政変
第二戦隊旗艦〈シャルンホルスト〉に座乗するエーリヒ・バイ中将は、傾斜した床に腰を下ろしていた。火災の嫌な臭いがする煙の中で、彼は先ほどまでの砲戦を思い返す。全身から染み出す血液と共に、体の熱が失われていく。
七隻の戦艦と撃ち合いになった七隻の巡洋戦艦は、次々に撃破されていった。戦艦の不足を補うはずだったが、少しの間の盾にしかならなかったのだ。
アンドリュー・カニンガム提督は〈ビスマルク〉級と〈ジャン・バール〉、〈フリードリヒ・デア・グローセ〉を放置したまま、全艦を以て巡洋戦艦を攻撃して掛かったのだ。
東進する本国艦隊と北西に針路を取る大洋艦隊は、互いに全主砲を指向させつつ、急速に接近していった。
「第一戦闘隊は敵三番艦。第二戦闘隊は敵四番艦。第三戦闘隊は敵五番艦を攻撃せよ」
ギュンター・リュッチェンス司令長官の命令は、〈キング・ジョージⅤ世〉級を三隻、巡洋戦艦で相手取れというものだった。
「距離三万メートルで砲撃開始せよ」
バイの命令に参謀長のフリードリヒ・フォスターが疑義を挟む。
「相手は一四インチ搭載艦とはいえ、正規の戦艦です。及び腰の射撃では攻撃の意味がありません」
「ふむ……」
〈ダンケルク〉級の二隻は三三センチ艦砲を装備するが、旗艦を含め二八センチ艦砲が五隻だ。以前の戦いでは重巡洋艦と撃ち合い、攻防能力に物を合わせて封殺したが、今度は逆だ。
「砲戦距離二万五〇〇〇とする」
「了解」
第一戦隊より先行すべく、隷下の巡洋戦艦が増速する。
北海は曇天かつ波浪荒ぶるのが常で、レーダーが無ければ一万メートル以遠を見通せない日も多い。
しかし今日は海神の機嫌もよろしく、午前中には航空攻撃により本国艦隊の空母部隊を撃破出来た。それに対し、イギリス空軍から大洋艦隊への攻撃は無く、恐らくは見当違いの範囲を索敵しているのだろう。
「方位三〇〇度からレーダー波探知。妨害電波、輻射します」
すぐに周波数を変えて無効化するだろうが、これも儀式の一環だ。艦隊決戦という前大戦の残滓を甦らせるには、出来る限りのことをすべきだ。
「北方で第一空中艦隊が敵空中軍艦と接触しました。数は二隻」
ゲーリング長官ならば上手く対処してくれる。バイは念頭から空中軍艦を消した。
「敵艦、発砲!」
「〈ビスマルク〉〈ティルピッツ〉〈ジャン・バール〉〈フリードリヒ・デア・グローセ〉撃ち方始めました」
遠雷の如き轟きが前方と背後から響き渡る。戦いの火蓋が切って落とされた。
空を圧する風切り音が響き渡った。艦橋の誰もが天井を見上げた。
窓から見える風景が暗い海水で埋め尽くされた。艦全体を揉みしだかれて、バイ自身も壁面に叩き付けられた。
「損害報せ……!」
艦長のオットー・ファインが苦しげに声を上げた。脇腹を抑えつつ、脂汗を浮かべている。
「左舷に着弾。副砲が連装砲、単装砲、共に大破!」
「後方の僚艦にも着弾多数!」
陣頭指揮を体現する〈シャルンホルスト〉に対して、レーダー射撃は初弾命中の妙技を見せた。
それどころか、巡洋戦艦全てを潰さんと初弾から斉射。恐ろしいことに、〈リュッツォウ〉はこの攻撃で継戦能力を喪失した。司令塔を押し潰され指揮系統が混乱。光学測距儀も瓦礫の山になり、有効な射撃を行える状況でなくなったのだ。
〈シャルンホルスト〉の司令塔に、焦げ臭い空気が流れ込む。赤いランプが点灯し射撃を報せた。二万五〇〇〇まで接近したのだ。
頭から爪先まで斉射の衝撃が満遍なく打ち付ける。この日、〈シャルンホルスト〉は最初の主砲発射を行った。
一五秒程で二八.三センチ砲弾は敵艦へと降り注ぐ。光学照準を主としレーダーを補助とするもので、イギリス艦には一歩劣る。
