鉄十字の海
太平洋のマリアナ諸島を巡る戦いが始まった七月。反対側の戦線である大西洋では、爆音の響かぬ日々は無かった。
ソ連の工業地帯を大方平らげたドイツ第三帝国は、内紛を始めた共産党陣営を放置し西へと目を向けた。
そこには空軍の猛攻を退けた王国がある。
ウクライナの糧食を携え、フランスの海軍力を手にしたドイツ軍は、今再びの「あしか作戦」を目論んでいる。イギリスでは、そのような噂がまことしやかに囁かれていた。
ウィンストン・チャーチルを首相から引き摺り落とした保守党が、妥協点を探るべくドイツへ送った勅書は、神経質な総統によって破り捨てられた。
それでも海軍がいれば安心だ。ドイツ人どもが王国の土を踏むことはない。暮らしは大変だが、新大陸からの支援もある。なに、もう少しの辛抱だ。
その自信を折り砕くための作戦が、ドイツ海軍と空軍で練られていた。
第二航空艦隊のヨーゼフ・カムフーバーと第五航空艦隊のヘルマン・ゲーリング、そして大洋艦隊司令長官ギュンター・リュッチェンスを主軸として、イギリス本国艦隊の撃滅について話し合われた。
八月。フランス沿岸部の電波発振が著しく増加する。
エドワード・ウッド首相を始めとした、反共主義色を抜いた内閣は第二次バトル・オブ・ブリテンを危惧した。進化したレーダー網とスピットファイア、アメリカ陸軍航空隊の支援を受けた防衛線は、ロンドンに二度と爆弾を落とさせないという覚悟の表出であった。
ソ連が死に体である今こそ、「あしか作戦」を再起動するのではないか。その危惧が全員の念頭にあった。
しかし続いて入った報告は「大洋艦隊出撃」であった。
ヴィルヘルムスハーフェンを出港した大艦隊が、北海を抜けてグリーンランド、アイスランド、イギリス本国で構成された海峡ライン、通称「GIUKギャップ」を突破せんと北進しているのだ。
海軍司令部は大怪我から復帰したアンドリュー・カニンガム提督に、本国艦隊の出撃を命じた。
大将旗を〈キング・ジョージⅤ世〉に掲げて、本国艦隊は不埒な敵を求めてスカパ・フローを出撃した。ユトランド沖海戦を、此度は王立海軍の完勝で飾るのだ。
カニンガムは〈キング・ジョージⅤ世〉以下同型の新戦艦〈プリンス・オブ・ウェールズ〉〈デューク・オブ・ヨーク〉〈アンソン〉〈ハウ〉を従え、勇猛果敢な船乗りとしての姿勢を維持し続けた。
〈キング・ジョージⅤ世〉の艦橋では、四方八方に飛ばした電気と肉の目の観測結果が押し寄せていた。
これまで一度たりともドイツ艦隊を見逃してこなかった偵察隊を、カニンガムは全面的に信頼している。
それよりも不安なのは、自らが率いる艦隊の方だ。
後方を確認している参謀に、カニンガムは声を掛けた。
「彼等は?」
「遅滞無く戦列を維持しております」
彼等こと新標準戦艦の第二弾である〈ライオン〉〈インヴァイオラブル〉は初陣であった。
基礎設計は〈キング・ジョージ・Ⅴ世〉の拡大強化型で、一六インチ四五口径Mk.Ⅱを三連装三基とした巨艦である。副砲を一三.三センチ両用砲、対空機銃も二ポンド砲及びエリコンと原設計と同じである。
ただ前級での蓄積も反映されており、艦首は凌波性を高めるために前傾したクリッパー・バウや、被弾時にも艦内移動がし易くした設計によりダメコンの向上が図られた。対空砲もエリコン製の二〇ミリや、ボフォース製の四〇ミリが追加されている。
装甲は主砲に準じた厚みを持ち、各国が一六インチに舵を切る中、主砲を一四インチと妥協してまで装甲に重量を割いた〈キング・ジョージⅤ世〉級に倣った、重装甲を旨とする新戦艦だ。ただし伝統的に司令塔の装甲は薄く、視界を広く出来る利点とトレードオフしている。
