アンダーシーボート
一九四三年三月末。
「取り舵一杯!」
マルハ型輸送艦〈ししど丸〉は自慢の健脚と二枚の舵を使い、魚雷に正対する。艦首を発射方向に向け、魚雷と魚雷の間を抜けるか、艦首が発生させる波の勢いで弾き飛ばすのだ。
「舵戻せ!」
雷跡は白い泡を曳いて接近し、艦橋から見えなくなると艦長達は身を強張らせた。
誰もが無言で首をすくめていると、艦尾を窺う乗員がスピーカーを掴む。
「雷跡抜けた!」
力が抜ける乗員達を、便乗する海軍少佐が怒鳴りつけた。
「二発目三発目が来るかもしれんぞ。気を緩めるな!」
〈伊勢〉から飛び立った陸軍の哨戒機も航跡を遡って潜水艦を探す。三式回転翼機は旧三番砲塔の辺りから新たに飛び立ち、空には合計八機もの回転翼機が舞っている。
三式回転翼機は愛称を公募した結果、隼に決定している。小型の爆雷を搭載し、対潜哨戒機として運用される他、元々の用途である弾着観測にも活躍している。滑走距離がほとんど要らないことから、艦と艦との連絡機としても重宝されている存在だ。
マルイ型輸送艦の〈三亜丸〉から飛び立った隼が、ドラム缶のような爆雷を投下し、発光信号により位置を海防艦へと知らせる。
〈鵜来〉が一五ノットで接近し、定数以上に載せた爆雷をばら撒く。旧来の軌条を滑らせる物や、火薬で遠くの海面に落とす物。あらゆる対潜兵器を駆使し、攻撃を仕掛けてきた潜水艦を炙り出す。
艦載爆雷の半数以上を投下した頃、白い泡に紛れて重油の黒い膜が広がり始めた。
「ふう……」
〈ししど丸〉艦長はやっと力を抜き、艦長席にもたれかかる。伸びきった髭を撫でつけながら、横目に煙を上げる僚艦を観察した。
〈さんたな丸〉と〈木佐貫丸〉が原則に大穴をこしらえ、煙を甲板から吹き出している。マルイ型やマルロ型は、艦内は単純な構造のため、沈没は免れないだろう。
更には〈男鹿〉が赤く塗られた喫水下を晒していた。〈伊勢〉に向けて放たれた魚雷を体当たり同然の攻撃で破壊し、その魚雷が至近で炸裂したために吹き飛ばされたのだ。
〈沖縄〉が二隻目を探して爆雷を撒き、〈夕張〉が救助を行っている。〈夕張〉は軽巡だが魚雷発射管などを降ろし、そのスペースを利用して短艇などを搭載している。このSバ二五船団の旗艦でもあり、護衛艦隊の少将が座乗していた。
佐世保から油田施設のあるバリクパパンへと向かう船団は、食糧や生活雑貨を積んでいた。〈ししど丸〉などは医薬品を満載しており、アルコールなど可燃性の積荷も多い。被弾すれば誘爆し、ひとたまりもないだろう。
〈伊勢〉はシンガポールへ移動するため、Sバ二五船団に随行している。〈伊勢〉が護衛してくれるため、潜水艦は〈伊勢〉を狙い、それを海防艦が仕留めるというパターンが繰り返し行われていた。そのおかげで、今の今まで被害は無かったのだ。
〈ししど丸〉艦長にとってこの風景は、開戦直後の南方で目撃したものによく似ていた。
その時は〈扶桑〉〈山城〉や特設水上機母艦によって、上陸部隊や輸送船団を守る空の盾となっていた。
「独航船狙いもこんな美味そうな獲物がいたら、こっちを狙うよなぁ」
マルイ型一〇隻、マルロ型二〇隻、マルハ型四隻。それを守る戦艦一隻、海防艦八隻。
日本の大動脈となった南方航路を流れる、鋼鉄の血液だ。一九四三年四月のことである。
〈大和〉と共に戦隊を組んでいた〈伊勢〉であったが、〈武蔵〉の竣工により再び独り身となった。
兼ねてから戦艦を望む第六艦隊に派遣されることとなった〈伊勢〉は、ついでとばかりに船団護衛に組み込まれる。
流石にそのままではただの的であるため、三式回転翼機隼を載せた。
撤去された第三、第四砲塔の跡地に鉄板を載せただけの単純な構造だが、隼には左右に張り出した鉄板部分だけあれば、発着艦可能な性能が付与されていた。
南方への輸送分と合わせ隼を二〇機積んだ〈伊勢〉は、現実的には四機を運用することしかできない。
「〈伊勢〉での初仕事が船団護衛とはな」
〈伊勢〉艦長の有馬馨は、何度目か分からないほど、同じ呟きを繰り返した。
有馬は〈鞍馬〉艦長から転任し、この艦のトップに就任した。その〈鞍馬〉が、空中軍艦との激戦で沈められたと聞いた時、有馬は悔しがった。まず第一に思い入れのある艦が沈められたこと。第二に戦いに馳せ参じられなかったことだ。
〈武蔵〉艤装長から初代艦長になるが、一度も実戦に加わることなく転任だ。上層部が有馬を評価しているために、実戦に参加する機会を失っている。
「インド洋では暴れてやるぞ。分かったな?」
副長も頷く。第六艦隊唯一の戦艦として、有馬は砲撃戦に突入する〈伊勢〉の姿を脳裏に描いていた。
第六艦隊では、セイロン島強襲作戦「せ号作戦」を開始するためか、慌ただしい雰囲気が漂っていた。
参謀長の松田千秋が口を開く。
「樋端参謀。君が言いたいのは、英軍には未発見の基地がある、そういうことかね」
連合艦隊からせ号の詳細を説明するために、作戦参謀の樋端久利雄が派遣されていた。この第六艦隊は護衛艦隊指揮下の下、南洋に出没する敵潜を駆逐するための艦を集めたものだった。しかしセイロン島強襲に際して連合艦隊司令部から三川達が派遣され、第六艦隊となったのだった。
