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空中軍艦  作者: ミルクレ
22/41

マグリブ

〈フォン・リヒトホーフェン〉の偵察艦橋は偵察兵が詰めていた。突然現れた司令官に敬礼をした者もいたが、多くは目下を見つめ続けていた。

 まるでUボートだな。ヘルマン・ゲーリングが偵察艦橋で感じたのは、大西洋で暴れ回る友軍を想起したものだった。

 狭い艦内では敬礼している暇もないと、海軍の大将が語っていたのを思い出したのだ。

〈デアフリンガー〉〈ハノーファー〉〈ポンメルン〉の影が、水平線に沈みつつある太陽によって、〈フォン・リヒトホーフェン〉の前方に伸びている。

〈ニクセ〉〈シャルロッテ〉〈フライア〉〈アリアドネ〉はより北を進んでおり、海からの照り返しで偵察艦橋は照らされているだろう。

 ゲーリングはこれから始まる大規模作戦に心を馳せ、参謀長ヴァルター・ブルーメに話しかけた。

「ブリテン島の空中艦と戦えるのだな、今度こそ!」

 一九四一年六月のことである。


 一九四〇年。第五航空艦隊はバルバロッサ作戦で期待以上の活躍をした。陸軍の快進撃に押されて目立たないが、電撃戦の立役者である急降下爆撃機、通常の機動力を大きく上回る機甲部隊に並び、重要な役割を果たした。

 作戦に先立ちユーゴスラビアで起こった政変に対して、空からの重圧を掛け、政府を早期降伏に追い込んだ。

 ちなみにこの政変によりバルバロッサ作戦の開始は一ヶ月ほど遅延したのが、後々に影響を与えることとなる。

 バルバロッサ作戦は中央軍集団、北方軍集団、南方軍集団の三方向からの攻撃により、ソ連を一年以内に降伏させる作戦であった。

 しかし国軍である国防軍、国防軍からは独立している空軍の双方から懸念が上申されたため、ヒトラーは渋々作戦を改定した。

 フェードア・フォン・ボックを司令長官とする北方軍集団と、ヴィルヘルム・フォン・レープが司令長官の南方軍集団、エーリッヒ・フォン・マンシュタインの中央軍集団に分け、一年以内にモスクワを陥落させることは放棄した。

 モスクワを目前に停止し、ソ連の反攻作戦を覆滅するボックの作戦案は採用され、モスクワは兵糧攻めに喘ぐことになる。

 レープは指揮下にあった半数の第五航空艦隊を有機的に使い、ゲーリングもその指揮に従った。

 第一目標であるキエフでは、機甲兵力の不足を補い、四五万もの兵力を包囲殲滅。

 更には救援に向かう部隊を空から襲い、コンスタンチン・ロコソフスキーやレオニード・ゴヴォロフを戦死させた。

 騎兵戦術の英雄、セミョーン・ブジョンヌイの部隊がスモレンスクに立て籠もると、マンシュタインからの支援要請に従い街を背後から砲撃し、打って出てきた部隊をハインツ・グデーリアンが散り散りにするお膳立てをした。

 予定通りウクライナや白ロシア、バルト三国を手中に収めたドイツ軍はモスクワ眼前とドネツクの周辺で停止。例年より早く訪れた冬に備えた。

 ソ連はロストフにマトヴェイ・ザハロフ率いる南部軍、モスクワにパーヴェル・ロトミストロフ率いるモスクワ方面軍、レニングラードにゲオルギー・ジューコフ率いる北部軍を配した。

 冬の初めから春までの間、改装を受けた第一空中打撃群。彼等の次なる戦場は北アフリカであった。


 一九四〇年、ヨーゼフ・カムフーバー率いる第二空中打撃群は、イタリア軍のエジプト侵攻を、上空より支援していた。

〈ダンテ・アリギエーリ〉を用いた航空輸送でも補給は常に不足しており、一九四〇年末に行われたコンパス作戦、イギリス軍の反攻作戦を迎え撃った際には、多くの物資が不足していた。