両国のレーダーの方向性の違いは、そのまま海軍国と陸軍国の差とも言えるが、それでもカール・ツァイスの優秀な硝子製品は射撃用レーダーの差を補えるはずだ。
敵艦に二八.三センチが着弾する。命中弾こそ無いが、見事に夾叉していた。次弾より斉射に移ると吠えたファイン艦長は、少し咳き込みつつも持ち直したようだ。
次弾が〈シャルンホルスト〉に降り注ぐ。三五.六センチと馬鹿にするなと言わんばかりの、一〇発の驟雨だった。
艦内に怒号が響き、苦痛や救助の声が漏れ伝わる。
「後檣及び水上機格納庫に被弾。火災発生しました」
水上機はAr196だが、既に発艦してイギリスのウォーラスを撃墜している。観測機として、先の砲撃の結果を送るはずだ。
「〈シャルンホルスト〉一号機より、全弾近弾!」
「斉射に移れ」
命中こそしていないが苗頭は十分だと判断したファインは、砲術に斉射へ切り替えさせた。敵艦のレーダー射撃は既に〈シャルンホルスト〉を捉えている。焦らない方がどうかしている。
「それと格納庫の消火は後回しにしろ」
ブザーが鳴り、再び〈シャルンホルスト〉が吠えた。今度は九門全てによる斉射で、艦全体が強張ったような衝撃が走る。
不意に周囲が静まり、風を切り裂く音だけが司令塔に流れた。バイが敵弾の音だと理解した直後、身体を激痛が走り意識を飛ばしかけた。
床に身を投げ出したバイが目を開く。
幕僚の姿は見えず、黒い煙が垂れ込めている。消火器の白煙が視界に散らつき、ダメコン要員が司令塔に飛び込んできた。
「司令官!司令官!」
「何が、あった」
喉が張り付いたように声が出ない。全身に痺れが広がり、痛みはそこまで酷くない。
「司令塔に直撃弾です!測距儀が破損し、射撃を中止しています」
「そうか」
彼の手を借りてバイは身体を起こした。担架で運ばれていく艦長を見遣るが、軽く手を振る様子から意識はあるようだった。
「司令官……!」
フォスターが駆け寄る。頭に白い包帯を巻いており、滲む赤が痛々しい。参謀長らしからぬ慌てふためき様だ。
「司令官も重傷です。今すぐ処置を……」
「それよりも私の命令だ。総員退艦せよ。私は残る」
フォスターは横にいる軍医に視線を移す。
「現状では行える処置はありません」
「だそうだ。君たちも早く」
それでも何か言おうとする参謀長を視線で制した。言い募ることはあろうが、多くの輸送船を沈めてきた〈シャルンホルスト〉に、今こそ引導を渡すべきだとカニンガム提督が考えれば、再び三五.六センチの死刑宣告だ。
「第二戦隊の他の艦はどうなった」
「……〈グナイゼナウ〉が機関を損傷し、出し得る速度が一〇ノット近くとのこと。第二戦闘隊は〈リュッツォウ〉〈アトミラール・グラーフ・シュペー〉が沈み、〈アトミラール・シェーア〉が撤退。第三戦闘隊は〈ダンケルク〉が撤退、〈ストラスブール〉が沈没です」
「完敗だな」
バイが咳き込む。口から赤いものが溢れるが、鉄の味はしなかった。
「司令官の指揮下で戦えたことを誇りに思います」
「私もだ、参謀長」
生きてる者が居なくなった司令塔は、幕僚ばかりの時は狭苦しい思いしかなかったが、今ではこんなにも広いのか。
バイの意識はそこで途切れた。〈シャルンホルスト〉が波間に消えたのは、大洋艦隊第一戦隊が本国艦隊との砲撃戦を繰り広げている最中であった。
巡洋戦艦を蹴散らしたはずの本国艦隊だが、アンドリュー・カニンガム提督の表情は暗い。
突出してきた彼らを撃退する過程で、〈プリンス・オブ・ウェールズ〉を戦列から失っていたからだ。
〈ダンケルク〉級二隻の猛射を喰らった〈プリンス・オブ・ウェールズ〉は、全ての主砲塔が故障という最悪の事態に陥った。〈キング・ジョージⅤ世〉と〈デューク・オブ・ヨーク〉が当初の目標を素早く撃破し、王太子を襲う不届き者に照準を切り替えたお陰で撃退に成功はした。しかし主砲全門使用不能かつ中破規模の損傷を負った〈プリンス・オブ・ウェールズ〉は、ロサイスの海軍造船所に撤退している。
