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空中軍艦  作者: ミルクレ
38/41

迎撃

「ジャック!正面上方!」

 機銃射手がインカムに叫ぶ。

 彼は機銃制御をセカンダリ・コントロールに切り替えると、射撃装置のアクションスイッチを押した。

 リモートコントロールされた一二.七ミリの銃座が、敵機の予測された方向に弾幕を張る。高度な機械を介した偏差射撃によって、雷電改(ジャック)を包み込むように曳光弾がばら撒かれた。

 雷電改(ジャック)はその打たれ強さを発揮して突撃し続けた。白い煙を曳くこともなく、両翼の二〇ミリ機銃からキャンディバーのような塊を吐き出した。

 主翼を穴だらけにした雷電改(ジャック)は、そのままの勢いで死角に入る。

「今のジャック、撃墜!」

 尾部の射手の興奮した声がレシーバーから飛び出す。

「煙を吐いて落ちていったぞ!」

「左、九時方向!」

 息吐く間もなく、新たな敵機が突撃してきた。

 射撃管制官がレティクルを覗いた直後、視界が白く染まった。

 一瞬遅れて機体が左右に大きく揺らぐ。巨人の手で振り回されているようだ。

 緑色の残像に構わず目を凝らす。

 主翼を炎に包まれた僚機が、青い海に向かって落下していった。

「二〇ミリじゃないぞ!」

「ジャックに大砲を積んだ奴がいる!注意しろ!」

 P-51やP-47にも似た頑丈さに加えて、冗談みたいな火力を持つ機体。新鋭であるB-29は、初陣のクルーも少なくない。B-17やB-24からの転属してきた者に比べて、「超空の要塞」を無邪気に信じていた。

 これが先月のマリアナであれば、ひらひらと避けようとする飛燕(トニー)をアウトレンジし、雷電改(ジャック)の鼻っ面を叩き潰していただろう。

 B-29が纏まった数を揃えられた矢先、奴等はやり方を変えた。


 一部の敵機はロケット弾をばら撒くと、一目散に姿を消す。飛んできた巨大なロケット弾は、不気味なまでにB-29のすぐそばで炸裂し、コンバットボックスを叩き壊すのだ。

 再編成忙殺されている間に雷電改(ジャック)が現れ、装甲と火力頼みに猛牛の如く突撃してくる。緩降下ならばP-51にも匹敵する速度を出す重戦闘機は強敵だった。

 優れた対空システムがあったとしても、照準する射手の動きが遅くては意味がない。あっという間に有効射程を通り過ぎる雷電改(ジャック)に、銃口を向けるのが精一杯だ。

 その弱点をカバーするのが、相互に援護し合うコンバットボックスフォーメーションだ。にも関わらず、フォーメーションを維持出来ていない。

 その原因がぽつりぽつりと視界に入り始めた。

「ジュディ!」

 中翼に空冷。彗星(ジュディ)艦上爆撃機だ。

 同じく爆弾槽を備えたTBFアヴェンジャー艦攻に比べると、とても華奢な機体に見える。しかし一〇〇〇ポンド近いロケット弾を抱え込んだ機体は、B-29キラーとして非常に危険な存在だ。

「どの部隊でもいいから、ジュディを落としてくれ!方位三五五!急げ!」

 P-51が駆け付けようとするが、雷電改(ジャック)が追い縋って巴戦に引き込む。彗星(ジュディ)を目指して直進していたP-38が、横合いから雷電改(ジャック)の二〇ミリに撃たれて白煙を吹く。

「来るぞ、掴まれ!」

 彗星(ジュディ)の爆弾槽から放り出された塊が、赤い炎を噴き出してB-29に殺到する。航空機より小さくて速いそれは、五〇機近い敵機から一斉に発射された。まさに空中における一斉雷撃だ。

