空中艦隊戦
深夜三時。ラエ基地で菅野直は、南の空を見ていた。鴛淵孝が気づき、話しかけた。
「どうした、菅野。何か見えるか?」
首を振る菅野。
「いんや、気のせいです。何やら砲戦の音がした気がしたんだけどな……」
ラエでは夜を徹して修繕していた。
航空機の修理も進み、どうにか二〇〇機程度まで復活していた。
深山が四八機、九九双爆が一二機、九九襲撃機が一五機、一式陸攻が二六機。計一〇一機。
零戦は八〇機、雷電は三九機。屠龍三機。計一二二機。
偵察機は一〇〇式司偵が六機、二式艦偵四機。
半分程度に減った戦力。姿を見なくなった戦友。増えた瓦礫の山と戦傷者。
菅野はぼうっと空を見上げた。いつまで続くのだろうか、この戦いは。
第一空中艦隊参謀長、有賀幸作はこのニューギニアでの戦いが終われば、転任することが決定している。
空中艦の独特な雰囲気や特殊な環境に慣れてきたが、雲海より本物の海の方が自分には合っているようだ。
ただしそれに優るのは実戦だ。戦艦の艦長に就任したとしても、前線に出られなければ意味がない。
その実戦に一番近いのは、この〈筑紫〉だろう。
その艦橋で双眼鏡を覗いているのは、気象参謀の小柳冨次が報告した。
「右前方同高度より、敵空中艦隊を視認。数は六」
「艦影は……見覚えがありませんな。新鋭の〈コネチカット〉級でしょうか」
司令長官の草鹿任一が破顔して、勇猛さを露わにさせた。
「新鋭戦艦と撃ち合いか。〈コネチカット〉と〈筑紫〉、力比べと洒落込むぞ」
流石は長官、剛毅なものだ。
有賀はそんな感想を抱いたが、他の者は違ったようだ。
「砲術参謀、具申!」
大野竹二が不安を吹き飛ばそうと、大声を出した。
「どうした?」
「我が方は〈筑紫〉を有するも、米艦隊は〈コネチカット〉級らしき艦が四!総数では四対六。ここは後退し、捲土重来を期すべきかと!」
草鹿は少し考えると、
「我々に期待されているのは、ポートモレスビー付近の戦力の捜索及び無力化だ。ポートモレスビーに空中艦隊が移動した場合、戦闘に著しい支障を来たす」
と言下に否定した。
ただし、と付け加える草鹿。
「無力化と言っても、夜間の間だけだ。敵艦隊の撃滅ではない。マニラのような斬り込みは厳禁だ」
そろそろだ、と目配せをした草鹿に、有賀は敬礼してから艦橋から辞した。
有賀と数名の司令部要員が、第一艦橋から司令塔へ移動する。
通常の戦艦と異なり、空中戦艦の司令塔は艦内に存在する。艦橋を大型化するのは、空気抵抗その他の問題で避けるべきことであったため、多少の不都合に目を瞑って艦内に作られた。
高度や方向等を機械的に算定し、外部の状況を目視せずとも分かるよう、最大限の努力と最高度の技術を詰め込んだのが、空中軍艦の司令塔だ。
第一艦橋の方が開放感が高く、有賀など潮風に吹かれていたい士官にはあちらの方が好まれたが、第二空中戦隊を指揮する森下信衛など司令塔に常駐する者もいる。艦橋にいては分からない、または時間が掛かる情報などが素早く手に入るから、という理由だ。
三人程度が減っただけだが、草鹿は艦橋がとても広く感じた。
いつでも草履に咥え煙草だった有賀も、草鹿の前では正装だったが、草鹿自身は有賀の草履姿を見たくもあった。
その有賀も転任する。ゆっくりと送別会をする暇はないだろうから、今宵の戦闘が送別会代わりだ。
