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空中軍艦  作者: ミルクレ
35/41

マリアナ鎮座

 一九四四年三月。緬甸作戦の大敗により大本営は、インド方面の戦力を転用するという当初の目論見を破棄せざるを得なかった。

 第一二軍隷下の各師団は大打撃を被った。一二軍以外でも、例えば戦車第一師団の再建は半年を要するし、航空第七軍は人員こそ残っているが保有機の多くを失っている。

 マリアナ諸島には戦車第二師団を移送し始めたばかりだ。今は二個連隊をグアムに移送したのみ。

 悪い事は重なるものだ。重くなった新型戦車を陸揚げ出来る船舶も限られているにも関わらず、運輸を司る海軍軍令部第二部の実態を把握しない計画により、マリアナに戦車を送る船舶の半数近くがビルマに転用されてしまった。

 海軍と陸軍の連絡不足は、両軍の不利益に直結する。第二部ではかなり大きな問題となり、大規模な異動が行われた。

 本土の工業化が進んだとはいえ、南方の港が全て新しくなるわけではない。艦船から港へ降ろす能力、逆に積み込む能力、往路と復路で載せる物資とその量。それらの管理を楽にする「戦時標準艦」であったが、全ての艦が即時に標準に置き換わるわけではないのだ。

 肝心の戦車をどうするか。ビルマへの輸送は既に開始され、今から目的地を変えたところで多種に渡る補給物資を止めてしまい、ビルマが枯渇しかねない。

 その解決策は両軍の不仲の残滓から生まれた。陸軍が秘蔵していた上陸専門部隊「海上機動旅団」を転用するのだ。海軍の助け無く上陸作戦を行う為のものであったが、今では海軍との協力の下で水陸両用の戦闘車両や大発動艇、駆逐艦を改装した揚陸艇母艦を溜め込んでいた。

 それをマリアナへの輸送に転用する。陸軍の参謀本部に返り咲いた上月良夫こうづきよしおの提案は、今度は阿南惟幾あなみこれちかの賛同を得て実行された。

 迫撃砲を束ねたような対潜砲で武装した海防艦が一〇隻、単純化され直線的になった艦首で海面を切り裂く。海護艦隊隷下の第四艦隊でも指折りの対潜の専門部隊だ。

 台湾や朝鮮でも生産されている〈鵜来〉型海防艦の見慣れた艦影は、輸送船団にとっては頼もしい味方だ。

 更に陸軍は制式採用されたばかりの兵器を、ここぞとばかりにマリアナへ輸送した。「四式」の名を冠された航空機が、グアム島を中心に運び込まれたのだった。

 海軍も「今年中に休戦しなければ、国力差が戦力差となる」という総力戦研究所の報告から、一撃講和論に傾いていった。長期持久体制はここに破綻。外務省も終戦への筋書きを書き換え始めた。

 マリアナでの決戦。これを糸口に日本側から和睦を申し出るのだ。事実上の敗戦を視野に入れた政策に、軍だけでなく各界から反発は確実だ。しかしマリアナを過ぎればアメリカに余裕が生まれる。余裕が出来れば敵を打ち負かすまで戦争を続ける。

 大本営はジュリオ・ドゥーエの無差別爆撃論を回避すべく動いていた。アメリカは戦前からドゥーエの「制空」を研究していた。その研究結果を日本の空で実証するのは確実だ。


 大本営では軍政軍令の双方が集まり、マリアナでの作戦を構築していた。海軍大臣である山本五十六やまもといそろくも広島城の傍にある大本営に詰めている。

 陸軍大臣の永田鉄山ながたてつざん、参謀総長の阿南惟幾がマリアナ諸島の要塞化について三課長と話し込んでいる。

 山本は軍令部総長の堀悌吉ほりていきちと、投入する戦力の整理を行っていた。大艦隊が動くのだ。必要な重油やガソリン、食糧の量は大変なものになる。軍令だけでなく軍政も呼ばれたのにはそういう理由があった。

