上あった戦車は半減してしまった。第一独立戦車大隊は解隊し、無事な戦車は各戦線に配置された。
マンネルヘイムはこれ以上の戦闘は無益であると考え、政府へ停戦をするよう求めた。隣国スウェーデンの仲介の下、ソ連とフィンランドは講和に成功する。モスクワ講和条約と呼ばれる講和の結果、ソ連はカレリア地方西部とフィンランド湾の島を五〇年間租借することになり、フィンランドは国内第二の都市ヴィープリを失う。しかし講和内容は当初の条件より大幅に緩和されており、ソ連軍の被害が想像以上に大きかったことを示していた。
戦後の資料によればフィンランド軍の死傷者三〇〇〇〇人に対し、ソ連軍の死傷者は少なくとも一五〇〇〇〇人という数字であった。ソ連軍は他にも多数の重火器を喪失しており、その大半がフィンランドに鹵獲されていたことも付け加えておく。
スターリンはこの戦闘の責任を司令官であるクリメント・ヴォロシーロフを更迭。ヴォロシーロフは極東で日本軍を警戒するジューコフ率いる精鋭部隊、その後方支援を任されることになった。
欧州大戦が勃発してからドイツ・フランス国境は、小規模な空戦を除き静かなものであった。ニコラウス・フォン・ファルケンホルストが総指揮を執った北欧侵攻作戦、ヴェーザー演習作戦が起こるまでは。
陸海空三軍を指揮下に置いたファルケンホルストは不足する情報の中、観光ガイドを頼りに侵攻作戦を作成し実行に移した。
デンマーク王国はドイツにあまりに近かったため、三日の後に降伏。ノルウェー王国も首都オスロを含む南部を占領された。
オスロ攻略戦に投入された第一航空機動艦隊改め第五航空艦隊は、第一空中打撃群で要塞の制圧を行い、第二空中打撃群は脱出艦艇などの哨戒に当たった。上級大将となったエルンスト・ブッシュは陸上に備え付けられた魚雷発射管を発見しこれを破壊、水上艦に報告するが既に遅く、重巡洋艦ブリュッヒャーが別の魚雷発射管の攻撃により大破する。しかし第二空中打撃群はノルウェーの政府高官や王族の一部を発見、捕縛に成功した。またイギリス海軍の接近という事実を聞きだした第五航空艦隊は、ナルヴィク攻略部隊に同行し索敵を行った。
ナルヴィク周辺の視界は良く言って最悪だった。
突風に叩かれた艦体は叫びを上げ、艦に乗って日が浅い士官を震え上がらせていた。潰れた紡錘状の艦体から飛びだした艦橋は、〈フォン・リヒトホーフェン〉でも最も乗り心地の悪いところだ。そのことをブッシュは身をもって実感していた。
「ナルヴィク攻略隊、ボンテ代将より入電。『ナルヴィクは降伏セリ』」
「了解。我々はあと三時間ほど警戒を続け、その後〈カテガット〉で給油する」
ここまでは順調だ。遭遇したのはノルウェーの哨戒艦一隻のみ。
レーダーも吹雪では使用できず、哨戒艦を発見できただけでも僥倖だが、なんと〈ハノーファー〉がその哨戒艦を攻撃し撃沈する。追われていた〈カテガット〉から感謝の電文が届き、初めて油槽艦の存在を知ったほど視界が悪かったにも関わらず、命中弾を出す技量にブッシュは頼もしさを感じた。
ナルヴィクでは駆逐艦らしき影をレーダーが探知するもすぐに失探。駆逐艦隊司令官ボンテ代将に通報するが、その後突入してきたイギリス駆逐艦との戦闘で二隻の友軍駆逐艦が大破する。イギリス駆逐艦は一隻を撃沈した以外の報告はない。
ブッシュは有力な敵艦隊が接近中であることを確信した。この視界では接近戦を挑んでくるに違いない。ブッシュは急ぎ艦隊をナルヴィク付近フィヨルドの陰に隠し、ボンテに注意を促した。
昼間に艦載機が接近した以外、付近の警戒線からは何も連絡がない。ブッシュは臆病すぎたかと感じていた。攻撃をかけてきたソードフィッシュは空中軍艦には気がつかなかったようで、ナルヴィク市街地を偵察したのち帰っていった。時刻は正午。昼食が待ち遠しい。
