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空中軍艦  作者: ミルクレ
31/41

ビッグセブン

「第一空中艦隊は損傷艦多数のため撤退するそうです。〈常盤〉の墜落地点には既に駆逐艦を向かわせたとの事です」

 伝令の声は元気よく、第一艦隊の旗艦〈長門〉の艦橋は熱気が溢れていた。福留繁参謀長も艦隊決戦の予感に、熱に浮かされたような高揚感に囚われている。

 表面上は冷静沈着を保持している近藤信竹司令長官だが、自分でも分かるほどに早鐘の如く心臓が脈打っていた。

 今作戦では第一艦隊はマーシャル諸島西の洋上で、戦況を聴きつつ待ち惚けを食らっていた。作戦の主眼は敵艦隊の撃退だが、そのアメリカは空母を主力とした機動部隊で襲来している。結果、砲撃戦主眼で構成された第一艦隊は、ただの囮としてしかならないと、後方で対潜戦闘に徹するだけであった。

 当然士気は低下したが、戦況が航空の潰し合いになっていくにつれて、戦艦の出番を予感していく。ふつふつと戦意が艦全体に広がって、空中艦隊が空母を撃破した時点で、盛り上がりは最高潮に達した。

 夕暮れに入りかけた頃、連合艦隊司令部からの命令が下される。内容は第一艦隊が期待するものであった。

「明朝までにリキエップ環礁西方に展開せよ。北上する敵艦隊を邀撃すべし」

 近藤は朗らかな笑みを浮かべ、周囲を見回した。柴田武雄航空参謀や牟田口格郎砲術参謀が見返す。

「リキエップ環礁に針路を取れ。艦隊速度二四ノット、補給部隊は後退させて第四艦隊に任せろ」

 第四艦隊の主力はビルマ方面でのイギリスによる攻勢を抑えている。しかし、一部は航空機輸送などで太平洋方面でも活動していた。マーシャル諸島に駐留していた第四艦隊所属の海防艦を護衛として、補給部隊はマーシャル諸島から後退していった。

 第一艦隊は〈長門〉〈陸奥〉〈扶桑〉〈山城〉〈天城〉〈生駒〉〈伊吹〉の順で進み、前衛として一水戦二水戦が突き進む。第二艦隊から移動した第八戦隊の〈利根〉〈筑摩〉が別働隊として、戦艦隊の右に並んだ。

 第三艦隊から分派された第七戦隊の〈最上〉型は一水戦の後方、戦艦隊の左手に並ぶ。木村昌福は敵前衛を一水戦と第七戦隊で撃破し、主力を二水戦が攻撃する作戦を提言。受理されたのがこの陣形の理由だ。

 第八戦隊の司令は有馬正文。ラエ基地放棄後、無任地であったが、航空巡洋艦である〈利根〉型を上手く使えるだろうと、司令として就任した。


 二水戦所属一六駆逐隊の駆逐艦〈雪風〉では、「車曳き」と呼ばれた駆逐艦らしい空気が漂っていた。どの駆逐艦でも艦長と乗員は親方と弟子のような距離感で、〈雪風〉においても飛田健二郎も気安い雰囲気で航海長と会話していた。

「アメさんは何処まで出てくるかな」

「ヤルート……もしかしたら、マジュロまで来るやもしれません」

 クェゼリンには既に第一航空艦隊はいない。上陸を防ぐために陸軍と海軍陸戦隊を指揮するのは、陸軍海上機動旅団の創設に関わった太田実だ。

 なお佐々木半九参謀長、亀井凱夫航空参謀はエニウェトクで第一航空艦隊の残存機を管理している。戸塚道太郎司令長官は指揮系統の混乱を防ぐため、一足先に本土へ戻っている。

「エニウェトクが無事なら上陸は出来ず、第一艦隊は邪魔。アメさんは来るだろうな」

「でもリキエップまで来ますかね?」

 飛田は首を捻る。

「下手すりゃ囲まれるからなぁ。ミリとヤルートの間ぐらいで網を張ってるんじゃねえか」

 この時点でアメリカ側の戦艦隊が、マーク・ミッチャーやレイモンド・スプルーアンスだったならば、そうだっただろう。この時点で戦闘態勢を整えている第一艦隊も、十分に気が早いといえる。

