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空中軍艦  作者: ミルクレ
19/41

弓弦しなる

 ラエの第五航空艦隊は、激戦を繰り広げながらも索敵機を出し、アメリカ機動艦隊を捜していた。

 第三艦隊も同様に索敵を行いながら南下、珊瑚海に入ってやっとマダンの下手人を捕捉した。

 艦橋に源田実航空参謀の声が響き渡る。

「攻撃隊、発艦開始します!」

 その声を掻き消す栄発動機の駆動音が一際大きくなると、最前列の零戦が飛行甲板を滑走する。

 松田千秋参謀長は直衛の零戦を観察し、敵襲の気配はないかと警戒をしている。砲術専門である彼なりの、航空機対策なのだろう。

 ラエへの空襲を間一髪逃れた城英一郎首席参謀は、源田と並びながら発艦していく〈赤城〉所属機を見送る。

〈赤城〉艦長である長谷川喜一は、風向きを示す吹き流しと、空母の主目的である航空機の発艦、どちらも気を配っている。〈加賀〉とは逆の左舷に艦橋があるため、〈加賀〉にいた頃に見た岡田次作艦長の動きとは違っていた。

 整備の兵士達や対空砲要員は、帽子を力一杯振り回し、思い思いの声を掛けて航空機を送り出している。油に汚れた黒い頬の整備兵は、己の担当した機が発艦する順番が来ると、割れんばかりの大声で、操縦士の名前を叫んでいた。

 彼等を死地に赴かせる命令を下した。それは彼等の思いでもあり、責任は感じていない。ただその思いが無駄にならないよう、最大限の努力をしなければならない。

 第三艦隊司令長官、塚原二四三は敵艦隊のいる南東を睨み続けた。視線を外せば敵艦隊を逃してしまうかのように。


 第一次攻撃隊を任された高橋赫一は、後席の奄美勝に確認する。

「全機付いてきているか?」

「全機後続中、脱落機無し!」

〈赤城〉から零戦一〇、九九艦爆一八、九七艦攻一二、合計四〇機。

〈加賀〉から零戦一〇、九九艦爆二〇、九七艦攻二〇、合計五〇機。

〈飛龍〉から零戦一〇、九九艦爆一五、九七艦攻一五、合計四〇機。

〈蒼龍〉から零戦一〇、九九艦爆一五、九七艦攻一五、合計四〇機。

〈翔鶴〉〈瑞鶴〉から零戦一〇、九九艦爆二〇、九七艦攻二〇、合計五〇機ずつ。

 二七〇機の攻撃隊が、高橋の指揮下にあるのだ。

 技量が不安視された〈翔鶴〉型も、各艦から引き抜かれた精鋭に鍛えられており、他の攻撃隊と遜色ない程度だ。

 敵艦隊は全速力で撤退していたが、通信傍受した内容によると、敵の艦隊司令官は猛将ウィリアム・ハルゼー提督だ。

 彼はマーシャル沖で独断で攻撃隊を発艦させ、第三艦隊と相打ちを狙った。直衛の前に敗れはしたが、飛行士資格を持つ航空戦の専門家として、決して油断してはならない相手だ。

