傷だらけ
一九四二年七月、〈松島〉が〈秋津洲〉に牽引されて、横須賀の港に入ってきた。ここからは〈厳島〉と〈橋立〉に引っ張ってもらいながら、所沢へと運ばれる。
〈筑紫〉は自力で所沢の空中艦ドックへ航行するか、横須賀のドックを間借りするかは未決定だ。
「真っ黒に燻されたなあ」
所沢造船所長を兼任する藤本喜久雄は、横須賀鎮守府の建物屋上から、〈松島〉の被害を観察していた。
「ありゃ何か燃えたんですかね」
「みたいですね。難燃性の高いヤツだったんだけどな……」
横から声を掛けたのは、八木宇田アンテナの発明者のひとり、宇田新太郎だ。彼は軍需省の無線部に所属し、電探の開発に関わっている。海軍の電探開発を助けるために、現在は艦政本部二部に出向という形だ。ちなみに陸軍には八木秀次が出向している。
「一旦、全て煤を落として置かないと、八木宇田アンテナにも皿型アンテナにも悪影響です」
「皿型……?」
電探にそこまで詳しくない藤本は、聞き慣れない言葉に首を傾げると、宇田は苦笑する。
「パラボラアンテナのことです。英語でディッシュアンテナと呼ばれてるみたいでして」
「なるほど」
あのお椀型のアンテナのことか。
空気抵抗が強いため、空中軍艦には載せ難い。張り子のような覆いを付ける案もあるが、そもそもまだ実用化されていないものだ。
反射波の問題さえ解決出来れば、魚の骨のような八木宇田アンテナの方が実用化が早いだろう。
「藤本おじさん!」
横須賀の造船所、その事務所から走り寄ってくる姿がある。息子の友人、高橋三枝だ。女性の設計士見習いとして、息子が乗る艦を設計するのだと、この横須賀で働いている。
横にいる宇田を見つけると、ぴょこんとお辞儀をする。いかにも利発的な笑顔で、息を整えている。
「三枝ちゃん、こんにちは」
造船を司る四部の江崎岩吉によれば、彼女の目の付け所は面白いらしく、〈大和〉も改装する際には彼女の提案を採用するつもりと言っていた。
藤本の師匠、平賀譲が現役ならば「無駄が多い!」と屑箱に叩き込むだろう。しかし江崎は平賀とはあまり仲が良くなく、彼の技術は受け継いだが、設計信条は自由であった。また平賀は昨年末から寝たきりの状態で、現場に口を出す余裕はない。
ついでに言うと、三枝のような才能を開花させるのは、きっと江崎のような指導者の下であろう。
「あのっ、江崎センセが呼んできてって」
江崎が呼んでいる。藤本は既に八部の主任だが、四部の古株でもある。
「ああ、わかったよ。ありがとう」
藤本は宇田に別れを告げると、もう一度ばかり〈松島〉を見上げて、事務所に歩いていった。
「や、藤本くん」
江崎の横には、海軍大臣の山本五十六が座っていた。
「大臣!」
あまりの驚きに、二の次を続けられない藤本。私服なのか着物姿の山本は、にんまりと笑っている。
「私は止めたんですよ?」
江崎が言い訳するが、彼も笑みを浮かべていた。
ふたりの悪戯小僧に翻弄された藤本は、まだ落ち着くまでかかりそうだった。
「大臣!どうしてここに」
「一三号艦を見に来たのさ」
一三号艦とは八八艦隊の締めを飾るはずだった巡洋戦艦のことではなく、藤本モデルの空中軍艦、その第一陣である。
山本は各部署部門に神出鬼没し、担当者をてんてこ舞いさせていた。無論それは理由があり、顔を出した場所は、山本が新兵器として注目している分野ばかりであった。一三号艦も山本のお気に入りである。
「アメリカさんが〈大鳳〉みたいな空母を量産するらしいです」
江崎が真面目な顔になり、藤本を見つめた。
アメリカに対して優位に立つには、国力の差を埋めるものが必要だ。
それは性能であり、運用方法の改良であり、山本は笑みを浮かべながらも、切実に完成を期待しているのだ。
運用は軍略を司る嶋田繁太郎連合艦隊司令長官に任せていたが、性能は山本が担当するつもりだという。
「アメリカなら零戦も〈大和〉も、吸収してしまうだろう。だから我々は更に一歩先を進まねばならん」
造船所を見遣る山本。
「その一歩が〈大鳳〉であり、新式航空機であり、一三号艦なのだ」
「アーヴィング!」
トーマス・マクガイアが部下に注意喚起の叫び声を上げる。
P-38ライトニングの上方から襲い掛かる二式双発迎撃機(タイプ2ツインエンジンインターセプター)に対して、マクガイアは操縦桿を押し込む。
月光の名前の通り双発にしては優美なデザインだが、水平面での速度はP-38に匹敵する。
諜報部ではアーヴィングを長距離戦闘機、次いで偵察機、さらに次は夜間戦闘機と、どのような用途に使うのか評価が定まらなかった。そのアーヴィングが実戦に現れた時、機体は太いエンジンナセルに薄い翼の、単胴にしたP-38を思わせる姿であった。
夜間爆撃機と遭遇した、と考えたルーキーが突入するが、あっという間に撃墜されたのは先月の話だ。
機首から伸びた太い火線が、益々P-38を思わせる。
上空から落ちるように降ってきたアーヴィングに対して、ベテランは機首を下に向けて脱出する。
新人は慌てて機首を上げ、速度を殺してしまって撃墜される。
ドイツのBf110の空冷版と呼ばれた機体が、アーヴィングであると知らされたマクガイアは、諜報部を罵った。
「多目的過ぎて性能は凡庸になり、生産は少数であると思われる?どこが!」
再び同じ言葉を吐き出したマクガイアは、急降下によってアーヴィングを突き放した。
B-24の護衛は別部隊に任せて、不用意に旋回したアーヴィングを撃墜する。
これで一四機目の獲物だ。
しかしB-24は三機が撃墜され、脱落した機体にはジャックが襲い掛かっている。
