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空中軍艦  作者: ミルクレ
27/41

戦闘機掃討

 マジュロ、ウォッゼ、マロエラップ、〈龍驤〉から集まった戦闘機。二二五機の内一二機が整備不良により帰還した。空中管制機型の深山が四機。機内には電探が積んであり、空戦に巻き込まれないようヤルートの西部で旋回している。

 マジュロとマロエラップから飛び立った四五機の紫電改は、遠目に〈龍驤〉の紫電改を眺める。

「あいつら、綺麗な編隊だな」

 菅野直は糸で繋がったように飛ぶ紫電改を見据える。二機で動くロッテ編隊に比べ、四機での編隊機動は遥かに高難易度だ。菅野達基地航空も四機編隊ながら、戦闘に入ればバラけるのを前提にした訓練をしている。

 相棒は本田稔だが水星エンジンの不機嫌の為に、マジュロ基地で置き去りだ。臨時で組むのは同じく相方が基地へ戻った三木兵曹だ。

「鼠のイチより各機。電探に感、方位マジュロよりの八〇度。鼠のイチより……」

 鼠のイチはマジュロの戦闘管制機だ。使用機は防御力に優れた深山だが、管制機型は更に機銃を増設している。

 空中管制機は戦場を俯瞰し、将棋の指し手が如く菅野達を動かす。正面からぶつけたり背後から襲われないようにする大切な任務だが、空母航空隊の一部では彼等を侮る見方もあるという。基地航空隊に比べ管制機との繋がりが薄いからであろうが、菅野に言わせれば猿山の猿だ。自分が一番高い場所にいると過信し、猛禽から襲われるまで威張るのだ。

「鼠のイチよりカク(各機)。猫は五〇から六〇」

「鼠から寅へ。寅は七〇まで上がれ」

 寅はマジュロの紫電改の事だ。雷電は丑で、零戦は兎、蛇、未に分けられ、〈龍驤〉からの応援はそのまま辰となる。米軍機は名前に(キャット)を持つものが多い事から、単純だが猫と呼んでいた。

「寅イチから鼠。敵機の数は?」

 全員に聴こえるよう全体に送信した林喜重の声は、雑音が多く混じる。

「寅イチ、敵機は此方より多いぞ。三〇〇に届くかもしれん!」

 寅の各機に動揺が走る。三〇〇機もの編隊とぶつかるのは、彼等歴戦の航空兵でも初めてだからだ。

「鼠から寅。雷電と紫電改が先鋒だ。そのまま直進してから覆い被さるんだ」

「寅イチより寅カク。このまま直進、合図で被れ」

 各小隊長がバンクや応答するが、若干覇気を弱めているように感じる。菅野は動いた。

「おい、菅野!」

 小隊長の鴛淵孝が咎めるが無視し、スロットルを大きく開く。

 ぐんぐん加速し林の隣に並ぶと、手信号で考えを伝えた。林は少し考えてから了承すると、寅全機に指示を出した。

「寅カク、寅カク。雷電の上昇が遅い。寅は先行して叩く」

 林の案では紫電改が引っ掻き回し、そこに雷電と〈龍驤〉隊が突撃するつもりだ。

 三〇〇対四五では一蹴されるだろうが、向こうはヤルート環礁を迂回したために前後に長く広がっている。実際に一撃目でぶつかるのは一〇〇にも満たないだろう。

「寅、増速」

 増槽を投下した紫電改に菅野は、水エタノール噴射装置による加速を掛けた。

「水エタノール噴射装置とはインタークーラーの代替手段のようなもので、低オクタン値の燃料で高出力化を図る装置である。圧縮された空気を水エタノール混合液により冷却し、高圧縮を可能とする……」

 水星発動機の新型を説明しに来た少佐の言葉は取り留めのない、はっきり言って意味不明なものだったが、離昇馬力一八五〇を叩き出す事さえ分かればよかった。

 回転数は順当に上がり、水エタノール噴射装置を使う準備が出来る。林や先に噴射を始めた機体は、排気筒から青白い炎を噴き出して菅野達を置いていく。

「三木、行くぞ!」

「宜候!」

 スロットルを一段ずらし押し込める。気筒内の酸素は冷やされ体積を減らし、より多くの空気を迎え入れた。着火した燃料と酸素の混合気はより大きな馬力を水星発動機に与え、菅野は座席に押し付けられる。