「高度五〇〇まで落とせ。上方射撃用意!」
上から撃ち下ろす下方射撃は、薄い水平甲板を貫通する可能性が高いが、接近戦では艦の角度を深く取らねばならない。
それに対して上方射撃は、下から撃つために貫通する可能性は下がるが、各砲塔の射角が広く、また艦自体は傾ける必要がない。
「高度五〇〇、宜候」
艦長の猪口敏平が復唱し、〈筑紫〉が軽く前傾する。臓腑が浮き上がるような感覚に、ぞわぞわと背筋に怖気が走った。
アメリカ側の司令官は、どう動くだろうか。草鹿は思案した。
こちらが五〇〇メートルまで降下したならば、同高度まで降りるだろうか。それとも頭上から数で圧してくるか。
〈コネチカット〉級が開戦前の情報と変わらないのであれば、八門程度の一四インチ主砲だ。〈松島〉型なら一門有利だが、〈筑紫〉とは同数。
〈アラモ〉級の一六門八インチも、近距離では恐ろしい破壊力を誇る。片舷では一二門に制限されるのが救いだ。
さらには〈アラモ〉には大型噴進砲弾という必殺兵器もある。さながら我が方の酸素魚雷か。
高度五〇〇メートルに降下してすぐ、敵艦隊も降下し始めた。草鹿はさらなる手を打つ。
「急浮上、高度一二〇〇!」
大野が驚き振り返った。
「急浮上、ですか?」
深く頷くと、呆気にとられた大野とは間逆に、猪口が素早く上昇を命じる。
先ほどとは逆に、頭の上から抑えられるような感覚。下降時よりははるかに気が楽だ。
基準排水量三〇〇〇〇トンを誇る艦体が、大きな軋みを随所から響かせる。
「距離、三〇〇〇〇!」
敵艦隊を見つめ続けていた見張員が、相対距離を叫ぶ。まだ夜戦には遠い。昼戦ならそろそろだが、夜戦では一五〇〇〇から二〇〇〇〇まで近づかなければ、命中どころか弾道修正すらままならない。
高度一二〇〇メートルに達した時、相対距離は二五〇〇〇まで縮まっていた。昼戦での決戦距離、すなわち主砲戦距離である。
やはる気持ちを抑えられない指揮官ならば、砲撃開始を命じただろう。しかし草鹿は豪胆でどっしりと構えており、なんら慌てる様子はない。
敵一番艦の甲板に閃光が瞬いた。閃光は赤い光跡を曳いて、〈筑紫〉に迫ってくる。空中軍艦独特の巨大な曳光弾だ。炸薬は無いが赤熱した砲弾が、闇夜に放物線を描く。吊光弾と違い周囲を照らし出しはしないため、暗闇を切り裂く光の線が目立つ。
美しさに目を奪われるが、その放物線はこちらに向けて突き進んでくる。命中すれば、砲弾が持つ運動エネルギーだけでも凄まじい破壊をもたらすのだ。
飛び出した曳光弾は四発。
放物線は〈筑紫〉に向けて突き進み、艦のはるか上方を抜けていった。
「距離二一〇〇〇!」
猪口が叫んだ。草鹿が握り拳に更に力を込めて、命令を下した。
「撃ち方始め!」
主砲発射を警告するブザーが鳴り、足の裏から衝撃が走った。
八の字を描く彼我が砲戦に入ったのだった。
司令塔ではてんやわんやの騒がしさの中、情報が更新されていった。
電探と測距儀の数値から艦の位置に駒が置かれ、更新の度に鉛筆で速度や針路が書き込まれる。
三五ノットで北北西に進む単縦陣の敵艦隊に、二一〇〇〇メートルからは緩やかに交差する針路を進む我々。砲撃戦が長引けば長引くほど、接近して大打撃を受ける可能性が双方ともに高まる。