攻撃隊長が退却を命じたのか、爆弾を朝日に染まるオーエンスタンレー山脈の中に放り出した。
ラエ基地攻撃はこれで三連続の失敗だ。
マクガイアはしつこく食い下がる敵機に、鬱憤を打ち付け始めた。
月光が滑走路端で停止するや否や、風防を開けて飛び出したのは菅野直だ。
彼の乗機は雷電だが、整備中に空襲を受けたため、マラリヤによって乗員が不在の月光を借り受けたのだ。
夜間戦闘は不慣れであったが、本土に戻っている美濃部正に教えてもらったことを肝に銘じており、今の所衝突などは防いでいる。
今回の戦いは夜戦と呼ぶには明る過ぎるが、雷電が動かない以上は月光を使うしかないのだ。
先に降りた鴛淵孝が見ていると、菅野は僚機の搭乗員に掴みかかった。
鴛淵達が止めに入ろうとするが、
「なんでだ!」
という半泣きの菅野の叫びに動きが止まる。
「突っ込んだらそのまま降りろと言っただろう!」
怒られているのは、菅野が普段から目を掛けている新人だ。彼もまた泣いている。
鴛淵はそこで、新人が独りで降りてきていたことに気が付いた。
菅野の叫びを聞いていると、ことの顛末が分かってきた。
どうやら菅野小隊の二番機であった新人は、B-24リベレーターから十分離れずに旋回してしまったらしい。
その新人を守るために菅野小隊三番機が間に入り、身代わりに撃墜されたようだ。
新人も大粒の涙を暁に照らされて、肩を大きく揺らしている。普段からきつく言われていたことを、この時に限って忘れてしまった。そのせいで僚機を撃墜されたのだ。
鴛淵がふたりを宥めていると、飛行長までが騒ぎを聞きつけやってきた。
飛行長の亀井凱夫が仔細を聞き出すと、ふたりを抱き締めた。そして明るい笑顔でこう言ったのだった。
「菅野、本田。安心しろ。杉田は陸さんが見つけて助けてくれたぞ!」
大喜びする二人。もう心配ないと考え、鴛淵はそっと離れた。
一九四二年八月。
杉田庄一、本田稔は揃っていわゆる撃墜王となった。隊長の菅野が嬉しそうに話していた。
ラエ基地は店仕舞いが近いため、二人に早く撃墜王になってほしかったらしく、ここ数日の菅野は敵機を探して夜の空を見上げていたものだ。
ニューギニアからは十分な量のニッケルが搬出されたため、ラエは撤退が決定された。
ラエの港に広げられた天幕の下で、菅野と鴛淵は地べたに座って話し込んでいた。
「にしても、あんだけ必死に守ったラエを捨てちまうのか……」
菅野がぼやく。あの戦いで怪我をした右腕をさすりながら、司令部に向けて鼻を鳴らす。
「しょうがないさ。お陰でインドネシアはドン亀(潜水艦)が一掃されて、トラックやらマーシャルやらに戦力を回せるようになったらしいぜ。月光が早く来れたのも、俺達の踏ん張りが効いたからさ」
鴛淵の慰めに、つまらなそうに仰向けに転がる菅野。そこに南方系の美人が現れた。
「カンノ……」
寂しそうな表情を浮かべる彼女は、以前菅野が撃墜され緊急脱出した際に、お世話になった村の娘だ。
菅野は足を酷く捻挫しており、自力での帰還は難しかった。そこでどうにか歩ける程度まで、その村で療養していたのだ。
その時、菅野は「俺はニッポンのプリンスだ」と大ボラを吹き、賓客として遇されていたらしい。
ラエに帰ってくる時に、仔細を話してもらうために彼女に来てもらったが、特に問題となることはなかったので、菅野はそのまま原隊復帰。彼女はラエに出掛ける度に、菅野に会いに来ていた。
菅野を憎からず想っているのだろうが、今夜の船でラエ航空隊は撤兵してしまう。
鴛淵が気を利かせて離れると、菅野は彼女に手紙を渡した。
「俺は軍人だから、戦いに行かなくちゃいけない。ここでお別れだ」
手紙には歌が書かれていた。
「君のことを思って書いた詩だ。下手かもしれないけど」
優しく抱き締めた菅野の腕の中で、娘は肩を震わせ泣いていた。
「鴛淵。菅野はどうだ?」
鴛淵が一足先に短艇へ乗り込むと、中にいた林喜重が話しかけてきた。
林は補充の航空兵として、六月のラエ航空戦の後に来たばかりだった。鴛淵とは顔馴染みで、無口で朴訥な性格の林とは仲が良かった。
自然と菅野とも親しくなり、初日からB-17を撃墜したことで「ラエの三羽烏」と呼ばれるようになる。
「菅野なら大丈夫さ」
「そうか」
彼の言葉は短いが、そこに込められた感情はとても深い。
これからラエ航空隊は、マーシャル諸島に展開する。鴛淵達は亀井飛行長と共にウォッゼに居を構えるらしい。
林と菅野、自分の三人ならば、そこでも生き延びられる気がした。
「それにしても、菅野の奴。文才があるとは思わなかったな」
高田利種はラバウルの司令部で、太平洋の地図を睨んでいた。その目はラバウルからニューブリテン島全体、そして北へ移っていく。
マーシャル諸島で視線が止まった。
ラバウルからマーシャル諸島は第一国防線を構築している。南から押し寄せる敵は、トラックとパラオが抑える。
そもそもニューギニアが壁となって艦の侵入を防いでいるのだ。南から来るならば、ラバウルかインドネシアを掠める必要がある。
南太平洋方面の司令官はアーサー・カーペンダー。特務機関によると堅実な戦略を好むと推測される彼が、そのような奇策に打って出る可能性は低い。
やはりマーシャルからマリアナと、中部太平洋を打通してくるだろう。
ただしマッカーサーに好意的だった一部が、フィリピンを奪還するよう働きかけているということも漏れ伝わっていた。気をつけねばなるまい。
マーシャル諸島には第一国防線が張り巡らされ、最新鋭の二二号電探や実績のある一三号電探を設置していた。