「三三〇ノット……こりゃあいい!」

 時速にして約六一一キロ。上昇速度ではかなりのものだ。

 米粒大であった敵機は、そのずんぐりとした機体が識別出来る距離になっていた。雲霞の如き様相のF6Fヘルキャットに対し、寅の紫電改は武田騎馬隊のように突撃した。

 機首を上げたヘルキャットを躱し、上面からの射撃になるように動力降下に入る。

 別方向から迫る雷電に気を取られ不用意にラダーを操作したヘルキャットに、菅野は二〇ミリ曳光弾を四条放った。両翼から伸びる光の帯はエンジンカウルを貫く。

 撃墜を確認している暇はない。旋条をなぞるような軌道を描き、別の敵機を光像式照準に捉える。

 外側二門に切り替えて放った弾は、風防を砕き光を散らせた。赤く染まったガラスを煌めかせ、意思を失った機体が緩やかに落ちていく。

 相棒を殺され逆上したのか、強引な旋回で菅野に機首を向けるヘルキャット。その主翼を曳光弾が突き刺さる。

 応力外皮を剥がされ骨組みだけを残した左翼は、後方にいた三木の仕業だ。大きく体勢を崩した機体は、翼を折り曲げて墜落した。

 ここでF6Fの群れを抜ける。当然背後には追撃する敵機だ。

 紫電改の突撃は敵編隊の左側面に行われた。紫電改が避退に入ると、後続のヘルキャットが追い縋ろうと旋回する。

 菅野と三木を追い掛けるのは四機のヘルキャットだ。紫電改との距離を詰め、優秀な降下速度を見せつける。

「縦回転!」

 通信機に怒鳴りつけ、水エタノールを停止させた。動力降下の為そこまで速度が落ちたようには感じないが、現実は後方のヘルキャットは大きくなっている。

 方向舵と空戦フラップを力一杯傾け、錐揉みを起こさせる。三木がバンクから真っ直ぐ宙返りし、ヘルキャットが釣り上げられた。

 三木の紫電改を貫くつもりだった敵一番機は、急減速し高度を急激に落とした菅野に下方から刺し抜かれた。

 零戦ほどの失速特性、つまり失速からの回復が容易くない紫電改でありながら、零戦でも難しい機動を行える。菅野は苦々しい思い出と共に、教官を務めていた嫌味な上官の顔を脳裏に浮かべた。

 敵二番機は宙返りに追従するのを止め、急降下によって退避した。機体の特性を活かし、二人には追いつけない速度で飛び去ったのだ。

 一度戦場から遠ざかり、高度を稼ぎながら乱戦の渦を眺める。

 空戦中に雷電と零戦が突入し、四〇〇から五〇〇もの戦闘機が荒ぶり、火を噴いていた。

 新型雷電は紫電改を上回る高速を誇るが、ヘルキャットには劣るようだ。零戦と紫電改の間程度の速度しか出せない旧式では、あっという間に喰われていただろう。

 動力降下しつつ両翼の一二.七ミリをばら撒く雷電。主力の二二型では二〇ミリを降ろし、一二.七ミリを六門備える乙型がある。米軍機顔負けの弾幕は景気良く空を切り裂いた。

「少ない機会に可能な限りばら撒く」為の乙型に襲われた敵機は、装甲板のない場所を砕かれて墜落する。

 しかし一撃目を終えた雷電は、ヘルキャットの追撃を逃れられない。動力降下でも追跡者を突き放す事が出来ず、背後からの驟雨に耐え切れず落とされていった。

 零戦も多くが苦戦している。腕に覚えがある搭乗員は、突撃する敵機を躱して死角に回る。だが間髪入れず加速するヘルキャットに追従する能力がない為、射撃し損ねてしまう事が多かった。

 無理をして深追いすれば、横合いから数に勝るヘルキャットが追い立てた。数発の命中弾で発火した零戦は、海面に突き刺さるまでばらばらと破片を撒き散らした。サッチウィーブに気が付かずヘルキャットを追いかけたのだ。