 射撃管制官は半球状の窓に頭を押し付けられ、小さな椅子から転げ落ちそうになる。点射を繰り返した指も、今は発射ボタンを押し続けたままだ。

 コンバットボックスを信じなかった機長は、乗機を降下させて速度を稼いだ。元々優れた最高速度であるB-29は、緩降下で迎撃機の渦からしばし抜け出した。

 そこから失速しないように注意しつつも、操縦桿を手前に引き続けた。高度が三〇〇〇〇フィートを超え、更に上昇を続ける。

 尾部射手がインカムに向かって声を張り上げた。

「フライングトーピード回避!」

「よし!」

 急いでコンバットボックスを再構成しなければ。

 僚機の姿を探す機長の目は、四発機ではなく単発機、しかも濃緑色で塗られた機体を捉えた。

「クソッタレ!ジャックだ!」

 高度は二五〇〇〇フィートを超えたまま。

 雷電改(ジャック)は堂々とした飛行を続けている。

 幌馬車が無事に駅に到着出来るかは、隊列に戻れるかどうかに掛かっている。機長は機銃射手の腕を信じて、味方機を探すべく減速した。

 十数機の味方が寄り集まっているのを見つけられたのは、血眼になって警戒を続ける上部射手のお陰だった。道標も何もない空中で、小規模とはいえフォーメーションに戻れたのは幸運だ。

 最先任の機に付いて右翼を固めたその時、最先任の機長から無線が入った。

「アンクルトムズキャビンのバウマンだ。これより我々は高度を一〇〇〇〇フィート(三〇〇〇メートル)まで落とす。ジャップの迎撃は高高度に集中していた。我々はそれを掻い潜って、通り魔のように爆撃を行う。以上だ」

 最初は冗談じゃないと抗議しようと、レシーバーを手に取った。しかし先程から襲撃の報告が無いことを思い出し、送信のボタンを躊躇する。

 高度計は二〇〇〇〇フィート(六〇〇〇メートル)を指している。射手からの反対も無い。

 もしかしたらバウマンの言う通りかもしれない。

 小規模な編隊を組んだB-29は、グアム島を目指して北上を続けたのだった。



 二〇日より始まった米軍の重爆編隊と、それを迎え撃つ戦闘機群。序盤戦で有利を維持したのは、第二航空軍であった。

 雷電改と共に出撃した彗星による、四式四〇糎近接噴進弾の一撃を加えることに成功していたからだ。

 彗星に搭載した噴進弾は、電探を利用した起爆装置と直進性に特化させた無誘導爆弾である。

 海軍の笹井少佐が運用し、敵編隊に大打撃を与えたロケット式焼霰弾、通称ロサ弾は陸軍にとても魅力的に映った。

 トラック諸島やマーシャル諸島で手に入れたVT信管の現物を、参考という名の模倣が行われた。初速が毎秒八五〇メートルに耐える真空管など、製造に困難を伴うものも多かったが、三〇年代から底上げされた電機技術は、どうにかその関門を突破した。東京芝浦電気や住友電工は、単純でありながら精緻な装置を可能な限り生産した。

 それに組み合わせるのは空中軍艦の噴進弾だ。

 空中軍艦による対地攻撃として期待された噴進弾。しかし射程が数千メートルに過ぎず、緬甸(ビルマ)おいて使われた程度の兵器であり、補充用が数多く残っていた。

 これの装薬を減らし対地攻撃用として曲射するのが、「四式四〇糎対地噴進砲」となった。それに対して対空用として転用されたのが「四式四〇糎近接噴進弾」として急造されるに至った。

 横列で一斉に放たれたロサ弾は、ドップラー効果を利用し波長が変化した電波とのずれを受信する。それが一定の強度に達したとき、内部から子爆弾が解き放たれるのだ。

 完成した近接信管付き噴進弾だが、迎撃毎に大量消費を繰り返し、その在庫が尽きた。

 底上げされた日本の基礎工業力だが、依然としてアメリカとは大きく水を開けられている。その差が弾頭部の装置の量産を阻んでいるのだ。数々の改革を経たにも関わらず、アメリカのように真空管を含んだ対空砲弾を、安定して量産するのは困難であった。

 襲来するB-29の勢いは衰える気配も無い。二〇日から始まった大規模空襲は、二三日には八回となった。一〇〇機を超えるB-29はほぼ同数の護衛機を連れて、高高度から爆弾を叩きつけんとして押し寄せた。

