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空中軍艦  作者: ミルクレ
34/41

円筒陣地

 ビルマ北部、安南山脈とアラカン山脈の間を制圧するべく、イラワジ川が創り出した巨大な三角州を進む陸軍第六軍と第一二軍。作戦の前半部分は不気味なほどに順調であった。

 ビルマ東部の街で雲南軍閥との連絡路となっていたラシオを無血開城、第一五師団は龍陵まで進撃する。安南山脈が行く手を阻むとそこで止まり、山頂を陣地として防備を固めて待機した。

 アラカン山脈を左手に進軍する第一二軍の五個師団はバーモなどイラワジ川沿いの街を陥落させると、警備の兵をそこそこに進軍を続けた。ミイトキーナまでを踏破するべく、軍司令官の河辺正三の檄が飛ぶ。

 第六軍はアラカン山脈に潜むであろう英軍を警戒し、見晴らしのいい三角州に陣地を構築せざるをえなかった。「防御すべき場所が長大過ぎる」と第一一師団長からの懸念が伝えられると、細見惟雄ほそみこれおは戦車第一師団の二個連隊を手元に残して、攻撃された地点に急行させることにした。本来ならば戦車第一師団全てで守るべきだが、師団全ての投入は河辺が難色を示した。これまで敵戦車が連隊規模以上で攻撃してきた事はないと力説され、細見は仕方なく戦力を分断したのだった。

 第一空中戦隊はというと安南山脈の隘路を眼下に騰越や龍陵の陣地を砲撃した後、ラシオの上空に留まっていた。ラシオの住民が恐ろしげに空を見上げているのが、双眼鏡からでなくとも確認出来る。

「空中艦なんて見た事も聞いた事もないんでしょうな」

 参謀長の原田覚は司令長官の草鹿任一に、眼下に小さく見える人々について話を振る。

「世界に五〇隻もおらんのだ。陸軍も今回初めて見た者も多かろう」

「深山も〈筑紫〉に比べれば蜻蛉ほどの大きさですから、改めて空中艦がいかに大きいかと考え直す機会になりましたよ」

「浮遊機関を持たない航空機が空中艦並みの大きさになるのは、相当先の事になるに違いないな」

 第一五師団が存外早期に作戦目標を達成したため、空中艦は手持ち無沙汰で漂っている。砲弾も燃料も残っているが無駄遣いは厳禁だ。早くラングーンに戻り機関部を休ませたい。

 第四七師団の先陣がミイトキーナに到達したとの報告が上がると、狭い司令塔に弛緩した空気が漂う。それは嵐の前の静けさであった。


 雲南軍閥が苦労して拵えた滑走路から、イギリス空軍の航空機が襲い掛かる。

 ウィリアム・スリムの作戦は至ってシンプルだ。多方向に侵攻する日本軍を、包み込むように邀撃。攻勢を頓挫させ大打撃を与える。

 第一段階は航空機殲滅。現在、日本軍の航空戦力は戦闘爆撃機として各方面に分散展開している。敢えて迎撃せずにいたため、こちらの航空戦力が枯渇したと考えたに違いない。

 そこにこれまで綿密に隠し続けていた雲南の航空基地からの、一〇〇機近くのランカスター重爆による集中的な空襲を妨害出来るのは、少数の予備戦力だけであろう。この攻撃でマンダレー、メイクテーラの航空基地を殲滅。基地を失った航空戦力は各地の仮設飛行場に降りるだろうが、所詮は仮設だ。多くても一〇機程度しか整備することは出来ない。

 それでも出てきたジャックやアーヴィングには、性能低下型マンキーモデルではないP-38で対応する。パイロット達はハリケーンやスピットファイアを求めたが、航空戦が勃発したアレキサンドリアから東に送られてきた機体は無かった。

 ただし航続距離の長いP-38を装備したお陰で、作戦中に補給のため着陸する回数を減らせる。日本の航空戦力を拘束するにはありがたい誤算だった。

 悪い誤算としては敵に空中艦がいることだ。機動力を発揮してマンダレーやメイクテーラに陣取られると、重爆の攻撃が妨げられる。機動力のある砲兵として兵士の上を飛ばれれば大損害は免れない。

