超空の破壊者
B-24の優れた航続距離は、トラック島からマリアナ諸島への攻撃が可能だ。
艦隊と基地、双方の戦力に対して劣勢であるアメリカ海軍にとって、重爆によるマリアナ諸島攻撃は重要であった。
数百機の四発重爆が襲い掛かる目標を見定め、太平洋を半ば横断していく。アメリカの工業力は輸送路を破断させる事なく、諸基地にフェリーされていった。
ソロモン諸島やオーストラリア、ニューギニアの戦力が占領したトラック島に展開する。それは即ち、マリアナ諸島への攻撃が始まる事に繋がった。
結束点であるトラック島を戦力化させなければ、その分だけ時間が稼げる。先日まで根拠地であったトラックに向けて、二式重爆「深山」が飛び立ったのは、トラック島にそこまでの戦力が展開していないとの目算があっての事だった。
だが深山が見たのは、徹底的に破壊された瓦礫の山ではなく、大型機の発着陸も容易そうな滑走路であった。
アメリカの海軍設営隊であるシービーズの活躍は、日本のそれを遥かに上回るものだった。六ヶ所の滑走路を一ヶ月程で並行して修復し、深山による爆撃を集中して受けた春島を除けば、三つの航空基地を復活させたのだ。
一式陸攻を四発化し、各部の強度を高めた深山はアメリカの重爆に匹敵する性能のはずだった。しかしこの日、八〇機もの大編隊で飛び立った深山のうち、投弾出来たのは二〇機程度。多くの深山がアメリカの手で蘇ったトラック島航空基地により骸を晒した。
被害の大半は春島以外の滑走路から飛び立った、陸軍機であるP-47「サンダーボルト」やP-51「ムスタング」の迎撃によるものだった。
マリアナ諸島の第二航空艦隊では直ちに爆撃を中止。受動的な迎撃作戦へと遷移させられた。
当然、残りの航空基地も息を吹き返す。マリアナ諸島への爆撃が行われるのは目に見えていた。
B-24が一〇〇機規模で現れたのは一九四四年の、南方の暑さ厳しい七月半ばであった。
「コンターク!」
海軍の雷電改が四翅プロペラが、火薬式スターターの破裂音で回転を始める。米軍のそれを模倣したお陰で、これまでより素早い離陸が可能だ。
イナーシャハンドルを持って走る整備員もいるが、彼らが駆け寄るのは火星発動機を載せた機体である。雷電改が滑走路に進入するのを横目に、雷電の操縦士が風防を開けたまま整備員を急かしていた。
大野竹好は愛機を、土煙の少ないコンクリート製滑走路から離陸させた。前線でありながら、小石や木の根に脚を取られることもないロタ島は、巨大なローラーで転圧したのみの硫黄島やマーシャルに比べて、事故損失が少ない。気がつけばコンクリートの隙間から顔を出す雑草も、丁寧に取り除かれている。大野も雑草抜きに何度も参加している。士官が率先して雑草抜きをしていると、自然と下士官や兵も集まってくるものだった。
雷電改がロタ島の上空へと至ると、液冷発動機を積んだ単発機が翼を大きく揺らして合図している。
二式艦上爆撃機として艦隊に配属されている彗星は、整備性の問題から空冷だ。しかし液冷の利点である空気抵抗の低さからもたらされる高速性能と、元が艦爆故の機体の丈夫さは、偵察飛行隊にとって魅力的であった。
整備員への教育が抜本的に見直された効果が出始めたのか、前線における航空機の稼働率は高い。
一部の部隊が運用する彗星は整備員の熟練度から、金星発動機ではなく液冷のアツタ発動機となっている。
ハインケル愛知のアツタは量産体制の早期実現により歩留まり高く生産され、川崎に伍する量を軍へと納入している。お陰で各地の偵察機は、生存性が大きく向上。英米による攻勢などの情報を持ち帰れるようになった。
マリアナ諸島の各基地に所属する彗星は最前線に相応しい熟練搭乗員が配され、偵察とは異なる任務が課されていた。
洋上飛行に不慣れな陸軍の搭乗員や若年搭乗員を直接空中で誘導し、敵部隊の鼻先にぶつけるのだ。
帰還には各基地から誘導電波を出せばいい。旧式の空電ばかりな無線機でも、受信する電波の強弱から方向は割り出せる。