ブッシュが不味くて温かいだけが取り柄のコーヒーを啜っていると、奇妙な音に気がついた。機関部の重低音に比べるとかなり甲高い音が聞こえた気がしたのだ。
「ソードフィッシュ接近!」
見張員の報告を受けると、艦橋は慌ただしく動き出した。ブッシュは事前の計画通り命令を下す。
「上昇せよ、高度五〇〇。上昇後は接近する艦隊を探しだす」
「高度五〇〇、了解!」
空腹に響く振動とともに地面が遠ざかる。僚艦も急ぎ上昇するが、どうやら〈フォン・リヒトホーフェン〉が一番最初に動き出せたようだった。
「ソードフィッシュ接近!」
「対空射撃開始!」
複葉機らしい身軽さで接近したソードフィッシュは、機首をこちらに向けている。
「前回と違い我々に気がついたようだな」
前時代的な機影のソードフィッシュに、対空砲火が撃ち出す一〇.五センチの砲弾や二センチの機銃弾が殺到する。
運のいい一発がエンジンを破壊したのか、黒煙を上げて首を垂れるソードフィッシュだが、よほどの執念なのかこちらへ接近し続ける。
「全速前進!」
艦長のローベルト・ヴェーバーの声が響くが、彼の命令は少々遅かった。ソードフィッシュから黒い影が分離する。
「当たるな……」
ブッシュが衝撃に備えると同時に、金属的な異音が響く。
「損害知らせ」
艦内に張り巡らされた連絡管から返事が来る。
「左舷側面に着弾、損害無し!」
Uボートのような小型艦には大損害を与える五〇キロほどの爆弾だったのだろう。しかしこの艦は空中戦艦〈フォン・リヒトホーフェン〉だ。重巡洋艦以上の防御力を誇る装甲の前には、小型爆弾では傷一つ付けられなかったのだ。
全艦が高度五〇〇メートルに達すると、ブッシュは艦を外洋に向けた。これだけで攻撃が終わるはずがない。制海権はイギリスに優位なのだ。
「敵艦隊発見、戦艦一、駆逐艦多数!」
「戦艦を撃て。射撃開始!」
ブッシュは彼の予想以上にイギリス艦隊が近づいていたことに驚いた。フィヨルド内に突入する気なのだろうか。どっちにしろ迎撃するだけだ。第五航空艦隊は戦闘に突入した。
驚いたのは敵艦隊も同様で、対空射撃は散発的なものだった。旗艦〈ウォースパイト〉は指揮下の駆逐艦とフィヨルド内に侵入する予定であったが、空中軍艦の接近により断念する。指揮官のウィリアム・ホイットワース中将は突入作戦の失敗を予感し撤退を指示する。反転する駆逐艦に対し、〈ウォースパイト〉は〈フォン・リヒトホーフェン〉に右舷を晒した。全火力をもって撃沈すべく丁字を書いたのだ。相対距離は一〇〇〇〇を切っていた。〈ウォースパイト〉の装備する一五インチ連装砲にとっては至近といってよい距離だ。
ホイットワースの号令のもと、後退する駆逐艦の後部主砲が火を噴く。一五インチ砲の砲身が持ち上がり〈フォン・リヒトホーフェン〉を見据える。
先に撃ったのはドイツ側であった。単縦陣で〈ウォースパイト〉の艦尾を抜けるコースを取った艦隊は、艦を左に傾けつつ最大俯角の主砲で撃ち降ろした。この距離では相互撃ち方など無駄、という判断により初撃から斉射された二八センチの砲弾は、〈ウォースパイト〉の周囲に水柱を連立させた。〈ウォースパイト〉の左舷に数回火炎が躍る。
〈ウォースパイト〉の射撃は被弾とほぼ同時だった。八発の一五インチの徹甲弾は最前の〈フォン・リヒトホーフェン〉の装甲を貫通、左舷旋回装置と艦尾推進軸を粉砕した。速度を急激に落とした〈フォン・リヒトホーフェン〉のヴェーバー艦長は後続との衝突を避けるため降下、〈ウォースパイト〉乗員は歓喜の声を上げた。