「そろそろ三万五〇〇〇メートルですが、いかがなさいます」
ヘンリー・ムーア参謀長が耳打ちする。
カニンガムは首を振った。
「〈ビスマルク〉は我が艦と同等の装甲を持つと考えられる。二万、いや一万五〇〇〇メートルは欲しい……が、三万で砲撃開始せよ」
「三万、ですか……?」
ムーアの疑問は当然だった。
〈キング・ジョージⅤ世〉級の装備する、艦橋トップの測距儀は一五フィートと短い。二万二〇〇〇メートル程が所謂「決戦距離」なのだが、わざわざ捜索用レーダーの範囲から射撃するのは何故か。
「〈ビスマルク〉の要綱を見る限り、水平装甲が薄い。長距離砲戦を想定しておらず、前大戦の戦訓が反映されていないらしい」
長距離砲撃による大落下角度を利用し、水平装甲へ着弾させる。ジャトランド戦役でビーティー提督の巡洋戦艦を痛撃した、大口径砲の戦訓だ。
無論、射撃用レーダーではなく捜索用レーダーを代用した砲撃になる。精度は低いだろう。そこは数で押し切りたいとカニンガムは考えていた。
その距離だと発砲から着弾まで一分程。じりじりと焦燥感に身を焦がす戦いになるのは、火を見るより明らかであった。
「〈ライオン〉と〈インヴァイオラブル〉は敵一番艦。本艦と〈デューク・オブ・ヨーク〉は敵二番艦。〈アンソン〉〈ハウ〉は敵三番艦」
カニンガムは四番艦を放置することに決めた。新鋭艦は不気味だが、数で押し切ると決めたのだ。
「敵一番艦との距離、三万メートル!」
「撃ち方始め」
トーマス・エドガー・ハルゼー艦長の命令を受け、艦内に主砲発砲の警告音が響く。ブザーが鳴り、耳を引っ叩かれるような衝撃が走った。
一斉打方で一〇発の砲弾が、約一分後に海面かチーク材に落下する。
「敵一番艦、発砲!」
事前の諜報から〈ビスマルク〉と判明している。
その後ろに〈ティルピッツ〉〈ジャン・バール〉と並び、最後尾に新顔〈フリードリヒ・デアグローセ〉が浮かぶ。
次々と彼我の戦艦が発砲する。
「弾着……今!」
〈ティルピッツ〉を三五.六センチ砲弾が襲う。あれほど大きな水柱だ。レーダーも探知しただろう。
Ar196に排除されたウォーラスの代わりに、レーダーで着弾観測する。水上機の開発が止められた弊害は、スコープ越しの反応が取り払った。
「全弾、目標の後方に落下」
ドイツ艦隊は増速したらしい。大落下角度を恐れて、垂直装甲の殴り合いである近距離戦を求めている。
第二斉射。第三斉射。
空振りを繰り返す度に、焦燥感が燃え上がる。
長距離砲撃の常ではあるが、ドイツ艦隊も同様に空振りを繰り返している。
「〈デューク・オブ・ヨーク〉被弾!」
三八センチの射撃が、後方の〈デューク・オブ・ヨーク〉を捉えた。
〈ライオン〉も〈インヴァイオラブル〉も空振りを繰り返しており、〈ビスマルク〉は無傷のまま〈デューク・オブ・ヨーク〉に命中弾を出した。
数で勝るこちらが劣勢に陥りかねない状況に、ただ待つだけしかない苛つきが加わる。
「次は当てます」
ハルゼーが呟いた。
カニンガムは彼の発言を信じるほかない。
「弾着、今!」
「ヨシッ!」
ハルゼーが声を上げた。
〈ティルピッツ〉を包み込む水柱に、明らかに黒いものが散った。
第四斉射に至ってようやく、〈キング・ジョージⅤ世〉は〈ティルピッツ〉に命中弾を出したのだ。
急斉射に移る。装填即ち発砲になり、圧倒的な投射弾量で叩き潰す。
「〈デューク・オブ・ヨーク〉火災発生!」
〈デューク・オブ・ヨーク〉の中央部、煙突の付近から赤い炎が立ち昇っている。そこまで大きな火災ではないが、水上機の燃料などに引火すれば、消火に時間が掛かるかもしれない。