 物思いに耽っていると、高橋機に近付く機影がひとつ。

 敵機にしては動きがおかしい。バンクを繰り返し、無防備に側面を見せつけている。

「二式艦偵だな」

 近付くにつれ、その特徴的な機首が目に入る。液冷エンジンを採用したため細く、高速で敵機を振り切ることが出来そうな機体だ。

 噂では信頼性の高い空冷エンジンに換装した機体を、新型艦爆として採用するらしい。

 出来ることなら、液冷のままが良いな。速度がそのまま生存率に直結すると知っている高橋は、見慣れない機体に対して羨望を覚えた。

 通信機を弄り回し、二式艦偵と周波数を同期する。

「我〈赤城〉所属なり。貴隊を先導す!」

 まだ若い声で上擦った口調が耳元に流れる。

「感謝す!」

 こちらの声が聞こえているだろうか。九九艦爆の通信機は、向こうほど性能が良くない。同じ二式艦偵同士ならば、息継ぎすら聞こえたかもしれない。

 ぐるりと縦旋回をする二式艦偵。そのまま高橋の前に陣取ると、尾翼を使って緩やかに水平旋回していく。

 敵艦隊の姿を捜して、海面をじっと見つめる高橋。他の機でも同様に海を索敵しているだろう。

 後席の奄美は太陽を背にしたり逆落としで襲い掛かるかもしれない敵機に対し、見逃さないように警戒していた。

 一時間以上飛んでいたような緊張感は、唐突に終わりを告げた。

「航跡見ゆ!」

「零戦が増槽投下!」

 ほぼ同時に九九艦爆の前後から怒声が上がった。

 航跡は大きな八の字が二つ、小さい航跡に囲まれるように南進していた。

 少し目線をずらすと、風防の汚れのような黒点が多数見えた。汚れならば動かないが、その黒点は攻撃隊に被さるように広がる。

 高橋は全機突撃を命じる単語をレシーバーに叫んだ。

「トツレ!トツレ!」

 艦攻隊が高度を落とし、反対に零戦は上昇する。先ほどまで黒点だったものが、翼やエンジンナセル、垂直尾翼までもが判別出来るようになってきた。

 敵機は明々白々。グラマンの山猫(ワイルドキャット)だ。

 増速した零戦とワイルドキャットが交差し始める。各機から火線が延び、それが機体に吸い込まれていく。

 致命傷を受ければ発火し、一筋の煙とともに落ちていくワイルドキャット。華奢な機体故か、銃弾に絡め取られた零戦は爆発して破片だけが落ちていく。

 操縦席を砕かれれば、原型を留めたままに落下して、海面に叩きつけられるまでプロペラは回り続けた。

 味方が優勢だと思いたいからか。風切り音の断末魔を上げているのは、ワイルドキャットが多いように見える。先導の二式艦偵が数えてくれているだろうか。

 戦闘機同士の争いが徐々に近付いてきた。遂には零戦を振り切ったワイルドキャットが、身重の艦爆に襲い掛かった。

 戦闘機並の機動力を誇る九九艦爆といえど、二五番を吊り下げていてはどうしようもない。機体を左右に振り線を外すことに徹するしか、生き残る術を知らない。

 最初に襲われたのは、急降下爆撃では一番の練度を誇る〈飛龍〉隊の艦爆だ。

「〈飛龍〉隊機被弾!もう一機被弾!」

 並走する〈加賀〉隊にもワイルドキャットが襲い掛かる。羊の群れに喰らい付く狼のような獰猛さだ。

「〈加賀〉艦爆隊長機被弾!」

〈加賀〉隊は先導すべき隊長を失い、糸で繋がれたような編隊も、一斉爆撃に適した横陣も採れず、ばらばらに団子になりながら必死に砲火を張っている。

 護衛艦艇の排除を命じられた〈翔鶴〉〈瑞鶴〉六航戦所属機にも、離れているために明確なことは分からないが、火を噴き墜落する機体を散見する。

「敵機右上方!」

 奄美の怒鳴り声に、半ば反射的に操縦桿を倒す。ぐらりと世界が傾き、赤く熱された曳光弾が風防を掠める。

 後席から破裂音を伴う七.七ミリ機銃の銃撃が始まる。何発か命中したかもしれないが、ワイルドキャットは悠々と離脱していった。

 続けて正面から襲い掛かったワイルドキャットの小隊は、九九艦爆を翻弄しながら編隊の真っ只中を突き抜けた。同じルートを二番機が浸入した時、複数の機銃弾が機体全体を叩いた。発火こそしないが、シリンダーその他を砕かれれたワイルドキャットは、機を安定させることもなく墜落していった。

 最後尾からしつこく追い縋っていたワイルドキャットは、背後に舞い降りた零戦に気がつかず、急降下に入った時には二〇ミリ機関砲弾が命中していた。尾翼が切断され、錐揉みのまま落下していった。