 しかしアメリカの新鋭戦艦を統べていたのは、突撃を始めたら止まらない暴れ牛であったのだった。

「〈最上〉の第七戦隊司令部発、電探に感あり!敵前衛の公算大!」

 ウィリアム・ハルゼーはクェゼリンとリキエップの間にいた。第一艦隊の右側面目掛けて突撃したのだった。


〈サウスダコタ〉の戦闘指揮所では五隻の戦艦、六隻の重巡、六隻の軽巡、八つの駆逐群を指揮する男の姿があった。ウィリアム・「ブル」・ハルゼーは空母群が壊滅したTF39を、戦艦を主力とした任務群へ変質させた。TF33とTF36の戦艦五隻を中核に据えて、弱体化したTF36の駆逐群や巡洋艦を吸収。TF36と補給部隊であるTF37を交代させて、クェゼリンや第三艦隊に対応させる事にした。

 TF37は軽空母ばかりだが数は多い。戦闘機の多くはスプルーアンス援護のために空に上がっていたので、彼等を合流させる事で防空戦力を回復した。

 日本海軍の戦艦隊を撃破した後に機動部隊と決戦。相打ち以上に持ち込み島嶼戦力だけになった所を、後方で待つ海兵隊が上陸する作戦だ。

 海兵隊には多数の工事車両が随伴している。マジュロ、ウォッゼ、マロエラップの内、最も軽傷な基地を復活させた上で、クェゼリンやエニウェトクを攻略するのだ。アメリカ海軍の主力は大打撃を被るが、日本にも同規模の損害を与える。それが最善策とハルゼーは考えた。

 先頭を行く〈インディアナ〉から伝達された敵情を見る限り、ジャップの左側面から殴り付ける形になったようだ。しかしながら彼等も油断はせず、ファイティングポーズを取っていた。陣形を砲戦に対応しているのは確かだ。

「〈インディアナ〉は射程に捉え次第砲撃開始!」


 ウィリス・リーは〈ノースカロライナ〉に坐乗する戦艦運用のプロで、本来の戦艦隊を運用するはずであった。しかしハルゼーが乗り込んできたため、〈ノースカロライナ〉〈ワシントン〉を直率する群司令となっている。

 彼が乗る〈ノースカロライナ〉は後ろから二番目であり、砲撃開始まで時間がある。戦闘指揮所からは分からないが、艦橋では闇夜に噴き上がる砲火や、発砲の振動と轟音が身体を震わせただろう。

「敵前衛突撃開始」

「〈アストリア〉以下六隻、巡洋艦に砲撃開始」

「〈サウスダコタ〉、砲撃開始」

 次は〈ノースカロライナ〉の番だ。電探に映る影に対して、一六インチ砲を指向した。

砲撃開始(オープンファイアリング)

 リーの傍らに立つ艦長の声に応じた〈ノースカロライナ〉は、敵四番艦に槍を突き出した。


「〈神通〉に続け、突撃しろ!」

 飛田の怒鳴り声は艦橋に響くが、鼓膜とは関係なく水兵達は身体に教え込まれた操作を行っている。水柱が多くそそり立つ海面に〈雪風〉は突っ込んだ。

〈神通〉の田中頼三司令は、乗艦を盾にして駆逐艦を突撃させた。〈神通〉には敵艦の射弾が常に送り込まれ、包み込むように水柱が立ち昇っている。

「〈天津風〉に敵弾集中!」

 甲板を飛沫で白く染めた僚艦は、川の笹舟の如く動揺している。〈神通〉が懸命に発砲するが、彼女を狙う軽巡との撃ち合いに忙しい。重巡も二対六と劣勢であり、支援を求めるのは酷過ぎる。〈天津風〉を守るのは〈雪風〉の責務だと、飛田は判断を下した。

「〈天津風〉を狙ってるやつは分かるか?」

「三隻います!」

「右のやつから行くぞ!撃ち方始め!」

 戦艦に比べれば軽く、しかし鋭い破裂音を響かせて、一二.七センチ砲が吼える。アメリカの駆逐艦に比べて長射程である上、砲の周りに集う兵は他艦に比べ技量に優れている。

〈雪風〉はこれまでに複数の航空機を撃墜してきたが、その戦歴に一隻加わった。〈天津風〉が囮になっているおかげで、〈雪風〉を狙う艦はいなかった。至近弾による動揺も少なかった。

 命中したのは煙突らしく、ぼんやりと闇に紛れた影は突起を減らしていた。後部主砲は排煙により射撃どころではないだろう。

「〈神通〉被弾!」

 はっとなり飛田が旗艦に目を向けると、艦橋横の主砲が吹き飛ぶところであった。〈川内〉型特有の四本煙突も三本目が倒壊している。

「八駆、転舵!」

〈夕雲〉を先頭とした第八駆逐隊の四隻が〈神通〉を追い越し、斜行陣で突撃していく。〈神通〉に射弾が集中したため、八駆を狙う艦がいなかった。突撃を開始した八駆に対して、敵艦は慌てて目標を変更する。〈神通〉に対する圧力は軽くなり、一五センチ砲が息を吹き返した。

