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空中軍艦  作者: ミルクレ
28/41

邀撃

 ジョン・ヘンリー・タワーズは真珠湾の太平洋艦隊司令部で、苛つきを全く隠さずに報告を聞いていた。

 F6F艦上戦闘機五一八機、SB2C艦上爆撃機一七〇機、TBF艦上攻撃機一六八機。その内、戦闘機は半数が補充されたものであった。

 これは事前の想定を超えるペースで、ツカハラのタスクフォースとやり合うまでに戦力がそっくり入れ替わるかもしれない。

「ファイタースイープでマーシャル基地は裸にした。後は攻撃隊で叩くだけで、ツカハラとの戦いに専念出来る」

 ハルゼーの大言に普段なら眉をぴくりとさせる程度のタワーズも、今回は苛立たしげに机を指で叩いた。

「エニウェトク環礁の事を忘れているんじゃないかねブルは」

「やっと空母に取りかかれるのです。苦戦しているのは彼の本意ではないでしょう。常に周りを警戒しながらの攻撃でしたから」

「何はともあれ、ツカハラが来る前にマーシャルの基地を潰せそうです」

 彼の愚痴を聞くのは、ロバート・ヘンリー・イングリッシュ太平洋艦隊参謀長と北太平洋司令長官のチェスター・ニミッツだ。ニミッツは人事局出身だが、前線での小競り合いのみの北太平洋では、少ない戦力ながら日本の動きを完璧に抑えている。イングリッシュはニミッツを北太平洋ではなく、より激しい戦場に彼を向かわせるべきとタワーズに進言していた。

 タワーズのニミッツへの不信から会見は遅くなり、中央からの催促を躱す目的でこのタイミングで会う事になった。まもなく中央から海軍次官のジェームズ・リチャードソンが来る予定だ。

「そろそろリチャードソン君が来る。まあ、スターク元帥かキングの小言だろうがね」

「マーシャルを落とせば少しは減るでしょう。それまで耐えましょう」

 イングリッシュは楽観的だ。それとは逆に、ニミッツの表情は不安や疑心を垣間見せていた。

 人事畑にいた彼の事だ。恐らく自分が疎い前線に不安を感じているのだろう。

「ニミッツ君。君の戦いはマーシャルではないよ」

「そうでしょうか」

 タワーズはニミッツの呟きを聞き逃した。リチャードソンが到着したためだ。

 しかしイングリッシュはぎょっとした顔で、ニミッツの顔を凝視していた。ニミッツの呟きは確信にも似た響きを持っていたのだ。



「ありゃあなんだ……」

 鴛淵の口を突いた唸り声は、林達には聞こえていなかった。応じたのはベッドで横になっている菅野だけである。

「第三艦隊の奴から聞いたぜ。空襲するのにとんでもなく邪魔なんですって」

 菅野は擦過傷だらけの顔で、暗くなった空を見上げる。星空は無粋な影に邪魔をされ、鉄鯨は水平線に向かって進んでいく。

 菅野の紫電改は着陸時に胴体が挫折し、発動機の重みで前転したコクピットの中、菅野は縛帯を急いで外した。

 無意識の内に受け身を取ったおかげで、ガラスや突起部に打ち付けられるだけで済むも顔が血塗れだったせいで、軍医には強制的に絶対安静を命じられていた。昨日の空戦に参加出来なかったために、菅野はいじけている。

「俺達だけじゃ無理だって、お偉いさんが判断したんだろ」

「アレと一緒に戦うのか」

 林は不安げだ。

「林さん、直衛だと思えばいいんですよ」

 軽く言うが、空中に浮かぶ艦隊を護衛した事は林にも鴛淵にも、当然言った本人の菅野にもない。

「空中軍艦っつっても、軍艦は軍艦。みんな難しく考え過ぎなんだよ」

 菅野の声を聞いた友人達は、彼が本気でそう思っている事が可笑しくて仕方がなかった。鴛淵の押し殺した笑いに林が続く。本田達は呆気に取られていたが、笑い続ける飛行隊長を見ているとこちらも笑えてきた。

 気がつくと寅部隊や〈竜驤〉搭乗員は皆、大声で騒いでいた。零戦や雷電の搭乗員は何事かと野次馬として集まり出し、整備班は油塗れで目だけを向けている。椰子の根元で涼む陸軍兵士は、珍獣でも見ているかの表情だ。