基準排水量にして四二〇〇〇トン。現状、王立海軍が持つ戦艦の中で、最大最強を誇るのはこの〈ライオン〉級であった。
カニンガムの心配はその練度だった。〈ライオン〉も〈インヴァイオラブル〉も錬成期間が一ヶ月程と短い。就役がUボートなどの妨害で遅れ、訓練も満足に出来ていない。
故障箇所の洗い出しなどは済んだと考えているが、主力はやはり〈キング・ジョージⅤ世〉級になるだろう。新鋭艦には被害担当になってもらうべく、彼は冷徹な判断を下していた。単縦陣は〈ライオン〉〈インヴァイオラブル〉を前方に並べている。
「〈ゴールデン・ハインド〉と〈インプレグナブル〉が先行します」
空を飛ぶ一四インチ艦が二隻、大洋艦隊の位置を確定すべく前進する。水上艦には出せない速度で、曇天の中に消えていった。ターボジェットエンジンの甲高い音だけが上空に残った。
大洋艦隊を見つけるのは本来、〈イラストリアス〉級空母の役目だ。その空母艦隊を率いるドイリー・ヒューズ少将からの連絡は、作戦開始時から一度たりとも届いていなかった。発艦したはずの偵察機も沈黙を続けている。
「ヒューズ少将から何かないか」
参謀のひとりが苛立った声で伝令を捕まえた。
「ノー、サー」
破裂しそうな緊張感が艦橋に満ちている。
カニンガムが直接、ヒューズに発破を掛けようかと考え始めた頃、遂に空母艦隊からの連絡が入った。しかしそれは、求めていた敵艦隊発見の報ではなかった。
「我、敵航空機の接触を受けり」
東進しつつ、方々に偵察機を飛ばしていた〈ヴィクトリアス〉。直衛機が甲板に上がったばかりのタイミングで、ドイツ空軍機の接触を受けていた。
二八一型早期警戒レーダーは、二〇〇キロメートル以上の探知を可能としているが、Fw200に艦隊の詳細が知られる前に迎撃するには、艦載機を事前に上げておく必要がある。シーファイアがFw200を撃墜したのは、空母艦隊の陣容を打電された後だった。
「〈ヴィクトリアス〉と〈インプラカブル〉と〈グローリアス〉を守れ。そして艦隊を見つけ次第、奴らの『空母の様なもの』を沈めるんだ!」
ヒューズの声は焦りに満ちていた。
現れたのは、濃緑色に黒い鉄十字を掲げた大型爆撃機だった。艦載機らしき単発機の姿はない。
エルンスト・ハインケルからハインリッヒ・ヘルテルに譲られた、ハインケル航空機改めヘルテル航空機の双発爆撃機He111。バトル・オブ・ブリテン以来の仇敵の出現に、〈ヴィクトリアス〉艦長マイケル・デニー大佐が疑問を述べた。
「依然のルフトヴァッフェとは動きが違います。直衛機を増やすべきでは?」
「それでは艦隊を見つけた際の護衛が足りなくなる。却下だ」
各空母にはシーファイアとF4Uコルセアが搭載されていたが、航続距離の長いF4Uを攻撃用、短いシーファイアを直衛用にするよう通達があった。現場では柔軟に対応するようとも言われていたが、ヒューズは原則を守るつもりだ。
「敵機撃墜」
「よし!」
レーダー員の報告に幸先の良さを感じたヒューズだが、デニーは不安を隠そうともしていない。
これまでの攻撃とは違う。
その正体が判明したのは、悲鳴にも似た報告であった。
「敵編隊、数多い!一〇〇を超えています!」
五月雨式に押し寄せる攻撃が、ルフトヴァッフェの得意技だった筈だ。これではまるで。
「日本軍のやり方じゃないか……」
絶句しているヒューズを見遣ると、デニーは大声を張り上げた。
「シーファイア全機飛ばせ、コルセアもだ!護衛機も関係無い!」
カタパルトからマーリンエンジンの轟音を響かせて、次々とシーファイアが発艦する。F4Uもエレベーターから引き出され、特徴的な逆ガル翼を展開させていく。
「艦長。もう限界です」
F4Uの半数近くが飛び立った頃、カタパルト士官が艦橋に入って首を振った。