「二小隊機被弾!三小隊機被弾!」

 被害ばかりが増え、敵艦隊上空に到達したのは〈赤城〉隊だけで一二機。六機一個小隊分を失った。

〈加賀〉隊は二〇機いたはずだが、半数ほどに減っているように見えた。被害は甚大だ。

 ワイルドキャットからの銃撃が止まった。一息つけると感じたのも束の間、正面から太く橙色に輝く砲弾が押し寄せてきた。

「これは……戊式か」

 ボフォース四〇ミリ機関砲は、アメリカの代表的な対空機銃である二〇ミリや一二.七ミリと、一二.七センチの高角砲の間を埋めるものとして、幅広い艦艇に採用された火砲だ。

 我等が防空駆逐艦にも採用された砲の威力を、身をもって味わう羽目になった。

 雷撃機ならば、プロペラが海面を叩かんばかりの高度を取り、俯角を取れない対空砲を無力化する。

 しかし直上から爆弾を投下する爆撃機は、運悪く命中しないように願うだけだ。

「突撃するぞ!」

 操縦桿を押し込み、高橋は機体を前のめりに突っ込ませた。

 目標は〈レキシントン〉級。マーシャル沖で逃した〈ヨークタウン〉級とは微妙に異なる艦影が、白波立てて回頭する。

 至近で炸裂する高角砲に翻弄され、上下左右に掻き回される。胃から苦いものが込み上げているのか、奄美が唸り声を上げた。

「五五……五〇……四五……!」

 高度計が四〇〇メートルを指すと、投下索を引く。電気信号が伝わり、二五〇キログラムの爆弾が切り離され、反動で機体が浮いた。

 後は速度を殺さずに海面近くまで降下し、安全圏まで脱するだけだが、その前に爆弾は飛行甲板を叩くはずだ。

「命中!命中!」

 奄美の歓喜の声が響く。被弾の衝撃と至近弾の水柱により対空砲火が弱化し、離脱が容易くなった。

 不意に固定脚が風を切り裂く音が聞こえなくなるほどの轟音が、左の海面から響いた。

 驚いた高橋がそちらに首を捻ると、海上に火柱が立ち昇り、何かの破片が海面に白い跡を残している。

 駆逐艦に命中した爆弾が弾薬庫を直撃、引火爆発したようだ。護衛艦排除を命じられた六航戦の戦果だろう。

 安全圏まで遁走した高橋は、戦闘機から離れたことを確認してから上昇した。戦果確認のためである。

 甲板から黒い煙を吐き出している空母は二隻。周囲には七隻の燃え盛る駆逐艦と、二隻の炎上している巡洋艦。先ほど爆散した駆逐艦を含めて、一ニ隻に命中したようだ。

 その駆逐艦を避けて浸入する機影が多数。雷撃機だ。

 無傷の巡洋艦や駆逐艦から、対空砲火の火線が伸びた。一機、また一機と絡め取られた九七艦攻が、もんどり打って海中に消えていく。

 減殺された対空砲火の穴を突く雷撃機は、駆逐艦だった炎の塊を掠めるように接近し、被弾した空母の右舷に取り付いた。

 統制された斜行陣を維持し、一斉に投下された魚雷は、白い航跡を残して空母に突き進む。

 艦攻隊は空母の真上や艦尾から抜けて、低空飛行を維持したまま逃げ延びた。

 魚雷の航跡に突撃する駆逐艦。体当たりで魚雷を破壊するつもりだろうが、一隻だけでは止め切れない。

 雷跡が舷側に吸い込まれた瞬間に、海面が爆発した。それが収まらない内に二本目、三本目が聳り立つと、空母は反動で左舷側に傾き、次いで命中した後部を深く沈み込ませた。

 もう一隻の空母は雷跡に正対することに成功したが、回避に失敗した。艦首に現れた水柱に突っ込んだ。水飛沫に甲板が洗われ、束の間火の手が収まった。

 逆進をかけたのか、急速に減速する空母に、角度を変えて放たれた魚雷が命中する。甚大な損傷を受けたのか、しゅうしゅうと水蒸気が破孔から漏れていた。