 エルヴィン・ロンメルのドイツアフリカ軍団(DAK)に先んじて参戦したカムフーバーは、ロドルフォ・グラツィアーニの遠征軍に協力。バルディアからの撤退支援やトブルクの要塞化の資材運搬を手伝う。

〈グレート・ハリー〉〈ジュディス〉〈メアリー・ローズ〉〈アンリ・グラサデュー〉の四隻が北アフリカ空中艦隊としてトブルクに現れた際、イタリア軍北アフリカ方面総司令官のイタロ・バルボは〈ダンテ・アリギエーリ〉に座乗していた。旧式である〈ダンテ・アリギエーリ〉は衆寡敵せず、総司令官を抱えたまま轟沈。トブルク近海に派手な水柱を上げた。

〈グレート・ハリー〉らがトブルクを威嚇するため降下を開始した時、南から最大戦速で突っ込んできた巨体があった。第二空中打撃群である。

〈ニクセ〉ら四隻は横列を敷くイギリス空中軍艦に対して、垂直に単縦陣で突撃。

 最左翼にいた〈アンリ・グラサデュー〉は集中攻撃され浮遊機関を破損。トブルク市街の外れに墜落した。

〈ジュディス〉〈メアリー・ローズ〉の二隻は急浮上、〈グレート・ハリー〉は前進した。

〈ジュディス〉が邪魔になり〈メアリー・ローズ〉は発砲出来ず、〈ジュディス〉は単独で戦闘する羽目に陥る。

〈ニクセ〉を〈メアリー・ローズ〉が射界に捉えた時には、〈ジュディス〉は高度を維持出来ずに海へと傾いていた。

〈グレート・ハリー〉が飛び出し、〈ニクセ〉〈シャルロッテ〉に向けて乱射する。〈メアリー・ローズ〉は後方の〈フライア〉〈アリアドネ〉と撃ち合う。

〈グレート・ハリー〉は八インチ艦砲を主眼に置いた攻防能力であり、〈ニクセ〉の二八センチ砲には対抗し難い。

 数発の命中弾を出したものの、〈メアリー・ローズ〉は市街地近くの海岸に緊急着陸。〈グレート・ハリー〉は這々の態で退避していった。

 この日のトブルク上空会戦を知ったゲーリングは、

「カムフーバーは歴史に名を残したぞ」

 と悔しげに語った。

 トブルクでの奮戦も虚しく、グラツィアーニはトブルクを放棄。イタリア軍は包囲を避けて後退を繰り返したのだった。

 見かねたアドルフ・ヒトラーは、お気に入りのエルヴィン・ロンメルを二個師団の増援を付けて派遣した。

 ドイツアフリカ軍団の活躍は眼を見張るものがあり、陥落から数ヶ月でトブルクを奪還すべく、要塞に引き籠るイギリス軍を包囲していた。

 トブルクにはイギリス軍司令オコンナー将軍がいた。彼はドイツ軍の反攻に対応するが大敗。ロンメルの捕虜になる寸前で〈グレート・ハリー〉の援護で助かったのだが、その〈グレート・ハリー〉は修理の必要に迫られるほどに疲弊しており、トブルクで将軍を降ろすと、マルタ島へ退避してしまった。

 代理の〈ベレロフォン〉〈シュパーブ〉〈テレメーア〉〈アガメムノン〉が派遣されたことで、ドイツ軍は警戒を強める。そして補給が済んだばかりの第一空中打撃群を派遣したのだった。