 投入される予定の艦隊は大きく分けて五個。

 戦力を回復した第三艦隊は正規空母六隻。開戦以来の〈加賀〉や〈蒼龍〉に、一〇〇機空母〈大鳳〉を擁した布陣だ。〈翔鶴〉型二隻も練度は高く、一番新顔の〈雲龍〉も〈蒼龍〉の相棒を務めるに相応しい。

 第二艦隊は第四航空戦隊と第五航空戦隊の〈金剛〉型の改装が完了。〈天城〉〈生駒〉は戦線に復帰した。〈金剛〉では第二次マーシャル沖海戦に推参出来なかった悔しさから、かなり殺気立っているらしい。司令長官の南雲忠一なぐもちゅういちは元気で良いと笑っていた。

 第一艦隊は〈大和〉〈武蔵〉の復帰により戦力を大きく回復した。〈陸奥〉だけになっていた戦艦も〈大和〉型二隻と〈伊吹〉の異動もあり四隻になった。また改装が完了した軽空母〈千歳〉〈千代田〉〈瑞穂〉〈日進〉、量産空母の第一弾〈鷹野〉型三隻を擁している。殊勲艦〈龍驤〉を含めれば、搭載機は二〇〇機を超える。

 インド洋で暴れていた第六艦隊もマリアナに引っ張り出された。改装空母だが五〇機弱を搭載出来る〈飛鷹〉〈隼鷹〉、僚艦をUボートに沈められるという悲劇を体験した〈瑞鳳〉〈祥鳳〉の空母四隻が主力だ。海軍最古参の戦艦となった〈伊勢〉に加え、最新鋭の防空巡洋艦〈阿賀野〉型により空の守りは強靭であり、戦線に耐え得る布陣であると評価出来る。

 そして第四艦隊の軽空母を「補給空母」として使う。アメリカ海軍が軽空母から主力艦隊へ艦載機を直接移すのを真似たもので、練度不十分と判断された〈鷹野〉型も補給空母任務として活用出来る。ただし優秀なアメリカ潜水艦の優先目標となるのは明白な為、対潜任務の経験が豊富な第四艦隊に任されたのだ。

 マリアナ諸島にある航空基地は大きく分けて四箇所。南からグアム、ロタ、テニアン、サイパン。

 グアムには第七軍の司令部がある関係で、陸軍所属機が最も多く展開している。第二航空軍もグアムを最重要拠点としており、マーシャル諸島を放棄した日本軍の最前線としての空気を纏っている。

 ロタには当初、水上機基地のみが設営されていた。しかし航空戦力の拡充からグアムでは手狭になり、戦闘機を中心に移動することになった。一年程の工期が故に、色々と物足りない部分もある。しかしグアムとテニアンとの間に位置するロタは、両方の基地を支援するに丁度いいだろう。

 テニアンは平坦な地形故に、滑走路の建設は容易に進んだ。四一年中にはマリアナ最大の航空基地が完成し、北飛行場や牛飛行場と呼ばれた。主力は海軍だが、上陸された場合に防衛が極めて困難と言われている。陸上戦力は控えめで、ほとんどが高射機関砲や高射砲の要員だ。

 サイパンは元々海軍のアスリート航空基地があり、開戦前から秘密裏に要塞化が始まっていた。二五〇もの戦闘機用の掩蔽壕は、ほぼ同数の爆撃機用の掩蔽壕と離されている。それぞれに専用の埋設燃料庫が設置され、大食らいな最新鋭機の腹を満たしている。