しかし報復は凄まじかった。〈デアフリンガー〉以下の射撃が開始されたのだ。合計二四発の二八センチ砲弾が降り注ぎ、着弾。六発が命中し、薄い甲板装甲に穴を穿った。左舷副砲が全て吹き飛び〈ウォースパイト〉は大破。ホイットワーズ中将は駆逐艦が脱出したのを確認すると、二五ノットの最大戦速で戦域を脱出した。
〈フォン・リヒトホーフェン〉は大破と認定され、半年に渡る修理のためドイツ本国へ回航された。ブッシュ司令長官は無傷であったため〈デアフリンガー〉へ移乗し、その後の指揮を執った。
この戦いは第二次ナルヴィク海戦と命名され、数の優位にも関わらず旗艦を大破された空中軍艦の、水上艦艇に対する不利を証明する戦いとして、各国海軍首脳部に記憶された。
無傷の第二空中打撃群がノルウェー戦線から、フランス国境の防衛に回されることが決定すると、第一空中打撃群の三隻はベルギー侵攻の手助けをするために本国へ帰還した。
一九四〇年五月、マンシュタインの計画案を採用した黄色作戦は開始される。ベルギー各地の戦闘に駆り出された第一空中打撃群は消耗し、エバン・エマール要塞攻略時には帰国を命じられていた。
しかしダンケルクで連合軍が包囲されているとき、ブッシュは独断で攻撃を開始した。ヒトラーの命令に背く形となったこの戦闘は、ダンケルクに追いやられていた連合軍の撤退を阻害し、イギリスへの撤退を企図したダイナモ作戦を失敗させる。集まった連合軍の約半数二〇〇〇〇〇人が、空中軍艦に触発された陸軍部隊の進撃によって捕虜となったのだ。
ヒトラーは当初命令違反を不問にしようとしたが、周囲の反対、特に空軍総司令官エルンスト・ウーデットの進言により、ウーデットの友人であるヘルマン・ゲーリングが第五航空艦隊総司令官へと就任する。ブッシュは陸軍将官へと戻り、ドイツ東部国境の部隊指揮官へと左遷された。実際は左遷ではなかったが。
パリのフランス首脳部は混乱していた。連合軍のイギリスへの撤退には成功したが、北部から振り下ろされる鎌は想像以上に早く、沿岸部の大半を占領されてしまっていた。
五月の初めにフランス政府はドイツへ降伏し、北部をドイツ統治、南部を親ドイツ政権とする講和が行われた。この政府は首都がヴィシーに置かれたため連合国として亡命した自由フランスに対し、ヴィシーフランスと呼ばれることになる。
同月アルジェリアのメルセルケビールという港町で、ドイツ軍の接収を恐れたイギリス艦隊による、停泊中のフランス艦隊への攻撃が始まる。この戦闘によりイギリス軍は〈バーラム〉、フランス軍は旧式戦艦〈プロヴァンス〉〈ブルターニュ〉を喪失した。イギリス海軍の象徴である〈フッド〉が二隻の戦艦を沈める大戦果だったが、フランス戦艦〈ダンケルク〉〈ストラスブール〉の逃走を許してしまう。脱出した二隻はヴィシーフランスへ帰順、接収された〈リシュリュー〉級の〈ジャン・バール〉とともにドイツ海軍の貴重な戦力となった。
九月にもダカール沖海戦でイギリスとフランスの艦隊が衝突する。メルセルケビールでの戦闘を知っていたフランス艦隊は自由フランスへの参加を決意していたが臨戦態勢を取り、〈アドルフ・ペグー〉と〈ジャン・ナヴァル〉の二隻の空中軍艦をイギリス艦隊に派遣し投降する旨を伝えた。しかしイギリス海軍駆逐艦が命令を待たず発砲、それに応射したフランス側との戦闘になる。
〈アドルフ・ペグー〉は〈クイーン・エリザベス〉級戦艦〈バーラム〉と〈ヴァリアント〉の射弾を至近距離から受けて轟沈。〈ジャン・ナヴァル〉は〈ヴァリアント〉の砲撃により大破、浮遊機関が吹き飛ばされたため墜落するが、〈ヴァリアント〉へ向けて最後の全力航行を行い衝突した。〈ヴァリアント〉の艦上は粉々になった。