「ロンメル将軍はなんと?」

「まだ東進せよ、とだけ。イギリス軍はトブルクを解囲すべく行動中の模様。恐らくはバトルアクス作戦が開始されたようです」

 ブルーノ・レールツァー航空参謀が答える。彼はゲーリングの副官を長らく務めており、ゲーリングとは以心伝心の仲だ。

 ブルーメが焦ったそうにぼやく。

「我々をハルファヤ峠などの防御に回せば良いのです。マチルダⅡなど敵ではないのですから」

「ロンメル将軍には秘策があるらしいぞ。それに我等が東進するのも、将軍の作戦には重要なことらしい」

 血気盛んな幕僚に苦笑しつつ、彼も早く戦闘に介入したがっていた。ロンメルは正面から兵を抽出し、解囲のために進撃する英軍を包囲するつもりらしい。

 大きく迂回するドイツ機甲部隊から離れて、第五航空艦隊はひたすらに東進した。

「電探に感あり!」

 レールツァーが大きな声で知らせる。艦橋に動揺が広がった。

 眼下には砂漠が広がり、電探に反応するような街などは見当たらない。地図にも載っていない街があるなら別だが、最前線の人々は逃げて、人口は減るばかりだ。

「イギリス人の空中艦隊だ!」

 ゲーリングが幕僚の注意を惹くように、芝居掛かった動きをする。足下を指し示し、

「我々と同じ、空中戦艦だ。負けるわけにはいかない。そうだろう?」

 レールツァーが国防軍式の敬礼で返答し、他の者もそれに従う。

「第二空中打撃群は敵艦隊を挟むように移動せよ。我々は斜行陣で進撃!」

了解(ヤボール)!」


 ネヴィル・サイフレット少将は〈アガメムノン〉の司令塔で、苦虫を噛み潰したような顔で悪態をついた。

「バトルアクス作戦が成功するかの瀬戸際だというのに、フリッツ共め。急ぎ撃退してトブルクを救うぞ」

 中東駐留軍総司令官アーチボルト・ウェーヴェルからハルファヤ峠への砲撃を矢の催促されていた。「貴重な燃料を無駄でないと見せてくれ」と皮肉を言われてから、サイフレットはウェーヴェルに対してマイナスの感情しか持っていない。だがこの作戦で死ぬ兵士は、司令官同士の不仲など関係ない。彼等の命を守るためにも、ドイツの空中軍艦を撃破しなければならないのだ。

〈ベレロフォン〉級空中戦艦。

 空中軍艦に興味を示さなかったイギリスが、各国の実状を鑑み、現有戦力では甚だしく劣っていると考えた結果、建造が行われた空中戦艦だ。

 二七〇〇〇トンの基準排水量の船体に、一四インチ四連装二基を積んでいる。

 攻撃力ではアメリカの〈コネチカット〉級と同規模だが、より水上艦に近いフォルムをしている。

〈キング・ジョージ五世〉級を意識した艦橋は、どっしりとした箱型艦橋で、主砲も同じ物を搭載していた。

 その他にもコストダウンを狙ったため、空飛ぶ〈キング・ジョージ五世〉と称された〈ベレロフォン〉級だが、ノルウェーなど北海での船団護衛を始め、多くの戦闘を経たベテランだ。

 ジブラルタル海峡では、四隻だけでイタリア艦隊に対して勇戦。〈ヴィットリオ・ヴェネト〉を大破させる戦功を打ち立てた。

 三隻を失い、最後の一隻も大破したため、北アフリカは枢軸国の空域となっていた。そのため〈アガメムノン〉を先頭に、マルタ島を経由してアレキサンドリアに移動。ドイツ空中軍艦に備えていた。