樋端は護衛艦隊から連合艦隊への引き継ぎにより、大井篤から業務を引き継いだ。彼は少々天才肌な所があり、相手も理解していると思うと説明するのを省く癖があった。
松田の言葉に説明不足を理解した樋端は、頷くと理由を話し始めた。
「まず一点、英軍の艦隊戦力が行方不明であることです。コロンボに強行偵察をした潜水艦は、港内に大型艦を認めずと報告しています。またコロンボは商業港の為、軍艦を多数留め置くのは難しいのです。トマンコマリーはひっきりなしに入港が認められますが、彼の地は防御に向きません。その事は英国とて理解しているはずです」
第六艦隊司令長官の三川軍一は、納得した様子で何度も頷いた。
「コロンボに居らず、トマンコマリーにも居ない。ならば第三の港があるという事か!」
情報戦略が永らく放置されていた日本海軍では、このような視点を持つ者は少なかった。諜報に力を入れ始めたのはここ数年の事で、三川達には余り馴染みのない考え方であった。
「もう一点は補給です。伊号潜水艦による長期偵察によると、重油などをセイロンから運び出しているそうです。後方に下げるにしてもスエズは封鎖されており、運び出す先が不明です。ならば何処かに重油を多く必要とする基地があるはずです」
「あい分かった。我々はセイロン島だけでなく、秘匿された敵基地を見つけ出すのが任務だな」
松田は司令部の意識が変わったのを感じた。先ほどまで少しばかり弛緩した空気だったが、戦略が定まると研ぎ澄まされた切先のような雰囲気が漂っていた。
「まだいるのか」
うんざりした声に、〈伊五八〉潜水艦長の橋本以行は充血した目で睨みつけた。しかし粘度を増した空気では、その眼光も発言者には届かない。
「いい加減諦めたらどうだ」
迷惑そうに聴音員が横目で批難すると、片手を軽く挙げて謝るのは水雷長だ。
鼻が刺激を受け咳払いに変わる。便所に繫がる扉が開き、魚雷発射管室に向かった副長が戻ってきたためだ。
黒い汗を拭い、副長はぼそぼそと話す。
「水漏れは塞ぎましたが、発射管の半分が使えません」
「そうか」
苦労をかけたな。その気持ちを込めて副長の肩を叩く。副長の服に染み込んだ水音が響いた。
制限深度を超え潜行したために、弱くなっていた部分から浸水したのだ。一〇〇まで浮上してから自動懸吊、弾けたリベットや裂けたバルブを直し、どうにか生き残っている。
焦げ臭さも人いきれも、今では鼻が使えないため無関係だ。あるのはただ刺激臭だけ。
〈伊五八〉の潜行は二日目から三日目に移ろうとしていた。
インド洋の暑い空気とは違う、汗を噴き出させるねばついた熱がまとわりつく艦内。目がひりつく痛みは、鼻の代わりにアンモニア臭を教えた。口に苦く酸っぱいものが上がってくるのは、人間として正常な反応だ。
ドン亀、つまり潜水艦が一度潜ると外界との繋がりは聴音と、時折鳴る内殻の軋みだけになる。前者は海面に居座る駆逐艦や駆潜艇の動向を探り、後者は鉄板一枚隔てて死が覆っている事を思い出させる。
ここ一週間、橋本達が海面に出られたのは半日程度で、それ以外は潜っていた。異様な程の警戒に、そうせざるを得なかったのだ。
インド洋の秘密基地。冒険小説にありそうな字面だが、この警戒線の分厚さはそれがこの先にある事を示していた。
警戒する英国艦を潜行して凌いでは少し進む。それを一週間程続けている。
「推進音、近付く」
聴音員の小声に意識がぴんと張り詰めた。視線が天井のバルブへと注がれるが、そこから海面の駆逐艦が見えるはずもない。
軋む船体が聴音機に捉えられ、今にも爆雷の着水音がするのではないか。不安が乗員の汗となって流れ出る。
「推進音遠ざかる」
低い声で報告されたのは、一刻ほど後であった。乗員達は安堵から弛緩するが、橋本が鋭く命じる。
「まだだ。まだいるぞ」
さらに三刻ほど経つと、水を掻き分ける音が聞こえ始めた。もう一隻隠れていたのだ。
二隻一組となり、一隻が遠ざかった安心から気を抜くと相方が襲い掛かる。この戦法に散華した戦友も多いが、橋本は生き残りから話を聞いており、油断せずに念には念を入れて待機していたのだった。
濃密な警戒網に突入して三日目。換気のために暗い闇の中、〈伊五八〉はそろりそろりと艦橋を海面からのぞかせた。
見張員と共に新鮮な空気を吸って人心地ついた橋本に、見張員のひとりが遠慮がちに声をかけた。
「あそこに、何か灯りが」
小声で報告し、左舷を指差す見張員。彼の指先を辿ると、確かに水平線間際に灯りが見えた。
「あれが泊地かどうか、まだわからん」
橋本は急ぎ艦橋に戻り、航海長と相談する。
「今ここに。それで灯りが見えたのはこっちです」
海図には小さな島々が載っている。基地の記録はないが、灯りの位置はこの群島を示していた。
橋本は決断した。
「戻るぞ。離れたらすぐに報告だ」
のろのろと歩くような速度で、〈伊五八〉は死地から脱しようとしていた。