今回は南からマリアナ最南端のグアムを狙う敵を、陸軍が先鋒として邀撃している。ロタ島の海軍機はグアム島の少し南へと進出、二枚目の防壁として立ち塞がる予定だ。
誘導機の彗星がバンクを止めて、南へと機首を向けた。
グアム島から遠ざかると、この邀撃が初陣である数機が、不安げに翼を揺らし始める。彗星から片時も離れないよう、細かく方向舵を調節しているためだ。
恐怖に背中を濡らしている若年搭乗員も、前方で黒煙の帯が幾条と延びているのを見ると、闘争心からか機体の動きに戸惑いが消えた。
やがて見える胡麻粒のような機影に、両翼の二〇ミリを叩き込む想像をしているのだろう。
そういう前のめりになった時に限って、背後に濃紺の機体が迫っている。大野は咽頭式通信機の電源を入れた。
「がっつくな。敵は多い。周りを見渡せ」
一番近くの新人に目を向けると、弾かれたように顔を上げるのが見えた。前方ばかりに気を取られ、突然耳に飛び込んだ大野の声に驚いたらしい。
白い歯を見せて小さく敬礼する彼に、こちらも笑顔で返答する。
彗星が最後とばかりに大きくバンクし、グアムに向かって機首を返した。ここからは戦闘機の領分だとばかりに、尻に帆を掛け飛び去った。
様々な空戦で鍛えた両目には、四発の巨体がぽつりぽつりと黒点として見えていた。
その姿は見慣れたB-24へと代わり、数年来の敵機に向けて闘争心が掻き立てられる。
今次戦争で初陣を迎えた大野であったが、ここまで生き残る上で、大切な技術を身に付けてきた。熱意を以て敵機へと立ち向かいつつ、頭の片隅では冷静な部分を残し、周囲の戦況や死角への注意に振り分ける技だ。
その冷静な部分がちらりと口から溢れた。
「ヤツはいないか」
陸軍は三式戦闘機「飛燕」を主力として使い、旋回力に劣るP-38を撃墜していく。最高時速五八〇キロと新型にしては奮わないが、その丈夫な構造はP-38の動力降下にも追随出来る能力を付与した。
P-38がサッチウィーブに巻き込み背後から差し貫く寸前、名前の如くひらりと緩回転により視界から消え去る。飛燕の恐ろしさは、素直な操縦性と高い機動力の両立である。
それでも熱に浮かされて一機に固執すれば、背後や側面に一二.七ミリの驟雨を喰らい、がくりと頭を垂れて撃墜される飛燕がいる。
座席背面の装甲板を貫く二〇ミリを受け、身体を破裂させたように絶命する搭乗員。風防内を赤黒く染めた飛燕は、しばらく直進を続けた後、流れ弾のような一二.七ミリに発動機を砕かれて落下していく。
その近くでも飛燕が乱打される。黒煙を吐く金星に見切りをつけた搭乗員は風防を開け飛び出したが、殺意の一念で銃弾をばら撒いたP-38は、無人となった飛燕を撃墜確定まで見定めようと旋回する。
戦果に意識を取られたパイロットを、一二.七ミリと二〇ミリの乱打が機体に縫い付けた。飛燕が起こした旋風に機体を揺らして、発火した飛燕を追い掛けるようにP-38は落下していった。
ブローニングM2とそのコピー品であるホ103が干戈を交えている中、時折二〇ミリが止めの一撃とばかりに発砲される。
飛燕もP-38も一二.七ミリと二〇ミリの混載であり、攻撃力では同等だ。
前者が旋回性能に重きを置いた汎用機なのに対し、後者は突進力を発揮するべく設計された重戦闘機である。
単純に戦闘機同士の戦いであれば、P-38の一撃離脱に苦戦を強いられたに違いない飛燕。しかしP-38は爆撃機の護衛という枷によって、自由な空戦が許されていない。
そこに現れた大野達の雷電改は、P-38にとって致命の一撃となった。
散々引っ掻き回され分隊内での連携も難しい状態であったところに、自機に匹敵する高速機が現れたのだ。
P-38は懸命にも飛燕との巴戦を切り上げ、雷電改の突撃を止めるべく立ち塞がろうとした。
しかし雷電改の韋駄天には間に合わず、爆撃編隊は数多の黒煙を引き摺り始めた。
ほぼ丸裸にされたB-24を、落雷の如く一瞬で襲い掛かる雷電改から守ることが出来ず、翻弄されつつあるP-38に対し、爆撃機隊の隊長は作戦中止の判断を下した。
爆弾を蒼海に放り捨てていくB-24と、双発から生み出される推進力で逃げの一手を打つP-38に対し、執拗に攻撃を続ける陸海軍機。