その後も砲撃を続けた〈ヴァリアント〉であったがフランス艦隊の標的となり攻撃が集中。フランスとの関係悪化を懸念した上層部から戦闘中止命令が出された時には全主砲が破壊されていた。〈ヴァリアント〉乗員の決死の努力の末本国に曳航されるが、被害は全体に及んでおり廃艦決定がなされた。
戦闘を切りぬけた〈リシュリュー〉以下の無事な艦はイギリスへの投降を再び打診。自由フランス軍の主力として戦うことになるが、このダカール沖海戦はイギリスとフランスの間にしこりを残すことになった。
ヒトラーはイギリス攻略の前哨戦として、ウーデットにイギリス空軍と都市の生産能力の殲滅を命じた。BF109やBF110を主力とした航空機隊とともに、空中軍艦はイギリス上空へ侵攻する予定であったが、貴重な空中軍艦の喪失を恐れた上層部は第一空中打撃群を東部方面に派遣した。第二空中打撃群は北アフリカで激戦を繰り広げるイタリア軍を支援すべく、イタリアの空中軍艦〈ダンテ・アリギエーリ〉とともにイタリア半島経由で、北アフリカの砂漠へと派遣された。北アフリカにはイギリスの〈グレート・ハリー〉級〈グレート・ハリー〉〈ジュディス〉〈メアリー・ローズ〉〈アンリ・グラサデュー〉の四隻が派遣されており、空中軍艦同士の戦闘の可能性があった。
一九四一年四月、旧ポーランド領。第五航空艦隊司令長官に就任したゲーリングは、新設された第六航空艦隊や中央軍集団との調整を行っていた。バトルオブブリテンと呼ばれる大規模な航空戦闘はイギリス本土の戦闘機隊は壊滅させたが、ドイツ空軍にも少なくない打撃を与えていた。
序盤〈カールスルーエ〉級の奇襲で対空レーダー網をズタズタにしたが、工業地帯への攻撃は不徹底なものとなった。戦闘機の傘が付けられなかった爆撃機隊の損害が酷くなっていったのだ。
足の長い戦闘機が必要だ。ゲーリングは上層部に進言したが、旧友ウーデットの目にはスツーカが急降下する姿しか見えていないらしい。
ゲーリングはハインケルやユンカース、アラドといった航空機メーカーと打ち合わせをしようと画策していたが、突然の戦闘配備命令が通達された。
目標は不可侵条約を締結しているソビエト連邦。国際的な信頼を失墜させる暴挙だ。そこまで考えて、これ以上失墜するほどの信頼があるのか、と自嘲した。
今は眼前の問題を解くのみ。ハインツ・グデーリアンの速攻を支援するための機動、フェードア・フォン・ボック中央軍集団司令官とのモスクワ攻略時での第一空中打撃群の立ち回りを打ち合わせた。
ヒトラーら中央司令部の目論見は北方、中央、南方に三分された軍集団が一気呵成にソ連を打ち破ることだった。しかし国防軍司令部は戦力の分散などの欠点から戦略を改定。中央軍集団に重点を置き、南北は中央が機動包囲したソ連軍の殲滅を主任務とした。中央軍集団への増援、補給の優先などが決定すると、フォン・ボックの命令でバルバロッサ作戦は動きだした。赤き連邦国家の大地は人民の血によって染められるのだ。
当時各国の空中軍艦保有数は以下の通りだった。
アメリカは長距離を飛行し対地攻撃を支援する巡空艦〈アラモ〉級一〇隻、対艦攻撃用の空中戦艦〈コネチカット〉級〈コネチカット〉〈オレゴン〉、〈コネチカット〉級を大幅改造し竣工間近の〈コンステレーション〉級が二隻、合計一四隻を保有。
イギリスは巡空艦〈グレート・ハリー〉級四隻、同〈ハーキュリーズ〉級二隻、空中戦艦〈ベレロフォン〉〈シュパーブ〉〈テメレーア〉〈アガメムノン〉の合計一二隻。
フランスは巡空艦に分類される空中要塞〈アドルフ・ペグー〉〈ジャン・ナヴァル〉、空中戦艦〈オッシュ〉〈デヴァスタシオン〉の四隻。しかし〈アドルフ・ペグー〉と〈ジャン・ナヴァル〉はイギリス艦隊との戦闘で沈み、〈オッシュ〉と〈デヴァスタシオン〉はヴィシーフランスの指揮下に入った。ヴィシーフランスは〈オッシュ〉の設計を基に〈ラ・グロワール〉の起工に入っている。