〈伊五八〉からの報告は、第六艦隊の目標が判明したことを告げていた。新たに加わった〈伊勢〉により砲撃戦力は大きく向上したのは、基地特定に時間がかかった不幸中の幸いかもしれない。松田の脳裏には〈伊勢〉の長く伸びた艦橋が浮かんでいた。
作戦室の熱気から遠ざかるように、松田は〈飛鷹〉の甲板に出る。
「〈アーク・ロイヤル〉は以上の点から、我が〈大鳳〉の参考にする所多く、傑作母艦として名高いのです」
〈飛鷹〉の飛行甲板では艦橋の周囲に人集りが出来ていた。彼等が注視している艦橋の根元では、航空参謀の入佐俊家が若い士官に請われ、航空機や母艦の講義を行っている。
講義の内容は航空全般に広がり、入佐が開戦以来の経験を交えたものだった。戦訓を早く取り入れており、アメリカやイギリスの戦術研究が、柔軟な頭脳によって行われている。
松田が前回覗いた際は、第二次マーシャル諸島沖海戦を容赦無く批評していた。
損害を恐れたために不徹底に終わった第三艦隊の行動や、航空戦力の劣勢にも関わらず大損害を与えたアメリカ海軍の優れた点。松田が受けたような、愛国心を煽る教育とは一線を画する議論に、暇を見つけては出席するようにしていた。
「英国がこれらの空母を使い、インド洋から南洋諸島に対し一撃離脱を徹底した場合、我が帝国はマーシャル諸島と同様の防衛戦に引き摺り込まれます。今回のせ号作戦の要旨は、インド洋を制することで此方が攻撃的立場を維持。南洋諸島の負担を減少させるというものです」
ちらりと入佐は参謀長が加わっているのを見遣る。急ぎ結論に向かおうとする入佐に対し、松田は構わないとばかりに、飛行甲板に座り込んだ。
「あ、ええっと。英国はセイロン島及び未発見の基地を、不沈空母とすべく戦力を集めているでしょう。これは航空機の移動やその他から、ほぼ確実となっております」
前方を進む〈伊勢〉に視線を移す。
「我々第六艦隊は英極東艦隊を撃破することを第一の任務とし、未発見の基地への攻撃は第二とします。航空戦力の拮抗が予想される為、砲撃戦に突入する可能性が高まり、〈伊勢〉の派遣が決定されました。また、敵基地への突入砲撃が行われる際、八インチでは攻撃力が不足するとの判断です」
士官の中から手が挙がった。
「空襲ではなく、戦艦を投入する理由はなんでしょうか!」
「理由は大きくふたつ。まず第一に航空機の損耗により、空襲が不徹底なものになる可能性を考慮した結果。第二にマーシャルでの戦訓、アメリカ海軍が行った対地艦砲射撃の効果を取り入れたためです」
講義が終わると、士官は自らの持ち場へ戻っていく。そこで初めて松田に気がつき、慌てて敬礼して逃げていく者もいた。
「今日も好評だったようだな」
松田の軽口に照れる入佐は、頭を掻いてはにかんだ。
「私は情報を提示しているだけです。後は彼等が考えるんです。どこまで話せば防諜法で連れて行かれないか、それしか考えていませんよ」
「此処は海の上だ。そんな事させんさ」
特別高等警察、通称特高が警察庁との勢力争いに敗れ、また治安維持法が自由主義経済の妨げになると反対した高橋是清などにより廃案になって以来、思想犯や政治犯の逮捕は激減していた。
現職総理大臣である平沼騏一郎ら推進派は「国家転覆の恐れ」など宣伝するも、二.二六事件に賛同していた事を新聞にすっぱ抜かれると、勢いを弱めていった。
特高が公安警察と名を改めてからは、行動を伴わない限り逮捕される事はない。大半の逮捕理由は「武器の準備」や「襲撃計画の策定」であった。
陸海軍は反乱分子による蜂起を経験しており、公安警察以上の権限を持つ軍憲兵を強化。特高以来の人材が此方に流れた事もあり、大規模な蜂起を未然に防ぐ為の連携など、かなりの組織力を誇るが、彼等はあくまで陸上で働く故に、航行中の艦艇で逮捕されるのは極々稀であった。
「明後日にはセイロンが空襲だろう。休まなくて大丈夫なのか」
松田の懸念に入佐は笑う。
「マニラ島では寝ずに四回は出撃しましたよ。操縦しなければこの程度の疲れ、寧ろ心地良いぐらいです」
「流石だな」
入佐が再び口を開こうとした時、〈飛鷹〉が身震いと共に転舵した。艦橋の上から斜めに伸びる煙突が勢いよく熱い空気を吐き出し、巡航速度から脱しようとしている。
腰を落として傾きに耐えた入佐は、松田が左舷前方を睨みつけているのに気が付いた。左舷側にいた〈潮〉が突撃しながら爆雷を投下する様子に、確認するように問いかけた。
「潜水艦ですか」
「うむ。遂に位置が暴露した」
明日からは激戦だ。言下にそう匂わせた松田に、入佐は頷いてみせた。
アッドゥ環礁、通称ポートTでは、ジェームズ・サマーヴィルの乗艦〈インドミタブル〉が碇泊している。周囲には〈レナウン〉や護衛空母が並んでいる。
サマーヴィルは幕僚共々、苦り切った表情で報告書を読んでいた。
「空母が五隻に、戦艦乃至重巡が多数。ここまで戦力を割いてくるとは思いもしなかったな」
参謀の一人が不安げに発言する。
「ツカハラのタスクフォースでしょうか?それともオザワの?」
「アメリカの話と違うではないか。オザワは太平洋にいるはずと」
「ツカハラの艦隊は日本列島に帰還した事がアメリカから伝えられている。マリアナにも大規模な艦隊がいる事も分かっている」