「空中軍艦は見ての通り、うすのろででかぶつだ。しょうがないから俺達が守ってやろうぜ」

 菅野の声に各所で「応」や「宜候」と拳を振り上げる。林は菅野が出撃するつもりか問う。

「菅野、医者の許可は?」

「大丈夫ですって。骨も無事だし撃たれてもいない。擦り傷ぐらいじゃ怪我じゃないです」

「菅野の発動機を二〇一番に積んである。林隊長、あれに乗せよう」

 鴛淵の言葉に林は笑い了承したと伝えた。

「マジュロの三羽烏がまた揃い踏みだ」

 と基地で話題になると、劣勢で萎えつつあった士気が盛り上がる。これがマーシャルを巡る一週間の戦闘、中でも基地にとって最も辛い二日間を支えたのだった。


 紫電改と零戦、雷電と月光がそれぞれ飛び回る。その下には巨大な鋼鉄が砲身を巡らせていた。

「黎明を狙うとは。油断はないな」

 千田の呟きは日本光学の双眼鏡に吸い込まれた。猪口敏平は戦闘機以外を探し求める。

「いた!高度四五〇〇!」

 見張員の叫び声に一斉に動く。千田はひくひくと頬を強張らせた。

「来た。基地を叩きに」

「そのようですな」

 艦長の応じに〈筑紫〉が身震いする。

 両舷の高角砲は抑えを外され、梃子を使って視界を妨げる装甲帯をずらした。上方に指向するよう固定されていた機銃は、防弾ガラスのドームに身体を滑り込ませた兵士によって操作され水平に向けられる。

 多くの艦艇では二五ミリ機銃が大型弾倉になってからも手動旋回だが、〈大和〉型のような風防が全ての機銃に付けられている空中軍艦では、風圧により旋回不能が多発したために全てが電動旋回だ。また視界を大きく採る目的で、爆撃機のようなガラス窓が付けられている。

 高角砲は長一二.七センチ連装を、側面に張り付いたような形で装備している。主防御装甲の外側にあるため被弾には弱く、砲弾は隔壁の向こうから運ぶ必要がある。揚弾筒が壁から突き出し、砲塔内は若干狭い。全員が縛帯を装備するため、持ち場を動くことはほとんどないが、装甲の外にいる事実と圧迫感は強い。砲塔に詰める兵の汗を、隙間から吹き込む冷気が叩く。

 九五式長一二.七センチ高角砲は、原型となった八九式が雷撃機対策の為に開発された故に、三〇度以上の仰角を付けると装填が困難になる。改良した乙型装填装置により、六〇度までなら毎分一五発程度を維持出来るとの試算も、戦場で装填する当人達には負担が変わらない点のみが記憶された。

 四〇ミリ機関砲は砲郭のように普段は収納されて、連装砲架を押し出す事で射撃位置に固定される。装甲帯をレールに沿って開き、砲手の座席を半ば中に投げ出すように押し出した。酸素マスクを付けた砲手が防弾ガラスを通して空に臨み、合戦用意が出来るのだ。

〈相模〉型は九基、〈浅間〉型と〈松島〉型は七基の高角砲を持つ。艦首高角砲塔は見晴らしと被弾しやすさが一番だ。二五ミリ三連装機銃は二〇基と一六基、四〇ミリ連装機関砲は共通で一〇基だ。

 先の損傷の際には対空砲の増設や交換が検討されたが、工期が延び過ぎてしまうと却下された。露天が不可能なため風防の設置と、装甲板に通路を穿つ必要があるからだ。四〇ミリも搭載が続けられている。

 射撃装置は風圧に耐えられる左右非対称な特注品で、根元に設けられた鉄骨枠とガラスに仕切られた半球状のドームから、高角砲が射撃可能かの確認がなされる。

「偶数番高角砲、用意終わり!」

 左舷側の電話から数秒後、軽い雑音と共に右舷の高角砲も準備が整った事を伝えた。補強された機銃や機関砲、高角砲の砲身が、風を切り裂く声を響かせる。

「司令塔、宜候」

 草鹿の低い声が受話器に注がれた。艦内のほとんどの視線は、頭上のスピーカーに引き付けられている。

「司令塔より全艦。別命あるまで待機」

 合戦前の準備がひと段落した時、千田は自分の身体がひんやりと冷めている事に気がついた。緊張感から噴き出た汗が、第一艦橋に入り込んだ風に熱を取られたようだ。

 懐からハンケチを取り出し顔を拭く千田。見れば外を睨む大野も、砲術長や見張員の顔も、鈍く汗が光っている。

 嗚呼、緊張しているのは自分だけではないのだ。無用の緊張は誤った判断を誘発しかねない。ハンケチで顔を覆いながら、大きく深呼吸をする。その息が止まる報告が艦橋に上げられた。