 空中艦を撃破するには大口径砲か、徹甲爆弾が必要だ。スリムの手札では、ランカスターでの嫌がらせ以上の事は出来ない。

 移動の際には難敵として立ち塞がる密林だが、空中艦から陸軍を守るには役に立つ。出来るだけ開けた土地を通らないよう通達する以上の事は、イギリスには出来なかった。

 日本の陸上戦力にクルセイダーやM3軽戦車が襲い掛かる。スリムは勝利を予感した。

 副官が電話を片手にテントから飛び出してきた。スリムは天を仰いだ。このタイミングの報告は良い知らせのはずがないからだ。


 イラワジ川は日英軍の骸が連なっている激戦地になっていた。

 マンダレーの西を守備している第四連隊は五七ミリ砲を搭載した新型の一式中戦車チヘを装備していたが、タングステンなどを贅沢に使った高速徹甲弾は持っていなかった。被帽付徹甲弾を採用してから四年であり、高速徹甲弾は八八式七五ミリ砲の分しか生産されていない。

 第四連隊は粘り強く戦った。固定砲塔のM3中戦車が不用意に晒した側面を狙い、高速で迫るクルセイダーを一〇〇〇メートル程度から撃ち抜いた。

 しかし数が多過ぎた。

 マンダレー正面には縦深の無い急拵えの戦車待避壕があり、砲塔だけを晒して射撃出来た。それ以外は擬装に頼らざるを得ず、射撃すればすぐに居場所が曝露してしまう。

 更には第五連隊が南下せんと姿を見せた直後、待ち伏せた対戦車砲が火を吹いた。六ポンド砲により先頭のチヘが燃え上がる。北からの増援は難しかった。

 師団長の細見は手元に残した二個連隊を、ミイトキーナではなくマンダレーに投入すべきか苦悩した。当座はマンダレー市街地で修理されている装甲車両を全て動員、加えて鹵獲したM3軽戦車で構成された臨時の連隊を投入する。

 事ここに至り、一二軍司令部は罠に嵌められたと理解した。


 マンダレーは火の海であった。一一師団司令部があったホテルは瓦礫になっていた。

 駅は砲爆撃を受け粉砕されており、貨車が線路から吹き飛ばされている。

 英軍にイラワジ川を渡河する様子はない。爆撃機はマンダレーの輸送能力と空港を破壊すると、我が軍の戦力を弱体化する動きに徹していた。

 向こうから攻めてこないのならば防御を固めればいいのだが、マンダレーにはミイトキーナに送らなければならない物資が貯蓄されている。牛馬を頼りに北上する輜重隊もいたが、先日まで英領だった土地だ。目敏く見つけたP-38によって撃破が繰り返されている。

 ミイトキーナからは一二軍各師団の苦境が伝えられた。フォート・ヘルツへ進軍していた四七師団が英軍の強固な陣地に遭遇し既に壊乱。迂回する四六、四八師団も円筒を並べたような英軍の防御線に絡め取られていた。五〇師団はミイトキーナに張り付いて英軍の攻撃を迎え撃つので手いっぱいだ。一二軍は処理限界を迎えつつあった。

 雲南方面も同様に攻勢を受けた。一五師団が龍陵や騰越周辺の急峻な山々に分散していたところ、これまでとは練度が明らかに高い雲南軍に囲まれたのだった。

 一五師団の各連隊は山頂の陣地を堅持するつもりであったが、野砲を展開した雲南軍に対して連隊は歩兵砲しか持っていない。砲兵連隊は龍陵への爆撃によって大損害を被った。

〈筑紫〉と〈相模〉が山肌を撫でるように現れた時、雲南軍は茫然自失となり撤退すら出来なかった。雲南軍の前に空中軍艦が立ち塞がったのは初めてだったし、一六インチもの大砲が撃ち下ろしてくるのも初めてだった。山頂に押し寄せていた兵は散り散りとなり、初日の攻勢を凌ぎ切ったのだった。

 師団長の山内正文やまうちまさふみは陸軍きってのアメリカ通と知られ、今回の雲南軍閥がアメリカの影響を強く受けていると看過した。野砲を大量に運用した事前攻撃、航空と連携した攻防。ニューギニアやフィリピンで見せたドクトリンである。