この邀撃により、襲来したB-24爆撃機の多くを撃墜破。護衛機であるP-38にも甚大な被害を与えたと第二航空艦隊司令部は判断した。
しかしこれは前哨戦に過ぎない。
アメリカの物量の恐ろしさは翌日、ほぼ同規模の爆撃編隊が現れたことで証明された。
一九四四年十一月のマリアナ諸島は、未だ日本軍の要塞であった。
アメリカは二日から三日の間を空けて、昼夜問わず爆撃を繰り返している。押し寄せる機数は、奇襲の企図した二桁から、戦闘機を伴った三桁まで多彩であった。
マリアナ諸島への輸送船団は、連合艦隊と護衛艦隊により消費を上回る補給を成し遂げている。
しかしこれまでの空襲による港湾施設への被害により、荷揚げの速度は低下している。潜水艦を避けてここまで運んできたものの、空襲により炎上し骸を晒す輸送船も目立つ。
更にはアメリカとの決戦を前にして、マリアナ防衛の要である戦闘艦艇にも被害が出始めた。
開戦以来、戦闘機のみを載せ防空に活躍した〈龍驤〉が、護衛任務中に潜水艦の雷撃を受け沈没。〈鷹野〉型空母で新参者の〈塩見〉も本土近くの海に沈んだ。これに伴い、第一三航空戦隊は解隊され、〈高浜〉は第三航空戦隊へと異動となった。
第三艦隊では古兵である〈古鷹〉〈加古〉が訓練中に雷撃を受け付近の海岸に乗り揚げた。乗員の多くが助かったが、離岸の目処は立っていない。
第四艦隊はマリアナ輸送での主力となり、喪失艦隊も多かった。
決戦を待ち望む連合艦隊だが、その牙は次々の抜けつつあるというのが現状であった。
「昨日でリベレーター五機撃墜だったな」
大野は連日の出撃の疲れも無く、滑走路に併設された椰子の葉の日陰に座っていた。
午睡に落ちる寸前、大野の海兵一期先輩である笹井醇一に肩を叩かれ、何事かと身構えたところ、羊羹を片手に祝杯をと誘われたのであった。
「俺もお前も戦闘機乗りだが、お前は爆撃機を落とすのが上手いんだな」
「笹井大尉も素晴らしい戦果ではありませんか」
公称では二桁を撃墜し、海軍でも指折りの撃墜王である笹井は、照れ臭そうに鼻の頭を掻いた。
「貴様のような凄腕がいるからこそだよ。ジャクに目を離さずに編隊を維持しつつ戦うのは、撃墜王でも難しい」
「それなら南郷参謀に感謝ですな。編隊飛行の神様から教えを受けた南郷参謀が、それを自分に教授してくださったんです」
編隊飛行の神様、岩本徹三は叩き上げの士官として戦闘機乗りの憧れの的だ。その神様の弟子で本人も撃墜王である南郷の言葉となれば、鼻柱の強い若手であっても従っている。
「いつ来るんだろうな」
不意に笹井が呟いた。
大野は何が、とは問わなかった。
アメリカが宣伝している新型重爆ボーイングB-29は、マリアナの空にはまだ現れていない。インド方面で目撃されたとも言われるが、確証があるわけではない。
その幽霊のような存在であるB-29だが、大本営は大いに警戒している。局地戦闘機である雷電改は二〇ミリ機銃四丁という甲型では満足出来ず、新規設計である三式三〇ミリと二丁ずつ混載させた乙型まで用意した。大本営が雷電に更なる速度と高速を求めたのは、来る新型重爆にぶつける為とも噂された。
前線では三〇ミリは過剰と判断され、一二.七ミリと二〇ミリを二丁ずつ載せた丙型がマリアナ諸島では多く見られる。大野の駆る雷電改もマリアナでは珍しくない丙型だ。
「どうなりますかねえ」
B-24は強敵だ。それを上回る怪物と聞いても、実感が湧かないのが実情だ。
空中軍艦を攻撃する噴進弾を小型化したロケット式焼霰弾、通称ロサ弾が用意されているが、実戦で使おうという気配はなかった。
「いつも通りに一撃離脱。それ以外考えられん」
不貞腐れたような笹井の様子に、大野は笑い声を漏らした。
「コンターク!」
火薬式始動機の破裂音と同時に、木星が快音を立ててプロペラを回す。
ここ数日、勢いを衰えさせていた爆撃だったが、今日は久々に三桁を超える機数を電探が捉えた。チュークに大規模な船団が入港したと潜水艦より報告があってから間もないが、向こうも突貫作業で戦力を回復させたのだろう。