〈初風〉が負けじと突撃を命じた。〈雪風〉も缶を目一杯炊き増速する。

 増速する事で距離を詰めると、当然ながら命中率は増大する。最初に被弾したのは、最右翼で突撃を開始した一八駆であった。

「一八駆被弾、炎上中!ああっ、もう一隻!」

 一八駆の損害を報じられるが、戦意を損なう事はなかった。むしろ敵討ちだとばかりに、限界までボイラーを酷使した。

〈神通〉を追い越したあたりで、不意に光が差し込んだ。気がつくと窓ガラスの破片が散らばり、見張員が床に転がっていた。

 窓の向こうには炎を背負い、艦橋も煙突も砲塔も、艦上の何もかもを失った駆逐艦の残骸が浮いていた。

「〈早潮〉か」

 魚雷が誘爆したのだろう。戦艦すら沈め、巡洋艦ならば一撃で撃破する酸素魚雷だ。それらの一〇分の一程度の排水量である駆逐艦にとって、致命傷どころでない威力だとばかりに、〈早潮〉は骸を焦がしていた。

 見張兵を助け起こした後、〈初風〉からの指令が届いた。

「雷撃距離七〇!」

 七〇〇〇メートルは決して近くはないが、酸素魚雷では指呼の距離だ。

 先を行く〈夕雲〉以下の八駆が一斉回頭した。雷撃を報せる機動に対して、アメリカ駆逐艦は回避機動を取るはず。陣形は乱れるが、あれでは命中率はかなり低いだろう。

〈初風〉を先頭に斜行する一六駆は、アメリカ駆逐群が取り舵に旋回したのを確認する前に、その左手を抜けるように突進した。駆逐群の頭を抑える形に持ち込む。

 飛田は砲戦の音が変わったのを感じた。先ほどとは違う、より大きな音だ。もしやと思った時、艦橋に向けて見張員が叫んだ。

「戦艦隊、撃ち始めました!」


〈長門〉の射弾は戦艦ではなく、巡洋艦を押し包んだ。反対に〈長門〉を一六インチの砲弾が押し寄せる。

 倍以上の数を頼みに〈利根〉〈筑摩〉を虐めていたアメリカ艦は、全身を海水に浴した後に一目散に後退した。〈筑摩〉の消火活動に若干の余裕が生まれただろうと、旗艦司令塔に立つ艦長渋谷清見は気を軽くする。

 しかしながら、今のは前哨戦の障りでしかなく、これからアメリカの新鋭戦艦五隻との合戦が待っている。

 互いに電探による捕捉は可能だが、それを利用した電探射撃は日米共に実用化していないはずだ。

 重巡を追い払った〈長門〉は目標を、先頭を行く戦艦に変更する。視界の制限される司令塔から、水平線近くに火炎が吹き上がった。

〈長門〉が装填に手間取っている間に、敵弾が彼女の周りに落下した。着弾はまだ遠く離れており、艦を揺らす勢いすらない。

「敵一番艦に集中しろ。〈長門〉なら耐える」

 近藤の策は同型艦毎に目標を絞り、確実な撃破を狙ったものだった。〈長門〉〈陸奥〉は敵一番艦を、〈扶桑〉〈山城〉は敵二番艦を、〈天城〉〈生駒〉〈伊吹〉が敵三番艦をといった具合だ。〈長門〉〈陸奥〉を除き一四インチ砲搭載艦である此方に対し、アメリカは五隻全てが一六インチ砲搭載艦である。この攻撃力の差を砲弾の投射量で補うの作戦であった。