有賀は艦の中枢に近い司令塔にいるが、草鹿らがいる第一艦橋は大きな窓が多数ある。至近弾だけでも硝子が砕ければ、高度によっては加圧された艦内から外へ吸い出される。
シャッターによる安全策も取られているが、シャッターと砲弾では明らかに後者が貫通する。
「彼我距離二〇〇〇〇、高度差二〇〇」
電探に齧り付く特務士官が、揺らぐ反応を読み上げた。スコープには知識のない人間には、ただの揺らぐ線にしか見えないが、激しく揺らぐ方向に敵艦がいるらしい。
「長官はこのまま直進するつもりでしょうか」
航空参謀千田貞敏が有賀に疑問を呈する。このまま無策で直進するのは危険だと感じたようだ。有賀も同様だ。
「無策ではないだろう、長官は。まだ時期が来ていないだけだ」
ブザーが鳴り響く。六射目が光跡を残し、飛び出していく。四本の内ひとつが敵一番艦の影に重なり、小さな炎を残して消失した。
「命中!」
「よし……!」
有賀は拳を握り、身体に闘志が漲るのを感じた。敵より先手を取ることが出来たのだ。
四発を放つのは砲塔が四つある〈筑紫〉だけだ。〈松島〉型は三連装三基なので、弾着修正の際は三発放つだけである。
しばし射撃が停止する。斉射に移行するため、先ほど放った砲に装填しているのだ。
このまま押し切るかと思った直後、後方から生理的不快感を煽る金属音が響いた。
「〈松島〉被弾!」
伝声管に耳を傾けつつ、司令塔に詰める士官が声を張り上げた。
「〈松島〉より、被弾箇所は右舷下方。損害軽微!」
打電された内容を読み上げる声は誇らしげだ。しかしこれから〈松島〉に向かう斉射でも無事であるとは限らない。
有賀は焦りを覚え、深く呼吸を整えた。
ブザーが二度鳴り響き、斉射の合図を伝えた。三回目のブザー音が鳴ると、足の裏から突き刺す衝撃が有賀を襲った。
「第一斉射」
有賀の呟きは、司令塔内の喧騒に掻き消された。
「命中弾無し!」
「惜しいな」
全弾が近弾となったとの報告に、草鹿は唇を歪めた。
風などの抵抗は受けにくいが、元々の命中精度が一六インチでは良くない。発砲遅延装置や大型の照準器ではカバーしきれない誤差が、八発の砲弾を敵艦から逸らせたのだ。
敵艦は三番艦が沈黙を続けており、〈松島〉に命中弾を出したため斉射に移行中なのだろう。
一番、二番艦が〈筑紫〉を狙い、〈松島〉には敵三番艦、〈橋立〉には四番艦、〈厳島〉には〈アラモ〉級二隻が対応している。
〈松島〉型と〈コネチカット〉級が同格だとして、先手を取られた〈松島〉は不利だ。〈筑紫〉も二隻相手では苦戦も余儀なくされるだろう。
「再装填まだか!」
苛ついたように大野が声を荒らげる。しかし怒鳴ったところで、装填が早まる訳ではないのだ。
「砲術参謀、落ち着くんだ」
黙礼する大野。その顔は焦燥による汗で濡れていた。
待ちに待ったブザー音が、艦橋に鳴り響いた。格子越しに閃光が走り、目を眩ませる。差し込んだ光を認識する前に、衝撃と共に砲火が吹き出し、草鹿達の視覚を妨げた。
放たれた砲弾が敵一番艦に引っ張られるように光跡を残し、すれすれのところで曲がった。それが二発続いた後、三発目が丸みを帯びた敵艦の腹に吸い込まれた。
命中弾は装甲をひしゃげさせ、外側からの圧力に屈する。一拍置いて内側から噴出した火炎が、砲弾が正しく炸裂したことを知らせた。
バランスを崩しかけた一番艦への命中弾は、さらに三発続いた。彼我距離が一九〇〇〇では、装甲は運が良くなければ弾を受け止めきれない。