レーダーの敵機は既にシーファイアとのドッグファイトに入っている。今から発艦しても、加速する前に捕捉されてしまう。
「よくベストを尽くしてくれた」
デニーは士官の肩を叩いてから、大きく息を吸い込んだ。
「対空戦闘!」
両舷スポンソンの一一.四センチ高角砲が、艦橋を固める二ポンド砲が、隙間という隙間に詰め込まれた二〇ミリ機銃が、高射火器管制装置の指令を受けて大きく仰角を掛けた。
口火を切ったのはJu87シュトゥーカだ。二五〇キロ爆弾を抱え低速だが、正確な狙いで〈イラストリアス〉級の飛行甲板を貫通したこともある。
先行していたシーファイアが立て続けにシュトゥーカを三機撃墜した。その殊勲機が翼を翻した瞬間、太い火箭に貫かれる。
Fw190だ。護衛機として現れたのは、パイロットの間でBf109より手強いと評判の機体だった。
Bf109の小さな機体に比べて、いかにも頑丈そうなフォルムだ。ドイツ機らしくない空冷エンジンを唸らせて、重武装で空域を引っ掻き回す。
シーファイアの多くがFw190との空戦に巻き込まれて、肝心のJu87やHe111に手が出せない。F4Uに望みを託しつつも、デニーは砲術士官に対空射撃が可能か問い質した。
「ポンポン砲は?」
「故障の報告は受けておりません」
「敵機が一二〇〇〇メートルに入り次第、高角砲射撃するように。戦闘機にも周知徹底せよ」
F4UがR-2800の爆音を響かせて、Ju87の編隊を切り崩していく。一二.七ミリの驟雨を受け、固定脚の機体が次々と黒煙を曳いて落下していった。
それでも一〇機近くが迎撃を潜り抜け、高角砲の射程に侵入した。シーファイアもF4Uも、味方撃ちを避けて深追いはしない。
輪形陣の外周近くで砲火が閃き、味方が撃ち上げる高角砲の黒煙が空に浮かび始めた。駆逐艦の一一.三センチ両用砲だろうか。
高角砲が黒い炸裂の煙を、絶え間無くJu87の周囲に炸裂させる。四機で糸に繋がれたような連動をしていたシュトゥーカは炸裂の衝撃で機体をふらつかせた。
次々と白煙を吐き出して、それが炎に変わると海面へと吸い込まれていった。
シュトゥーカが猛威を振るったのは四年近く前の、大戦初期の話だ。打たれ弱い機体では、レーダー射撃も珍しくない今の艦隊を襲うには荷が勝ち過ぎた。
地中海艦隊から漏れ伝わるのは、Ju87から変わった新しい急降下爆撃機。そいつらが来た時が本番だ。
「爆撃機型のFw190を確認!」
五〇〇キロ爆弾を抱えた状態ですら、時速五〇〇キロを出す戦闘爆撃機だ。
「優先的に攻撃しろ!」
ヒューズが正気を取り戻したのか怒鳴り声を上げている。しかし、Ju87との速度差に惑わされたのか、Fw190の後方にばかり炸裂の煙が咲いている。
容易く輪形陣の内側に侵入した編隊は、それぞれの目標に目掛けて機体を操った。
「〈ダイドー〉被弾!〈ユーライアラス〉被弾!」
防空巡洋艦が真っ先に被弾した。最悪だ。これで輪形陣の東側に大きな穴が空いた。
「北の〈ロンドン〉と〈ガンビア〉を東グループに向かわせろ。空襲が済み次第、西グループから駆逐艦を引き抜いて穴を埋める。それまでは二隻だけだ」
ヒューズが掠れ声で命じた。
東グループからは駆逐艦の被害も報じられているが、単座の戦闘機からの爆撃は、駆逐艦に当てられるほどには精度が高くない。至近弾による浸水や、行き掛けの駄賃のような機銃掃射の報告ばかりだ。
「He111が……!」
どこからともなく上がった声に、艦橋の意識が右前方に集中する。
「なんだ、あれは」
ヒューズが漏らした声は司令部の総意であった。
He111がその巨大を恐ろしいほど低空に降ろしていた。頭が真っ白になる指揮官以下の尻を、デニーが大きな声で蹴り飛ばした。