 正面からの撃ち合いになった零戦は、砕け散った両翼に構わず体当たりを企図したが、爆発と共に消え去った。

 三三型なら一二.七ミリ、その他ならば七.七ミリを叩き込まれたヘルキャット。その半数近くはよろけながらも機位を立て直している。零戦ではやはり分が悪い。

「我より三時方向!」

 三木の警告より先に殺気を感じた菅野は、フットバーを踏み込んだ。操縦桿を倒した直後、翼端を掠めるようにキャリバー50の光跡が通り過ぎた。

「三木、行くぞ!」

 菅野は此方に機首を巡らせるヘルキャットを睨み、勢いよくスロットルを開いた。


 同時刻、エニウェトク環礁陸軍司令部。

「雷電は苦戦している。速度で負けているそうだ」

「三式戦は大丈夫なのか」

「飛燕は雷電より二〇キロも低速だぞ。紫電改とは戦えるが……」

「雷電も新型を多く用意すべきだったか」

 司令部の面々は暗い表情を浮かべている。それを叱りつけるように、司令官の牟田口廉也中将が大声を上げた。

「貴様等それでも帝国陸軍か!一戦も交えずに反省会とは、覚悟が足らんぞ!」

 大陸では猛将との評判であった牟田口だが、参謀長に就任した八原博通にはただの猪武者にしか見えなかった。しかしその戦意は強烈なほどであり、ともすればペシミズムに陥る八原には有り難い部分もある。

 牟田口の作戦案には穴が多く使い物にならない事が多い。それを修正、廃案にする八原の苦労は大変なものであった。しかし牟田口に必要性を納得させれば、彼の持ち前の強引さで、航空機や搭乗員などを補充する事が出来たのだった。

「牟田口中将殿」

「なんだ八原参謀長」

 大きく息を吸い込み、八原はゆっくりと話し始めた。

「我々は此度の戦で如何な戦訓を得られるか、話していたのであります。米国の兵器に我が軍の兵器が劣る点があるならば、それを是正するべきであり、常に動き続ける空戦ならば、今から是正する事も可能なのであります」

「う、うむ……空戦は陸戦以上に疾く動くからな。空の戦は儂に合わぬ」

 八原の肩を叩く牟田口。

「貴様ほど柔軟ではないのでな。堀場航空参謀と貴様には期待しておる」

 突然、司令部施設の扉が開いた。そこに立っていたのは航空機を機上にて指揮する、エニウェトク航空基地の寺本熊市少将だ。

「意見具申、宜しいでありますか」

 細面に気迫を漲らせた寺本に、普段ならば怒鳴りつける牟田口も押されていた。

「寺本少将殿、どうかなされましたか」

 八原の催促に寺本は軽く咳払いをしてから答えた。

「深山のみ攻撃に使用すると、閣下が命じたと聞きました。八原参謀長の話と違うではありませぬか!」

 八原は驚いて牟田口を見る。

「マジュロが攻撃された。ならばそう遠くない場所に米艦隊がいるはずだ!九七式重爆では届かぬかもしれぬが、深山ならば攻撃可能。味方がやられるのを指を咥えて見ている事など、儂には出来ぬ!」

「深山は優れた航空機であります。しかし直衛を欠いたまま艦隊攻撃に向かわせては、ただの的でありますぞ!九七式と深山を纏め使うと、そうおっしゃったではありませぬか!」

 睨み合う二人。八原は胃が縮むのを感じた。

 そこに飛び込んできた伝令ほど、可哀想な者は居なかっただろう。紙を持ったまま、凍り付いたように動かなくなってしまった。

「八原、受けました」

 彼の手から紙切れを引っ張り出すと、そこに目を通した。

 嗚呼、海軍には千里眼でも居るのか。八原の胃は救われた。

「読み上げます。発、ウォッゼ基地。宛、エニウェトク基地。我、基地に損害無し。敵は戦闘機掃討を行えり。助太刀無用。戦力を温存すべし。第一航空艦隊司令長官、戸塚道太郎大将殿からであります」