 先立って被雷した空母は総員退艦が命じられたようで、甲板に胡麻粒のような水兵の影が集まり始めていた。

 高橋はレシーバーを掴み、奄美に通話した。

「艦隊へ戦果報告。空母二大破炎上中、撃沈確実。駆逐艦八、巡洋艦二に命中弾。これより帰投す」


「赤松隊長!」

 黒煙を上げるグラマンを追い越し、零戦が飛び出した。

 尾翼には赤松貞明の機であることを証明する番号が書かれている。

 F4Fに追い回されていた新人を二〇ミリの一連射で救うと、再び乱戦の中に戻っていく零戦。

 擂鉢のように円を描きながら降りていく赤松の二番機を、急降下で狙うF4Fを見咎めると、赤松はくるりと旋回して鼻先を向ける。

 未来位置目掛けて放たれた二〇ミリの雨に、棒切れを投げられた犬の如く飛び込んだF4Fは、風防を赤く染めて落下していった。

 同時に、上昇しようとするF4Fを二番機が撃墜した。

 二番機の操縦席で関行男がにっこりと笑った。人好きのする優しげな笑顔だ。

 相棒の余裕のある表情に、まだまだ行けると確信した赤松は、雲の切れ目から様子を伺うSBDドーントレスの姿を捉えるや否や、自慢の金星エンジンのスロットルを開く。

 栄を積む零戦とは違う力強さを感じながら、零戦が乱戦から抜け出す。

 SBDは一〇機以上で、二機だけで相手するには辛いものがある。しかし赤松は自分の腕ならばいけると確信していた。

 まず気がつかれないように雲を使いつつ、編隊の左上方に遷移。

 そして先頭の一機半前の空間に銃撃してから正面に回り込む。

 一撃で見事命中した弾体は、プラットアンドホイットニーのエンジン内部で炸裂し、機体はがくりと首を垂れて墜落していった。

 同時に左から襲い掛かった関は、二機に弾を浴びせて編隊の下を潜る。そしてすぐ編隊の真ん中を下方から撃ちまくった。

 右からのきしゅうに驚き操作を誤ったSBDが、左から回避してきた味方に衝突。それぞればらばらになりながら落下していった。

 後続機が密集しようとするも、中心の機体が火を噴いたことで再び散開する。

 上空の虐殺に気付いたF4Fが上昇してくるまでに、六機撃墜を記録した。残存するSBDは攻撃を諦め、爆弾を投棄して反転していった。

 押っ取り刀で駆け付けたF4Fも速度が減殺しており、赤松らの攻撃に撃退された。

 概ね二機以上の編隊飛行をする〈赤城〉所属機は、元々の性能もあってF4Fを圧倒。他艦所属の零戦は、ばらばらになって襲い掛かる敵機を、確実に叩いていけばよかった。

 しかし徐々に撃ち漏らしは増えていき、赤松が五機撃墜確実となった時に、五月雨式に襲来したSBDが、彼等の母艦に向けて急降下するのを見た。

 分散し邀撃に失敗した零戦が、三機のSBDを追い掛ける。

 しかし投下体勢に入ったSBDは対空砲の射程に入り、零戦はすごすごと引き下がった。

 舷側を赤く染め上げ、兇刃を避けようと回頭する〈赤城〉。三機に空母一隻分の砲火が集中するも、撃墜するには至らない。

 それでも一機が白い煙を吐き出し、翼を大きく翻す。放り出すように爆弾を捨てて、そのまま海中目掛けて直角に落下していった。

 残りの二機は円を描く〈赤城〉に対し、真っ直ぐ正面から飛び込んでいる。

 一〇〇〇ポンド爆弾が切り離され、だだっ広い甲板に向かっていく。

「当たる……」

 思わず赤松は呟いた。

 艦首に吸い込まれていくように見えた爆弾は、艦首前方の海面を叩いた。巨大な水柱が二本、〈赤城〉の木製甲板を洗い流した。

