航空艦隊戦
順番間違えてました
「まさかここまで早く、マーシャルが」
第三艦隊参謀長の大林末雄は狼狽えたように、電信の内容を信じがたいと言いたそうな表情をした。
「受身に徹するとしたのは、誤りだったのか」
司令長官の塚原二四三も動揺している。戦闘機掃討により補充の利かない艦載機が、米艦隊との衝突前に損耗するのを防ぐ。その作戦案を出したのは大林だが、採用を決定したのは塚原だ。味方を見殺しにしてしまったかのように、マーシャル壊滅が二人の精神に重くのしかかっている。
航空参謀として源田実は、マーシャル空襲に対して積極的な攻勢を推していた。戦闘機が総出でマーシャルを襲っているならば、艦隊上空はある程度手薄になる筈だ。当初は司令部も攻勢に意欲的であった。
しかし二日目、艦隊上空に米軍機が現れた事で全てがひっくり返った。直衛機が撃墜した時には送信を確認しており、司令部は防空戦闘へと推移したのだった。にも関わらず、第三艦隊を襲う敵機は現れず、貴重な一日を無駄にしてしまった。攻撃を決意した昨日米艦隊は見つけられず、マーシャル諸島の基地航空は壊滅した。
しかし源田は負けたとは考えていない。
「まだです」
大きな声が〈大鳳〉艦橋に響いた。主席参謀の城英一郎の目には戦意が漲っている。
「第三艦隊は無傷。マーシャルに戦闘機を降ろした〈龍驤〉以外の艦載機は健在。防御に徹した為です」
源田も続く。
「米艦隊はマーシャルを攻略すべく、上陸部隊を送り出しました。しかし、我々がいる限り上陸は行えません」
「……儂とした事が、少し弱気だったな」
塚原がにこりと笑うと、覇気の薄れつつあった司令部は戦意を取り戻していく。
情報参謀の内藤雄が電信室から戻ってきた。
「米艦隊は戦闘機掃討によりマーシャルの一航艦(第一航空艦隊)を無力化。損耗分は軽空母により充填していると、第五艦隊からの電信を受けました」
先程までの塚原とは打って変わって、今の状況を彼の頭脳は好機と捉えた。
「米艦隊の軽空母は何隻だったか」
「出航を確認出来たのは八隻。GFでは一〇隻ほどと推測しています」
内藤が答える。
アメリカの軽空母は二〇から二五機を搭載している。一〇隻ならば多くて二五〇機だ。
「そろそろ奴等も息切れする」
塚原の言葉は積極策を示していた。
「米艦隊は戦闘機だけで五〇〇機を超え、此方も総力を攻撃に回す必要がある。エニウェトクに連絡、直衛を頼め」
その後三〇分は緊張感が艦を占領していた。一九八機程の紫電改全てが攻撃に参加するため、直掩としてマーシャルの海軍戦闘機が上空を守っている。
零戦二〇機とかなり不安の残る数だが、残りは敵偵察機を確認し次第エニウェトクから来援する。紫電改の滞空時間を少しでも伸ばすためだ。
例外として三〇機余りの紫電改が、格納庫を空にした〈龍驤〉と合流していた。
「〈龍驤〉隊、着艦します」
艦長の杉本丑衛は首を傾げた。損耗激しいと伝えられていたマーシャルから戻ってきた機体は、数を一切減らしていない。よく見れば尾翼の数字、マーシャル所属を表した機体ばかりだ。しかし機体は補充出来ても、操縦士は戦死傷する。
「……マーシャルの腕利きが来てくれたのだな」
機体のみならず、貴重な操縦士まで融通してくれたのか。航空の専門家として名の通った杉本の、鷹のような目が潤む。
陸上基地所属とはいえ、技量に優れた操縦士達ばかりだ。制動索を掴み損ねて、飛行甲板を滑り落ちる機体は無い。
杉本は報告を聞き驚いた。帰還した搭乗員は八名。残りは全てマーシャルからの客人だったのだ。
「第一航空艦隊、マジュロ航空隊より参りました」
まだ少年の雰囲気を纏った男が報告に来た時、杉本の驚きは繰り返された。林喜重は大尉としてはとても若く、〈龍驤〉飛行隊長の中島正ですら若く感じた杉本には、この青年がどれほどの修羅場を潜り抜けてきたのか想像するしかなかった。
「よく来てくれた。早速だが大尉、君を臨時の飛行隊長に任ずる」
〈龍驤〉飛行長の横山保が林に伝える。杉本は口を閉ざしていた。眉間に皺が寄るのを感じた。
「了解しました」
流石に緊張した面持ちの林。杉本は後輩に更なる重荷を負わせなければならない。その重荷は杉本自身が伝えねばならないだろう。
「〈龍驤〉隊は攻撃隊直衛任務と聞かされていたかもしれないが、今回ばかりは異なる。全機は艦隊の直掩だ」
一旦言葉を切る。杉本は林が理解するまで待った。