 現状ではどちらも夜間かつ遠距離のため、命中弾は出ていない。命中弾を得る前に、水雷戦隊が前衛を突破するかもしれない。

 そんな甘い予感は、渋谷の耳に飛び込んだ炸裂音が引き裂いた。

「本艦の左右に水柱、夾叉されました!」

「なんたる……」

 奥歯を砕かんと嚙み締める渋谷。近藤も驚きを隠せない様子で、参謀長と顔を見合わせた。

「夜間でこの距離、偶然か」

「彼我の位置は丁字、我が方は目標が小さいため命中弾が出難いのやも知れません」

 自らに言い聞かせるような福留の推測は、新たな伝令により覆された。

「〈陸奥〉夾叉されました!」

 司令部に動揺が走る。その中でも特に顔を白くさせているのは、情報参謀である高田利種であった。彼が意を決して声を上げる。

「誠に遺憾ながら、事前情報に誤りがあったと言わざるを得ません。アメリカは電探射撃を限定的ながら、実戦に投入しています!」

 電探射撃。夜戦での視界の悪さを、ほぼ無効化してしまうだろう技術だ。

 アメリカがニューギニアやビスマルク諸島での小競り合いでは用いず、満を辞して投入してきたのだろうか。高田の脳はそれを否定した。

「しかしながら、電探射撃は戦艦級のみ可能なようです!」

「水雷戦隊が前衛を抜けるまで、それまて耐えれば」

 福留の呟きに近藤は眉間に皺を寄せ、悔しげに唸り言った。

「水雷戦隊に頼らずとも勝つつもりであったが」

 拳を握り、遣る瀬無い怒りのぶつける先を探す。

「大砲屋としての意地であったが」

「長官!」

 福留が目尻に涙を湛えて叫ぶ。近藤も福留も所謂大砲屋、戦艦同士の砲撃戦を至高として研鑽してきた者であった。彼等の夢であった艦隊決戦で、彼等が鍛えた戦艦が正面からでは勝ち得ない事は、相当な精神的苦痛であった。

 そこに飛び込んだのは、味方の凶報であった。

「〈利根〉大破、第八戦隊司令部連絡途絶!」

「〈神通〉損害多数、指揮権を〈初風〉に移譲」


 有馬正文は〈利根〉が寸刻みにされるのを、艦橋の残骸から見ていた。

 五隻もの重巡から砲撃を受けた八戦隊は、〈利根〉型の優れた設計が無ければ、既に波間に消えていたかもしれない。偵察巡洋艦としての色合いが濃い〈利根〉であったが、四基の主砲塔を忙しく振り回しつつ、距離や針路を目まぐるしく変える事で、凶刃から身を守っていた。

 当然、命中弾は期待出来ないが、元より二対五の劣勢だ。正面からの撃ち合いでは半刻と保たない。有馬は敵艦の耳目を己が乗艦に集めつつ、水雷戦隊の邪魔をさせないよう機動した。

〈筑摩〉と共に五隻の重巡相手に避け続けた〈利根〉の、二隻の操艦は素晴らしいものであった。しかし曲芸紛いの機動は、少しの過ちが致命的になる。

 敵艦の一隻が苛立ち、遮二無二突撃してきた。有馬は我が意を得たりと射弾を集中させ、敵艦を炎上させ脱落に陥らせた。しかし回避が疎かになるや否や、倍の数で圧し潰され、〈筑摩〉の後甲板被弾を皮切りに、あっという間に押されてしまう。〈筑摩〉の格納庫を破壊した敵弾は、航空機用燃料を燃え上がらせた。闇夜の提灯と化した〈筑摩〉に命中弾多数、〈利根〉が盾となり後退していった。その〈利根〉が〈筑摩〉の盾として大きく舵を切った直後、艦橋に被弾したのだった。

 苦しい戦いに有馬が歯噛みして、新たな命令を下そうとした瞬間、世界が揺らいだ。一瞬で暗くなった世界に、何事かともがいた有馬であったが、身体は一切の動きを拒否していた。

 やがて眼がぼんやりと見えてくると、肉片や物言わぬ骸ばかりの司令塔が浮かんでいた。〈利根〉の司令塔に詰めていた第八戦隊司令部は壊滅。〈利根〉は指揮を喪失したら、あっという間に沈むだろう。

 視界の縁に応急班員の姿がちらついた。彼の声は聞こえないが、大きく口を開くために有馬の名前を呼んでいるのが分かった。

 不意に〈利根〉が転舵する。被弾や被雷による回頭ではなく、彼女の意思による回頭だ。

 良かった。操舵は無事か。

 そして有馬の意識は途絶えた。


〈初風〉からの命令は距離七〇〇〇での雷撃であったが、飛田はその位置に着くまでに何隻残るか不安であった。しかしその不安は杞憂に終わる。敵重巡が第八戦隊に翻弄され、〈神通〉が敵弾に耐え忍んでいる間に、一六駆は絶好の射点に着いていた。