 二四日の午前。グアム島のオロテ基地は滑走路の破口を埋め戻す作業に忙殺され、周辺の瓦礫はドーザーで押し退けられるだけだ。

 二五番や五〇番程度の爆弾が直撃した掩体も少なくない。崩落した天井と黒く焼け焦げた掩蔽壕の内壁に、身を窄めるようにして整備兵が隠れている。待避壕より手近なベトンの壁が、彼らを守ってくれると信じていた。

 その様子を横目に数名の整備兵が、破口に敷かれた穴あき鉄板を踏み締めて、樫出勇(かしいでいさむ)の雷電改甲型を進ませる。

 貴重な鋼材をこんな所で消費するのは気が引けるが、米軍の手法を真似ただけあって、素早い復旧が可能になった。ロードローラによって締め固められた砂利は、雷電改の大重量を受け止めている。これなら脚に不安は無い。

「チョーク払え!」

 急いで離れる整備兵。

「コンターク!」

 火薬が爆ける音と共に、発動機から黒煙が噴き上がる。ゆっくりと回り出した四翅プロペラは、勢いを大きく増していく。

 今日の出撃は戦闘機のみ。

 樫出ら戦闘機隊に全てが掛かっているという事実に、重圧を感じつつも、高揚感も湧き出していた。

 噴進弾はあくまで奇策であり、正道たるは戦闘機による邀撃だ。そんな自負があった。

 苦戦は免れないであろう。

 空中合流を果たした友軍機からは、余りある戦意が自ずと速度に出ていた。気が急いて、少しでも早く会敵せんと巡航速度を少しばかり越えていた。全部隊がそんな調子だから、管制を任されている佐官が「速度抑えろ」と命じるほどだった。

 高速機として小さな主翼を与えられた雷電では難しい、翼が風を掴みにくい高高度。雷電改の長く伸びた両翼は、この薄い大気でこそ力を発揮する。

 不意に主役の影から、ジュラルミンの反射光が差し込んだ。雷電改を上回る上昇を見せて高空へと昇る姿は、優美そのものであった。

 キ84、四式戦闘機「疾風(はやて)」の初陣だ。


 ハ45を搭載する前提で設計された疾風は、巨大なプロペラを存分に振るいながら時速六六〇キロを叩き出す。

 二〇ミリ機関砲を四門備えた主翼は雷電改のそれに比べて幅広く、大気の薄い高高度であっても安定して空を駆ける。一撃離脱戦法に偏重せざるを得ない雷電改と違って、巴戦をも得意とするのだ。

 数は少ない。一個中隊一二機が、雷電改に紛れて飛んでいるだけだ。

 疾風の生産分のほとんどが、フィリピンに送られている為だ。フィリピンはマリアナと違い、陸軍がその責任で防衛する事になっている。ミンダナオ島のダバオ市周辺を拠点とした第四航空軍の主力は、雷電改と飛燕を主力としつつも、飛行団のひとつは疾風装備だ。