 マリアナ諸島は菅原道大すがわらみちひろの第二航空軍、小澤治三郎おざわじさぶろうの第二航空艦隊が守る。基地航空はマーシャルを超える強靭さを持っていた。

 海軍はマリアナ諸島での決戦に備えていた。チューク諸島は捨てて南洋諸島の守りを狭めた結果、アメリカはパラオを攻めるかマリアナを攻めるかという状態だ。

 パラオ諸島は無防備である。大艦隊の停泊に適した港もあるし、滑走路も建設されている。しかしフィリピン本島からもマリアナからも遠く、狭い島を独力で守る必要があった。

 海軍の質問に対して陸軍は、パラオ諸島の防衛は困難だと回答。代案としてアメリカがパラオを攻略した場合に「マリアナ、フィリピンからの長距離爆撃」によって無力化する作戦案を提示した。これは四発重爆撃機の拡充により可能となった作戦であり、陸海軍の合同が必須であった。堀はこれを承諾、フィリピンには重爆撃機が多数配備されていた。

 海軍は決戦に向けて、より特化した人事を行った。マーシャル・チューク諸島放棄の責任を取り辞任した嶋田繁太郎しまだしげたろうに代わり、連合艦隊司令長官となった塚原二四三つかはらにしぞうは航空畑の人間だ。マリアナ諸島を巡る戦いは航空戦であると印象付ける人事であった。

 なお心労が祟り急死した塩沢幸一しおざわこういちに代わり護衛艦隊司令長官には、マーシャルで航空戦を指揮した日比野正治ひびのまさはるが就任した。こちらも航空戦を経験している。

 第一艦隊司令長官は砲術畑でありながら航空にも明るい角田覚治かくたかくじ。第三艦隊司令長官となった山口多聞やまぐちたもんの指揮に喜んで従うと言うほど、山口の力量に惚れ込んでいる。

 第二艦隊の南雲忠一は航空戦こそ経験が浅いが、第四艦隊で多くの戦闘を経ている。前任者の小澤に比べて激しい闘志の持ち主であり、巡洋戦艦を有効活用出来るだろうという評価だ。

 第六艦隊は三川軍一みかわぐんいちが引き続き指揮を執る。補助空母が多く作戦行動で出遅れるであろう第六艦隊を、最も熟知している三川に任されたのだ。

 第一空中艦隊も草鹿任一くさかじんいちが続投する。理由は第六艦隊同様、空中軍艦に知悉した提督が少ないからだ。

 樋端久利雄といばたくりおが山本の横で呟いた。

「空中軍艦は何処に置きましょう」

 山本は「他の艦隊と同じく本土で」と言おうとして、気がついた。他の水上艦と空中艦で同じ場所にいる必要はないのだ。

 最も鈍足な〈筑紫〉でさえ三五ノットの俊足である。しかし航続距離は駆逐艦に毛が生えた程度。水上艦の艦隊と同行させるわけにはいかない。補給艦を置いたとしても、補給艦と敵前で合流させるわけにはいかない。

 樋端の呟きから発した問題は、樋端の上官である連合艦隊参謀長の宮崎俊男みやざきとしおによって解決した。

 北部マリアナにパガンという火山性の島がある。その沿岸部に仮設の停泊場所を設置しており、最低限の補給は出来る土地がある。マーシャルでの戦いにおいて、〈秋津洲〉の補給を受ける前にパガン島で待機していた際、上陸して翼を休めたらしい。ただししばらく放置されていた為、再整備に一月程掛かる。それまでは本土で待機せざるを得ない。