「魚雷撃ち方始め」から「魚雷撃ち方終わり」までがひどく長く感じた。

 しばらく直進を続け、魚雷投射に気がつかれないようにする。次発装填を行うには、一旦後退しなければならないが、その時間があるかどうか。

 やがて〈初風〉が指揮を執る事、一水戦と第七戦隊が突入した事を報じられる。〈雪風〉は影しか見えぬ敵駆逐艦と撃ち合い、煙突や曳航索などを吹き飛ばされていた。

「じかーん!」

 突然の声に我に返って、飛田は双眼鏡を覗き込む。赤黒い水面と白波の向こう、ぼんやりとした艦影が見える。

 やんぬるかな。魚雷は外れたか。

 飛田が諦めかけた直後、大きな柱がそそり立った。掻き消された敵駆逐艦は二隻。決して多くはないが、敵戦列に動揺が走るのを飛田の勘が感じ取った。

 突撃は未だか未だかと〈初風〉に熱い視線を送るが、音沙汰なく一分が経つ。どういう事かと意見具申しかけたその時、再び白い塔の如き瀑布と真っ赤な誘爆の炎が立ち昇った。

 別の駆逐隊が仕掛けた雷撃だ。これを待っていたのか。飛田が感心していると〈初風〉からの待ちに待った命令が下された。

 車曳きと揶揄される駆逐艦は、水雷屋の中でも特に水軍や海賊の気質に近い。小さな艦故に一連托生であるのも、彼等の心構えに作用しているのだろう。

「野郎ども、行くぞ!」

 何処からともなく上がった鬨の声は、艦全体を包み込んでいく。


 その背後では第七戦隊が敵陣に切り込みをかけていた。

 第七戦隊は〈最上〉型軽巡四隻で形成されている。第三艦隊から分派されたため、連携に若干の遅れが生じていた。

 木村昌福が第七戦隊を主戦場に送り込んだ時には、〈筑摩〉が後退し〈利根〉が猛打を受けていた。木村は一も二もなく、咄嗟射撃を命じた。

〈最上〉型は重巡の艦体に軽巡の一五.二センチ砲を、三連装砲塔として載せたものだ。一撃の破壊力は劣るが、装填速度では圧倒する。砲塔内の即応弾ならば、毎分一五発を誇っていた。ただし即応弾は二〇発で、それを撃ち切ると揚弾機の性能から毎分一〇発まで低下する。

〈最上〉は最寄の敵艦目掛け、測距で割り出した位置にのみ基づいた全力射撃を行なった。弾着を確認しない射撃は命中など望めない。しかし此方の火力に、敵艦が優先順位を繰り上げてくれるかもしれない。〈利根〉を救うがため、木村は十五.二センチ砲弾をばら撒いたのだった。

〈最上〉以下四隻の全力射撃はマーシャルの海を照らし出した。退避していた〈筑摩〉では、第七戦隊のいずれかの弾薬庫が誘爆したのかと思ったほどの光量であった。

〈最上〉の射弾は海面に飛沫を上げただけであったが、〈三隈〉が敵艦を突き刺した。被害を確認する暇もなく殺到した砲弾が、決して十分とは言えない巡洋艦の装甲を貫く。

〈鈴谷〉〈熊野〉は炎上する敵艦を頼りに、その横を抜けようとしたもう一隻を狙う。

〈最上〉艦上で闇夜に目を凝らす木村は、〈鈴谷〉〈熊野〉いずれかの砲弾が、敵艦の上で弾けるのを捉えた。一度命中すれば後は相手が参るまで撃ち続けるだけだが、〈最上〉の周囲に射弾が集中するに至り木村は意識を切り替えた。〈最上〉の指揮を蔑ろにしている暇は無い。

「各個応戦、距離一〇〇〇〇で雷撃!」

 木村が怒鳴り、〈最上〉が速力を増す。三〇ノットで駆逐艦の如く吶喊する姿は、視界の効かない夜間では考えられないほど危険だ。しかし、夜戦に向けた訓練に注力していた木村は、今の第七戦隊ならば可能だと判断した。

 アメリカも夜間、三〇ノットの最大戦速で突撃してくる相手など想定外だろう。八インチと六インチの撃ち合いは、〈最上〉以下四隻の後者が優勢となっていた。満身創痍な〈利根〉と回避に徹していた〈筑摩〉も加わり、数の優位をひっくり返した結果は、撃沈二撃破二乃至三。魚雷を温存したままの戦果であった。

「〈利根〉はもう駄目かもしれませんね……」

 相徳一郎〈最上〉艦長が悲しげに呟いた。

〈利根〉は中央部の艦橋を砕かれた姿で、後部の火災に浮かび上がらせていた。集中して配された前甲板の主砲は、勇ましく砲身に仰角を掛けていたが、飛行甲板である後部は赤々とした火炎を吹き上げており、巨大な松明を背負ったように艦を明るく照らしていた。