 爆撃機向けのハ42「木星」を装備する重戦闘機、雷電改。

 ハ33「金星」から発展したハ43「水星」を装備する艦上戦闘機、紫電改。

 そこに遅れて加わった、小型大排気量の野心的なハ45「誉」を装備する万能機、疾風。

 その三機種が一堂に会する戦場は、マリアナ諸島が初めてであった。


 上昇性能で優れる疾風が、樫出達の雷電改を次々と追い越していく。あっという間に一二機の疾風を、樫出が追い掛ける形に入れ替わっていた。

「真田イチよりカク」

 樫出は無線機を操作し、疾風装備の飛行第八五戦隊の声を拾った。

 雑音は多いが容易に聞き取れる。懐かしい戦友の声だった。

「今追い越したのは、自分の隊長機だった樫出中尉殿だ。恥ずかしい所は見せられん。一層奮励努力せよ!」

 驚きのあまり操縦桿を誤操作しかけた。樫出が盗み聞きしているのを、木村貞光(きむらさだみつ)が勘付いたのだろうか。

 ノモンハンでソ連相手に空戦を繰り広げた樫出が、ニューギニアから組み始めたのが木村であった。

 自分以上の才能を木村に感じた樫出が、翼を並べる僚機として自分の戦技を教え込んだ。

 マーシャルでは互いに小隊を率いて雷電を駆り、機種転換の煽りを受けて離れ離れになっていた。久々に翼を並べたが、まさか自分の話をしているとは。

 木村はそれ以上の言葉を発さなかった。恐らく樫出が聞いていたとは気付いていないだろう。

 昔の僚機に自慢されてるようで、くすぐったい気持ちの反面、樫出は沸々と闘志が胸の内に広がるのを感じた。

 これから強敵に対してがっぷり四つ相撲と向かうにしては気持ちが軽い。

 残骸や捕虜の証言によれば高度七〇〇〇メートル近くにおいて、P-51の最高時速は七五〇キロを超える。数値上は六八〇キロの雷電改や六六〇キロの疾風では、この液冷の美しい戦闘機には勝ち目はないだろう。

 しかしトラックから長駆、攻撃半径ギリギリまで飛行した操縦員は、まず全身の疲労を覚える。

 燃料計へと目を向けると、帰還不能になるまで余裕が無い。増槽を捨てる手が躊躇する。

 護衛対象のB-29は悠々と飛んでいるが、P-51の巡航速度との差は七〇キロ近い。P-51はのろのろと速度を落としたままB-29に寄り添っている。

 対する皇軍は無線機の改良や編隊戦闘の拡充に加えて、燃料を気にせずに迎え撃てる。高高度での邀撃であっても、機械式過給器(スーパーチャージャー)を備えた雷電改と疾風であれば戦える。

 しかも今回、爆撃機編隊は高度を落として現れた。三〇〇〇メートルの低高度は、前日に行われたものを思わせる。

 五機ほどのB-29がグアムの空爆に成功した。オロテ半島にある滑走路は発着陸不能に陥り、主隊を請け負った雷電改はアガナ北にある滑走路へと降り立つ羽目になった。

 高高度ではグアム上空に侵入したとしても、滑走路に的確に爆弾を投下するのは困難だ。しかし低高度ならば、命中率もそれなりに高くなる。

 二匹目の泥鰌を狙っているのだろうが、そうはさせない。

 そうこう考えている間に、樫出の両目はB-29らしき黒点を認めた。P-51とP-38の護衛機が遅れて目に入り、爆撃機の巨大さを一層引き立たせる。

「高坂イチよりカク、高坂イチよりカク。戦闘機掃討する」

 樫出の声にレシーバーから頼もしいノック音が反応する。

 雷電改のスロットルを開き、戦闘機動へと入る。

 零戦を始めとした軽戦闘機では厳禁の、正面からの撃ち合い。戦術としては下策かもしれないが、ここで退いては雷電改の名が廃るというものだ。

 正面に見えるムスタングも加速し、両翼の一二.七ミリをこちらに向けた。

 樫出は機体を傾けて、横滑りさせるようにして射線をずらしつつ、発射柄を握り締めた。傾ぐ視界は、左翼を通り過ぎる赤い軌跡を捉えつつも、こちらの主翼から飛び出す太い火箭の行先を見据えた。

