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空中軍艦  作者: ミルクレ
26/41

濁流

 一九四三年七月半ば。〈長門〉艦上は熱気に溢れていた。その中で不安を隠しきれない者もいる。

「マーシャルの第一航空艦隊は弱体化。第二艦隊は本土待機。実質的に半減ではないですか!」

 第一艦隊参謀長の福留繁は、心情を吐露した。

 マーシャル諸島の基地はエニウェトク環礁に陸軍を集中させ、最後の盾として堅持する事が決定していた。先の戦いで奮戦したウォッゼと、対空砲のみだったマジュロとマロエラップに第一航空艦隊が配される。その戦力は零戦一二〇、月光六〇、雷電六〇、紫電改四五と一式陸攻三〇、深山四〇、九九艦爆四〇機、九七艦攻四〇機、昨年から配備か始まった哨戒機の東海一二機の四四七機。艦砲射撃で大破したクェゼリンは放棄されており、マーシャル基地航空は大幅に戦力を減らしていた。

「〈金剛〉型は回せないのですか!五〇機だけでもかなりの戦力ですぞ」

 連合艦隊作戦参謀の樋端久利雄が首を振る。

「〈金剛〉型は新兵器搭載のため、慣熟が必要です。訓練もせずに出しては、故障に対応出来かねます」

「第三艦隊の艦載機はすべて更新済みです。紫電改は急造ながら敵新鋭戦闘機に伍する性能を持ちますし、彗星は五〇番(五〇〇キロ)を搭載可能、天山は速度性能が大きく上昇しております」

 樋端と同じく連合艦隊から来た首席参謀宮崎俊男が続ける。彼はアメリカ通として鳴らした男だが、自分の説明には納得していないようだ。アメリカはこれぐらいの優位では対抗出来ないと知っているような話し方だ。

「主席参謀の言う事は理解出来る。しかし戦艦が、〈大和〉が来ないのは痛いぞ。向こうが新造艦で固めているのに対し、こちらには第二艦隊の巡戦が最新では」

 一四インチ搭載艦ではアメリカの一六インチ搭載艦に対抗し得るとは思いない。そう暗に言っているようだ。

「〈大和〉並びに〈武蔵〉は命中箇所の修繕に一ヶ月を要します。それからであれば、第二艦隊と共にマーシャルに来援が可能です」

 後一ヶ月、米軍が待っていてくれればいい。しかしそのような楽観論は樋端本人も信じていない。

 近藤信竹が口を開いた。

「我々第一艦隊は、正面からぶつかり合うのが仕事だと思っておった」

 司令部の意識が近藤に集まる。

「だが今回の戦、それでは勝てぬ。アメリカの物量はこちらを遥かに上回る。漸減邀撃もなくぶつかれば、二度目はないだろう」

 樋端に視線を移す近藤は、優しい目をしていた。

「第一航空艦隊とも話した。我々は遅滞戦術に徹する。第三艦隊は戦力の維持に徹し、反撃の機会を窺ってもらう」

 福留や砲術参謀の牟田口格郎は目を剥いて驚き、樋端は頭が真っ白になったように動けなかった。

 守旧派の重鎮として知られていた近藤が、航空主兵の権化である第三艦隊にすべてを任せたと言った。

 樋端達は近藤の説得のために来たようなものであったが、近藤自身が樋端の説明しようとしていた作戦を逆に提案してきたのだ。

「近藤長官は」

 かすれ声で樋端が言う。

「長官はそれで、よろしいのですか」

「ああ。存分に使い潰してくれ」

 にこりと笑った近藤は、戦場に似つかわしくない姿であった。


 二時間後、マーシャル諸島のウォッゼに樋端はいた。

 彼の脳裏では作戦が浮かんでは消え、消えては浮かぶを繰り返していた。

 マーシャルの第一航空艦隊。第三艦隊の所属機が更新されたため出た余剰機が多いが、搭乗員はクェゼリン基地の生き残りが主だ。

 第一艦隊。第二戦隊〈長門〉〈陸奥〉第三戦隊〈扶桑〉〈山城〉第四戦隊〈天城〉〈生駒〉第六戦隊〈伊吹〉の戦艦七隻が主力だ。

 第一一戦隊の〈古鷹〉型四隻は主砲を全て十五.五センチに換装しているため、砲撃戦では軽巡程度の攻撃力しか持たない。伊藤整一戦隊司令は装填速度で圧倒するべく、日々訓練を続けているらしい。