〈ビスマルク〉の射弾は面倒極まる区画を襲ったのだ。
目標を変えて、〈ビスマルク〉を攻撃するべきか。しかし〈キング・ジョージⅤ世〉は〈ティルピッツ〉に命中させている。
〈ビスマルク〉を砲撃している〈ライオン〉に目を遣る。新米に〈ビスマルク〉のような強敵を回したのが失敗だったのか。
そう考えてるうちに、彼女を水柱が押し包んだ。
〈フリードリヒ・デア・グローセ〉の射弾だ。〈ビスマルク〉級の三八センチ砲を上回る飛沫の高さに、強烈な違和感を覚える。
一インチでこれほどの差が出るだろうか。
「〈ライオン〉より入電、重要防御区画を抜かれました!」
「信じられない!」
ムーアが零した一言は、彼が先に言わなければカニンガムのものだった。
貫通力を初速で稼げる距離には遠い。斜めから落下した砲弾が、そのシンプルな重量で対一六インチ装甲を貫通したのだ。
「一八インチ規模の主砲だな」
「ドイツは艦砲製造では後進国のはずです。我が国でも開発していない口径を、彼らが製造出来るとは思えません」
「イタリアや日本の技術を取り入れたのかもしれぬ」
イタリアの航空機は日本の空冷エンジンを搭載し、ドイツ人が設計した航空機を日本は飛ばしている。相互での技術的取引があってもおかしくない。
我が国のマーリンエンジンを積んだアメリカ製戦闘機P-51ムスタングの例もあり、どの国でも当然行われている。
第五斉射が〈ティルピッツ〉に着弾した。
黒煙の勢いは明らかに増している。ただし主砲は依然として咆哮し続けており、戦闘力を失った様子はない。
「〈アンソン〉より入電。〈ジャン・バール〉沈黙。我、目標を〈ビスマルク〉に変更する」
〈デューク・オブ・ヨーク〉に〈ビスマルク〉の射弾が落下する中、やっと敵戦艦を撃破したという報告が艦橋に伝えられた。これで〈ビスマルク〉は四隻で袋叩きとなる。
「〈デューク・オブ・ヨーク〉の損害は?」
「少々お待ちください」
先ほど発生した火災の勢いは弱まったようだが、たった今の着弾で数発浴びたようだ。
「B主砲塔が旋回不能。艦中央の火災は鎮火。A砲塔及びX砲塔は射撃継続」
「なるほど」
戦意は失っていない。
就役から三年。研鑽を積んだ〈デューク・オブ・ヨーク〉の乗員は、〈ビスマルク〉の射弾をものともせず戦いを続けている。「新戦艦」として、同格の〈ビスマルク〉に負けてたまるかという気概が、溢れんばかりに感じられた。
「〈インヴァイオラブル〉が当てました!」
〈ビスマルク〉の命運は尽きたようだ。
黒煙で艦が見えないほどになり、低い艦橋も明らかに傾斜している。
だが同時に、〈ライオン〉も一八インチの前に屈したようだった。
黒煙が甲板の破口から幾つも噴出し、箱型の艦橋は上部を削り取られていた。気が付けば主砲は全て沈黙している。
「〈ライオン〉、総員退艦を開始……」
新鋭艦を喪失した。残念ながら〈ライオン〉は、被害担当の目的に殉じたのだ。
それでも数の優位は、海戦当初より大きい。
〈キング・ジョージⅤ世〉〈デューク・オブ・ヨーク〉〈アンソン〉〈ハウ〉〈インヴァイオラブル〉の五隻と、〈ティルピッツ〉〈フリードリヒ・デア・グローセ〉の二隻だ。
「〈フリードリヒ・デア・グローセ〉は後回しにしろ。全艦で〈ティルピッツ〉を速やかに撃破し、その後に忌々しい『大王』を沈める」
カニンガムはここで大きな誤ちを犯していた。幕僚の誰もが忘れていたのだから、彼個人の過誤とは言い難いかもしれない。
対空レーダーが捉えた影は二つ。航空機にしては大型で低速だ。レーダー担当士官はこれを、〈ゴールデン・ハインド〉と〈インプレグナブル〉であると判断してしまった。
「味方の空中艦が接近中」
「そうか」
ムーアと電測参謀の会話はそれで終わりだった。