 ただし雲南軍の士気が低いためか、手榴弾の一斉投擲と逆浸透を掛けると撤退していく。

 しかし拉孟から押し寄せる軍勢を押し留めるには、物資が明らかに不足している。古い城塞を利用してはいるが、定期的に現れる重爆が山頂を均していく。

 一二軍司令部は死守命令を出していたが、兵を損なうのみである。補給が来なければ文字通り全滅しかねない。

 二日目の攻撃を銃剣突撃で撃退した一五師団は、遠からず雲南軍閥の拠点である拉孟を襲撃するとした。攻略するには戦力が不足しているが、焼き払うには十分だ。

 銃剣突撃をすれば士気に劣る雲南は撤退していく。一五師団も銃剣突撃の度に、数十人が命を散らせている。此方が戦力を擦り減らすのに対し、前線に撃ち込まれる野砲弾は増える一方だった。

 拉孟への限定攻勢は敵砲台の撃破と指揮系統の混乱を目的としている。

 山内はアメリカ軍ならば取るであろう逆浸透への対策、重武装の陣地や濃密な歩哨網を想定した。聴音機を設置して、梢を踏み折る音や雨粒が鉄鉢に当たる音を探知するかもしれない。

 山内は軽装の襲撃隊を組織し、警戒網に対する攻撃を先行させた。ビルマで英軍により苦しめられた、いわゆる「襲撃」部隊というものだ。

 闇討ちを繰り返す「襲撃」は一部の士官から不満の声があがったが、山内の襲撃部隊は拉孟の背後にまで浸透し輜重隊を撃破していくと、むしろ襲撃部隊の指揮官として前線に出たがる者が増えたのだった。

「決して決戦を求めてはならない」作戦は日本陸軍には目新しいものだったが、山内の世代には賛同者も多い。これが一〇年前であれば「戦意不足」により更迭されていただろう。

 山内の作戦により九日目以降、雲南軍閥は粗が目立つようになった。一二日目の攻撃により龍陵市街が一時占領されるも、翌日には雲南軍は撤退していた。騰越に対する攻撃も弱まった。

 米軍の入念な準備砲撃苛烈だが、それは高度に発達した補給網とモータリゼーションによって支えられている。雲南も見様見真似で米軍を模したのだろうが、補給理論までは模倣出来なかったらしい。拉孟の更に後方である保山で、補給物資がだぶついているようだ。

「師団長殿、軍司令部から電信です」

 山内は不快な表情を隠しもせず、土に汚れた紙片を受け取った。

 一二軍司令部は現在、ミイトキーナで自縄自縛に陥っている。電撃的な占領が不可能になった時点で戦略を転換するべきだったが、逆襲を受けた結果頭に血が上り冷静さを失っている。

 紙片には「保山を攻略せよ」という無理難題が書かれていた。攻勢を受けているのは此方であるのに、逆襲と占領を強硬に命じてきたのだ。

「保山を攻略すれば拉孟は立ち枯れになるらしい」

「一個師団で四個師団規模を撃破すれば良いのです。とても簡単な命令ですな」

 皮肉を混ぜ込んだ返答を寄越した参謀長。山内はくつくつと笑うが、気分は暗澹たるものだ。

「防衛すら危ういのに、攻勢に出ろとはな」

 無理な反攻で戦力を摩耗させれば、雲南軍閥は全戦力を以って龍陵と騰越を揉み潰す。そうなればラシオまでの道が拓けるのだ。

 騰越の連隊を前進させ、紅木樹という山頂付近に陣取った。ここから橋を渡れば保山まであっという間だ。雲南軍閥は橋を落としていない。自軍がまだ攻勢を掛けるつもりだからだ。山内は工兵によって爆薬を仕掛けさせ、次なる攻勢が予見されたら直ちに爆破するように命じた。