 実質的には唯一の重巡、第二艦隊の第八戦隊〈利根〉〈筑摩〉には責任が重くのしかかっている。重巡の数で圧倒された場合は、巡洋戦艦の援護が必要になるだろう。

 第一、第二水雷戦隊は敵新鋭戦艦に対する秘密兵器だ。酸素魚雷の命中ならば、新鋭であろうと大損害が期待出来る。二水戦は〈陽炎〉型と発展型の〈夕雲〉型が配属されており、これらの駆逐艦を無事に雷撃位置に就かせるために、第一艦隊は重巡を無くしてまで軽巡が充実させたのだ。

 第三航空戦隊の〈龍驤〉は第三艦隊に供出され、小柄ながら独特な艦影で存在感を発揮している。三〇機以上の紫電改による直衛は、他の空母の盾として働くだろう。

 第三艦隊は開戦時から強化されている。第一航空戦隊〈赤城〉〈加賀〉第二航空戦隊〈蒼龍〉〈飛龍〉第六航空戦隊〈翔鶴〉〈瑞鶴〉に加え、第六航空戦隊所属として〈大鳳〉がいる。

〈大鳳〉は基準排水量三〇〇〇〇トン、全長二六〇メートルの巨大に、一〇〇機の搭載機数を誇る新鋭空母だ。ハリケーンバウと呼ばれる艦首と飛行甲板が一体化した形状や、艦橋の上から斜めに飛び出した煙突など、新技術を詰め込んだものとなっている。エレベーターはこれまでの空母と違い二基しか持たないが、甲板が大きいため発艦ペースは短縮されるだろう。

 先だっての〈大和〉被雷では大損害を出した水中防御も、〈大鳳〉では液層を組み込んだより先進的なものが採用されている。また敵機が雷撃位置に就くためには、一二基の一〇センチ連装高角砲と一〇基の四〇ミリ四連装機関砲、同じく一〇基の二五ミリ三連装機銃を掻い潜る必要がある。

 彼女達空母を木村昌福が指揮する第七戦隊〈最上〉〈鈴谷〉〈熊野〉〈三隈〉と、防空駆逐艦〈秋月〉型で構成された駆逐隊が守る。

 これだけ集めたのだから、アメリカ軍の来襲など鎧袖一触だと豪語する輩もいる。しかしそれを聞く度に、樋端の恩人である山本五十六海軍大臣は吐き捨てた。

「アメリカの力を知らんから、そのような馬鹿が言えるのだ!彼の国に勝とうなどと考えるからいかん。負けてもらうしかないのだぞ!」

 樋端はアメリカの政治形態を日本のそれと比べて、脆弱だとは思わない。一部では国民の反対で戦争を止めざるを得ないという点で、権威主義体制である我が国が優れていると言う者もいる。しかし統制と集中によってなんとか国力を底上げした日本に対し、アメリカは経済発展が止まらない。またアメリカでは五.一五事件や二.二六事件が起こる可能性はない。大打撃を受けたところで、白熱した民衆がいる限り戦争を続けられるのだ。

「作戦参謀!」

 陸軍の隼の傍らに宮崎が立っていた。考え事をしている間に、マジュロから戻ってきていたようだ。

「二式噴進弾だが、一型が四〇発。二型が六〇発だった。ロ号は一〇〇を超えていた」

 無誘導で総重量二五〇キログラムの噴進爆弾であるイ号一型。それに有線の誘導機能を付けたのがイ号二型だ。誘導装置は調整が難しく有効ではなかったが、直進させるだけならば問題ない。

 イ号二式二型は八〇〇キロの無誘導噴進爆弾で、発射後一〇秒で炸裂する。空中炸裂させる点では艦艇の三式弾のようなものだ。外殻が薄いため、強固な目標に対しては有効ではない。地上の発射台だけでなく、九九双爆による使用も念頭に置かれている。