最も単純な答えこそが、どんなに疑わしくとも真実である。サマーヴィルの導き出した答えは、幕僚達に衝撃を与えた。
咳払いに注目した幕僚に、サマーヴィルはわざと厳かな様子で伝えた。
「インド洋の艦隊は、全く新しい艦隊である」
「日本が第三のタスクフォースを持っていたとは……」
「全て新造艦でしょうか?」
「西インド洋に後退すべきでは?」
浮き足立つ司令部にサマーヴィルが一喝した。
「落ち着きたまえ!」
しんと静まり返った会議室に、司令長官の声が響き渡る。
「日本が大型空母を五隻も建造したとは思えん。恐らく軽空母、或いは改装空母だろう。戦闘艦とスピードを合わせられるのは護衛空母以上の速力だからだろう。アメリカの〈インディペンデンス〉級に似た性能とすれば、此方に勝機は残っている。これ以上騒ぎ立てるならば、〈インドミタブル〉に居場所は無いと思え」
先ほどまで黙り込んでいた参謀長が挙手する。
「我が軍は劣勢であり、敵軍の航空機はスピットファイアに匹敵します。こちらの主力は型落ちのハリケーンであり、同数なら敗北します。しかし、本国並のレーダーと誘導さえあれば、バトルオブブリテンを再現出来るかと」
「局地的優位により敵の攻撃を無力化するのだな。よろしい、やってみよう」
その後の会議で、空母を攻撃戦力として温存する事、アッドゥのハリケーン六〇機を効果的に運用する事、その為にレーダー管制官の増員が決定した。
「レーダーに感!」
四月一九日の早朝、まだ薄暗いアッドゥ環礁で緊張が走る。遂に日本海軍が押し寄せたのだ。
幕僚達が顔に笑みを浮かべている。日本海軍の主敵はアメリカだ。そのアメリカを恐れる故にイギリスに対して早急に手を打とうと、最短時間で攻めてくるはずと予想していた。見事に予想が的中したのだ。
勿論ただ予想していただけではない。今日は早朝からレーダー管制官を全員待機させており、滑走路では弾も燃料も満載した戦闘機が待機している。
泊地内にはタグボートや掃海艇以外は見当たらない。主力艦は全て避退した。サマーヴィル自身〈インドミタブル〉から陸上に移り、航空戦に備えた。
「誘導によりハリケーン全機、敵梯団の前に展開」
「フルマーは待機せよ。戦闘機が離れたタイミングで爆撃機を襲え」
レーダー管制官と各チームへの指示は上手くいっている。ハリケーンに引き付けられた護衛の留守を狙い、フルマーが襲い掛かる算段は、上手くいっているようだった。
「万事上手くいっています。流石はサマーヴィル司令長官ですな」
基地司令のおべっかにサマーヴィルは眉を顰める。何かおかしい。しかし何がおかしいのか、説明出来ない。
「参謀長、何かおかしな点、自分でもよく分からないが、何か感じる事はないかね」
「ふむ。釣り針のハリケーンに食い付きが良すぎる事ぐらいでしょうか」
サマーヴィルの違和感は、ハリケーンに向かう戦闘機が多過ぎた事だ。釣り餌に多く掛かることはそれだけ本隊の防備が薄くなる事に繫がるが、掛かる戦闘機が余りに多いと食い千切られる。
それに分離の際、元から別動隊であったかのように滑らかにハリケーンに向かっていった。バトルオブブリテンでの彼の戦歴がそこから導き出したのは、作戦の失敗であった。
「全戦闘機、これは戦闘機掃討だ!フルマーを下がらせろ、食い荒らされるぞ!」
護衛不在の戦闘機に突入間近であったフルマーは、サマーヴィルからの警告に慌てて退避する。
しかしハリケーンはそうもいかない。正面から撃ち合うために既に突入を開始していたからだ。
七.七ミリの弾幕が零戦の行手を遮るが、持ち前の旋回性能により辛くも躱す。巴戦に入れば、零戦に敵う戦闘機は極東には存在しない。
一周、二周と繰り返せば、零戦の目の前にハリケーンの尾翼が現れる。
小口径の弾幕に巻き込まれ、煙を吐いたり乗員を傷つけた零戦が数機、ふらふらと母艦目指して飛んでいく。しかし多くの零戦は撃墜数を増やすか、勢子の役目を果たしていた。つまり零戦とハリケーンの空戦は、零戦の圧勝に終わったのだった。
「くそっ!」
レーダーから消えていく味方の影に、無力感から罵声を叫ぶ管制官。
攻撃隊に偽装した零戦は、アッドゥの航空基地に到着していた。彼等の役目は地上の航空機の撃破や、レーダー建屋など脆弱な目標の破壊であった。
対空砲火に絡め取られ撃墜される零戦が数機出るも、その砲火目掛けて機銃弾が降り注いだ。
発電施設は煙と火花を散らし、主人である英軍の接近も許さない。弾痕を穿たれたレーダーは、ただの鉄骨の塊に変貌していた。
ばちばちと音と光が建物を占拠する。
零戦が去った後、アッドゥには空の滑走路と空の港が残った。戦力があれば依然戦えるが、肝心の航空機がない。爆撃機への効果的な迎撃など、望むべくもなかった。
「マートレットをこちらに降ろしていれば潰滅しておりましたな」
サマーヴィルは我に返った。参謀長の言う通りだ。手元にはフルマーと艦隊が残っている。まだ一矢報いる事は出来るのだ。
「バレンタイン提督から、敵艦隊に攻撃開始!」
第二ラウンドだ、日本人。