「そう、か。ならば無理に出撃すべきではないな。深山は出さぬ。索敵に二式大艇と一〇〇式司偵を飛ばすだけだ」

「…深山は出さず、索敵のみ。了解であります!」

 踵を鳴らし敬礼する寺本。牟田口も翻意する切っ掛けになり、ほっとしているだろう。

 しかし電文には航空機の損害が書かれていなかった。戦闘機掃討という事は、空を埋めるほどの戦闘機が戦った筈だ。皇国を守る盾は無事であろうか。

「先鋒は武人の誉なり、か」

 八原の呟きは暖機する轟音に掻き消された。


「鼠イチやられた!避退する!」

 マジュロ上空では、この日三度目の戦闘機掃討が行われていた。

 零戦と雷電は大きく数を減らし、紫電改も無傷とは言い難い。総数で一五〇機程度を保ってはいるが、予備機まで投入した機数だ。軍令部の作戦以上に米軍の攻撃は熾烈だった。

 空中管制機にも損害が出始めている。場違いな深山に牙を剥く余裕があるのだ。

「明日には東マーシャルの戦力は枯れるな」

 菅野の冷静な言葉は二〇ミリ機関砲の爆音に混ざった。

 第三艦隊は索敵に躍起になっていたが、第六艦隊によればアメリカは、艦隊を複数に分けて運用しているらしい。現れた機数からして大型空母一〇隻程度はいるだろう。その全てが動き回っていては、第三艦隊司令部もてんてこ舞いだ。