「つまり、艦隊上空は我々に任せると、そういう事でしょうか」
「そうだ。〈龍驤〉以外の全機を第一次攻撃隊に投入する」
「少佐が出ずとも良かったのでは?」
二式艦偵の細い機首が、千早猛彦の笑いに反応して軽く揺れる。彗星一一型によく似た機体は、後席に大谷常雄特務少尉を乗せて、マーシャル諸島の空を飛んでいた。
量産型で空冷の金星発動機を積んだ彗星二二型とは違い、アツタ発動機を積んだ二式艦偵は空力的に有利だ。速度も時速四七九キロと五四六キロで上回る。
「もしかしたらこれが前線での最後の飛行かもしれないじゃないか。許してくれよ」
千早は何度目かの答えを放ち、後席の大谷が渋々受け入れるのを待った。
千早は大谷の相棒が不慮の事故で負傷した際に、予備の操縦士として乗り込んだ。艦隊では総攻撃のために予備搭乗員は不足しており、〈大鳳〉飛行長の南郷茂章を説き伏せた第六航空戦隊司令部付であった千早は、数少ない偵察畑で顔馴染みである大谷の前に現れたのであった。
司令部付として多くの航空畑が各艦各基地に配属されているのは、航空に詳しい司令部要員を養成するためだ。飛行長や司令部付士官を経た彼等は、新設の航空戦隊司令部や航空戦隊で活躍するだろう。
だがこのように「飛びたがり」の士官も多く、〈蒼龍〉飛行長の江草隆繋も「総攻撃の空中管制を執らん」と彗星に飛び乗りかけたらしい。同期である村田重治が攻撃隊の現場指揮を執る事が、彼の自尊心を刺激したのだ。結局、空中管制を行う村田自身の宥めによって「空母か戦艦、五隻以上」という約束で落ち着いたという。
現在の陸海軍航空では二機分隊長、四機小隊長、一二機中隊長、三六機大隊飛行隊長。自らが操縦桿を握りつつ行えるのは、ここまでだ。空母では数が増減するが、似たようなものである。
ちなみに戦隊司令官になれば複数の大隊を指揮下に置き、整備や陸上部隊まで指揮する必要が生まれる。
「ですが少佐。ここで千早少佐に何かあっては、将来の優秀な指揮官を失う事になるんです。その勘定が回ってくるのは、自分の後輩なんですよ」
「わかっている。これが最後だよ」
やがて大谷が旋回地点まで間もない事を伝える。ここから直角に曲がり、放物線に似た軌道を描きつつ索敵する。それが終われば母艦へと帰らねばならない。
戦死する割合が断然多い偵察機だが、この時ばかりは帰還を単純に喜ぶ気分ではなかった。
「少佐、五時の方位で何か光りました」
大谷が鋭い声を上げる。五時方向へ旋回したが、雲量が多く視界が悪い。
「雲の底すれすれを行くぞ」
高度を下げて雲の中に飛び込む。勢いよく飛び出さないように注意しつつ、千早は雲から顔を覗かせた。
「右下方、敵機!」
点にしか見えないが、明らかに航空機だ。かもめはあそこまで速く飛ばないし、硝子の汚れでない事は二人共確認できるので否定できる。
「単機か」
「あちらも偵察ならヘルダイバーですね」
「逆探は?」
「感無し」
まだ敵艦隊は遠いのだろうか。ひとまず電信を打つ。
突然芥子粒の敵機が位置を変える。旋回したのだ。
「このまま接触を継続する」
「艦隊はどうするんですか?」
「司令部は此処を重点的に索敵するだろう。あれが偵察の基点になる」
あのヘルダイバーが偵察のどの段階だったのかは不明だ。しかしどの段階であろうが、可能性を全て探る数の偵察機を投入すればいい。
千早の電信に誘導された零式水偵や二式艦偵が、投網の如く索敵を行う。三機の艦偵と引き換えに得たのは、二つの艦隊の居場所であった。
事前の情報では三つ程が考えられる敵艦隊だが、塚原は全てを探す前に見つけた方を叩くと決めた。
空母四、戦艦二乃至三の甲。空母五の乙。戦力を二分しては仕損じる。塚原の作戦は、全軍を以って乙を叩く。甲に対しては空中管制に特化した深山改が、英国の電探網の如く監視する。
深山改は一〇機のうち二機が撃墜されていたが、足りない分は陸軍が有する九七式重爆を改造した管制機を借り受けた。
一五機の空中管制機により逐一報告を得、予備機とエニウェトクの来援によって邀撃する。数的不利を覆す為に、邀撃機を固めてぶつけるのだ。この方法はバトルオブブリテンでのイギリス側が採った戦法によく似ていた。
艦隊を守るために割く戦力は、零戦五〇機と雷電三〇機が限界であった。
深山がエニウェトク環礁の空を駆け抜ける。直衛は零戦一個小隊程度しか付かないが、深山搭乗員には恐怖はなかった。深山の性能、ここまで生き延びた技量と幸運を胸に秘めていたからだ。