 自身は龍陵に残り出来るだけ敵戦力を拘束する。逆に攻勢を掛けて拉孟を圧迫してもいい。騰越側の戦力が減った所で、火力を集中させて保山まで突破するのだ。

「山内中将殿!」

 先程電信を差し出した士官が、新しい紙片を持って走り寄った。笑顔を浮かべている。

 紙片には「発、第一空中艦隊司令部」と書かれていた。


「マンダレーへの攻撃は陽動と考える」

 一〇日目。吹きさらしの空き地で、第一一師団長の佐藤幸徳さとうこうとくは戦車第一師団の伝令に告げた。制空権確保の為、上空では雷電や月光が飛び回っている。

「ここは現状戦力で十分だから、池田師団長には戦力を北に向けてもらいたいと伝えてくれ」

 佐藤は決して猪突猛進する種類の指揮官ではない。大言壮語もしない。そしてこれまでの戦闘で有能である事も証明した。戦車第四連隊長の西竹一にしたけいちはそれを直に見ていたから分かる。

 マンダレーでの戦闘は小康状態だ。それは第四連隊の奮戦だけではなく、迅速に対応した一一師団のお陰でもある。

 西は最も激しい攻撃を受けた地点、鉄路周辺を直接指揮していた。機動砲兵第一連隊長の村上誠一むらかみせいいちは連隊をいち早くマンダレー市街から退避させ、鉄路脇の深い密林から支援していた。豊富な火砲を止め処なく打ち掛けながら、英軍が進撃を強行してくる。

 連隊付きの歩兵では足りない。さりとてここから後退すれば、重砲が展開してしまいマンダレーが直接砲撃されるやもしれぬ。

 絶体絶命だった西を救ったのは、佐藤が急派した増援であった。彼らは押し寄せる英軍を押し留め、逆に浸透していくそぶりすら見せた。勢いを弱めた英軍に対して集中砲火を加えると、マンダレーに対する攻撃はひと段落したのだった。

 戦車第四連隊の戦車中隊は五七ミリ長砲身の新型チヘで構成されている。北の戦車第五連隊は四七ミリ長砲身のチハであり、マンダレーに来ても短時間で無力化されるだろう。追加としてマンダレー市街で補充されたM3軽戦車が多数存在する。

 いずれにしろ、M3中戦車と正面から戦うのは難しい。M4中戦車を撃破するには相当に近づかないといけない。

 西は無傷な第三中隊を攻勢正面の陣地に置き、夜陰に紛れて待避壕を構築させた。第五中隊が第三中隊の隙間を埋めるようにホニ1を展開する。

 第一中隊は偵察用の軽戦車で構成されていたが、初日の攻勢で全車が散った。第二中隊と第四中隊は殆どが骸を晒しており、第二中隊として纏めて運用する。

「マンダレー戦車連隊」と名付けられたM3中戦車スチュアートは誤認を防ぐために黄色い線が引いてある。佐藤が掻き集めたスチュアートは西に預けられ、整備中隊や速射砲の扱いに慣れた兵が乗り込んだ。

「これで守れるかね」

 佐藤の独白のような呟きに、西は最善を尽くすとしか言えなかった。


 一二日目。第五中隊の砲戦車が多数撃破された。捜索を掻い潜り前線に移動していた重砲が、午後になって陣地を丸ごと掘り起こすような砲撃を加えたのだ。

 午前中の戦闘を生き残り補給をしていた第五中隊は、薄い上部装甲や搭載途中の砲弾を吹き飛ばされ、重苦しい空気が流れたが、沈黙は長く続かなかった。

 紙片を渡された佐藤は、それを西に手渡した。読みたまえと目配せした佐藤に、西は疑問符を浮かべた表情で読んだ。そこに書かれていたのは西が以前乗った艦の名前であった。

 ミイトキーナ上空に居座っていた空中戦艦は一隻ずつ、マンダレーと龍陵に移動する。マンダレーには〈筑紫〉が、龍陵には〈相模〉が向かう。

「一二軍も空中戦艦を固定砲台にする愚に気がついたらしい」

 西は〈筑紫〉に座乗する草鹿の禿頭を思い浮かべた。高機動力と強襲を旨とする戦術を知悉した彼が、ミイトキーナでの浮き砲台に納得したとは思えない。やっと本領発揮出来ると士気軒昂だろう。