「先任。単独での艦隊攻撃は難しいと考えます」

 宮崎に対して臆面もなく語る樋端。宮崎もアメリカの空気に慣れているからか、正直に話すように樋端にも言い含めてある。

 その宮崎は頷く。

「防空に徹するか連携か。だが、搭乗員は納得しないぞ。どうする?」

「アメリカはマーシャルから第三艦隊を釣り出すつもりでしょう。第三艦隊を無力化した後、マーシャルの攻略に掛かるはず。その際、第一艦隊とぶつかります」

「第三艦隊との戦いでアメリカにどれほどの戦力が残るか不明だが、マーシャルを圧倒出来ると判断すれば……」

「マーシャルの第一航空艦隊と直協します」

 直協、と呟く宮崎。

 基地航空と空母艦載部隊はお世辞にも仲が良いとは言えない。また基地と空母では環境が違いすぎる。合同作戦など出来ないというのが通説だ。

 空地分離。

 基地や空母から航空部隊を分離。迅速な展開や戦力の集中に繋がる。基地や空母の能力が許す限り、いくらでも戦力を整備し送り出す事が出来るのだ。その為には大量の整備員や、各基地の差を減らす必要がある。時間的余裕がないために見送られたものだ。

 連合艦隊司令長官の嶋田繁太郎が「空地分離とはなんぞや」と聞いた際に、樋端が答えていたのを思い出していた。彼は空地分離が総力で劣る日本が、局所的優位を得るために必要であると語っていた。

 今、彼の提案は空地分離では当然の戦術に思える。樋端はこの危機を利用して、空地分離を目指すのではなかろうか。しかし有効であると、宮崎の知能が打ち出した。

「戸塚大将に話す。行くぞ」


「前例がありませんが……」

 第一航空艦隊参謀長の佐々木半九は眉を顰めるが、司令長官の戸塚道太郎は興味を持ったようだ。戸塚は海軍大臣山本五十六によって航空畑に引っ張られた人物だ。空の戦いには詳しく、前任が重傷を負った後の後任としてウォッゼに着任した。

「亀井君、どう思う?」

 航空参謀の亀井凱夫も力強く賛同した。

「マーシャルの戦力ではアメリカに正面からぶつかれません。第三艦隊との協調は渡りに舟ですぞ」

 戸塚が立ち上がる。

「了解した。第三艦隊と連絡を取る。亀井君を第三艦隊に向かわせよう」


「我々としては異存ないが」

 塚原二四三第三艦隊司令長官。彼の表情は基地との協調の困難さを考えているようだ。前例がないため、手探り状態で実戦する可能性もある。出来るだけ事前に問題を洗い出す必要がある。