戦爆連合である第二次攻撃隊が出撃後、敵機が第六艦隊を襲った。アッドゥの北に位置する第六艦隊の西から迫る編隊は、敵艦隊による奇襲を意味していた。
「〈伊勢〉を盾にしろ!派手に打ち掛けて敵の注意をこちらに向けるんだ!」
有馬の檄に機銃が応える。司令塔に増設された四〇ミリの砲弾が、高角砲の射線から逃れた敵機を襲う。
二五ミリは沈黙しているが、四〇ミリの受け持つ距離を抜けたら雨霰と吐き出すだろう。最多搭載している二五ミリならば〈伊勢〉の最後の盾になる。
直衛機がほとんど敵の戦闘機との戦いに縛られている今、〈伊勢〉の防空能力は改装空母の強い味方であり、頼みの綱でもある。
改装空母の格納庫は空っぽだが、彼等の元々の防御力は申し訳程度だ。被弾すれば中枢部まで損傷する。
有馬は〈伊勢〉の左を見遣る。そこには〈阿賀野〉と〈能代〉が、艦上を埋め尽くす砲火と砲煙に塗れていた。
〈阿賀野〉型は主砲に五〇口径一二.七センチ連装砲、つまり駆逐艦と同様の主砲を持つ。これはマーシャル島を巡る戦いで現れたアメリカの軽巡〈アトランタ〉級と同じである。
当初〈阿賀野〉型に関しては、日本海軍は汎用性の高い、悪く言えば器用貧乏な艦艇を目指していた。しかし防空能力を重視する航空主兵派と艦隊決戦を主眼に置いた守旧派との間で、新型軽巡の方向性で紛糾していた。
航空主兵派は新型軽巡に「駆逐艦の制空戦闘を容易ならしむる、峻烈なる高角砲及び高角機銃を有し、複数の駆逐隊を統制し得る能力」を期待した。また「空襲において被弾せるに際し、雷装は被害極小の点から廃する」事を主張した。
それに対し艦隊決戦での雷撃力を重視する派閥は「水雷戦隊を統率し敵艦至近へ突入せんとするに、雷装は必要不可欠」「駆逐隊の突撃針路を啓開せんとするに、最大の障害である巡洋艦に優位する砲戦能力を付与せよ」と反論主張した。
〈阿賀野〉型の仕様は紛糾したが、最終的に「敵巡洋艦に対するは甲巡(重巡)に任せる」「突入を支援する巡洋艦は別に建造する」と解決を見た。
水雷戦隊を統率する巡洋艦は老朽化が進み、雷装もそれほど強力ではない。航空主兵派が出した試案で、守旧派の要求する性能は満たされていた。また自分達の自由に出来る巡洋艦を得られた事も大きかった。
〈阿賀野〉は主砲を一二.七センチに減らしつつも軸線上に三基、舷側に二基ずつ連装砲を配した。合計七基一四門は〈陽炎〉型駆逐艦の倍以上で、全てが両用砲である事から防空能力も大きい。
また雷装を廃した結果、艦に余裕が出来たためにボフォース製の四〇ミリ機銃を搭載出来た。大型で四〇〇〇メートルの有効射程を誇るが、二五〈陽炎〉型では第二主砲塔を撤去しなければならない。
ボフォース四〇ミリ機銃は日本海軍主力の二五ミリ機銃に比べ四倍ほどの弾頭重量で、射程も二〇〇〇メートルである二五ミリに対して倍だ。
信頼性では二五ミリに分があるが、それを上回る威力と、高角砲と機銃の間を埋め絶え間ない弾幕を張る事が出来る。
ちなみに二五ミリ機銃は一五発弾倉であったが、四〇ミリに比べて投射重量で劣るために新型の二五発弾倉が造られている。
〈阿賀野〉の艦橋では黛治夫が、絶えず響く砲声に負けないように叫んでいた。艦長の声に揺られる〈阿賀野〉は、左舷側を敵の攻撃機に向けた。
射界に捉えた直後、左舷の両用砲が砲撃を始め、さらなる爆音に艦橋は振り回された。
「後方から降爆!距離四〇!」
「四〇ミリ撃ち方始め!」
両用砲ほどではないが二五ミリに比べて大きい破裂音が後方から響く。
「攻撃機二機撃墜!」
先ほどから撃ちまくっていた両用砲が、艦隊正面から近付くTBFアヴェンジャーに火を噴かせた。低空を這うように飛んでいたアヴェンジャーは、目の前で炸裂した高角砲弾に叩き落とされ、もう一機はプロペラを潰されて海面に滑り込んだ。
三機目が煙を曳き始めると、その機体は腹に抱えた魚雷を切り離した。一トン近くの重量が消失した反動で浮かび上がり、四〇ミリの直撃に主翼を叩き折られた。
距離は三〇〇〇メートル程度。余裕をもって回避出来るだろう。
「米軍でしょうか?」
副長が黛に疑問を呈した。先ほど撃墜したのはアヴェンジャー、後方から迫るのはSBDドーントレスだ。零戦が干戈を交えているのはF4Fワイルドキャットとの報告もある。
「分からぬ。しかし米軍にしてはゆっくりしている」
五月雨式に押し寄せ続ける可能性はあるが、電探には反応がない。奇襲には成功したが、後が続かないのだ。
空襲は直ぐに終わり、〈隼鷹〉への至近弾一発の被害だけが残った。〈隼鷹〉の二五ミリ三連装が壊れるだけで済んだのだった。
「第一次攻撃隊のようです」
電探の反応によると、零戦の巡航速度と同じ速さで近付く影を探知したという。その方向に鰹節と呼ばれる電探を向けさせ、黛自身も双眼鏡を覗く。
やがて華奢なほどの無駄を省いた機体が、ぽつりぽつりと見え始める。戦闘機掃討は上手くいったのかは不明だが、飛び去っていった時と数は減ったようには見えない。
だが距離が詰まってくるに従い、被弾した機体も確認出来るようになった。
