火種
ジューコフは重砲部隊が蹂躙されるのを見ていた。突然の事態に後方への指示が遅れ、反撃を始めた頃には砲弾が上空から降り注いでいた。時折こちらの榴弾が空中軍艦へ直撃するが、装甲に阻まれてしまい被害が確認できなかった。
たった二隻だけでこれほどの被害か。ジューコフは悔しげに呻くと、対策を矢継ぎ早に下命し始めた。
「航空隊に爆弾をありったけ持ってこいと言え。ただし対地用ではなく、対要塞用の巨大なものをだ」
双眼鏡で忌々しい空中軍艦を観察し、新たなる命令を出す。
「戦闘機には側面か艦尾にあるプロペラを叩かせろ。撃沈はできないが機動力を下げることはできるだろう」
〈相模〉の艦橋は高揚した空気が流れていた。陸軍の加農砲では届かなかったソ連砲兵部隊へ、一方的な攻撃をかけているのだ。
一五二ミリ榴弾程度では〈相模〉も〈諏訪〉も被害はなく、被害報告も「新兵が衝撃で転倒」などであった。
しかし古賀には懸念があった。空中軍艦には弱点が多い。動揺防止用の側面舵やプロペラ、重量の関係で軽装甲にせざるを得なかった艦橋などだ。そこを爆撃機によって集中攻撃された場合、〈相模〉であっても無事ではいられないかもしれなかった。
「高度五〇〇上げ」
地上との距離が近くなっているのに気が付いた古賀は、ただちに上昇を命じる。浮遊機関はあくまで浮遊状態を保つだけだ。上昇下降や旋回は専用の機関に任せている。
関東軍から連絡将校として着任した有末は満足そうに頷いている。
「これならば、放棄する物資も少なくなりそうですな。安心して後退できそうだ」
血の気が多い陸軍は空中軍艦の出現に乗じて攻勢をかけると思っていた古賀は驚いた。それほどに被害が大きかったのか。
そうであるなら陸海の違いこそあれ、同じ帝国軍人である彼らを無事に本国へ帰還させたい。古賀は第四斉射が完了したのを見計らい、
「取舵三〇〇度」
と命じた。これは重砲部隊へ接近する航路であり、ソ連軍の目をこちらに引き付ける魂胆であった。
「右から敵機接近!」
その直後対空砲が煙を吐き出す。寸詰まりな機体の周りに黒い炸裂の煙が広がる。三機が原形をとどめないほどに破壊され、直滑降に視界から消えていく。
僚機が粉砕されたにも関わらず、残りの機は怯えた様子もなく〈相模〉に向けて接近する。そして艦橋から見えなくなった途端、〈相模〉が身震いした。環境に詰めていた何人かがふらつく。
「損害知らせ」
「右舷第一旋回機、破損!プロペラが損壊した模様です!」
やられた。もっとも脆弱な部分の内、一番狙いやすい場所を攻撃された。
戦闘力は低下していないが、旋回速度が悪くなる。致命的な損害ではないことを言い聞かせながら、古賀は増速を命じた。旋回速度が更に悪化するが、再び攻撃を受けるわけにもいかない。少しでも戦闘機から狙いにくくするための策であった。
「敵地上部隊からの反撃が見るからに減っています。高度を下げて必中を期しては?」
砲術参謀の猪口敏平中佐は具申した。確かに地上から撃ち上げてくる砲弾は減少している。しかし高度を下げれば命中率が上がるのはあちらも同じだ。
古賀は思案したのち、
「いや、まだ早い。こちらへの攻撃が無意味と知り、接近したところを痛打するつもりかもしれん」
と却下した。
小刻みに転進しながら、地上と偵察機からの報告にあった重砲陣地をあらかた潰し、友軍も順調に後退している。古賀が楽観し始めたとき、鋭い声が響いた。
「左一〇時方向から、敵重爆接近中!」
地上に目を奪われ気付くのが遅れたため、敵機はすぐそばまで来ていた。
「最大戦速、急げ!」
艦長の阪が叫ぶも、十機以上のSB-2はすでに投下体勢だった。ぽろぽろと黒いものがこぼれてくる。数機が黒い線を描いているが、ほとんどの機体が投下を成功させた。
「対衝撃体勢!来るぞ!」
古賀はそう叫ぶと、自身も来るであろう激しい振動に備えた。
〈相模〉が立てる風切音とは異なる高い音がどんどん大きくなる。
しかしそれはそのまま遠ざかっていった。間一髪のところで敵弾は逸れた。艦長が出した指示が間に合ったのだろう。
艦橋の全員が身体を緩めた直後、艦尾方向から何かがひしゃげる轟音が響いた。
〈相模〉は微動だにしないが、気が抜けた士官は何人かが耳を反射的に押さえた。
伝令兵が艦橋へ報告する。
「〈諏訪〉に命中弾!」