「草鹿中将殿は空中戦艦で敵を一掃するつもりでしょう。同士討ちを防ぐ必要があります」

「うむ。捜索隊を下げよう。代わりに軽戦車の捜索隊を編成してくれ」

 空中戦艦の砲撃から逃げられる程度の速度を持つスチュアート軽戦車の捜索隊が密林に放たれる。戦闘は可能な限り回避しつつ、英軍の攻勢に備えた。


 一三日目。夜の帳の中でM4シャーマンが蠢動する。マンダレー戦車連隊の軽戦車は機関を止め、月光の薄明かりを頼りに観察を続けた。

「桐のイチより道風。雨四光うごきだした

 手回しの発電機が虫の鳴き声に混じる。狭い車内で発電機を回すのは骨が折れる。回転速度が一定でなければ、聴こえてくる声に表れる。波のように強弱が付いた命令が受話器から雑音混じりに溢れ出した。

「道風、了解。桐は北へ離脱せよ」

 道風、連隊司令部から告げられた桐のイチ、中隊長は北へ退避する。

 このままシャーマンに奇襲を掛けたいのは山々だが、それで食えても一両か二両だ。これから現れる巨艦ならば一発撃つだけで破壊するだろう。

 何よりも、一六インチの釣瓶打ちに巻き込まれるのは絶対にごめんである。

 しかし桐のサンがエンジンを唸らせて斜面を登った時、車体を下から差し抜かれ爆散した。菫色の炎が墓標となり、桐の他の車両を照らし出した。

 桐中隊は敵陣に最も近づいている。ここで見つかってしまうと、逃げ切るのは極めて難しい。

「躍進射!」

 桐のイチが叫んだ直後、七五ミリの砲弾が全てを燃え上がらせた。


 シャーマンが押し寄せるであろう湿地には、泥に塗れた歩兵連隊が敷設した対戦車地雷が隠されている。多くの地雷は泥に埋まって不発だったが、建材の板切れを下に敷くことで起爆し易くしてある。

 効果は薄いだろうと西は考えていた。英軍は畑を耕すような事前砲撃を行い、第七航空軍の微かな反撃を受けながら爆撃を行う。ここも元は畑だったが砲爆撃で土を吹き飛ばされ水路を粉砕された結果、ただの泥沼になってしまった。

「チヘじゃ難儀するだろうな」

 西が傍らの副官に話し掛ける。緊張を解すには無駄口を叩くのが一番だ。

「チホならどうにか行けますかね」

「ありゃ大陸で使うから履帯は幅広だが、この沼じゃ苦労するさ」

 この辺りにはタコツボと呼ばれる個人用の塹壕も無い。掘ったそばから泥水が流れ込み、小さな池が出来るばかりだったからだ。

 西は背後の圧力の塊を振り返る。

「浮いてれば関係ないがな」

〈筑紫〉の巨体が街の広場に鎮座しつつ、しかし砲塔や艦橋を誇示するように見せつけていた。

「頭隠して尻隠さず」

 場違いな笑い声が漏れ出した。


「英軍の準備砲撃、始まりました」

 第一空中艦隊砲術参謀の大野竹二の声に、司令長官の草鹿任一は大きく頷いた。準備砲撃はマンダレーを狙うものではない。密林を疎らにする着弾が湿地の土砂を巻き上げた。

「敵砲兵も射程ですが、如何なさいますか?」

「戦果確認が難しい」

 短く却下すると、草鹿は陸軍の連絡将校に向き直った。

「くれぐれも吶喊しないように厳命してくれ」

 流れ弾が風に乗り、味方の陣地がある辺りを耕した。タコツボ程度では防ぎ切れない砲弾に、何人もの兵が命を散らせただろう。しかし草鹿は一切動揺せずに、合図である照明弾を待っている。

 マンダレー正面の、英軍が最も攻勢を掛けるであろう

 場所には兵が配されていない。マンダレー市街への突入を企図していない英軍だが、振りかぶった機甲戦力は目標にぶつからなければ止まらない。

 肝心の戦車四連隊はマンダレーの北西で孤立している。マンダレーに突入するには北の中洲を利用しつつ渡河するか、南の鉄橋を大名行列で進軍するしかない。その北の中洲より北で、マンダレーの支援には遠過ぎる場所にたむろする連隊は、英軍を横合いから突く為のものだ。