「隊長、撃ち止めです!」

 第二次空襲から参戦した本田は、三機撃墜のスコアを重ねている。ロッテ編隊では技量が劣る方が囮になるのが通常だが、菅野は敢えて自ら囮になった。

 本田機はスコアと引き換えに弾切れを起こしたが、菅野機はまだ余裕がある。

「お前はマジュロに下がってろ!俺は鼠を虐めてるのを叩く!」

 八〇〇〇メートルまで駆け上る。水星が咳き込むが、水メタノールで強引に飛び上った。

 先ほどまで点であった深山も、四発の巨体を識別出来るようになっていた。その後ろから突っ掛かるのはヘルキャットだろう。

 マーシャル諸島と本土を繋ぐ輸送路に浮かぶポナペ島。そこで撃墜された搭乗員からのハンバーガー情報で、初めて分かったのがF6Fヘルキャットであった。

「俺が相手だこの野郎!」

 水メタノール液が尽きる前にヘルキャットを落とさねば。

 下から翼の死角を突き二〇ミリを撃ち上げた。しかしションベン弾になってしまい、目標の下を潜り抜ける。

 狙われていると気がついたヘルキャットは、僚機と共に翼を翻した。そこに深山から延びた曳光弾の帯が重なる。

「窮鼠猫を噛むってな」

 バランスを崩し、くるくると落ちていく敵機から白い落下傘が花開いた。

 先ほどの敵機と同様に深山を狙っていたが、僚機を落とされ激昂したヘルキャットが菅野に向かってきた。深山を攻撃した後だったのだろう。菅野達より低い位置だ。

 突然水星が黒い煙を吐き出した。菅野は血の気が引き、急いで計器を確認する。

 油圧油温、シリンダ温度などは正常だった。むしろ下がっていく。

 菅野がようやく思い当たったのは、水メタノール噴射だった。発動機は噴射による負荷を耐え切っただけで、水メタノールの混合液が尽きたのだ。

 水星発動機は一七〇〇を少し超える馬力を出しているが、この高度で二〇〇〇馬力を基本とするヘルキャットには、かなり分が悪いと言っていい。

 菅野は狂気を孕んだ笑みを浮かべ、ヘルキャットに正対する。

「正面から殴り合いだ!」

 衝突させるように機首を向かい合わせた菅野に、ヘルキャットは斉射で応えた。一〇〇〇キロを超える速度で接近し、二〇ミリと一二.七ミリが交差する。

 菅野は衝突すると思った一瞬後、機体が下から煽られた。高度を大きく落としながらも、体勢を立て直しに掛かる。

 フラップやラダーがひどく重いのは、何発か喰らった所為だろうか。

 二〇〇〇メートル近くまで落ちた菅野機は、弾薬も水メタノールのタンクも空になって身軽になっていたおかげか、どうにか水平を保つ事に成功した。

 酸素不足の頭もはっきりするにつれ、主翼や風防の穴に気がついた。これでは戦闘など到底無理だ。

 無線電話を砕いた弾薬をつまみ出し、マジュロがあるだろう北に旋回した。

 一二.七ミリのひしゃげた金属を弄びながら進むと、細長い島影と寄り添うような艦艇が見えてきた。

「計器飛行も中々やるじゃねえか、俺」

 自画自賛しつつもゆっくりと滑走路を目指す。ひび割れ白く白濁した風防をこじ開け、視界を確保した。

 滑走路は無事。着陸に失敗した機体が通せんぼしている様子はない。

 機体を軋ませながら減速。尻を下げて着陸に備える。

 着地した瞬間に大きな衝撃と普段とは違う揺れが起こり、菅野の視界は上を向いた直後暗転した。



 七月二〇日午前から始まった空襲は、三度のファイタースイープを掛けただけに留まった。ウィリアム・ハルゼーには不満が残る結果だ。

 日本軍機、その中でも数の上で主力だったジークとトージョーに対するF6Fの優勢は、「モーニングスター」の成否に大きく関わるだろう。

 ジークとトージョー、更には新鋭機ジョージの迎撃に対し、二〇〇機の撃墜を報じている。誤認や重複を差し引いても一〇〇から一五〇を撃墜しただろう。マーシャルの日本軍は六〇〇機程度の戦力を見積もっているが、エニウェトク環礁は他の島と離れている為、各個撃破が可能だ。

 日本海軍のタスクフォースは大型空母が七隻、軽空母が一隻だ。その他の空母はドック入りの真っ最中。八隻程度で勝てると思っているならば、あまり舐めないでもらいたい。

「明日も戦闘機のみ出すぞ。スタークの親父にせっつかれても、攻撃隊がやられちゃ意味がないんだ」

 参謀長のマイルズ・ブローニングも賛同するが、懸念についても言及した。

「明日も朝からスイープですか?戦闘機の補給が間に合わないかもしれません」

「補給に間に合わない?ヘルキャットはどれだけやられたんだ」

「TF39だけで七八機出した内、二三機が未帰還。九機が修理不能でした。ジョージと殴り合った機が多かったようで」

 ハルゼーにとって四割以上の損害は想定外だ。しかしガッツがあると評される彼の闘志は、こんなものでは衰えなかった。

「オーケー、明日は午後から攻撃を掛けるぞ。午前はボーイズを休ませておけ」

「モーニングスター」作戦総司令官はヘンリー・タワーズ太平洋艦隊司令長官だったが、彼は現場での裁量をハルゼーに委任していた。彼自身は本国からの矢の催促を抑える事に徹するそうだ。

「偉くなるのは大変だナァ」

 艦隊司令官は自分の上司を憐れんだ。



「寅所属は集まれ!」

 林の掛け声に何事かと駆け寄る隊員。その数はマロエラップに到着した時から若干だが減っている。

「〈竜驤〉の制空隊長の中島正少佐だ」

 林に紹介された男はまるで幽鬼の如しであった。無表情で不気味なほどに落ち着いているように、鴛淵には感じられた。その目は隈に縁取られている。

「中島だ」

 微笑を浮かべるが疲れが滲み出て、唇も薄っすら青い。ニューギニアでよく見た症状だ。

「林さん。中島少佐はマラリヤに罹患しています」

「分かっている。その所為で来たのだ」

 中島本人からの言葉に押し黙る。

「〈竜驤〉は二八機まで減っている。予備機は無く、共喰いで稼動機を保っているほどだ。空中管制機も割り当てられた深山が撃墜され、私もこの体たらく。そこで〈竜驤〉隊をマロエラップの紫電改部隊に任せたい、と林大尉に提案した」