二一号射撃用電探を搭載するような大型艦は不在だが、電探に加えラエ基地を超える機数を集めた。
マリアナで練度を上げている第一艦隊と第三艦隊が来るまで、持ち堪える。それが第一国防線の役割だ。
ラバウルも第一国防線の一翼を担う以上、その責任は大きい。
「ラバウルは要塞だ」
安達義達陸戦隊司令官と安達二十三ラバウル兵団団長、ふたりの指揮官により、ラバウルは要塞化された。
永久陣地として内陸部に築かれたトーチカ。対戦車砲としても機能する高角砲。対爆コンクリートで守られた司令部。
だが。高田は不安を覚える。
アメリカに攻め込まれても、ラバウルは一年以上持ち堪えるだろう。だがラバウルを飛び越えてきたら。ラバウルを無視してきたら。
この要塞群は無意味だ。
高田は頭を軽く振り、このようなことを考えることこそ、まさしく無意味だと思い直した。
彼はあくまで現場指揮官なのだから。
一九四二年末。真珠湾は閑散としていた。出撃した戦艦も空母も、全てが海に没したからだ。
ジョン・ヘンリー・タワーズ太平洋艦隊司令長官は、傍らのロバート・ヘンリー・イングリッシュ参謀長に語りかけた。
「先のマーシャルへの攻撃、あれは果たして必要だったのだろうか」
イングリッシュは驚かず、タワーズを労わるように答えた。
「あれは本国からの要求でした。準備不足であるという懸念を、当初から長官は上申していました。そのために長官は指揮官を外されたのです。どうしようもなかったのですよ」
「どうしようもなかった、か。その言葉を、あの戦いで死んでいった兵達に掛ける勇気は、私にはないよ」
彼がここまで弱気になってしまったのは、彼の後援者であり庇護者であった、ウィリアム・モフェットが更迭されてからだ。
マーシャル侵攻作戦「ランスチャージ」が大敗に終わり、その責任を取ってモフェットは海軍作戦本部長を更迭された。現在ハロルド・スターク合衆国艦隊総司令官が兼任している。
スタークは現場への指揮に介入が激しく、〈ノースカロライナ〉級戦艦の配備に関しても、真珠湾からの出撃を厳に戒めた。
第三九任務部隊による撹乱も、二隻の戦艦がいないことがマイナスに働いた。司令官ウィリアム・ハルゼーは護衛艦艇の不足に苦しみ、圧倒的劣勢の中で奮戦するも空母は全滅。ハルゼーは現在、骨折により療養中だ。
「空母だ。空母が足りない!」
癇癪を起こしたように怒鳴ったタワーズ。
「小型でもなんでもいい。じゃがいも野郎の空母なぞ、ただの張りぼてだ!合衆国海軍のライバルはインペリアルジャパニーズネイヴィーだぞ!」
多少は気分が晴れたタワーズに、イングリッシュは提案した。
「〈ワスプ〉だけならどうにか太平洋に配備出来そうです。ミッチャー提督に三六任務部隊として率いてもらいましょう」
「何処を攻撃するつもりかね?」
イングリッシュが示したのは、何もない海上であった。
マーク・ミッチャーの手元に〈ワスプ〉と〈ロングアイランド〉が来たのは、四二年一〇月であった。
数ヶ月もすれば、〈エセックス〉級空母が就役するが、〈サウスダコタ〉級を付けてもらった以上、そこまで待ってもらえそうにない。
〈サウスダコタ〉〈インディアナ〉をミッチャーが、〈マサチューセッツ〉〈アラバマ〉を第三六・二任務群としてウィリス・リーが率いている。
第三七六任務部隊はマーシャル諸島に正面から向かっていく戦力ではないが、ソロモン諸島ガダルカナル島に造成した航空基地の防衛に当たる。ポートモレスビーの二の舞は防がなければならないからだ。
それに対してミッチャーは、マーシャル諸島への輸送艦隊を海賊のように襲い掛かる、私掠船のような任務を科された。
戦艦は念には念を入れた、空母だけでも無事に帰すための保険である。マリアナ諸島にはツカハラのタスクフォースとコンドウの戦艦群が控えている。彼等とぶつからないよう、ボディーブロウのように弱い脇腹を叩くのだ。
「〈エセックス〉はフレッチャー提督の第一三任務部隊に配属されるそうです」
「そうか」
海賊フレッチャーの異名を持つ同僚の姿を思い出しながら、反攻作戦の始まりを予感していたミッチャーであった。
「マーシャルへの補給が上手くいっていない」
護衛艦隊司令長官の塩沢幸一は、やや痩けた頬を撫でながら、連合艦隊司令長官の嶋田繁太郎に相談していた。
嶋田も就任時より細くなった身体を揺すり、苦虫を噛み潰したような表情で唸る。
「第三艦隊に比べてかなり小規模だが、小さい故に身軽だ。第三艦隊が動く気配を見せると、ぱっと逃げてしまう」
唇を湿らせるためにお茶を啜り、深く息を吐いた。
「〈飛鷹〉〈隼鷹〉をそちらに回しただろう。あれを太平洋に持ってくるのは無理か?」
塩沢が首を振る。
「インド洋の方がきな臭い。ドイツに注力するために、インドを安全な後方基地にしたいらしい。スエズを取り返す必要があるからな」
玉露を味わいながら喉を潤す塩沢に、再び溜息を吐く嶋田。
「四三年になればアメリカの反攻作戦が始まる。その前に防備を整えねばならないというのに」
マーシャル諸島全体では多くの戦力を保有している。
零戦が二一〇機、雷電が一八三機、屠龍が八〇機、月光が六四機。
一式陸攻が一二〇機、二式陸攻深山が八〇機、九九式双爆が四五機、九九式襲撃機が五〇機。
一〇〇式司令部偵察機が三〇機、二式大艇が二一機。
予備機を含め八八一機が、マーシャル諸島の戦力だ。
マリアナ諸島の戦力が二〇〇機を少し上回る程度なのに対して、圧倒的なまでの戦力に見える。
しかしアメリカの建艦計画が軌道に乗る四三年以降の戦力は、総力戦研究所の試算では、一〇〇〇を超える艦載機に、一〇〇〇を超える陸上機が襲い掛かる。