イタリアは空中戦艦〈ダンテ・アリギエーリ〉と巡空艦〈フランチェスコ・カラッチョロ〉級四隻の計五隻。しかし巡空艦は旧式で陳腐化しており、代替の改〈ダンテ・アリギエーリ〉級として〈イタリア〉〈レパント〉を建造中である。
ドイツは試験艦の〈カール・マルクス〉〈ヘーゲル〉、〈フォン・リヒトホーフェン〉級空中戦艦八隻、〈カールスルーエ〉級巡空艦二隻の合計一〇隻。緒戦での活躍に気を良くしたヒトラーは、空中軍艦の建造を命じたので、現在新型艦が設計中である。
ソビエトは水上戦艦〈ソビエツキー・ソユーズ〉などの艦隊整備計画の一環として、空中戦艦〈レニングラード〉〈ウラジオストク〉〈オデッサ〉が建造中だ。建造諸元はアメリカの〈コネチカット〉級に似ているが、設計を受注した会社が同一だからである。
日本は老朽化激しい〈神田〉の後を継いだ試験艦〈千住丸〉〈千鳥丸〉、改〈相模〉型巡空艦〈石見〉〈佐渡〉、〈浅間〉型空中戦艦〈浅間〉〈常盤〉〈八雲〉〈吾妻〉〈松島〉〈厳島〉〈橋立〉、空中戦艦〈筑紫〉型〈筑紫〉と空中公試の真っ最中である〈相模〉の合計一三隻。
世界の空には数多くの艦が浮いていたが、そのうち無事に退役できるのは何隻か、まだ誰も知らない。
遡って一九四〇年一一月、上海租界では日本の軍事顧問団が帰国すべく港へ集まっていた。彼らは中国内戦が始まって以来中国国内の色々な軍閥で行動し、輸入された各国新兵器や他国の顧問団の戦術を学び取っていた。しかしアメリカの対日感情悪化や両国の偶発的衝突を避けるために、米内内閣は彼らの帰国を命じた。浅間丸臨検事件で捕虜となったドイツ軍事顧問団のように、開戦後の帰国では捕虜となる可能性もあったからだ、という指摘もある。
「どうだい、辻さん。あいつら俺たちがいなくてもやっていけるかな?」
辻政信少佐は傍らに立つ美男子から声をかけられた。辻はこの男が嫌いであった。快活で爽やかな若き男爵はやはり華族のお坊ちゃんで、どこか世間ずれしているところがあった。にもかかわらず周りからは好かれた。最初は利用してやろうと近づいたが、彼の天真爛漫さには辟易した。自分の思い通りに動かないからだ。この男の名を、西竹一、人呼んでバロン西というオリンピック馬術のメダリストだった。
「私は出来るだけのことはした。これで出来なければ、それは奴等が無能だということだろう」
「ははっ、辻さんは手厳しいね」
くつくつと笑う西を横目に、辻はほくそ笑んだ。彼らが無能ではないことは、訓練をして分かっている。そうでなければこのようなこと、任せておけるはずもないのだからな。
沖に停泊する舟艇母艦〈神州丸〉から小さな短艇が近づいてきた。辻たちの迎えである。辻は懐中時計を取りだし、作戦が予定より遅れていることに舌打ちした。
「辻さん、どうした?何か急ぎの用があるなら、海軍さんの飛行艇を借りたらどうだい?」
親しげに話しかける西を無視し、辻は埠頭から上海を振りかえる。それにつられて西が振り返った瞬間、上海の一番高い建物が崩れ落ちた。咄嗟に伏せる周囲と違い、辻は堂々とその様子を見ていた。彼の心は成功に打ち震えていた。
遅れて空に響いた砲音と更に着弾する砲弾。上海は混乱状態に陥った。守備隊詰め所は初撃で粉砕され、当直の兵以外は防衛線にはいなかった。辻たちには見慣れた三八式小銃を構えた便衣兵が上海租界へ殺到する。彼らの目的は占領でも略奪でもなく破壊だけ。押し入った建物に火を放ち、逃げ出す市民の背中を貫く。阿鼻叫喚に包まれた町は、すでに平時の面影はない。