「渡りに舟だ。了承した」

 林は隊員達の騒めきを抑えるように、ゆっくりと話した。その視線は鴛淵に向けられている。

 鴛淵がマロエラップ戦闘機隊の飛行隊長を林に任せたのは、彼が飛行隊長に不慣れであったからだった。ブインで戦っていた時は、赤松貞明元大尉の列機として飛んでいた。

 鴛淵は飛行隊長として転出する事が決まっており、戦友が強くなるのを願っていた。鴛淵自身の栄達より隊全体の強化を推進したのだ。

 林は事あるごとに鴛淵に意見を求めるのは、自分が間違いを犯さないかの確認が八割、面倒を押し付けた事に対する嫌味が二割である。

 中島は搭乗員についての補足を少し述べた後、崩れ落ちるように医務練へ運ばれていった。精魂尽き果てたのだろう。

 林は鴛淵を呼び止めた。

「寅の稼動機は二機増やした。菅野のは殆ど無傷だったから早かった」

「これで三二足す二八で六〇機か。林さんはどう思う?」

「難しい」

 林は空襲を防げないと即答した。

「でも守らんと」

「上はどうするかね……」

 ベトンで固められたトーチカでは会議を繰り返されているだろう。しかし外からでは光すら漏れていなかった。


「三木!」

 林の叫びは虚空に吸い込まれ、三木の機体が破砕する音は発動機音に押し潰された。

 ヘルキャットを追い掛けて水平旋回に入った直後、上方からの射撃を浴びたのだ。風防のガラスが飛び散り胴体が穴だらけになると、燃料槽が耐えかねたように爆発した。

 整備班の死力を尽くした共喰い整備のお陰で、六四機にまで増えた紫電改であったが、押し寄せる敵機は二〇〇以上を維持していた。

 零戦の大半は撃墜され三三型や一部の手練れを残すのみ。雷電は防御力の高さから生還率は高いが、機体が襤褸になっている場合が多かった。

 夜間防空に備えて温存していた月光を投入し機数こそ二〇〇を維持したが、予備機は尽きていた。

 小隊はばらばらに組まれ、林の列機はニューギニアからの古参である三木であった。三木は三日目の今回まで無傷のまま切り抜けていたが、先ほど散華してしまった。無口だがいつも笑っており、小噺などで隊を沸かせていた男だった。

 三木の仇に追い縋るが、横合いからの殺気に横転しつつ回避。火花のような曳光弾をばら撒きながら二番機が突撃し、一番機を救ったようだ。

 それらが駆け抜けた空白を、双発の機影が切り裂く。月光が動力降下でヘルキャットを追い詰めるべく、紫電改以上の降下速度で走り抜けたのだ。

 零戦未満の航続距離だが雷電よりは長く、屠龍よりも高火力で、護衛戦闘機としては相応しいと評判だ。

 二〇ミリを機首に三門という火力は、ヘルキャットに対しても効果は大きい。絡め取られた敵機は大穴を拵えて墜落していった。

 しかし雷電以上に旋回性能が劣る故に、乱戦になりやすい戦闘機掃討戦では不利だ。細く狭い胴体は戦場に突入しては離脱するまで、真っ直ぐ進むしかなかった。下手に格闘戦に入れば、ヘルキャットに屠られてしまう。

 ちなみに最高時速五九九キロと紫電改に一歩譲るも、水エタノール噴射装置の無い水星発動機は安定しているため、整備の手間は少ない。整備班には好評らしい。

 片方の発動機を穿たれた月光が、ふらふらと空域から離脱する。単発機には出来ない芸当だが、そのままではいい的になる。案の定目敏く弱った月光を狙うべく、ヘルキャットが旋回した。