 作戦案は一応の完成をみた。


 第一艦隊

 司令長官 角田覚治

 第一戦隊

〈大和〉〈武蔵〉

 第二戦隊

〈陸奥〉〈伊吹〉

 第一〇戦隊

〈高雄〉〈愛宕〉〈鳥海〉〈摩耶〉

 第三航空戦隊

〈龍驤〉〈鷹野〉

 第一一航空戦隊

〈瑞穂〉〈千歳〉

 第一二航空戦隊

〈千代田〉〈日進〉

 第一三航空戦隊

〈潮見〉〈高浜〉

 第一水雷戦隊

 第二水雷戦隊


 第二艦隊

 司令長官 南雲忠一

 第四戦隊

〈天城〉〈生駒〉

 第八戦隊

〈筑摩〉

 第四航空戦隊

〈金剛〉〈比叡〉

 第五航空戦隊

〈榛名〉〈霧島〉

 第五水雷戦隊

 第六水雷戦隊


 第三艦隊

 司令長官 山口多聞

 第一航空艦隊

〈大鳳〉〈加賀〉

 第二航空戦隊

〈蒼龍〉〈雲龍〉

 第六航空戦隊

〈翔鶴〉〈瑞鶴〉

 第七戦隊

〈最上〉〈三隈〉〈熊野〉〈鈴谷〉

 第一一戦隊

〈古鷹〉〈加古〉〈青葉〉〈衣笠〉

 第一防空戦隊

〈五十鈴〉〈長良〉

 第五防空戦隊

〈奥入瀬〉〈四万十〉

 第四水雷戦隊


 第六艦隊

 司令長官 三川軍一

 第三戦隊

〈伊勢〉

 第九戦隊

〈妙高〉〈那智〉〈足柄〉〈羽黒〉

 第七航空戦隊

〈瑞鳳〉〈祥鳳〉

 第八航空戦隊

〈飛鷹〉〈隼鷹〉

 第三防空戦隊

〈阿賀野〉〈能代〉

 第四防空戦隊

〈矢矧〉〈酒匂〉

 第三水雷戦隊

 第七水雷戦隊


 第四艦隊

 司令長官 高須四郎

〈大鷹〉〈雲鷹〉

 第一〇航空戦隊

〈冲鷹〉〈白鷹〉

 第一四航空戦隊

〈大須〉〈大間〉〈龍舞〉

 海防艦多数


 第二航空艦隊

 司令長官 小澤治三郎

 戦闘機二〇〇

 爆撃機九〇

 偵察機五〇

 連絡機一二


 第一空中艦隊

 司令長官 草鹿任一

 第一空中戦隊

〈筑紫〉〈相模〉

 第二空中戦隊

〈浅間〉〈八雲〉〈吾妻〉

 第三空中戦隊

〈松島〉〈厳島〉〈橋立〉

 第四空中戦隊

〈秋津洲〉(水上艦)〈八島〉(水上艦)


 陸軍第二航空軍(二個航空軍規模)

 司令官 菅原道大

 戦闘機二〇〇

 爆撃機二〇〇

 偵察機一〇〇

 連絡機三〇


 第七軍(沖)

 司令官 栗林忠道

 参謀長 堀場一雄

 戦車第二師団

 師団長 玉田美郎

 一四師団

 師団長 中川洲男

 一六師団

 師団長 千田貞季

 一七師団

 師団長 柳川平助



 西住小次郎にしずみこじろうと愛車はグアム島にいた。マーシャル諸島では陸戦も無く、三式中戦車チホと共に訓練に明け暮れるだけであった。

 米英がM4中戦車という極めて強力な戦車を投入してきたことは、激戦が続くビルマから漏れ聞いていた。

 主砲がチホと同口径でありながら威力は上回り、チホでは正面装甲を抜けない。撃破するには側面を奇襲するしかないらしい。

 虎の子の戦車師団をすり潰した参謀本部は、チホや九七式中戦車チハでマリアナ諸島を守ることに及び腰だ。穿孔爆雷や擲弾筒で対抗するつもりらしい。参謀本部が水際防衛を放棄したのは、ビルマで猪突猛進型の指揮官に懲りたからであろう。

「寸土とて敵軍に奪われるべからず」と鉄拳制裁を加えていた士官は、不適格として本土へと追い返された。彼が帝国陸軍の恥だと敵視していた、モッコを曳くチハやコンクリートの円柱を転がすチヌに、一〇年以上にわたる陸軍の改革を垣間見た気がした。