そのためにもマーシャルだけで一〇〇〇機以上が必要なのだ。
「〈大鳳〉は年末には就役するし、〈雲龍〉型も来年始めには就役し始めるな」
塩沢がぼそりと呟いた。
〈大鳳〉は装甲を諦めたお陰で、排水量に相応な艦載数を誇る。大型化する次期艦載機であっても、一〇〇機を超える初めての空母になるはずだ。
〈雲龍〉型は〈飛龍〉を母体にしつつも、量産性を徹底した設計だ。五七機の艦載数は〈飛龍〉に匹敵する。
〈雲龍〉型は現在、四隻が同時に起工されており、四三年末までにその四隻が就役する予定だ。
〈大鳳〉型二番艦は四四年末、〈雲龍〉型の五番艦以後も四四年まで完成しない。
最大でも〈大鳳〉〈雲龍〉〈那須〉〈笠置〉〈葛城〉が加わるだけだ。
「EFもインド洋が落ち着くならば、勿論〈飛鷹〉〈隼鷹〉を渡す。しかし、どうする?」
塩沢は嶋田の顔を窺う。嶋田は考えを切り替えたのか、すっきりとした表情で戦力表を見据えた。
「数は揃えた。後は質だ。月月火水木金金だよ」
四二年末。
「黒江さん!そこから重くなるぞ、気をつけて!」
志賀淑雄の警告がスピーカーから響いた。その言葉通り、黒江保彦の意思に逆らうように、操縦桿が重くなる。
これでも以前のより軽いらしい。なるほど、志賀がじゃじゃ馬と呼んでいた理由が分かる。
対戦相手の零戦三三型が、じりじりと背後に回ってくる。
それを見越して動力降下に入ると、三三型が食らいついてきた。しかし時速七〇〇キロを超えた辺りから、三三型が追いつけなくなる。
諦めた三三型を尻目に、七八〇キロ付近で縦旋回を掛けた。
火星とBMWの合いの子、水星エンジンが機体を再び五〇〇〇メートルまで引っ張り上げた。
三三型と再度衝突。突き通す槍のような黒江の突撃を、相手は零戦本来の機動力で避けた。
三三型が南方でよく見られたように、背後に回り込もうとする。しかし黒江は自動空戦フラップを発動し、遥かに小さい旋回径で三三型に向き直った。
慌てて機首を翻そうとした三三型。それを捉えた黒江は、にやりと笑って発射抦を押した。
「これが紫電の……」
志賀の説明を受けながら、山本五十六海軍大臣は無意識に呟いた。
話しかけられたと勘違いした志賀は、大きく頷く。
「はい。試製紫電の改良版で、現場では紫電改と呼んでいます」
目の前に佇む姿は、零戦より大きく力強い印象を与える。火星エンジンと同サイズながら、ドイツの技術を導入したお陰で一八〇〇馬力を叩き出す水星エンジン。
零戦での運用から、高初速でションベン弾になりにくく改良された二〇ミリ機銃を四門。
遠心力に応じてフラップを最適に展開させる自動空戦フラップ。
新機軸を詰め込みながらも、稼働率は低くない。新鋭機としては、十分過ぎる魅力だ。
時速六三〇キロは日本軍機ではトップクラスで、一撃離脱戦法を旨とする重戦闘機としては有能だ。
ただし次期陸上機が徹底した重戦であるのに対し、紫電改は軽戦と重戦の間に位置している。
そのため性能が中途半端だという批判もあるのが実情だ。
しかし零戦が陳腐化する前に、どうにか艦載機を新型に切り替えなければならない。後継機の設計が難航している以上、出来合いでいいから新型を持ってこなければ、という海軍航空本部の判断で、この紫電改は誕生した。
紫電改は本来ならば、生まれることはなかった機体なのだ。
ただし零戦を上回るのは、先ほどの空戦の結果で判明している。
「水星は量産が遅れているから、来たるマーシャルまでに間に合うのは、恐らく第三艦隊分程度だと思う」
陸海軍統合航空本部長、長谷川清が山本に声を掛けた。
ふたりは空中軍艦研究会以来の付き合いだ。
「第三艦隊だけですか」
声に自然と落胆が練り込まれた山本に、長谷川は微笑んだ。
「天山と彗星、艦爆の方への転換も済むはずだ。飛燕もある程度がマーシャルに着任するだろうし」
アメリカは最短で四三年三月頃に襲来すると考えられていた。三ヶ月で三機種への転換が間に合うかどうか不安だが、機体自体は二月に間に合わせるという。一ヶ月みっちりと訓練すれば、どうにか癖を飲み込む程度にはなるだろう。
「厳しいですな」
山本がぼやく。
「厳しいね」
長谷川も同意した。
空中艦母艦〈秋津洲〉。なんとも不可思議な艦種だが、前例のない艦であるため、名称において喧々囂々の議論が起こった結果、どっちつかずな名前に決まったという経緯がある。
〈秋津洲〉は空中軍艦の補給や修理を行う。
艦尾に大型のクレーンを装備し、空中軍艦を掴んで牽引することも出来る。推進機を停止した状態での移動が可能になり、燃料節約に一役買っている。
同型艦〈八島〉や油槽艦〈早吸〉と協力すれば、ぎりぎりで三隻牽引可能で、ニューギニアで損傷した〈松島〉〈橋立〉〈筑紫〉を横須賀まで連れ帰った実績がある。
艦長の吉田英三は事務方が主であったが、存外操艦も上手かったらしい。
草鹿任一は吉田に会い、連れ帰ってくれた感謝を述べた。
吉田は驚いた様子で、当然のことをしたまでだと畏まっていた。
武装油槽艦〈早吸〉は既に輸送船団に組み込まれ、インドネシアに旅立っていた。
草鹿が〈秋津洲〉から短艇に乗り移った時、見たことがない艦が横須賀から出航しているのに気付いた。
〈長門〉を上回る巨体は、隣に並ぶ重巡を駆逐艦程度に見せる。
改装の度に重ねるように高くなった艦橋とは大きく異なる、スマートで無駄のない艦橋。
トップにはこれまで見たことがないほどの測距儀が載っかっている。
三基の主砲からは巨体に見合う太さの砲身が、三本ずつ延びていた。
雛壇に並ぶ機銃や高角砲は、濃密な対空砲火を展開するだろう。
「あれが〈大和〉か」