「マジュロの司令部より電信!電探に感あり。新たなる編隊、我よりの八時方向!」

「…………!」

 千田は一瞬にして理解する。戦闘機が邀撃に向かったのは囮、つまり戦闘機のみのこれまでと同じ編成だ。しかし今しがた発見した新手は、明らかに攻撃機を伴っている。

 全戦闘機が第一目標である甲目標に向かったため、新手を迎え撃つ機体はない。

「長官!攻撃機は新手の編隊の方で、甲目標は戦闘機掃討です!」

「了解した。が、今戦闘機を呼び戻しても間に合わぬ。我々だけで守るぞ」

 千田は艦橋の壁に手をついた。

「私の落ち度だ……」

「航空参謀の落ち度ではありませんよ」

 大野が視線は外に向けたまま、千田の悔恨を慰める。

「戦況ここに至って、まさか編隊を二分してくるとは。誰も見抜く事など不可能に近いです」

「しかし……いえ。感謝します」

 艦内電話が鳴り響く。千田が受けると、先ほどと同じ司令長官の声が聞こえてきた。

「航空参謀、朗報だぞ。後詰めの零戦が来てくれた。二四機だ」

「それは……」

「空中管制、任せるぞ」

「了解!」

 千田は手足に血が通うのを感じ、頭の靄が晴れるのを感じた。

 二四機の零戦。対するは一〇〇機程の戦爆連合。正面からでは圧殺される。しかしこちらには空中軍艦がある。

「こちらは〈筑紫〉、零戦隊聴こえるか!」

「あ、あ、あ、こちら笹井一番。もう一隊は川添一番だが、送信が出来ない。手信号でどうにかする」

「わかった。私は一空中艦の千田だ。諸君等の管制をする。空中艦隊は乙、新しい敵編隊の下に潜り込む。向こうが迂回するのを妨害してくれ」

 草鹿と事前の打ち合わせ通りに動かす。笹井一番と名乗った男は疑問を呈する事もなく、翼をバンクさせたのだった。


 笹井一番こと笹井醇一少佐は、川添一番こと同期の川添利忠に手信号で司令部の命令を伝えた。

 川添と並んでの飛行は久々だ。お互い、飛行隊長になり中隊を指揮するようになってからは、部下への対応でてんてこ舞いで、二人だけで飲む事もなかった。

 懐かしく感じるが、マーシャルに来てからたかだか半年、その半年の濃度が圧倒的だったのだ。部下である坂井三郎の手助けがあり、中隊で侮られていた初期に比べ、古参も今では笹井の指示に従ってくれる。ここに至るまでの苦労は、本土で鍛えた数年とは比べものにならない。

「了解」の手信号をぐるぐると回すと、川添は翼を翻して離れていく。一一機の零戦が追い掛けていき、空中軍艦を挟んで右側を飛ぶ。

 川添の零戦は外れ真空管だったらしい。彼のくじ運はいつも悪い。今年のマジュロ神社でも末吉を引いていた。凶が無いので実質的には一番悪い。

「笹井隊長、空中艦が動きます」

 スピーカーが坂井の声を響かせた。彼の声に従い下を覗き込むと、排気を船体に纏わせて空中軍艦が増速を始めていた。爆撃機用の大型発動機を指示桁が押さえ込み、軋みを上げながらも推進する。

 舷側のプロペラは主翼も操縦席も無い零戦のようだが、艦尾に生えた大型プロペラは後ろ向きだ。前に向かって空気を掻くのではなく、水上艦のスクリュープロペラのように後ろに向けて空気を吐き出すように見える。胴体や主翼が推力や気流に干渉する事もない。

「あれ、航空機に出来んかな」

 思いつきだが高速だろうな。笹井は空想するが、前方から迫る米軍機に意識を奪われた。

「坂井、西沢、太田。いつも通りいくぞ!」


 クラレンス・マクラスキー少佐率いる爆撃隊は、正面に現れた巨人に動揺していた。敵機への警戒をマクラスキーは全機に命じたが、三つの任務部隊を纏め上げる彼自身、立ちはだかる空中艦に驚いていた。

 今回、アメリカ海軍は空母ごとではなく艦隊ごとでの航空機運用を行っていた。空母と航空機を分離し、より多くの戦力を同時に投入するためだ。

 ファイタースイープに徹して七割近くが戦闘機という偏重した空母艦載機の編成のため、制空権争いでは各空母でチームを組んでいた。しかし爆撃機と攻撃機を一括運用する事は出来る。