「言い出しっぺは我々です。当然、お手伝い致しますゆえ」

 半刻後。宮崎と樋端、亀井の三人は〈大鳳〉の会議室で、第三艦隊の面々と作戦を煮詰めていた。

「第五艦隊からの報告は、直接〈大鳳〉とウォッゼ司令部に届きます。索敵はウォッゼを主として、第三艦隊の索敵機をこちらに移し、予備機を組み立てておきましょう」

 会議室の諸氏は樋端の言葉に賛同するが、第三艦隊の参謀長大林末雄が口を挟む。

「零戦に比べて紫電改は航続距離で劣る。攻撃隊は直接第三艦隊に降りず、ウォッゼで補給しては?」

「一航艦ははっきり申しまして、攻撃を無傷に切り抜ける可能性がとても低いと思います」

「では攻撃隊の直衛……は難しいか。ならば艦隊上空に零戦の笠をお願いしたい」

「それならば零戦が最適ですな」

 第三艦隊航空参謀の源田実はマジュロ基地を指し示す。

「マジュロが攻撃される際、第三艦隊から〈龍驤〉の艦載機を出します。同時攻撃の直衛としてもお使いください」

「ならば〈龍驤〉は分派すべきか?」

 宮崎に対し首を振る源田。

「第三艦隊近くに置いた方が危険は少ないです。空母一隻では自衛もままなりません」

「てえことは」

 亀井が砕けた口調で話す。元々戦闘機の搭乗員だ。荒っぽい言葉遣いが素なのだろう。

「マーシャルに付かず離れず、両方を相手取る必要がある距離にいりゃいいんですな」

「第一艦隊が西に控えている以上、そちらに向かわせるわけにはいきません」

「エニウェトクには陸軍さんがいる。エニウェトク兵団の牟田口中将は、守るだけなら心配ないとさ」

「恐らくアメリカ軍も、エニウェトク環礁に閉じ籠っている大兵力を知っているはず。ここを避ける、となると……ここです」

 樋端はマジュロ南方の海上を指揮棒で叩いた。



〈エセックス〉級空母〈エセックス〉に将旗を掲げる第三三任務部隊(TF33)の司令官レイモンド・スプルーアンスは、自室で書類仕事に追われていた。

 大艦隊を三つに分け、それぞれが相互に作用するのだ。支援艦隊や兵站も含めれば三〇〇隻を超える艦艇が動く。それに付随する書類も膨大な量だ。

 TF33の空母〈エセックス〉〈ヨークタウン〉と〈インディペンデンス〉〈ベローウッド〉は、前任者のマーク・フレッチャーにより鍛え上げられた者ばかりだ。技量も実戦経験もあり、フレッチャーの左遷は上層部のミスだとスプルーアンスは感じた。

〈ノースカロライナ〉〈ワシントン〉の戦艦二隻、〈アストリア〉〈ミネアポリス〉の重巡二隻、〈ブルックリン〉〈フィラデルフィア〉〈サバンナ〉〈ナッシュビル〉の軽巡四隻、そして多数の駆逐艦が護る姿を、フレッチャーは見たかっただろう。先の「グレナディアーズ」作戦は明らかに立案時におけるミスであるのを、フレッチャーにその責を負わせた形である。彼の無念は推し測る事は出来ないほどだ。

 ここまでフレッチャーを持ち上げる理由は、親友であるチャールズ・ムーアを参謀長として鍛え上げた手腕を、スプルーアンスが高く評価しているからだ。同僚であるウィリアム・ハルゼーと共に嘆願書を提出したが、却下されたのはスプルーアンスが〈エセックス〉にいる事から明白だ。

 そのハルゼーは皮膚病から復活し、第三九任務部隊(TF39)を率いている。ハルゼーの旗艦〈エンタープライズ〉は、彼の愛した〈ヨークタウン〉級空母の名前を継いだ最新鋭艦だ。同じく空母から継承した〈ホーネット〉〈レキシントン〉と轡を並べ、〈カウペンス〉〈モントレー〉を直衛空母としてマーシャル諸島を目指している。

 第三六任務部隊(TF36)はマーク・ミッチャー率いる、最も規模が大きい艦隊だ。〈ワスプ〉〈フランクリン〉〈ラングレー〉〈カボット〉と航空戦力が最小である代わりに、〈サウスダコタ〉〈インディアナ〉〈マサチューセッツ〉を持つ。

 空中艦は〈コネチカット〉級で唯一撃墜された〈コネチカット〉を除いた三隻〈オレゴン〉〈コンステレーション〉〈コンスティテューション〉、〈アラモ〉級の〈アラモ〉〈エンデヴァー〉が参加。第三一任務部隊(TF31)として柔軟な運用を行う。司令長官はウィリアム・モフェット。参謀長はチャールズ・マクベイ三世。共に空中艦に長く関わってきた。モフェットは後方任務が長いが、マクベイがそこを補うだろう。

 これだけの戦力を並べたのだ。マーシャルを揉み潰せ。モフェットの左遷後、合衆国海軍司令長官に就任したハロルド・スタークの怒声が聞こえてきそうだ。

〈エセックス〉級六隻、〈インディペンデンス〉級六隻、〈ワスプ〉の一三隻の空母。艦載機は八〇〇機以上だ。更にはここに、ピストン輸送による補給を行う護衛空母群が加わる。戦艦では五隻と日本軍に数は劣るが、最新鋭艦ばかり。〈ガトー〉級潜水艦の一隻である〈アルバコア〉が、オキナワで日本軍の最新鋭戦艦二隻を大破させた報は、五隻で対応出来るという判断材料になった。

 F6Fヘルキャット、SB2Cヘルダイバー、TBFアヴェンジャーと艦載機を更新した事も、彼等の自信を強めた。マーシャル諸島を奪還し、同時に抵抗する日本軍を殲滅するべく、「モーニングスター」作戦が開始されたのは、一九四三年七月半ばの事であった。