 二〇ミリがムスタングの尖った機首を捉える寸前、左旋回した機体はそれを回避した。腹に抱えたラジエーター・ダクトを掠めて、必殺の弾丸は虚空に消え去る。

 直ぐに敵の二番機とすれ違う。一三〇〇キロを超える相対速度では、射撃する間どころか機首を巡らす隙すら無い。

豊岡(とよおか)機、佐野(さの)機、追従しています!」

 二番機の西田健(にしだたけし)航空兵軍曹の声がレシーバーから響く。

 新たに正面に捉えたP-51を狙って機体を捻る。

「右旋回!」

 機上無線機は樫出の声を僚機に伝え、四機が糸で繋がれたように方向を変える。

 P-51は水平飛行で機織り戦法を展開し、単独の雷電改を追い回していた。何発か喰らったのか、雷電改の外板は襤褸のように裂け目が出来ている。

「正面のムスタング、豊岡と佐野で二番機を狙え。西田は俺に追従」

 慣熟された水エタノール噴射装置のスイッチを入れ、発動機が高い音を響かせた。推進式単排気筒からは青い火が伸び、P-51の姿が一気に膨れ上がる。

 雷電改を斜め後方から襲い掛かる寸前、P-51は自らに向かって突撃する樫出の機体に気が付いた。獲物を諦めてすぐに動力降下に移る姿は、熟達した操縦を思わせた。

 雷電改の翼端から白い雲を曳きながら、P-51を低空に追い込む。機体に叩き付けられる空気が、不快な金属音を立てて速度を知らせた。

 元々三〇〇〇メートルだ。蒼海がすぐ目の前に広がり、波濤が見えるんじゃないかと不安を煽る。

 距離は縮まない。が、P-51の操縦士は怯えに負けた。暗転失神しない程度の緩やかさで、操縦桿が引かれた。

 水平飛行に移ろうとするP-51を追い越さないよう、視界が暗くなりつつも樫出はフラップを展開させる。

 速度を殺しつつP-51の軸線を捉えた雷電改の両翼から、二〇ミリの火箭が四条伸びる。胴体後部をずたずたに引き裂かれたP-51は、錐揉みに陥って落下していった。

「隊長、後ろにムスタング!」

 樫出は背中に悪寒を感じ、急いでフットペダルを操作した。機体を右翼側に滑らせながら振り向くと、P-51が二機。その後ろに西田の雷電改が張り付いている。

(これじゃあ犬の喧嘩だな)