 爆撃機チームのリーダーはマクラスキー、攻撃機チームのリーダーはジョン・ウォルドロンが務める。

 合計二〇〇機の本隊、その半分が自分の双肩に掛かっているマクラスキーの表情は柔らかかった。彼もベテランだ。大任をこなす技量も自信もあった。空中艦が現れるまでは。

「マクラスキー、どうする!」

 TBFを駆るウォルドロンが早口で怒鳴る。ウォルドロンは同格のマクラスキーの傘下に入ると事前に決めてあった。統一運用の栄誉を譲ってもらったと感謝していたが、今は責任をこちらに押し付けているように感じる。

「クソ!自分が空中艦を叩くから、お前は滑走路を潰せ!」

 ウォルドロンを先頭にして約半数のTBFが分派すると、マクラスキーはスピーカーに怒鳴り散らした。

「俺達は空中艦を攻撃するぞ!」

 SB2Cが尾翼を振動させながら加速を始める。バランスを崩せば操作不能になり墜落する欠点があるが、改良型はまだ彼等の手元には届いていない。

「各チームに分れろ、後は各自攻撃!〈エンタープライズ〉チームは俺に続け!」

  「ジーク!」

 ぞわりと背筋に悪寒が走った。空中艦がこちらに向かってきたのだ。戦闘機が気がつかないはずがない。

 細身な機体を探すが近くには見当たらない。高角砲の射程に飛び込んだ為、追撃を免れたようだ。

 しかし迂回したウォルドロン隊には災難だろう。高角砲を避け大回りした所を、中隊規模のジークに襲われたのだ。護衛のF6Fが叩き落とす前に、二〇ミリの死がTBFを貫く。B-17をも撃墜する火力を受け、独特な尾部の機体は落ちていくのを想像した。

 しくじったか。隊を半分にした為に、護衛機まで半分になってしまった。中隊規模のジークなど一蹴出来る戦力を、わざわざ半減させてしまったのだ。

「まずはこいつ等を沈めてからだ……」

 一〇機のSB2Cを引き連れて敵の空中艦への投弾コースに乗る。距離一〇〇〇〇メートルを切った辺りで、空中艦が高角砲を放ち始めた。

「なんだってんだ、こいつはよ!」

 マクラスキーは今日二度目の衝撃を受けた。早い。早過ぎる。高角砲の撃ち上げる黒い花火が、以前ツカハラのタスクフォースを叩いた時以上に濃密なのだ。

 艦艇の数からすると五隻と圧倒的に少ないが、あらゆる方向からの衝撃が乗機を揺るがす。

 どうにか七五〇〇を抜けると、炸裂していた砲弾から解放される。揺れは収まり、視界が開けた。

 マクラスキーが気を抜いた瞬間、正面から赤い光が飛び散った。光は衝撃を伴い、至近を通り過ぎれば揺れを起こした。

「畜生、四〇ミリかよ!」

 先ほどまでの密度こそないが、絶え間ない攻撃に後ろの編隊を確認すら出来ない。時折伝えられる「撃墜!」の報告だけが響く。

 三〇〇〇を切り、見慣れたサイズのキャンディバーが殺到する。これまでで一番小さいが、これでも二五ミリ機銃である。防弾ガラスを掠めた銃弾が、防弾の定義について考えさせられる破壊力でガラスを削り取る。

 不意に真後ろから蹴り飛ばされる衝撃で、マクラスキーは操縦を奪われた。機体表面の境界層が剥離し失速する。ベテランの勘と幸運によりコントロールを取り戻したマクラスキーは、後ろに叫んだ。

「やいジャッキー、何が起きた!」

「二番機だ!マーフィーとケンダルの機体が爆発した!目がチカチカするぜ、クソ!」

「もう一丁アクロバットだ、ジャッキー。投下用意!」

 目の前に迫る敵艦は、既に一五〇〇メートルを切っている。先ほどのバランスを崩していた間に随分近付いたようだ。

 五〇〇メートルと急降下爆撃としてはかなり近い距離で、マクラスキーは一〇〇〇ポンドの爆弾を切り離した。

「スリー、トゥ、ワン、ナウ!」

 同時に投下したのは五機で、四機が濃密な対空射撃に落とされていた。先頭を切って突入したのだから、迎撃も集中したのだろう。

「ヒット!」

 マクラスキーの投下した爆弾は外れたが、同じ〈エンタープライズ〉所属機が目標を捉えた。絶え間なく銃弾をばら撒いていた二五ミリ機銃が、銃座を包む装甲ごと潰れて弾け飛んだ。