「マロエラップの滑走路、使いにくいな」

 鴛淵孝少尉は紫電改を操り、砂埃の舞う直線に降り立った。

 笹尾四郎の二番機は軽く跳ねるが、数フィート距離が伸びるだけで済んだ。彼の機体は計器が陸軍式で、いざという時に読み間違えが不安である。しかし当人はノットフィートよりキロメートルの方がいいと言っているので、そのまま乗せ続けている。

 三番機、四番機はそれぞれ危なげなく降り立った。三番機の柏原保少尉は欠伸混じりだ。

 停止位置に着き、発動機の火を落とす。風防を開くと意外と涼しい風が吹く。軋む身体の節々をごりごりと鳴らして、先に降りた林喜重中尉の元へ向かった。

「紫電改三〇機、マロエラップ基地に着任致しました」

 林の敬礼に皆続く。答礼するマロエラップ基地司令の佐薙毅中佐は、長い南方で黒く日焼けしている。白い眼は優しげに弧を描いていた。

「ウォッゼにも無事、一五機降りた事を把握している。よく来てくれた」

 夜も更けている為早々に解散する。椰子の丸太小屋が新たな兵舎だ。そこに向かう途中、鴛淵は見知らぬ車両を確認した。

「おい海軍さん、何かあったか?」

 砲身を磨く男が軽々と飛び降りた。月の光もない夜だが、その男の獣のような眼がよく見える。

「文句がある訳じゃないんだ。ニューギニアで戦車を見たが、こいつは全然違うな」

 愛車を褒められたのが嬉しいのだろうか、目尻が下がったように感じる。

「ニューギニア帰りだったか、すまんすまん。あんたの目利き通りさ。こいつぁ九七式じゃない。三式だ」

「三式ってことは最新鋭か。チハより随分大きくなったな」

「チホだ。砲身長四〇口径、七六.二ミリの主砲だからな。チハより三センチ近く大きくなってる。しかもな」

 砲身を掌で叩く戦車兵。鈍い音が響く。

「この砲はあんたらの高射砲だよ。中退器やら尾栓を弄ったがね」

 それは驚きだ。高射砲、海軍式に言うなら高角砲を戦車に載せるとは。

「誰だか知らないが、頭が柔らかい奴が中央にいたんだな」

「海軍さんの砲を積んだ戦車だ。陸上戦艦ってところか?」

 互いに笑い合ってから、鴛淵は右手を出す。

「鴛淵孝、戦闘機乗りだ」

「西住小次郎」


「高角砲の戦車かあ。防空も出来るんですかね?」

 今回派遣された紫電改の部隊はニューギニア基地で戦った者が多く、鉄拳制裁や精神注入などは行われていない。激戦の中でそのような事をしていた搭乗員は、無駄な体力を使う馬鹿か周りが見えていない馬鹿だけだった。そしてそのような搭乗員が生き延びられるほど、これまでの戦いは温くなかった。

「本田さんはどう思います?」

 笹尾の問いに少し考えた本田稔は、偉そうに胡座を掻く。

「阿呆。時限信管の調節が出来ると思うか、あの箱の中で」

「狭そうですもんね」

「雷電も狭さじゃ負けてなかったがな」

 二人の軽口に引っ張られるように、兵舎は賑やかになる。しかし長旅の疲れか、その声も減るのは早かった。分隊長になった林は既に船を漕ぎ、菅野は大いびきだ。

「星が眩しいな……」

 鴛淵は右手で顔を覆って寝に入った。


 西住大尉は愛車に椰子の葉の偽装を、丁寧に重ねていた。背後に気配を感じ振り返ると、小柄な影が陸式敬礼で固まっていた。

「隊長殿」

 九九式砲戦車(ホイ)一〇両を束ねる神山少尉は、上着の半分を潤滑油で黒く汚していた。

「八両は戦車壕に入りましたが、二両は鍬を溶接し工兵の手伝いをさせております」

 マロエラップは狭い環礁だが、人力では手に余る作業が多い。工兵のバックホウなどの建設機械は、全体数が足りていない。多くはマリアナ諸島の要塞化やビルマ方面の啓開に持っていかれ、最前線のマーシャルには殆ど届かない。