副官に尋ねると、大きく頷き羨望の視線で〈大和〉を見つめる。
世界最大の一八インチ砲を備え、三〇ノットの健脚と対一八インチ防御を両立した、世界最強の戦艦だ。
航空主兵に舵を切った帝国海軍だが、戦艦の魅力は抗いがたいものがある。草鹿自身航空主兵を理解しつつも、砲術の魅力に取り憑かれた彼は、同期からの航空への誘いを断った過去がある。
そのような彼から見て、〈大和〉は美しさを感じさせるほどまでの、均整の取れた艦影だった。
「いつか指揮してみたいものだ」
未練を断ち切るように、草鹿は〈大和〉から目を逸らした。
丁型駆逐艦は〈松〉から始まる、植物の名前を冠された駆逐艦だ。
設計を簡略化しながらも、量産性に劣らざるという、無理難題をどうにか具現化したものである。
現在一七隻が就役しており、甲型駆逐艦と乙型防空駆逐艦と併用している。
攻撃力に優れた甲型は主力水雷戦隊に、空母直衛に乙型、高速性などを必要としない船団護衛などに丁型をといった具合だ。
丙型駆逐艦は設計のみで、今次大戦では量産が間に合わないとして、建造中止が決定している。
丁型は本来ならば船団護衛などが任務であったが、そちらは海防艦に譲り、主力艦隊の戦力補填に転用されている。
新編の第六艦隊の戦力に丁型が目立つのは、しょうがないことなのだ。
第六艦隊司令長官、三川軍一はそうして自らを納得させた。
「長官。間もなくマラッカを抜けます」
参謀長の松田千秋が注進する。彼は珊瑚海での追撃戦などを経験した、今次戦争では経験豊富な将官だ。砲術専攻でありながら、航空戦にも強い人材として、三川を全面的に支援する。
更には航空参謀は、マレー半島では自ら陸攻を駆った入佐俊家だ。改装空母ばかりの第六艦隊でも、彼の能力は得難いものだ。
〈瑞鳳〉〈祥鳳〉に準同型艦の〈龍鳳〉で第七航空戦隊を構成し、戦隊司令官に海軍航空の三羽烏こと市丸利之助が着任し、直率する〈飛鷹〉〈隼鷹〉と合わせて一九六機を誇る。
更には九隻ずつに纏められた伊号と呂号の潜水戦隊が二つ、通商破壊と偵察に従事していた。
第五艦隊はインド洋に、徹底した静音性を備えた新鋭艦〈伊二〇一〉型を投入していた。〈伊二〇一〉型は、これまでの国産潜水艦の特色である、艦載機と水上での高速性を捨て、静粛性に特化した艦だ。インドネシアで得たゴムを多く使用し接合部に噛ませた他、機関部の振動を吸収するために多くの緩衝材を挟んだ。噂では緩衝材に蒟蒻が使われているというとんでもない話が漏れ伝わったりしている。
この〈伊二〇一〉型は低速の上巨大だが、潜水速度は高く、また巨大故に大量の燃料を積んでいた。
インド洋にて音信不通になり喪失したと思われた〈伊二〇三〉が、一ヶ月遅れてシンガポールに帰港したこともある。燃料は足りているのに食糧が足りないことに不満だった艦長の指示で、インドの港町に食糧を買いに出かけたらしい。
英語の新聞を片手に諜報任務と言い張る彼等からは、ターメリックの香りがしていたという。
太平洋では急な占領地拡大により、息切れする寸前の潜水艦だったが、インド洋では余裕がある。
第六艦隊は、セイロン島に蟄居している極東艦隊の残存艦の覆滅を命じられていた。
六隻の戦艦と二隻の空母を失ったイギリス極東艦隊だが、本国を手薄にしてでもインドに固執しているようだ。
〈伊五六〉によれば、スエズ運河使用不可になる寸前で、空母を含む艦隊が通過したという。インド半島西岸で網を張っていた〈伊五六〉は、明らかに空母の艦影を捉えたとのことだ。しかも複数の空母を、だ。
比較的小型の空母は、大量の護衛艦を引き連れて、一目散に南下していた。
〈伊五六〉潜水艦長は攻撃ではなく、報告することを重視した。目先の餌に食いつかず、任務に忠実であったとのことで、彼は連合艦隊より感状を授与される予定だ。
EFがこのイギリス艦隊を、インド洋方面での優位を確保するための増援であると判断。指揮下の艦艇を引き抜き、第六艦隊を編成した。
〈妙高〉型と〈高雄〉型合計八隻の重巡洋艦と、前述の五隻の空母で、インド洋方面の憂いを断つ。それがせ号作戦だ。
因みにせ号の「せ」は、セイロン島の「せ」であり、単純過ぎるとの批判もあった。しかし軍令部総長の裁量で認可されたという経緯がある。
「EFは在コロンボの極東艦隊を撃破し、インド洋方面からの圧力を低下させることを、第六艦隊に期待しております」
護衛艦隊から〈高雄〉に来た首席参謀の大井篤が話す。
「コロンボには五隻程度の空母、一隻の戦艦が確認されています。空母は増援した四隻全てが商船改装空母、もしくは軽空母と推測されます」
松田が眉を顰めて大井に質問した。
「航空戦力では劣勢だが、これ以上の増援はないのか?」
「はい。他は全てアメリカへの備えに回されます。機動艦隊としての運用に耐えうる艦は、これだけです。海防艦なら増派出来るやも知れませんが」
大井の言は正しい。それに三川は、指揮下の艦が足りないとは思っていなかった。少ない中でこれだけの戦力を三川に任せてくれた上層部も、顔には出さないが連合艦隊司令部に掛け合って戦力を抽出させた大井達にも、感謝の思いだ。
「インド洋は第六艦隊に任せてくれ。必ずや後門の狼を狩るゆえ」
一九四三年一月、セイロン島コロンボ。
ジェームズ・サマーヴィルは旗艦〈インドミタブル〉で書類を整理していた。
なにせ大量に配属された艦艇を、各戦隊に分配しなければならないのだ。指揮をする者も選ばねばならない。
〈アタッカー〉〈バトラー〉〈ストーカー〉〈バイター〉〈チャージャー〉の護衛空母と駆逐艦群。これらは元々アメリカの艦艇だ。レンド・リースによってもたらされた戦力で、サマーヴィルの艦隊は構成されている。