 他の隊も命中させたのだろう。離脱しながら見た限りでは、〈エンタープライズ〉隊が狙った大きいのに加え、若干小型の空中艦二隻が煙を吐き出している。

 ウォルドロンは基地を破壊出来たのだろうか。マクラスキーは不安を覚えたが、取り敢えずは攻撃に成功し生き残ったのだ。帰還してからでも遅くはない。


「右舷中央に被弾!」

「応急班、向かいます!」

「第三、第五旋回機に被弾、取り舵に支障」

「宜候」

 司令塔から冷静な声が流れる。彼等は冷静でいなければならない。手足の痛みに反応していては、判断を誤るかもしれないのだ。

 末端の兵に冷静な判断を要求される場面は、極めて限られている。砲撃中の砲塔など、混乱一歩手前の喧騒と怒号に溢れているのだった。

 縦に並んだ火星発動機がプロペラを砕かれ、舷側から海面へ破片が落ちていく。

 山野陽一一等兵はすぐ右で行われた破壊の様子に、視線を囚われていた。〈筑紫〉右舷に位置する五番高角砲装填手としての山野の初陣は、乗艦の被弾で彩られた。

「山野お!しっかりしろ!」

 五番高角砲に声が響く。ここには冷静さは欠片もない。山野を鍛えた岸辺篤郎軍曹は、目の前で起こる破壊に魅入られた山野の頬を張った。

「は、はい!」

「お前が弾込めなきゃ砲台が動かんのだぞ、頭は動かなくても手は動かせ!」

 砲尾の受け皿に載せられた一二.七センチ砲弾は、半自動的に装填され射撃手によって撃ち出される。薬莢が砲尾から吐き出されると、再び装填手に出番が回ってくる。

 山野が抱える砲弾は、彼には理解出来ない複雑な動きにより、時限信管を切られ、薬室へと押し込まれ、鎖栓が閉じるとほぼ同時に秒速八〇〇メートル前後で、襲い掛かる敵機に突進するのだ。

 それをゆったりと観察する時間的ゆとりは、山野を始め砲塔内に存在していなかった。一秒遅れれば、死も一秒分近付くのだ。

 山野が弾を受け取り装填しようとした瞬間、

「衝撃に備え!」

 の怒鳴り声が響いた。

 条件反射的に砲弾を抱き締め、しゃがみ込む山野。振り回すような衝撃に唸り声しか上げられない彼の背中に、岸辺の平手が活を入れた。

 ゆっくりと開いた目を煙が突き刺す。艦首からの煙が風通しが良くなった砲塔を流れる。

 装填位置から転がって射撃手の近くに蹲っていた山野は、縛帯を伝いながら装填手としての仕事を再開した。

 岸辺が切る信管がヘルダイバーの眼前で黒褐色の華を咲かせ、巨大な発動機をズタズタに切り裂いた。「岸辺の感覚は電探並」と砲塔を指揮する藤本中尉が褒める腕だ。

 山野の耳が麻痺しつつも、ヘルダイバー撃墜を告げる歓声に反応する。さっきまで抱えていた重い砲弾が、敵機を撃墜した。実感はあまりないが、熱に浮かされたような砲塔内は盛り上がった。彼の両腕にも力が戻る。


 何分経ったか。両腕は痺れ、バランスを取る両脚の自由がきかなくなっていた。揚弾筒に向き直ろうと身体を返すと、太く黒い腕に抱えられた。岸辺軍曹の日焼けした顔が、やけに眩しく見えた。

「山野ォ、ようやったぞ。敵機を追い払った」

 彼の初陣は突然始まり、気がつけば終わっていた。

 へたり込んだ山野に対し砲塔内は笑いが広がり、岸辺は笑顔を浮かべつつサイダーを手渡した。


「五〇〇ポンド三発被弾、一〇〇〇ポンドか二〇〇〇ポンドを一発か」

 草鹿の声からは不安を感じないが、実際にはかなりの損害であった。大型の爆弾が航空基地を破壊するための即発信管だったのが救いだ。

 最初に襲い掛かったのはアヴェンジャーの編隊であった。彼等に急降下爆撃能力はないようで、緩降下爆撃を仕掛けてきた。

 着発の対地爆弾は右舷の旋回用発動機を纏めて破壊したが、装甲の内側には傷を付けずに終わった。信地旋回は困難だが、艦尾の旋回舵は無事なので戦闘は可能であった。

 ヘルダイバーの五〇〇ポンド、日本では二五番相当の爆弾は続けざまに右舷三番高角砲塔と付近の二五ミリ機銃を襲った。三番高角砲は人員を全滅させられ、爆弾により上から押し潰されたように破壊されている。すぐ上に位置した二基の二五ミリ機銃は下からの爆風で砲身をひん曲げられ、ガラスを白く濁らせた破片が貫通し、射撃手達を切り裂いた。