不規則に煙を吐く機体や翼端が捲れた機体、尾部の骨組みが露出した機体。操縦士が怪我をしているのか、時折危なげに機を揺する様子もある。
改装空母ばかりの第六艦隊では、第三次攻撃隊を編成する余裕はない。そのため各空母の甲板は零戦の受け入れを、今か今かと待ち構えている。
「艦長、〈伊勢〉が!」
突然、切羽詰まった声が掛けられる。黛は尋常じゃない声色に、右後方の〈伊勢〉を振り返った。
〈伊勢〉は大きく左に舵を切り、〈龍鳳〉の針路に立ち塞がろうとしている。突撃する駆逐艦のような勢いだ。その〈龍鳳〉はつんのめるように減速している。
黛が直感を口に出そうとした瞬間、〈龍鳳〉の右舷艦首付近に水柱が二本そそり立った。
〈龍鳳〉は突き上げられた勢いで艦首を持ち上げられ、水柱の圧力で飛行甲板前端を剥がされた。
持ち上がった艦首を今度は深く沈み込ませ停止した〈龍鳳〉に、直衛の〈樫〉と〈榧〉が近付く。火災は発生していないが、甲板に人影が集まっている様子から、既に総員退艦が命じられたのだろう。艦首は波が被り始めている上に、飛行甲板直下の艦橋はひしゃげている。
三水戦が爆雷をばら撒き始めたが、〈阿賀野〉には爆雷は搭載していない。ただ指を咥えて見ている事しか出来ない。
残る〈飛鷹〉など四隻が零戦を収容している間、三水戦の半数が周囲を警戒している。重巡が壁となり雷撃を許さないと睨みを利かせる。
駆逐艦二隻が人で埋まり、短艇が〈伊勢〉を数度往復した頃、潜水艦を叩いていた海面に黒い膜が広がり始めた。駆逐艦の戦果に盛り上がる艦上。〈阿賀野〉もまた同様であった。
〈飛鷹〉の煙路と一体化した島型艦橋は、冷たい沈黙に満ちていた。三川は顔面蒼白、松田は眉間に深く皺を刻み、入佐は怒りを押し殺していた。
三川が唇を震わせる。
「なんという事だ」
酸素を求める魚のように口を開閉させて、必死に絞り出した言葉であった。
入佐が口を開こうとするが、松田はそれを手で制する。松田は三川に向き直り、ゆっくりとした口調で述べた。松田自身もこうしなければ怒りを弾けさせかねない。
「まずは連合艦隊司令部に報告を。また英軍基地は健在であり、攻撃を継続する必要があります」
従兵の差し出した緑茶を呷り人心地ついた三川は、猛将らしさを若干取り戻した様子で頷いた。
「我々の任務は英軍撃滅だ。第二次攻撃隊が帰ってきて次第、索敵により英国極東艦隊を発見する。彼奴らを野放しにしたまま、〈伊勢〉を突入させる訳にはいかん。砲撃隊の突入は延期する」
「〈伊勢〉の回転翼機を……」
入佐が進言する。
「〈伊勢〉には隼が搭載されています。合同訓練はしていないため、若干混乱する可能性がありますが、遊ばせておく理由はありません」
三川が頷くと入佐は肩をほっと落とした。
三川は、
「これ以上、醜態を晒す訳にはいかんな」
と強張った笑みを浮かべた。若干顔色が悪いが、しっかりとした口調で続ける。
「三水戦に浮遊物を回収させておけ。Uボートの証拠となりそうなものは全てな」
二日目の朝。〈飛鷹〉の飛行甲板から、二式艦偵が飛び出した。彗星と同じ機体は今のところ、第六艦隊では最速だ。
発艦するための直進を狙われた〈龍鳳〉の二の舞は防がんと、〈伊勢〉搭載の隼が独特のフォルムを海面に写す。派手に飛び回り、潜水艦を追い払う目的だ。
艦偵型彗星が扇状に展開して数分後、敵艦隊の所在は思いも寄らぬ場所から届いた。
「〈伊五八〉発。第六艦隊司令部、宛。イギリス艦隊を見ゆ。空母五、戦艦三、巡洋艦二、駆逐艦一〇」
「ははあ、感状ひとつじゃ足りないな、この潜水艦長には」
三川は感心したように何度も頷いた。
「〈伊五八〉がいなければ我々は作戦もおぼつかないかもしれませんな」
珍しく軽口を叩く松田。相当に上機嫌らしい。
入佐は素早く計算する。
「ここからなら十分射程内ですが、敵艦隊が全力で離れていく際に追ってしまうと、基地砲撃隊の行動範囲から外れてしまいます。砲撃隊が後退する際、夜明けを迎えます」
「敵艦隊を覆滅せしめれば、空襲など恐る必要はないのでは?」
情報参謀の遠藤喜一が発言する。
「現在も空襲を警戒していますが、攻撃隊が襲来したのは一度だけ。しかも敵艦隊からです。敵基地からは迎撃機のみ。攻撃機や爆撃機の展開はないと考えてよいかと」
「英軍はこちらの攻撃隊が出撃後、手薄な時を突いてきました。大型爆撃機などを温存し、乾坤一擲の勝負に出る可能性もあります」
三川は軽く唸り思案するが、すぐに答えが出たのか幕僚達に目を向けた。
「敵艦隊が逃げるのならば、追い掛けて叩き潰す。英軍が砲撃隊に夜間爆撃を掛けたとしても、命中率は低く問題にするほどではない。それに滑走路だけでなく油槽や兵器庫を破壊すれば、爆撃機も無用の長物だ」
この後に行われた空襲により、イギリス艦隊の護衛空母群は壊滅した。
〈チャージャー〉に着弾した二五番は甲板から格納庫までを突き破り、それから信管を発火させた。商船から急造した空母にとっては十分致命傷たる被害だった。