〈相模〉は奇跡的に助かったが、〈諏訪〉はそこまで幸運ではなかったか。
古賀は急ぎ〈諏訪〉の無事を確認した。
〈諏訪〉からの電信文を読み上げる。
「艦首と第二主砲塔に被弾。艦首兵員室が大破。第二主砲塔に損害無し。戦闘に異状無し」
〈諏訪〉も〈相模〉ほどではなかったが、幸運だったようだ。艦首の非装甲部への直撃も艦の行動を制限するものではなく、砲塔の天蓋が敵弾をはじき返した。
敵も対艦攻撃用の爆弾を用いただろうが、もともとこの戦いは陸戦であり、空中軍艦のような不確定要素が介入しなければ、必要な装備ではない。それにも関わらず敵は重爆に装備してきた。
「敵将は相当な名将だな」
古賀は眼下の戦場を見守った。
投入された関東軍は後退中であった。司令部が後退を決めた時、宮崎繁三郎大佐は殿軍を名乗り出た。現在彼の周りには戦傷兵とそれを運ぶ指揮下の兵ばかりであった。
北西の方向を見上げると、空中軍艦が凄まじい砲火を浴びつつ、しかし損害を受けた様子もなく地上へ撃ち降ろしていた。
八インチ砲の威力は凄まじい。この戦場にある火砲で最も威力がある上に射程も長い。
しかしそれもいつまで続くかわからないのだ。宮崎は先ほどの空襲で空中軍艦が被弾するのを見た。幸い被害は少ないようで射撃は正確なままだが、被弾せずとも弾薬が尽きるかもしれない。
周囲の兵を叱咤激励しつつ、宮崎は戦線を離脱すべく急いだ。
「機械化師団であれば追いつかれるなあ」
空中軍艦が戦車やトラックを東進させる前に退却すべく、宮崎は自らも戦傷兵を背負った。
貴重な第一空挺戦隊を任されている、という自覚はあった。しかし実際被弾すると、艦の保全のための後退、という選択肢を選びたくなる古賀だった。
軽快な音を立てる二五ミリ機銃に励まされるように、〈相模〉は三〇ノットで敵上を通過しつつあった。真下は死角のため正確には敵陣の横をこするように移動しているが、地上からの砲火はおびただしく、〈相模〉の艦底部を痛めつけていた。
関東軍司令部からの報告では既に全部隊が離脱していたが、ソ連軍が余勢を駆って進軍する可能性もある。戦車部隊だけでも敗走した味方には強敵なのだ。
敵の強硬突破を頓挫、または遅延させるべく空中軍艦は射撃を続けた。
〈相模〉の艦首砲が被弾により破壊され〈諏訪〉の旋回用プロペラが破損するに至り、古賀は後退を命じた。
艦橋は高揚した雰囲気であった。日本軍は陸戦で大敗を喫した。しかし空戦では圧倒的に優位であり、敵を多数撃破した。これにより空中軍艦は少なくとも陸戦において戦況を左右しうる戦力であることが実証されたのだ。
古賀にとっての初陣はまぎれもなく勝利であった。
一九三八年八月、日ソ両国による停戦協定が結ばれる。この協定はソ連のモロトフ外務大臣と日本の東郷茂徳駐ソ大使の会談の末に結ばれた。満州臨時政府はこの戦いのさなか中国共産党や軍閥により壊滅しており、この停戦協定時には残っていなかった。この会談に中国国民党は反対していたが、国民党の統治を離れた満州西部は承諾した。この協定の結果、ソ連とモンゴルの主張する国境線は大部分が認められた。日ソ衝突を「不幸な行き違い」とし、賠償金等は請求しないなどが決定した。のちにノモンハン事件と称される戦いはここに終結する。しかしこの衝突は世界中へと波紋を広げることになった。
ソ連は当初の目的を達成するが、被害甚大のため極東軍は行動不能。また空中軍艦の有効性に目を付けたスターリンは空中艦隊計画を推進した。名将ジューコフによって鍛え上げられた極東軍は計画により再建が遅れ、後の戦況にも大きな影響を及ぼすことになる。
日本も第二三師団壊滅などの陸軍の弱体化を見せつけられ、また政治的にも譲歩したため町田内閣は責任を取って総辞職。後任には近衛文麿が推挙された。外務大臣に宇垣一成、財務大臣に勝田主計、陸軍大臣には政治家に転向した板垣征四郎、海軍大臣には山梨勝之進が留任した。なお関東軍は総司令官の杉山元が辞職したため解体、大陸派遣軍と改称された。
近衛内閣の経済政策は欧米への安い国産品の輸出を拡大、及び国内工業の発展であった。孤立を深めていたドイツから最新の機材を輸入するなど、日本の工業力は倍増とまではいかないものの、かなりの発展を達成した。しかしこれによりドイツを危険視し始めたイギリスやフランスから距離を置かれることになる。また日米の経済摩擦も苛烈になりアメリカとの対立が激化する原因にもなった。