 西住は愛車を見上げた。チホ乙型と呼ばれる新型車だ。

 主砲は七六ミリから七五ミリへ減ったが口径長を四四に伸ばされ、実際には貫徹能力が増している。正面装甲は五〇ミリに二五ミリの増加装甲を鋲留めしたのではなく、七五ミリの一枚装甲板となった。砲塔に関しては試作中戦車の砲塔を転用。七五ミリの溶接砲塔は車体にアンバランスな印象をもたらしたが、余裕のある作業空間は装填補助装置、光像式の照準装置を組み込んでも広く感じた。

 その隣では亀のようなホニ車が砂に乗り上げて、所謂「ドン亀」になっている。一〇五ミリの高射砲を無理矢理積んだにしては洗練された形状は、急拵えとは思えない汎用性を持っている。

 同じホニだがチヘを原型とし、九〇式野砲を載せた通称「ホニ1」との混同を防ぐ為、「ホニ2」である一〇五ミリ搭載車を「ホヘ」とする通達は、現場に不要な混乱を招いた。一〇五ミリ搭載の「ホニ2」の補給を求めたつもりが、届いたのはチホの七五ミリ砲弾であったという例は枚挙に暇がない。

 西住大隊でも七五ミリ砲弾の貯蔵は充分だが、一〇五ミリ砲弾は不足している。第七連隊でも一〇五ミリを請求しているが、元が加農砲である為か「砲兵連隊に優先されている」と煩わしそうに連隊長が話していた。

 ふと遠雷か、和太鼓のような音が響いた。眼を凝らすと副官が双眼鏡を手渡してくる。

 漁船のような影を包み込むように、黒く濁った水柱が立ち昇った。その奥では喫水を大きく沈めた油槽船が一杯。

「潜水艦だな」

 グアム島を目前に、一杯のタンカーが黒い油膜を拡げつつ沈んでいく。ここまで来るのに何杯か食われただろう。目的地を目視して油断したのか。乗員は悔しかろう。

 米軍はマリアナ攻略の前段階として、真綿で首を絞めるような作戦を実行していた。来航する補給船団をドイツのUボートも天晴れな攻撃で食い破っていったのだ。

 絶海の孤島であるマリアナに補給が出来なければ、幾ら一〇〇〇機を超える大航空基地であっても立ち枯れしてしまう。

 聴音機と音波探知機、新型爆雷投射機を載せた海防艦は数が足りず、マリアナは一式陸攻や深山重爆を飛ばして空から威嚇した。

 海防艦も一ヶ月に数隻のペースで量産されているが、潜水艦の脅威はそれを上回る勢いで増大。護衛した燃料を消費して空から護衛するしか無かったのだ。

 飛行機たるもの、飛べばどこかしらが壊れる。しかし「飛ばせなくなるよりはましだ」との判断により投入された。そのような航空警戒だが、戦果は捗々しくはなかった。

 第一に搭乗員に対潜訓練を施していない点。第二に航空機からは搭乗員の両目だけが頼りである点だ。

 対潜任務に欠かせない電探を搭載した機体は、今のところ中隊以上の指揮機にのみ与えられている。海軍が有する対潜専門の九〇〇番台でなければ、航空隊の全機に電探など贅沢が過ぎるということか。

 海軍の仕事に口を挟んだところで、何も良くはならない。西住はグアムに上陸するかもしれない米軍への備えを、ひたすらに続けるだけなのだ。


 火星から木星へと強化された発動機により、雷電は雷電改と呼ばれた。増加試作をひたすらに続けていた木星も大口径の恩恵を受け、未だに性能が安定しない誉発動機を押しのけて量産の先鞭をつけたのだ。

 紫電改の発動機も水星へと切り替えられ、元より余裕のあった紫電改は、単なる零戦の後継機ではなくなった。

 鴛淵孝おしぶちたかしの駆る紫電改二三型は、水星の力強い爆音を立ててつつも、ひらりと飛行甲板へと降りる。

 誉を積んだ紫電改二二型は本土で練成しているひよっこ用となった。小さい発動機な分、前方視界が良いからだ。

 ようやく生産を開始した誉は陸軍の新鋭機に回され、前線の空母では偵察機の彩雲ぐらいしか使われていない。天山は火星を木星に積み替えた一三型が間に合わず、液冷アツタ発動機に載せ替えた彗星は陸上基地のみに配置された。