 風が吹き込む機銃塔内に生臭い空気が艦内に流れる。怪我人の呻き声は風切り音が消し飛ばした。駆け付けた衛生兵と応急班が血管を抑えるが、既に命が流れ出してしまった兵は力無く転がる。

 惨劇ではあるが、これは悲劇ではない。戦場でのありふれた一場面なのだ。

「どうした、応急長」

 原田参謀長に声を掛けられ、〈筑紫〉応急長である豊田隈雄は、自分がぼんやりと考え事をしていた事に気がついた。

「いえ、なんでもありません」

 猪口が艦橋で指揮を執る代わりに、応急長である豊田は司令塔から艦内を補修していた。副艦長の高間完と協力し、被害極少に駆けずり回っていたのだ。

 被害を実際に目にしたのは豊田のみ。確認を兼ねて臨んだ高角砲では、肉片となった乗員を見た。

 水雷畑で勇猛果敢と評された豊田だが、ここ何年かは陸上勤務だった。実戦として〈筑紫〉に乗り込んだのは、彼の被害極少(ダメージコントロール)の提言を上層部が評価したかららしい。豊田にとっての久々の前線は、空の上であった。

 それが豊田の熱意に水を差しているようだ。冷静と言えば聞こえはいいが、空を飛ぶ軍艦に精神が追いついていないだけとも言える。

「次は対艦爆弾を持ってくるでしょうね」

 原田は応急長の事を頭から排除し、アメリカの対応を捻り出す。

「戦闘機掃討の方は我が方の負けでした。全滅は免れましたが、残存機を全てエニウェトクに移すと、戸塚長官が決断されました」

「ううむ、益々もって空中艦隊が重要になるな……」

 草鹿の唸り声は苦渋に満ちていた。藤本設計士の忠言が頭に残っているのだろうか。

「まずは艦を島の上に移しましょう。急降下爆撃は妨げられます」

「それが良いな。〈筑紫〉〈相模〉はウォッゼ、第二戦隊でマロエラップを守るぞ」

 空中艦隊は再び空中要塞として壁になる事が決定した。豊田は乗艦の撃沈を覚悟する。被害極少に詳しい彼は、軍艦が意外と沈みやすい事を知っているからだ。


 半刻もせずに、第二次攻撃がマーシャルを襲った。数は二〇〇機程で、戦闘機は少数。戦闘機掃討を完了したと判断したのだろう。

「高度四〇〇〇…いや、もっと低い!」

 艦橋に残る千田の声が伝声管から響く。

「敵は高度一〇〇〇まで降下!」

「空中艦は無視するつもりか!」

 空中艦隊は基地の上方に占位している。基地を攻撃するには邪魔であるが、基地からの対空射撃も味方撃ちの危険があり、散発的にならざるをえない。

 豊田の覚悟は肩透かしを食らった。米軍機は空中艦など眼中になく、基地を潰すだけに目的を絞ったのだ。

「高角砲は撃ち方始め!編隊を崩せ!」

 草鹿が直接命令を下す。対空砲のみになった今、艦橋よりも司令塔の方が情報が早い。

 五秒に一度の速度で高角砲が火を噴く。疲労で装填にばらつきが出始めた為に、砲が響かせる爆音は絶え間なく続いていた。

「主砲、発砲用意」

 草鹿が眉間に皺を寄せつつ、よく響く低い声で言い放った。艦橋に驚きが広がる。

「長官。お言葉ですがここで主砲を使っても、対空砲火の妨げになるだけですぞ」

「高角砲のみでは妨害にもなっていない。敵編隊を崩す事に徹するならば、主砲を撃ち込むのがよい」

 各砲塔から準備が整った報せが届く。草鹿は敵編隊の最も重なる点目掛け、発砲を命じた。

 八発の四一インチ砲弾が敵機を破壊すべく進撃する。アヴェンジャーとヘルダイバーであると判明した愛称の機体は、日本軍機より大柄なものが多い。しかし主砲からすれば米粒に矢を当てるようなものだ。