これらは辻の策略であった。北進論の限界を感じた彼は、資源地帯である東南アジアへの侵攻を目論む南進論へと鞍替えしていた。しかし内閣は対米融和に傾いており、このままでは亡国か良くてもアメリカの属国にならざるを得ない、というのが辻一派の考えであった。
軍事顧問団の帰国へ反対した辻たちであったが、アメリカを慮ってか彼らの意見は握り潰された。そこで次なる戦略を立てる。
各地の軍閥にいる子飼いの兵を用いて上海租界を攻撃、その際に日本製の武器を使い欧米の対日感情を悪化させる。襲撃した兵を殲滅すべく中国派遣軍を増強し、その兵力をもって第二の満州国を建国する。そうすればアメリカ政府の対日感情は決定的なものになり、日米開戦は免れないだろう。日米開戦は米独開戦を引き起こし、アメリカは地球を半周する挟撃に陥る。アメリカが効果的な反攻を行えないうちに中国及び東南アジアを制圧する、というのが辻たちの案だった。
軍事顧問団は元々関東軍所属が始めたもので、関東軍時代の情報網は健在であった。彼らは密接に連絡を取り合い作戦を開始した。
追い立てられるように港へ集まった住民たちを、西たちは自分たちの乗るはずだった短艇に代わりに乗せる。辻はそれを手伝わずに、作戦の推移を見守った。
自分が訓練した兵士たちの吶喊の叫びが聞こえ、着弾が港の倉庫を直撃するに至り、辻はやっと短艇に乗り込んだ。西たち事情を知らない兵たちは必死に住民を避難させているが、間もなくここにも着弾するだろう。辻は西に永遠の別れを心の中で告げると、第二段階の成功を予感した。
第二次上海事変と呼ばれる攻撃は、アメリカやイギリスなどからの移民や守備隊を多数殺害した。死者一五〇〇名以上という数字は世論を激昂させるに充分であった。
日本軍の兵器が使われたと知ったアメリカはこれを日本軍の落ち度だとし、大規模な対日経済封鎖を実行する。野村吉三郎駐米大使は粘り強く交渉するも譲歩は得られず、翌年四月に対米協調政策を推進していた米内内閣は瓦解。二.二六事件で襲撃された鈴木貫太郎が組閣することになる。彼の決断力を信じての推薦であったが、本人は「軍人は政治に関わるべきではない」という信念の持ち主で、当初大臣職を固辞していた。しかし米内から懇願され「この後に及んで戦争回避ができるのは鈴木さんしかいない。頼む」という言葉に揺り動かされたという。
二代続けての海軍出身者による組閣であったため、陸軍側からは批判が起きた。陸軍内では宇垣一成や永田鉄山を推す声もあった。特に粘り強い外交を行う宇垣は人気も高く、組閣大命は彼に下る、と大方の予想だった。しかし天皇からの評価が低かったためこの話は取りやめになり、逆に天皇の憶えが良い鈴木が選ばれたのであった。
内閣の大半が留任する中、陸軍の強い要望で宇垣が外務大臣として内閣へ加わる。鈴木から「日米協調を重視せよ」という厳命を受けたため、古巣である陸軍から売国奴と呼ばれることも厭わない外交により、宇垣は対日全面禁輸の開始を五月から引き延ばすことに成功する。
しかしコックス国務大臣は前任者コーデル・ハルが用意していたハル・ノートと呼ばれる交渉文書を最後通牒として書き換え、駐米大使として孤軍奮闘していた野村に渡した。応援として到着した来栖三郎の目の前で、野村に文書が渡されたのは、一九四一年一一月二六日のことであった。
一一月三〇日に日本とアメリカは互いに宣戦布告。アメリカは連合国への支援の強化を決定し、反発したドイツ率いる枢軸諸国はアメリカに宣戦布告。欧州大戦は世界大戦へと発展した。
鈴木内閣は開戦の責任を問われ解散。強硬派として議会で支持を増やしていた平沼騏一郎が、戦時内閣として組閣することになった。
陸軍大臣に永田鉄山が就任、外務大臣に東郷茂徳が就任。さらに総力戦に対する国内の経済を統制する軍需大臣を作り、商工大臣の業務をそちらに移した。