 信頼性の高く豪快な動きが可能な水星搭載機は米軍機に負ける気はしなかったが、鴛淵は誉搭載機の素早さの方が好みだった。菅野直かんのなおし林喜重はやしきじゅうはタフな発動機に順応したが、自分には難しいのだろうか。

 タフといえば、雷電改と呼ばれるようになった木星発動機を積んだ雷電二三型だ。

 肥大化した雷電改の機首と紫電改と変わらない武装に、空母航空隊の各員は微妙な顔をしていた。しかし演習での四〇〇ノットに迫る速度の動力降下が、紫電改の護衛する攻撃隊を痛撃すると、本気の表情へと変わった。

 菅野は雷電改に追従しようと高速での旋回を試し、機体が垂直になったところで失神しかけて断念。鴛淵と林は降下で得た速度を高度に変える雷電改を、正面から迎え撃った。

 林は小隊四機を糸で繋いだように動かし、鴛淵は二機編隊に移行させて対応した。

 林の射撃する雷電改に麾下三機が連続して射撃し、撃墜判定を確信する。しかし自分も写真銃に捉えられたのは確実だ。その後も演習では、雷電改の一撃離脱に翻弄され続けた。

 鴛淵は雷電改を機織り戦法に引き込むと、自分を囮にして二番機に敵機を狙わせた。高速での旋回は菅野のように失神の危険があったが、無理を承知で自動空戦フラップを起動させた。

 フラップが嫌な音を立てて歪む。本来これほどの高速で使うべきものではないし、設計でも想定されていないだろう。鴛淵機は不気味な動きで急激に宙返りを行った。

 鴛淵の視界は暗くなり、まさしく血の気が引いた心地となった。減速しつつ旋回を続け、機体を水平に戻した時には、追い越した雷電改を二番機が撮影していた。

 主翼を見ると分厚いジュラルミン製の翼面に皺が寄っている。当然、重整備が必要だった。

 こうして空母航空隊によるマリアナ攻撃演習は、散々な結果となった。

 多数の雷電改による一撃離脱は、紫電改といえども苦戦を強いられる。そして苦戦を強いられている間、雷爆撃機は護衛を失う。

 司令部は対策にてんやわんやだろうが、操縦士も空戦結果に侃侃諤諤の議論の嵐だ。

 航空参謀を巻き込んだ論戦が繰り広げられ、敵機漸減を目的とした掃討隊と直衛の護衛隊に分けると決定した。一丸となって突入すれば迎撃能力を飽和させられるかもしれないが、一撃しただけで艦隊が攻撃力を失うわけにはいかない。

 理想は敵と同数の掃討隊を率いることだが、航空管制機を用意することで数の不利を補う方法も考えられた。魚雷型電探を装備した天山を高高度で待機させ、戦場の目とするのだ。

 これには第三艦隊の航空乙参謀の高橋赫一たかはしかくいちが反対した。天山では偵察員席の管制士に職務が集中し、一〇〇機を超えての管制は極めて困難というものだ。

 深山に管制士を多数乗せる手もあるが、攻撃隊との合流や陸上機故の指揮系統の混乱が考えられた。結局、管制機型の深山は陸上基地で運用するとした。

 艦隊では電探室を持つ〈大鳳〉〈大和〉〈武蔵〉〈鷹野〉が艦隊航空の全管制を行えるが、航空機の数から第三艦隊の〈大鳳〉が管制を行うと決定。机上訓練に使うような樹脂製の台が、電探室に運び込まれた。