 ウェーヴェル将軍には戦力の余裕は無く、空中戦艦もありとあらゆる任務に駆り出された。

 補給路の防衛、強行偵察、艦内のスペースを使った輸送任務。

 サイフレットはこれらの任務に飽き飽きしていた。その空気は艦内に広がり、北アフリカ空中艦隊の士気は決して高くはなかったのだった。

 バトルアクス作戦はそんな彼にとって、渡りに船であった。

 やっとの実戦だ。迂回してくるドイツ軍など、空からの砲撃で覆滅してみせよう。

 これまでの鬱屈を発散するかのように、闘志を剥き出しにするサイフレット。

 その鼻先に現れたのは機甲部隊ではなく、ドイツの同類だった。

「高度三〇〇。楔型陣から単縦陣へ移行せよ。地上には空中軍艦が接近中と警告」

 サイフレットは平静を装い、努めて声を低くした。若干早口になったが、幕僚は気がついていないようだ。

〈ベレロフォン〉を先頭に旗艦の〈アガメムノン〉が二番、〈シュパーブ〉〈テレメーア〉と続いた。

 ドイツの空中戦艦〈フォン・リヒトホーフェン〉の諸元は承知している。大規模な改装を受けたが、偵察部隊によれば、艦影は変化しているようには見えなかったらしい。

 マルタ島にイタリアが〈イタリア〉〈レパント〉の二隻を差し向けるという情報もあり、ここでドイツ空中軍艦を撃破できれば、イタリアのマルタ島攻略も防げるかもしれない。

「距離は?」

「間も無く二〇〇〇〇メートルです」

「よし。二〇〇〇〇メートルに達し次第、撃ち方始め」

〈キング・ジョージ五世〉と同じ主砲が、赤く塗られた艦首の〈フォン・リヒトホーフェン〉を指向する。

 先手を取って放たれた砲弾は、四隻のドイツ空中戦艦目掛けて突撃した。

 二発の砲弾は〈フォン・リヒトホーフェン〉の背後を通過する。速度を見誤ったのか、想定より高速だった敵艦を飛び越してしまったのだ。

〈ベレロフォン〉の射撃も開始され、前方の艦から砲煙が吐き出された。後方からも轟音が響き、残りの二艦も射撃を開始した。

「敵艦隊回頭!」

 斜陣でこちらに艦首を向けていた敵艦が、一斉に同航戦へと移る。これで向こうも全主砲を指向できるようになった。

 数で劣るイギリス側は早く同航戦に突入した敵艦隊を撃破しなければならない。残りの四隻が不在なのは不気味だが、正対している四隻を沈めてから考えるべきだ。

 サイフレットが脳裏で戦術を捏ね回していると、〈フォン・リヒトホーフェン〉の甲板から炎が上がる。

 命中弾でなければ発砲の砲火だ。その証拠に曳光弾の赤い線が、こちらに向かって放物線を描いている。

〈ベレロフォン〉を飛び越した砲弾は、そのまま砂漠へと落下していった。

 サイフレットの意識に、何か引っかかるものがあった。二八センチ砲弾はあれほどの砂埃を上げ、大きなクレーターを穿つだろうか。

〈アガメムノン〉の射撃が〈フォン・リヒトホーフェン〉の艦尾を掠め取り、サイフレットが斉射へ移行するよう下命した頃、それが起こった。

〈フォン・リヒトホーフェン〉から撃ち出された砲弾が〈ベレロフォン〉を捉えた瞬間、〈ベレロフォン〉の右舷から火焔が飛び交う。

「〈ベレロフォン〉より緊急!敵弾は主防御区画(ヴァイタルパート)を貫通、敵弾は一一インチに非ず!」

「フリッツ共め……!」

 参謀長のハロルド・バロウが吐き捨てる。

「提督。奴等、主砲を載せ替えたようです。恐らくは〈ビスマルク〉と同じ一五インチを搭載しています!」


「〈デアフリンガー〉敵艦を夾叉」

「敵一番艦、炎上中!」

「距離一五〇〇〇」

「〈ハノーファー〉被弾するも、損害無しとの事!」

 ゲーリングの指示が追い付かない勢いで、複数の報告が殺到する。

 数発が命中し、大きく揺れる〈フォン・リヒトホーフェン〉。その司令塔でゲーリングは、手摺を強く掴みながら押し寄せる衝撃に耐えていた。