 水エタノールを必要最低限の使用に限ったのは、いざという時のためだ。つまり今。

 単排気筒から炎を吐き、背面から追い詰める林。月光を狙う三機の位置を常に確かめつつ、直進に入ったところで急降下した。

 三七〇ノットを超えた辺りから、翼からの振動と操縦桿の重さが気にかかる。零戦初期型では空中分解する速度だ。

 必中を期して照準にはみ出すほどに近付く。これだけ近ければ相手も分かるはずだが、目先の獲物に入れ込んでいるようだ。

 少し長めに発射抦を引き、二〇ミリがヘルキャットの上面を舐めた。胴体の応力外皮に炸裂弾が突き刺さり、防弾ガラスがひび割れの白濁とヘモグロビンに染まる。

 二機目が回避する前に尾翼を砕かんとするも、目前で急降下に入られたがために二〇ミリは空を切った。

 そのまま月光に喰らいつく一機を通り過ぎ、下方から再び機首を持ち上げる。端から見れば、目標の航跡を縦に縫うように見えただろう。零戦でよく使う戦法だ。

 ヘルキャットの太い胴体が目前に現れる前から射撃し、エンジンカウルに命中する。そのまま撃ち続け、右主翼を弾痕が走り抜けた。

「無事なりや?」

 手旗信号で問うたが、搭乗員の笑顔を見る限り無傷のようだ。

「謝す」

 繰り返し感謝を述べる月光搭乗員にバンクで応え、再び乱戦空域に機首を翻した。


 林が戻った時には、既に空戦は終息に向かっていた。そこで早くは初めて、マジュロ環礁が見える位置まで、戦場が移っていた事に気が付いた。

 空中には一二機の中隊規模で集合した日の丸飛行隊が、円を描くように飛んでいる。

「寅イチより寅全機、寅イチより寅全機。マジュロ南で集合せよ」

 五分もしない間に、紫電改が四〇機程集まる。規模としては戦隊、〈竜驤〉隊が加わってからは二個戦隊ほどであった戦力。林は四〇機も残った事に、感動すら覚えていた。

「中隊カク、報告」

 集計すると四〇機の多くは基地航空のようだった。艦載航空隊は大戦果を代償に、ほとんどが被弾により基地に戻ったか撃墜された。

 翼端をジュラルミンの木っ端に変えていた機体や、主翼胴体問わず被弾のささくれが目立つ機体もいる。

「早く降ろしてやらなくてはな」

 損傷が大きい機から降ろすと林が命じると、「俺よりもこいつを」「自分はまだ大丈夫」と嫌がる隊員。

 苦笑する林に、鴛淵の助け舟が出された。

「早く降りな。駄々をこねたら、それだけ林隊長の降りる時間が遅くなるんだぞ!」

 後から整備班に聞いた話では、寅部隊の着陸は機体同士の距離が近く連綿と繋がったようであり、激戦を潜り抜けた後にこれほどまでの見事な着陸を魅せた寅部隊は、日本海軍一の練度だと評判だったらしい。



 米軍襲来から四日目。早朝から慌ただしく動き回っているのは、航空機の整備班だけではなかった。

 タラップを駆け上がり、ボイラーの圧力を上げ、砲熕兵器を準備する。五隻の軍艦がマジュロ環礁に浮かんでいた。

 マジュロは細長い環礁だ。航空基地は島に並列するように造られ、環礁の内側からは全ての施設がよく見えた。

「戸塚長官より、空中艦は制空戦闘の要請です」

 参謀長の原田覚の言葉に、草鹿任一はにやりと笑う。

 砲術参謀の大野竹二は第一艦橋の窓際に立ち、シャッターを閉じさせない。

「〇四〇〇。草鹿長官は司令塔へ」

 原田の催促に首肯、航空参謀の千田貞敏と肩に手を乗せた。

「航空参謀。私は司令塔に降りるが、少しでも敵機の機動に違和感があれば直ぐに知らせてくれ」

 敬礼する千田の表情は誇らしげだ。

「現在高度二五メートル。風力北より弱」

「高度上げ、五〇〇メートル」

「前進微速、水平保て」

 エレベーターに乗ったような感覚にふらつく者が出るが、草鹿は軽い足取りで司令塔へ降りる。

「司令室とでも名乗った方が良いな」

 依然からの感想を口に出した草鹿だが、視界以外の外部の情報が最も集まる場所なのは、水上艦と同様である。

 海図を乗せられる大きな机を囲み、司令塔要員は図に鋲のようなものを多く刺している。マジュロに接近する航空機の塊を、電探や無線からの情報を基に更新しているのだ。

 電探の画面は波を映し、肉眼では届かぬ距離の空戦を知らせている。

 草鹿が現れた為、手空きの士官達が敬礼する。決して広くはない司令塔では、全員の顔が識別出来る。各人不安こそあるものの、士気は高そうであった。

「〈筑紫〉高度二五〇メートル。〈相模〉若干遅れてます」

「〈松島〉〈厳島〉〈橋立〉前進。マジュロ西方に遷移」

「マジュロ基地を抜けます!」

 島を押し潰すように通過し、マジュロの盾になる。かなり近くに占位するが、高度を下げて対空砲の干渉を減らす。

「対空砲は同高度から上方に指向出来るようにしました」

 草鹿は藤本喜久雄の説明を思い出した。〈筑紫〉を始め空中艦は全て彼の設計だ。

「大口径噴進砲に関しては余り考慮していません。主砲と副砲で射程外から破壊するしか……」

「基地近くに占位し防空特火点にするとの事ですが、停止していては袋叩きに遭います。特火点というより攻撃を積極的に行うべきです」

 藤本の言葉が次々と浮かぶ。彼は空中艦を攻撃に使う前提で設計したのだ。我々用兵側がそう要求したのだから。

 その用兵側が前提にない運用を求めるのだ。藤本には悪い事をしたかもしれぬ。それでも真剣な眼差しで防空機動の議論に参加してくれた藤本に、赫々たる戦果を伝えねばなるまい。

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