 深山の管制は敵機の方位と高度、対応する戦闘機隊を告げるだけの簡素なものだが、テニアン島の戦友からは「天のお告げ」と有り難い存在と教えられた。

〈大鳳〉にも「天のお告げ」ぐらいのご利益はあるだろうか。



「マーシャル諸島もカロリン諸島も、我が軍が占領したではないか!」

 ジョン・ヘンリー・タワーズ太平洋艦隊司令長官は、いつもの癇癪を爆発させていた。

 太平洋艦隊参謀のチャールズ・マクモリスにとって、対日開戦以来の見慣れた風景だ。

 ただし今回はタワーズもごみ箱を蹴り飛ばしたい欲求に駆られた。今すぐハワイの司令部に帰ってしまいたかった。

 これまで海軍の理解者だったジョセファス・ダニエルズ海軍長官が更迭され、新たにフランク・ノックスを就任させた。

 そしてダニエルズにも収められなかった海軍作戦本部長アーネスト・キングと海軍総司令官ハロルド・スタークの政争は、放任主義的なノックスの手に負えず大統領が直々に出てくる事態となってしまう。

 ウィリアム・モフェットがマーシャルでの敗戦の責任を取り作戦本部長を辞任した際、タワーズも同様に左遷されると考えていた。後任のキングとは政敵同士で、支援者であるモフェットの失脚を彼はいい機会と捉えるはずだ。

 それもスタークの横槍が入るまでだった。これによりマクモリスは参謀の職を失わずに済んだようなものだが、指揮系統は一層の混乱へと転落した。

 キングは強烈な個性で強引に物事を牽引するタイプだが、制服軍人の権限拡張を嫌う大統領府とは対立している。それに対してスタークはホワイトハウスの要求を重視しており、ワシントンにおいて自らの権限を認めさせたのだ。

 海軍作戦本部長と海軍総司令官は並存し、少なからず指揮系統に影響している。海軍の作戦はダニエルズが長官だった時よりも、明らかに政府の方針に束縛されているのだ。

 マーシャル諸島の占領は前倒しされ、支持率回復の手段として使われた。占領プロセスの簡略化は現地への負担となり、占領は前倒しであったにも関わらず完了は予定より遅くなってしまった。

 また戦略的には無力化したカロリン諸島やビスマルク諸島への攻撃が強行された。

 カロリン諸島は日本海軍において最大規模の泊地がある。激戦を覚悟しつつ海兵第三師団を主力とした水陸両用艦隊が上陸したが、一切の応戦が無く放棄されたと確認した。被害は初陣の新兵による味方撃ちと、環礁内の障害物で破損した汎用揚陸艇(LCU)ぐらいであった。

 ビスマルク諸島最大のニューブリテン島は強固な要塞が確認され、内陸への侵攻を停止している。水際防御が確認されない中、ラバウル基地は放棄されたという主張もあるが、陸軍は拙速な攻撃は抑えているようだ。

 開戦以来多くの艦艇が失われたが、このように日本の軍事拠点を複数陥落させた。

 重要拠点であるマーシャル諸島とカロリン諸島を日本から奪い、開戦直後に比べて戦線は大きく西へ動いた。大統領府はそれでも不満らしい。

「マリアナを陥落させれば安心するでしょう。それまでお待ちいただいてもらいましょう」

 マクモリスの言葉で少しは気分を紛らわせたらしい。タワーズはマリアナ諸島への侵攻作戦を記した書類を、目を細めつつぱらぱらとめくった。

「ウィリアム・ハルゼーが第三二任務部隊(TF32)を指揮するとのことだが、マーシャルでは大損害を出した男をもう一度使う理由は?」

「航空のプロが少ないからです。マーク・ミッチャーもフランク・フレッチャーも、作戦遅延の責任を取って本土に。トーマス・キンケイドやフレデリック・シャーマンが攻撃を能動的に行えないと判断された為です」