 至近で高角砲が炸裂したような横振りの揺れに、身体を固定していない人間が耐え切れず転倒する。

 主砲が〈ビスマルク〉級と同等でも、防御力は依然として一二インチ程度に抑えられている。

〈ベレロフォン〉級の攻撃を食らえば、装甲のヴォーダン鋼を貫通するだろう。

 敵一番艦は既に五発の命中を数えるが、反撃の一四インチが三発〈フォン・リヒトホーフェン〉を痛撃している。

 右舷の対空砲が根こそぎ破壊され、旋回用プロペラも二機が停止した。

 しかし火災発生の上、艦首が下を向き始めた敵一番艦は、既に満身創痍だろう。

「間もなく第二打撃群が突入してきます」

 ブルーメ参謀長がふらつきながらゲーリングに近づくと、懐中時計を睨みながら耳打ちした。

 ゲーリングは深く頷くと、敵艦隊の動きを注視した。第二打撃群に気がつけば、何かしらの反応を見せるはずだ。

〈ポンメルン〉が夾叉され、〈ハノーファー〉が速度を維持できなくなった頃、イギリス艦隊の動きに変化が起こる。

 脱落した一番艦を除いた三隻が、針路を真東に変えたのだ。

「〈ニクセ〉より入電、突入開始!」


 伝令の報告に勝利を確信するゲーリング。

 だが王立海軍の粘りはそこからが本番だった。

 敵一番艦がこちらの針路に交差するように変針。撃沈するべく攻撃を集中するが、一〇〇〇〇まで急接近された。自殺的な機動である。

 艦列を乱された第一打撃群の隙を突いて、イギリス艦隊の残存艦は方位八〇度で単縦陣にて脱出を図る。

 第二打撃群は当初反航戦を見込んでいたが、イギリス艦隊の素早い艦隊機動により丁字を描かれてしまう。

 第二打撃群の〈ニクセ〉級は、〈フォン・リヒトホーフェン〉級と違い、主砲の積み替えは行っていない。

 二八センチでは至近での砲撃を余儀なくされてしまう。

 打撃群司令カムフーバーは果敢にも接近戦を挑む。指示を下して間もなく、大きな衝撃が〈ニクセ〉の全身を揺さぶった。


「B部隊一番艦、撃沈!」

 サイフレットは吹き込む煙に燻されながらも、その報告に「よくやった」と叫び返した。

 後から突入した戦隊目掛けて、二四発の一四インチ砲弾が殺到し、先頭の艦に少なくとも五発が命中したのだ。

 敵戦隊は高度八〇〇フィートで突入してきたが、サイフレットはその半分の高さで撤退していたため、下からの射撃になった。

 水平を保ちながら降下していた敵一番艦は下方より貫通され、艦内で炸裂した砲弾により浮遊機関が破壊される。

 急激に反重力のエネルギーを失いながら、一番艦は煙を引き摺っていく。

 地上に着地すると、砂の山を幾つも乗り越え押し潰しつつ、数百メートルほど滑っていった。

 小爆発を繰り返す〈ニクセ〉級は、停止と同時に沈黙。降下し始めた時点でサイフレットは別の目標を指示し、命中弾を得ていた。

 二番艦の艦上に炎が上がる。速度により後ろに延焼する火災に、瞬く間に艦の過半が赤く彩られた。

 指揮系統を喪失したのか、ただ直進を続ける二番艦。未来位置に向けて放たれた砲弾が、着実にその船体を削り取っていく。

「〈シュパーブ〉被弾!主推進器喪失!」

「〈シュパーブ〉は総員退艦せよ」

 サイフレットの早すぎる判断に、バロウが慌てて止めに入る。

「〈シュパーブ〉は主推進器を失っただけです。副推進器も戦闘力も健在ですぞ!」

 サイフレットは意識して冷徹な口調になる。

「つまり〈シュパーブ〉の撤退を援護しながら、ゆっくりと下がるのかね?我々が〈シュパーブ〉の盾になり、代わりに沈むのかね?逃げきれないなら、捨てるしかないのだよ」

 バロウは何か続けようとしたが、サイフレットはもういいとばかりに手を振った。

 バロウは後に知ったのだが、〈シュパーブ〉艦長はサイフレットの同郷で、既知の間柄だった。友人の事を助けたいが、艦隊の長としてそれを自らに禁じたサイフレットは、敢えて冷酷な判断を下したのだ。