「武田より全機、武田より全機」
ロタの司令部からの通信は明朗だ。絶縁処理がいい機体のようだ。
「目標の高度、ヒトマルマル。繰り返す。目標の高度、ヒトマルマル」
一万メートルという数字に、大野は身を強ばらせた。
編隊全体が異様な緊張感に包まれながら、彗星の後を追い掛ける。
先導機も高度一万メートルをよろけながら南に向かう。
機械式過給器は実用化されたばかりで、装備した雷電改といえど、自慢の発動機は二〇〇〇どころではない出力に低下している。油断すれば揚力を失った機体が数百メートル落下し、編隊を維持するのも困難になっていた。
ようやく見えた敵影に、先導機は安堵したように機を揺すった。勢いで高度を落とすも、そのまま帰路に着いた彗星を見送る。
黒い点が大きくなり、やがて見慣れたB-24ではなく、南海ではあまり見かけないB-17の姿となった。B-17は航続距離の関係からか、マリアナ諸島の空襲には現れていない。爆弾の搭載量を減らし、機内に予備燃料でも積んでどうにか来襲したのだろうか。
そもそもB-24も一万メートル以上で現れたのは一度たりとも無かった。鹵獲機からは過給器を積んでいないと確認しており、高高度を維持するのは困難なのだ。
違和感の正体を探る大野の目は「それ」を捉えた。
段差の無い丸い機首。細長い主翼に、張り出すように装備された巨大な発動機。何よりその大きさ。並んで飛ぶB-17との距離感が狂うような巨大さは、見慣れない形状と共に心をざわつかせる。
「こちら馬場イチ、馬場イチ。敵は新型機を伴う。繰り返す、新型機を伴う!」
大野の危惧は、先発していた陸軍機が証明した。
1万メートルという高度では、飛燕の持ち味である軽快さを発揮出来ず、上空に遷移して降下しつつ一撃を加えるのが精一杯の様子だ。
無理に旋回してもう一撃を狙うと、これまでにないほどの火線が飛燕を襲う。防空巡洋艦に勝るとも劣らない射撃に、絡め取られた機体は瞬間的に爆散、墜落していった。
「馬場全機は新型を狙うぞ!」
B-17を仲間の別部隊に任せる。あれはグアムまで到着させてはならない。
同様の判断をした味方が、二〇ミリと一二.七ミリをばら撒き、新型機の主翼を縫うように命中させた。そのまま敵機の後方を抜けるように降下する。しかし敵機は煙を吹くこともなく、被弾した気配すら見せず、編隊を組んだまま悠々と飛んでいた。
「二〇ミリじゃ足りないのかっ」
雷電が再度の攻撃を狙い、無理な上昇を掛ける。速度を失ったその機体を、新型機の火線が何条も絡め取った。
プロペラから尾翼までをキャリバー50らしき銃弾が襲い掛かり、ジュラルミンの残骸が落下していく。
敵機から複数延びる火線は死角もなく、飛燕も雷電も近付くことが出来ない。強引に接近すれば、連携した複数機による対空砲火の網に捕まる。
大野は息も絶え絶えな発動機を宥めすかし、新型機の上に遷移した。列機もどうにか追い付いている。
「かかれ!」
ぐんぐん大きくなる新型機。
火線がこちらに集中する。大野はその多さに閉口せざるを得なかった。殺意が自分に集中するのを感じた。
細く長い主翼に必殺の20ミリを命中させる。発動機を一基潰しただろうか。B-24ならば主翼が折れ曲がるだろう攻撃だ。
大野は恐ろしいものを感じ、動力降下で離脱した。隊長の動きに列機も従い、高度計が回り続けた。
機体を水平に戻しゆっくりと旋回、上昇へと移る。そこで先程一撃したはずの編隊を見上げた。
煙すら曳いていない。
下から見ても、ジュラルミンの銀色が太陽光を反射している。
B-17は「空の要塞」を名乗るだけの巨体を誇っていたが、この新型機は皿に一回り大きい。大野は必中を期し接近したが、遠過ぎたかもしれない。
そのB-17にも似た大きな垂直尾翼が一枚、鉛筆のような胴体から張り出している。機体のどの方向に雷電改が迫ったとしても、二本以上の火箭が伸びた。
列機を失ったのか、単独で突撃する雷電改。衝突寸前まで両翼から弾を吐き出して、新型機の針路を横切る。