〈バイター〉の右舷に迫り来る雷跡に対し、彼女はあまりにも無力であった。一発目の魚雷を回避出来たのは、〈バイター〉の速度を過大に見積もった搭乗員のミスだ。しかし横に広がり包むように放たれた後続の魚雷は、〈バイター〉の薄い横っ腹を捉えた。奔騰する海水に次々と隔壁を破られた〈バイター〉は、〈龍鳳〉のように大きく傾いて停止。命中箇所から浸水が止まらず、横倒しになっていく。
〈ストーカー〉と〈バトラー〉はほぼ同時に被弾。日本軍に雷撃機が少ない為、二五〇キロ爆弾で沈める勢いの急降下爆撃であった。
〈ストーカー〉には五発、〈バトラー〉には六発と被弾し帰還を諦めたヴァルが突撃した。
〈アタッカー〉と〈インドミタブル〉を残し燃え盛る空母により、辺りは煙が立ち込める。あたかも〈アタッカー〉と〈インドミタブル〉を隠すようだ。
しかし目敏いヴァルが、低速の〈アタッカー〉を標的に定めた。先行する〈インドミタブル〉も見つかったはずと、〈インドミタブル〉の対空砲が火蓋を切る。
〈アタッカー〉は早々に被弾し炎上。助かる見込みがないと総員退艦がすぐに出された。ついに空母は〈インドミタブル〉だけになった。〈レナウン〉が寄り添うように並走し、巡洋戦艦に相応な対空砲を撃ち上げる。
〈レナウン〉直上にヴァルが到達すると、艦長が怒鳴り声を上げる。
「ポンポン砲撃ち方始め!」
八連装の四〇ミリ口径が火を噴き始めた。しかしポンポン砲の半数が射撃から数秒で、故障により射撃を止めてしまう。
「ガッデム!ロンドンの奴等、不良品を寄越しやがって……」
砲術長の怒りに同意しつつも冷静に〈レナウン〉に指示を下す艦長は、〈インドミタブル〉直上に到達したヴァルが降下を始めたのを見咎めた。
「〈インドミタブル〉に敵機急降下!」
「左舷側は全て〈インドミタブル〉を援護せよ」
〈レナウン〉直上の敵機は右舷側のみで迎撃する。被弾する可能性は高まるが、〈レナウン〉は巡洋戦艦だ。近代化改装により水平甲板も強化されている。
〈インドミタブル〉に迫る敵機は対空砲火など無視するように降下し、腹に抱えた二五〇キロの対艦爆弾を切り離した。辛うじて一機だけが煙を吹き出すが、投下後では意味がない。
「耐えてくれ、〈インドミタブル〉……!」
〈レナウン〉艦長の視線の先で、黒い影が〈インドミタブル〉の甲板に吸い込まれていく。爆炎が三度現れ、煙が甲板を覆う。
全速前進する〈インドミタブル〉の甲板では強い合成風が発生しており、煙はあっという間に後方に流れていく。被弾箇所には黒い燃え跡と破片が飛び散っていたが、発着艦には支障がないだろう。
〈イラストリアス〉級航空母艦の特徴である装甲甲板により、飛行甲板は損傷を免れたのだ。しかしながら対空砲座は剥き出しのため、至近で炸裂したために死傷者が続出している。
次に狙われたのは〈レナウン〉だ。砲火が薄いと見たヴァルは、左舷側から回り込んで爆撃する。数度の金属音が響き、司令塔からも炎が見えた。
「第一主砲塔被弾!左舷に被弾!」
「第一主砲塔より旋回不能。バーベットが歪んだようです」
「左舷ポンポン砲大破!」
主砲は航空機には無用だが、砲撃戦に著しい支障を来たす。ポンポン砲はどうせ故障している。
「終わりか?」
気がつけば上空には敵機はなく、本艦を含め対空砲火の音も聞こえない。
〈レナウン〉が自衛している間に〈インドミタブル〉は艦首から艦尾まで満遍なく被弾しており、装甲が薄い部分の損傷は大きい。戦闘機の発着艦は可能だろうか。
〈レナウン〉自身も攻撃力の四分の一を奪われている。これ以上の戦闘は不毛だ。
「Tポートに通信。艦隊は継戦能力を喪失」
短い文だがサマーヴィル司令官は理解してくれるはずだ。
イギリス極東艦隊が敗退して二日後。
「二二号電探に感。目標の環礁です」
高柳義八司令の下、第九戦隊の重巡は〈伊勢〉と目標の間に位置していた。
「対空電探には変わりないか?」
「一三号に反応なし。見張員も報告はありません」
高柳の質問に〈足柄〉艦長の阪匡身が答える。〈足柄〉は〈妙高〉型では電探が最初に搭載されており、艦長を含めて電探の専門知識が深い。加えて新型電探の二式三型射撃用電探が搭載されている。この電探はアメリカが昨年から披露した電探射撃を、どうにかこうにか可能にした。
「砲撃隊司令部から第九戦隊、射撃開始せよ」
〈伊勢〉の有馬艦長の命令によって、英軍基地への砲撃が開始された。
「電探射撃の初陣だ。初段命中を期待しているぞ」
高柳の激励に砲術長が大きな声で宜候と返答する。彼の目は高柳の理解出来ない波線が、複雑な模様を作り出していた。
艦橋から見える第二主砲塔が微調整により上下する。
「撃ち方始め」
「宜候、撃ち方始め」
暗く塗り込められていた海上に、八インチの砲火が飛び散った。暗闇に慣れていた目が砲口からの光の影を残す。
後方からも爆音が響き、僚艦が射撃を開始した事を知らせる。二一号電探を積む〈妙高〉〈那智〉〈羽黒〉に比べて、専用の二三号を積む分、命中が先にならなければならない。
時計を見つめる砲術長。真っ暗闇を見据える艦長。
「だんちゃーく!」
灯火管制により闇夜に沈んでいた島影が、炎を噴き上げた。
「命中!ようやった艦長!」
高柳は満面の笑みで阪の肩を叩く。阪は砲術長や掌砲長のおかげと恐縮した。