 総員退艦は報じられていないが、艦内指揮系統が混乱しているだけかもしれない。短艇の破片や甲板の木材を海に投げ入れ、それ目掛けて飛び込む姿が散見出来た。

「消火を手伝いたいのは山々だが、未だ敵は沢山残っとる」

「は……」

「それに本艦は魚雷を残しとる。〈長門〉に助太刀するぞ」

 木村は見事なカイゼル髭をひと撫ですると、遠雷を轟かせる水平線を睨みつけた。その闇にはアメリカ新型戦艦がいる。

「正面八〇〇〇、所属不明の艦が突撃してきます!」

 不意の報告に木村は眉間に深く皺を刻ませた。同士討ちは避けたいが、敵であれば先手を取られかねない。

「敵艦は巡洋艦程度、数は四!」

「敵だ、撃ち方始め!」

 この場で巡洋艦が四隻というのは、味方ではこの第七戦隊のみ。駆逐艦と誤認していれば大惨事だが、夜間視力に優れる見張員が距離八〇〇〇で見誤る事はないはずだ。

〈最上〉の砲火に併せて目標が発砲する。その明るさは駆逐艦ではなく、巡洋艦の影を浮かび上がらせた。


〈雪風〉が魚雷再装填を終えると、一六駆逐隊は再び混乱の最中に飛び込んだ。

 二水戦の突入がひと段落したところで、〈木曾〉を旗艦とした一水戦が吶喊。勢いに任せて敵水雷戦力を抑え込んでいた。惜しみなく魚雷をばら撒いた一水戦により、暗がりにはアメリカ艦隊の篝火が続出し、半数がそのまま沈みつつあった。

 一水戦が戦闘力をかろうじて保持している間に、二水戦は魚雷を再装填する。しかし二水戦旗艦は大破と判断されてもおかしくない損害を被っている。一水戦の矢野志加三司令は「沈没の恐れはないが〈神通〉は戦えない」と言って、一水戦と二水戦の両方を指揮する提案をした。一水戦が開啓した戦艦への道を、二水戦が突き刺すのが彼の考えのようだ。

「そのような手柄の横取りは出来ぬ」

 田中は悔しげな顔を浮かべる。

 志加三は笑った。田中は合理的判断を下すが、一部の猪突猛進する水雷畑には不評だ。その彼が手柄などで渋るとは。

「手柄を横取りするのはこっちの方ですよ。田中先輩は〈神通〉を守ってください」

 短距離無線電話を切る。志加三は煤けた制帽を被り直し、〈木曾〉艦内電話で怒鳴った。

「第五戦速、三〇ノットで突っ込むぞ!」

「宜候」と艦橋から声が響く。志加三は徐々に速度を上げる〈木曾〉のラッタルを駆け上がった。


〈長門〉は満身創痍に近い惨状を呈していた。第三第四主砲塔は直上から踏まれたように潰され、砲身があらぬ方向に突き出していた。後部艦橋はその主砲塔跡に倒れ伏している。

 後ろ半分を瓦礫の山に変えられてからも、〈長門〉はひたすらに残る二基の主砲を唸らせている。覆い被さる黒煙を吹き飛ばしつつ、敵最新鋭戦艦と撃ち合っているのだ。

〈天城〉が主砲全損で後退、〈扶桑〉は特徴的な艦橋を叩き折られ満身創痍となり総員退艦が命じられた。〈陸奥〉は幸運にも被弾箇所が舷側装甲に集中し、彼女の装甲帯はどうにか受け止める事に成功していた。

〈生駒〉〈伊吹〉の攻撃は三番艦を大破炎上させ、目標を四番艦へと変更している。格下の口径では撃沈は難しいものの、後退させる事には成功したのだ。

「缶室に若干の浸水!」

〈長門〉の装甲は接合部から分解しようとしている。千切れたリベットが乗員を殺傷し、吹き上がる炎が木や電線を炭化する。応急班の奮戦により戦闘継続が可能になってはいるが、既に班の半数は死傷していた。副砲員や対空砲員を応急班に加えて、急場を凌いでいる始末だ。

 柴田の詰める司令塔でも、先程から砲煙とは異なる焦げ臭さが漂う。

 敵弾を受ける衝撃も射弾を送り出す振動も繰り返す。副砲群が一掃された着弾の直後、追加の衝撃が〈長門〉を後ろから蹴り飛ばした。

 何事かと誰かが声を上げる前に、見張員の悲痛極まる叫びが響いた。

「〈山城〉轟沈!」

 練習艦になる運命を大規模改装により免れた〈山城〉には、より厳しい運命が訪れていた。先ほどの揺らぎは〈山城〉の断末魔であり、最期の咆哮であった。

〈扶桑〉からの総員退艦の報せから五分と経っていない。此方は三隻を戦線から失ったが、アメリカの艨艟は一隻が後退したのみだ。ここまで艦の能力に差があるのか。ワシントン軍縮条約の前後では、練度では補い切れぬ差が生じているのか。