降下で得た速度を再び高度へと変換しようとして、遂に絡め取られた。
機体の後端から伸びた対空砲火を叩き付けられた雷電改は、錐揉みに入ると視界から消えていった。
「往路は届かん。復路を狙う」
隊内無線に切り替え、短い命令を飛ばす。左右の列機は拳を回し宜候と、元気の有り余った様子だ。
グアムに投弾した新型機が、どれほどの被害を受けるか分からない。だが少しでも傷付き高度を落としているならば、決して逃すつもりはない。大野の決意は固かった。
新型機B-29のグアム爆撃。日本軍の航空要塞は被害を受けた。
三機の撃墜と一〇機程度の撃破の代償に、グアムの航空基地は数日間の機能停止に追い込まれた。
五〇〇機もの大軍を包していた第二航空軍は、邀撃と地上撃破された機を合わせ五〇機を喪失した。
キ61飛燕は金星発動機の限界を引き出した機体ではあるが、B-29への有効打を与えられなかった。強引に接近する機体も多く、B-29の撃墜は全て飛燕の体当たりによるものだ。
第二航空艦隊は七機の被撃墜で済んだが、帰還後に廃棄となった機体が一〇機を超えた。
高高度かつ護衛のいない爆撃機に、グアム基地はいいようにされたのだ。
「B-17よりひと回り大きく、十分に接近する前に撃ち始めた機も多いようです」
第二航空軍の参謀長である森本軍蔵が、今回の被害の大きさの原因を報告する。
「惑わされずに接近したが、砲火濃密により攻撃を断念。被弾により失速、攻撃の機会を逸したとの報告も上がっております」
続いて作戦参謀の内藤進中佐が報告する。空三師は今回の邀撃で第一陣を任されており、戦闘の主体となった。
「また二〇ミリでも容易に落とせず、直進する時間が伸び、対空砲火に捕まる機が多かったと」
「現在、一部の飛行戦隊が乙式雷電を使用していますが、新たに二個戦隊を乙式へと切り替えます。また月光の夜戦型を投入します」
森本の提案に、それまで渋い顔で黙していた司令長官の菅原道大が疑問を呈した。
「夜戦では護衛機が出てきた際に被害が拡大するのではないか」
内藤が挙手する。
「飛燕には対護衛機を徹底させ、月光は雷電と共に運用します。元より格闘戦を度外視した機体です。無理はしないかと」
「うむ」
「加えて、現在米軍の護衛戦闘機はP-38に限られています。航続距離の問題で、トラックのP-47やP-51は出てきていません」
「その事なのですが」
情報参謀の大曲喜四郎が発言した。
「米軍もP-38一辺倒である現状を問題視しており、様々な対策を打ち出しているようです。彼の国の技術力を鑑みるに、行動半径が一〇〇〇キロを超える機体も増えるのではないかと、大本営では考えているようです」
「新型機ではなく改造によって対応してきた場合、前線への投入も早くなります。月光での邀撃は避けた方が良いでしょうか?」
菅原に視線が集中する。当人は眉間に皺を寄せ、暫し沈黙した。
「……夜戦は夜戦に投入してこそ、その本分を尽くせる。B-29の邀撃は飛燕と雷電改に任せよう」
「来月には装備更新を終えた飛行戦隊が帰ってきます。それまで米軍に対しては、現状維持するしかありませんね」
司令部の空気が軽くなる気配は無かった。
「馬場イチより武田。馬場イチより武田。敵は戦闘機を伴う。繰り返す。敵は戦闘機を伴う」
B-29の巨大な機影を彩るように、戦闘機の群れが大野達を撃ち落とさんと散開していた。
護衛対象とお揃いの、太陽光を反射するジュラルミンそのままの胴体。大きく口を開けた吸気口。高高度でも劣化しない出力の液冷式発動機。
陸海最速の雷電改をして難敵である銀翼は、ノースアメリカン社P-51「ムスタング」であった。
深山のトラック空襲を退けた立役者であり、アメリカの単発機としては優れた航続距離を持つ。本来ならば足りない行動半径を補う為に新型の増槽を引っ提げて、遠路はるばるグアムに進撃してきたのだ。
雷電改の発動機は猛々しく唸りを上げるが、八〇〇〇メートルを超える高高度では、その力強さも翳りを見せている。