 安堵の溜息を吐いた赤松だが、その表情が凍り付く。

 破砕音が響き、甲板から煙を噴出させた艦が一隻。中央に大きな破孔を作った空母の艦橋は、左舷にあった。


 第二航空戦隊司令官山口多聞は、衝撃に転がった伝令を助け起こした。

 艦橋の硝子は一枚残さず割れ、甲板側の硝子は艦橋の床にばら撒かれていた。破片が当たったのか、加来止男の頬からは一筋血が流れていた。

 第二次攻撃隊を送り出したばかりの甲板に目を向ける。艦橋の少し後ろから真っ黒な煙が湧き出していた。

「応急班向かう!」

 応急長中島正が、防毒面を片手に艦橋から飛び出す。

 加来は割れた窓硝子を踏み潰しながら、上空の様子を抜け目なく監視し、面舵取り舵と指示を飛ばす。応急修理の最中にも、敵機は現れ続けるのだ。

「降爆五!」

 空を見上げていた見張兵が絶叫する。加来が降爆の下に突っ込むように指示を飛ばす。

 先ほどの被弾は発見が遅れたため、転舵が遅れたのが原因だ。今度は十分な時間がある。

 僚艦の〈蒼龍〉や直衛艦から、降爆目掛けて撃ち掛ける。〈飛龍〉に対してこれ以上の命中を許さない構えだ。

 SBDの一機が主翼を吹き飛ばされ、錐揉みに入って落下する。続けてもう一機が高角砲の黒い煙に突っ込み、穴だらけになって空中分解を起こす。

 残りのSBDは濃密な砲火に爆撃を断念。一機が煙を吐きながら離脱していった。

〈飛龍〉の掩護に意識の向いていた〈蒼龍〉の上空に、突如として四機のSBDが現れた。上空で旋回し、防御の薄い艦を捜していたようだ。

 片舷の火砲を〈飛龍〉の方に向けていたため、対空砲火は半減していた。駆逐艦が撃ち上げるが、濃密とはいえない砲火だ。

〈飛龍〉にもSBDが襲い掛かった。僚艦に掩護の借りを返す暇は、残念ながらなかった。

「面舵一杯!」

 対空砲による撃退を諦めた加来は、狙いを外すべく再び敵機の下に潜り込む。繰り返した転舵により速度は落ちたが、SBDに正対するのに間に合った。

 口笛のような音が響き、それが一段と大きくなった瞬間、巨大な水柱が出現した。

 山口は揺らぐ足下にふらつきながら、水柱と衝撃の数を数えていた。

 遠距離にふたつ、近距離にひとつ。最後のひとつは機銃用の張り出し部を掠めて、艦底部を痛めつけた。

「全弾回避、ようやった艦長!」

 山口の激励に顔を綻ばせた加来だが、その直後表情を強張らせた。

 爆発音。しかも近くから。

 左舷からは山口が恐れていた通りの風景、〈蒼龍〉から立ち昇る黒煙が見えていた。


「二航戦は護衛の駆逐艦と共にラエの庇護下に下げました。艦載機も予備機以外は出撃しており、搭乗員の損害は多くありません」

 源田の顔が曇っている。二航戦に直衛艦を多く配置しなかったのは、彼の具申によるものだったからだ。

 敵は大型または新鋭艦を狙いに来る。〈翔鶴〉型は初陣であるから、乙型防空駆逐艦は六航戦に配すべきだ。

 確かに六航戦には最多となる敵機が襲来した。しかしだからといって二航戦が傷ついたのは、彼の責任だと考えているのかもしれない。

「航空参謀。六航戦に乙型を配属したのは、間違いではなかったと私は確信している。寧ろ十分でない数の護衛しか付けてやれなかった、私こそ責任がある」

「長官!」

 源田は真っ青になったが、塚原は笑って首を振る。

「なに。職を辞すとは言っておらんさ。今度は護衛をもっと連れて来てやるだけだ」