カニンガムが気が付いた時には、その二隻はイギリス艦隊に向けて砲門を開いていた。
「空中艦、発砲!」
「〈ゴールデン・ハインド〉かと」
カニンガムの背筋に冷たいものが走った。
空中艦隊には、敵の空中艦隊を牽制する以外の指示を出していないし、期待もしていない。味方の空中艦がこの海域に現れたのなら、敵の空中艦に押し込まれた場合のみ。単独で現れたそれが、味方のはずがない。
「それはドイツの空中艦だ。数は!?」
「電測、どういう事だ!」
「二隻のみ。他には反応無し」
「やはり味方の艦隊では?方向が……」
混乱する幕僚は、双眼鏡を手にしたまま口をつぐんだ。カニンガムは天を仰ぎ、神に祈った。
彼らが見遣ったのは西方。三八センチ砲弾が打ち上げた水柱に、最後尾の〈ハウ〉はその艦体を押し包まれていた。
第五航空艦隊は、その指揮下の戦隊を細かく分散させて行動させていた。
〈フォン・リヒトホーフェン〉と〈デアフリンガー〉、〈ハノーファー〉と〈ポンメルン〉、〈シャルロッテ〉と〈アリアドネ〉、〈バイエルン〉と〈ヘッセン〉の二隻ずつで別方向から襲い掛かったのだ。
〈バイエルン〉と〈ヘッセン〉は旧名をそれぞれ、〈レニングラード〉と〈ウラジオストク〉であった空中軍艦だ。
空中軍艦の造船施設があったレニングラードから、竣工式を迎えた後にケーニヒスベルクで艤装を行った。主砲を〈ビスマルク〉級と同じ三八センチに換装し、防御力ではドイツ空中艦を上回っている。
シュベツォフをBMWに載せ替え、五〇ノットを叩き出す二隻の〈バイエルン〉級が、イギリス本国艦隊に砲火を浴びせたのだ。
〈ハウ〉後方から高度一〇〇メートルで襲い掛かった〈バイエルン〉は、独自の「前に傾いて設置された」バーベットを持つ連装四基を、凄まじい勢いで連射。射撃しながら高度を落とし、ひたすら射界に捉え続けた結果、最終的に下部の偵察艦橋が波濤を被る高さまで降りた。
被弾によりX砲塔が旋回不能に陥った〈ハウ〉は、取舵を切って前部主砲の射界に〈バイエルン〉を捉えようとする。戦列を離れゆっくりと艦首を北に向ける〈ハウ〉に、更なる凶報が飛び込む。
北より新たなる艦影。〈フォン・リヒトホーフェン〉と〈デアフリンガー〉だった。
〈ハウ〉はすぐさま応戦。〈フォン・リヒトホーフェン〉に命中弾を与えるが、単独で北に突出していた〈ハウ〉に射弾が集中。二〇発以上の命中弾を受けて沈黙した。
〈アンソン〉に射弾が落下し始めると、カニンガムが辛抱出来ずに目標を空中艦に変更する。黒煙と火災を纏った〈インヴァイオラブル〉のみが、〈フリードリヒ・デア・グローセ〉を攻撃していた。
〈バイエルン〉と〈ヘッセン〉が離脱し、〈フォン・リヒトホーフェン〉と〈デアフリンガー〉が黒い航跡を曳きながら逃げ出した時には、〈インヴァイオラブル〉の装甲は既に穴だらけとなっていた。
〈キング・ジョージⅤ世〉と〈デューク・オブ・ヨーク〉のみになった本国艦隊の惨状に、カニンガムは撤退を命じた。
〈フリードリヒ・デア・グローセ〉は些かも勢いを減じておらず、三五.六センチでは撃破が困難という理由であった。
水雷戦も及び腰な砲戦に終始し、撃沈艦は互いに無し。
〈ヴィクトリアス〉〈インプラカブル〉〈カレイジャス〉は撃沈されるが、〈グラーフ・ツェペリン〉〈ペーター・シュトラッサー〉も補充した艦載機を大きく損耗。器だけになった空母は、貴重な艦載機パイロットを補充するために帰国を強いられた。
イギリス本国艦隊の喪失艦は戦艦〈アンソン〉〈ハウ〉〈ライオン〉〈インヴァイオラブル〉、空母〈インプラカブル〉〈カレイジャス〉、駆逐艦〈インパルシヴ〉〈マスケティーア〉。