 一一師団はマンダレーに兵を籠らせ、英軍の攻勢を空振りさせる。同時にミイトキーナとの補給路を回復すべく、貴重な戦力を一部割いた。

 英軍がこちらの意図に気がついた場合は戦車第四連隊が殲滅され、マンダレーの占領の誘惑に駆られるかもしれない。だがそれを全てひっくり返すのが、〈筑紫〉である。

 着弾の煙が弱くなったか。大野が微かに感じた変化は、直後に撃ち上がった赤褐色の煙に裏付けられた。

 陸軍連絡将校が興奮して裏声で叫ぶ。

「敵戦車部隊、突撃中!」

「撃ち方始め!」

 空中で放った時とは違った、全身をより強く殴りつける衝撃が襲った。

 大野はこれまで自分が体験した〈筑紫〉の砲撃が、空中でのそれのみであった事を思い出した。地上に静止状態で放つと、ここまで違うものなのか。

 草鹿も驚いたように小さく呻いた。

「〈長門〉や〈陸奥〉を思い出すな」

 英軍は突然現れた〈長門〉に襲われているのか。七.五センチの主砲は戦車としては大きいが、四一センチは文字通り桁違いだ。英軍の指揮官の混乱は推して知るべしである。

「高角砲、撃ち方始めました」

 一二.七センチという小口径砲が火を噴く。弾種こそ高角砲弾たる通常弾だが、一〇〇〇〇メートルを超える射程と高射装置により、目標となった戦車は複数の砲に狙われる。

 時限信管を考えない瞬間火力により、マンダレーは火災でも起きたような煙に満たされた。

「浮上、高度三〇メートル」

「宜候。浮上、高度三〇メートル!」

 マンダレーの市街部が視界から消え、遥か密林が覆う風景が広がった。偵察艦橋からの報告が眼下の目標を捉えている。

「砲撃止め」が命じられたのは、時間にして一〇分前後であった。英軍が分散しつつ後退し、そこを狙って戦車四連隊が突撃し始めたからだ。

 主砲が吼えたのは第一主砲塔で三〇発前後。命中精度から考えても、そこまで大打撃を与えたとは考え難い。

 だが陸軍連絡将校は四一センチ砲こそが英指揮官の戦意を挫いたのだと言う。

「海軍さんでは七五ミリ程度は小口径でしょう。ですが九〇ミリでも大口径である我々からすれば、四一センチ砲は要塞砲でもお目にかかれない。一トンが降ってくるだなんて、考えたくもないですよ」

 空中軍艦が陸軍に喜ばれる理由について、認識を改める必要があるようだ。海軍と陸軍の協同作戦を遂行すべく、〈筑紫〉は艦首を巡らせた。


 東部での戦闘は龍陵を離れ、保山を舞台としていた。

〈相模〉の出現は峻険な山脈によって隠され、紅木樹から保山に向けての攻勢は雲南軍の混乱もあり、橋を落とされる事もなく成功した。

 保山に迫った日本軍を迎撃するべく拉孟の兵を転用した雲南軍の動きに、龍陵から打って出た一五師が応じた。

 拉孟は陥落し、保山を二方から圧迫する形となる。当然、雲南軍は保山に籠城しており、一個師団に過ぎない一五師では陥落させるのは困難だ。

 拉孟の師団司令部に〈相模〉艦長である工藤俊作くどうしゅんさくの姿があった。保山攻略の目処が立たない現状を打破するため、山内が一五師の各連隊長と共に呼び集めたのだ。

 山内が口火を切り、現在最も蓋然性が高い作戦を述べた。それは龍陵から恵人橋を渡る際の作戦とほぼ同じであった。

「まず威力偵察で野戦砲の位置を確認する。そこに信号弾を打ち込むから、〈相模〉には高射砲で破壊してもらいたい」

「主砲ではいかんのですか?」

〈相模〉はミイトキーナでの戦闘で半数以上の高角砲を使用不能にされていた。

「主砲では山の形が変わってしまう。登る道ごと吹き飛ばしては移動に難儀し、占領に時間がかかる」

 仕方ない。いざとなったら、着発信管にした砲弾を自由落下させる手もある。


 翌日、保山攻略は無期限延期となった。

 第一二軍がフォート・ヘルツを諦め、ミイトキーナに籠城。河辺は再度の攻勢を命じたが、損耗の多さから陸軍参謀本部が再度の攻撃に待ったをかけた。

 緬甸作戦はイギリスの反攻を抑え込み、陸海軍が太平洋方面に注力出来るようにする目的であった。このまま進撃し奇跡的にフォート・ヘルツを占領出来たとしても、英軍は余力を残して撤退しているだろう。ならば反攻に抗するだけの兵力が残っている今、作戦を止めた方が良い。