 参謀長がタイミングを見計らって、塚原に敬礼して報告した。

「第一次攻撃隊の集計が終わりました」

 戦果は空母二、駆逐艦八の撃沈。巡洋艦二に命中。

〈赤城〉は零戦八、九九艦爆一四、九七艦攻八が帰投。

〈加賀〉は零戦九、九九艦爆一六、九七艦攻一二が帰投。

〈飛龍〉は零戦七、九九艦爆一三、九七艦攻八が帰投。

〈蒼龍〉は零戦一〇、九九艦爆一一、九七艦攻一〇が帰投。

〈翔鶴〉は零戦六、九九艦爆一四、九七艦攻一三が帰投。

〈瑞鶴〉は零戦六、九九艦爆一二、九七艦攻一一が帰投。

 二七〇機の第一次攻撃隊は八二機が未帰還となった。

 一四機の零戦、二八機の艦爆、四〇機の艦攻を失ったのだ。艦攻などは一〇二機の内四割近くを撃墜された。

 この損耗に司令部の顔色は青くなった。航空消耗戦の恐ろしさを、身をもって理解したのだ。

 一八八機は帰投した機を数えただけで、搭乗員が怪我をしていたり、機体が大破し破棄されるのも除けば、残るのは一五〇機ほどではなかろうか。

「零戦は四六機の内、使用に耐えうるのが四〇機程度です。搭乗員も無事な機体ばかりなので、直衛の零戦二〇機と合わせ、六〇機が現在防空に回せます」

 松田の報告に、我を忘れていた源田は、直衛機にまで頭が回っていなかった自分を恥じた。

 塚原を見るが、彼の渋面からは搭乗員を失った辛さしか分からない。

「第三次攻撃隊は、どうしますか?」

 源田が尋ねる。

「無論、出す」

 断言する塚原に、松田が懸念を示した。

「ここで攻勢を掛ければ、巡洋艦を全滅することも可能でしょう。しかし最後の空母の行方は分からないままです。索敵の結果を待ってから出しましょう」

「索敵攻撃を行う」

 艦橋の空気が凍り付く。

 塚原は幕僚達に説明し始めた。

「敵艦隊上空には相当数の直衛機がいた、と参謀長から聞いた。数は五〇から六〇。空母二隻ならば搭載しているだろうが、彼らは攻撃隊を繰り出してきた。攻撃隊と直衛の戦闘機は軽く一〇〇を超える。艦載機の配分が異なるといえども、三隻目が二隻の上空に直衛を送った、もしくは三隻目が近くにいたはずだ」

 塚原の言い分は理解出来た。しかし博打だと感じる源田は反対した。

「ここまで来て功を焦るのは如何なものでしょうか。付近にいるのなら、索敵機が発見してからでも……」

「ハルゼー提督の手駒を潰す。我々を攻撃した敵機は、ポートモレスビーに向かい、ラエとの戦いに投入された。恐らく〈エンタープライズ〉も、艦載機をポートモレスビーに向かわせている。予備機を受け取って再戦力化がなされる前に、〈エンタープライズ〉を叩かねばならない」

「……長官の御意志が堅いのならば、参謀長として言う事はありません」

 松田の白旗に孤立無援の源田。

「……ハルゼー提督は〈エンタープライズ〉で沈めた二隻の分も、直衛機を収容したはずです。こちらへの攻撃が無いというのであれば、直衛の零戦を一部、攻撃隊に回してください」

「わかった。直衛は一〇。残り全てを攻撃に回せ」


〈エンタープライズ〉はすぐに見つかった。

 なんと先の二隻から一海里も離れていない、濃厚な積乱雲の下にいたのだ。

「これは堅牢な……」

 村田重治が九七式艦攻から見た敵艦隊は、二重三重の曲輪に囲まれた、難攻不落の春日山城の如しだった。

 しかも残存艦艇で築かれた対空砲火に到るには、その上空で飛び回る直衛機を突破する必要がある。その数は七〇機ほど。〈エンタープライズ〉は沈んだ二隻の戦闘機を収容したのだろう。上空は黒点が大量に飛び回っていた。