それに対して大洋艦隊は戦艦〈ビスマルク〉〈ティルピッツ〉〈ジャン・バール〉、巡洋戦艦〈シャルンホルスト〉〈グナイゼナウ〉〈リュッツォウ〉〈アトミラール・グラーフ・シュペー〉〈ストラスブール〉。大破が〈ダンケルク〉〈アトミラール・シェーア〉。中破が魚雷一発を受けた重巡〈フォッシュ〉と、多数の艦砲に撃たれた〈フリードリヒ・デア・グローセ〉だ。
大洋艦隊の「GIUKギャップ」突破を防いだ点で、イギリスの戦略的勝利ではあった。
しかし壊滅的打撃を受けた本国艦隊は行動不能に陥り、ドイツの次の手に対応出来なくなっていた。
この窮地においてブリテン島の守護者となったのは、なんとこれまで冷遇されてきた空中軍艦であった。
激しい水上艦の砲撃戦の最中に〈ゴールデン・ハインド〉と〈インプレグナブル〉は、数に勝るドイツ空中艦隊の四隻と戦い、〈シャルロッテ〉〈アリアドネ〉を撃沈していた。残る〈ハノーファー〉〈ポンメルン〉を翻弄している途中、水上艦隊の敗北を受けて後退したのだった。
第二次「あしか作戦」が行われるのは、時間の問題。ロンドンではその考えが支配的であった。
「『大王』の大戦果ですな」
ギュンター・リュッチェンス司令長官に向けて、カール・トップ参謀長が興奮した様子で話し掛けた。
しかしリュッチェンスは難しい顔をしている。
「作戦目標は未達成。かつ撃沈艦ではこちらが多い」
我らが総統はこの激戦を大勝利として宣伝するに違いない。だが、国防海軍は海戦を起こす力を失った。残存艦艇を港に逼塞させ、圧力を掛け続ける以外の選択肢は残されていない。
よしんば、この戦果を引っ提げて海軍予算の拡充をエーリヒ・レーダー海軍総司令官がもぎ取ったとして、今建造が進む艦艇以外は今次大戦に間に合わないだろう。
太平洋側でも戦況が佳境に入っている。対日戦線に傾倒しているアメリカだが、その圧倒的工業力をイギリス支援へ少し振り向けただけで、恐らく我が国はバルト海から出られなくなる。
リュッチェンスがここまで弱気なのは、〈フリードリヒ・デア・グローセ〉の出自が関係している。
設計の叩き台になったのは、日本海軍よりもたらされた戦艦〈ヤマト〉であった。
空母〈グラーフ・ツェペリン〉が〈アカギ〉や〈ヒリュー〉を参考にし、商船改装空母が〈ヒヨー〉などを参考にしたように、日本からバーター取引で手に入れたものだ。
主砲は「ティープ94」を国産化した四六センチ砲であり、艦尾に集中させた航空兵装などにも〈ヤマト〉の影響が見られる。
垂直装甲の上端を水平装甲と接続する方式も、〈ビスマルク〉以前のドイツ戦艦には見られなかった。
鹵獲したフランス艦艇や日本からの技術取引により、第一次大戦時から止まった時計を大きく進めたドイツ海軍。
しかしこれら先進的な設計思想を有し、大量の艦艇を建造した日本でさえ、アメリカに押され続けている。一大根拠地としたチューク諸島も、今やアメリカ陸軍航空隊の拠点と化しているのだ。
アメリカがドイツを屈服させに来る前に、この戦争を終わらせる策はあるのだろうか。
リュッチェンスの胸中に、一抹の不安が芽生えたのだった。
「党首殿は混乱していらっしゃる。ロンドンからの退避を陛下に進言されたらしい」
「彼は学者だからな。胆力に欠ける面もある」
「その点、あなたは虚勢であっても堂々となさる。大変やりにくい相手だ」
「だが、今の連合王国に必要なのは虚勢だよ。詐欺的であろうと、負けないという気概を見せねば」
男が葉巻を噛んだ。煙は無い。
毛一本生えていない頭を、豪奢な椅子に預けている。
禿頭の男はかつてカメラに対して勝利で応えた。今向けられたとしても、同じポーズを取るに違いない。
対面に座る男は同じく禿頭に加え、口髭を軽く伸ばした外見だ。痩身を椅子の背もたれに預けずに、真っ直ぐ相手を見据えていた。温和そうな笑顔を浮かべる男だが、今はその気配はない。