後続の三隻が水柱を立てた事で、〈足柄〉乗員の高揚は最高潮に達した。電探射撃による初弾命中。実戦では初めての事だ。
やがて遠雷のような〈伊勢〉の砲撃が響いた。〈伊勢〉搭載の零式水上観測機が修正値を打電しているだろう。
砲撃は一〇分ほど続いた。滑走路も駐機場も関係なく、一四インチ砲弾が耕している。耐爆措置が採られた埋没式の燃料庫も、一四インチ艦砲には耐えられずに圧壊。電探用鉄塔はその身を横たえて、八インチによって屑鉄の山へと変貌させられた。ドックでオーバーホールを待っていた潜水艦はひしゃげたドラム缶のように変形し、曳船は至近弾によって転覆した。
アッドゥ基地はもう用を果たせない。せ号作戦の目標は達成された。
一九四三年七月、中城湾。
「〈武蔵〉はどうだ、有賀?お前の〈大和〉にも負けてないだろう」
森下信衛の言葉に、有賀幸作はにやりと笑う。〈武蔵〉の防空艦橋には他に数名の見張りしかいない。
「まだまだペンキの匂いが強いな。新兵らしい匂いだ」
「貴様、それは〈武蔵〉が頼りにならんということか?」
「そうさ。だから俺が貴様に〈大和〉型を教えてやる」
ほぼ同時期に艦長となったに関わらず、先輩風を吹かず同期に苦笑する森下。
空中艦隊を正規の艦隊として扱うこととなり、大佐が参謀長では格好が付かないという、守旧派の横槍で降ろされたことを悔やむ様子は、有賀には見られなかった。
艦隊司令官である草鹿任一などの抗議も虚しく、有賀は水雷学校校長に収まる予定であった。しかし〈大和〉艦長を予定していた大佐が、南方から戻る際に潜水艦の雷撃により負傷。〈大和〉艦長が空席となる。
草鹿は人脈を生かし、そこに有賀を捩込んだ。草鹿は参謀長の解任劇を気に病んでいたらしく、有賀の望むように力添えをしていた。有賀本人が知る前に、艦長就任を祝う手紙を送ったほどだ。
当然、有賀はこの〈大和〉艦長という任に喜んだ。元は水雷屋である有賀は、潮の匂いがする(空中軍艦で潮の匂いがするから不明だが)前線に身を置きたがっていたからだ。その上、〈大和〉に強い憧れを抱いていた。
森下も第二空中戦隊の指揮官に少将が当たることになり、兼任から解放され〈浅間〉艦長に専念するはずであった。
しかし〈武蔵〉艦長の有馬が〈伊勢〉艦長に横滑りすると、空席になった〈武蔵〉艦長に推挙されたのだ。
森下を推挙したのは旧来の艦隊決戦主義とも呼ばれる一派だった。森下が親しくしていた将官が、同志と考えていた森下を推したため、派閥の長から〈武蔵〉へと着任するよう圧力が掛かったのだ。
山本五十六を筆頭とした航空主兵派。
嶋田繁太郎など、航空主兵に理解を示すが戦艦にも価値を見出す消極的航空派。
個艦の性能を上げ、砲撃での艦隊決戦勝利を目指す守旧派。
海軍は大きく分けてこの三つに分かれていた。
航空主兵派は現在主流を占め、若い士官や前線の指揮官に多い。山本以外にも堀梯一軍令部総長、塚原二四三第三艦隊司令長官などがいる。
消極的大艦巨砲主義者とも揶揄される消極派は、航空戦力に注力するのではなく、全体的なバランスを重視する者が多い。しかし塩沢幸一護衛艦隊司令長官に代表される、シーレーン防備を重視する派閥も含まれるなど、一枚岩とは言い難い。
有賀の転出、森下の艦長就任を推進したのは守旧派であり、彼等は航空戦力を副戦力と考えており、現状の艦隊編成に批判的だ。数は少ないが皇族の伏見宮博恭王を筆頭に、長老的立場の将官も多い。
戦争の間ぐらい、ひとつに纏まることは出来ないのか。森下は内心、溜息を吐かざるを得なかった。
「森下。俺達は第一艦隊にいつ加わるんだ?」
有賀の言葉に現実に引き戻された森下。有賀は煙草を咥えると、燐寸を擦りながら続ける。
「さっきはああ言ったが〈大和〉も〈武蔵〉も十分な練度だ。何故早くトラックに向かわないのか」
森下も同意見だった。〈大和〉と〈武蔵〉はそれぞれ、呉と横須賀で訓練し続けていたが、マーシャル諸島の勝利から四ヶ月も経つと焦燥が生まれる。
上層部は米軍の来襲は七月から八月と見込んでおり、第一艦隊をトラックへ向かわせている。前回のように油の無駄遣いにならないよう、早めに出撃させたのだろう。
有賀が旨そうにアメリカ製の煙草を吹かす。
「司令部はどん亀(潜水艦)対策とか言ってるが、戦艦を投入したくないだけかもしれねえな」
「おいおい、嶋田司令長官だぞ。あの人なら陣頭指揮を取るならまだしも、艦隊温存なぞしないぞ」
あの人は艦隊を磨り潰してでも勝利するさ。
森下は言葉を続けられなかった。低い炸裂音が鼓膜と身体を打ったからだ。
「クソッタレ!」
有賀の罵声は、彼が艦長を務める戦艦に向けられていた。正確にはその舷側にそそり立つ水柱にであった。
森下が口を開こうとした瞬間、〈武蔵〉の舷側に水柱が現れる。艦橋トップに近い防空艦橋は、その衝撃を体感するには一番の場所だった。
〈ガトー〉級潜水艦。アメリカ海軍の主力潜水艦で「偉大なる凡庸」とも呼ばれるその艦の一隻は、防備厳しい中城湾に侵入。日本海軍の最新鋭戦艦二隻に牙を突き立てたのだった。