 低空に降りた樫出の機体は、P-51にとって今にも落とせそうな獲物に見えるだろう。その余裕を砕いてやる。

 今日二度目の水エタノール噴射。派手に増速しつつ、機種は水平を保つ。

 西田機がじりじりとP-51の背後に忍び寄る。

 濃い大気の中でP-51が、どれほどの加速性能を叩き出せるか分からない。しかしこの高度では雷電改とそう変わらないらしい。

 樫出はスロットルを敢えて絞った。風防の枠にちょこんと付いているバックミラーに、銀翼の液冷機が徐々に大写しになる。

 一二.七ミリの雨が降り注ぐ頃合いで、フットバーを蹴飛ばし操縦桿を左に曲げる。

 プロペラの反作用でロールは素早く、同時に左ヨーが効いて、雷電改は駒のような回転を掛けられた。

 一歩間違えれば垂直錐揉みに陥り、蒼海へとまっしぐら。

 強引な機動だが、雷電改が空中分解することはない。そう信じている。

 機首が下方へと曲がり、推進軸が大きく変化する。敵一番機が慌てて弾をばら撒くが、雷電改を貫くものは無い。

 正直な機動で追いかけようとする敵機編隊の横面を、西田機の二〇ミリが襲った。

 敵二番機の機首から、水蒸気のような白い煙が噴き出す。風防が開かれ、操縦士が転がり出た。しばらく落ちた後に、白い花のような落下傘が咲いた。

 一番機は急いで急降下に移った。

 樫出の機体は再び風を掴み、動力降下に切り替わった。

 これまでの邀撃任務は青い海は見えなかったが、今回の低高度では一面青で満ちている。空と海を即座に見分けられず、機位を失いかねない。

 高度は急降下爆撃の如く下がっていく。

 P-51は五〇〇メートルを切っても降下を続けた。

 ここでフラップを開いたら主翼桁まで持っていかれるか、意識が暗転して墜落するだろう。樫出は仕方なく、浮き上がろうとする機体に従ってゆっくりと機首を上げた。

 P-51が急上昇に転じて下から射抜かれる可能性もあるが、この速度では無理はしまい。

 雷電改の狭い操縦席は風切り音で満たされ、時折遠くから響く爆音が、戦闘中であると伝えていた。

「隊長、今のムスタング海に突っ込みました」

 背後の敵機を恐れるあまりに、急降下で制限速度を超過。強引に機首を上げ失神したのか、そのまま墜落したのだろうか。

「了解した」

 高度計は八〇〇メートル程を指している。

 B-29は三〇〇〇メートル。今から上昇して間に合うか怪しい。

「西田、上がるぞ」

「了解!」

 それでも爆撃機の対応は雷電改の仕事だ。

 頬を軽く揉み解すと、樫出は水平方向から機首を上に巡らせた。



 グアムの陸軍航空隊を漸減しつつあるB-29に対して、北方の海軍は援軍を送り、時間差の二段邀撃を行っていた。

 一二月一九日。パガン島から出撃した水上機が、「我攻撃を受く」を最後に通信途絶する。

 その日は既に日没を控え、敵機来襲は翌日以降と判断。夜間に空中艦隊を急ぎサイパン島へと移動させた。

 翌二〇日、電探装備の深山が北東より迫る編隊を探知。

 米艦隊の攻撃が開始されたと判断した第二航空艦隊は、本土にて待機していた各艦隊に出撃を要請。

 これを以て「あ号」作戦が開始された。

「高度二〇(フタマル)宜候(ようそろ)

 〈筑紫〉の艦橋に声が響く。

 艦長の猪口敏平(いのぐちとしひら)大佐が振り向くと、長官席に座る草鹿任一(くさかじんいち)大将は満足そうに頷いた。

「以前より速いな」

「発動機を変えましたからな」

 空中軍艦というものは、艦尾に取り付けられた巨大スクリューが、推力の六割程度を担う。艦体の各所に接続されたレシプロ発動機が残りの推力を、数でどうにか処理している。その場での旋回や上下は、レシプロ発動機に掛かっている。

 出撃前の整備で、これらをハ32「火星」からハ42「木星」に替えた。これにより機動性が向上。これまでとは違う艦の動きにも、パガン島基地での訓練で慣熟した。

「高度は二〇〇〇で良いのでしょうか」

 航空参謀の小田原俊彦(おだわらとしひこ)が呟く。

「我が軍の降爆に比べ、米軍はより高い高度から降下します。また戦法が水平爆撃だった場合に、遠距離射撃となり必中とはいかないやも知れません」

「小澤司令長官からの要望だ。無下には出来ん」

 参謀長の大野竹二(おおのたけじ)が首を振る。

「ならばせめて二五〇〇に。降爆が降下を始める前に機銃も射撃が容易です」

 大野も賛同したのか、今度は小田原から草鹿に視線を移した。

「ふうむ」

 草鹿はこれまでの経験を頼りに、考えを巡らせた。

 緬甸(ビルマ)では三〇〇〇メートルの敵重爆編隊に対して、一五〇〇メートルから射撃した。機銃の有効射程、弾道が直進する最大距離であったが、敵弾の投下を容易く許した。

「よし。五、上げよう」

「高度二五(フタゴー)宜候(ヨーソロー)

 窓の外から聞こえる音が変わった。

 軽く頭を抑えられる感覚と共に、高度計がゆっくりと動き出す。

 一機当たり馬力としては五〇〇程増えた程度だが、外周に多く装備された発動機を纏めた際の、その増加量は馬鹿に出来ない。

 〈筑紫〉は僚艦〈相模〉と共に、単縦陣にてサイパンのマッピ岬近くの洋上で待機していた。

 マッピ飛行場には第一空中戦隊。ラウラウ飛行場には第二空中戦隊の〈浅間〉〈八雲〉〈吾妻〉が、アスリート飛行場には第三空中艦隊の〈松島〉〈厳島〉〈橋立〉がそれぞれ配されている。

 去年竣工した新鋭空中軍艦も投入したいところだが、人員不足を陸軍の兵で埋める策が思いの外苦戦しており、現在「藤本式空中艦」は内地で、好事家の衆目を集めている。

「〈相模〉より、我高度二五(フタゴー)

「本艦の高度二五〇〇メートル」

 後は待つ。

 黎明を迎えるマリアナ諸島。草鹿が窓際から見渡すと、サイパン島にはいくつもの巨体が浮かんでいた。

 マリアナ諸島では二番目に大きなサイパン島。北端の〈筑紫〉からはラウラウ飛行場の三隻だけでなく、アスリート飛行場上空に浮かぶ影まで見えた。

 サイパン島の最高峰タッポーチョ山は、標高五〇〇メートルにも満たない。高度二五〇〇の遥か高みから、対空電探の目から監視した方が、地上の電探より素早く機影を捉えられる。