大英帝国も新大陸の力を借りねば、艦隊一つ用意出来なくなったのか。一抹の悲哀がサマーヴィルに過る。
不屈の政治家ウィンストン・チャーチルは、盟友ロバート・アンソニー・イーデンをV1により失い、また労働党の挙国一致内閣からの離脱など、国内に問題を抱えていた。
イギリスのファシスト党首オズワルド・モズレーが脱獄しフランスに渡ったとの噂もあり、国内を纏めなければならないが、労働党の下野はそれを阻んだ。
簡単に言えば、大英帝国の国民は厭戦感に取り憑かれているのだ。
ヒトラーがイギリス侵攻を放棄したと発表したことや、イタリアとの戦闘でも敗北を喫したこと。それらが心を蝕んだのだ。
現在では対独強硬派と宥和派は拮抗しつつある。
極東艦隊への増派は、目に見える勝利を手にするようにという、本国政府からの叱咤激励だ。
しかしサマーヴィルには、勝利しうる確信を持てなかった。
サマーヴィルの空母は〈インドミタブル〉を除けば、五隻とも護衛空母である。
艦載五四機の〈インドミタブル〉以外は、どれも一五機を積むのみ。合計で一二九機と数はまずまずだが、〈インドミタブル〉のみが二〇ノットを超えうる。
実績のあるフェアリーソードフィッシュは羽布張の複葉攻撃機で、先日もイタリア艦隊の泊地を夜襲。戦艦二隻を大破させた。爆撃機もソードフィッシュが兼任する。
戦闘機はアメリカのF4Fを購入したマートレット。スピットファイア戦闘機の艦載機版であるシーファイアに比べ、航続距離が圧倒している。
それに加えて、セイロン島にある航空基地には、ハリケーン戦闘機が四〇機とブリストルブレニム爆撃機四〇機、フェアリーフルマー四〇機が存在した。
合計すれば二四九機。それなりの戦力だ。幕僚達は日本など鎧袖一触と意思軒昂だが、サマーヴィルは楽観論に対して否定的だ。
「この程度で勝てるのならば、フィリップス提督が既に成し遂げている」
午後の紅茶を楽しみながら、ゆったりとした空気が流れるコロンボのホテルの一室。〈レナウン〉と共に来たアメリカ海軍の士官は、アメリカ軍の作戦を説明しているが、サマーヴィルには空虚なものに感じる。
「日本帝国海軍は戦力を二分しています。ひとつは中部太平洋に展開し、主力艦艇の大半が配属されています。マレー沖で極東艦隊を撃破したオザワの艦隊、彼等もそちらへ向かっているとのことです」
数名が顔を顰める。中にはマレー沖から帰還した参謀も含まれ、あの悪夢を掻き消すことに苦労した者もいる。
新大陸からの来訪者は言葉を慎重に選んだが、敗北に触れざることは出来ない。
「………インド洋に展開する戦力は、恐らく改装空母が主力でしょう。戦艦はゼロ。その点ではこちらの方が優位です」
「彼等の改装空母を無力化すれば、こちらが優位か」
サマーヴィルは作戦を組み立て始めた。
極東艦隊にはマレー半島に押し返す力はない。しかし存在するだけで一個艦隊を引き付けた。これは極東艦隊が一個艦隊分の戦力を割く必要があると、日本軍が考えたからである。
アメリカは我々に戦力分散以上のことを期待していないし、サマーヴィル自身も考えていない。極東艦隊は負けなければいいのだ。
海軍軍令部では戦力調整に四苦八苦していた。
何故ならば、アメリカのマーシャル襲来に備えてマリアナ諸島には、第一艦隊と第二艦隊、第三艦隊が集中しているからだ。
更には第四艦隊も航空機輸送の任のため、マリアナ諸島からマーシャル諸島を往復している。本来ならば通常の輸送船によってマーシャルに運ばれるはずだったのだが、アメリカ海軍が空母を使い、海賊のように船団を襲う作戦に出て以来こうだ。
第四艦隊の保有する四隻の改装空母を戦闘機と哨戒機で固め、二隻一組で船団護衛に組み込んだのだ。
これまでで二度、空母が護衛に付いた船団が襲撃されたが、零戦の奮闘により事なきを得ている。
一八四三年三月。〈日進〉〈千代田〉を引き連れて、第四艦隊司令長官の高橋伊望は、〈吉野〉の艦上にいた。
改〈天龍〉型ともいうべき〈吉野〉型は、雷装を廃止した代わりに、多くの機銃を備えていた。爆雷発射装置も搭載することで、限定的な対潜能力も備えた〈吉野〉だが、最大の特徴は大きなマストと肥大化した艦橋だ。
一番煙突を飲み込むように広がった艦橋は、内部に艦隊指揮を行える作戦室を備えていた。その上、通信能力の向上のために、アンバランスなマストを生やした姿は、
「お公家様」
とあだ名されるほど有名であった。
そのお公家様での四度目の輸送任務の途中、高橋は新しい電信を受け取った。
「アメリカ海軍に動きあり。警戒を厳にせよ」
素っ気ない一文。しかし高橋はこの電文に気遣いを感じた。
「塚原め」
高橋はにこにこしながら、電文を読み返す。
その時、新しい電文を携えた兵が駆け込んできた。その顔は先ほどとは違い、焦りの色がありありと浮かんでいる。
航空参謀の三和義勇が、不在の参謀長の代わりに電文を受け取る。さっと目を通すや否や、三和は顔色を変えて、高橋に向き直った。
「マーシャルの第一国防線司令部からです……!」
高橋も尋常ならざる事態と分かり、覚悟を決めて電文に目を通す。そして艦橋の全員に聞こえるよう、大きくゆっくりと読み上げた。
「発第一国防線司令部。本日〇七〇五、アメリカ軍艦載機による空襲を受く。来襲する機は二〇〇。爆撃機を伴わず。また、新鋭機を確認す」
フランク・フレッチャーは、ロイヤル・インガソルを総司令官とする「グレナディアーズ」作戦で、第一三任務部隊改め第三三任務部隊(TF33)の司令官として、マーシャル諸島の空襲を行った。