軍備においても近代化を図り、壊滅した第二三師団を機械化師団として再編。また強力な戦車量産までの間に合わせとして、九七式戦車を母体とし七五ミリの対戦車野砲を積んだ九九式砲戦車(ホイ車)への改造が急がれた。
戦闘機も火力と速度、航続距離の不足を指摘された。三菱重工業の堀越二郎が設計していた一二試艦戦は航続距離と火力を重視した設計だったので陸海共用となった。しかし急降下速度や防御力に不安を感じた陸軍は航続距離の削減した機体を求め、中島飛行機と三菱重工へ設計を打診。のちに中島製の制空戦闘機として二式戦闘機、通称を雷電と呼ばれる機体が完成することになる。
軍艦は金剛型代替艦四隻が竣工した。〈天城〉〈生駒〉〈鞍馬〉〈伊吹〉と名付けられた彼女たちは、先代に当たる金剛型を改装した空母四隻の護衛となった。
空中軍艦も新鋭の〈浅間〉型四隻の完成した結果、第一空中戦隊と合わせた第一空中艦隊が創設され、初代司令長官に古賀峯一大将が就任した。
マル三建艦計画で造られた補助艦艇も次々と就役しつつあり、日本の守りは盤石なものとなった。しかしアメリカは、ドイツとも近づく日本が周辺諸国への侵攻を意図していると判断し、日米外交は急速に悪化し始めた。経済摩擦の影響もあり、極東の帝国への危機感は煽られることになるのであった。
一方ドイツのナチス政権はノモンハン事件終結の一ヶ月後、チェコスロヴァキアのズデーテン地方をミュンヘン会談により獲得。翌年三月にはチェコスロヴァキアを解体しチェコを併合するなど、欧州情勢は悪化の一途をたどっていた。英仏はポーランドと軍事同盟を締結、次の目標となるであろうポーランドへの攻撃を抑制しようとした。
欧州情勢を受けて中国における勢力争いは激化。ドイツを盟主とする枢軸同盟諸国、イギリス・フランスを中核とする国際連盟、ソ連を頂点とする共産党、日本を母体とする特務機関、アメリカに代表される自由主義国家群などの謀略と裏切りの混沌となっていた。
重量二一五〇〇トン、二八センチ連装砲を四基、最大三四ノットを叩きだす空中軍艦〈フォン・リヒトホーフェン〉〈デアフリンガー〉〈ハノーファー〉〈ポンメルン〉の四隻はポーランド国境付近へ移動していた。司令長官はエルンスト・ブッシュ大将。彼はこの任務のために航空技術や海戦の知識を研究し、海軍総司令官エーリッヒ・レーダーを始めとする海軍士官との友誼を結んだほどであった。
当初ヘルマン・ゲーリング大将が就任する予定だった第一航空機動艦隊司令長官が陸軍のブッシュとなったのは、ヒトラーが空中軍艦を陸戦兵器と考えていたからであった。エルンスト・ウーデットをトップとするドイツ空軍は「空中軍艦の管轄を空軍所属とする決定にも関わらず司令官を陸軍から選ぶとは」と反対した。しかし陸戦での効果的運用のためには陸戦に詳しい者が指揮するべきだ、というヒトラーの言葉に退けられている。
ブッシュ率いる第一空中打撃群は合流地点へ期限より早く到着した。そこには更に四隻の空中軍艦が到着しており、地上のテントでは作戦会議の準備が整っているらしかった。第二空中打撃群はヨーゼフ・カムフーバー大佐率いる〈ニクセ〉〈シャルロッテ〉〈フライア〉〈アリアドネ〉で構成されており、諸元は重量二三〇〇〇トン、二八センチ連装砲を四基、最大戦速三七ノットであった。
ブッシュは急ぎオートジャイロで降下、作戦前最後の会議を行った。
彼らはゲルト・フォン・ルントシュテット大将指揮下の南部軍集団に配属されており、ルントシュテットは彼らを「空中の機甲部隊」と呼んで重要視した。
手早く要項を伝えると各艦長と司令官は自分の指揮する艦に戻っていく。ブッシュは揺れるオートジャイロの中で自らの指揮を確認していた。
機械化された部隊による大包囲が本作戦の骨子であり、空中軍艦はその任に相応しい。空中軍艦を生かすも殺すも、彼の采配にかかっているのだ。精強と名高いポーランド騎兵も我々相手では手も足も出ないだろう。
艦橋に戻ると作戦開始時刻を待った。焼け焦げた臭いが流れてくる。機関部の調子もよさそうだと、機関長の報告だ。
「司令部より入電。『作戦開始セヨ』」
「了解。全艦進撃せよ!」
ついに第二次世界大戦が開始されたのだ。
<筑波>を<天城>に変更しました。