二式陸攻深山は三菱飛行機による四発の爆撃機だ。時速四〇〇キロの最高速度と三〇〇〇キロの積載能力は、陸海軍唯一の戦略爆撃能力を宿していると言っていい。発動機は一二〇〇馬力の金星が四基で、彗星等に使用され信頼度や燃費に優れる。
設計の大部分を一式陸攻と共通化したため、太い葉巻型の胴体や硝子張りの機首などはよく似ている。しかし主翼の延長や胴体の延長、燃料槽のバランスなどを変えた結果、母体になった機体よりはるかに打たれ強く仕上がった。
両側面と尾部に二〇ミリ機銃、上部と機首に一二.七ミリ機銃を有するというかなりの重防御であった。一式陸攻の反省点から、二〇ミリ機銃は二〇発弾倉に減らされ、一二.七ミリはベルト給弾とされた。
欠点として目立つのは値段だ。発動機が生産性に優れる金星とはいえ、四発ともなればそれだけ手間がかかる。アメリカでB-17が量産される中、深山は五分の一程度のペースで生産された。四二年の生産数はB-17が三四〇五機に対し、深山は六八〇機だ。しかも一式陸攻が生産を停止し、その生産ラインを数ヶ月で組み替える離れ業をした上での数字であった。
無誘導の二式イ号一型噴進弾や有線誘導の二型を積み込んだ機体は、陸軍の寺本熊市の命令で切り札として温存している。一式イ号噴進弾に比べて破壊力に優れるこれらの新型は、例え戦艦であっても撃沈破が可能だ。
しかしながら今飛んでいる機体には、爆弾などは積まれていない。八木宇田式アンテナや拡張された空中線を有し、発動機を水星に積み替えた空中管制機だ。
八ミリの装甲を一部二〇ミリにまで増やし、空中管制を行う士官を守る。機銃は全て一二.七ミリにする代わりに、従来搭載されなかった下方機銃を増設。これらの改造の上で一七〇〇馬力の水星発動機は、最高時速四七〇キロという速度を深山改に与えた。ただし通常の深山以上に値段が高く、総生産数四〇機であった。
空母が風上に向かって最大戦速で突き進む。飛行甲板に並ぶ航空機が一段と大きな音を響かせ、チョークを取り払った機体が前進する。紫電改三四一機、その一番機が飛び立った。
目標とされた乙、TF39ではハルゼーが吠え立てていた。
「TF36からの応援は断れ!スプルーアンスに全機向かわせるんだ、アレは一番損害が大きい!」
二七三機のF6Fを有するTF39だが、即応出来るのは二〇〇機程だ。残りは整備や補給を待っており、飛ばせる機へリソースを割くために作業は停止している。
スプルーアンスのTF33はマジュロ攻撃の際、ファイタースイープの前衛であった。TF39の損害を上回る被撃墜機を出していたに違いないが、他の艦隊に直衛機を出していた。
「ヘルキャットが減った分、整備員に余裕が出来た」と言っていたが、整備に作用する程の損害は凄まじいはずだ。
ハルゼーの部隊は航空戦力の中核であるが故、優先的に補給を受ける必要があった。友人の申し出に感謝しつつ、護衛空母から機体を受け取っていたのだが。
「まさか足りなくなったとは」
補給中、TF39参謀長マイルズ・ブローニングが顔を青くしていた。ハルゼーも似たようなものだったであろう。〈ボーグ〉級によるピストン輸送が間に合わない損害が発生していたのだ。
補給不足のしわ寄せはスプルーアンスのTF33とミッチャーのTF36に表れた。この二つの任務部隊では、戦闘機の三分の一が損傷機か、機体が足りない状況にあった。
優先順位を間違えた。ブルの頭は怒りに支配されかけたが、怒鳴り散らすだけでは意味がない。更に損害を増やす事を見込まれて、この地位にあるわけではないのだ。
「ヘルキャットを出したら、可燃物は全部仕舞うか捨てろ!攻撃は数日遅れるが、母艦が致命的損傷を受けるは避けたい」
ミッチャーは自分が見つかっていない事から、剛毅にも一〇〇機以上をスプルーアンスに送り出した。航空戦のプロならば、自分と同じくジャップの攻撃隊を叩き潰せば良いと考えているのだろう。
数時間にも感じられる待機の後、ハルゼーはピケット艦の報告を受けた。J機(日本軍機)来襲。
上空には既に二〇〇機程のF6Fが待機している。各母艦の格納庫は空っぽか、可燃物を放り出してある。輪形陣は戦艦と巡洋艦、駆逐艦の盾が針を通す隙間もない。
ジャップは罠に掛かった。獲物は大きい。あまりに大き過ぎた。
「五〇〇機以上……」
電探を埋め尽くす反応は増え続け、電探の光点を数える事は不可能であった。