「そうかね?あの二人は十分なガッツを持っていると思うが」

「大統領府はそう判断したのです」

 顔をしかめるタワーズ。

 キンケイドの第三四任務部隊(TF34)とシャーマンの第三五任務部隊(TF35)は、マーシャル攻略後に編成された部隊だ。軽空母を主体とした高速打撃で、マリアナ諸島への輸送網に噛みついている。

 タワーズから見れば敵陣へ斬り込み戻ってくる騎馬隊のような勇ましさだが、大統領府では大した戦功とは見なされないのだろうか。

「それと総司令官のレイモンド・スプルーアンス大将の第三九任務部隊ですが、訓練に後数ヶ月欲しいと」

 TF32に匹敵する攻撃部隊であるTF39は、〈エセックス〉級空母三隻と〈インディペンデンス〉級空母二隻を主力とした攻撃の要である。練度不足は困るが、さりとて作戦遅延の理由とはならない。

「却下だ。TF33とTF36は既に準備を終えている」

 デウィット・ラムゼーの第三六任務部隊(TF36)に至っては、既に真珠湾を後にしている。〈フランクリン〉〈ランドルフ〉〈バンカーヒル〉を主力としつつ、最新鋭の戦艦〈アイオワ〉級と〈ノースカロライナ〉級を各二隻を有する艦隊は、一度動き始めるとその動きを変えるのは大変な面倒となる。

 更にはハワイを見張る潜水艦から、日本にも艦隊出撃の報が伝わるだろう。マーシャル諸島ではチェスター・ニミッツが少ない手駒を駆使して、被害を抑えている状況だ。

 マーシャルの戦いでしばらく戦線は落ち着くと予想していたタワーズだったが、ニミッツの予想通り輸送網への圧力は強化された。ニミッツがマーシャルにいる理由も、マーシャルを安定させるためだ。

 そのような危うい環境で、時間を空けてマーシャル周辺で待ち伏せされてはかなわない。マーシャル諸島のTF39にはこれ以上の練習時間は与えられなかった。

 マリアナ諸島を陥落させる。それだけに太平洋の戦力を集中させるのだ。タワーズの意気込みは凄まじい。

「この収穫者ハーヴェスター作戦が成功しなければ、私は辞職しなければならない」

 呟いた言葉はマクモリスにも重くのしかかった。タワーズが辞職するということは、前職のロバート・ヘンリー・イングリッシュから引き継いだ太平洋艦隊参謀長から降りざるを得ないからだ。

 アメリカ海軍による殲滅作戦が開始する。正規空母一一隻に軽空母八隻、護衛空母三隻を主力とした航空戦力。〈ノースカロライナ〉級二隻〈サウスダコタ〉級三隻に加え、〈アイオワ〉級戦艦も戦力化が成った。

 だが。マクモリスのネガティブな部分が囁いた。

 日本の艦隊は正規空母一〇隻に軽空母一二隻。我が軍に比べて全体的に艦載機数が少ない事を加味しても、八〇〇機近いはずだ。マーシャルでは封じた日本の新戦艦も、二隻共が修理を終えたはず。

 それに加えてマリアナ諸島の航空戦力は、陸海軍合わせて八〇〇機近いと思われる。

 合計で一六〇〇機。総力でも一三八八機の我が方では不利は否めない。

 基地航空と艦隊航空を各個撃破するならば、八〇〇の敵機を二度繰り返すだけで済む。現場を知らない作戦部が考えそうだ。

 それに加えて〈カサブランカ〉級を二〇隻、マーシャルから作戦海域の外れまでピストン輸送させることで、損耗機を補充する。

 投入戦力をマーシャル諸島から統制するのは、アメリカ海軍の兵站能力を限界まで酷使しているためだ。激戦地であったエニウェトクには、海兵隊の上陸部隊までが控えており、巨大な歯車が絶えず回転しなければあっという間に破綻しそうだ。

 精緻な作戦が躓けば、全体が台無しになるのではないか。臆病の影に怯えるマクモリスは、作戦まで疲れが取れることはなかった。

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