 その様子を見た村田の台詞が、先のものであった。

 しかしながら彼の闘争心はいささかも衰えていない。彼の飛び方は闘争心というより、義務感に押し出されるように、機械的に攻撃までの手順をなぞるだけだ。

「行くぞ。全機突撃、トツレトツレ」

 彼の通信と同時に、電信員の浅川克己が短短長短短の打電を繰り返す。

 五〇機ほどの艦攻が降下を開始。零戦が増槽を切り離し、切り離された増槽が海面に飛沫を上げた。

 零戦とF4Fがたちまち乱戦に突入し、そこから弾き出された少数が、村田達を狙う。

「第二小隊長、被弾!」

 浜田連曹長操る九七艦攻はキャリバー五〇に貫かれ散華する。村田は振り向かない。

「敵機直上!」

 偵察員の久慈光起が機銃を振りかざし、村田は反射的にフットバーを蹴り飛ばした。軽い射撃音が周囲からも届き、F4Fは煙を吐いて傾いだ。「一機撃墜!」の嬉しそうな声にも宜候と返すが、振り向かない。

 対空砲の射程に飛び込むまでに、さらに三機の僚機を失った。

〈赤城〉隊は空母ではなく、周囲の護衛艦に狙いを定めた。右前方の艦攻隊が魚雷を投下し、退避しにかかった。

 周囲で活火山の如く撃ち上げていた駆逐艦や巡洋艦は、泡を食って転舵する。その周囲に急降下爆撃の水柱が乱立し、爆炎が立ち昇る。

 駆逐艦に命中すれば魚雷や機銃弾に引火。大爆発とともに沈み始める。巡洋艦ほどになれば耐えるが、それでも砲煙は疎らになった。

 舵を傷付けた巡洋艦が直進に戻ってしまい、航空魚雷に横っ腹を向けたまま前進する。魚雷が突き刺さっては巡洋艦といえど、船足を衰えさせて傾斜しだす。

 村田達の隊は燃え盛る駆逐艦の艦尾を通過し、正面に目標の右舷を認めた。

 自分の命を奪わんと突撃する艦攻に、必死な妨害が降り注ぐ。

 直属の二番機が、直上で炸裂した高角砲弾によって砕かれた時、村田は裂帛の気合いを込めた声を上げた。

 命中コースを進む魚雷は五本。残りは落とされたり、海面を跳ねて分解してしまった。

〈エンタープライズ〉の真上を反対側から突入してきた〈瑞鶴〉隊がフライパスした。燃え上がりながら甲板に叩き付けられた一機が潰れると、残存燃料が周囲に飛び散る。

 見覚えのない軽巡を大きく避けていると、後部から歓喜の声が上がった。

 振り向くと、二本の水柱に挟まれている〈エンタープライズ〉が視界に飛び込んだ。右舷の飛沫は幅広で、一発の命中ではないことを示している。

 どうにか一日でカタをつけられたか。「ようやったブツ!」と笑顔で出迎えるだろう友人の姿を空想しながら、第三艦隊に向けて機を操った。



 ラエ基地はこの日四度目の空襲を受けていた。攻撃は海軍単発機が主力で、雷電が不足していたにも関わらず、どうにか防ぎきった。

 しかし五度目はオーストラリアから補充されたのか、五〇機以上のB-17が襲いかかった。

 護衛機は零戦に対して倍の機数で襲来。零戦はほとんど落とされなかったものの、B-17に手を出すだけの余裕は無く、P-40を突き放すだけの速力を持つ雷電のみが攻撃できた。