上方から殺到した砲弾は、艦首付近を鉈で叩き切ったような傷跡を現出させ、左舷旋回プロペラを脱落させ、箱型の艦橋を踏み潰したように変形させた。
艦首と艦橋の二発は不発で、運動エネルギーだけを叩きつけるに終始した。
しかし左舷旋回プロペラを海上に落下させた砲弾は、艦内への突入後に信管が働き炸裂。
浮遊機関への動力を供給していたボイラーが爆砕され、二機ある浮遊機関の片方を停止に追い込んだ。
ふらふらと艦隊から脱落する敵一番艦に、草鹿は深く首肯した。
「よくやった。目標敵二番艦」
敵艦一隻を撃破。盛り上がりを見せた艦橋に、悲痛な叫びが飛び込んだ。
「〈松島〉炎上中、脱落します!」
「長官……!」
大野が草鹿に不安も露わに声をかけた。
草鹿は、
「まだだ、砲術参謀!」
と声を荒らげ、敵艦を睨みつける。
〈松島〉を狙っていた三番艦は、〈筑紫〉へと標的を変えてきた。
「〈厳島〉が敵艦を撃破!目標を六番艦に変更!」
「〈橋立〉命中弾を出すも被弾!」
〈厳島〉は格下相手であるからか、優位を保持している。〈橋立〉も奮戦しており、まだ勝負は分からない。
そこに駆け込んできたのは、電信室の室長だった。彼は暗号を解読し平文に直したものを印刷した紙を、家宝の如く握り締めていた。
「長官!第二空中戦隊からです!」
通信参謀は司令塔にいるので、草鹿が直接読む。その顔は厳しいものから、ぱっと明るくなり、その紙を砲術参謀にも渡した。
大野が声を出して読み上げた。
「発、第二空中戦隊。宛、第一空中艦隊司令部。我、ポートモレスビーに突入す。我、奇襲に成功せり」
草鹿は怒鳴った。
「全艦最大戦速で西進!離脱するぞ!」
第二空中戦隊司令官、森下信衛は眼下の街を観察していた。正確には街を守る軍事施設を見つめていた。
滑走路は整地し直され、重爆が離陸出来るほどに回復している。駐機しているのは恐らく、オーストラリアから飛来したB-17だろう。
軍港施設も立派で、フィリピンのマニラに匹敵する規模を誇っていた。
街の外にはすり鉢型の穴が多く並んでいるように見えるが、よく見れば無傷の軍用車両や火砲が並んでいる。兵舎らしき蒲鉾型の建築物も散見した。
吊光弾の灯が消えると、ポートモレスビーの街は黒く塗り潰された。灯火管制が徹底している。
先ほどの吊光弾から目標を設定すると、森下は直ちに命じた。
「右一〇度傾斜。速度二五ノット。目標、敵航空基地並びに滑走路。撃ち方始め!」
〈浅間〉以下の四隻が砲門を開く。
奇襲に驚いたポートモレスビーも、混乱から立ち直りつつあった。対空砲の一部が侵入者に対し、高射砲を撃ち上げ始める。
しかし空中艦の高角砲が目敏くそれらを見つけ、同規模の砲火を浴びせる。至近弾が空中艦を撫でるが、応射された地上では破片が兵士を切り刻む。
主砲弾が滑走路を耕し終えると、第二空中戦隊は引き揚げにかかる。先ほど司令部が離脱に成功し、無事な敵艦がこちらに向かっているとの電信を受け取った。
第一空中戦隊は数の不利にも関わらず、敵艦二隻を撃破。被害は〈松島〉大破、〈橋立〉〈厳島〉小破。
ポートモレスビー砲撃の隠れ蓑だったが、激戦になったようだ。
「ポートモレスビー壊滅。損害無し。これより帰投す」
森下はいつも通り冷静なまま、ぽつりと呟いたのだった。