クレメント・アトリー。
労働党の重鎮であり、マクドナルドやチェンバレンとも交渉出来る男。労働党主流派の顔でもあり、ラスキの横で副党首として勢力を保持している。
現首相のエドワード・ウッドと労働党の党首ラスキは、共に対独停戦に躍起になっており、反ファシストとして立場を明確にしているアトリーとは相容れない。
「クレメント」
男がファーストネームでアトリーを呼んだ。
前大戦よりも前から舌戦を繰り広げ、ペット自慢を互いにするほどの仲だ。親しげに話すのはいつものことだ。
しかし、今の彼は鋭い視線をアトリーに向けている。
「マクドナルドが労働党を抜けて連立政権を維持した時、貴方は『党首が党を裏切った』と批判しただろう。あれは私にも向けられるのかね?」
「いいえ」
「では党首を引きずり下ろし、連立に戻るのは裏切りかね?」
「いいえ」
「労働党の党首は主流派の支持で選ばれたのでは?」
「私が主流派です」
彼の長い演説を妨げるのには慣れている。
「あの国家社会主義者を抑えきれなかった彼らの轍を踏まない事だけは、今の私でも誓える」
丸く太った腹を机に押し付けて、にやりと笑った。
「昔言われたな。『チャーチルは一〇〇年でも戦うつもりだ』とね。勿論、祖国を守る為なら戦うに決まってるだろう?」
エドワード・ウッドが首相を辞任し、ラスキが労働党の党首を解任されたのは同日であった。
第二次ジャトランド海戦での大損害に、ウッドへの責任論が起こったのが契機だった。継戦か停戦か。明確な未来図を提示出来ない様子に、市井の反発が増した。
そこに強硬路線を呼び掛け、労働党の大造反を成し遂げたアトリーが「首相の交代」を条件に連立政権への復帰を提案。
一年程でノーを突きつけられたウッドであったが、彼の宥和政策が破綻した以上、彼自身もその席に固執するつもりはなかった。後任が長きに渡る政敵であっても、だ。
労働党の連立政権への復帰を歓迎し、保守党主導の挙国一致内閣は再始動した。
ウィンストン・チャーチルが再び組閣したのは、一九四四年一二月のことであった。
首相就任後チャーチルはアメリカからの更なる支援と、大英帝国の戦力集中を図った。
モスクワ政府が機能不全に陥り、物資を食い潰すだけになったソ連へのレンド・リースの停止。全六隻を目標としていた〈ライオン〉級戦艦建造の中止。インド洋艦隊やビルマ戦線の縮小。
アメリカにとって驚いたのは、ドイツと直接の同盟関係にない日本を揺さぶり、あわよくばソ連の代理をさせようとした事だ。
まず工業化を推し進め国内の不満を解消しようとする中国に、対独参戦を求めたチャーチル。直接の戦力には期待しないが、アメリカに次ぐ「連合国の工場」としてソ連を支援し、少しでも東部戦線にドイツの戦力を貼り付けてさせる。
次いで、日本と即時停戦の合意をアメリカと協議した。
多くの死者を出しているアメリカは、当然これを蹴った。
ウェンデル・ウィルキー大統領は「死んでいった若者にどう説明しろと言うのだ」と激怒し、レンド・リースの取り止めすら口にしたほどだった。
ただしジェイムズ・コックスやヘンリー・スティムソンの対独強硬派は、日本にかまけて打倒すべきナチズムの席巻を許すべきではないとして、大統領に対日講和の必要性を説明。勘気を被りそれぞれ国務長官と陸軍長官を辞任させられた。
アメリカ国内では対日講和を求める民主党が増勢し、特に前大統領フランクリン・D・ルーズヴェルトを中心とした勢力が主流派となっていた。
チャーチルは表立って民主党に接近こそしないものの、旧交を温めるとしてルーズヴェルトと会った。
マリアナ諸島を巡る戦いが転換点となる。
それが二人の密約であった。
第二次「あしか作戦」が開始される数ヶ月前だった。