 バロウはそうとも知らずにサイフレットを弾劾した事を悔やんだという。


〈シュパーブ〉が後ろから追い縋るA部隊に対し、左舷を向けるように旋回した。

 B部隊に向かう航路を取ったのだ。

 この変針により〈シュパーブ〉より後方にあった〈テレメーア〉の航路を開き、同時にA部隊に全主砲を指向できるようになった。

〈シュパーブ〉艦長はそこで機関部を停止。薩摩島津家が関ヶ原の合戦で行った、少数の決死隊を殿に残す戦法、捨てがまりである。

 当然だが〈シュパーブ〉艦長は島津家など知らないが、多少でも日本の戦国時代に造詣が深いなら、すぐに連想するだろう。

 残存の〈アガメムノン〉〈テレメーア〉がドイツ艦隊から三〇〇〇〇メートル程まで引き離した時、満身創痍の〈シュパーブ〉最後の咆哮が放たれた。

 A砲塔が撃ち出した砲弾は、〈フォン・リヒトホーフェン〉のアントン砲塔の基部を破損させ、旋回不能に陥らせた。

 最後の一太刀に満足したように、〈シュパーブ〉は沈黙。水平を保つことすら出来ずに、左舷を下に向けて墜ちていった。

 ここに共通名称「トブルク上空会戦」は終結する。

 地上ではトブルクの解囲に失敗したイギリス軍は退却。ハルファヤ峠でなど、一〇〇を超す戦車が屍を晒した。

 オコンナー将軍は捕虜となり、トブルクは再び枢軸側の領地になった。

 イギリス中東駐留軍総司令官アーチボルト・ウェーヴェルは大規模な後退を決定し、首相ウィンストン・チャーチルの不興を買いインド方面へ左遷。後任はクルード・オーキンレックが就いた。

 オーキンレックは戦力保持による数の優位を確保すべく、エル・アラメインに防衛線を引く。

 だが輸送の要であるマルタ島が〈レパント〉〈イタリア〉の強襲により陥落。補給は上手くいかなくなっていった。


 一九四二年一月、アレクサンドリアの港。連合軍の輸送艦船が所狭しと並んでいるが、ほとんどの船腹が空っぽだ。

 マルタ島の陥落により補給が著しく困難になったため、艦船がだぶついているのだ。

 枢軸軍はマルサ・マルトーフに港湾機能を持たせた〈レパント〉〈イタリア〉の空中戦艦を投入し、戦力の補充を行っている。

〈レパント〉級空中戦艦。三二〇〇〇トンの排水量に、主砲はOTO社の五〇口径三八.一センチ連装砲を三基と控え目だ。

 しかし艦の実態は空中武装輸送艦と言わんばかりで、港湾機能を肩代わりできる大型クレーンが片舷二基ずつ合計四基装備、ランプドアと呼ばれる艦底部から展開する揚陸扉など、航続距離が極端に短いイタリア海軍艦艇を補助する機能を持っていた。

 満載排水量は三八〇〇〇トンとなるが、多くが輸送物資である。

 また、発動機不足に悩まされたイタリア軍だが、ドイツ経由で日本製の発動機が入ってきたため、旋回用の発動機も一新された。〈ダンテ・アリギエーリ〉の二一〇〇〇トンに比べ慣性が大きいにも関わらず、旋回性能は良くなったのだ。