〈エセックス〉〈ヨークタウンⅡ〉〈インディペンデンス〉〈プリンストン〉を主力としたTF33は、マーク・ミッチャーの第三六任務部隊(TF36)の〈ワスプ〉〈エンタープライズⅡ〉〈ホーネットⅡ〉〈ベローウッド〉〈カウペンス〉と連携。マーシャル諸島を無力化する。
戦力では劣勢だが、護衛空母一〇隻が航空機をピストン輸送することで戦力維持が可能となる。
またこの戦力ならばツカハラの空母群に対しても、優位に立つことが出来る。戦闘機をF4FからF6Fへ、爆撃機をSBDからSB2Cへ、攻撃機をTBDからTBFへ更新したからだ。
どの機体も先代より強力だが、その中でも特にグラマンF6Fヘルキャットは、F4Fの急造故の無駄を省き、攻撃力防御力共に遥かに強化された。ジーク三三型に追い縋られるようなことはなく、ジャックにも正面から打ち勝つだろう。
マジュロ島を攻撃したTF33は、現在出撃した戦闘機を収容している。数があまり減ったように見えないのは、新兵器故か。
「集計終わりました」
参謀長のチャールズ・カール・ムーアが、フレッチャーに報告する。
「〈エセックス〉からF6F二四機中二〇機が帰還。〈ヨークタウンⅡ〉からF6F二四機中一九機が帰還。〈インディペンデンス〉からF6F九機中八機が帰還。〈プリンストン〉からF6F九機中五機が帰還。戦果はジークが五〇、ジャックが二一機です」
TF36と合わせて一五〇機ほどでの空襲だ。誤認や重複もあるだろうがらマジュロ、ウォッゼ、クェゼリン、エニウェトクに分散した日本軍に対し、局地的優位に立てたのは大きい。
「TF36が戦闘機で固めていたことも影響しました」
ムーアの言う通りだ。
ミッチャーは艦載機の半数以上を戦闘機で埋め、艦隊全体で二二四機の戦闘機を運用する。今の所、その采配は見事な効果を示している。
「マジュロはあくまで前哨戦。次はウォッゼ、クェゼリンだ。日本軍はあの二島に戦力を集中している可能性が高い」
激励に元気よく答えるスタッフに、フレッチャーは明日以降の勝利を確信しつつあった。
「零戦が三一機、雷電が一二機か」
マーシャルの防衛を指揮する日比野正治は、いつになく渋い顔をしていた。
マジュロは最前線であり、空襲を受ける蓋然性が高い。そのためマジュロには陸軍の高射砲部隊を配置し、航空機はクェゼリンやエニウェトクに避退させた。
しかしアメリカ軍は第一国防線司令部の予測に反し、マジュロに戦闘機のみ使用した。邀撃機は基地からの距離により、到着が若干のずれが生じた。五月雨式になってしまったがために、戦力の逐次投入になってしまったのだ。
「少々、巧緻に過ぎたようだ」
日比野の様子に参謀長の奥田喜久司は慌てた。
「まだ最初の接触です。こちらも八〇機の撃墜と報告が来ています。そこまで悲観せずとも」
「空戦には戦果の誤認や重複がつきものだ。八〇という数字も、半分程度に考えねば」
日比野が言うことは正しい。しかし総司令官が弱気では、問題ではなかろうか。
奥田の心配はそこであった。
日比野は苦笑し、心配するなとばかりに語り始めた。
「マジュロは陸戦隊が主であるから、航空機の支援は控えるとする。エニウェトクの陸軍航空隊か、クェゼリンの海軍が残ればよい」
地図のウォッゼを指すと、
「ウォッゼには海軍の精鋭やラエの経験者が集まっておる。クェゼリンには零戦が一〇〇以上残存している」
去年の時点より増援が到着したため、大幅な戦力増がなされている。
ウォッゼには雷電が一二機減って七八機、零戦が一〇機減って九四機。一式陸攻が三〇機、一〇〇式司偵が二〇機、二式大艇が二一機。
クェゼリンには雷電は無く、零戦が二一機減って一一二機、月光が六四機。一式陸攻が九〇機に深山が三〇機。
合計で戦闘機二八四機、爆撃機一五〇機、偵察機四一機。このふたつの航空基地を、有馬正文と石川信吾がそれぞれ指揮を執る。
陸軍航空隊が防衛するエニウェトクは他の基地と離れ過ぎているため、単独での防衛を強いられており、戦力は潤沢に用意されている。
零戦が一〇八機、雷電が多く一二〇機、戦闘爆撃機として九九式襲撃機が六〇機。深山が五〇機、九九双爆五〇機。一〇〇式司偵が一〇機。
純粋な戦闘機は二八八機、爆撃機一六〇機、偵察機一〇機。それを「奉天の軍神」加藤建夫が指揮を執る。
一九四一年。加藤は再び混沌に叩き込まれた中国、その軍閥に義勇兵として戦っていた。
父親を日本に殺された張学良の、一世一代の賭けであった西安事件は破綻した。分裂した中国は各国の軍事マーケットと化したのだ。
張は仇敵、日本からの支援を受けていた。
「恕がない日本軍だが、個人では素晴らしい人格者もいる。素晴らしい人格の日本人が中国を知れば、彼等が国を動かす時、我々の強い味方になるんだ」
加藤と向かい合って座る張は、古くからの友人のように加藤に微笑んだ。
奉天軍閥に送られた加藤は、軍規の弛みきった地方軍や、賄賂や不正が横行する士官達に、うんざりしきっていた。
義勇兵の中には、そのような空気に染まりきった者もおり、本土に帰ってからその罪を償う羽目になった。
加藤は清廉潔白であることで有名な上、空戦の腕や集団空戦の指揮に優れていた。
自然彼の名は奉天軍閥でも広まり、山東軍閥や共産党軍の機体を次々に落とし、水滸伝をもじった「飛雄星」と呼ばれる。
張がその噂を知り、加藤に会うことになった。それからというもの、張は加藤を気に入り、暇を見つけては団欒するようになる。
日米開戦により軍閥を去る加藤に対し、張は彼の思惑を語った。加藤は信用に足ると見込んでのことだった。