 至近を通過したために強烈な風に翻弄されるヘルダイバー。急降下手前でバランスを崩したせいで、錐揉みに入って墜落する機体が出た。風防を掠めた砲弾により操縦席ごと粉砕されるアヴェンジャー。紙風船を叩き潰したように変形した機体は、発火する事もなく落下していく。

 密集隊形を維持していた編隊は、翼端を折られたりガラスを砕かれた機体が多数出た。しかしそれだけだ。墜落は片手で数える程度しか出ていない。

 しかし心理的効果は実損害よりは大きかったらしい。〈筑紫〉を避けるように散開し、隊列はばらばらになる。しかし島の上の〈筑紫〉に接近せずに攻撃する事は難しく、及び腰の爆撃になっていた。各機が自分の裁量で爆撃を始めた為、集中して施設を破壊されるような事はなくなった。島全域を耕すように爆弾が降り注いだのだ。

「こちら〈筑紫〉。第一航空艦隊司令部、送れ」

 無反応。しかし吹き飛ばされたアンテナを立て直す人影と司令部の健在を示す旗が立てられたのを、偵察艦橋から双眼鏡で覗く見張が見つけている。

「〈秋津洲〉と合流する。針路を西へ」

 司令塔に重い空気が漂っていた。



「第二次攻撃隊がウォッゼを破壊、第三次攻撃隊がマロエラップとウォッゼを攻撃するも迎撃無し」

 ハルゼーの顔には笑顔が浮かんでいる。時折体を掻き毟るが、それ以外は上機嫌だ。

「マイルズ、マイルズ!後はツカハラとの決戦だ」

「親父さん、まだエニウェトクのジャップが残ってます」

 参謀長マイルズ・ブローニングの言葉に吐き捨てるハルゼー。

「味方の危機に何もしないような腰抜けだ、あいつ等は。ツカハラの方が危険だ」

「空中艦の対策はどうします?」

「モフェットじいさんに任せるんだ。彼の方が空中艦には詳しいさ」

 司令長官の頭にはツカハラとの決戦の為の作戦が組み立てられているのだろう。獰猛な笑みにブローニングは自らの疑問を掻き消した。彼がいる限り敗北する事はない。それは猛将への信頼であった。



「菅野、ここは陸軍さんのシマだ。喧嘩は止めておけよ」

 鴛淵の忠告に口をへの字に曲げ抗議する菅野は、紫電改の主翼の上から周囲を見渡す。

「こんだけ広いんだからちょっとぐらい見て回ったっていいじゃないっスか。それを海軍は居候なんだから縮こまっていろ、とかー」

 エニウェトク基地は陸軍が開戦前から築城していた、マーシャル諸島随一の航空基地だ。

 本土からマーシャル各島の玄関口として開拓されたエニウェトクは、埋め立てや要塞化でベトンに塗れていた。

 南部のエニウェトク島とメリレン島は連結され、島の背骨のように滑走路が貫いている。一〇〇以上の掩体壕が並び、格納庫は艀のように島からせり出している。エニウェトク島南端には構築途中の砲台があり、そこには〈長門〉型の主砲が設置される予定だった。時間が足りず輸送出来なかったそうだが、今は海軍航空隊がたむろするのにちょうどいい場所となっている。

 北部にあるエンチャビ島は航空基地こそないが、陸戦部隊が隠されている。回転翼機の隼や八九式中戦車を改造した水陸両用戦車など、多彩な装備を持つ部隊だ。彼等はもし南部の航空基地が陥落するような事になれば、敵が防備を固める前に逆上陸、敵揚陸部隊に大打撃を与える。

「五〇〇機も集めたっていう割に、意外と少なく見えますね」

 翼から眺めている菅野が呟いた。

 内地ではエニウェトク航空要塞と宣伝されるエニウェトク環礁は、海軍向けの情報では三〇〇機の戦闘機と二〇〇機の爆撃機で守られているはずだ。

 しかし菅野の言う通り、見渡す限りの航空機になるはずの基地は想像より閑散としている。

「海軍にもばれましたか」

 にこやかに近づいてくる男が声をかけてきた。

 鴛淵は鳥肌が立った。彼の気配を露ほども感じなかったからだ。戦闘機乗りに気が付かれずに近づくとは。特務機関出身か。

「失礼、自分は金顕忠陸軍少佐であります」

 現在の大日本帝国は、朝鮮半島と台湾と南洋諸島の連合として成立している。立法行政は帝都の帝国議会だけであるが、朝鮮半島に関しては朝鮮総督とは独立して裁判所が設置されている。台湾の三権は日本本土に準じてはいるも、台湾総督の下に台湾国民議会が設置されている。