 第一二軍は作戦後にフィリピンに転用される予定だったが被害の大きい為に本土へ戻し、残りでビルマ防衛を行う。フィリピンには第八軍を向かわせる。戦車第一師団も損害大と判断され、損耗した戦力を戦車学校の教官や練成中の第二戦車師団から補充せざるを得なかった。

 島田豊作しまだとよさくも戦車第一連隊の仲間と共に、本土への帰路に就いていた。島田は愛車の三式中戦車を眺めながら、ビルマでの激戦を思い起こす。

 マンダレーかミイトキーナで悩んだ末、細見惟雄ほそみこれお師団長はミイトキーナ方面に手持ちの連隊を全て投入した。島田達は英軍の強固な陣地と衝突したのだ。

 円になった陣地が幾重にも重なる、一見すると穴だらけな防衛線。それは浸透戦術を多用する日本陸軍の天敵のような陣であった。

 各陣地は相互に火力支援を受け、陣地の間は十字砲火の殺しキルゾーンとなる。抵抗が弱い場所を突くつもりの歩兵達は、徐々に殺し間に引き寄せられていった。

 ならばと陣地へ突撃を敢行すれば重機関銃や迫撃砲、ベトンで固められた特火点トーチカがその身を貫く。二〇三高地にも似た激戦により、正面を担当した連隊がいくつも消滅した。

 戦車第一連隊と戦車第三連隊は第四七師団の生き残りから、第四六師団が孤立しつつあることを聞く。四七師が後退した結果、東から迂回していた四六師の後方が遮断されたのだ。

 三式中戦車が先行すると、少数のシャーマンが獣道を塞いでいた。こちらが連隊規模だと分かると素早く密林へ消え四六師への連絡路は復活するが、肝心の四六師は「目標陣地の攻撃苛烈にて後退不可能」と言う。

 細見は撤退の障害となっている円筒陣地を、戦車連隊による突破を企図する。

 島田は中隊を斜行陣の陣形で突撃させた。島田自身は最も危険な斜行陣の先鋒を務めるつもりであったが、連隊長の池田末男いけだすえおに止められた。

「先鋒は最も撃破されやすい。技量十分な奴を置くのは良いが、指揮官が撃破されてはその後の作戦が難しくなる。お前は指揮官なのだぞ」

 池田の命令は正しい。しかし心情として従い難いものがある。部下を最も死にやすい先鋒に送りたくはない。

「ええい、何の為の階級かっ」

 ここは戦場であり、義理人情で動く場所ではないのだ。島田は自分を叱咤すると、斜行陣の中程に自車を配置した。

 目標の円筒陣地は恐ろしいまで統制されていた。歩兵が突撃を狙うと人事不肖になるほど打ち下ろすが、戦意喪失し散り散りに丘を下るとしんと静かになる。戦力を纏めようと集まれば迫撃砲がその中心で炸裂し、集合すらままならない状態だ。

「吶喊!」

 島田が叫ぶと、チホが声高にディーゼル機関を吹かして履帯を回す。先頭が密林を抜けた途端、甲高い金属音が車両を打ちのめした。

 四〇ミリの二ポンド砲はチホの正面防楯に直撃し、装甲が赤く熱された。陣地からの動揺が伝わるように二ポンド砲が複数飛来するが、先頭の戦車長は巧みに機動して回避する。

 見たかイギリス。これが三式中戦車だ。

 そう言いたげな先頭車に続いて、残りの中隊も木陰から飛び出した。

 島田も蛇行や急加速を繰り返しつつ陣地に迫った。指揮下からは被弾こそすれ、撃破された様子は無かった。

 ただしそれは距離が一〇〇〇メートルを切るまでだった。二ポンド砲はチホの側面を狙って射撃出来るようになると、チホは次々と擱座していった。砲塔正面こそ七五ミリと分厚いが、側面や車体はチハと大して変わらない。更には正面装甲も、何度も被弾すれば変形し脆弱になっていく。