機械式過給器のお陰で快調に回るプロペラを、この高度でも七〇〇キロ近い高速で飛び回るムスタングの機影と重ねた。
「馬場イチよりカク、馬場イチよりカク」
申し訳程度の電熱装置によるバッテリー消費に、空気の薄さが引き起こす絶縁の低下が、無線機の雑音を大きくする。それでも、部下達が無線を聞き逃すまいと、拡声器に耳を澄ませているのが脳裏に浮かんだ。
「馬場は先鋒。護衛機を掻き回せ。護衛機だ」
カチカチと了承の合図が雑音混じりの拡声器に乗った。
排気過給器を備えながら、滑らかな線で構成されたP-51。
それに比べて武骨な機体に大きな発動機を載せ、寸詰まりな印象を与える雷電改。
液冷の発動機を量産する工業力をまざまざと見せつけられて、アメリカとの国力の差をその身で体感させられている。
「高坂イチより馬場イチ。高坂イチより馬場イチ。送れ」
笹井大尉の声が拡声器から飛び込む。
「馬場イチ、送れ」
「高坂はロサ装備。高坂はロサ装備。終わり!」
急いで送信機を切り替えて怒鳴る。
「馬場イチよりカク、後退せよ!」
戸惑ったように翼を翻す部下。入れ替わるように、高坂隊の一二機がP-51に突撃する。一二機どころか、飛行戦隊規模が爆撃編隊のように敵部隊と正対していた。
空が燃え上がった。
そうとしか表現できない火焔が、高坂隊を始めとした雷電改を包んだ。その火焔は白煙を曳きながら高速で、P-51に飛び込んでいく。
銀翼に動きは見られない。直撃などしないと高を括っている。ロサ弾は速いが、動きを見て避けられないものではない。
P-51の編隊は大きく崩れず、ロサ弾の到来を待った。それが致命的であった。
ロサ弾の横を通り抜けようとした瞬間、一斉に炸裂したロサ弾から、数百個の子弾が飛び出す。黄燐を主成分とした子弾は、たった今通り過ぎようとしたP-51を横合いから殴り付けた。
編隊が大きく崩れ、白煙を曳きながら墜落していく機や、大きく高度と速度を落としてふらつく機が続出する。
大野に鍛え上げられた馬場隊の列機は、大野が言わずとも動いてくれるだろう。だがこの機を絶対に逃したくない。
「馬場イチよりカク、トツレ!トツレ!」
笹井大尉はこの邀撃を最後に少佐へと昇進し、ロタの航空団参謀に就くことになった。その前に新型ロサ弾を自ら使いたかったのが、撃墜王少佐の本音らしい。
アメリカの対空砲火は激烈になったが、その大きな要素として判明した新技術があった。
それは弾頭に小型の電探を仕込み、ドップラー効果を利用して炸裂させるVT信管と呼ばれるものだ。高精度な真空管や電気技術を活用した、まさにアメリカだからこそ実装できた兵器である。
高初速で放たれる高角砲弾に仕込まれたVT信管は、電波を利用して航空機の至近で炸裂する。
まずはVT信管への対策を立てる必要があったが、同時に「自国で生産できれば、防空の大いなる助けになるのではないか」と、模倣する努力が払われた。
結果として分かったのは、我が国の技術力でそれを模倣するのは不可能であるという事実であった。なにせ電探の量産でさえ、真空管の製造や絶縁技術などの問題で満足できていない。
研究者は可能な限り、VT信管の簡易化を目指した。二五番(250キロ)噴進弾の弾頭に小型電探を装備し、初速が砲熕兵器に比べて遅いという噴進弾の特性を利用した。信頼性の高い真空管を選抜し、それでも耐えられない振動をゴムや布で極力和らげた。
そうして作られた試製ロサ弾を、今回全ての在庫ごと吐き出したのだった。
高坂隊を含めた三〇機がP-51に、残りの七〇機はB-29に使用された。結果はP-51の撃墜五、撃破一二にB-29の撃墜七、撃破一〇である。
編隊が大きく混乱した隙を突いて突撃した結果、今回の邀撃では五〇機近い撃墜と二〇機ほどの撃破となった。濃密な相互支援を崩したおかげで、被害も六機の被撃墜で済んだ。
これ以降の来寇は大編隊による昼間爆撃ではなく、散発的な夜間爆撃を主と変化する。その為、大野の雷電改より月光夜戦の仕事が増えた。
グアムを巡る航空戦は一二月を迎えた。
水平線の向こうからは、敵艦隊の気配を感じられなかった。