 日進月歩の航空を進む柴田でさえ、ここまで圧倒されるとは考えていなかった。

「だんちゃーく!」

 掠れ声が響き、全員が息を呑む。次こそ巨砲が敵を沈黙させる事を願った。

「命中!」

 堅牢な城塞を誇る米戦艦から、新たなる黒煙が上がった。徐々にその煙は色彩を濃く変化していく。

「電探より、敵一番艦後退らしい!」

 海軍言葉が飛び、〈長門〉の司令塔にどよめきが広がった。

 敵一番艦、明らかなる新鋭艦であった目標は、〈長門〉〈陸奥〉の砲撃に耐え切れずに遁走しにかかったのだ。

「よし!」

 航空畑の柴田でさえ拳を握り、この戦果に喜びの声を上げたのだ。砲術畑の司令長官達など、歓喜を爆発させてもおかしくない。しかし彼等の声が上がる寸前、〈長門〉の船体が絶叫した。

 よろめき倒れる面々。福留は手摺を掴み損ねてひっくり返っていた。呻き声と共に顔を上げた近藤は、額に赤い打撲傷を浮かべた顔で司令塔内を見渡す。

「怪我をした者はおるか!」

 分厚い司令塔の装甲でたんこぶをこさえた者が数名、後はひっくり返った福留が頬を擦りむいた程度であった。だが〈長門〉の受けた損傷はそんなものではないはずだ。柴田の悪い予感は的中した。

「第四主砲塔に命中、砲塔内で誘爆!」

「後部弾薬庫に注水しろ!」

 艦長の命令から間もなく、弾薬庫は注水された。更に誘爆する事はない。しかしながら、既に多量の海水を蓄えた〈長門〉は喫水を大きく下げてしまった。渋谷は近藤の顔を見つめる。近藤は了解したと大きく頷いた。

「速力に影響が出ております」

 福留の報告は悲しみを湛えている。〈伊勢〉型〈扶桑〉型の高速化、〈長門〉型の火力増強など、戦艦群の価値を押し留めようとしていた男は、その情熱を吹き消されたかのように生気が無い。

「参謀長。まだ終わらんぞ!」

 明るい声で励ます近藤は福留と対照的に、若返ったように細かな指揮を執っていた。柴田は海戦前に樋端が訪れた時にも思ったが、憑き物が落ちたかのようだと感じた。

 航空畑の柴田には信仰の目覚めを連想したが、同じ砲術の渋谷には理解出来た。

 近藤の肩には日本海海戦以来の「戦艦による艦隊決戦で勝利する」という重圧がのし掛かっていた。その重みが彼の指揮に影響していたのだ。しかし敗北を前にして、近藤は邪念を打ち払うことに成功した。この戦場で最も冷静なのは彼かもしれない。

 近藤には戦艦同士の撃ち合いと、砲戦による撃沈に抗い難い魅力がある事を理解していた。このまま出来る限り砲戦を引き延ばす。アメリカ側の司令官が誰であろうと、撃沈の欲求に魅せられるに違いない。そうして砲撃戦を続け〈長門〉以下が全滅しようとも、水雷戦隊が必ずや締め括るはずだ。戦艦はお膳立て。近藤は大艦巨砲主義を捨てた。