「トーピドーボンバーです!ボーフォートがやるのと同じです!機銃はHe111を狙え、近付かせるな!」
ブリストルのボーフォートやサヴォイア・マルケッティのSM.79、ミツビシの一式陸攻と同じく、双発機の長大な航続距離を利用した陸上雷撃機だ。ドイツ軍も戦術を真似してもおかしくない。
仰角を大きく取っていたエリコン機銃が、水平射撃すべく旋回する。駆逐艦や巡洋艦の砲火は急降下爆撃機に向けられ、雷撃機は悠々と輪形陣の内側へと侵入した。
「一〇〇度へ変針!」
「アイアイ、艦長!」
He111と正対する。艦首の一部しか機銃を指向出来なくなるが、土手っ腹を晒すより遥かにましだ。
艦橋の前から響いていた破裂音がにわかに止まった。覗き込んだ副長が怒りに満ちた声を上げた。
「ポンポン砲、故障。現在修理中!」
「急降下爆撃、来ます!」
風切り音が響く。思わず首をすくめる。
ヒューズが艦橋の窓に飛び付き、頬を擦り付けるようにして空を窺った。
「いかん!当たるぞ!衝撃に備えよ!」
直後、〈ヴィクトリアス〉の全身が大きく震えた。足裏から伝わる衝撃に、多くの者がバランスを崩す。
しゃがみ込んだヒューズの背中に、割れたガラスが降り掛かった。窓から吹き込む焦げ臭い風が、デニーの顔に勢いよくぶつかった。
いち早く立ち上がったヒューズが飛行甲板を見て、大声で叫んだ。
「甲板中央に命中。被害は確認出来ず!耐えたぞ!」
飛行甲板に一〇〇〇ポンドの爆弾に耐えられるだけの装甲を敷かれた、装甲空母〈イラストリアス〉級空母の面目躍如だ。
装甲があるのは前後エレベーターの間だけではあるが、Fw190は正直にど真ん中を狙ったのだろう。
だが、安心ばかりしていられない。それだけ練度が高い部隊ということなのだから。
デニーの危惧は的中する。
「〈カレイジャス〉被弾!」
最も中央にあった空母〈カレイジャス〉が黒煙を纏っていた。彼女は唯一、装甲空母ではない。
吐き出される煙の勢いは強く、遠景からでも赤い炎が混じってるのが分かった。格納庫の機体に引火、誘爆しているのかもしれない。
僚艦に気を取られていると、対空砲火の轟音に新しい風切り音が混ざっているのに気が付いた。
Fw190が翼を半ば叩き折られつつ、甲板目掛けて降下している。パイロットの執念が乗り移ったかのような動きで、対空砲火をものともしない。
体当たり目前のFw190だったが、エリコン機銃の集中で燃え上がった。機体は急角度からよろけると、〈ヴィクトリアス〉の後方に消えていった。
デニーが止めていた息を吐いた。新たに飛び込む急降下爆撃機の報告は無い。
今度は艦首方向から接近する双発機の相手だ。
「敵機、海面に突っ込んだ!」
「二機撃墜!」
海面すれすれの機動は、一瞬でも操作を誤れば海中へと引き摺り込まれる。かといって余裕を取れば機銃弾に命運を絶たれる。
「右舷よりヘルテル!」
「……!」
声にならない呻きがデニーの喉から搾り出された。
最悪だ。
〈ヴィクトリアス〉は直進し、正面の雷撃機に対して晒す面積を最小にしている。しかし右舷からのHe111に対して同様の対策を取るためには、大きく転舵する必要がある。排水量三五五〇〇トンの巨体を動かすならば、今すぐ判断しなければならない。
手をこまねいている時間は無いのだ。
「艦長、直進だ」
ヒューズ司令官がデニーの横に並ぶと、代わりに命令を下した。はっと彼の顔を見た後、デニーは対空砲に命じた。
「このまま直進する。右舷より接近する敵機には、対空砲で対応する。諸君らの働きを期待する!」
右舷から攻め寄るは三機。防ぎ切れない数ではない。
二〇ミリでは射程が一〇〇〇メートル程度しかない。二ポンド砲には大きな責任がのし掛かっている。しかしここでも、信頼性の低さが露呈した。