 やはりと言うべきか。最初に撃破されたのは先鋒の車両であった。砲弾は正面装甲の弱点であった点検用扉の接合部を貫通、変速機と一体化して車両を擱座させた。

 島田の指揮車にも命中弾が出始め、彼は鉄帽をキューポラに激しくぶつけ、鉄帽の内張を厚くすべきと感じた。島田が戦闘後に確認したところ、車体には擦過痕が黒く残っていた。

 側面に命中しても角度が浅ければ、砲弾が装甲表面を滑って見当違いの方向に飛んでいく。また傾斜して命中いる分、実際の装甲厚は割増される。その概念を避弾経始と呼ぶが、傾斜装甲はその避弾経始を念頭に置いた装甲だ。文字通り傾斜させた車体装甲は、前面の五〇ミリに額面以上の性能を出させたのだ。島田も傾斜装甲に救われた形となった。

 行進間射撃の榴弾が幸運にも二ポンド砲を襲い、砲火が弱まる。対戦車砲撃破という殊勲の七号車が瓦礫に乗り上げた瞬間、返礼として敵弾が集中する。武勲など御構い無しに次々と命中する二ポンド砲は、目標が菫色の火焔に包まれるまで打ち込まれた。

 余った履帯を側面に溶接した一両が、特火点に半ば砲身を突き込んで射撃した。土煙が隙間から吐き出され一帯の視界を阻害する。

 土煙に飛び込みつつ島田の車両が陣地に乗り入れた時、堰を切ったように英軍が後退を始めた。巧妙に隠された壕があるのだろう。島田達を苦しめた二ポンド砲や榴弾砲が爆破される閃光と、撃破され燃え上がる墓標と化した日本軍戦車が残された。

 戦車連隊の奮戦により四六師は師団長の沼田多稼蔵ぬまたたかぞう以下多くが生き残り、円筒陣地を唯一占領した戦いを潜り抜けた。四六師は壊滅的打撃を被った四七師の残存を吸収。四八師と共に本国に帰還せずにビルマ方面の抑えを担うことになった。

 島田は一二軍司令部から感状を三つほど頂いたが、一二軍司令官である河辺が左遷される前の最後の仕事だと聞いてからは、感状が怨念の籠ったものに見えてきた。

 戦車第一連隊は戦功大なるも、第三連隊と共に行った円筒陣地への突撃で約半数を撃破されていた。他にも第四と第五はマンダレー防衛ですり潰され、鹵獲車両が戦力の大半となっている。

 戦車第一師団でまともな戦力を保っているのは装甲車を掻き集め運用した歩兵第一一二連隊と、後方支援の機動砲兵第一連隊だけだ。

 一部では自走砲を装甲化し戦車連隊として運用するべきとの意見もある。益々砲戦車と自走砲の呼び方が無意味になりそうだ。

 連隊長曰く、ドイツでも同じ車両を所属によって突撃砲、駆逐戦車、自走砲と変化するらしい。世界中でそうなのだから、我が国もそれに倣うのだろうか。

 島田はただただ疲れており、実家で休みたかった。燃え上がったチホの乗員も帰りたかったに違いない。きっと、自分が撃ち殺した英兵も帰りたかっただろう。



 アレクサンドリア航空戦に勝利したという報告は、スリムにとって吉報たり得なかった。ビルマでの作戦を切り上げ、その戦力を転用するように命じられたからだ。アレクサンドリアからロンメルを追い出した今、奴のアフリカ軍団を殲滅する好機と逸っているらしい。

 インド洋経由で運ばれたM4シャーマンは既に軍団規模。海軍も北アフリカで何か企んでいるらしい。遠く離れたビルマに拘泥している暇などないのだろう。

 倍近い戦力比をひっくり返したスリムは、有能な指揮官としてビルマに留め置かれた。小煩い将官から戦力を奪い、僻地へ置き捨てる。なるほど、これが本国の将官が私へ用意した贈り物か。

 勝者たる英軍、その指揮官は苦々しい表情を浮かべるのだった。

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