 そこで戦闘車両でも履帯を持つ戦車は、追加装備として建設機械の代用が求められた。鍬や圧延用ローラーを曳く戦車は、西住には見慣れた風景だ。

「今日降りてきたの、随分呑気でしたね」

 神山が兵舎に目を移す。マロエラップはアメリカ軍の襲来を前に、どこもかしこも緊張感が漂っている。他の基地も似たようなものだろう。

「彼等はウォッゼで先の戦いを生き延びたつわものだからかな。半分はニューギニア帰りだ」

「そりゃあ……」

 ニューギニアでの戦闘は空戦も陸戦も、凄まじい消耗戦であった。西住の友人で尊敬する戦車指揮官も、その戦いで戦傷を負い本土へ帰還している。 ちなみに傷が癒えてからはビルマへ向かったらしい。

「力強い援軍でありますな」

「ああ」

 激戦は必至のマーシャル。西住は気合を入れ直した。

「ビルマの島田さんに負けられないぞ。マーシャルは落とさせない」



 藤本喜久雄は苦境に立たされていた。

 平賀譲が死去した後、反平賀の派閥と平賀の弟子達が対立し始めたのだ。

 平賀の設計は保守的かつ乗員に負担を強いるものが多い。拡張性をかなり削った彼の設計により、改装の必要が大きくなったとしてもそれが行えない事態が多くなっていた。

 その結果、用兵側の要求をより多く認めるべきと考える設計者も増えていく。しかし第四艦隊事件では、用兵側の要求が過大だったために艦艇の耐久性や復元性に欠点が生じ、台風によって大破や沈没する艦艇が出た。当時の海軍大臣であった山梨勝之新は、この事件の責任を取り辞任したほどだ。

「僕には止められません、藤本さん」

 海軍艦政本部で設計のトップにいる江崎岩吉は、彼が少将になって以来久々に会った藤本に、苦々しく心中を吐き出した。

「本部長はどう言ってるんだい?」

 艦政本部は岩村清一中将が本部長に就任している。近々交代するらしいが、彼の現実的かつ先進的な見識は、空母や空中艦の充実に一役買っていた。

「岩村本部長もてんてこ舞いです。確かに自分は新技術でも躊躇せず使うべきと思いますが、裏付けがあってこその新技術です!若いのが吹き上げるのは冒険小説程度のものばかりですよ!」

 冷たい麦茶を呷り氷を噛み砕く江崎。今度は同期の福田啓二に対する愚痴を吐き出し始めた。

「福田も福田だ。一〇〇万トンの軍艦は理論上は造る事が可能なんて言うから、それを聞いた若い士官どもが無理難題を吹っかけてくるんです!」

 藤本に申し訳なさそうな顔を向けるのは、江崎の付き添いを買って出た牧野茂。牧野は若手のまとめ役になっており、用兵側の直談判にも対応している。江崎と福田の確執(と思われている)を近くで見ているだけに、周りが煽っているのがよく分かるのだろう。迎えに来た際、藤本に「今夜は江崎さん荒れると思うんで」と断りを入れていた。

 結局その日、江崎は明け方まで呑み続けた。いくら明日が休日だからといって、正体を無くすまで呑むのは頂けない。そう思いながらも藤本は、牧野と共に江崎を彼の自宅まで送り届けたのであった。

「藤本さんの奥さんが作ったおにぎり、また食べたいなあ」

「うちのも牧野君の様子が気になってたよ。友雄も大きくなったぞ。今日は家に泊まっていきなさい」

「それは悪いですよ……と」

 牧野が急停車させた。前を覗いたところ、カーキ色の陸軍装が飛び出してきたところであった。男はぎょっとした様子だったが、飛び出した非礼を詫びるように敬礼する。

 心が騒つくのを感じた藤本は、扉を開けて男を招いた。

「陸軍さん。急ぎなら送っていこう。私は海軍造船中将の藤本だ」

「……申し訳ありません。一刻を争う故、乗せてもらうであります」

 黒い革の座席に滑り込む男は、陸軍少将の襟章の割にとても若く見えた。

「そんなに急いでどうしたのかね?」

「海軍にも関わりが深い事であります。マーシャルが空襲を受けたのであります」

 遂にか。藤本は軍令に関わる事は無いが、マーシャルを巡る戦いが起こるのは漏れ伝わっている。

 上がった息を整えながら、思い出したように男は藤本に向き直った。

「申し遅れました。自分は陸軍参謀本部付、相沢三郎少将であります」

噴進弾の名称に一部誤りがありました。

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