「後部ポンポン砲、故障!」
「クソ!」
右舷で指向出来る高角砲も、水平方向へと砲火を向けた。
一機が海面に突っ込み、白い波飛沫が上がる。尾部を天に向けて沈んでいく墓標は、殺到する弾丸で穴だらけになっていく。
海中に飛び込んだ高角砲弾が爆ぜると、小さな水柱がそそり立つ。二機目はその水柱に主翼を突っ込み、ブーメランのように回転しつつ着水。バラバラになった。
「正面敵機、投雷!」
二〇ミリ機銃が雨霰と降り注ぐ。正面から迫る雷跡は頭から消して、右舷だけを見据えた。
一〇〇〇メートルを切ったら、いつ投雷してもおかしくない。
必中を期した動きは、彼の機体の命運を閉ざした。レーダーと連動した射撃が、He111の機首を砕いた。風防が潰れて力無く海面へと滑り込む。あっという間に沈んでいき、油膜だけが痕跡を残していた。
「正面、雷跡近い!」
「衝撃に備えよ!」
五秒。一〇秒。一五秒。
何も起こらない。空に撃ち上げる対空砲火の音ばかりが響いている。身構えたデニーは、それでもまだ力を入れ続けていた。
「雷跡見えず。艦首で弾いた模様!」
三〇ノット以上で突き進むと、艦首付近の水流は大きく乱される。魚雷はその水の壁に針路を曲げられ、あらぬ方向に飛ばされたようだ。
「〈カレイジャス〉被雷!」
「〈インプラカブル〉から黒煙が……!」
〈ヴィクトリアス〉ほどの幸運に恵まれなかった僚艦を、デニーは双眼鏡で捜した。
まず見つけた〈インプラカブル〉は、飛行甲板の全部から黒煙を噴出させていた。装甲部ではない部分に被弾したようだ。最悪、格納庫の攻撃機が誘爆してしまう。決死の消化活動が続けられてはいる。
〈カレイジャス〉はもう助からないだろう。行き足が完全に止まって、周囲に重油の膜がどんどん広がっているようだ。甲板に人影が溢れており、総員退艦が命じられたのが見て取れる。
「〈エメラルド〉を向かわせろ。〈カレイジャス〉の乗員を救助させるんだ」
ヒューズの声は努めて平坦だったが、顔色は青く体調不良にすら見えた。空戦も疎になり、空襲は一旦の終息を迎えたらしい。
「これではドイツ空母の攻撃は難しいな」
ヒューズの声に、参謀長が反応した。
「奴らの攻撃はまだ来ていません。〈グラーフ・ツェペリン〉級がどれほどの艦載機を持つのかは不明ですが、我を攻撃するに足るだけの戦力は有しているはずです」
〈ヴィクトリアス〉は艦載機五〇機程度だが、〈インプラカブル〉は同型艦ながら八一機を誇る。〈カレイジャス〉の六〇機と合わせて、一九〇機の航空戦力を誇っていた。はずだった。
しかし今では〈ヴィクトリアス〉だけ。今、上空を舞っている戦闘機を全機収容するには、艦内のバラクーダ攻撃機を破棄せざるを得ない。そうなれば、本国艦隊空母部隊は防空任務しか果たせないだろう。
戦艦部隊の方はP-38やP-51がブリテン島から飛来しているため、空母部隊の損害が全ての崩壊には繋がらないはずだ。
「〈ヴィクトリアス〉の攻撃機を捨て、戦闘機の収容を第一とせよ」
ヒューズの命令は、空母部隊の敗北を意味していた。
「収容し次第、スカパ・フロー泊地に針路を取れ。損傷艦もだ。それと、空軍に直衛を要請するように」
シーファイアが飛行甲板に降り始めると、その多くが被弾している様子が窺えた。
胴体や主翼に破口を生じさせた機体や、動翼を千切られた機体が着艦していく。状態が良ければエレベーターで格納庫へと送られるが、そのまま甲板の縁から海に捨てられる機体もいた。
F4Uも燃料に余裕はあるが、弾薬等の補給しようかという時になって、〈ヴィクトリアス〉に連絡が入った。
「新たなる敵編隊を探知」