 陸軍士官学校では朝鮮留学生と台湾留学生を受け入れており、彼等の内そのまま帝国陸軍に奉職する者は多い。本国たる朝鮮は準備政府が、台湾は国民議会があるだけで、国軍まで手が回っていないからだ。

 南洋諸島では現地採用の先住民は陸軍省や海軍省に、師団付きか艦隊司令部付きの身分が保証され、戦死時の弔問金が払われる。しかし士官には朝鮮半島か台湾の出身しかいない。

 林が近寄り、柔和な表情で敬礼する。

「林喜重大尉です」

 菅野が翼から飛び降り、砂埃を上げる。

「っと。菅野直、昨日付けで大尉でありまぁす」

「……鴛淵孝大尉です。ばれたとは?」

 金の物腰は特務機関のそれに似ていた。燃えるような眼に射竦められ、鴛淵は敵機に背後を取られたような感覚を覚えた。

「実はこの飛行場には、二〇〇機の戦闘機と一〇〇機の爆撃機しかありません。三ヶ月前には確かに五〇〇機ほどの戦力だったんですけどね」

「それは……」

 絶句した鴛淵に肩を竦めた金。顔には皮肉の混ざった笑みが浮かぶ。

「大本営の戦略会議で決めたそうです。ここの司令の牟田口中将が手放すのを嫌がったお陰で、どうにかこれだけ残ったんですが」

「マーシャルは捨てるつもりなのですか、陸軍は」

「海軍さんは保持するおつもりで?このエニウェトク要塞を捨てる、故に海軍もマーシャルを諦められたしと、参謀本部の言ですが」

 永久陣地エニウェトク。海軍にまで広がるその勇名を、陸軍は遺棄するつもりなのか。

「開戦前とは状況が違いますから。ここまで航空戦に終始するとは海軍さんも思ってなかったでしょう。陸軍も同様でして」

「ならば何故航空機を増派しないのですか」

「潜水艦ですよ。もう既に〈神州丸〉などがやられました」

〈神州丸〉。陸軍空母とも呼ばれる、大小発動艇や航空機の運用を念頭に置かれた艦だ。第一号として〈神州丸〉が建造されたが、その大きな格納庫は輸送艦としても優れた能力を発揮していた。

「……金少佐。本題はなんですか」

 林が金を催促する。

「これは失礼しました」

 口は笑っているが眼は猛獣のようにこちらを見据えている。やはり特務機関、もしかしたら陸軍間諜育成の専門機関である中野学校出身者かもしれない。

「あなた方の勇名は陸軍にも伝わっております。もし予備機が尽きた場合でも、雷電や零戦ならばお渡し出来ます」

 ありがたい申し出だ。しかし、見返りはなんなのだろうか。不気味である。

「なんとしても、エニウェトクを守っていただきたいのです。撤退か堅守で割れた結果、中途半端な展開となってしまった。失うには大き過ぎ、守るには小さ過ぎる戦力。この不足を海軍さんに頼みたい」

 金の表情が少し緩む。先ほどまでの貼り付けたような笑みから、滲み出るように疲労が見え隠れした。

「信頼出来る、海陸の確執を乗り越える人にしか頼めないのです」


「金少佐殿。こちらにいましたか」

 海軍の搭乗員から離れて数分、副官の野中少尉が現れた。いつも通りの仏頂面だが、姿を消した上官にいささか慌てたのか息が上がっている。

「野中少尉。すまない、南溟に散った戦友達に手を合わせていてね」

「そうであるなら、私にもひとこと仰っていただければ」

 野中少尉は目付役だ。金が朝鮮独立に際し武力蜂起を目指す可能性を感じた者達が、いざとなれば処断も辞さないと彼を送ってきた。

 金は完全な自治政府を得られるならばと、友人である李垠と共に日本陸軍に参加している。金はもともと、ソ連方面の支援により独立運動を指揮していたが、独立が実ったのだからと死を覚悟して投降したのだった。しかし陸軍で力を付けていた李垠らの助力で特務中であった事にされる。

 不審がる上層部がこの野中を目付役として金に従わせ、首輪を付けた事で手打ちとなったらしい。李の言葉ではそうだった。

「実にすまないね、だが白馬将軍は奔放なのだよ」

 金は野中にそう言って司令部に戻ったのだった。

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