「距離を離すぞ」

 同航戦のまま徐々に近付いていた航跡を、並行へ。ゆっくりと離れるように転舵していった。

 米戦艦は勝利を確信し、後顧の憂いを断つべく接近する。電探射撃は避退する艦を追い詰め、〈長門〉に九発目の命中弾が襲う。

 右舷に落下したそれは、内側に傾斜した装甲を砕いた。三〇五ミリの装甲を侵食し炸裂した爆風は、甲板を突き破り破孔を作る。

 応急班の多くが死傷し、残る人員も手一杯だ。しかしながら、艦を知り尽くした応急長が抽出した人員は、浸水を止め火災を弱めていった。

 奇跡的に生き残った測距儀が指向し、二基の主砲塔が水平線に紛れる艦影目掛けて放つ。砲身命など気にせず放たれた砲弾は、大きな放物線を描き目標へ進む。

〈長門〉の着弾に先んじて、二番艦からの砲弾が殺到した。広い散布界に捉えられている〈長門〉は、遂に二桁台の命中弾を喰らった。

「機関室に被弾、出し得る速度は五ノット程度!」

「第一第二主砲塔電路断絶!主砲射撃不能!」

 全滅した火力と商船並みの艦速。

「ここまで、か」

 司令部が悲嘆に暮れる中、頂点である司令長官は冷静であった。むしろ安心したように穏やかな表情を浮かべている。

「総員退艦を命じる。指揮は〈陸奥〉に任せ、砲戦を引き延ばさせろ」

〈長門〉の最後の砲撃が着弾した。砲弾は海水を高く舞い上げて、アメリカ艦の甲板を濡らした。


 矢野が〈木曾〉から見たのは、沈みゆく連合艦隊の象徴と、蹂躙されつつある〈陸奥〉であった。

 高速戦艦が離脱する中、〈陸奥〉は殿として敵艦の集中砲火を浴び続けていた。艦長の小林謙五は周りを覆う水柱に怯むことなく、敢えて速力を下げながら回避を繰り返す。

 艦首への被弾が集中するが浸水も許容範囲。菊の御紋がチーク材の破片と共に海中に没したが、戦艦としての機能は損なっていなかった。

 一水戦と七戦が別方向から突入開始した時も、アメリカ戦艦群は砲撃を続ける〈陸奥〉に気を取られていた。両戦隊が一万メートル以上で遁走したのも、〈陸奥〉への執着を強めさせた。

〈マサチューセッツ〉の左舷が食い破られたのは、〈陸奥〉が行き足を止めた直後であった。連続して水柱がそそり立ち、〈マサチューセッツ〉は苦悶に身を悶えさせた。

〈インディアナ〉脱落に続いて〈マサチューセッツ〉も戦闘に堪えないのは確実になり、ハルゼーは苦悩する。このまま作戦を継続し、ジャップの航空基地を耕すべきか。

 だが結論が出す前に〈サウスダコタ〉のCICは衝撃に包まれた。

 衝撃が収まると同時に伝令が二発の被雷を報じる。〈サウスダコタ〉両舷に一発ずつ命中した酸素魚雷は、艦尾の主舵を吹き飛ばし、バルジを抉り取った。

 大量の浸水と操舵不能により、〈サウスダコタ〉の戦線離脱は不可避となる。

 ハルゼーは声を絞り出した。



「アメリカ艦隊は退却」

 エニウェトクで八原博道が呟いた。

 エニウェトクの滑走路は細い帯のようになり、擂鉢状の穴を綱渡りする紫電改や雷電が危なっかしい。

 砂浜には天幕が申し訳程度に張られており、その狭い影には濡れ鼠となった日米の兵が並んでいる。岸壁では駆逐艦や海防艦が着岸する度に、黒山の人だかりがタラップから吐き出された。

 戦艦二隻の撃破で幕を閉じたと思われた昨晩の海戦は、〈ノースカロライナ〉と〈ワシントン〉による夜間砲撃によってフィナーレが飾られた。

 第一艦隊が敗退し、第三艦隊が夜戦に戦えない日本軍は、エニウェトク環礁を蹂躙されるがままであった。

 パニックを起こしエンゲビ要塞に退避しようとした牟田口廉也中将は、不運な一撃により短艇ごと環礁内に沈んでいる。エニウェトク航空基地に残った八原と他数名がエニウェトク兵団の司令部になってしまった。

 今はエニウェトク航空戦隊司令の寺本熊市が指揮を執っている。滑走路脇には丸太小屋のような司令部があり、中から寺本の声が漏れ出していた。

「八原大佐、入ります」

 振り向いた寺本の顔は疲れ切っていたが、戦闘前の鬼気迫る気配はなかった。

「八原大佐。滑走路は直りそうかね」

「エニウェトクに限定すれば三日で復旧出来ます」

〈長門〉〈扶桑〉〈山城〉を失い〈陸奥〉〈天城〉が大破した第一艦隊は、旗艦を〈最上〉へと移している。〈伊吹〉〈生駒〉が、湾内の工作艦〈明石〉に応急修理を受けており、本土に戻るのは少し遅れるらしい。

〈赤城〉〈飛龍〉と多数の艦載機を喪失した第三艦隊は依然としてマーシャルを守っている。〈龍驤〉〈大鳳〉は損傷したため、艦載機をほぼ失った〈加賀〉と共に本土へ帰還。〈蒼龍〉〈瑞鶴〉〈翔鶴〉の三隻と、第四艦隊の軽空母が残ったのだった。

 その他に〈利根〉が自沈処分となり、空中戦艦〈常盤〉も撃墜され帝国初の空中艦喪失となった。〈吾妻〉は傷付いた巨体を引き摺りながら、空中艦の修理が可能なマリアナまで戻る。

 あの巨大な艦が撃墜されるのは想像し難い。しかし〈長門〉でさえ、連合艦隊の象徴ですら撃沈されるとは思わなかった。八原は無邪気に不沈艦など信じていた自分が、なんとも可笑しく感じた。

「海軍が帰ったら、ここはまさしく陸の孤島だ。上はどうするだろうか」

 独白する寺本に答えられる者は居なかった。

政治的駆け引きやバックヤードでのやり取りを織り交ぜるか、出来るだけ戦闘だけに絞ったほうがいいのか。みなさんはどちらですか?

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