カタパルトで急ぎ射ち出されるシーファイア。エンジン音を高らかに響かせて高空へと上がるF4U。
〈ヴィクトリアス〉は未だ負けていない。
デニーは雲が広がり始めた空を睨み、更なる闘志を燃やしていた。
〈グラーフ・ツェペリン〉から発艦したフォッケウルフ社の艦上爆撃機の操縦桿を握りつつ、エルンスト・クプファー中佐は目標のイギリス艦隊を遠望していた。
メッサーシュミット社がBf109をベースに開発したMe155艦上戦闘機は、先行してシーファイアやF4Uと巴戦を繰り広げている。
空母艦載機となったMe155は、Bf109から派生したとは思えないほど改造された。原型に比べて厚みを持たせて揚力を高めた主翼は、翼内機銃の搭載が容易になった。二〇ミリを液冷エンジンDB605のプロペラシャフトを貫通させモーターカノンとし、更に両翼に一丁ずつの計三丁を装備している。
最高時速620キロメートルは突出した性能ではないが、主翼の改良などで旋回性能はシーファイアに伍する。航続距離は増槽込みで二〇〇〇キロ以上と、ドイツ機では圧倒的な足の長さを誇り、海軍どころか空軍にも同じ類いの機体を有していない。
クプファーは艦戦の勇戦を横目に、指揮官としての役目を果たすべく咽頭マイクに通電させた。
「攻撃部隊、突撃せよ」
彼自身も頼み込んで装備した二五〇キロ爆弾を抱えて、戦闘爆撃機Fw190Tを加速させた。
長距離侵攻用のFw190Gを基に、翼内に燃料タンクを搭載した。二〇ミリ機銃MG151を内翼部に二丁供えた軽武装だが、五〇〇キロ爆弾や航空魚雷を搭載出来る汎用性を得た荒鷲だ。
他国の同系統の機体では、複座や三座の機体に任せているが、共産主義との戦訓は単座でも可というものだった。クプファーも同意見だった。
三〇ノットを超えるとはいえ、数百メートルの巨艦を討ち損じるものか。
その勇猛なる驕りは、輪形陣の弾幕の前に崩れ落ちた。
「A中隊、全滅!」
「雷撃位置に着けない。離脱して再突入を狙う」
戦闘機を釘付けにして、艦隊と正面から切り結んだというのに。今のところ、駆逐艦の撃破が二回のみ。
大洋艦隊とは名ばかりではないか。
クプファーの怒りは、彼が直率する攻撃を誘発した。本来ならば管制に徹するが、これほどまでの醜態では、リュッチェンス提督に顔向け出来ない。
「無傷の空母に集中!B中隊とC中隊は我に続け!」
クプファーは高度を三〇〇〇メートルまで上げた。高角砲と機銃の射程が絶妙に噛み合わない高度で、この空域を高速で移動するのが経験則として生き残る蓋然性が高い。
緩降下から急降下に入る。巨大なはずの航空母艦が、波間に揺らぐ小舟のように小さく感じた。
四五度程度だろうか。高度計は勢いよく回り、なんとなくの数字でしか分からない。
座席から尻が浮き、ベルトをもっと強く締めておくべきだったと考えた直後だった。二〇ミリ機銃の赤い曳光弾が機体を押し包んだと感じた直後、風防が砕け散った。クプファーの意識は暗転した。
彼がエリコン機銃に命を絶たれずとも、引き起こしは間に合わなかっただろう。操縦士を失ったFw190はそのまま目標に突入し、装甲甲板を貫通して爆発した。
格納庫は空ではあったが、遅延信管が格納庫の床面に食らい付いたタイミングで起爆してしまう。
最悪に近い箇所、すなわち缶室に損傷を与えられた〈ヴィクトリアス〉は急激に速度を落とした。そこに後続機が五〇〇キロ爆弾を投下していく。
人事不詳に陥ったヒューズ司令官を尻目に、デニー艦長は対空砲を操作する兵士達を叱咤激励し続けた。
大半が外れたが、引き起こしに失敗して海に飛び込む機体が出るほどの高度である。至近弾が二発、三発と連続して、遂に〈ヴィクトリアス〉に直撃した。