「加藤。必ず生き残れ。生きて日本軍を動かす立場になれ。そうすれば私達は、再び友人となることができる」
「一三号に感あり!方位二〇〇、距離は一〇〇キロ以上、高度は一〇〇〇から三〇〇〇、数は多数!」
電探により早期邀撃は可能になった。しかしこれでは、敵情は不明に近いな。
加藤は司令部で、電探のさらなる改善を思いつつも、己が職務に忠実だった。
「直ちに邀撃せよ。雷電と飛燕の離陸を優先する」
低い音を奏でていた戦闘機群が、激しい爆音をがなり立て始めた。司令部の空気が震え始める。
敵編隊に向けて方向を変えた二二電探が、より詳しく敵情を捉えたのか、丸眼鏡の特務士官が叫んだ。
「高度三〇〇〇から三五〇〇、数は二〇〇ほど!」
「初手合わせだ。やってくれよ飛燕」
壁の向こうから響くエンジン音に、加藤は機敏に反応した。
六〇機の新鋭機は、エニウェトクの滑走路を蹴った。
飛燕は正式名称「三式陸上戦闘機二型」であり、液冷の熱田エンジンから零戦三三型の金星エンジンの発展させた金星六二型ルを搭載した機体だ。
主翼が桁により一体化されていた点、発動機の軽量化であった点などから、異例の早さで生産に繋がった。不安定な液冷式エンジンから実績のあるエンジンの発展型である金星六二型ルに変更した結果は、驚くべきものであった。
空力的に優れたとはいえ一〇〇〇馬力しか出力しない熱田に比べ、一二〇〇から一三五〇馬力を出す上に、水エタノール噴射装置という出力強化装置、排気タービンを装備。緊急出力一五〇〇馬力であった。それに伴い、最高速度も時速五一〇キロから五七〇キロへと増速し、高品質燃料ならば六〇〇キロも望めるほどだ。
翼内に二〇ミリを一門ずつ、機首に一二.七ミリを一門。
零戦三三型を代替かつ軽戦闘機としての機動力を持つとして、陸軍の期待を一身に集めていた。
ファストバック式と呼ばれる、風防後端と機体が一体化した操縦席は、如何にもな新しさを感じさせ、若年搭乗員に人気があった。
量産が開始されたばかりで、その第一群が六〇機、エニウェトクに派遣されたのだった。
檜與平率いる飛燕部隊は、敵の上方から被さるように突撃した。
主力の零戦に誘われるように直進していた敵機は、突然の攻撃に編隊を乱した。
檜はやや乱暴に操縦桿を傾けて、敵編隊から抜ける航路を採った。
急激に減速したため、身体が鉛にでもなったかのように、ずしりと重くなる。
奇襲に成功したが、見渡す限り被撃墜は少ないようだ。檜自身も命中を確信したが、撃墜には至っていない。
次いで突撃した雷電を急降下で突き放す姿に、敵機もまた新型であると悟った。
離脱する檜と僚機を、二機の敵機が追い縋る。
バックミラーにはワイルドキャットとは異なる、低翼で幾分巨大化した姿が映っていた。
「明楽隊長、敵は新型です!」
雷電隊の隊長に報告するが、乱戦のために電波が乱反射。通話が出来ているかは不明だ。
「真島ァ!機織り!」
僚機には辛うじて通じるのか、微かに了解の声が聞こえると、二番機は檜から離れるように旋回し始めた。
二機ともそちらに引き付けられ、両翼を瞬かせる。雨のように降り注ぐ弾丸はワイルドキャットを超える勢いだ。
再び旋回する二番機の手前で頭を垂れたが、あの弾幕には飛燕であっても無事では済まない。
撃たれるのを嫌がるように、真島秀夫は何度も翼を翻す。それに追従する新型機に、横合いから檜は二〇ミリを放った。
後ろ上方から撃たれた敵機は、白い煙を引き摺りながら離脱を始める。しかしもう一機は数発の命中弾なぞ無視して、こちらに機首を向けた。
だがそれは悪手だ。離脱する檜機へ旋回する敵機は、尾翼を吹き飛ばされて墜落した。
真島が再び檜の後ろに付く。
「隊長、遅いですよ」
「待たせたな!」
サッチウィーブ。アメリカ軍考案の、編隊戦闘の技術。二組に分かれた味方が、機織りのように交差を繰り返す。攻守がめまぐるしく変わり、なおかつ有効な手立てがない技だ。
ジョン・サッチという今では参謀になっている搭乗員が、零戦対策として考案したらしいが、この戦法により珊瑚海海戦では、日本軍は多くの搭乗員を失っている。
加藤は就任以来、この戦法を若年搭乗員に対して根気良く伝授。翼を並べた仲間でもある檜も、加藤に教えを請うことに躊躇しなかった。
機織り戦法有効なり。今すぐにでもエニウェトクに降りて、加藤に知らせたいところだ。
だが戦況はあまり良くない。
一二.七ミリの雨に絡め取られ、空中で爆発する零戦が散見される。
重防御で重戦の代表格だった雷電も、新鋭機には追いつけないようだ。諦めて翼を翻した瞬間、死角から討ち取られていく。
急降下勝負でも、どんどん離される雷電。敵機を見失い、別の敵機に向かっていく。
零戦が得意の旋回戦に持ち込むが、助太刀に入った敵機が交差した瞬間、火の玉となって墜落する。
二〇ミリを多数受けたのか、翼に大きな穴を拵えた敵機に、零戦が止めとばかりに七.七ミリを浴びせる。しかし卓越した防御を誇るのだろう、敵機は意に介さず南に逃げていった。
味方の援護に徹した檜は、新たな撃墜機を得ずに空戦を終えた。
気がつけば周囲には見慣れた深緑の機体ばかり。赤い日の丸を提げた機体は、エニウェトクに着陸を開始していた。
檜の周囲に飛燕が集まる。多少弾痕が目立つ機体もあるが、数は減ったようには見えない。
「田淵がいません……」
真島の残念そうな声に、損害なしとはいかなかったか、と当たり前だがそれ故に甘美な期待に裏切られた。
「飛燕隊、着陸急げ!第二次までに間に合わせる!」
己を叱咤する意味も込めて、檜はスピーカーに怒鳴った。