〈レパント〉の攻撃力不足を補完する〈ピサ〉級の建造も行われているが、完成は少なくとも四三年以降になる。

 マルサ・マルトーフはトブルクとアレクサンドリアの間に位置し、エル・アラメインを北から圧迫する場所だが、港湾能力の低さから補給地点には不向きであった。

 それを〈レパント〉級で強引にカバーした枢軸側に対し、オーキンレックは幾度となく海軍の派遣を要請した。

 しかし北海での敗北やクリーグスマリーネの跳梁を抑えるのに、多くの艦艇を割く必要があった本国は、オーキンレックの要請を却下。北アフリカではインドからの補給で人員は充足しつつあったが、本国で生産される機甲部隊は補充されない状況が続いたのだった。


「モントゴメリー君」

 オーキンレックは砂漠で赤くなった顔をランプに照らされていた。

 彼に話しかけられた第八軍第一三軍団長バーナード・モントゴメリーは、その表情に死相を感じていた。

「司令長官、なんでしょうか」

「グラントが一〇両手に入ったが、マチルダⅡはまた却下されたよ」

 鼻を鳴らすモントゴメリー。

「本国は…いや、アメリカは本気で支援するつもりがないようですな。彼等は本国に戦力は送るが、アフリカまでは送らない。レンド・リースと大差ないではないですか」

 オーキンレックは宥めながら、

「彼等は実戦経験が無いからね。ニール・リッチー君も、アメリカのボーイズを訓練すべく、本国に帰ってしまった」

 と呟いた。

 リッチーの話が出ると、モントゴメリーは益々不機嫌になる。

「リッチー少将は有能でしたし、訓練するのにも適任です。しかし最も必要とされている場所は、このエル・アラメインです!」

 オーキンレックがモントゴメリーを宥めすかし、ようやく落ち着いたモントゴメリーに本題を伝えた。

「モントゴメリー君。私は間もなくロンメルが攻勢を掛けると確信している。そして目標であるエル・アラメインは保てないだろう」

 深く息を吐くと、意を決して続ける。

「私はこのエル・アラメインを出来る限り保持し続ける。エル・アラメインが突破されたら、アレクサンドリアまで遅滞作戦を行うだろう。その間に、君は第八軍(北アフリカ戦線軍)を率いて、スエズ運河を利用した防衛線を構築してほしい」

 皮肉屋で有名なモントゴメリーも、軽口を叩く余裕がなかった。

 場合によってはアレクサンドリアを放棄するという、オーキンレックの作戦案に衝撃を受けた。

 アレクサンドリアを失えば、オーキンレックは間違いなく解任される。後任は自分がなるはずだ。

 現在の戦線が連合軍に不利であることは、モントゴメリーでなくとも理解出来るが、アレクサンドリアを失うことを想像するのは憚られた。

 オーキンレックの覚悟にモントゴメリーはまごついた。どうにかして、アレクサンドリアを喪失しない作戦を思いつこうとした。

 最終的にモントゴメリーは、

「アレクサンドリアとスエズを結ぶ防衛網ならば、構築出来るのでは?」

 と提案した。オーキンレックはそれを了承し、エル・アラメインを喪失してもアレクサンドリアを保持し続けられる作戦を考えることになった。


 一九四二年四月。エル・アラメインで戦闘開始。イギリス軍の半分程度の戦力のドイツ軍は、防御の薄い点を突破し分裂した部隊を各個撃破する、電撃戦を展開。

 六月、防衛網が完全に突破されたイギリス軍は後退。一ヶ月に渡る遅滞戦術を行い、アレクサンドリアの手前で継戦能力を喪失。

 ドイツアフリカ軍団の指揮官のひとり、ゲオルク・シュトゥンメを戦死させ、ロンメル直率の機甲部隊を敗退させるが、イタリアのフォルゴーレ師団の猛攻によりオーキンレックと第三〇軍団司令官アラン・カニンガムが相次いで戦死。

 アレクサンドリア防衛を放棄したイギリス軍は、スエズ運河防衛線を敷き、第八軍の半数が防衛に当たった。

 第八軍の司令官にモントゴメリー、中東駐留軍総司令にハロルド・アレグザンダーが就任。

 スエズ攻防戦が始まったのだった。

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