艦橋の根元に直撃した五〇〇キロ爆弾は、司令部人員の半数を殺傷。ダメコンチームも機能不全に陥った。
Fw190の雷撃は落第点の烙印を押される程度ではあったが、ほぼ静止状態まで減速した〈ヴィクトリアス〉に一本だけ水柱が立ち昇った。
ドイツ海軍による初めての本格的な対空母戦は、散々な結果に終わった。
〈カレイジャス〉は大破漂流中のところを、Uボートによって撃沈。大破した原因も空軍によるものであり、艦載機は彼女に全く触れることはなかった。
〈インプラカブル〉もまたJu87の熟練パイロットによる神業により、二五〇キロ爆弾を前部エレベーターに直撃された。エレベーターの爆砕により発着艦が不能になりはしたが、攻撃部隊への延焼は回避。その後も、煤煙に視界を遮られつつも〈インプラカブル〉艦長チャールズ・ヒューズ=ハレットの操艦により、敵弾を避け切ることに成功した。
〈ヴィクトリアス〉こそドイツ海軍の戦功に加えられるはずだったが、ダメコンチームの奮戦とデニー艦長の適切な対応により、スカパ・フローに帰り着くことに成功した。
大洋艦隊空母部隊が撃沈に成功したのは、駆逐艦〈インパルシヴ〉と〈マスケティーア〉のみであった。
攻撃部隊の半数以上を喪失した〈グラーフ・ツェペリン〉は、〈ペーター・シュトラッサー〉とヴィシー・フランス海軍の〈ジョッフル〉〈パンルヴェ〉の艦載機を吸収。どうにか艦載機を充足させる。残りの三隻は初出撃で戦力を喪失し、軍港へ蜻蛉返りせざるを得なかった。
ただしリュッチェンスは空母部隊の作戦に満足していた。要は空母対空母など前座。戦艦同士の砲撃戦こそ、この作戦の最大の見せ場なのだ。余計な横槍を入れられないように、イギリス空母を撃破してくれただけでも十分だ。
リュッチェンスは、かの英雄ラインハルト・シェーアに並ぶ栄誉に浴する権利を得たのだ。
巡洋戦艦に類される艦を前面に押し立て、大洋艦隊はイギリス本国艦隊との決戦に邁進していた。
〈シャルンホルスト〉と〈グナイゼナウ〉、ポケット戦艦と呼ばれる〈リュッツォウ〉〈アトミラール・シェーア〉〈アトミラール・グラーフ・シュペー〉の五隻が、観閲式の如く単縦陣で波濤を浴びつつ前進している。〈ダンケルク〉と〈ストラスブール〉も航跡を踏み、ドイツとフランスの連合艦隊の様相を呈している。
背後に隠れるように進む大型駆逐艦は、フランスやソ連の造船施設を使って建造されたZ46型だ。フランスの大型駆逐艦の如く俊敏で、四〇ノット近い健脚を有する。
更にはフランスやイタリアにも見られる「外洋型水雷艇」が、一七〇〇トンの小柄な船体を揺らしながら、水雷戦に備えている。
「駆逐艦」と「水雷艇」の分化が遅れた海軍では、巡洋艦ほどの排水量を有する大型駆逐艦と、外洋での作戦行動に耐え得る規模まで巨大化した水雷艇が、日米英の駆逐隊と同じ働きを期待されている。
〈ビスマルク〉〈ティルピッツ〉と共に戦列を組む〈ジャン・バール〉も、勝手知ったる編成でドイツ戦艦に並んでいる。
巡洋戦艦の脇を固める四隻の重巡洋艦もフランス海軍の〈シュフラン〉級だ。〈アトミラール・ヒッパー〉級は緒戦での喪失と損傷を回復出来ず、本土に留め置かれた。
指揮権はギュンター・リュッチェンス上級大将に統合されている。その彼が座上するのは、これまで国防海軍の象徴ではない。
「〈ビスマルク〉より〈フリードリヒ・デア・グローセ〉へ。レーダーが敵味方不明の艦隊を捕捉。方位二七〇度」
「本国艦隊以外、ありえませんね」
参謀長のカール・トップ少将がにやりと笑う。
「〈ライオン〉級との手合わせですか。初戦から強敵ですな」
砲術参謀のハインリヒ・ゲルラッハは少し不安を抱いた表情だ。
無理もない。これからぶつかる相手は、第三帝国の宿敵なのだ。