 P-38は打ち止めなのか、出てこなかったのは僥倖だ。

 それでも雷電隊は傷だらけ。鴛淵孝は被弾により乗機を喪失。菅野直は風防の破片で怪我をしていた。

 B-17はほぼ無傷のまま、ラエ基地を空襲。どうにか復旧していた滑走路を粉砕して、再びひとつだけのみ機能する状態に戻ってしまった。

 深山と一式陸攻の残存は三〇機程度。零戦も八〇機、雷電に至っては一〇機ほどしか残っていない。

「痛えー……」

 菅野の不機嫌な声がテントに響く。彼の不満は建築機械の駆動音にかき消された。

 彼の愛機は風防のみの損壊で、予備の硝子を取り付けているところだ。

「飛行帽で止血しようとするからそうなるんだ。再出撃出来るふりをした罰だよ」

 鴛淵が嗜める。菅野の怪我を見抜いたのは彼のおかげだ。

 美濃部の愛機、管制機型屠龍も片肺になっている。B-17の片翼に三〇ミリを叩き込んだ時の反撃による傷だ。

 滑走路の復旧を手伝いに行ったが「シロウトは却って邪魔だ」とどやされてしまった。

「次の空襲でラエは潰されちまうな」

 何気無く呟いた美濃部の愚痴に、菅野が反応した。

「俺の機が直ればビー公の攻撃なんざ、屁の河童ですって」

 彼の言葉は根拠のない自信に満ちており、あまりの可笑しさに美濃部は笑い出す。

 ひとしきり笑った彼は、目尻に薄っすらと涙を浮かべながら言った。

「三回目で陸さんの高角砲も被害甚大だ。ハルゼー艦隊は叩いたらしいから、俺隊もマダンかトラックに下がるんじゃないかな」

「トラック!飲み屋もたくさんあるぜ、菅野。ここより遥かに楽しそうだ」

 菅野は嫌な顔をする。

 トラックは重要拠点として第一次国防圏の司令部がある。つまりベタ金の佐官や将官が大勢いるのだ。

 菅野は好き嫌いの激しい気性で、特に経歴を笠に威張る輩が大嫌いだ。基地司令部の参謀と殴り合いぎりぎりにまで至ったこともある。

「トラックから航空機は融通してくれないのかなぁ……」

 菅野がぼやく。

 雷電の風防が直り、出撃させろと喚く菅野を鴛淵と美濃部が宥めていると、日が暮れていった。

 夜間爆撃に対して温存されていた零戦二個中隊が、滑走路脇のジャングルから引っ張り出される。

 飛行長の亀井凱夫が搭乗員に声を掛けて回っていた。

「お前達、夜は夜で爆撃が来るぞ!今の内に寝ておけ。明日もこき使うからな!」



 ポートモレスビー市街のホテル。仮眠中のロバート・アイケルバーガーの元に、陸軍航空隊のルイス・ブレリートンの伝令が来る。

 同じ少将だが、航空隊と陸上部隊と職務が異なるため、彼との議論は刺激的だった。しかし貴重な仮眠を邪魔されていいとは思っていない。

「ブレリートン少将が出撃を命令!輸送艦隊の上空に日本海軍の空中艦が出現したそうです!」

 飛び起きたアイケルバーガーに、もうひとりの伝令が駆け込む。

「アーレイ・バーク大佐より入電!『空中艦隊アラフラ海に在り。本官はそちらに移譲し、指揮を執る』」


 ニューギニアを巡る戦いが重要度を増してくると、空中艦隊をティモールより下げた。

 ポートダーウィンを目指していた第一空中任務部隊(FTF1)は、ハルゼーの艦隊が潰乱したことで、ポートモレスビーの防衛に回される。

〈コネチカット〉〈オレゴン〉〈コンステレーション〉〈コンスティテューション〉の空中戦艦。〈アラモ〉級〈エンデヴァー〉〈フォートレブンワース〉、〈マンハッタン〉級空中補給艦。

 アイザック・キッド太平洋空中艦隊司令長官の手許にある戦力だ。

〈コンスティテューション〉の広い艦橋の手摺を握り締め、キッドは正面にいるバークに微笑んだ。

「ありがとう、バーク大佐。君のお陰で、敵艦隊の陣容がわかった」

 めくらのまま戦闘に突入する危険を免れたと、バークに握手を求めた。

 手を握ったバークは硬い表情のまま、疑問を呈した。

「しかし八対六では苦戦するのでは。乱戦に巻き込むとしても、今宵は晴れており月明かりも強い。〈アラモ〉級の対艦ロケットは四〇〇〇メートルが限界ですが……」

「よく知っているな。空中艦に対する知識を有する軍人は決して多くはない」

 強風に艦橋が軋む。

「我々は最大戦速にて日本の空中艦隊を追撃する。生きて帰さず。見つけ次第攻撃だ」

 バークはポートモレスビーに連絡をした。バークのニックネームとなる有名な電信であった。

「現在空中艦隊は四一ノットにて追撃中」

 なお〈コネチカット〉級の最大戦速三三ノットである。

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