 今サイパン島の防衛は、草鹿が指揮する空中艦隊の双肩にに懸かっている。

 その重圧に圧倒される精神では無いが、草鹿は手のひらにじんわりと汗を感じていた。

 水平線が赤く染まり、全島が長い影を曳く。各所に分散配置された空中艦も朝日を浴びて、鈍色の艦体を輝かせていた。

 遂に太陽が顔を出し、光線の強さに草鹿は目を細めた。艦橋では手を翳す者や顔を背ける者、思い思いに光から視界を守っている。

 電探に光は関係無い。そこにあるのは、電波が届くか否かだ。タッポーチョ山の電探が無反応な中、〈浅間〉が警告を発した。

 岡崎善吉(おかざきぜんきち)通信参謀が受け取った紙を読み上げるのとほぼ同時に、艦内電話を大野が受ける。

「〈浅間〉より入電。我よりの三時方向に感あり、極めて大!」

「電探室より、三時方向に感あり!」

 騒然とする戦闘艦橋。〈筑紫〉全体が緊張感を漲らせたのを草鹿は感じていた。

「二航艦に連絡は?」

「済ませております」

 小田原が窓辺に寄り、地上に双眼鏡を向けている。

「タッピ飛行場の戦闘機隊が離陸開始しました」

「よし」

 これなら多くの戦闘機が間に合うだろう。

 空中艦隊による近接防空支援と、二航艦の戦闘機隊による邀撃。これだけで米軍の勢いを抑え込めるかは不明だ。

 本土からの五個艦隊の来援まで最短で五日、長くて一週間程度掛かる。草鹿は耐え切れると自負しているが、第二航空艦隊の司令長官である小澤治三郎(おざわじさぶろう)は悲観していた。

 アメリカの国力を、生産力を侮ってる訳ではない。草鹿は自軍の練度を信じている。

「敵編隊を目視するまでは艦橋に残る。いいな」

「……確認したら直ちに司令塔へ。宜しいですね?」

「うむ」

 島全体を俯瞰して指揮するならば、艦橋より司令塔の方が適している。だが、命を賭して襲い掛かる米軍機への敬意が、一目でも敵機を見るという行動を強いた。

「編隊見ゆ!方位三六度!」

 草鹿を始めとした司令部員が双眼鏡を構え、そして絶句した。

「これが米軍か」

 ぽつりの漏らした草鹿の声は、彼にしては珍しく怯えが滲んだものだった。

 第一次攻撃隊として、アメリカ第三艦隊が送り出したのは、次の通りである。

 〈エンタープライズ〉より六二機。

 〈ホーネット〉より六二機。

 〈レキシントン〉より六〇機。

 〈カウペンス〉より一六機。

 〈モントレー〉より一六機。

 〈エセックス〉より四五機。

 〈ヨークタウン〉より四五機。

 〈バターン〉より一六機。

 〈サン・ジャシント〉より一六機。

 〈ワスプ〉より三六機。

 〈レンジャー〉より三六機。

 〈インディペンデンス〉より一六機。

 〈ベロー・ウッド〉より一六機。

 〈ランドルフ〉より五二機。

 〈サラトガ〉より五二機。

 〈バンカー・ヒル〉より五二機。

 〈タイコンデロガ〉より四五機。

 〈オリスカニー〉より四五機。

 〈ハンコック〉より四五機。

 〈ラングレー〉より一六機。

 〈カボット〉より一六機。

 合計七六五機。

 双眼鏡が映したのは濃紺だった。

 濃い南洋の青空を更に濃くした、海色の米海軍機の群れ。密集隊形を維持したまま押し寄せるSB2CやTBF、F6Fの群れ。雲霞の如き量でサイパン島を目指している。

「長官、お早く」

 大野が急かす。

 草鹿は後ろ髪を引かれつつ背を向ける。

 艦橋から司令塔へと続くタラップは、奈落への入口のようであった。

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